11
懸念があろうが時は流れる。
バルクオル大坑道の一件と武器の新造。そして彼が知る由もないが、スズハが懸念を抱き始めた時から、実に三年の時が経過した。
三年の間、大きな戦争も強大な生物の出現も無く、四天王は別々の場所に配置されて過ごす日々が増えていた。
外との関係が安定しているならば、化け物共を一箇所に留める理由は何処にも無い。
ここまで明け透けに主張した輩がいたかは不明瞭だが、ともかくスズハを除く三人は、アークスの様々な場所を転々とする生活を続けていた。
「……つっても、流石に退屈だ」
窓の外から見える、何処までも続く長閑な光景にクレイは小さくぼやいた。
アークスの食料事情を支える、ベケッツ穀倉地帯に位置する町ブランズの監視を命じられたのが一か月前。良き住民に囲まれた環境は居心地こそ良いが、そのような環境に不慣れなクレイには退屈なのは間違いない。
暇潰しの手段も極めて限定され、敵襲も皆無。時間が他より遅く流れる錯覚を抱く世界で、クレイは伸びをしながら壁に掛けられた長槍に目を向ける。
「お前も、なかなか出番が無いなぁ」
三年前に新造した長槍『紅流槍オー・ルージュ』は、訓練以外で真価を発揮出来ぬまま、持ち主共々ベケッツの町で怠惰な日々を送っている。目録性能は折り紙付きであり、訓練でも成績が劇的に改善されているが、相応しい強敵との実戦は未だない。
武器は抜かずが良いとは至言だが、苦労して手に入れた武器を実戦投入せぬまま腐らせることには、やはり引っ掛かりがある。かと言って任務を放棄して動く事は流石に憚られる故、腐らせっぱなしの現状が維持されるのだが。
ともかく、退屈でも何らかの仕事はこなすべきだ。
切り替えて立ち上がった時、ノックの音が転がり込む。おざなりに返事をすると、眼鏡をかけた痩せ気味の少年が遠慮がちに顔を見せた。
「パスカか。今日もやるのか?」
「お時間が無ければ帰ります」
「んな事言うなって。どうせ暇だから飽きるまで付き合ってやる」
赴任してすぐの頃、常駐の教師が急病で倒れた事があり、クレイは彼の役割を押し付けられた。
四天王の威光も年頃の少年少女には効き目が薄い。臨時講義では、自身の学生時代の態度をそのまま返される散々な結果に終わった。だが、目前の少年だけは異なる反応を見せた。
二度と教師をしないと決意した翌朝、パスカ・バックホルツと名乗った彼は、クレイから教えを受ける事を強く望んだ。子供の勉学で済む領域を教えるノウハウは無いと、最初は断ったクレイも、連日依頼してくる少年への興味が次第に湧いてきた。
「あいつのレベルは決して低くない。お前ぐらい真面目に受けてるなら、ちゃんと大学に行けるさ」
「俺は大学に行くつもりはない。……軍人になりたいんです」
「士官学校も入らずにか?」
志願すれば学歴が無くとも軍人にはなれるが、それでは多くを望めない。命を賭して戦果を挙げようと、士官学校出を階級で上回る事は極めて困難。立身出世物語を描こうとすれば、確実に途中で排除されるだろう。
それが分からぬ男ではないと説得の過程でクレイは理解に至り、故にパスカの希望に合理性を見出せず首を捻る。ただ、少年の意思が非常に固く、自分の説得は恐らく届かない。
拒めば別の手段を求めて動くだろう。下手をすれば死に限りなく接近する選択をしかねず、それは非常に寝覚めが悪い。
変な所で良心的な四天王は、そこで折れた。
クレイの一対一特別講義は、何らかの重大事件が起きない限り毎日開かれ、時折妙に難解な講義に、パスカは根気強く付いてきている。
――頭の出来は悪くない。どころかここにいるのが勿体ない。けど……。
日が高くなり始めた頃に座学を終え、仮住まいを出て武器を構えるよう促す。
「いつも通り、好きなように仕掛けてこい。ルールも機能までと同じだ」
「はい!」
イキの良い返事と共に、パスカは両手に魔術を展開。その様に薄く笑ったクレイも始動。
そして、一撃も放たせることなく少年を地面に伏せさせた。
――実技も良い部類なんだが、どうも柔軟性に欠けるんだよな。
うつ伏せで荒い息を吐く少年を見ながら、クレイは小さな溜息を吐く。素質も実力も高いが、飛び抜けた物を持たない。目標達成には一番難儀する傾向と改めて理解に至るが、当人には敢えて指摘しなかった。
時間こそかかるが、炙り出された問題点を確実に修正して完成度を高めていく、年齢不相応の修正能力と、鍛錬を決して欠かさぬ強靭な心を持つパスカなら、把握済みだと判じている為だ。
