10

「あー暇だ暇だ暇だ。おいオズ、なんか面白い事やってくれよ」

「カタナの癖に妙な要求をするな。君に視覚はないだろう」

「心眼で見てるに……ってこら、更に布を巻くな!」

 ハレイドの中央図書館を、オズワルド・ルメイユがその場所に不適切な喧噪を生みながら歩んでいた。

 殆どの者は哀れみの目を向け、少々鋭い者も正解には辿り着けずに終わっていたが、彼は右手に握る棒、即ち布に包まれたムラマサと会話を交わしていた。

 持ち主の判断で置いて行かれた妖刀は、直接接触しない工夫を施しても尚、彼が選んだ者以外に触れられる事を拒む。直々に携行を命じられたオズワルドにとって、頭痛の種にしかならないが拒否権はない。

「しっかしよぉ、愛刀を手放すって酷くね?」

「武器新造に必要な鉱石入手が第一目的だが、クレイの鍛錬という側面もあるんだろう。スズハさん自身は『マサムネ』と『サイセイ』で十分戦える」

「常識的過ぎてつまんねぇなぁ。っつーか、二人っきりのレッスンをクレイに先越されて残念だったな」

 面白いように少年は固まり、手からムラマサが滑り落ちた。

「おいこら! 動揺したからって落とすな! なんかすげー必殺技出すぞ!」

「あ、ああ、すま……ない」

 ぎこちない動作で拾い上げて腰のベルトに捻じ込む、若き四天王は少しだけ顔を赤くして図書館の通路を行く。

 時折向けられる挨拶や視線に、小さく手を挙げて答えながら進んだオズワルドは、目的の書物が並ぶ棚の前に辿り着き、小さく頷いて一冊を手に取った。

「ハニガーの理論書か。まーお前の場合、ペーパーの知識がマジで強さに直結するからなぁ」

 『万変乃魔眼ドゥームゲイズ』の力で、オズワルドは他人の術技を一度見れば真似られる。理不尽極まる力だが、発動の仕組みを理解せず真似ると消耗が酷いデメリットもある。

 無理に乱発すれば、元々少ないスタミナが更に削られた末に、戦いから脱落してしまう惨事が待っている。

 忸怩たる事態の回避と継戦能力向上を目指し、現代では古典扱いの理屈まで吸収せんと、オズワルドは書物の隅々に目を走らせる。生まれる沈黙は、妖刀には退屈な代物だ。

「不満なら、ルチアと居れば良かっただろう」

「アイツは堅くてつまんねーよ。元からそうだったけど、去年から更にな」

 父親は勤務していた工場の爆発事故。母親は通り魔によって。ルチアの両親は最悪の形でこの世を去った。彼女に変化が生まれたのはその頃からだ。指摘も兼ねた妖刀の言葉は、オズワルドにとって重い。

 弱き者は死に直結する世界で、思考を積み上げて最善手を打ち出す力と、スズハが見出した強靭な意思を武器に歩んできたルチアには、両親の存在が大きかったと日々の言動から察せられた。


 支えを一気に失ったヒトはどうなるのか。


 未経験のクレイやオズワルド、喪失の形が大きく異なるスズハも彼女に正解を提示出来ないながらも、表面上は平常運転が続いている。

 ――政治屋になるつもりはないが、国王陛下に弟子入りすべきかな。

 壁が存在しながらも致命的な破綻を免れているのは、雇用主たるサイモン・アークスに依る物が大きいと、不本意ながらオズワルドも認めている。

 戦いの領域で非才に括られながらも、確かな社会的地位を獲得した末に本来有り得なかった国王の地位に辿り着いた男は、三人と比すればルチアに近い。心を許して師と仰ぐのは当然かもしれない。

