12:夢なら醒めた。だけどボク等は
生きた町ハレイドは常に姿を変える。
何処かの誰かが残した格言に従うように、たった二ヶ月離れていただけのクレイも、町の変化を一時間も使わずに大小問わず見つけ出していた。
「……なんてこった。『ジーグラー』が閉まっていたなんて。あそこのパン美味かったのに」
パン屋の閉店を前にして、地面にへばり付いて落ち込む様は、四天王の理想像とかけ離れているだろうが。
奇異の視線を意に介さずひとしきり落ち込んだ後、クレイの姿が舗装路上から消えた。どよめきを空中で聞きながら空を堕ちた末、とあるビルの屋上に降り立った。
足の裏から生じた音と衝撃に暫し身を震わせ、眼下に広がる景色に目を眇める。一分前の戯けた振る舞いが、内在する感情を押し殺す虚飾だと、彼が発する物は朗々と告げていた。
サイモン・アークスからの召集内容は、予想の範囲から外れずアドーチス殲滅についてだった。時間がそれなり以上にかかるだろうが、四天王の実力を鑑みれば確実に達成が叶うだろう。
国王はそれ以上を求めず、四天王側もまた然り。
久方ぶりの四人揃った任務となれば、もう少し意気が上がっても良さそうな物だが、彼等の上司たる女傑、スズハ・カザギリが彼に懸念を齎していた。
四年前と比して体調に改善の兆しは見えず、寧ろ悪化の一途を辿っている。一撃で勝負を決める戦闘様式故、元々長時間戦場に出ていなかったが、今では一度戦場に出た後に数日の休息が必要という、肯定的解釈の余地が無い状態に陥っていた。
先刻の召集でも杖を用いて歩行し、何度も激しく咳き込み言葉が途切れていた事を鑑みると、彼女を戦力と数えられないのでは。
決定権も、スズハの意思を覆す力も無い以上、空虚な問答以外に何も生まれないと結論付けたクレイは『
背から伸びた翼で大気を掴んで飛翔し、久方ぶりの自宅へ向かう。
――そういや、ホーネットも動かしておかないとな。……せっかく買ったのに、ロクに転がしてねぇや。
任務で北アメイアント大陸を訪れた時に一目惚れして購入したが、殆ど飾り状態の発動車に思いを馳せながら空を翔け抜けたクレイは、やがて自宅の一軒家に辿り着く。
「オズか。どうかしたか?」
そして、今まさにドアをノックしようとしていた同僚を目撃する。
任務の伝達後、オズワルドもクレイ同様に一人で城を出た。こうして自宅前にいるのは用があっての事だろうが、解散時に言わなかったのは何故なのか。
疑問は浮かぶが、言い淀む同僚の様子を受け、真剣な話だと当たりを付けたクレイはドアを開錠し手招きする。
「散らかってるけど入れ。外じゃ不味いんだろ?」
「すまない」
家主に追従する形で、オズワルドは小さく頭を下げて玄関を潜り、そして異常な速度で施錠する。カチャリと乾いた日常の音が、妙に引っ掛かりはしたが、意に介さず居間へ向かう。
「思っていたより整理されているな。キミの事だから、もっとこう……魔窟状態に」
「叩き出すぞお前」
「やれるものならやってみなよ」
下らないやり取りで相好を崩し、買い込んでいた菓子と珈琲、そして紅茶の杯を机に置いて同僚と相対する。一人に二つの杯が並ぶ奇妙な光景に、左眼に困惑を宿したオズワルドだったが、紅茶に山のような砂糖を溶かして口を湿らせた。
――味覚に関しちゃ、一生合意が取れなさそうだな俺達。
下らない事を考えながら、珈琲を一息に流し込む。胃に熱が流れ込んでいく感覚と共に、思考が活性化を始める。
暴力が絡む問題ならオズワルド一人で片が付く。そうでないとしても、四天王が持つ繋がりを活用すれば余程の、仮定の話だが彼個人の借金や痴情の縺れといった話でなければ解消可能。
