4 氷舞士と『正義の味方』
「フリーダ君や、別に来なくても良かったんだぜ?」
「何を言っているんだい? ヒビキだけなら、×××××なベイリスの手管にあっさり引っ掛かるじゃないか。なに、保護者と思ってくれれば良いよ」
なかなか強烈な殺気を放つ友人に抱いた懸念を、ヒビキは珈琲で体内にしまい込む。感情という名の増幅剤で、砂糖を入れている筈なのに苦みだけが舌に残る。
呑気な会話を、後方でユカリ相手に繰り広げるアイリスの声もまた、彼に大きな不安を抱かせている。
ヒビキとフリーダ、そしてユカリとアイリスの現在地は、首都ハレイドに程近い都市、アガンスの喫茶店だった。
無論、彼らが態々遠出したのには理由がある。
鍛錬を終え家に戻るなり、「アイリス・シルベストロの事を始め、少し話がしたい」と記され、アガンスまでの『
準備をしていたところ、運悪くライラを探しにきたフリーダと出くわして会う相手がバレ、彼の同行が決定したのが昨日。そして今に至る。
いつも抑えに回っているフリーダが、こうして爛々と殺意を撒き散らしているのは、手紙の出し主に原因があるのは最早思考の余地はない。
「溜め息吐くと幸せが逃げますよ?」
「……安心しろ、人並みの幸せなんざ期待したことはねぇよ」
「ふにゅっ!」
後ろの座席から上半身を乗り出す、スターとしては些か行儀の悪い姿勢で迷信を吐いてくるアイリスの柔らかい頬を、伸ばした左手の指で挟んで黙らせる。
熱狂的なファンがいれば、八つ裂きにされかねない不躾な行為だが、今の彼にとって彼女への振る舞いなど些事だ。
「そう言えば、ベイリスさんはどうして私まで指定したんだろう? ヒビキ君はともかく、私は戦う力なんてないのに」
「噂の異邦人を見てみたかったのが一つ。そして、アイリスさんの発見者は知る権利を持つと判断したのが一つだ」
両の頬を挟まれ、脱出しようと全身をばたつかせるアイリスを、苦笑して眺めながら発したユカリの疑問に新しい声が答え、全員がそちらに視線を向ける。
「すまない。遅れたな」
落ち着いた声で謝罪の言葉を発した男は、大陸北部のフィニマ人らしい色素の薄い白磁の肌と、ヒビキ達が知る元四天王と趣の違う金髪が周囲の目を引き付け、翡翠色の瞳には深い知性を宿している。
――女王国のアーケット社製のスーツか。良いモン着てるなぁ。高い服着てても嫌味になんない辺りが、人としての格ってヤツなのかね。
場に直接必要無い思考を回す事で、強引に余裕を産むという手法をヒビキが試みている内に、男は柔和な笑みを浮かべて初対面であるユカリに名乗る。
「突然手紙をお渡しし、更にお呼び立てして申し訳なく思う。私がマルク・ペレルヴォ・ベイリスだ」
「お、大嶺ゆかりです。良いですよ、そんなにかしこまらなくても」
「アイリスさんを救ってくれた方に、不躾に振る舞う訳には……」
「それで、一体何の用だい?」
会話に割り込む形でフリーダが冷ややかな声を投げるが、特段気にした素振りを見せずに、ベイリスは笑ってこちらに向き直る。
「久しいな。ヒビキ、フリーダ。ヒルベリアの枠には収まらない活躍をしていると聞いている。『ディアブロ』打倒など、私でも厳しい戦いだが、力を付けたようだな」
「負けに限りなく等しい引き分けだ。そこんとこ間違えんな」
ヒビキはどうにか言葉を返したが、皮肉の類が一切感じられない心からの敬意がこもった言葉にフリーダは勢いを削がれ、奇妙な表情を浮かべて硬直する。
緊張の空気が少し緩んだ所で、ベイリスは場にいる者全員が座れる席に四人を誘導し、自らの隣にアイリスを、対面に三人が着席した事を確認してから口火を切った。
