7:迷い子 上
ルチア・クルーバーはコンクリ舗装の道を駆けていた。
額を流れる汗。鍛え抜かれた肉体を以てしても乱れる呼吸。泥はねで汚れた戦闘用の革靴。
これらの要素から推測可能な通り、彼女はかなりの時間全力疾走を続けていた。負傷こそないが、あまり好ましい状況ではないと焦りが募る中、目の端に人影が映る。
「!」
即座に剣を抜き、切っ先に魔術を灯す。一人相手に『
「げっ!」
使い手によって少々形状が変化する『奇炎顎』。ルチアの場合、鰐の大顎に似た形状を持つ炎は狙い通り標的に向かうも、相手の『
「しつけぇんだよ!」
「――っ!」
標的の青年、ヨディ・トーラナックが抜き放った戦斧を、長剣で受け止める。賞金稼ぎがそのまま賞金首に墜ちた典型的な例と言える男の実績は、軽んじるには重い。
金属同士が仲違いする音を響かせ、押し合う二人の膂力はほぼ互角。魔術を紡ぐ隙もなく、長期戦になりそうだと判断したルチアの眼前で、戦斧が爆発した。
正確を期するなら戦斧の刃が爆発した。
間抜けな訂正を脳内で行ったルチアは吹き飛び、長剣が地面に突き立つ。跳ね起きた時、ヨディは既に戦斧を背負って逃走に移行していた。
背負われた戦斧には、先刻と異なり刃が失せていた。
「……」
失策に歯噛みし、追走しようとするが足が動かない。見ると、右足が奇妙な方向に曲がっている。『
また失敗するのか。
そんな思考が掠めたルチアの目に、紅雷が駆け抜ける。
転瞬、ヨディの腹部に大穴が穿たれた。
「ちょっ、嘘、だろ……」
「殺しちゃいねぇよ。テメエが噛んだ爆破テロについて、豚箱でたっぷり喋って貰うからな」
ヒトの姿に回帰し『
「もう立てる」
「そうか? 無理すんなよ?」
「良いから。……クレイは別の区画にいたガッボスの担当だったでしょ? どうしてこここに?」
「思ったより速く片付いてな。オズの所に行こうと思ったけど、もう終わるって返されたから……おいルチア?」
皆まで聞かず、ルチアは何処ともなく歩き出す。
治療は不完全の筈だが、足の痛みは自然と気にならなかった。
痛みを上回る程の、惨めさと無力感に彼女は打ちのめされていた。
そしてそれは、今日この瞬間に生まれた物でもない。故に、彼女の内側ではとある後ろ向きな決意が宿っていた。
◆
アークス王国首都ハレイドに聳え立つギアポリス城。
一般人立ち入り禁止区画の一角に、四天王のみが利用可能な小さな会議室はある。
数か所に光点が打たれた、青白い立体映像を囲む形で座す三人の耳に、隊長たるスズハの声が飛ぶ。
「君達の活躍で、近頃アークスの各所で破壊活動を繰り広げる集団の大半を削る事が出来た。首魁の首を取るのは警察の仕事になる。後数人も、全力を挙げて抑えよう」
「ヨディにガッボス、そんでニーチョ。今日の連中を抑えたら後は出涸らしだろ。恐れる要素はなくないか?」
「気を抜けば、格下にも負けるのが戦いだ。それだけは忘れてはいけないよ」
「噂の領域を出ないが、カルス・セラリフが参加したという噂も出ている。……ボク達単独では厳しい相手だ」
祖国を離反したと噂のヒト型兵器の名前を、オズワルドが口にした瞬間、弛緩気味だったクレイの表情が引き締まる。
この中で唯一対峙した経験を持つ彼は、カルス・セラリフの力を間近で見ており、しかもそれは未完成だった頃の事だ。
数多の海竜や巨大魚、果てはノーティカと敵対する国の要人を殺害した男は、彼が見た時よりも遥かに強くなっている筈。自然と力が籠ったクレイと、彼を慮る表情を見せたオズワルドだったが、手を軽く打ち鳴らす音に顔を上げる。
「確かに彼は強い。私とて一対一でやればどうなるか分からないくらいにね。けれども、力を合わせれば必ず勝てる。そういう訓練をしている筈だ。あまり気負わず、かと言って楽観的になり過ぎず準備をしておこう」
手を打ち鳴らした姿勢で語り、そして微笑むスズハ・カザギリの姿に、クレイとオズワルドの緊張が自然と抜ける。立体映像の電源を落とし、立て掛けていたラディオンを掴む。
「うっし、そんじゃ今日も打ち込みだけするか。ルチアも……」
呼びかけは、ルチアの沈み切った表情によって強制的に中断させられた。
そう言えば、彼女は総括で一度も言葉を発しなかった。今になってそれに気付いたクレイと、残る二人を交互に見渡しながら、紫髪の四天王は口を開いた。
「……私、四天王から離脱します」
数分間、男性陣の時間が止まった。
「おい、そりゃどういうこった!? やっと形になってきただろ? ここで辞めてどうすんだ!?」
衝撃が過ぎたのか。硬直から解き放たれたクレイは同僚の襟首を掴み、激しく揺さぶる。されるがままの状態で、ルチアは言葉を絞り出す。
「あなたもオズも、それに隊長も一人で十分戦える。私だけでしょ、何も強みが無いのは。この間のバザーディでの仕事でも、今日の戦いでも……ううん、それより更に前の仕事でもあなた達の足を引っ張った。このまま続けていても、あなた達の領域には絶対に辿り着けない。だったら、もう抜けさせて欲しい」
