7:迷い子 下

 

 半年前まで纏っていた制服が、ルチア・クルーバーが目覚めて最初に見る物だ。

 陽光差し込む爽やかな朝に全く相応しくない、暗雲に塗れた彼女は無言で起き上がる。

 制服を横目で見ながらも袖は通さず、遅々とした動きで洗面などの作業を終え、クローゼットを開けて目に付いた適当な服を着用。たっぷり二分迷った後、剣帯も一応腰に巻き付けた。

 

 ――朝食は……一限が終わってからで良いか。


 そのまま玄関へ向かい、靴を履いていると背後に気配。訓練で感覚が鋭敏になったのは良いが、日常生活では不便だと苦味を覚えながら振り返る。

「今日も早いな。一限からの授業、そんなに多いのか?」

「一回生だから」

 幸が薄そうな痩身の中年男性。ルチアの実父、ノイエ・クルーバーは娘の短い言葉を受け、夜勤明けの疲労が濃い顔に苦笑を浮かべる。

 勤務した会社が業績不振に依らない、思いがけない事態に見舞われて倒産する憂き目に直面した経験は五回。大きい不幸から猫に毎度噛まれる小さい不幸まで。

 なかなか苦難の人生を送ってきた父は、しかし状況に飲まれることなく母と共にルチアを育て上げた。

 両親の為にも良い場所に就職し、心配をかけない人生を送る。

 自然と定まった目標に、四天王はまさしく合致していた。

 どれだけ徳を積んでもまず得られない幸運に直面しながらも、約半年前にあっさり手放した自分への嫌悪で、無意識に顔が歪む。

「そんな顔しない。別に悪い事した訳でもないんだから」

 

 四天王の長であるスズハ・カザギリは決断を否定しなかった。

 

 その上、半年にも及ぶ長い猶予期間まで与えてくれた。恐らく、どのような決断を告げても彼女は許容してくれるだろう。

 だが、残る二人の反応が彼女を苛んでいた。

 激烈に噛みついてきた学生時代からの同期、クレイトン・ヒンチクリフ。

 抑え込んではいたものの、失望を滲ませていたオズワルド・ルメイユ。

 対称的な反応を見せたが、同じ道を歩めないと告げた自身に対して引っかかりがあるのは共通している。彼らの感情が悪意ではない、驚愕と疑問で生まれていたのは分かる。

 あの時、そして今も彼らの見せた感情が痛い。

「同僚の人達が凄いのは知ってる。父さんもこの間仕事で会ったからね」

「!」

「金髪で背が高かったから、彼がクレイトン・ヒンチクリフだね。……うん、あれはモノが違う。怪物とは、ああいった人を指すんだろう」

 ノイエが掴んだ七度目の職業は、とある発動車生産工場での工員だった。

 父の経験を鑑みれば妥当で、アークスの巨大施設が国有民間問わず破壊活動に見舞われている現状で、クレイが警備なりで赴く事も妥当な話。

 屈折した感情を抱く事を肯定した父に、ルチアは目を見開いて無言のまま続きを促す。大学へ向かう公共交通の刻限など、彼女の脳から吹き飛んでいた。

「父さんはさ、魔術の才能あんまりなかったし身体も普通だ。だからそういう事を活かさないで済む仕事を探したけど、四天王はやっぱり戦いが中心になる。ルチアが他の三人と比べて、ああ一緒にいたくないな。なんて思うのも当然と言えば当然だ」

「……」

「ヒトそれぞれ、持ってる物も向いている物も違う。父さんはこんなだし、母さんも頭は良いけど戦士になれる力があったかと聞かれると……なのは分かるよね。でも、四天王は両方求められる。そりゃ辛いよ、両方持ってる奴は殆どいないんだ」


 自然と、ルチアの顔は下を向いていた。


 追いかける自身が無いから四天王を離脱しましたなど、恐らく誰に言っても罵られる選択。否定や非難を酷く恐れた結果、両親にもはっきりと伝えていなかった。

 記憶の何処を探しても、暴力を振るっている姿を見たことが無い父の言葉は、ルチアの内側に浸透していく。

「父さんはルチアのしたいようにしたら良いと思う。同僚が何と言おうと、人生は自分自身の物だからね。戻るも良し、このまま大学で勉強を重ねて別の道も良し、だ。……あぁほら泣かない。学生は親の言葉で泣いちゃいけない。もっと別のことで泣くんだ」

 頭を軽く叩かれ、零れそうになった涙を拭う。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい。晩飯は母さんの日だから、予定があるなら気兼ねなく、ね」