「単刀直入に行こう。君達に仕事を依頼したい」
予想していたが本当に言われると違和感しか覚えない。抱える感情はそれぞれ違えど、同じように硬直した三人と呑気に紅茶の杯を傾けているアイリスを見回し、ベイリスは言葉を続ける。
「アイリス・シルベストロ女史のアガンスでの公演が、十日後に迫っている事は知っている筈だ。我がベイリス特殊事務所も、警察や彼女の所属会社からの依頼で護衛の仕事を受けた。だが、市街地での敵性生物の出没と『正義の味方』の噂。更にアークス国内で『生ける戦争』の目撃情報が出た為に大半が出払い、この町では人員が不足しているのが現状だ」
「……『生ける戦争』って、ヴェネーノか?」
ベイリスの重い首肯に、ヒビキ、そしてフリーダの表情が曇る。
上二つはともかく、最後の一つは国内という漠然とした括りの目撃情報で人員の殆どを使うとは、過剰反応ともとれる。
ユカリやアイリスは常識に基づいた疑問の表情を浮かべるが、対象が『生ける戦争』でなければ彼女達の反応が正しい。
たった一人で大国同士の戦争を上回る被害と殺戮を齎し、同族であり、闘争に身を投じる事を是とするドラケルン人からも討伐令が出されているのが、『生ける戦争』ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスなのだ。
彼の目撃情報が出たのなら、人々からの信頼を勝ち得、多くの人員を抱えるベイリスの事務所は当然調査に赴く上、公的機関もそちらに注力するのは間違いない。
となると、人手不足も真実と見るのが妥当で、お鉢が回るのも特段おかしい話ではないと、ヒビキは内心で結論付ける。
「アンタなら報酬は弾んでくれるから、可能なら俺は受けたい。けど、ヒルベリアからアガンスまで一々往復すんのは時間のロスが大きい。『転瞬位』を使うにしても、移動中にアイリスがどうにかなったら受ける意味がない」
「私が所有する住宅が幾つかある。拠点については安心してくれ」
懸念は一つ解消されるが、ヒビキは更に言葉を次ぐ。
己の失策で生じた事象への責を負う覚悟はあっても、ベイリスの側に元から存在している穴を衝かれて生じる事に対してまで負うつもりは無い。
そんな意思表示に、恐らく相手は気付いているだろうと思いながら。
「幾ら人員が不足してるつったって、俺たち二人とアンタしかいないなら、常識的に判断すりゃアイリスの会社や公的機関との交渉でアンタが消える。結局俺とフリーダだけになるなら、守りようがないし犬死にするだけだ。他に人員は……」
「ラリー・フォー!!」
「!?」
天井の通気口から弾丸が放たれ、ヒビキの頭部に直撃した後、勢いを活用して方向転換を果たしてテーブルの上に着弾を果たす。
視界に星を、目尻に涙を浮かべてテーブルに着弾した弾丸、いやヒトの方にヒビキは視線を向ける。すると、そこには猫がいた。
厳密に言えば、やたらと露出の多い服を纏い、猫の耳が頭頂部についているヒト族の少女が、テーブルの上に立っていた。
「所長! イカした登場でしたでしょ!? 何点ですか!?」
「他人に迷惑をかけたから零点だな。テーブルの上に乗るマナー違反を犯したから、マイナス点だ」
「うひゃっ! 所長厳しい!」
何やら三文芝居を繰り広げ始めた猫耳少女の全身を眺め、ヒビキは少女の名を記憶の海から探り出す。
――ルーチェ・イャンノーネだったっけな。年は俺達より二つ上らしいが、ベイリスの秘蔵っ子とか言われてたな。アテには出来る……?
