8:抜錨

 窓から見える景色は、一様に灰と黒で塗り潰されている。

 先日から降り続く雨は、眼下に映る葬列が共有する感情を表現しているようだ。

 そんなことを考えながら、戦闘用の強化が施された喪服を纏ったクレイは視線を下方に戻す。

梟眼イブーゲン』を発動し周囲を目視確認。異常無しと認識するなり即座に解除して色彩を取り戻した彼は、無意識の内にラディオンを引き寄せ、呟く。

「新しい国王になったら、俺達どうなるのかね」

 眼下で伸びる葬列はアークスに於いて、少なくとも形式的には最も尊ばれる存在を悼む物だった。


 当代アークス国王ライデア・アークスは長い闘病の末、先日この世を去った。


 クレイ達を四天王に任命した四年前には、既に全身を病魔に蝕まれ、いつ死んでもおかしくないと囁かれていた。そこから四年繋いだことは凄まじいが、六十九歳での崩御は早いと言えるだろう。

 ハルク達やスズハを必要以上に戦闘に出さず、極力交渉で危機を鎮めて消耗を抑え、他国から大きく後れを取っていた技術力の向上に舵を切る。その結果が、ロザリスの背中が見え始めた今。

 完全にゴミ捨て場と割り切られたヒルベリア等の一部を除き、善良な国民ならそれなりの生活をどこでも送れる領域まで国力を引き上げた以上、間違いなく名君と断言出来る。

 もっとも、クレイにとっては殆ど顔の合わせたことの無い任命者でしかない。現状気がかりなのは、彼の死で四天王が再編成されるかどうかだ。

「有力な候補がいないだろう。アドリアンサが息巻いているみたいだけれど、彼は戦士ではなく軍人だ。四天王の器じゃない」

「次期国王様のスタンス次第だろ。そういうタイプや真っ当な血筋持ちが良いってんなら、簡単に首は挿げ替えられるさ」

 王位継承と同時に四天王が変更された前例は多数存在する。

 自由に人員を選択出来る規則故、四天王の構成は国王の色を国民に明朗に示す手段とも形容される。四天王の名称が無かった時代だが、力こそ全てと宣い大量虐殺者を選んだ国王もいた程だ。

 現在が維持されると考えるのは楽観的に過ぎる。ライデアの崩御以降、クレイの表情が沈んでいるのはこの事実が大きい。

「ルチアのように、とまで言わないが、スズハさんを見習うべきだ。四天王が解体されても、ボク達の関係が変わる……ことは変わるな、すまない」

「言うなら最後まで貫徹しろよ」

 問答無用の強さを持つスズハと、出自が明瞭なルチアは行き先に困らないだろう。しかし、孤児から成り上がったクレイとオズは、どれだけ実績を残しても異物扱いから逃れられない。

 スズハの助言を受けた前提があっても、彼等を選択したライデアに中枢部や報道機関、正義の国民達による誹謗中傷が飛び交った事実は、サイモンも把握済みの筈。

 雑音の消去に時間や労力を使いたくない。国王にそんな感情が生まれる可能性はクレイ達も理解している。

「サイモン・アークスを、ルチアが妙に信頼してんのは気にかかるけどな」

「取り入っている、といった様子でも無いな。ボク達の知らない所で、何らかの接点が有ったんじゃないか?」

「民間に下ってた中年野郎と、こないだまで十代だった四天王にどんな接点があるんだよ」

「それをボクに聞くな」

 現実から目を背けるように、二人は中身の無い軽口の応酬に終始するが、やがて飽きたのか視線を下に戻して警備に再度集中する。

 窓の外では葬列が長く長く続いていた。


 黒一色に身を包んだ人々の頭上を揺蕩う、人の形をした気体の中に自分達と寸分変わらぬ個体がいる事実に、二人が気付く事は終ぞ無かった。


                    ◆


 時間は人々を押し流す。抱えていた感情もまた然り。


 ライデア崩御とサイモンの即位。


 アークスに生じた大きな変化と、それに関連して生じる様々な事象の処理に、クレイ達は一月ほど駆り出されていた。

 これもまたスズハの号令がかかった故であり、彼女の意図を読み取った三人は不慣れな作業を懸命にこなしていた。

「……無事に死んでるねぇ。今日は何してたのさ?」

「即位後の他国訪問の下準備。インファリスだけで良いだろうがこんなの」

「隊長さんがヒノモト人。それに、これからの時代は他国と積極的に繋がるべき。君の考え方は時代遅れだ」

 愚痴に辛辣な審判を下したアックスが、大きな皿をクレイの前に降ろした。

 山のように盛られたマッシュポテトに、形の崩れたハンバーグと揚げた鶏肉。申し訳程度に添えられた温野菜と、辛うじて民間用と言える堅さのパン。

 見た目も栄養価も最低のこの皿を食べるのは、製作を依頼したクレイ以外皆無。ワンプレートの冷凍食品を再現した代物を望む者などそう居ないので、当たり前の話ではあるのだが。