にも関わらず、相手に選んだのは自分一人。雰囲気からの推測に留まるが、慕っているスズハにすら伏せているのは妙な話だ。
「……覚悟は良いか?」
「出来てなきゃそもそも話を聞かねぇよ」
いつでも来いとばかりに、行儀悪くソファに身を預け右手を振る。意を決したようにオズワルドが口にした言葉は「『
「ノーラン・レフラクタ自身の手で、カルス・セラリフの力を子供に与えたそうだ。十年以上の時を経て、研究が結実した美談だな」
「過去の産物を今更掘り起こすのは粋じゃねぇな。大体、餓鬼に託したんじゃ意味が無い。実戦配備に何年かかるんだよ」
兵器開発も未来を見据えて行われるが、廃棄された技術が担うべきだった未来は『今』だ。ようやく結実したところで、数年も経てば別の何かが生まれて型遅れの代物に成り下がる。
敗北者の町に去った男の執念に多少敬服はするが、そんな事で態々オズワルドが話を持ち掛ける筈もない。続きを促すと、年下の同僚は更に表情を強張らせていく。
「キミは『統治者』という単語を知っているか?」
世間的な意味ならともかく、お前の意図した物は知らない。
そのような意思で首を横に振る。「……やはりか」と小さく呟いたオズワルドは、杯を横に退けて小さな球体を机に置いた。
「記録水晶か。……フェイクの可能性は?」
「この眼で確認した」
まんまと贋物を掴む阿呆の台詞も、眠る魔眼の力によって緊張を齎す代物に転じる。無意識に姿勢を正したクレイに何度も目を遣りながら、オズワルドは水晶に魔力を流し込む。
十四、五年前から一般層に流通が始まり、諜報部がロザリスから拝借した技術も組み込んで爆発的に発展した映像機器に用いられる記録媒体と違い、記録水晶は一度記録を流し込むと書き換えが出来ない。
記録者の魔力が無ければ再生も困難で、おまけに耐久性も遥かに劣る。汎用性の観点では何一つ良い所はないが、書き換えが出来ないという難点は、逆に後付けの細工を防ぐ強固さに成り得る。
それそのものがフェイクで無い限り、映し出される光景は何処かのいつかに起こった事実となる。故に、クレイは固唾を飲んで上映を待った。
「王立技術工房の倉庫から拝借した、映像は五年前の物。始まるぞ」
灯りの落とされた居間に光が生まれる。
記録者の恐れを示すように激しくブレ、時代の基準に合わせると著しく不鮮明な映像だが、散乱する機材の一つで、場所が技研に存在する実験室と理解に至る。
映像がゆっくりと回り、ある物が映し出された刹那、クレイの全身に雷撃が奔った。
液体に浸され、全身に無数の管が挿し込まれたヒトが、そこにいた。
醜く肥大化した頭部や、殆ど液体に同化している右脚。液体の沸騰にも似た泡立ちを繰り返す脇腹。輪郭を保っていた事で辛うじてヒトと認識出来た醜悪な姿だったが、ある二つの事実にはそれすらも霞む。
ヒト型の開かれた頭と胸。そこにあるべき物が影も形も無かった。
心臓と脳、どちらかの欠落は生物の死を示す。それらを持たぬ魔力形成生物だとしても、コアが存在していなければ生命を繋げない。
にも関わらず、ヒト型の全身は呼吸に依る物と思しき上下動を繰り返し、見る者に確かな生を実感させていた。唖然とするクレイだったが、映像はここで終わらない。
「……なん、だ?」
画面に現れた、頭頂部から爪先に至るまでを白で覆いつくした二人の人物が大義そうに抱えていた円筒から、血晶石で構成されたであろう大小二つの物体が取り出される。
二つはヒト型の欠落の中に埋め込まれ、空洞など無かったかのように閉ざされる。
そして、激烈な変化が映像内で生まれた。
嫌悪感を喚起していた身体の異常が、インクで塗り潰されるかのように失せ、緩んでいた輪郭も整えられていく。
