6

「んだよその顔は……」

 施設訪問から一週間強が経過したある日。

 別件で食堂を訪れたクレイは、丁度鞄を膨らませたオズワルドと出くわし、相手の不信感に満ちた反応に顔を顰める。

 あの日以来、二人に親愛の情が生まれただのの話は一切ない。施設訪問は入れ違いで、後日の仕事はいつも通り散々な出来だった。反目が深まる要素はあっても逆は無くて当然だろう。

 理解と受容は連動しないのが、人の悲しい性なのだが。

 機械的処理で済ませるには難しい情報を得てしまい硬直するクレイを他所に、そうではないオズワルドは一瞥も暮れず彼の横を擦り抜けようとして――

「……!」

「っぶねぇな」

 バランスを崩し、反射で伸ばされたクレイの手に掴まれて転倒を免れる。が、衝撃で留め具が緩んだのか、鞄の中身が盛大に転がり出て喧しい音を奏でた。

 血相を変えて転がり出た物体、即ち肉の缶詰を拾い集めるオズワルド。しかし、目の前のクレイはしかと目撃し、拾い上げて豚肉の缶詰だと内容の把握に至っていた。

「返せッ!」

「いや、返すけど……ってちょっと待て。それだけ持って行くのか?」

 缶詰をひったくり、警戒心剥き出しで睨みながら去ろうとするオズワルドを、鞄の内容物とある事実を掛け合わせた思考から、クレイは呼び止めた。

 四天王の中で一番料理が上手いのはスズハ・カザギリだ。「故郷の食材はなかなかないね」と苦笑いしながらも、三人が見たことも無い料理を作る腕は、店を出せると一部で太鼓判を押されている。

 四人の中では二番目と扱われているクレイ自身は客観的には平均程度で、実験同然のルチアは論外。

 残るオズワルドが料理を得意とするなら、確実にここまでの活動で噛みついて揉めている筈。それが無かったとはつまり、ルチアより圧倒的に上等だが自分よりは下、程度ではないだろうか。

「缶詰だけじゃ味気ないだろ。野菜も買ってけ」

「お前……おい、引っ張るな!」

 抗議するオズワルドを引き摺って食堂に入ったクレイは、目に付いた使えそうな野菜を次々と袋に放り込んでいく。

「食材買うってことは、誰かにメシ出すんだろ? だったら、少しでも美味いって言われるようにしろよ。お前も受け取る側も幸せが増える」

「……」

 想定外の方向から攻められた為に反論が出来ないのか、未だ嘗て見たことの無い表情を浮かべるオズワルド。彼を横目で見ながら、食材を購入し終えたクレイはメモとペンを拝借。手早く調理手順を書き込み、同僚の鼻っ面に突き付けた。

「お前の腕前を俺は知らん。だからルチアと同じと仮定した。行ってこいよ」

 呆けたようにクレイと交互に見ながら、オズワルドはメモを受け取り荷を背負い直して食堂を出て行く。別の意味で危なっかしくなった同僚を見送っていると、肩を軽く突かれた。