 緩慢な速度で振られる手を背で受け、ルチアは家を出る。

 ハレイドの一区画、ニンバス・ストリートにある家から中央区画に存在する国立大学までは、バスを使えば十分程度で辿り着ける。

 ただ、既に彼女は乗るべき時刻を過ぎてしまっており、今は丁度谷間の時間だ。

「……歩こう」

 自身の身体能力と時間を勘案して結論を出し、起き始めた町並みをルチアは歩む。

 隣国ロザリスほど極端ではないが、アークスも徐々に商業施設は大資本による寡占が進み始めている。実家が店を畳んだと嘆く友人が、ルチアにも複数人いる。

 ニンバス・ストリートは、その潮流に晒されながらも昔の色を留めている場所であり、保護指定も為されるのではないかという噂も囁かれ始めていた。

 ――歴史的建造物や貴重な自然資産。そういう物が無いと指定はされない。多分、いつかは飲み込まれる。

 教育で得た豊富な知識と、実践で活用してきた経験から、噂を内心で一蹴したルチアは淡々と歩を進める。

 彼女の手元に残った金は、平均的な職に就いた同期が十五年かけて稼ぐ額に僅か三年で達している。故に入学金や学費は全て自費で賄ったが、無駄遣いが許される余地はない。

 目や鼻に訴えかけてくる様々な物を流しながら、ひたすら前進するルチアだったが、背後からの荒々しい排気音を受け、やや大袈裟な動きで道を開け――


 とある店から姿を現した人影を目撃し、顔が引き攣った。


 何らかの処置を施しているのか、排気音が耳に届いていないかのような足取りで歩む人影の目に、恐らく排気音の主の姿は映っていない。となると、待ち受ける未来は一つだ。

 認識した時、無意識の内に彼女は動いていた。

 『怪鬼乃鎧オルガイル』で肉体を強化。地面に薄く凹が刻まれる勢いで始動。

 瞬時に疾走へ移行したルチアは、未だ気付いていない風情の人影を抱え、迫る存在の進路から全速力で飛びずさる。 

「周り見て歩け!」

 排気音と雑なブレーキノイズに、そんな罵声が混ざっていた。

 土煙をたっぷり浴び、咳き込みながら遠ざかる発信源を睨むが、相手が止まる気配はない。

 性質の悪い輩は何処にでもいる。諦観を抱き、服の汚れを叩きながら立ち上がり、覆い被さる形になっていた人影を引き上げる。

「怪我はありませんか? 無茶な運転でしたが、あなたも」

 ルチアの言葉が不自然な所で中断される。

 全身を覆う要素の一つとなっていた帽子が吹き飛び、短く整えられた薄い黒髪と、不思議な光を宿す瞳を乗せた顔が露わになる。

 その顔を持つ人物を彼女は知っており、相手もまた同じだった。 

 立ち上がった人影、否、中年男性は硬直するルチアに微笑を向けながら身体を折る。

「このような場所で出会うとは思わなかった。それに、助けて貰うともね」


 大半の国民は彼をアークス次期国王と称する。

 ある好事家は、零細玩具企業だったリニトを飛躍させた、人形技師と称する。

 またある者は、民間の魔術研究を支援する篤志家と称する。

 口の悪い者は、周囲の者が多数不審な死を遂げている事実から死神と称する。

 どれも真実の一側面だが、全貌を形容するには足りない。

 ともあれ、サイモン・アークスは硬直したままのルチアに微笑みを浮かべた。

 

                  ◆


「なんで四天王が俺達を……」

「抗弁権はねぇよ馬鹿が」


 非情の宣告と紅槍が伸びる。


 積層金属で構成された鎧を紙屑同然に貶め、ラディオンが男の胸板を貫通。舞い散る赤よりも深い紅を纏うクレイは、敵の悪足掻きで得物が体内に固定されたと気付く。このままでは袋叩きだが、彼の反応は眉を跳ねさせるのみ。

 背中へ抜けた切っ先から『這咬霆ヴァイヴォルト』が紡がれ、射出。膝付近の低空を駆けた雷の鞭が、青年を打ち据えんと動いた戦士に食らいつき、全身を沸騰させあの世に纏めて直送。

 念押しとばかりに、ラディオンを捻りながら引き抜き――緩みかけた緊張の糸を即座に張り直す。

 赤を更に噴き出して頽れる男を蹴り飛ばしたクレイの蒼眼に映るは、局地的な地震を生み出して現れた、蠍に酷似した七メクトル超の巨大な怪物。

 アトラルカ大陸、タドハクス砂漠南部に少数生息する大蠍『パードゥース』に酷似しているが、掲げられた両腕が戦槍である点が、鋏を有する既存個体との決定的な違いを朗々と主張していた。