一先ずパスカを助け起こし、洗体設備を使うよう促す。適当な飲み物を準備しながら、少年が出てくるまでの時間を潰す。
鼻歌を唄いながら思考を固めた頃、浴室から出てきたパスカに着席を促し、両者共に水を一杯飲み干す。
頭を下げようとした少年を抑えて、クレイは切り込んだ。
「お前の志望さ、四天王だろ?」
いっそ清々しさすら感じさせる程、パスカが肩を跳ねさせる。的当ては得意分野であるが故、正解を引いたことに特段感情を揺らがせることなく、淡々と言葉を継いでいく。
「最後まで聞け。お前の頭と行動力なら、軍人の出世ルートがどうとかそういう話も分かってるだろ? 望みがどれだけデカいのか知らないが、正規ルートをすっ飛ばしてデカい力を得られる道となると、四天王ぐらいしかない。訂正は受け付けるぞ」
答えは沈黙。当人に言っても罰則は無論ないし、肩書は暴力で強引に奪取出来る物でもない。そこに、パスカ・バックホルツの人間性を垣間見てクレイは小さく笑う。
四天王はあくまで暴力が求められる立ち位置であり、代替わり後にアークスの中枢に留まれた者は片手の指で数えられる程度。そもそも、自由に映っているかもしれない行動も、他の軍人達と同様に束縛されているのは、こうしてベケッツにいる事実で分かる筈だろう。
事実を知っていても、世間を知らぬ子供の夢と切り捨てるのは忍びない。おまけに人間性を知った今、パスカの夢を只の夢想と考える事がクレイには出来なかった。
「聞いてやる。どうして四天王を望む?」
「……俺の父は、元々ハレイドの文官でした」
「へぇ。そりゃ初耳だ」
「言っていませんから。この町に来たのは、負けたからです」
政治を行使する連中の『負けた』は、権力闘争の類と相場が決まっているが、ウィッカー・バックホルツは覇気こそ薄いが、善良かつ仕事熱心な男だ。
闘争に身を投じるとも思えぬ上、あの性格で派手な戦いを繰り広げて負けた場合、税金を食む立場から蹴り出されて牢獄送りも十分あり得る。となると、想定以上に小さな出来事である可能性も否定は出来ない。
いずれにせよ、真相は彼の中にずっと封じ込められるだろうが、家族のパスカに「負けた」と言わしめる何かが起きたのだろう。一応中枢にいるが噂すら入らなかった点を鑑みるに、彼は凡庸だが真っ当な手段でそれなりの地位に登り、そして理不尽で引き摺り下ろされた。
「善き道を歩むには、力とそれを行使する為の環境が必要です。……四天王なら、それが出来る筈でしょう」
――流れの戦闘狂や只の言論者よか、確かに良いけどな……。
現実が次から次に浮かんでいく最中、不意に気付く。
ままならぬ現実が不変と言い切れる根拠が、どこにあるのだろうか?
ヒト属が誕生してから約一万五千年と少々、現在に繋がる歴史が紡がれ始めてからは約二千年。比するには長い時間だが、着実に世界や規範は変化した。
現代は確かに枠組が整備され、変化の余地が着実に削られている。だが、一概に何も変わらないと断じるのは早計に過ぎる。現実に押し潰される諦観が先に来てしまうのは、単なる逃げだろう。
――まだ若いつもりだけど、ここら辺は年食ったよなぁ俺。
「四天王がお前の理想通りの代物じゃないと、俺は言える。けどそれを変えられる可能性は、変化を望むお前は持っている。無論、非正規ルートからの登用なんて殆ど例が無い。険しい道だろうが、手助けはしてやるよ」
普段の彼を知る者が聞けば、それなりの驚きを覚えたであろう言葉。正面から受けた少年は、ありきたりな表現だが雲が吹き払われたような表情を浮かべていた。
「言っとくが、もう一段階厳しくするからな。辞めたくなったらすぐ言え」
過ぎた高揚を収めるべく釘を打ったが、少年に揺らぎの兆候は皆無。腹を括って鍛錬メニューの再構成と打ち合わせを始めた時、扉が再びノックされる。
「いるから入れ」
「そう? だったらお邪魔します」
凛とした声と共に現れた存在に、四天王は少しだけ瞼を動かし、少年は直立不動の姿勢を取った。
「クレイ、この子は?」
「筋の良い弟子。四天王志望なんで稽古付けてる」
「あなたが弟子を取るなんてね。はじめまして、ルチア・クルーバーです。変な事をされそうになったら、すぐに連絡してきなさい」
「パスカ・バックホルツです! お会い出来て光栄です!」
「おい、俺と初めて会った時と大分態度が違うぞ」
「い、いえ! そんな事は……」