 黙々とマッシュポテトの山を崩すクレイの前に、赤髪の調理員は腰を降ろす。食堂内にはクレイしかおらず、作業も一段落付いている様子。

「で、続けられそうなの?」

「そんなの俺が知るか」

 飛んできた問いに、身構えていたクレイは即座に応じる。説明不足が過ぎるとばかりにアックスは顔を顰めているが、その辺りは自分も同じだろうと思いつつ、匙と口を回していく。

「四天王の選定方法は知ってるだろ? 俺がどうこう出来る話じゃない。戦闘が絡まない仕事をスズさんが回してくれてるが、それも何処まで効果があるんだか」

「まぁ、四天王やってましたって言えばどっかの企業が取るでしょ。それか、夢の天下りライフが出来る! 一生安泰、って奴だ」

「前向き過ぎるだろお前」

「給料以外は後ろ向きになる事はないからね!」

 傲然と胸を張る同期に、思わず苦笑が零れる。

 彼女の指摘は完全にハズレではないが、正解とも言い難い。

 一度深部に触れた者に、自由を与える能天気な国は無い。仮に四天王から外れた場合、アークスで生きようとすれば首輪を付けられるだろう。その場で無頼を気取ったとしても、行動自体が反逆の意思を示すと理屈付けられ『ハンムダリアの英雄』と同じ末路を辿る。

 自由な生活と、気楽な生活は、元四天王の特殊な位置に立たされてしまうと両立しなくなると、クレイはこの一月で骨の髄まで理解した。


 ――ヒルベリア辺りにフケるか? いや、流石にまだ隠居は若すぎるな。


 二十歳には不似合いな単語を巡らせ、アックスの問いに生返事を返しながら、クレイはぼんやりとした不安に対峙するが、結局答えは出ないまま終わる。

 途中から目に映り始めた、上司と思しき妙齢の女性が、何故か包丁を構える様子から努めて目を逸らしながら平らげると同時、食堂のドアが開かれる。

「ここにいたか。……陛下から召集だ」

 オズワルドの声が届くと同時、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、ラディオンを背負う。

「途中で悪いが聞いての通りだ。さよならでもそうでなくても、メシは旨かったぞ」

 返事を聞かず、クレイは既に歩き出していたオズワルドを追う形で食堂を辞した。

「結局、質問全部答えて貰ってないや。……それに、これ作ったの私じゃないんだけどなぁ」

 場に残されたのは、綺麗に平らげられた大きな皿と、頬を掻いて苦笑するアックスだけだった。


                   ◆


 謁見の間と外界を分かつ扉の前には、既にルチアとスズハが正装を纏い待っていた。仕事終わり直後とは言え、もう少し身なりを整えてくるべきだったか。

 深い所に時間稼ぎを望む気持ちがあるのか、普段は絶対にしない後悔が浮上し始めたクレイに、鋭い声が飛ぶ。

「よく来てくれた。陛下の準備は完了しているようだ。クレイには申し訳ないが行かせてもらう」

「了解、っと。今更取り繕った程度で何も変わんねぇだろうしな」

「相手は王族の威光を借りずにのし上がった男だ。ボク達の内側など、既に見抜いているだろうな」

「大丈夫よ。個人の好き嫌いではなく、能力で評価される方だから」

 最後の言葉に得も言えぬ不安を抱いたが、それに拘泥するのも詮無い話。賽は既に投げられており、ここから先に待つのは決定済みの事項を伝達される儀式のみ。恐れる必要など、何もないのだ。

 黒檀の扉を押し開き、思いの外簡素な謁見の間に踏み入れた四人は、特徴の無い軍服と仮面で統一された集団に包囲される形で直立不動の姿勢を執る。

 ――コイツ等は……特別警護部隊か。

 他国や強大な生物との戦闘ではなく、要人護衛に特化した集団と仕事を共にした経験はある。だが、自分達が万が一を引き起こす危険因子と扱われる事は初めてだ。

 クレイが無意識に両腕に力を籠めると同時、洗練が不十分な足音が届く。

「敬礼は要らないよ。王族だって、遡れば野蛮な猿だからね」

 ライデアを若返らせると、このような声がする筈だ。

 そう思わせる声を発した男は、緊張感が抜け落ちた空気を纏って四人の前に立っていた。 

 丁寧に纏められた黒髪や銀縁の眼鏡、薄い笑みを浮かべる顔と言った要素は、深い知性を感じさせはするが、やはり王族よりも出来る勤め人の形容が適切な物。無駄はないが磨かれているとも言い難い肉体は、逆立ちしても荒事慣れしているようには見えない。