「切り札その何号だ? ……鬱陶しいッ!」

 振り下ろされた一撃を掻い潜り、踏み込む。

 狙い通り腹部へ伸びた必殺の突きは、けたたましい音を奏でるに留まった。

 腹甲に弾かれた切っ先が明後日の方向に流れ、挙動が乱れたクレイに、改造大蠍は嘲笑に似た雑音を投げながら左前肢を伸ばす。

 受けるには体勢が悪いと即断。甲殻を雑に蹴って逃げたクレイを襲う二つの槍に続き、爆裂音と火薬臭が断続的に続く。

『パードゥース・改』が二肢を振り下ろした地点が弾け、ヒト数人が埋葬可能な大穴が舗装路に穿たれていた。

 現象を見るに『塑炎喝ニトファグニ』が近いが、威力と発動間隔の異様な短さは改造の賜物。無理に突っ込む選択は、自重すべきと即座に却下。

「なら、こうするだけだ」

 立ち上がったクレイは舞踊の足取りで、断続的に迫る必殺の突きを躱す。

 大蠍の目は彼から一切離れず、ありがちな隙は皆無。ここまでの改造はテロ組織では困難な筈。裏に何かいるのか、それとも彼らの技術力が図抜けているのか。

 浮かんだ問いは、すぐに消えた。

 理由は単純、打倒する術を見出したからだ。

 幾度目かの刺突と爆裂を放ち終え、大蠍は地面から二肢を引き抜く。そして、脱力して停止したクレイをその眼に捉え、歓喜に打ち震える。

 罠の可能性は十二分にある。ヒトであれば、警戒して攻め方を変えていただろう。

 しかし、この生物は強引に戦闘能力を高められた事と引き換えに、やや知性が低い。巨体を持ちながら、延々と刺突に拘っていた事実がその証明となる。

 弓を絞るように、二つの槍が後退。尻同士接触しかねない程に引かれ、撃発。

 クレイが刮目し、地を蹴ったのはその時だった。 

 落ちる槍と、跳ね上がった槍が相克する寸前。


 紅を纏う後者の穂先が、突如数倍に巨大化を果たした。


 一点に向けて落ちる二つの槍には、どうしても隙間が生まれる。その隙間に潜り込む形で飛び込んだラディオンの拡張で内側が破壊。勝利を確信していたが故、大蠍は仕掛けに対応出来ず、自身の顔面に迫る紅槍に穿たれる事が確定した。

 眼球を突き破り、伸びたラディオンが大蠍の頭部を貫通。

 青紫色の血をばら撒いて暴れ狂い、クレイの身体に幾つか傷を付けるが、それも長くは保たない。巨躯を支えていた六肢が、脱力して折れる。

 崩れた体勢を立て直す事は叶わず、頭部を失った『パードゥース・改』の身体は地面に落ち、物悲しい鳴き声と共に小さく痙攣した後、動かなくなった。

「相手見て喧嘩売れ」

「『紅雷崩撃』を使えば一瞬で終わっただろう。時間をかけ過ぎだ」

 それなりに高揚していた気分が、冷ややかな声で急激に醒めた。

 五つ下の同僚、オズワルド・ルメイユは右目に呆れを灯しながら屈んで検分を開始。小さな背に、クレイは吐き捨てる。

「お前も予定より合流が遅れてんじゃねぇか。息も乱れてるし」

「君も痛い所を衝いてくるな……」

 間抜けなやり取りを交わして、一人少ない四天王の男性陣は揃って溜息を吐いた。

 ルチア・クルーバーが離脱してから、早くも五か月と一週間が経過した。


 二人の意思を尊重したのか、また実力から判断したのか。


 正解は不明だが代替人員をスズハが加える事も無く、アークス国内での任務が近頃は続いている為に、三人で回せてはいた。

 ただ、四人だった時は基本的にスズハが前線に出ず、方向性は異なれど前衛型である二人を調整していたのはルチアだった。

 実力故に破綻は来していないが、細かい連携を欠いた結果、クレイが今片付けた仕事のように単独行動が増えている点は、確かな問題となっていた。

 ともかく、半年前から続く大規模な反政府組織『アドーチス』の討伐は終局を迎えつつある。

 著名な賞金首を早々に潰した事で相手の出鼻を挫くも、そこから本丸を叩く所へ一直線に繋げなかった点が長期化を招いたのでは。そんな憶測を四天王二人に抱かせ、尚且つある存在が未だ確認されていない点など、不安は多く残されているのだが。

「やはり、ボク達から動いてみるべきでは?」

 死体の検分を終え、立ち上がったオズワルドの問いに、クレイは首を横に振った。


 持つ者に、持たざる者の気持ちは分からない。


 ルチアの主張を覆す論理を、この半年で得たかと聞かれれば答えは否。

 在り来たりな慰めや、技法書に載っていそうな話術を駆使し、翻意に成功しても効果は一時的。彼女か二人のどちらかが何処かで暴発してしまい、決定的な破滅を引き寄せかねない。

 故に、二人は静観を選んで今日に至る。最善の選択をしたつもりだったが、期限だけが無慈悲に近づいている現状から、揺らぎが生まれていた。

 

 何か方法を考えてみないか。


 開きかけた口が、腰の震動で閉ざされる。

 同じ物を感じ取ったクレイは、既に通信機を腰から毟り取っていた。何度か頷いて「了解」と短く吐き捨てた彼は、通信を終えるなり『転瞬位トラノペイン』を発動すべく構えた。