「んだよアックス。なんか不味いことしたか?」

「んーん、君らが揉めずに話してる所を見るの、初めてだなぁって思っただけ」

 衛生帽に無理矢理押し込んだ赤髪と、同じ色の瞳が目立つ一歳上の調理員、アクセルシア・フェナティ。通称アックスの指摘には、クレイも苦笑を返す他ない。

「多分俺も初めてだ。ってか、アイツがなんでああやってるのか、お前は知らないか?」

「知らない。いつも量に拘ってるから、何処かに寄付とかしてるんじゃないの?」

「あーなるほど。だったら、堂々と言って手伝って貰えば良いのにな」

「私が言うのもなんだけど、君がそれを言っちゃう?」

「言うだけならタダだからな。俺ならぶん殴ってでも手伝わせるし」

 血がよろしくないオズワルドやクレイが音頭を取っても、それほど効率は上昇しないだろうという、同じく王城勤めの中では血の良くないアックスの指摘は調子こそ軽いが重い。

 ――変えたい意思は、俺なんかより遥かにデカいんだろうなぁ。……だからって噛みつかれるのはゴメンだが。

 どうすれば同僚の態度は変わるのか。

 思考を回しながら、食堂を退出しようとしたクレイの目前に、二桁に達する量の手紙が滑り込む。

「育ちよりも、顔と日頃の行いが重視されてて良いね。全部の仕事場がそうなれば良いのに」

「……返事書かなきゃ良かった」

 差し出された手紙は、全てクレイに交際を申し込む物だった。

 頑なに否定するが、役者に転職可能な容貌と、敵対していない存在への振る舞いは人気を博するに十分な物をクレイは持っている。

 彼の人間性に、現状戦果は良くないが四天王という立場も加われば、打算の有無問わず交際を申し込む者は絶えない。


 もっとも、彼は誰とも付き合うつもりはないと公言しているのだが。


「普通さ、こういうのは断り倒していたら『××××××野郎』の値札を貼られて来なくなるんじゃないのか?」

「一般論を当て嵌めるには、顔と立場が良過ぎるでしょ君は。おっと、本命が呼んでるよ」

「やかましいわ」

 アックスの肩を軽く殴り、返ってきた感触で厨房仕事の厳しさを感じながら、クレイは踵を返す。形容からの予想通り立っていたルチア・クルーバーに並ぶ形で食堂を辞する。

 国王の護衛として、会議に出席したスズハの命を受け二人は資料整理。数日前単独の仕事を遂行したオズワルドは休暇。これが三人に振られた今日の役割となっている。

 特殊な立ち位置と言えど、強者を求めて大陸を放浪したり、勝手な花火を上げるといった行為は許されていない。


 あくまで四天王は国民の税金を食んで生きる者。


 この認識を忘れぬ為か、スズハは戦闘以外の仕事も積極的に取り組んでいる。血気盛んな若者には退屈で、大抵は時間より速く終わらせてしまうことも織り込み済み。

 そこから先の振る舞いを審査する意味もあると、三人は正確に理解していた。

「さっさと終わらせて訓練行こうぜ」

「良いけど……オズワルドと何か話してたの?」

「見てたのか? なんか料理するらしいから、適当に食材とメモを渡した」

「そっか……」

「言いたいことがあんなら言えよ。どうせ隠し事なんて、四人の間じゃまず無理だ」

「オズワルドと仲良くやれそうなの?」

 期待の籠った問いに、クレイは口を閉ざした。

 ロクに口を利かず、偶に開けば罵倒合戦の状況が一年以上続いている。これが四天王継続の懸念材料と見られていると、両者とも認識している。

 全貌は不明だが、理不尽極まる強さを持つスズハ。生まれの悪さが時折漏れ出している為、絡めば面倒臭いと思われているクレイ。そもそも反応が無いオズワルド。

 他がこのザマなら、余計な雑音をぶつけたがる輩は当然ルチアを的にする。感性が常人寄りの彼女にとって、その状況が厳しいとは容易に想像出来る。

 会話が成立していた事に一縷の希望を見ていた少女は、クレイが首を横に振るや否や、表情を百八十度転換させた。

「……悪い」

「悪いと思うなら、もう少しなんとかしてよ」

「そうしたいのは山々なんだが、腹芸は苦手だ」

 歴史を辿ると、ビジネスライクに徹した四天王も存在したらしい。だが、そのような姿勢だった代より、友人同然の関係を構築した代の方が秀でた戦績を残している。

 丁度、ハルク達のような形が理想形と言えるだろう。