ふと、ルーチェから視線を向けられている事に気づき、ヒビキは何か粗相があったのかと考え、身を固くする。フリーダも彼の挙動に勘付いて、テーブルの下でこっそりとクレストを装着した右腕に力を込め――
――いや、それは止めとけよ。
――合法的に敵を葬るチャンスじゃないか。躊躇するなんてヒビキらしくない。
――敵じゃねえだろ!
目だけで間抜けなやり取りを二人が繰り広げていると、猫耳娘がこちらに飛びかかってくる。友人の主張が正解だったかと、スピカに手をかけたヒビキは、次の瞬間目を丸くする。
「女の子! しかも黒髪! さらに細い! いやっほう!」
「きゃっ!」
跳躍したルーチェは、ヒビキの左隣に座していたユカリに抱きつき、目を白黒させている彼女に対して猛烈な勢いでスキンシップを開始する。
「ああ~やっぱり女の子っていいよね貴女東方の人でしょう?私には分かるから答えは求めないここで出会ったのも定めだから今晩――」
「ちょっと待って! 落ち着いて! ヒビキ君助け――」
「……話を続けてくれ」
「ヒビキ君!?」
負傷することは絶対に有り得ないだろうし、社会的地位の高い集団に所属するルーチェが致命的な過ちを起こす可能性は低い。何より、彼女を制止にかかれば何か悪夢を見せられそうだ、との予感。
これらの要素から考えて、さっさと話を進めるべきだと、合理的かつ薄情な思考の結果、ヒビキはこの瞬間だけユカリを見捨てる決断を下す。
「後で謝罪はさせる」と、見慣れているのであろう身内の奇行にゲンナリとした視線を向けた後、ベイリスは言葉を継いでいく。
「部隊長級ではルーチェともう一人、ストルニーも残している。二人の下にいる隊員が合わせて三十二人。私も加えれば三十三人、この件に関して使える。護衛にしては大袈裟かもしれないが、な」
「アイリスになんかあったら、間違いなくアンタの事務所に災厄が降りかかる。どれだけやっても大袈裟にはならねぇだろ」
「え? 私そんな物騒なむごごご……」
「アンタじゃない。狂信的なファンが、だ」
再び頬を摘んでアイリスを黙らせ、ユカリとルーチェの揉み合いの喧騒を左手に聞きつつ、ヒビキは思案する。
ストルニーとは、キノーグ人の戦士ストルニー・バスタルドを指す。
ベイリスには及ばないものの、岩竜「ガルロカッサス」を始めとして、多数の敵性生物を単独討伐している腕利きと、彼の指揮する戦士がいるなら想定より遙かに負担は減じる。
そしてここが一番重要なのだが、ベイリスの事務所は非常に業績が良い。
発足してからここまで常に右肩上がりで、既に政府とコネクションも出来ていると専らの噂となっている。アイリスの所属する会社が、護衛の依頼を出したのもその点が大きい筈。
となると、これはかなり美味しい仕事だ。
貨幣経済が魂の底にまで刻まれ、尚且つ借金で首が回らない状況のヒビキは、魂の端の端の端に有った筈の、戦士の誇りなどドブに捨てた方向に走っていく。
「乗った。この依頼、俺は受ける」
フリーダの驚愕と非難が混じり合った視線を受けつつも、ヒビキは宣言してベイリスに左手を伸ばし、慌てて引っ込める。
包帯を隙間なく巻きつけ、更に手袋で覆っていても義手の右手を、衆人の目がある環境で晒す事への躊躇いが反射的に働いた事による行動だったが、社会人の行動としては失格だ。
「気にしないでくれ。君の身体についてはカルス氏から聞いている。今は、君が依頼を受けてくれた事を只々嬉しく思うよ。そしてフリーダ、君はどうする?」
「……」
沈黙を続けていたフリーダは、自らを主とした言葉が向けられても、沈黙を保つ。