 クレイ同様、完全に信頼しきれていないオズワルドにとって、かなり気にかかる話なのだが。

 深く呼吸して紙とインクで染められた空気を吸い、嫌な方向に傾き始めた心を鎮める。疑うだけなら猿でも出来る。その先を導き出す事がヒトの特権にして使命。


 果たすには、力が必要だ。


「今日は一人なのですか、オズ?」

 怜悧な声に、反射的に振り返る。

 炭素繊維強化物質で構築されたような、華奢だが引き締まった肉体をシンプルな彩色のワンピースで覆い、年季の入った黒の戦闘用ブーツが小刻みな音を立てる。

 銀糸で微細な装飾が施された黒手袋もまた戦闘用で、背負われた戦斧はオズワルドの身の丈に匹敵する。ちぐはぐな要素を抱えながらも、全ては長い白髪と強い意思を宿した翠の眼を有する美貌で一となる。

「レヴァンダさん。どうしてここに?」

 先代四天王にして当代グレリオン女王、レヴァンダ・グレリオンは壮年に移行しつつある実年齢とはかけ離れた軽い足取りでオズワルドの元に歩み寄り、やはり年齢より遥かに若い顔に笑みを浮かべる。

「少しばかり、国王陛下に用件がありましてね。済みましたので、懐かしさに身を浸しに来ました」

 代替わりと同時に彼女は祖国グレリオンに戻り、計画通り統治者の道を歩み始めた。

 小国ながら独立を貫き、アークスやロザリスの大国にも屈しない、茨の道を往くのは想像し難い苦労があるのだろうが、それをおくびにも出さぬ女傑は、オズワルドがムラマサを帯刀している事実に興味を抱いたようだった。

「ラディオンが折れたクレイとバルクオル大坑道に。二本だけ持って行ったので、ボクはムラマサの守を任されました」

「あの槍擬きが、逆によく今まで折れずにいましたね」

 同僚が振るっていた武器は、拾い集めた廃材を粗悪な魔力伝導鉱石で繋ぎ合わせたに過ぎない。いつ砕け散ってもおかしくない代物だった故、レヴァンダの辛辣な指摘は実に真っ当な物。

 苦笑を返す他ないオズワルドだったが、スズハが持って行った刀の種類を告げるなり、レヴァンダの表情が引き締まった事に不穏な物を感じて押し黙る。

 属性を持たない『正宗』と火属性の大刀『砕星』を、スズハは選んだ。どちらも高い攻撃力で敵を捻じ伏せる業物だが、何故二つ選んだか、までは思考が至っていなかった。

「マサムネとサイセイですか。希少鉱石が大量に存在する、バルクオルが放棄された理由はご存じ?」

「確か、安全性が確保出来なかった為と」

 正解を引いたのか、女傑の細い指が打ち鳴らされる。

「あれだけの空間です。個々の肉体強化では限界がある為、まず労働環境の構築を図りました。電灯の設置もその一つでしたが……電気を食らう特殊な生物を覚醒させてしまったのです」

「討伐令は無かったのですか?」

「当時はアークスにあまり余裕がありませんでしたから。ジャックさんやハルク辺りが志願して却下された記憶があります。坑道の特性上、軍隊も使えませんからね」

「電気を食らう生物、か。……最悪の場合、斬り捨てて終わらせるつもりなのですね」

「だったら俺を使えよなー! 一番強いんだし!」

「貴方がいたら鍛錬にならないでしょう」

 騒ぐムラマサと呆れ顔のレヴァンダを他所に、オズワルドは視線を宙に彷徨わせる。

 武器新造の為に相性最悪の敵に命を張るなど、ジョークでも酷い話。だが、求める物を得るには妥協など、そして胸を搔き乱す「予感」を吹き払う為にはこの程度で死ねない筈だ。

 ――生きて帰って来るんだ、クレイ。

 そんな願いを同僚から抱かれているとは露知らず、クレイは坑道で地道な発掘作業に励んでいた。

 壁に『入響歌エフィーズ』をぶつけ、音の跳ね返りが異なる場所をツルハシや『テルトル』と名付けた特殊な剣で掘削する。普通の労働者とほぼ同じ作業を繰り返す彼の背嚢は、既に膨らみつつあった。