観劇者の理解が追い付かぬまま進行した変化の末、造り物染みた美を持つに至ったヒト型の目が突如開かれる。クレイのみならず、映像内の研究者すら微量の戸惑いと恐怖で硬直する中で、己の手で繋がれた管を引き千切り、裸身のヒト型は立ち上がる。
「……」
紅の目でしかと撮影者を見つめた状態で何かを呟き、開かれた手が閉ざされる。
砂嵐が吹き荒れ、そこで映像は終わった。
腕をさすって悪寒を抑え、紅茶を一息で呷って深く息をする。過去の映像だと何度も繰り返してヒト型の目に宿った光の残滓を振り払う。
観てしまった事を深く後悔しながら、今更後戻りなど出来ないと腹を括り、やはり血の気の失せているオズワルドに問いかける。
「……自動人形か?」
「それよりもっと酷い。資料からの推測になるが『
「既存の遺伝子を掛け合わせる『三頭獅子』ですら失敗したんだ。ヒトなら余計に困難だ」
種が成立している哺乳類で最強と称される『三頭犬』ケルベロス。バザーディ大陸に生息する決して飼い慣らせぬ彼等の力を得ようと、とある国が遺伝子工学を用いて『三頭獅子』なる人造生命を生み出した事があった。
結果は国が焦土に化す惨憺たる物で、たった一例の成功作もヒトの肉体に因子を強引に捻じ込んだ代物。本来の狙いからは程遠かった。
ケルベロスの知能は非常に高いが、ヒトの持つ複雑さには及ばない。技術の進歩が幾ら加速していようと『三頭獅子』の失敗から二十年も経過していない映像内の世界で、ヒトの創造など出来る筈がない。
事実と、人造のヒトへの倫理的な嫌悪が混じり合ったクレイの否定を他所に、記録水晶を片付けたオズワルドは無慈悲に告げる。
「ボク達の知る限りの技術力では、確かに作れないだろう。けれど映像もある上、技術力の限界を超えた代物をボク達はずっと見てきた。……それに、王立技術工房に使途が伏せられた金が流れている。この映像以前、八年前からずっと」
「……一つ聞いていいか。情報源は誰だ?」
「ディス・ホーディートーン。君も知っている人物だ。この記録水晶をボクに渡した翌日。つまり昨日死体で発見された。心臓発作だそうだ」
暗い活動の際、クレイも何度か助力を受けていた情報屋が、オズワルドに情報を渡した翌日に死んだ。心臓発作など低位魔術でも演出可能であり、単なる不幸とするには無理がある。
オズワルドの求めが何か、戻れない道にある危険がどのような物か。
理解と恐怖、そして葛藤が一斉に襲われたクレイは腕を組み瞑目する。
どう考えても穏やかな話ではない。同道の選択は、まさしく面従腹背の形容が相応しい。最悪の未来も現実的な脚本に成り得るだろう。
――気にならないってのは嘘になる。……それに、な。
一昨日ルチアと交わしたやり取りが、彼の脳裏を掠める。
正しさとは個々人にあるもの。それが致命的に違えているのならば、別の道を行くしかない。
自分を捨てた本当の両親を始め、憎悪を向ける対象は山のようにあるが、愛情を向ける対象もまた然り。アークス王国も後者に入り、何かを見つけたのなら正す為に動くべきだろう。
――賭けてみるか。最悪、全部俺が被れば良い話だ。
黙したままクレイが首を縦に振ると、オズワルドは表情を少しだけ明るくするが、すぐに落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。
「この家、セキュリティはどの程度だ?」
「平均以上はあるだろうが、軍事施設よか弱い。上位の魔術師が本気を出せばひとたまりもない」