「分かんねぇだろ! 三十過ぎて化けた奴もいるんだ、今抜けて何を……」
「持っているあなたに、私の気持ちなんか分からない!」
投げつけられた叫びは、クレイの心胆を強かに殴りつけた。
「言い過ぎだ」
「……ごめんなさい」
放心状態に陥ったクレイに代わり口を開いたオズワルドの指摘に、ルチアは小さく頭を下げる。謝罪こそしたが、紫眼から意思が消えていないと少年は理解に至る。
冷静な思考と共に、オズワルドの目はスズハに滑る。決定権を持つのは彼女であり、彼女なら上手く説得してくれるだろうという期待もあった。
彼の期待を察したのか、小さく頷いたサムライはルチアに視線を合わせて口を開く。
「君の意思はよく分かった。私はそれを否定しない。望まぬ者を無理に留めていても双方が不幸になるだけだ」
叫ぶ事は堪えた。だが、オズワルドの瞼が引き千切れそうなまでに見開かれた。少年の抱いた予想の真逆を行く言葉を受けたルチアは、少しだけ安堵したように表情を緩める。
「ただ、別の物を見て考えが変わるかもしれない。半年席を空けておく、よく考えてくれ」
「……失礼します」
重い空気を引き連れてルチアが部屋を退出。かなり速いテンポで遠ざかる足音が消えた頃、ようやく心を引き戻したクレイがスズハに噛みついた。
「いや、行かせてどうすんだよ!?」
「迷いが生まれた者を無理に戦場に出せば、死が待っている。君は彼女を殺したいのか?」
「んな訳ないだろ!」
「ならば分かる筈だ。それに、彼女は君と同じくまだ若い。今ならまだ別の道を選べる。……彼女は私と違う、戦いだけが道ではないんだ」
声に苦味が少し混ざっていると気付き、クレイは噛みつく意思を折られる。
ルチア・クルーバーを選んだのは他でもないスズハだ。クレイやオズワルド以上に、離脱される痛みは大きい筈。にも関わらず、立場上求められる、彼女の先を見据えた提言を行った気持ちは如何ほどの物か。
理解は出来る。だがそれは納得とは別の話だ。
「俺はルチア以外認めない。他を入れるぐらいなら三人で続ける」
「クレイに同意します。今更他とやるなんて、受け入れられる訳がない」
奇しくも意見が揃った二人に、交互に視線を向けたスズハは笑う。
三年を要したが、二人は互いの能力を認め合い、戦闘に於ける連携に留まらず私生活でも良好な関係を築くに至った。選んだのは正解だったと胸を張って言える。
だからこそ、選んだルチアが離脱の意思を表明したのは痛い。
肉体を雷に変換させる特異な能力を持ち、路上育ちの経験も生かして変幻自在な戦術を可能とするクレイトン・ヒンチクリフ。
持久力に難はあるが、敵の術技を完璧に真似る唯一無二の力を持つオズワルド・ルメイユ。
二人と比較した時、ルチア・クルーバーに並び立つ強力な何かがないのは事実だ。スズハ自身も含め、悩みを正確に理解出来る存在は三人の中にいない。それが彼女を余計に追い詰めていたのだろう。
薄々感じてはいた。
いたのだが、戦いを通じた成長でいずれ解消される筈と、自分自身や二人には通じた論法を押し付けてルチアを現状に至らせた。
間違いなくスズハ・カザギリの失策。よって、二人が責任を感じる必要は無いと繋げた女傑は、長い息を吐いた。
「半年猶予はある。それまで……っ」
力の無い言葉が不意に途切れ、スズハが激しく咳き込む。
「お、おい……」
「すまない、報告書は君達が提出しておいてくれ。……たいしたことはないだろうが、少し休む」
単なる風邪の類が齎す物とはかけ離れた咳を連続させながら、退出したスズハを見て怪訝な顔を浮かべた二人だったが、床に零された赤黒い液体に顔色を変えた。
あれだけ咳き込み、血まで吐くのはどう見ても「たいしたことはない」筈がない。
原因を掴んで何か手を打ちたいという思いにと、上官の健康状態を何も知らない事実に、二人はすぐに行き着く。
「……健康診断の結果って、やっぱり見せて貰えないよな」
「個人情報だからな。……ボク達では無理だろう」
虚しいやり取りが溶けて行く中、辛うじて厠の個室まで辿り着くなり、スズハは激しく嘔吐した。清掃が行き届き、真っ白だった便器は一瞬で赤黒く染まり、彼女の顔まで汚す。
一通り発作が収まった頃、壁に寄り掛かった彼女は口元を拭う暇も惜しんで袖をたくし上げ、そこにある惨状に顔を歪めた。
「そろそろ出てきたか。まー覚悟はしてたと思うけどな!」
「……その通りだ。十年以上お前の力を借りている以上、終わりはいつ来てもおかしくない」
「なら結構。でもま、今日は可愛い部下の前でよく耐えた方だ」
腰元から聞こえる、嘲笑しているのか慮っているのか今ひとつ判断しづらい声に、四天王最強の女傑は肩を上下させながら応じる。
「まだ私の使命は果たされていない。……彼らの道を示すまで、そして使命を果たすまで、私は果てる訳にはいかないんだ」
言葉とは裏腹に力が全く入っていない言葉は、厠の一室で虚しく消えた。
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