 売れば十分な稼ぎになる上、現状手にした物でも武器の製造は可能だ。

「出てこないな、高純度のルベンダム……はッ!」


 彼の言葉で進捗は大よそ理解出来るだろうが。


 宝飾品に多用されている紅の鉱石ルベンダムの内、皇玉に匹敵する強度を持つ不純物が極めて少ない物は、古来から強者の武器に用いられている。強力かつ頑丈な武器を作る事に全く損はなかった為、スズハが提案した発掘作業を二つ返事で了承した。

 二週間以上に渡って籠ることまでは、流石に予想していなかったが。

「発掘された記録は多数ある。枯渇前に放棄されたのならば、必ず見つかる筈だ」

「だと良いんだがな!」

 事実、装飾品に使用可能なルベンダムの原石は幾つか手にしており、スズハの理屈は証明済み。また、希少鉱石の入手が困難だと頭では理解している。もっとも、空振り続きの現実は得てして理解と無関係に焦りを齎すものだが。

 加えて、クレイにはスズハに対する懸念も芽生え始めている。

 ――呼吸の乱れがまた出て来たな。

 日頃一分の隙も見せない年上の同僚は、この廃坑探索で何度も乱れを見せていた。本人は問題ないと繰り返し主張しているが、酷い時には歩行不能状態に陥るのはどう考えても問題だらけだ。

「まだ休まないからな」

「……分かってますよはい」

 視線に勘付かれた上に先手を打たれ、クレイは渋面を浮かべる。気遣いを受けっ放しの現状に忸怩たる物を抱くのは彼女らしいが、頑なさが押し出された膨れっ面は普段の威厳を綺麗に拭い取っていた。

 こうなった者は得てして説得を受け付けない。経験で知っているクレイは、発掘作業に再度打ち込みながら口を開く。

「今回は二本だけなんだな。カタナはサムライの命なんだろ、良いのか?」

「普通は五本も持たないし、ここで全て使うことはない。正宗と砕星で十分だ」

「アンタの場合、ナイフ一本で大体は殺れそうだけどな」

「私の力と技術は刀に強く依存している。そうはいかないよ」

 人によっては嫌味と取るであろう謙遜を受け、クレイは思わず苦笑する。同時にとある疑問が浮上し、理性の濾過を経ずにそれは零れ落ちた。

「ちょいちょい聞くけど、ムラマサは珍しいカタナなんだろ。御三家の中でアンタが所有者に決まった理由はなんだ?」


 純粋な興味で構成された疑問に、スズハのツルハシが止まった。


 地雷を踏んだかと背を粟立たせたクレイを他所に、暫し何処かを見つめていた女傑は、やがて途切れ途切れながら口を開く。

「知っての通り、村正には意思がある。身分や性別を問わず、内在する基準に従って奴は私を選んだ」

「アンタが選ばれた理由は?」

「逢祢さんや桂孔さんと異なり、私が闘争欲の塊だからだそうだ。戦無き場所で生きられない私と居れば、日ノ本に平穏が訪れようと錆びずにいられる。来たるべき時に備えていられる、だそうだ」

 どのように反応すべきか。即座に結論は出せなかった。

 肯定されるべきではない、闘争を求める精神を判断基準にする妖刀と、それに選ばれ戦い続けるスズハの歪み。理不尽な力の根源は、一般的には否定される類だろう。

 そして妖刀が提示した来たるべき時、とやらに対する畏れとそこに彼女がいない謎の確信が、クレイの身を震わせる。

 並び立つ者が極めて少ない強者スズハ・カザギリ。彼女すら盤面に立てぬ時は、一体どれほどの地獄なのだろうか。

「暗い顔をするな、私はまだ死なん。それに、君達のような優秀な存在もいれば、まだ見ぬ光達も必ず生まれてくる。どんな困難であろうと乗り越えて立ち上がって来たのがヒトだ。村正や私が失せても、美しい結末は有る筈だ。期待しているよ」