輸送費や改造費用も含むと、なかなか笑える金額を突っ込んだホーネットの盗難を防ぐべく、一個人の住居という視点で見ると過大な費用を用いて防犯設備を整えているが、陰謀めいた事態との対峙まで想定していない。
言葉と、オズワルドの提示した物が全て真実だった場合、敵対者の手で簡単に破られるだろう。
盗聴、盗撮を念頭に置いた問いの答えを受け、ほんの少し同僚は唇を噛み締めるが、すぐに切り替えたのか立ち上がって玄関へ向かう。
「だったら、明日ヒルベリアに向かおう。あそこならマトモな軍人はいない。……最悪の事態を考えた時、幾らでも対処が出来る」
「分かった。今日は泊まってけよ。バラバラになるより安全だろ?」
「ありがとう。けれど、施設に顔を出してからにさせてくれ。もう何ヶ月も帰っていないんだ」
ルメイユ記念学園は、オズワルドが四天王に登り詰めて名声を手にしても尚、危うい状態の経営が続いている。給金の大半を寄付するに留まらず、任務が終わる度に彼が訪問している事はクレイも知っている。
最後になるかもしれない生家への訪問は、誰の介入も必要としないだろう。
「気を付けて行けよ」
「勿論。……キミも死ぬなよ?」
「生憎育ちの悪い『
戯けたやり取りに瞳を細め、オズワルドは去っていく。
未知への恐怖と緊張が色濃く出ている背に、もう少し引き止めるべきだったかと後悔が掠める。
想像から到底逸脱した事態との対峙や、全てを失う覚悟を持っておくのは、今までの仕事と何ら変わらない。どんな困難であろうと、乗り越える為に求められる物は、いつだってシンプルだ。
――やるしかない、何があろうとな。
決意と共にクレイは目を閉じる。
同時に、彼の背後に在った、オズワルドが口を付けた杯に音もなく亀裂が走った。
◆
久方ぶりの訪問は、予想以上に長い物になった。
数々の武功によって、アークスやインファリスの一部に留まらぬ名声を勝ち得たオズワルドの訪問は、彼を直接知らぬ子供達にとって一大イベントとなり、そこに恩師との会話も挟み込まれた結果、既に日は落ちて空は黒に支配されていた。
夕食も一緒にとせがまれたが、クレイを待たせている事からそれを辞退し、ハレイドの中心部に戻ったオズワルドは、簡単な買い物を済ませて同僚の家へ向かう。
統治者が住まうギアポリス城が異物となるまでに整えられた町は、荒廃した場所とまた別の方向性で人を迷わせるが、十一年の四天王生活で慣れた彼は苦も無く歩んでいく。
同僚に話した内容はほんの一部に過ぎない。正鵠を射ている保証も現状無い。泥沼へ誘ったという誹りを受けて然るべき愚行だと、オズワルドも自覚している。
――ルチアも、スズハさんも巻き込むべきか。いや、現状でこれ以上は難しい。早く掴み取らないと。
そう、真実を掴みさえすれば何の遠慮も無く動ける。終わった後に今の立場を失う事も惜しくない。彼にとって『正義』とはそういう物だった。
指し手を模索しながら歩むオズワルドの足は目まぐるしく方向を変え、やがて人気の無いビルとビルの狭間。彼は知る由も無いが、クレイと先代四天王が出会った路地に行き着く。
買い物袋を『
「店の辺りから今まで、長い時間ご苦労なことだ。ここなら誰もいない、出てこい」
返事は、短剣の投擲だった。
オズワルドの左手が動き、翻る。刃無き剣『不定剣オルケスタ』に紫電が迸り、短剣を叩き落とす。
夜の光と街灯を弾き返して輝く、歪な剣を構えた青年の目が見据えるは、路地の闇。
黒よりも尚深い黒を背負って現れたのは、顔を迷彩の仮面で覆い、野戦服を纏ったヒトだった。身長は一・七メクトル程で、服の形状から体型による性別の割り出しは困難。
ただ、その迷い無き足取りと殺気を深くへ沈めた姿は、決して侮ってはならぬ相手だと明朗に告げていた。