「今度は何処だ?」

「ウェグナ集積場だとよ。片付けてくる」

 ハレイド中心部から数時間北上した場所に位置する都市、フォメット。

 自然が多く残る環境を活用し、先端技術の研究所が官民問わず立ち並ぶ都市の一角に、名前の挙がったウェグナ集積場は存在する。

 使用済み物品の再利用の可否を判別。可能な物はフォメット内の再生工場へ、否と出た物はヒルベリアに投棄すべく、蓄積する場所が重要であるのは言うまでもない。

 無いのだが、ここまでアドーチスが仕掛けて来た場所は全てハレイド近辺。今回に限って妙に遠いのは何故なのか。

 疑問と、脳裏に在る事実の再生が成されるのは同時だった。

 確かに初期段階で有名どころを潰した。だが、未だに姿を現していない者が一人いる。既に崩壊寸前のアドーチスに、彼を御することは困難だろう。


 最悪の可能性に備えるべきだ。


 上申すべく、通信機に伸ばされた手が不意に翻り、刃無き剣『不定剣オルケスタ』を構え反転。目に飛び込んできた光景に舌を打った。

 パードゥースが刻んだ穴から、黒煙が立ち昇る。煙は汚泥に似た高粘度の液体と化し、やがて液体はある生物の形に辿り着く。

 酷い前傾姿勢に目を奪われるが、全高は二メクトル弱。ヒト属と限りなく近い六本指の手足に繋がる四肢は、頑強さを誇るベスターク人の太腿以上。

「『オボグス』か」

 魔力形成生物か、進化の樹形に位置するのか。

 現代でも解明されていないヒト型生物は、知能こそ低いが人体を容易に引き裂く膂力と、小口径の銃弾を容易に弾き返す頑健さを持っており、未熟な戦士には逃走が推奨される。

 ある程度の数ならオズワルドの敵ではない。しかし、呼び出された個体の数は百近い。待ち受けているかもしれない大敵に備え、大技の封印を強いられた少年は、オルケスタを手首の運動で一回転させ疾走。

 ――答えは生き延びた先に在る。今は、彼らの討伐に集中すべきだ!

 ハレイド中央部で、戦いの火蓋が切って落とされる。

 即ち、自由の利く四天王は居なくなった。


                    ◆

 

 絶望的な居心地の悪さを、強引に紅茶で飲み下す。

 母の影響で、種類を味で当てる事が密かな特技だったが、今の彼女にそれをする余裕は皆無だった。

「場合によっては甘えられるのも、大切だと思うのだがね」

 呑気な声を発した男の前には、朝食セットの皿が並ぶ。サンドイッチが五切れに紅茶とシンプルな組み合わせは、彼の肩書きと著しい不均衡を引き起こしていた。

 発動車に轢かれかけていた次期国王、サイモン・アークスを助けたルチアは「ささやかな礼をする」と宣った彼に押し切られ、凡庸な喫茶店の一角に座す事になった。

 一限にはもう間に合わないが、主張するには相手が悪過ぎた。

 かくして、望まぬ謁見は予想外の場所で実現した。

 もっとも、立場の問題からサイモンが投げた話題にルチアが応じる形で固定され、年齢差から話題もすぐに底をついた。

 次期王位継承者でも、現在の立場は民間人に近い。踏み込んだ話題はご法度の上、ルチア自身も民間人に戻りつつある。これでは話が弾む筈もない。

「そう言えば、四天王はここ数か月『アドーチス』の掃討が任務の筈だ。何故君はあそこにいたんだ?」


 正確な情報を掴んでいるのか。


 そんな疑いを抱かせる直球の問いに、場から逃れるべく取り出した財布が床に落ちた。

 拾い上げ、視線を戻したルチアを中年男性の目が射貫く。

 魔術を含めた戦闘に関する才が著しいと囁かれる男は、恐らく腕力では簡単に捻り上げられる。どれだけ強い意思を持っていようが、取るに足らない相手の筈だった。

 しかし、サイモン・アークスが放つ、深海魚のような常人の理解を拒む眼光は、奮起の為に芽生えていた軽侮を霧散させる。拠り所が失せれば、抵抗の術もまた同じ。

 どうして一日に二度も話す羽目になるのか。

 惨めな気持ちを抱きながら、ルチアが絞り出した告解にも似た報告を受け止めたサイモンは、記憶を探るかのように遠くを見つめ、すぐに戻した。

「私には戦う才が無い。『歴代最弱』と称された父よりも、ね」

 告白を返され惑うルチアを他所に、次期王位継承者の語りは始まった。

「歴史上実現した事は無いが、アークスは直系でなくとも王位を継承出来る。……諸事情で戻ることになってしまった時、本当に焦ったよ。単なる人形技師で生きていくと人生設計を固めていたからね」

 健康だが戦闘能力の欠如から「出来損ない」とまで呼ばれたサイモンは、王家と関係は深いが中堅止まりのパリトア家へ出され、工業技術教育に特化した機関を卒業後は倒産寸前のリニトに入社。