相手がベイリスでなければ、彼もこのような葛藤を見せなかった。
他人の心を読めない凡庸な存在のヒビキでも、それぐらいは分かっている為に背中を押す、手を引いて退かせる。どちらも行わずに、友人の言葉を待った。
まさしく猫のようにじゃれついていたルーチェが悪ふざけを止め、危機感が欠落した振る舞いを続けていたアイリスが凝視するほどに、長い時間を沈黙で消費した後、フリーダは喉の奥から掠れた声を絞り出す。
「…………受けます。この依頼、僕も受ける」
「そうか、よろしく頼むぞ」
固い表情のフリーダと、何やら思うところがありそうなベイリスの握手を見つめるヒビキは、この仕事が条件からの推測通り易い物であって欲しいと、心の底から願った。
◆
「ここが君達に滞在してもらうナスぺス区画だな。この辺りは住宅街だから、騒ぎは起こさないようにしてくれよ?」
「量販店も沢山あるから、買い出しとかで遠出はしなくても良いよ。用があれば私はいつでも」
「客人が引くから其の辺りにしといてやれ。どうせお前の狙いはユカリさんだろう」
ベイリスと歌姫は公演の打ち合わせがあると、歌姫の所属会社に向かい、残った三人はアガンスにおける拠点への案内を受けていた。
ルーチェに加えてもう一人、これまたベイリスの部下に当たるコビー・ハイファクスなる中年男が案内人となり、三人は仮の住処に向かっていた。
「しかしアレだな。首都に隣接している街とはいえ、この街は綺麗だな」
周囲を見渡した後、中央部からここナスペス通りまでを歩いて抱いた、素直な感想をヒビキは漏らし、彼が何の気なしに視線を向けたユカリも、遠慮がちながら彼の意見に首肯する。
発動車が行き来可能な太い道路が整備され、建造物はどれも大がかりな作業を用いて建てられた最新式。道行く人々も整った服に身を包み、活力に満ちている。何を見ても、ヒルベリアとはかけ離れた平和な光景。
ふと視線を前に戻すと、案内人二人が妙に誇らしげな表情をこちらへ向けてきている事に、ヒビキは気付く。
――この街を守ってるって自負か。
二人の後ろについて歩いていると、彼らが街行く人々から親し気な挨拶や、激励の言葉を受る光景を何度も目にした。力に対しての諂いや畏れの感情の無い、純粋な言葉だ。
ごく狭い一個人の交友関係の外から好意を抱かれ、何かを守ることに対して、守る側の仕事をする者がそのような感情を抱けることには、皮肉抜きに羨望を抱かざるを得ない。
単なる戦闘能力しか持たない輩、即ちヒビキの様な存在は、力を重視する組織である筈の軍隊や警察の強行部隊では必要とされない。
となると、民間で敵性生物を狩ったり、護衛を行う仕事に活路を求める他ないのだが、それもなかなか厳しい。
『塵喰い』と誹りを受けるヒビキとフリーダの身分は、落伍者としてはまだマシな部類で、大抵はロクデナシの使い走りとして消費されて一生を終える。
眼前の二人がどのような身分だったかは知らないが、現在の彼らは間違いなく自分が持っていない物を持っている。そこに、ヒビキは多少の羨望の感情を抱く。
「……どのような立ち位置でも、ベイリスの下に入ることだけはゴメンだと、僕は思うけどね」
ここまで沈黙を守り通していたフリーダが、ヒビキの感情を読み取ったかのような言葉を放る。
流石にこれは不味いと判断を下し、何か一気に方向が変わる話題は無いかとヒビキは探るが、そのような機転の求められる行為は彼が最も不得手な物で、上手い言葉が出てこない。
気まずい時間が流れようとした時、横から助け船が入った。