 スズハの狙いもこれだろうが、現状はかなり遠く、ルチアの望むような「大人の振る舞い」は試しても早期破綻するのが目に見えている上、二人共それが出来る精神性ではない。 

「まーいつかは何とかなるだろ。嫌でも年食って丸くなるんだから。ま、何か行ってくる奴がいたら遠慮なくチクれ。代わりにブチのめすから」

「暴力は駄目でしょ。……どうしてそんな張り合う訳? 適当に折れれば良いのに」

「ほらアレだ。男の意地とか生命体の意地とかそういうの」

「男って馬鹿ばっかり……」

 大きな溜息を吐いて会話を打ち切ったルチアに並ぶ形で、クレイは資料室への歩みを続ける。

 真摯さに欠けていると受け取られただろうが、彼にとっては割と真剣に考えた上での結論だ。

 掲げる物を隠し、内側で首を捻ったり唾を吐きあったりしたまま、心に掠りもしない美辞麗句を並べ立てて握手をするのは政治家の振る舞いだ。

 もっとも「年食って丸くなる」まで待つのは不味いと、クレイも重々承知。手札が無い事実で停滞に陥っているが、見つかりさえすればすぐに動きたいとは思っている。

 ――どうしたモンかなぁ。

 内側の疑問を覆い隠すように、クレイは大きく欠伸をした。


                   ◆

 

 作業は存外順調に進み、予定時刻より一時間半も早く終了した。

 ルチアの提案に乗って、割り当てられた箇所以外の整理も追加して時間を潰し、時刻は夕刻。

「家に戻って夕食にするけど、クレイも来る?」

「いや、部屋じゃなくて実家かよ。親御さん、何かあったのか?」

「母さんが骨折しちゃって。本人は大丈夫って言うけど、やっぱり父さんだけだとね」

「なら余計に邪魔したら不味いだろが。さっさと行けよ」

 親子の概念は外形的な物しか分からないが、ルチアの両親はごく普通の善良な会社員。かつ、それなり以上に嫌われているお陰で撒かれた、クレイの出自を知りながら好意的に接してくれる人物だ。

 少なくとも、軽んじたり団欒の時間に余所者が首を突っ込んで良い存在ではない。

 クレイに促され、ルチアは手を振って去ろうとする。同じぐらい長く、しかし自分と異なり遊ばせている為に揺れる長い紫髪に向け、呟く。

「メシ作りも教えて貰えよ」


 ドンガラガッシャン


 戯画的な音を発しながら、ルチアが盛大に転げた。

「ま、まだ根に持ってるの!?」

「根には持ってない。けど、二度も三度もあんな目に遭うのは御免だ」

 結成当初、遠征時はローテーションで食事を作ると決めていた。


 だが、一巡目の最後、ルチアが作った料理が全てを変えてしまった。


 あのスズハが脂汗を流して「人には向き不向きがある」と絞り出すのが精一杯。オズワルドは無言で森の奥に消え、色々と慣れているクレイは完食したが、羊の肉と持ち込んだ野菜から生まれた紫色の塊を胃に押し込む行為は、苦行以外の何物でもなかった。

 他は最低でも十人並みにこなせるのに、料理だけ理不尽に下手なのは不思議だが、ともかくルチアの腕前はそんな有り様で、クレイが彼女の両親を慮るのは無理もない話だろう。

「最近は練習して、上手くなったって言って貰ってるんだから! 今度、クレイも実験……いえ、試食してね!」

「実験ってなんだ!? メシは実験する物じゃねぇだろ!」

「クレイトン・ヒンチクリフ!」

 方向がズレたやり取りに発展しかけたところで鋭い、しかし幼い声が両者に割って入る。

 二人が目を向けると声の主、オズワルド・ルメイユが肩で息をしながら立って――

「来いッ!」

「うわっ!」

 眼帯で覆われた左目から光を溢しながら、驚異的な速度と膂力でクレイの肩を掴み、少年は彼を引き摺って行く。

「……今度は一体、何があったんだろう」

 置いて行かれたルチアは、只目を瞬かせて立ち尽くす他なかった。


                 ◆


 引き摺られること十四分。

 滅多に人がやってこない倉庫に引き摺り込まれたクレイは、ラディオンを置いて来た事を若干後悔しながら、まだ息の荒い少年を見つめる。

 まず隔離を選んだ時点で最悪の構図は除外出来るが、そこから先は皆目見当が付かない為、茶々を入れずにクレイは待ちを選んだ。

 どれだけ駆けずり回っていたのか。このまま倒れてしまわないかと余計な心配を抱かせる時間、呼吸を整える事に消費したオズワルドは、やがて意を決したように顔を上げ、そして下げた。