 数々のヒット製品を生み出し、救世主として名を馳せた。のみならず、独自研究で様々な特許を取得し、左団扇とまでは行かないが堅実な生活基盤を手にした男が、正式に王位継承者となったのは、ほんの五年前。

 他の候補者が戦死から不審死まで、彩り豊かな脱落を遂げた結果故、彼には懐疑的な視線を向ける者が多い。表立って口にしていないが、スズハ・カザギリもその一人だ。

「どう見られているかなど、分かっている。当然だろう、何もしていなかった男が急に成り上がったのだから。濡れ衣を着せられて処刑されていない分、まだ寛大な対応を受けている方だ」

「……分かっているなら、何故受けたのですか?」

「単純だよ、自分で決めたからだ」

 渇望していた答えがあっさり提示され混乱するルチアを他所に、男は自らが描き出した着地点へ言葉を繋ぐ。

「凡庸な落ち方をするが、選択は己の意思で為される。選択の先に待つ未来で何を成したいのか、何を変えたいのか。これを持たない者は客観的に見て最善と言える選択をしても、何も成せないよ」

「……」

「成したい姿を描くべく、私は全てを選んでいる。故に迷わない。……才有る友人に誘われたから。で済む程、四天王への加入は易くない筈。君自身の意思は、確かに選択の根底に在る筈だ。何故誘いを受けたのか? 今一度それを問うべきだ」

 これまでと角度の異なる問いに、即答が出来なかった。

 ――流されるまま選んだ訳じゃない。それは分かる。けれど……

 相手に、否、自分自身が納得する答えを求め、ルチアは己の奥深くへ沈む。

 興味深げに見つめるサイモンがサンドイッチを完食し、紅茶を三杯飲み干した頃、一定領域まで答えを引き上げたルチアは、突如席を蹴倒して立ち上がる。

「どうしたんだい?」

「……強い魔力を感じました。……お支払い、お願いします!」

 礼儀も何もあった物では無い言葉を叩きつけ、足早に去っていく少女。

 その背中に刻まれた、先刻までは存在していなかった確かな「答え」を幻視し、次期国王は微笑む。

「無力な者が持つ純粋な意思こそ、この世界で最大の武器だ。君も、やがて辿り着くだろう。……しかし、支払いは私持ちなのか」

 今一つ締まらない後半部分を耳にして、給仕の女性が盛大に噴き出す。

 彼がそれに気付かなかったのは、お互いにとって幸運と言えるだろう。

 

                 ◆


「アークスは初めてだなぁ。……首都だけあって、ゴミ一つ落ちてねぇや」

 『転瞬位』を用いて降り立った蒼髪蒼眼の男は、背負った両手剣の柄に手を伸ばしつつ、周囲を見渡して呑気な感想を零す。

 ノーティカの殺人機械と称された男、カルス・セラリフは三年前に祖国を離脱。追手を全て死体に変えて旅を続けていたが、半年ほど前に路銀が尽きた。

 折よくアドーチスに勧誘されて加入したが、具体的な指示が下される前に指揮系統が崩壊。根気良く指示を待っていた忍耐も尽いた所でタレコミを受け、たった今独断でアークスに降り立った。