「光とやらより、アンタがずっと前線に出ている方がよっぽどアテに出来るよ」

 発言者の力量によって、辛うじて説得力を持つ言葉に苦味を覚えながら、ツルハシを強く打ち付ける。今までと若干異なる感触に膨らんだ期待はすぐに萎んだ。

「ルベンダムだけど違うなぁ。そろそろ場所を移し――」

 間延びした言葉を打ち切ったクレイは走り出し、やがて虚無が広がる殺風景な空間に行き当たる。何かを呟こうとした瞬間、漆黒の空間に光が灯される。

 本来精神に余裕を生みそうな現象は、肌を刺す痛みと腹部に響く震動によって底知れぬ恐怖と緊張を喚び起こす。

 徐々に大きくなっていく震動の持ち主に、不思議と殺気は薄い。これには二つの可能性が上げられ、持ち主の異貌が露わになった瞬間、どちらなのかクレイは正確に理解する。

 ――坑道の頂点にいるから、殺意なんぞ出す必要もないってか。

 構えると同時、震動を生み出す二つの柱が出現。複数の鉱石が凝集して構成された脚と認識し、視線を上昇させるクレイの表情が、無意識に引き締まっていく。

 両脚同様、無駄に煌びやかな胴部はヒト十数人分で、腕もそれに比例するかのように太い。無骨な兜で覆われたようにも見える頭部も、やはり多彩な輝きを放っており、隙間から覗く四つの目は感情こそ伺えないが確かな生を灯していた。

「目測十三・三メクトル。報告よりちょい小さいが……」

「バルクオル坑道の破壊者『ディアエルム』で間違いない。生き延びている『古塊人ゴーレム』でも、かなり厄介な相手だ」

「まぁでも、今の俺なら――」

 クレイの姿が失せ、坑道に紅が灯る。

 極彩色の火花が散り、炭酸水が弾ける類に酷似した特異な音が響く。

 ディアエルムに、紅狼の雷撃が命中。竜の装甲すら穿つ一撃は、光り輝く巨体を照らす終わる。

「なん――」

「躱せ!」

 ほぼ条件反射で跳ねたクレイの目前に、巨躯を傾斜させた怪物の右腕が落ちる。厖大な歳月を重ね、城砦同然の強度を誇っていた地面が微塵に砕け、坑道に激震が産まれる。

 着地と同時に首を傾けたクレイの頬に熱。粉塵から飛び出した「鉄射槍」が掠めたと気付いた時、既に次弾は放たれていた。

 回避を諦め『蜻雷球リンダール』を発動。パチパチと短い音を連鎖的に生む小さな光弾は、鉄槍と相克して消滅するに留まらず、いくつかが巨人に届く。

 ディアエルムの巨躯に吸収され、やはり無意味に終わるのだが。

 一度なら不運と言えたが、二度続けば確信せざるを得ない。

 眼前に立ちはだかる古塊人は、雷属性の攻撃を吸収し無効化する。即ち、クレイが持つ殆どの手札は使い物にならない。

 事実が齎す思考停止は肉体にも連動する。致命的な隙を晒したクレイにディアエルムの掌底。視界が埋まる巨大な一撃を咄嗟にテルトルで流すが、重量が違い過ぎた。足が地面から離れ吹き飛ばされる。後頭部と背に鈍い衝撃。堅牢な岩の打撃を強かに浴びて視界が歪み、瞬く間に暗黒へ引き摺り込まれ――


「寝るな、クレイ!」


 上司の切迫した声と痛打を浴び、強引に引き戻される。

 冷たく硬い感触に触れながら立ち上がり、玲瓏な横顔を捉える。スズハは無傷のようだが、それは敵も同じ。後頭部に流れる血を拭いながら、クレイは再度テルトルを構える。

「頭は冷えた。俺の主な術技は全て効かない。強化しても腕力勝負は無理だ」

「ならば選択肢は一つ。以前教えた物がある筈だ。実戦レベルに至っていなかったようだが、ここで完成させてみろ」

「アンタは手伝ってくれないのか?」

「この程度の敵を君が相手取るのに、私の力は必要ないだろう?」

「手札が無い奴によく言うよ。……ま、やってみるわ」

 軽い言葉を残し紅狼が始動。鈍重ながら確かに反応した巨人は再び両腕を引き絞り、撃発。坑道に新たな道を刻んだ一撃を辛くも躱し、クレイは巨人の太い腕を駆けあがり、首筋にテルトルを突き立てる。