「兄弟の喜ぶ顔が見れた。ボクの持ち込みだけでは出来なかった事だ。感謝する」

 言い捨てて、一応同僚の少年は倉庫を退出しようと踵を返す。

「待て待て待て。それで終わりはないだろ」

 意味を理解したが、当然これだけで納得出来る筈もないクレイは咄嗟に襟首を引っ掴んで足を止めさせ、刃の視線を向けてくる少年に対し肩を竦める。

「金銭も何も要求しねぇよ。俺が知りたいのは一つ。……なんで出自を隠していた? どれだけ隠してもいずれ割れるだろうが」

「……」

 少年は沈黙するが、目には隠し切れない狼狽が宿る。

 道理で考えれば、ここで無理に引き出す必要はない。ただ、クレイの中に眠る獣だった頃から人類が変わらず保有する勘が、ここで引き下がるなと訴えていたのだ。

 停滞の時間を再度消費した末、逡巡をありありと表出させながら、オズワルドは口を開いた。

「施設の出がどんな扱いか、君は知っているか?」

 訪れた事をリークや施設の子供が話したのだろう。前段を飛ばしたオズワルドの問いは、クレイにとって反射で答えられる物だった。

「俺みたいなのより多少マシ、程度だろうな」

 身寄りのない孤児は二人のような例外を除けば一生底辺のままだ。平均より少し秀でている程度では、身寄りがない事実から発展した「ロクな教育や倫理観を身に付けていないに決まっている」なる札を貼られ、社会から排斥される。

 結果、犯罪者や似た境遇の子供が生まれる連鎖に至るのだが、解消に尽力すると掲げた政治家は選挙で負ける。自己責任論に基づいて、這い上がれなかった底辺共は死すべしという思想が「普通」の国民の意見であり、その立場にいなければクレイやオズワルドも、似た考えに染まっていただろう。

 では施設はどうかと考えを巡らせると、多少はマシだが孤児が受けるそれと大きな差は無い。困窮状態のあの施設なら、予想を裏切る理想郷といった話は有り得ない。

「……あそこで育ったことを、先生や友に出会ったことを誇りに思う。けれども……今は言えなかった。スズハさんを除いては……」

 社会に軽んじられる身分が肯定され、美談のスパイスへ転じるのは、頂点まで上り詰めた者が最後に明かす瞬間だけだ。該当しない者が、該当しない局面で明かせば常識に従い「正しく」世界から追い出される。