 とは言え、民間人や無抵抗の弱者の殺害に喜びや意義を感じないカルスは、彼を見るなり血相を変え走っていく人々に手を下しはしない。

 手近な長椅子に腰かけ、行儀悪く空を見上げる様は、持っている肩書きに疑問を抱かせる、緊張感の欠落した姿だった。

「金は貰った。で、俺が出る前に多分殆ど潰された。なら、せめて面白い奴と戦ってフケてぇよなぁ。ここなら、面白い奴が来るって匿名のタレコミもあったし」

 物騒かつ意味深な言葉を呑気に吐いて、欠伸を一つ。

 彼はアークスの軍事力を正確に把握していないが、民間人が通報を簡単に行える治安なら、すぐに重武装の警察か軍人がやって来ると推測していた。

 現れる者はどの程度か。自分が知らない何かを見せてくれるのか。

 血が高揚し、口の端を釣り上げたカルスは、自分に敵意を向ける気配の接近を感知し勢い良く立ち上がり――首を捻る。

「一つ聞く、お前は民間人か、それとも敵か?」 


                    ◆


 問いに、ルチアは即答出来なかった。

 目の前に立つ男は、手配写真と一切の相違を持たぬ容姿を持ち、一目見ただけで叩き込まれていた彼の戦績が脳内で再生される。


 多数の軍艦を海の藻屑に変えた、四十メクトル級の大海竜『バク・シス・ヒタン』

 メガセラウス亡き後、サメの頂点に立っていた個体『モルア・ズール』

 海生哺乳類で最大級のサイズを誇る『メルディクス』の、異常発生によって築かれた百頭近くの大群。


 これら全てを一人で打倒し、対人戦に於いても二個大隊程度ならば無傷で蹴散らした実績も数知れず。

 それがカルス・セラリフという男で、ルチアは対面した瞬間、勝ち目が無いと理解した。

 答えを受け取るまで動くつもりは無いのか、直立不動を守るカルスの姿が揺れ始める。自身の恐怖の表出と気付くなり、全身も盛大に震え始めた。

 何も知らなかった頃なら、即座に気を失っていた。四天王になって暫くの頃なら、無謀な突撃を仕掛けていたかもしれない。

 知識を得て、それなりの経験を積んだ今、戦いの幻影が見えるようになった彼女は、全てを総動員しても眼前の男に勝つ筋が無い、絶望的な現実に行き当たる。

 ――無駄死にするだけよ、逃げましょう。

 内側から聞こえる声は、とても正しく冷静だった。

 勝ち筋無き戦いで命を散らすのは最も愚かと、最初期の訓練でも教わった。最適解を為すべく足も無意識に逃げ道を探し始めている。相手も先手を打つ意思はないままで、確実に逃げられる。

 正しい選択に基づき動き出そうとしたルチア。

 ――何故誘いを受けたのか? 今一度それを問うべきだ。

 不意に、先刻サイモンから投げられた問いが再生され、彼女の身体が跳ねる。

 先程は何も言えずここへ来た。そして今、カルス・セラリフという圧倒的に過ぎる強敵を前に、止まっていた思考が回り出す。

 何一つ持っていない事は最初から、それこそクレイトン・ヒンチクリフと出会った時から分かっていた。では何故彼の手を取った。スズハの手を取った?


 始まりは何だった?


 父を翻弄する社会への憤りか。理不尽取り巻く現実への反抗心か。

 真っ先に挙がる二つとて、才の欠落を埋めるには矮小に過ぎる。強者達は、こんな物を押し流して突き進んでいくのだろう。ルチア・クルーバーは、何処まで行こうが端役だ。

 けれども、傷を憧れと同色に染めて受け入れるには、彼女は若く、何も持っていなかった。

「どうしようもない」

 賢者を気取った人々の倦んだ言葉の受容など御免被る。抱いた理想をルチア・クルーバーは実現させたいのだ。その為に、少しでも高みに辿り着かねばならない。

 ならばやるべき事は一つだ。


 剣帯に納められた剣の柄に手を掛け、正眼に構える。

 

 一応鍛錬は続けていたが、命のやり取りで刀身に乗せられる重みに一瞬体勢を崩す。数秒を使ってそれを受け止めると同時、震えを抑え込む。

 退屈の色を薄め、左手に少しだけ力を籠めたカルス・セラリフを両目でしかと捉えながら、ルチアは吼えた。

「私はルチア・クルーバー。……貴方を倒す為にここに来た」

「だったら遠慮は要らねぇな」


 声は、目と鼻の先から届いた。


 サメの背鰭と海竜の胸鰭を掛け合わせたような、巨大な蒼刃の閃きを視認した刹那。ルチアの身体は宙を舞い、後方に吹き飛ばされていた。

 錐もみ回転しながら、とある建物の硝子扉に引き寄せられる。扉を開けてくれる存在は当然いない。となると、彼女の背中を受け止める物は一つだ。


 けたたましい音を立てて、硝子が砕け散る。


 普段着では硝子の破片を防げない。背や太腿をマトモに浴びた破片で切り刻まれ、激痛に苛まれながら壁に叩き付けられて、ルチアはようやく止まった。

「おいおい、喧嘩売っといてこの程度か? ……冗談だよな?」

「……かはッ」

 純粋な疑問に、喀血で答えた。

 重要な血管に運良く届かなかった為に即死を免れたが、こんな幸運は何度も続く筈がない。衝撃だけで肋骨を始め複数箇所に骨折が生じた。彼我の力量差は一度の交錯で見えた。先に在るのは不可避の死だ。

 全てを理解した上で、ルチアは尚も立ち上がり剣を構える。

 もう一度攻撃を放てるか。それが論点になる重傷を負い、切っ先も震えているが、赤く染まり始めた目だけはカルスを捉えて離さない。

 只の自殺行為と百人中百人が断言する意思表示を、ノーティカの殺人機械と称された男も目を離さずに受け止め、ある結論に至って蒼き剣を構えた。

「お前の意思はよく分かった。返礼は、これでどうだ?」


 ルチアの世界が蒼に染まる。

 ここで聞こえる筈のない飛沫の音と、地割れが混ざり合って生まれる独特な音が続いて届き、蒼の各所で跳ねる白で彼女は正体に気付く。

「水の無い場所で『貪砕蒼絶嘯リヴァ・ハブルヴァス』を……!?」

 強靭な建造物であろうと無慈悲に呑み込み、押し流して粉砕する最悪の自然現象、津波。紡がれた『貪砕蒼絶嘯』は、これを人為的に引き起こす凶悪極まる代物。

 圧倒的な攻撃範囲と威力の代償か、水を豊富に持つ場所でなければ発動不可能とされ、四天王もそれを摺り込まれていた。

 だが、眼前の敵は生活用水程度しか存在しない町中で、目算で八メクトル近い高さの津波を引き出した。どんな学者の資料や賢人の忠告よりも、立つ場所の差を明朗に告げる光景に、ルチアは呼吸すら忘れて目を奪われる。