 一応装甲を貫く手応えはあったが、舌打ちと共に跳躍。引き戻された腕を掻い潜りつつ腰にも仕掛けるが結果は同じ。

 ――まずは二か所が消えた、か。

「闇雲に仕掛けていても消耗するだけだ。教えた通り、よく見ろ」

「分かってる!」

 幸か不幸か、敵は魔術発動姿勢を取り隙が生じた。呼吸を整えながら、クレイは敵の全身をくまなく観察し――

「ヤベぇッ!」

 巨体から放たれた直径五メクトル程の円環刃を認識するなり、慌てて全力で回避に移行する。

金剛断旋剣アディ・グリペスタ』の刃は希少鉱石で構成され、流通する大半の剣を上回る切れ味を持つ。斬撃への強い耐性を有していても超重量で圧死するか、高速回転で生じる高熱で焼死する。

 三段構えの強烈な仕掛けは坑道を文字通り掘削して駆けるが、『転瞬位トラノペイン』の乱発で逃げるクレイに苛立ちを覚えたのか、狙いを突如スズハに切り替えた。

「スズさん!」

「この程度は読んでいるさ」

 食い止める手段を持たないクレイに、悠然とスズハが返す間にも円環刃は距離を詰めて行く。純粋な身体能力で彼に劣る彼女は、既に回避の道を喪失している。

 死が必定に映る女傑は迫る殺意に不敵な笑みを浮かべ、右腰の柄に手を掛ける。

「煽った私が死ぬ訳にはいかない。燃えろ『砕星』」


 クレイの放つそれとは趣の異なる赤が、坑道に奔った。


 目前で何が起こったのか、皆目見当が付かないクレイが。絶好機を得た筈のディアエルムが忘我する中、赤の遮幕からスズハが悠然と歩み出る。左手に握られた、刀身約一メクトルの大刀が小さな鞘鳴りの音を発して身を隠す。

 赤の遮幕が一際強く燃え上がり、両断され内部に囚われていた『金剛断旋剣』は赤に連れられる形で、世界から跡形もなく退場した。

「この通り、自衛能力は全く問題ない。安心して戦うんだ」

「……過剰防衛取られんぞ。けど、了解した!」

 苦笑交じりに跳ね、再始動が僅かに遅れたディアエルムの背に『狂飆裂鋼雫メクウェリュプス』を浴びせる。隙間なく撃ち込まれた鉄針に巨人は苦痛を覚えたか、再度全身を発光し『鉄射槍ピアース』を出鱈目に乱射。万が一に備えて動くクレイの目は、回避行動中でも巨人から一瞬たりとも外れない。

 ――首、背中がハズレ。となると……まぁ、やるしかないわな。

 腹を括り、『錬変成アルケルム』で伸長させたテルトルを連続で打ち込む。不気味に輝く鉱石の体に無数の傷が奔るが、ディアエルムの挙動は乱れない。緩慢ながら殺意に満ちた挙動で反撃を放ち、クレイの体力を確実に削っていく。

 じり貧を見事に体現する中、未踏領域の選別を終えた四天王は一度大きく距離を取りテルトルを納刀。自殺に等しい選択にスズハが少し目を見開いたと、気配で察したクレイは薄く笑う。

「『視える』領域に俺はいない。けど、洗い出しは一応済んだ。失敗した時、骨は拾ってくれ」

「君なら成功すると信じている。決めてくるんだ」


 ――Ooooooohhhhhhhッ!


 激励を打ち消さんとしたのか、ディアエルムが咆哮。

 今まで一音も発していなかった古塊人の咆哮は、生物として格下であるヒト属の心身を凍結させる。のみならず、壁や天井にも亀裂を刻む甚大な威力を見せつけた。

 手札が死んでいる以上、失敗すればスズハはともかく自分は挽肉になる。

 確信しつつもクレイは大きく息を吸い、巨人が両腕を突き出して光を充填させた瞬間、肉体を紅に変えた。

 唯一無二の手札、雷への肉体変換。初手に用いて失敗に終わった仕掛けを迷いなく選び、敵の放った『煌光裂涛放レイクティルス』を突き破り懐に到達。ここで、クレイは驚くべき判断を下した。