 人の口がどれだけ軽く、目が曇りやすいかはよく知っている。拡散されてしまえば国王やスズハでは抑えられず、世論に後押しされて道が途絶えることは起こり得るのだ。

 故に、オズワルド・ルメイユは他者を拒絶し、似たような境遇を問われれば明かしている自分に対して敵意に近い反感を抱いていたのだろうと理解に至る。


 ただ、問題なのはその先だ。


「で、わざわざ話して何が狙いだ。俺は言いふらすつもりも無けりゃ、強請るつもりもない」

「馬鹿なことを言うな。借りは返す。それだけだ」

 平時の調子を少々取り戻したオズワルドの言葉に、クレイは思わず噴き出した。

「何がおかしい?」

「いや、律儀な所はスズハさんの影響なんだなって。けどま、こういう話で信頼を勝ち取るつもりはねぇよ。俺達の仕事は戦う事。やるならそこからだ」

 どれだけ外へ手を伸ばそうが、四天王に求められるのは戦闘能力の高さであり、集められた者が真の意味で理解し合うには、戦場しかない。

 オズワルドに背を向け、クレイは扉に手を掛ける。

「まあでも、あの子達の事なら話は別だ。料理について知りたいならいつでも聞けよ、見返り無しで教える」

 返事を待たず、部屋を出て寝床に進路を執ったクレイは、今しがた自分の投げた中身を振り返り苦笑する。

 ――このご時世、大袈裟な敵はなかなか出てこない。ちょっとカッコ付けが過ぎたか。

 後付けの補足になるが『生ける戦争』と称されるドラケルンの怪物や、ヒト属を徹底的に喰らい尽くす『カルス・セラリフの再来』と呼ばれる少女と言った、規格外の化け物達はこの時点では未覚醒。後者は生まれてすらおらず、彼の認識は極めて真っ当と言える。

 しかし世界は広く、ヒトの予想を軽々と超えていく。

 そう痛感させる出来事が、この数週間後に待ち受けていた。


                 ◆


 灰の天蓋の下、広がるは黒の骸と赤の彩。

 やけにゆっくりと立ち昇る煙を見ながら、赤の水溜まりに無粋な波紋が生まれる。

「これで全員、か」

 戦場にいるには不適切な、一見しただけでは性別の判定が難しい中性的な少年オズワルド・ルメイユは、自身が作り出した死を睥睨して大きな息を吐いた。

 下らないやり取りから僅かに三日後、スズハ・カザギリを除いた四天王三名は、二年前にアークスが領土に収めた『ハンムダリア』で続くゲリラの掃討に赴いていた。

 効率的な掃討を図るべく、各人が別行動を執った結果は上々。 

 通信からも、彼と同じように戦闘の終結を告げる声が届く。 

『私の方も終わった。これで全員、だと思う』

『なら集合だ。駐屯地に……』

 声が、雨音に掻き消された。

 咄嗟に上を見る。魔術と銃火器の使用に起因しない灰色は変わらず、雨の気配もない。

「通信妨害か……」

「正解だ、大国の飼い犬が」

 声と熱は、同時に届いた。

 熱が身体を通り過ぎた時、炭化した右腕が地面に落ち、血溜まりに溶けて消えていく。

 動揺を最小限に留めて振り返ると、一人の男が立っていた。

 各所に補修痕が目立つ鈍色の装甲に覆われた身体は一・八メクトル丁度と、戦士にしては小さく華奢で、大小や種類を問わぬ傷痕を見過ごせば、非常に整った顔が乗っている。

 しかし、男の握る音叉に酷似した二本の物体を視認したオズワルドの呼吸が一瞬途絶。

「『完殺将軍ダズラーレ』……!」

「大国の押し付けた名を肯定するのは癪だが、一時の辛抱だ。計画を崩された今、一人でも撃破して気勢を削ぐッ!」

 ハンムダリアに於いて、圧倒的な信仰と支持を後ろ盾が皆無の状況から腕一本で勝ち取った男、シャンドル・デ・ラ・ホーヤの突進を受け、オズワルドは眼帯を投げ捨て咆哮。

夢幻踊影ドゥームズアクト……『鎖縛編陣ジェイルティート』ッ!」

 再生が成ったばかりの右腕がまた弾けた。

 舞い散った肉の一つ一つから、瀑布の速度で鎖が伸び、絡み合ったそれらは兵士を形成。産声を上げて、シャンドルへ一斉に武器を打ち下ろす。

 