「そう言えば、この街には生き物? の石像がいたるところに置かれていたけれど、あれは何か意味があるんですか?」
異邦人ユカリの助け船兼純粋な疑問に、ヒビキは内心で拳を握る。
目にいかがわしいマークを灯したルーチェがユカリに飛びつき、妙に艶めかしい声で言葉を紡ぐ。
「ユカリちゃんが言うなら、遠慮なく教えたげる! まずは……」
「まだ昼だ、落ち着け」
「夜でも駄目ですよ! 発想がおかしく無いですか!?」
顔を真っ赤にして抗議の言葉を発したユカリを放って、コビーが笑いながら解説を始める。
「この街は嘗て『エトランゼ』が侵攻してきた時の防衛拠点だった。それに、入口が安定していないが地下空間も存在している。だから万が一新たな侵攻が起きれば、ここが拠点とするだろうから、街の防護壁を竜の甲殻で強化したり、他に比べると警官の武装も整っているんだ」
「あちこちに置かれている石像とかは『五柱図録』に則って配置した、エトランゼを模した奴。警戒を忘れるなーとかそんな意味だったと思うけど、はっきり覚えてないにゃー」
「北がメガセラウスで南はセマルヴェルグ。東のギガノテュラスに、西のカラムロックス。そして、中央のアルベティートだ。ルーチェが言っているような意味もあるけれど、今は単なる場所の確認程度の役割だねぇ」
快活に二人は笑い、ユカリもそれに釣られて笑う。その様子を見ても変わらぬ硬い表情のフリーダを見て、ヒビキは三人に断りを入れ、友人と共にビルの裏に消える。
髪の色と同じ、茶の瞳を真っ直ぐに見つめ――られはしなかったが、ヒビキは問うべきことを問うていく。
「……大丈夫か? 今からでも断っても良いんだぞ?」
「僕も君と同じように借金があるからね。受けない道理はないさ」
「そりゃそうだけど……ベイリスを前にして、ヘディトの事がぶり返して冷静さを欠くなら降りた方が――」
反射で首を横に傾け、無造作に放たれたフリーダの拳を躱す。
壁に拳がめり込んだ事には特段の反応を見せず、フリーダはぎこちない笑みを浮かべて口を開く。
「あの事はもう引き摺ってなんかいないさ。ヒビキは心配し過ぎだよ。……戻ろう、皆が心配するからね」
踵を返して、フリーダは三人の元に戻っていく。
「あからさま過ぎる態度を取ってる事に気付けない時点で、引き摺ってるって言うんだろうけどな。……まだ二年だっけな、忘れるのはそりゃ無理だろうけど」
取り残されたヒビキは、他者に捕捉されない小声でぼやく。
単に護衛を完遂して、話が終わる事はどうにもなさそうだ、との予感を抱いて歩き出した彼の目は、三人の死角に位置するビルに吸い寄せられる。
フリーダも同様に硬直している時点で、錯覚の線は消えた。
ビルの壁面から強大な魔力を伴った黒煙が噴き上がり、空へ昇らずに一か所で留まって、巨大な物体を形成しつつある様は、明らかに日常の領域から外れている。
一瞬襲ってきた呪縛を振り払い、走り出したヒビキは、ありったけの声を絞り出して叫ぶ。
「―――離れるんだッ!!」
怪訝な顔をしてヒビキの視線の先、即ち背後を振り返った三人の表情が凍り付く。
煙は瞬く間に固体に変化し、無骨な頭部を、命を刈り取るには十分過ぎる太い前肢を形作り、それが豪風を伴い振るわれる。
「へっ?」
「コビー!」
前肢が通過した時、回避が遅れたコビーの身長は半分になり、奇妙な形で血を噴き出して痙攣した後、酩酊状態のような挙動で地面に崩れ落ちた。
鮮血の飛沫と、攪拌されて只の肉塊と化したコビーの上半身を浴びたユカリの悲鳴と共に、固体となった存在が全貌を現わし、残る三人の表情が歪む。