 紅が弾け、ヒトの形を再構成。


 一見すれば妥当な選択。しかし、ヒトの形態では打撃や刺突の攻撃は当然負傷に繋がる。巨人の膂力を以てすれば、彼が言及した通り挽肉に転生させられる。加えて、ディアエルムは再び『煌光裂涛放』発動の構えを取っている。

 絶体絶命の状況下で、金髪を靡かせ蒼眼に確信を宿したクレイは吼える。

「やっとこ視えた。……終わりだ!」

 高純度の空元気で叫び、崩壊寸前のテルトルを巨人の右掌に捻じ込む。更なる崩壊の一歩を踏み出した短刀に、視線が動いた巨人と目が合った、ような気がしたクレイは、悪辣な笑みを浮かべぐるりと旋る。


 暴、と豪風が生まれた。


 弾き出されたクレイの足は鞭のようにしなりながら、的確に短刀の柄に命中。ディアエルムの体内に没した短剣が砕け散った。

 感触から理解に至ったクレイが地面に落ちると同時に、変化が始まった。

 幾度の猛攻を浴びても揺らがなかった、ディアエルムの巨体が一度だけ大きく震える。脱力して膝を負った巨人の全身に、短剣を叩き込んだ右掌を起点に亀裂が生じる。死に行く生物は最後に何らかの足掻きを見せるものだが、敵は自身に生じている現象を唯々信じられないとばかりに硬直するばかり。

 祈るように身を硬くしたクレイの目前で、最早無事な所を見出せぬ程に線で覆われたディアエルムが、小さく呻いた。

 それを最後に、巨人が砕け散った。鉱石が続々と転がってくる中、へたり込んだクレイにスズハの手が伸ばされる。

「よくやった。視えたようだな」

「視えてねぇよ。総当たりまで保たせたまでだ」

 スズハの指示で二ヶ月前からクレイが鍛錬を行い、この戦闘で勝利を得た要因。それが『破砕点』と称される、魔力形成生物の多くが持つ急所だ。

 臓器を持たない彼等は魔力の集束点となるコアが最大の弱点だが、古塊人種のように頑強な装甲でそこまでの到達が困難な者もいる。余りに強力だが、些事で死にかねない通常生物との釣り合いを世界が望んだのか、彼等は体の何処かに一定以上の威力を持つ攻撃を浴びると即死する急所を平等に持っている。

 それが『破砕点』と称される場所で、存在は大抵の者が知っているのだが常人には視えず、場所も個体ごとに異なる。

 鍛えれば視認が一応可能と伝え聞くが、歴代四天王を遡っても完全に視えるのはスズハのみ。先代のハルクもある程度視えていたらしいが、彼は生来魔力を持たない体質が影響してか、不完全な認識に留まっていた。

 スズハの勧めと、適性の狭さから生じる手札の乏しさに危機感を抱いた故、鍛錬を始めたが、この戦いでは結局総当たりに頼ることになった。

「見るんだクレイ! あったぞ!」

 まだまだ道は遠いと結論付けたクレイに、らしからぬ弾んだ声が届く。

 振り返ると、ディアエルムが残した鉱石の海に飛び込んでいたスズハが、極めて珍しい満面の笑みを浮かべながら細腕に紅い鉱石を抱える様が目に飛び込む。

 求めていた物、高純度のルベンダムと気付いた時、クレイは坑道全体に響き渡る快哉を上げた。


                   ◆


「ほいよ、出来たぞ」

 ハレイドの一角にある小さな研究所。

 特殊武器製造に特化した技術を持つ男、ダチア・キャップスが無遠慮に投げたそれを受け取るなり、クレイは行儀悪く包みを破り、露わになった一・三メクトルの長槍に目を輝かせる。

 ディアエルムの亡骸から得た、高純度ルベンダム鉱石を惜しげもなく用いた穂先は、剣竜の尾にも等しい鋭利さと芸術品の美しさを併せ持った輝きを放つ。木や廃材が多用されていた柄の部分も、ドラグフェルム合金を多用して強度と高い魔力伝導性を持たせている。