 転瞬、無数の金属片が荒野に舞った。


「紛い物は本物には勝てん。死ね、猿真似師」

「……くッ!」

 一切の負傷や動揺がないシャンドルが振り抜いた音叉を、この戦いで一度も抜かなかったオルケスタを抜いて食い止めにかかる。

 激突の寸前。眼前の男は、読んでいるとばかりに全身を隆起させた。

 剣の悲鳴が響き渡り、オズワルドの両足から接地感が消える。

 怪力を誇るベスターク人の血が半分入っている、だけでは説明不可能な膂力に競り負け、視界同様激しく乱れる思考を辛うじて整理し、叫ぶ。

「悪夢装変……」

「遅いわッ!」

 シャンドルの叫びと同時、オズワルドは右脚に何かが絡み付く感触を捉える。

 変形を中断して振り払わんと動いた刹那、右脚が爆発。視界が赤一色に染まった。

 重量バランスが変化したせいか急激な落下が生じ、全身を強打しながらオズワルドは地面を滑る。その間にも爆発は続き、完全に停止した時、彼から四肢は完全に失われていた。

 止まると同時に再生を試みるが、傷口に突き刺さった『鉄射槍ピアース』が齎す痛みで集中が阻害され、ただ敵が接近する事を受け入れるしか出来ない。

 音叉に酷似した刃無き剣『奏者ルバーノート』は大気に干渉する力を持つ。

 所有者の意思に呼応して、大気に風属性の魔術と同様の作用を持たせる力は、上下左右何処からでも風の刃を放つ事を実現し、その気になれば敵の肉体を一瞬で塵に変える。

『完殺将軍』の異名は、シャンドルと対峙した者全員が、墓に何も入れられなくなるまで解体される所から来ている。とすると、こうして自分が生かされているのは奇妙に過ぎる。

 眩む視界の中で、疑問で意識を辛うじて繋いだオズワルドは、消え入りそうな声で問うた。

「何故殺さない」

「命さえ繋げば、お前に釣られた馬鹿が複数釣れる。殺せる時に数を増やさぬ馬鹿はいない」

「生憎、ボクは嫌われ者だ。あまり効果は……」

 手足と同様、腹部に穴を開けられ、視界の赤が深みを増した。

「お前自身に価値は無かろうと、肩書きに価値はある。賭ける意味も、な」

「……ハンムダリアの再興など不可能。現実を見ろ」

 シャンドル個人がどれだけ秀でていようと、大国という巨人や時代の奔流に打ち勝つことは出来ない。彼が足掻けば足掻くだけ、それを口実にハンムダリアの国民が弾圧を受けるだけだ。


 凡庸な正論を、敵対者は泣き笑いで肯定していた。


「国や歴史の鋳型に嵌め込めばそうだろうな。だが、貴様らを殺し、踏み躙り、敵の領土を獲得する事が正義と教え込まれ、それだけに青春を捧げ、友の死をも越えてきた俺の魂は肯定などしない。

 敗戦国の軍人がどうなるかお前は知らんだろうな。『人殺しに狂った犬っころ』だ。のうのうと酒杯片手に賽を振っていた輩は俺達に全ての責を押し付け、国民はそれに乗って俺達に石を投げる」

「……」

「時が流れ、民が独立を望んだとしても、俺達に与えられた評価は変わらん。『先人は無能だから負けた。私達は彼らとは違う』俺達が置かれていた状況を無視して、したり顔で語るだろうな。永遠に拭えぬ汚泥を塗られた俺達は、正論では救われないッ!」

 物騒な二つ名からは想像出来ぬ程に、ハンムダリアの軍人は現実を直視していた。彼の実力なら、アークスや他国へも道は有る。だが、自分一人が汚泥を拭う事を拒む高潔さを有していた彼に、既に救済の道は無い。

 黙り込んだオズワルドの髪を乱雑に掴み、シャンドルは歩き出す。

 このままでは散々使われた後に死ぬ。

 幾ら嫌われていようと死人が増えることを望む程、オズワルドは逸脱していない。自死の方法を模索するが、全身を苛む痛みで魔術が組めないままでは、打つ手がない。

 最悪の死に様へ一直線のシナリオに、オズワルドが歯噛みした時――

 

 彼の世界が紅に染まった。


「価値を示す時が、来たようだなッ!」

 