「こうも早く刺客を向けられるのは想定外だ。けれども、ボクの前に立ったのならば退場して貰う。……夢幻踊影『
眼帯が取り払われ、露わになった右目が黒を灯す。
一瞬の明滅の後、オズワルドの体勢が極端な前傾状態を描き、四肢の爪と犬歯二本がオルケスタの刃に変化を遂げた。
ガイベニア半島に位置するマレアル王国の勇士、ラニヘック・ロレンソが編み出した『纏駆装・黒豹』は肉体そのものに作用し、制限時間はあるものの名前を拝借した生物と同等の動きを実現させる。
オズワルド、襲撃者双方が『輝光壁』を展開して音や魔力の漏洩を塞ぎにかかったが、長期戦に持ち込むメリットは何一つない。
「行くぞ!」
獣声で宣言したオズワルドが地を蹴り、ビルの合間に没する。
樹海の主たる獣の挙動は変幻自在。どれだけ対人戦に慣れた敵であろうと死角を洗い出し、防御不可能な一撃を叩き込む。
単純かつ高効率な戦闘様式は対峙する者を被捕食者に変える。夜を飛び移り、敵の背後から前肢を振り下ろす。
敵対者の掲げた長剣が食い止めにかかる。が、鈍色の刃に黒爪は届かない。接触の寸前、矮躯が旋回。二十の刃が、敵対者を見つめて獰猛に輝く。
一連なりの音が産まれ、敵対者の体が『輝光壁』に叩き付けられた。
バウンスを繰り返し、地面に転がった敵対者の目に映るはオズワルドの足の裏。ほぼ無意識と思しき回転回避の傍らを足が穿つ。コンクリ舗装の地面に膝まで埋め、細腕が閃く。
乾いた音を立てて、敵対者の長剣が砕け散った。
「喝ッ!」
仮面越しでも伺える程に動揺を見せ、苦し紛れの『
不慣れな『纏駆装・黒豹』を解除し、オルケスタも通常形態に回帰させたオズワルドは全くの無傷。対する敵対者は武器を失い、呼吸も乱れている。
「卑劣な手段を使う者はやはり弱い。……ここで失せろ」
敵対者であろうと、スズハ・カザギリの薫陶を最も強く受けたオズワルド・ルメイユは、闘争心を失った者を殺さない。一撃必殺の状況に持ち込みながらも、敢えて追撃をしなかったのはその為だ。
そして、その精神が彼を地獄に導いた。
音もなく敵対者が右腕を振るい、展開された幕に光が灯る。
映し出されたのは、先刻彼が訪れていたルメイユ記念学園の裏庭。遊具の下に、四天王の視力を以てしてようやく捕捉可能な爆弾が縛り付けられていた。
『魔術による映像であろうと、お前の目なら真贋を解せる筈だ。……私の合図でこれは炸裂する』
ヒトは何処までも卑劣になれる。
在り来たりな言葉を、現象を識ってはいた。
だが、育ての親や師、友に恵まれたオズワルド・ルメイユはこの瞬間まで、真の理解に至っていなかった。
「彼等は関係無いだろう! ……これはボクと貴様の戦いだ!」
『戦いで描かれるは勝利と敗北。前者を得るためにどのような手を使う事が正義だ。投降するか、故郷を塵に変えるか。選べ』
真っ当な論理は、無機質な宣告で微塵に砕かれた。
爆弾の設置まで成した相手が、実行を躊躇すると考えるのは無理がある。
選ばなければ状況は変わらない。変えなければ終わりが来る。長き葛藤の末、四天王は遅々とした動きで言葉を紡ぐ。
「……分かった」
オルケスタが地面に放り捨てられる。
転がる愛剣に目も暮れず、両手を掲げたオズワルドは一歩踏み出す。投降の意思を示した相手にどのような感情を示したのか、敵対者も踏み出した。
一歩ずつ縮まる両者の距離は、やがて手を伸ばせば届く所まで至った。拘束用の『
宵闇に、赤が跳ねた。
四天王が紡ぎ出した鋼の杭は、彼自身の右眼を正確に捉えていた。
「い、ぎ、ああああああああッ!」