新たな四天王の登場で、パスカは面白いように表情を変えた。このまま三人で談笑と行っても良かったのだが、ルチアが「少し席を外して欲しい」という頼みを投げた事でそれは実現しなかった。
生まれたての小鹿も同然のぎこちない動きで二人に頭を下げ、四天王志望の少年は家を辞する。扉が閉じる音の残滓すら失せた頃、口火を切ったのは受け入れた側だった。
「俺達にもあんな無邪気な……とかそういう前置きは良いわな。何があった?」
「戦が起きそうだ、って話よ」
ここ数年、アークス国軍が派手に動くような規模は確かになかった。しかし、戦の火種は変わらず撒かれ続けている。
イカレた民兵集団や奇妙な存在を信仰する宗教組織。果ては知名度の高い戦士に一対一の決闘を申し込むドラケルンの戦士。
目立つ輩はこの辺りだろうが、著名な存在でなくとも、世界は容易に捻じ曲げられる。
弱者の投じた小石が、様々な運命の悪戯が重なり合って大きな波紋を齎し、秩序を破壊した記録も少数ながら残っている。
信頼の厚さ故か、それとも未だ人種差別を行う阿呆への対策か。四人の内、もっともサイモンと行動を共にする時間の長いルチアが戦の可能性を提示するとなると、ふざけていられる余地など一ミリメクトルたりとも無い。
目で続きを促したクレイに、同僚は薄い紙束を差し出す。
「……アドーチスかよ。まだ残ってたのか」
「私はあまり役に立たなかったけど、四天王は本体を潰した。けれども、残党が居たってことね」
「残党って言える規模かよこれ。売れっ子はいないが、勝敗度外視の喧嘩は十分やれるぞ」
数万に及ぶ、武闘派非合法組織として大陸屈指の人員を誇っていた頃と比較してしまえば、八百少々の残党はあまりに少数。彼らが嘗て掲げた理想の体現には、到底足りない。
そもそも、彼等は組織の再興や理想の実現を求めていないと、資料を完読したクレイは結論に至るのだが。
「完全に本体を潰したアークスへの逆恨みだろ。ここ二か月で六件は多過ぎるし、病院やら学校を狙ってんのが性質悪いな。……いずれ、ハレイドに来るだろうな」
理想の実現どころか、恐らく組織の存続すら敵は望んでいない。あるのは只、自分達を崩壊させた連中の住処を叩き潰す事のみ。
振り切れてしまったヒトは残酷な振る舞いを平然と為せる。真っ当な強者よりも恐ろしいと言っても過言ではない相手の登場に、全身からブランズに身を浸す事で生じていた弛緩が霧散する。
緊張の糸を張り直し、己の動作の再確認行程を始めたクレイだったが、何かを問いかけんとする同僚の視線に気付く。
「どした?」
「……彼等には彼等なりの正義や理想がある。でも、私達や一般的な社会的通念から外れているから排斥される」
「だろうな。どれだけ足掻こうと世界の論理は多数決だ。不可視第三世界とやらへの昇華なんぞ、信じちゃいない。だから俺は敬虔な信者をここに来る直前に叩き潰した」
ブランズ派遣前に与えられた、南アメイアント大陸由来の宗教が変質した組織の破壊任務に引っ掛けたクレイの言葉に、ルチアは幽かに目を伏せた。
任務で他者を殺害する事は、数こそ減ったが珍しい事ではない。敵性生物も含めれば、命の破壊にいちいち心を乱している方がおかしな程に、四天王は血で染め上げられている。
パスカの言葉を受け、高揚していた心が急速に冷めて行く。
完全に冷却された頃、ようやく顔を上げた同僚は強い意思と迷い、二つの矛盾した物を内包した目でクレイを見据える。
「……なら、私と貴方が道を違えた時、貴方はどうするの?」
「決まってるだろ。引き返せる違いなら、俺は引き返して同じ道に戻る。それが出来なきゃ、離れるしかない。いつだって、俺はそうして来た。そうやって、戦う事に折り合いを付けて来たんだ」
「そっか。……うん、そうだよね」
「変な質問すんな。何か言いたい事があるなら、もっと分かりやすく直球で言ってくれ。質問の意図からズレずに済む」
「次から気を付けるわ。陛下からの召集が掛かっている。明後日の朝に一度ハレイドに戻りましょう」
質問の意図を明かさぬまま、ルチア・クルーバーは仮住まいから去っていく。去り際の表情が、妙に寂寥感を湛えていたようにも見えたが、引き止めて追及しようとはしなかった。
奇妙な問いも含め、同僚が何かを抱えているのは自明。確証があれば突っ込んでいただろうが、強い違和感を抱いたとは言え、たった一度の会話だけで斬り込める無遠慮さは、加齢や経験で削り取られていた。