 朗々とした声は、確かに聞き覚えがある物だ。

 このタイミングで聞くことになるとは、思ってもみなかったが。

 シャンドルの手から解放され、地面に落ちたオズワルドの目に映るは、尻尾のように揺れる金髪と、迸る紅の雷光。そして、装飾過多気味の長槍。

「クレイトン……何故ここにッ!?」

「通信が途切れたからな。途中でルチアに合流して、帰投準備はして貰ってる。後は、テメエをブチのめして終いだッ!」

 後半の対象にラディオンを突きつけ、呵々と笑った同僚の姿に、立ち上がった完殺将軍は怒気を湛えてルバーノートを構える。

「邪魔する者は全て消すッ!」

「やってみろや。出来るモンならなッ!」

 嚇怒と闘志。

 二つが真っ向から激突し、轟音と暴風が盛大に響く中、猶予を得たオズワルドは『妖癒胎動ファリアス』を発動し再生を開始。

 視界に連動する形で、徐々に鮮明さを取り戻していく彼の思考に、一番最初に浮かんだのは混乱だった。

 彼自身が指摘した通り、ここでオズワルドが死んでも、アークスは最終的に必ず勝てる。救援に来る合理的な理由は何もなく、死の危険を無為に増やしただけだ。

 ――今のボク達に勝てる相手ではない。……何の為だ?


 疑問を掻き消すように、一際大きな爆裂音が荒野に咲いた。


 どうにか転倒を免れたオズワルドの真横に、錐もみ回転でクレイが飛来し、ヒトが本来出してはならない音を発して頭から落ちた。

「ってぇな。……身体治ったか。じゃ、やるぞ」

 額を割って血を噴出させ、微妙に呂律が怪しくなっているものの、金髪の少年は跳ね起きてラディオンを構える。のみならず、オズワルドに手を伸ばした。

「何を……」

「証明するって言ったろ。俺だけが証明するんじゃ不公平だ。……お前もやれるって所を、俺に見せてみろ!」

 証明。

 何を指しているのか、当初見当が付かなかった。

「――その為にお前は、いや、君は死にに来たのか。……本当に馬鹿だな」

 理解に至り、場違いな笑みが思わず零れた。

 視界の先ではシャンドルが何らかの札を切らんと、魔力を充填させている。両手のルバーノートは原型を喪失し、不浄な生物の血を想起させる揺らぎを見せながら彼の腕を這い回る。

 変化はそれだけで終わらない。男の全身を覆う鎧がドロリと溶け落ちてルバーノートが築いた道を奔り、手甲から飛び出た棘に絡み付き、二つの巨大な角となって屹立した。

 姿に加え、放出される圧力も大幅に変化した事から察するに、相手は仕留めに来るのだろう。問われるまでもなく怖いし、勝ち目もほぼない。

 下らない口約束を持ち出して、命を賭け金に舞台に乱入してきた少年は、オズワルドの言葉を鼻で笑う。

「お前は阿呆か。俺は勝ちに来た。けど、現状俺一人じゃ厳しい。……この意味、分かるな」

「分かるさ。……しくじるなよ?」

「どの口が言ってんだよ。タイミングは任せる……頼んだぞ」

 傷塗れの二人が構えた刹那、完殺将軍の姿が消えた。

 手札にある全ての肉体強化魔術を用いたであろう男の突進は、まさしく砲弾そのものだった。

 一歩進むごとに大地が踏み砕かれ、舞い上がった土塊が衝撃波で微粒子へと転生させられる。直撃どころか、掠めただけで身体の大半が消え失せる凶技を前に、二人の輪郭が紅く染まり、溶けた。

「『紅雷崩撃』――」

「喝アアアアアアッ!」


 ヒトの限界に極限まで近づいた。


 しかしそれだけでしかない男が放った咆哮が、紅雷の魔術結合を破壊。

 強制的に元の姿に回帰させられたクレイが、音の刃を超至近距離で浴びて全身を引き裂かれる。先刻のオズワルド同様、四肢の消失と内臓に深刻な損傷を受け、握られていた二つのラディオンが落ちていく。