半分になった視界が赤く染まり、内側から生まれる激痛は腹を括っていたオズワルドに口から絶叫を吐かせる。敵を目前にしながらの自傷行為に加え、彼が攻撃を仕掛けた箇所も、常識の粋を全力で踏み越えていた。
オズワルド・ルメイユは『万変乃魔眼』の存在を前提に戦い方を組み立てている。戦士の戦闘様式に於いて、最大の切り札が基盤になるのは共通であり、それを捨てるなど「負けに行く」と宣言するに等しい。
数多の修羅場を潜り抜けてきた四天王は、常識を目前で破壊されて硬直する敵対者を左眼で睨み、それ自身が生命体であるかのように不気味な拍動を繰り返す己の右眼を抉り出して突きつける。
「……これで、貴様がボクを連行する理由などなくなった。後は、貴様を叩き潰して連行するまで」
宣戦布告の答えは沈黙。
選択の意味を解せずに戸惑っていると解したオズワルドは、凄絶な笑みを浮かべた。
「四天王が……ボクの敬愛する師が掲げるのは『正義』だ。貴様と、貴様の背の者に使われるのならば、喜んで立場も、力も……命さえも捨てる。否、眼の力など無くとも、貴様如き切り捨てて見せるッ!」
右眼を握り潰し、世界を震撼させる咆哮を放ったオズワルドは、血に染まった手でオルケスタを掲げ踏み込む。
「!」
力の大半を構成する魔眼の消失で、戦闘力は二割以下にまで落ちている。絶対の絶望に魅入られた男の斬撃は、しかし、敵対者の左腕を消失させた。
「その程度か? ならば、敵ではないッ!」
『
攻勢に回った者が相手の肉体を削ったかと思えば、即座に反転して肉体が削られる。互いの血肉が文字通り湧き踊る戦いは、路地裏で展開されてはならない美しさを以て展開された。
永遠にも思える乱舞の果て。一本の剣が回転しながら空へ追放され、刃を失ったそれは物悲しい音を立てて地面に倒れ伏す。
刃無き剣の持ち主オズワルドもまた、右腕を喪失した状態で立ち尽くしていた。
口を開くが喉を裂かれて声を出せず、ただヒュウヒュウと空気漏れの音が虚しく生まれては消える。
彼の剣技は敵対者を圧していた。後二分保っていれば、勝敗は間違いなく入れ替わっていた。しかし、切り札の放棄によって体力、魔力を著しく消耗させた彼に、その二分を絞り出す事は叶わなかった。
動けないオズワルドの胸部。敵対者が剣の切っ先を向ける。
「……!」
剣が届いて心臓が破壊される事と、彼の手が敵対者の仮面を毟り取ったのは完全に同じ瞬間。そこに在った姿に、失われた右眼も含め、オズワルドの両目が千切れんばかりに見開かれる。
「……な、ぜだ。キミも……」
そこが限界だった。
視界が暗転し、若き四天王は左手を天に向けて頽れた。
求める物を手放した愚者の死に興味は無い。そう言わんばかりに落ちた仮面を再度装着し、敵対者は背を向ける。
「申し訳ありません。『万変乃魔眼』の確保に失敗しました」
「覚悟はしていた。明日からまた頼むよ」
「……承知致しました」
短い通信を残して、足音が遠ざかっていく。
動けなくなったオズワルドは、それを見届けるしか出来なかった。
組み立てた推測は二つを除いて的中していた。後は、それを伝えなければ。
最後の力を振り絞って『転瞬位』を再度展開。予め飛ばしていた買い物袋の転送が再度叶った事を確認した四天王の左腕を降ろす。これ以上は何も出来ない、後は、資料が仕込まれた袋を、友が見つけてくれる事を祈るしかない。
脳裏を様々な記憶が蘇り、左眼から、そして失われた右眼からも黒い涙が流れ落ちる。熱湯同然に思える熱が頬を伝い、切れ切れの呼吸と共に声を絞り出す。
「……後は、頼んだ。……正義を、遂げてくれ」
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