 世界に一つだけの武器を手にし、幼子のように胸を弾ませるクレイは、キャップスの説明をロクに聴かず長槍と共にその場で回り始める。

 当人と武器の美しさと技量によって、一枚の絵画も同然の光景が描き出される。踊る長槍を特等席で見つめるクレイは、新たな相棒に、大河の如き力強さを垣間見た。

「……よし、決めた!」

「決めた。じゃない。踊るなら外でやれ」

 一喝、そして無慈悲な投擲を浴び、視界を星で埋めたクレイはようやく止まって我に返る。屋内で大暴れした当然の結果として、キャップスの研究所は台風一過のように家具や機材が散乱し、見るも無残な光景に成り果てていた。

「金は要らないつったけど、ここまではサービスしないぞ。掃除しやがれ!」

「……はい」

 二十三歳とは思えぬ間抜けさを晒し、掃除用具を取りに建物を辞したクレイをダチアは鼻を鳴らして見送る。部屋の片隅で苦笑する声が届くなり、壮年の博士は大仰に肩を竦めた。

「子供か」

「心が少年、としてくれ。きちんと掃除もさせるさ」

「まっ、お前が見込んだだけあって優秀だ。破砕点を突いて倒すって課題を、総当たりしてまで果たそうとする奴は普通じゃない。ぶっちゃけヒュマが振るうには過ぎる代物になったが、十分使いこなせるだろうな」

「それは良かった。……もう一つの話に移ろうか」

 提案と共にスズハの持つ空気が、善き上司から全てを食らう殺戮者へ一変する。

 非人道的な武器類も多く開発した結果、ノーラン・レフラクタとはまた別の理由で王立技術工房を追放されたダチアは、一応自分が頭のおかしい輩だと自覚している。

 彼すら心胆を竦ませる力と狂気の主が右手を振るったのを合図に、ダチアは無数の文書と、手ブレの酷い数枚の写真を手渡す。目を通し始めたスズハの傍らで、淡々と枯れた男の声が投げられる。

「王立技術工房とはまた別、国王直属ラインで新たな研究が始まった。呼応するように、工房の収蔵物から『魔血人形アンリミテッド・ドール』絡みの資料が綺麗さっぱり消えた」

「ノーラン・レフラクタが持ち出した可能性は?」

「アホ言え。気が変わっても、アイツの脳ミソなら資料を見ずとも記憶を引き出せば造れる。妻子持ちの身分で、豚箱送りのリスクを負う必要は何処にも無い」

「彼と無関係に陛下に近いところで研究再開された。……妙だな」

 血晶石を多用してヒトを極限まで強化する『魔血人形』の構想は、結局何の成果も残せぬまま発案者ノーラン・レフラクタの追放と共に葬られた。

 構想の再起動は噂ですらなく、低リスクで堅実な結果が得られる人体改造の方向へ切り替わっている。今更掘り起こすことに、何一つ合理的な解釈は見出せないが『魔血人形』を基盤にした何かの研究には、隠し通せるか否かの境目と言える、気紛れで片付けられない額が注ぎ込まれていると、ダチアが得た資料は明朗に告げていた。

 そして、スズハがこの話に喰いついた大きな理由は写真にあった。

「奴が肉体改造を受けるのか。それとも、他に理由が有るのか。どっちに賭ける?」

「彼女も立派な四天王だ。……堕ちていないと私は信じている」

 最強のサムライの言葉は、祈りに近い物だった。

 見てはならない姿だと感じた男は視線を彷徨わせた結果、写真に辿り着く。

 不鮮明な代物だが、特徴的な紫の長髪とロングドレス姿は、一定以上の面識が有る者なら否が応でも人物の正体が分かる。付き合いの深いスズハであれば一目で気付いただろう。

 ――まぁ、無理もないわな。自分の部下が写っているなんて。……まあ、事態によっちゃ俺も色々と不味いんだけどな。

 写真と事実を突き合わせて浮かび上がる最悪の推測からの逃げ道を求め、ダチア・キャップスは煙草に火を灯した。



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