 アークス国王、サイモン・アークスを構成する外見的特徴はこの程度。誰か一人が軽挙を起こせば、護衛に組み敷かれる前の殺害は十分に可能と言える。 

 しかし、現国王を見るクレイの眼には相手の立場に対する畏怖や、待ち受ける宣告への緊張の類が拭い去られ、別の感情が宿っていた。


 無理に言語化するなら、それは危機感だった。


 この場で抱く筈も無かった物に困惑するクレイを他所に、サイモンは四人に順繰りに目を遣り、小さく頷いた。

「さて、不可逆にして絶対の価値を持つ時間の浪費を私は好まない。単刀直入に行こう。うん、私は四天王の変更を望まない。これからもよろしく頼むよ」


 最大の懸念事項は、あっさりと終了した。


 スズハが小さく息を吐き、呆気に取られて硬直するオズワルドと、喜色満面と言った風情のルチア。三者と全く異なる反応をクレイは見せ、そして動いた。

「理由を言ってくれ。はいそうですか、やったね! って喜べるほど、二十って歳は餓鬼じゃねぇよ」

 率直を通り越し、無礼千万なクレイの言葉。特別警護部隊の面々に怒気が宿り、微弱だが魔術構築が始まった。

 導火線の横で『牽火球』を紡ぎ踊る暴挙を、クレイは貫徹させるべく言葉を紡ぐ。

「アンタにはアンタなりの腹心とやらがいるだろ。そいつ等を起用する方が妥当だ。それに、スタンスを示す事が出来る絶好機を捨てるなんぞ只の馬鹿だ。思考停止で継続起用を決めたんなら、俺は喜んで四天王を降りる」

「なるほど、クレイトン君の指摘はもっともだ。四天王の選定は、国王の方向性を国民に伝える意味も大きい。けれども、こうは考えられないかな? 継続起用によって、父と同じ方向に進む事を民に伝えると」

「……」

「変化は確かに重要だ。だが、この先は積み上げられてきた常識を覆す程の変化が連続する時代だ。前任者を否定し、色を出していく事から毎度始めていては、アークス発展の妨げになる。父が目指した未来は、私が目指す未来でもある。君達が積み上げた実績は知っているし、出自や政治的思想に問題はない。続けない理由は無いだろう?」

 耳障りが良く、簡単に否定することもまた難しい切り返しに、クレイは二の句を失って息を呑む。

 理屈は十分納得が行く。更なる技術革新と勢力図の変化が待ち受けている状態で、自分の色を示すことに時間を消費するのは愚策。

 力量や実績に問題が無ければ、継続起用は合理的かつ合点の良く判断。クレイとて、サイモンの論理を完璧に否定出来る札はなく、おまけに四人体制の継続は望んでいた物だ。

 本来喜ぶべき宣告に影が生まれているのは、先刻抱いた感情に依る物でしかなく、それも思い過ごしの可能性もある。

 ――下手の考えなんだろうな。……本当にそうであって欲しい。

「陛下が望むのならば、私は刃となりましょう。クレイ。君が抱いた懸念や疑問は、ここで解消する事は不可能だ。主従関係と言えど、査定する権利は従の側にもある。私の言いたい事は、君なら分かる筈だ」


 凛とした言葉が、謁見の間に響いた。


 咀嚼するとかなり不敬な宣言。しかし、あまりに堂々としたスズハの立ち振る舞いに圧されたのか、特別警護部隊の面々が動けず、サイモンも苦笑を溢す様がやけに鮮明に映る。

「まさか、値踏みをしていくと宣言をいきなり受けるとは思わなかった。けれども、スズハ君の言い分は正しい。互いに敬意を払えない主従関係など、双方が不幸だ。……受けてはくれないかな?」

 不穏な感情を内包したまま向けられたサイモンの眼を、クレイは真っ向から見つめ返す。

 小さな震えの発信源は、一言で表現出来ぬ複雑な代物。進んだ先にある未来は、現状何も見えない。

 されど、抱えた何かが分からぬまま去る、恐れに身を任せて友人達との日々を捨てるといった選択を、クレイの性は許さない。

「見極めてやるよ。アンタの腹の底に何があるのかをな」

「多分、君が望むような物は何もない。期待し過ぎると、ガッカリして疲れてしまうよ」

 決意に満ちた宣告を、アークス当代国王は苦笑交じりに受ける。

 かくして現体制の継続はこの瞬間決定し、四人の内在する不安や国民の疑問はここで解消される事となった。


 そして、崩壊の始まりでもあった。

 クレイトン・ヒンチクリフは、後年にこの選択をこうも語っている。

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