幕間:脱落者の現実

 ヒビキが夢の世界に旅立ってから、既に二時間強が経過していた。

 懸念していた身体の変調は特に見受けられず、彼の見る夢は順調に推移し、寧ろ彼を見守る大人と死人の表情が硬い。

 他者の魔力を取り込み、それをまた別人に流し込む『回喪乃銀幕ワンマンシアター』は発動も維持も高難度の部類に入るが、クレイトン・ヒンチクリフとオズワルド・ルメイユの二人にはそれほど負担に成り得ない。

 にも関わらず、彼らの表情は一様に硬い。

「今どの辺りだろうな?」

「前半が終わった辺りじゃないか?」

「あぁ、お前が素直になった辺りか」

「……そういう事にしておこう」

 戯けたやり取りも、虚しく上滑りするばかり。

 彼らの青い春は、無惨な形で連れ去られた。決して美談になりはしない過去を見せて再起を促す方法が、最良の手段に成り得ない事は当然理解している。

 しかし、二人が抱く最大の懸念は別にあった。

「この子の身体はどうなんだ。今この瞬間じゃない、全体の話だ」

「……今、あの闇医者が調べてるよ」

「彼女も後数年で幼児まで逆戻りするだろうに、元気なことだな」


 五年保てば奇跡。


 超越者からの絶望的な宣告が、何処まで事実なのかを確かめるべく、クレイはファビアに協力を求めた。

 定期的にヒビキの診察を行っていた闇医者は、説明を受けるなりクレイの頬を拳で打ったが、それ以上何も言わずに少年の身体の内外を読み取って解析を試みた。

「完了次第、また来る」

 言い残して一時的にハレイドへ戻った闇医者の表情は、二十年以上の付き合いの中で一度だけ目にした、悲壮な物だった。

 奇跡的に云々は望みが薄く、二人が予想している以上の深刻な物が待ち受けており、身体の持ち主であるヒビキ自身は、恐らく本能で察している筈だ。


 決定付けられた終わりにどう抗うか。


 逃げた者と選ぶ前に終わりへ引き摺り込まれた者は、ヒビキが望む答えを持たない。故に強硬手段に出たが、結局は彼に全て丸投げしている事は変わらないのだ。

「餓鬼の頃、それこそ期限切れの冷凍食品が御馳走だった頃から、大人ってのはもっと上等なモンだと思ってたんだよ。教育を受けて、倫理や法に準じて生きて行けば、そうなるとも思ってた」

「……急にどうした」

「けど、あの時も今もどうしようもなく無力だ。……俺もう三十九だぞ、いつになりゃ大人になるんだろうな」

 ヒルベリアの住民が知らない、クレイトン・ヒンチクリフの弱い姿に、オズワルドは暫し黙する。既に終わりを迎え、正確を期するなら模倣品でしかない彼に最善の答えは返せない。

「己の主張を封じ込め、諦観に身を浸して愛想笑いを振り撒き、面倒ごとから見て見ぬふりをして迷子を嘲笑する事が世間に求められている『大人』だ。何かを変えようとしている君は、大人になり切れていないかもしれないが、よっぽど上等だ」

「……そりゃどうも」

 生前の思考から弾き出した「それらしい」言葉を受けた紅き雷狼は力なく笑い、眠るヒビキに視線を戻し、願う。

 ――意味を持つかは分からないけど、見届けてくれ。お前には、俺のようになって欲しくないんだ。

 男の願いを他所に「選ばれなかった」少年は、眠り続けたまま次の局面へ向かう。


                  ◆


 海を挟み、インファリス大陸の北西部には大小幾つかの島が存在する。

『エトランゼ』との大戦直後、とある人物が混乱する島々を纏め上げ、一つの国とした。以降、彼の者の血脈が代々君主の座を引き継ぎ、アークス同様の政治体制に移行した現代でも、君主は大きな影響力を持つ。

 イルナクス連合王国。通称『女王国』と呼ばれる島々の内、小に該当する工業廃棄物が寄り集まって出来た人工島の一つは、整備が為され墓地となっている。

 もっとも、連合王国を形成する主たる島全てと微妙に距離があり、整備されたと言えど生まれ方が悪い島への埋葬を望む物好きは少数、国が身寄りの無い者を形式的に葬る場所となっていた。

 個性が皆無の画一的な墓石の列が、見渡す限り続く殺風景な島に二つの規則的な音が響く。

 一つは、杖が石畳を叩く音。もう一つは、機械のように一定間隔で繰り返されるヒトの呼吸。

 二つを発する人物は、儀礼用に整えられているが墓地の訪問には些か不適切な、アークス国軍の戦闘服を纏う。しかし、その者の頭部に目を遣れば知らぬ者は更なる違和感を、知る者は理解に至るだろう。

 退色による白髪と、首筋の皮膚にはシミや皺が目立つ点から鑑みると、その者は相当に年老いた人物と気付く。

 そして、ヒトが他者に与える印象に最も大きな影響を与える顔面は、イルナクスの国花があしらわれた純白の仮面が覆う。仮面は本来の役割を果たすと同時に、その者が誰であるかの理解を与えていた。