「ギガノテュラスの模倣品ってところか。……ルーチェさんよ、一応聞いておくが、これはアンタ等の仕掛けたドッキリでも、この街特有の防衛手段でも無いよな?」
「ヒビキ君のお住まいでは、仲間を殺すドッキリがあるのかな~?」
口調こそふざけているが、十本の指に鉤爪を装備し、姿勢を低くしたルーチェからは隠しようのない怒気が満ちている。
即ち、この存在は日常の存在ではなく――
「叩き潰すべき存在ってことか。……行こうッ!」
フリーダの叫びに応じ、三人と地竜が始動。
爪に引っ掛かっていたコビーの残りカスを撒き散らして振られる、成人男性の太腿並みの太さを持つ腕を三者三様の方向へ回避。
着弾箇所の混凝土が無惨に砕け散る様に、背筋に寒い物を感じながらも、ヒビキは立ち上がってスピカを構え疾走。その頭上を、首に巻いた白い布をはためかせて赤と黒の獣が駆け抜ける。
「これが正解! 『
ルーチェの鉤爪の先端から炎の野獣が生まれ、彼女が両腕を振るうと同時に、各々の頭部が地竜の頑健な身体に喰らい付き、黒い粘性の物体が道路に落下して不快な臭気を漂わせる。
炎の獣に肉体を貪られ、地竜は苦痛に身を捩る。
同時に尾が出鱈目に振られ、接近しつつあったフリーダは後退を余儀なくされるが、ヒビキは偶然タイミングがかみ合い、尾を踏み台にして飛翔。
とあるビルの屋上に設けられた、自殺防止用のフェンスを真逆の目的で活用して、落下速度を増幅。
――ここは市街地だ。チンタラやってる暇は無いッ!
落下しながらヒビキは判断を下し、左眼を蒼く染めて身体を強く捻り上げ、ルーチェが作った傷口に必殺の剣技を放つ体勢に移行。
出し惜しみなど、この場では一切不要だ。
「『
「ヒビキ君逃げてっ!」
後方からのユカリの叫びで集中を切ったヒビキは、地竜の背中から大量の武器が射出されて、自らを串刺しにすべく迫っている光景に瞠目する。
『
「――
甲高い咆哮と共にスピカを水平に振り抜き、迫っていた得物共は軋みを上げて両断され、軌道が変化する。僅かに生まれた隙間から武器の雨を抜け、ヒビキは道路に着地。少量の掠り傷が刻まれたが、死より遙かに上等な結果に安堵の溜め息を吐く。
同時にフリーダの放った『
「あの武器は一体何なんだ? いきなり顕れたんだが」
「ギガノテュラスは、倒したヒト族の武器を甲殻に纏うって噂があるから、それのオマージュじゃない?」
「……ルーチェが作った傷口から吐き出された辺り、防御機能として使っているんだろうね」
「となると、ちぃとばかし不味いかな~?」
鉤爪を構え直し、いつでも動ける体勢に移行しながらも始動しないルーチェの見解に、二人は沈黙を以て同意する。
一撃で倒しきるだけの技が有るかと問われれば、この場の三人には有る。
音と震動で、こちらに向けて顔を覗かせたり、逃走を始めたりしている民間人の存在と、建造物を派手に巻き込み過ぎるのは、幾ら正当な目的の為でも不味いとの良識が、大技の発動を妨げる。
「お二人さんお二人さん、どんな技が使える?」
「効き目ありそうな物に絞れば単純に斬る、撃つぐらいだ」
「僕は土を主体とした物ぐらいです。……大技はあるけれど、あのサイズ相手にやるのは無理だ」
「となると、外傷でドーン! は無理だね~。……二人は飛べる?」
地竜の攻撃をいなしながら首の横振りと、『
「じゃユカリちゃんはどう? 出来る?」
「何かアンタが言うと妙ないかがわしさがあるな……」
ぼそりと呟いて蹴りを貰ったヒビキは、再びの突撃する。
ルーチェに策があるのは良いが、いつまでも来た攻撃を受け流すだけでは、相手が移動する畏れがある以上、こちらも動かねばならない。