――けど、放置するのもアレだな。……ルチアが単独で請けた仕事について、ハレイドに戻ったら調べてみるか。
慎重かつ真っ当な判断を下し、クレイは机の上に突っ込んでいた書物、嘗てのアドーチスに関する資料と先程ルチアから手渡された資料の並行咀嚼を開始した。
◆
同僚二人が田舎町でそんな会話をしていた日の夜。
ハレイドに存在するアークス屈指の高級住宅地マッセンネは、景観維持の為か電灯の類が非常に少ない。風情ある歴史的な建造物の数々も、月光の助力無き夜は眠りに就くように、その姿を闇に隠す。
ヒトよりも建物の方が健全な生物になっている。
下らぬ思考が脳裏を掠め、小柄な青年オズワルド・ルメイユは無音で嗤う。
己を飾る物に興味を示さず、また関係の深い友人もいない彼がこの場所を訪れる事は稀と言える。
性別の判別し難い目は閉ざされているが、矮躯に宿るは戦闘時と変わらぬ緊張。何度か短い呼吸を行い、埋め合わせのように長い呼吸を時折挿む。不可思議なリズムを刻んでいたオズワルドの耳に、遠くから聞こえる発動車の排気音に代わって硬い足音が届く。
目を開き、闇に視線を向ける。
魔眼を解放せずとも、誰が来たのかは大方分かる。
「止まれ」
互いの武器が幽かに届かない距離で制止を促すと、不意に『月燈火』による光が灯される。
「相変わらず警戒心が強いねぇ」
「マッセンネを受け渡し場所に使う辺り、キミも大概だろう」
荒野を往く騎士にも似た、各所に補修痕が目立つコートを纏った男は、己が灯した光の中で肩を竦める。ディス・ホーディートーンと称される長身の男に向け、オズワルドは予備動作無く左腕を振った。
「っと」
大抵の者が何も理解出来ないであろう動きに反応し、右手を握り込む。引き寄せ、開いて手中のそれを見たディスは、満足げに何度も頷いた。
「身分の高い連中の何が良いって、金払いが良いンだよな。これがそこらの宗教屋だったり、流れの賞金稼ぎじゃこうはいかねぇ」
「情報は第三の剣。支払いを渋る事は武器の整備を怠るに等しい。持ってきたか?」
「もちろン。掴める範囲に留まるけど、な 技研から情報をパクるってなぁ、なかなか厳しかったぜ」
先刻の鏡写しのような光景が繰り広げられ、オズワルドは右目の眼帯を取り払う。
ディスから投げ渡された小さな宝玉。注意深く観察しなければ天然の物と錯覚するそれは、四天王の視線を暫し受けた後、突如輪郭が緩んで原型を喪失していく。
「うおっ、すげ」
間抜けな感嘆を他所に、宝玉の解体は進む。
『悪夢乃魔眼』が持つ最大の力は、見た術技を完全に模倣出来る物。そして二番目が、たった今展開されている偽装する力だ。
指紋や声紋、そして虹彩認証辺りが有益な情報保護手段とされているが、これらも非常に優れた魔術師が肉体の構造から変装を行えば突破される危険は残る。
穴を克服すべく近年運用開始されたのが魔力波長認識技術であり、一人一人持つ物が異なる上に後天的に変える事が出来ない魔力波長の識別は、機密保持の堅牢さを一段と引き上げた。
理屈に則れば、封印を施した存在以外は中身を暴く事は絶対に不可能だが、魔眼は他者の魔力波長すら読み取り、模倣し、他者に成り済ます。
悪質な使い道も容易に浮かび、他言すれば厄介を招くと判断し、スズハにすら隠していた力を披露したオズワルドは光の終息を確認するなりディスに問うた。
「キミは中身を見たいか? ……後戻り出来なくなるが、正解を引いているとすればなかなか不愉快な物が見られるぞ」
「アホ言え。正義にも陰謀にも興味ないンだ。危ないって分かり切った話に乗らねぇよ。俺は気楽な情報屋だ」
「だったら早く消えろ。ボク一人では守り切れないかもしれない」
「御忠告どーも。……けど、お前も死ぬなよ? 死ンじまったら、正義も何もないンだぜ」
「心得た」
『月燈火』の仄かな光が消え、情報屋は鼻歌混じりに去っていく。
露見すれば確実に社会的どころか物理的に人生が終わる行為に、二年分の給金を情報屋に手渡した。彼が得た情報は、果たしてオズワルドが望む情報があるのか。
情報屋の腕と実績は知っての上で依頼したが、この点については己の運を信じる他ない。
「いや、寧ろ外れてくれていた方が良いのか。……頼んだぞ」
祈るように呟いた若き四天王の姿は『転瞬位』の発動ですぐに消えた。
己を監視する存在に終ぞ気付かぬまま、彼の夜も更けて行く。
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