 元・アークス王国四天王。『札術士スイッチャー』ジャック・エイントリー・ラッセルは、無人の墓地を淡々と歩み、やがてある墓石の前で立ち止まる。

 屈みこみ、月日の流れによって汚れた墓石やその周囲を手早く清めた元四天王は、視線を墓石に固定したまま小さく息を吸い、吐いた。

「周期を乱してすまない。今日は一つ報告がある」

 実年齢より若いものの、戦士に求められる物が拭い去られた、倦んだ声が墓地に投げられる。

「ハルクが君の元へ逝った。出会った時、そして私がそちらへ向かった時はよろしく頼む」

 嘗ての同僚が死亡した、という言葉を受け止める墓石には『ステファン・バニャイア』と刻まれ、この男もまた、先に旅立ったジャックの同僚なのだ。

 ハルクの結婚と離脱で解散した四天王の内、レヴァンダとジャックは帰国を選んだが、ステファンはそれを選ばず、アークス国内での誘いも全て蹴り、誰の予想にも無かった道を選んだ。


 国に飼われる兵から、国に背く者達の剣へ。


 原始的な支配体制が罷り通っていた国から、大国の傀儡に成り果てた国まで。行先に選んだアメイアント大陸でステファン・バニャイアは戦い続けた。

 だが、秀でている一人の足掻きには限度があった。

 幾つかの国で救世主となった彼は、小国ベナアに流れて戦いに身を投じた果てに、アークス国軍の攻撃から同志を守り散った。

 本来は竜を始めとする強大な生物に使う『極彩狂爆炎ヴィオレルトウェイト』を四方から浴びせられ、骨の欠片すら残らぬ形で同僚は世界から消えた。

 彼が存在を伝える物は、四天王時代から継続使用していた『背教者アリエル』の残骸だけが残った。ジャックの知人がアメイアント大陸で会社を経営していなければ、それすら廃棄されて墓は空の状態だっただろう。

「ここでは最高の思い出が出来た。けどよ、それはアークスがデカい国だったから出来たことだ。もっと小さな国じゃ、思い出どころか自由な会話すら出来ない所もある。それを放置するのは、許せない気がしたんだよ」

「民主主義は万能ではない。既存の方法では、最悪を回避する可能性が一番高いだけの悪手だ。救いどころか新たな騒乱を生みかねん」

「一応大学出てんだ、そのくらい分かってる。けど、可能性だけでも提示出来たら、変わるかもしれないだろ?」

 四天王加入前に、大量殺人犯と誤認されかねない傷を顔に負い、何故かそれを強調する装いをしていた為に誤解されがちだが、彼は慈愛に満ち、誠実な人間性を持つ男だった。

 それに何度も救われてきたからこそ、ジャックは理想を語って去り行く同僚を止められなかった。


 結果、八年前にステファンは死に、数か月前にハルクも続いてしまった。


 平穏を選んだ結果、自分は何も出来なかった。自責の念に駆られる男の言葉が淡々と続く。

「近頃は何かと物騒だ。女王陛下がアロンダイトを『白光ノ騎士』の手で覚醒させたと思えば、禁足地で断続的な魔力流の変化が生じ続けている。……私も『船頭』に請われて、ファナント島遺跡への道を開く補助を行った。エクスカリバーの覚醒も近いそうだ」

 イルナクス連合王国に伝わる最強の聖剣『祓光剣アロンダイト』は相応しい使い手即ち当代『白光ノ騎士』が振るう時を除くと、何らかの予兆が無ければ王城の地下で眠っている。

 そして、一部の伝承ではアロンダイトと対を成すと扱われている初代魔剣所有者が振るった大業物『征竜剣エクスカリバー』は持ち主共々『エトランゼ』との一騎打ちで散った。

 後世に伝わる歴史はこのような物で、ジャック自身も『船頭』から告げられるまでは信じていた。しかし『船頭』曰く魔剣は継承者を待っている状態であり、道を開く事こそ世界の為と告げられた。

 半信半疑の状態で補助を行ったが、未だに何も起きておらず、その事実が老いた彼に高純度の不安を与えているのが実情だ。

 悪しき者が振るえば災禍を齎す二振りの業物が世に再び放たれ、世界全体にも影響しかねない魔力流の変動が一箇所ながら始まっている。

 加えて、異なる世界からの来訪者が無意識に盤面へ登ろうとしている。これだけの要素が揃えば、どんな愚者でも「今まで通り」が守られる筈がないと気付く。

「多くの血と、涙と、絶望が生まれる何かが起こるのだろうな。この半年間、何者かに監視され続けたが、結局何もされなかった私には、介入出来る余地もないのだろうが。……また来る。今度は、もう少し良い話が出来ると良いな」

 

 踵を返して、盤面からの脱落を世界に告げられた男は島を出る為に歩き出す。

 強者と称えられた頃の気配が完全に失せた、寂寥に満ちた背中を、墓石の群れがただ見守り続けていた。



 

 

 


 

 

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