颶風と化したヒビキを、地竜の濁った眼が捉える。
口腔内部から燐光が漏れ出し、一拍置いて照射。
『
が、ヒビキは相手が魔力を口に溜めている段階で横に飛び、射程から自身を外していた。
魔術の反動でもたつく地竜の側方に回り込み、ヒビキは音速に迫る斬撃を放つ。
通常の生物以上の強度がある筈の右足をスピカが奔り抜け、只の物と化して吹き飛び、粘液をばら撒きながら巨体が傾ぐ。
防御反応で飛来する武器を蒼の異刃を掲げて凌ぎつつ、敵の隙を伺うヒビキの眼前をフリーダが駆ける。
飛び交う剣や槍を巧みにすり抜ける彼が狙うは、未だ健在の左足。
「――
裂帛と共に放たれる右ストレートが膝の骨を砕いて貫通。
そのまま抜くのではなく、フリーダは貫通した腕を引き戻し、地竜の内部に拳を押し込んだ状態で『
――――オオオオオオオオオオォ。
足を破壊された結果、自重を支え切れなくなった地竜は、重苦しく、悲痛な咆哮を上げて地面に崩れ落ちる。
しかし、地獄はまだ終わらない。
「うっひょーい! ユカリちゃんに抱かれてるぅ。これは
「あ、あの! ルーチェさん落ち着いて……」
「さっさと動けクソ猫ッ!」
『
「ロマンが分からない人は嫌いよ? まっ、チャチャっと終わらせるかぁっ!」
ユカリから離脱し、空を落ちて行くルーチェの両の手に複雑な図面が描かれた後、彼女の眼前に砲台が顕現する。
「『
名前を聞いた途端、ヒビキとフリーダは顔色を変え飛び退る。
同時に砲口から毒々しい原色の液体が放たれ、二人の回避を無に帰させる正確さで地竜の口内に流入。十秒も待たずに地竜の動きが目に見えて狂い出し、『矢蛙萎毒砲』の威力を、二人は特等席で見学する事となった。
熱帯に生息するヤドクガエルの持つ毒は、極々微量でも、触れただけでヒト族の大人を殺害せしめる強い毒性を持つ。
ルーチェが放った液体はその毒だけで構成された物であり、体内に直接流入すれば、魔力で形成された地竜であったとしても、構造が生物と同一なら致命傷になる。
全身を激しく痙攣させ、地竜は不快な苦鳴を周囲に撒き散らす。
だが、まだ命の火は灯っており、トドメをさすべく身構えた二人だったが、彼らが始動するよりも速く、ビルを跳ねまわりながら落下していくルーチェは、終幕の一撃を放とうとしていた。
「冥土の土産をお一つどうぞ! 『
今なお反撃の構えを見せる敵に対し、すれ違い様に十の鉤爪が振るわれる。
転瞬、巨体に十の直線が刻まれ、地竜は身体の構成を維持出来なくなって只の粘液塊と化し、崩壊していく。
「……すげぇ」
『
系統が全く異なる魔術を難なく、しかも高精度で使いこなし、尚且つ体捌きと武器による攻撃も超一流。ヒビキも速度にはある程度自信があったが、最高速はともかく初動からの加速は完全に上回られている。
これが部隊長級ならば、数々の武功を打ち立てて、人々から尊敬の目で見られるのも当然の話だ。ショックに打ちのめされながらユカリを下ろすと、朗らかな声がかけられる。
「お疲れー。三人とも強いね!」
悪意なき褒め言葉なのだが、実力を見せ付けられた後では素直には受け取れない。
嘆息しながら、ヒビキは左腕を――
「―――誰だッ!?」
降ろしかけた所で振り返り、とあるビルの屋上にスピカの切っ先を向ける。
その先には何の姿もなく、当然ながら三人は怪訝な目を向ける。
誰かが疑問を発するより先に、無機質な拍手の音と錆びた声が届いた。
「見事だ。必要であったのは一人でも、目撃者を出さぬよう纏めて死んでもらう予定がご破算だ」