 常識を鼻で笑う現実を引き起こしたことを誇るでもなく、男は淡々と告げた。

「こんくらい出来なきゃ、看板倒れだろうが。藻屑と消えろ」

 聳え立つ水の壁が崩れた。

 始動は遅々とした物でも、すぐにヒトでは振り切れない速度へ到達した波濤は、周囲の街灯や椅子の類を飲み込みながらルチアに突進。

 死に方以外選べぬ状況で、元・四天王の中で様々な感情が乱舞する。後ろ向きな物も多分にあったが、逃避の感情だけは存在していなかった。

 ――ここで逃げたら、それこそ何も変わらない。……踏み込むんだ!

「うああああああああああッ!」

 舗装路を蹴り、切っ先に魔術を灯したルチアは疾走。

 たった一つのか細い可能性に賭けた彼女は、軋む全身に鞭を入れ急速に接近していく津波に向け剣を構える。

「自棄でも起こしたか? く――」

「下らなくないさ。この意思こそ、私が彼女を選んだ理由だ」

 凛とした、少し懐かしさすら浮かび始めた声と共に影が躍り出る。

 極東の島国の衣装と軍服を組み合わせた、独特の衣服を纏う黒髪の女性は、ルチアに一瞬だけ目を遣り微笑んだ。

「よく頑張った。……そして、これは私の手番だ」

「派手にぶっ放そうぜぇッ! 大胆不敵にハイカラ革命ってなぁッ!」

「その枕詞は色々な意味で要らない。……『千本桜』」


 囁き、目覚め、そして瞬く。


 女性、いやスズハ・カザギリの周囲に無数の光刃が浮上。

 淡い白光を放つ刃の群れはルチアのみならず、仕掛けた側のカルスすら目を奪われる、儚くも力強さを感じさせる幻想的な美を有する光景を作り出していた。

「なん、だこれ……こんなのアリなのかッ!?」

「答える道理はない」

 カルスに氷点下の声で応じたスズハが、右腕の異刃を振り下ろす。

 転瞬、算する事を放棄したくなる膨大な光刃が、一斉に津波へ襲い掛かった。

 一本一本は、スズハの持つ異刃と同程度の大きさ。

 しかし、厖大な魔力が練り込まれた光刃は、激突の度に勢力を削り取って津波を失速させ、やがて生み出された水そのものを消滅させていく。

 全ての光刃が失せた瞬間、スズハは己の間合いにカルスを収めていた。

 敵の首を落とす事に特化した、美しくも非道な閃光がハレイドの町を駆け抜ける。


 遠雷と、蒼白い華が両者の間で咲き誇る。


「テメエがスズハ・カザギリか。……噂は聞いていた」

「ならどうする?」

 動揺を衝かれ完全に後手に回ったカルスが、出鱈目な姿勢ながら両手剣を引き戻し、必殺の斬撃を凌いでいた。

 上司の斬撃を受け止められた光景を初めて目撃し、驚愕で目を見開くルチアだが、失血が酷く膝が折れた。地面との距離が急速に縮まるが、それは途中で停止。同時に、彼女の身体は柔らかい光に包まれる。

「幾ら何でも無茶だろ。俺達みたいな馬鹿でもやんねぇよ」

「君だけだろう。ボクは馬鹿じゃない」

「そういう主張すんのが馬鹿だってんだ」

 戯けた会話を交わしながら、嘗ての同僚二人が立っていた。負傷と疲労の色が浮かぶ二人は、ルチアの治療が完了すると彼女を挟むようにして武器を構えた。

「……私は」

「今は良い。お前は十分示した」

 口調は軽いが、最大級の緊張を保つクレイの視線を追う。音である程度予想はしていたが、それ以上の光景がそこで展開されていた。


 上下左右。全方位から斬撃がカルスを襲う。


 もっとも、スズハの腕の動きに連動して弾ける蒼白い火花と、カルスの肉体に刻まれていく斬線から斬撃と推測しているのが実情。二人の目には、異刃がどのように奔っているのか見えていなかった。

「行ける……のかな?」

「敵はスズさんの斬撃を激突の瞬間、微妙に逸らしている。負傷はしているが致命傷は一つも無い。……長引くな、これは」

 魔眼の力で唯一戦況を正確に理解し、敵味方両方への畏れが滲むオズワルドの言葉。後半は、一際甲高い咆哮で掻き消される。

 二刃が激突した瞬間。

 純粋な腕力でカルスが踏み込み、スズハの体勢を強引に崩す。僅かに生まれた間隙で舗装路に杭を、己の足を打ち込んで身体を沈め、両手剣を引き絞る。

「皆伏せろッ!」

「『鮫牙滄界旋刃カルスデン・ヴォストルグ』ッ!」

 集束させた力を爆発させるように、カルスが旋った。

 