 驚愕すべき動体視力を以て、仕掛けに気付いたシャンドルは、急減速して落ち行く紅槍を破壊にかかる。凶角が狙い通り穿つ寸前、槍の片方からオズワルドの声が響く。

「気付いたか。だが遅い。夢幻踊影……『紅雷崩撃・第一階位ミストラル』ッ!」

 声を発した槍が溶け落ち、再誕を果たした紅雷がシャンドルの心臓を穿ち、焼き、蒸発させて彼の身体を通過。

 地を震わせる轟音を奏でながら天へ駆け、灰に染めていた雲を撃ち抜き、陽光の道筋を切り開いて消えた。

 辛うじて四肢を再生させたが、戦闘続行不可能に陥ったクレイの前に、心臓があった場所を中心に、炭で円を描いたシャンドルが立っていた。


「俺は……間違っていない」


 心臓を喪失したにも関わらず、爛れ切った声が発せられる。最早生命力は残されておらず、これは彼の執念が絞り出している残滓だ。

「俺は……生まれてから今まで、この道が正しいと、独立を守る為に生きてきた。こんな、結末など……」

「だからって、ゲリラ戦やテロを仕掛けて良い理屈にはならねぇよ。それこそ、お前等の国を汚すことになる」

「無辜の人間を殺すことが悪。確かにそうだ、だが大国は、正義を掲げて我等の平穏を、文化を、正義を破壊し、都合の良い部分を喰らって後は捨てる。……だから俺は、俺達は戦う」

 うわ言のように、男は呟く。

「……俺の、仲間の選んだ道は、正しい、ん、だ」

 そこが限界だった。

 白濁した目から光が去り、身体が糸の切れた人形同然に脱力して膝が折れる。数年に渡りアークスに抵抗し続けた男は頽れ、二度と動かなくなった。

 目的達成どころか、拍手喝采を浴びるであろう功績を打ち立ててしまった事実よりも、男が最後に残した言葉に撃たれ、立ち尽くすクレイは、自分の頭上に影が差したことで我に返る。

「……あ」

「避けろッ!」

 鈍い激突、目の前に流星群。

『紅雷崩撃・第一階位』によって雷に転じ、シャンドルを撃破して落ちてきたオズワルドと頭同士を激突させ、お互い激痛で悶える。

「どうして言い出した側が回避を忘れているんだ……?」

「しゃーねーだろ、こっちも死にかけてたんだよ……」

 ひとしきり呻き、やがてそれが収まった頃。立ち上がった二人は視線を交錯させ、どちらからともなく相好を崩す。

「やれただろ?」

「分が悪過ぎる賭けだったがな。でも、そのお陰でボクは生き残る事が出来た。感謝する……クレイ」

 少しだけ紅潮した顔を横に背け、本当に幽かな物だったが、自分を略称で呼んだ声を確かに捉えたクレイは、拳を突き出した。

「当たり前だろ、俺は天才だからな。……改めてよろしく頼むぜ、オズ」

「ああ!」

 拳同士が打ち合わされ、小気味の良い音が響く。

 抗い続けた男の、最期の言葉が気にならないと言えば嘘になるが、その懸念は同僚と真の意味で心が通い合った喜びの前に霞む。

 この瞬間クレイは、そしてオズは信頼という物を互いに対して抱いたのだった。 


                   ◆


「おーおーおー。イイ感じで終わったじゃねぇの。抜かなくて良かったな。オメ―が出たら、この辺一帯がマジで焦土になってたろうしな」

「彼らならあのように着地すると信じていたさ。……飛び出したくてしょうがなかったけれど」

「戦いに囚われた阿呆、それこそが風切鈴羽だからな。まっ、ここで隠せてもいつかは……」

「その時はその時だ。戻ろう。彼らを迎える準備をしなければ」



 

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