 転瞬、男を中心に波濤が巻き起こる。


 両手剣が描いた蒼の軌跡。本来なら溶けて消える筈のそれが世界に踏み止まり、剣の後を追うように回り始める。回り続ける軌跡は高度と範囲を増し男の姿を隠す。

 深海で時折発生し、海面を航行する船舶などにも甚大な被害を齎す大渦潮。

 当然地上では見られない物だが、単なる自然現象とは纏う物が大きく異なる。 

 『貪砕蒼絶嘯リヴァ・ハブルヴァス』が自然現象を忠実に再現した物ならば、たった今カルスが発動した剣技は、まさしく生物の活力を有しており、造物主の殺意を汲み取って世界に放たれる。


 周囲の建造物に、流麗な軌跡が踊った。


 鉄筋コンクリート製のビルが連続して倒壊する悪夢の中、身構える四天王に蒼刃が迫る。三人が動き出そうとした刹那、スズハが彼らを制する形で前進。鞘を左手で、柄を右手で握り、迫る波濤と真っ向から対峙する。

「少し賭けになる、な」

 小さく呟き、異刃を解放。場に広がるのは、破壊と激突ではない。

 静寂だった。

 スズハ以外全員、カルスまでもが驚愕で硬直する中、掲げられた異刃へ蒼が引き込まれていく。亡者が堕ちてきた生者を食らうように淡々と、カルスが放った技は食らいつくされ、建造物の破壊だけが存在を辛うじて示す状態に逆戻りを果たす。


 ただの武器が、魔力を取り込んだ。


 ここは伝承世界ではなく現実。そのような事象が発生した記録は何処にも無い。

 常識を嘲笑う事象を描いた女傑は、呼吸を乱しながらも異刃を構える。忘我していたように立ち尽くしていたカルスも、同様の体勢を執ろうとして――止めた。

「何のつもりだ?」

「負けと、敵の力が分かった戦いを続ける意味は何処にもねぇだろ。一対一ならお前にも勝てるが、ここから四対一は、どう見ても勝ち目がない」

「逃げを許すと思うか?」

「空き缶狩りに、これ以上の破壊をお前等の指揮官は許容しない。俺の生死はアドーチスに関係がない。っつーか、俺が動く前にお前等が片付けたろ。戦う理由はもう無い筈だぜ」

 真意を図るように、スズハは敵の蒼眼を見据える。


 息詰まる時間は、彼女が異刃を納めた事で終わりを告げた。


「二度と会いたくないものだな」

「確実にどっちかは死ぬからな。……スズハ・カザギリよ、お前はいつまでその路線を続けるつもりだ?」

「愚問だな。死ぬまでだ」

「信念は結構。けどな、俺はお前みたいな奴を何人か見てる。……そいつ等の後を追いたくないなら、早く生き方を変えるべきだ」

 意味深な言葉を残し、カルスの姿が消失。『転瞬位』で移動されれば追跡はほぼ不可能。事実上の戦闘終結を受け、三人は呪縛から解き放たれたように長い息を吐いた。

「逃げやがった……」

「いや、彼が退いてくれて助かった。続けていたら、私を含めて一人は確実に死んでいた。その未来を私は望まない。……さて、と」

 クレイの呻きを打ち消し、殺人機械を撤退に追い込んだスズハがルチアに向き直る。数秒前までの闘気は霧散させている。にも関わらず感じる緊張感で、思わず彼女は背筋を正した。

「君は価値と、私が選んだ理由を示した。君が動いていなければ、先着していた武装警察や軍の者が彼に殺されていただろう。その意思があれば、君は間違いなく四天王だ」

「でも、私は……」

「一回逃げたぐらいでなんだ。俺なんか人生で百回ぐらいは逃げてるぞ」

「食料品店の店主からか?」

「包丁やら何やら振り回して追いかけてくるんだ、アレ滅茶苦茶怖ぇぞ。オズも今度試してみろ」

「犯罪を推奨するな!」

 クレイとオズワルドのやり取りで、滲みかけた涙は引っ込んだ。

 自分に並び立つ力が無い事実は変わらない。人生を全て捧げても、この瞬間の彼らに追いつけるかすら不明瞭。別の道を見つけ出して、付いていければ僥倖といった所だろう。

 だが、彼らは自分を必要としてくれている。そして、この瞬間の自分は彼らと共に居たいと思っている。ならば、もう少しだけ四天王という険しい道を歩いても良いだろう。

 一度頭を下げた後、ルチアは久方ぶりに迷いを振り切った笑みを浮かべて告げる。

「戻っても良い、かな?」

 返答は、男性陣からの爆発的な歓喜の声だった。


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