陽炎が突如発生し、歪んだ空間から人影が這い出して来る。
各所に獅子の鬣に似た物体で装飾が施された紅の板金鎧を全身に纏い、頭部には奇怪な前衛芸術の造詣の兜を身に付けた人影は、緊張を走らせる四人に対して、両手を広げて名乗る。
「初めまして、だな。私の名は君達の付けた呼称では『情動の赤』、真の名をペリダスと言う」
「……近頃出没している『正義の味方』ってことね」
「正義と冠して戴けるのは光栄だ」
ルーチェが軽い口調でやり取りを交わしているが、ヒビキは意識が恐怖に呑まれるのを堪えるのが精一杯。あまりにも、眼前の鎧男の持つ肩書きが異常過ぎるのだ。
単純に言ってしまうと、ペリダスの様な存在は、ユカリと同じ異邦人と考えられている。
しかし『正義の味方』とは、この世界の住民に明確な敵意と強力な力を持ち、自らの種が住みよい物に、この世界を強引に転じさせようと試みる者に冠される。眼前のペリダスも、地竜擬きを遥かに超えた力を持っている。故に動けないヒビキ達を放って、会話は継続する。
「貴方は、近頃各地で討伐された連中の頭目ってことで理解して良いかしら?」
「その認識で結構だ」
「なら、ここに現れた目的は何? 場合によっては、プレゼントを送ったげる」
獰猛な笑みを浮かべて、ルーチェが鉤爪を装備した両腕を構え、臨戦体勢に移行するが、ペリダスは余裕の姿勢を崩さず笑う。
「今日は挨拶だけだ。この街に滞在している歌姫とやらを、頂戴させて貰うべくやって来たのだよ。先日は邪魔が入ったが、今度は確実に戴く。その為に、この街での準備も進行させているのだからな」
やはり、アイリスの襲撃者は別にいた。
思わぬ形で答え合わせが為され、凍り付きかけた時間を動かしたのは、ペリダスと同質の存在であるユカリだった。
「……準備って、一体何をするつもりですか?」
嘲弄の色を浮かべてユカリを見たペリダスが、次の瞬間明白な驚きの感情を見せ沈黙。四人を一度ずつ、ヒビキとユカリを二度見つめた後、聞く者の恐怖を煽る笑声を吐き出した。
「同類と出会えるとは何たる奇跡! 良いだろう、少しばかり提示しようではないか! 大願を果たすべく、君達の世界の歴史的事実に基づいて私は狩りをする。……これだけの提示でも、君達が賢明であるならば分かる筈だ! 無論、たった今君達が対峙した出来損ないも、その一つだ!」
「なら、今この場で死んでもらおっか♪」
合図となったルーチェの声が空間に溶け切るよりも速く、ユカリ以外の三人が跳躍して各々の得物をペリダスに向けて振るう。
硬質な物体が激突する金切声。手応えは三者皆感じた。だが、ダメージを与えられたかどうかの答えは否。
「私とて、君たちを舐めている訳ではない。備えはしているよ」
三人の攻撃は、ペリダスの持つ刀身が回転する奇妙な剣と彼の手で強制停止させられ、三人纏めて地面へ追放される。
受け身を失敗して背部を打ち付け、痛みを堪えながら上方を見たヒビキは、相手の武器が、本来の意味での武器でない事に気付き、表情に含まれた苦い物が濃くなる。
「……クシナート社の穿孔用ドリルかよ。それは武器とは言わねぇだろ」
「武器として振るえるなら、形は問わないのが私の流儀だよ。それに、武器屋より工事現場の方が入手しやすいだろう? また会おう! 先に宣言しておくが、私の辞書に手加減はない。仲間の悲しみを背負い、必ず悲願を達成してみせる!」
哄笑と共にペリダスの姿が掻き消え、後に残るのは破壊された街並みと、呆然と立ち尽くす四人のみ。
現状、分からない事が多過ぎる。
しかし、楽だと思っていた仕事が命懸けの死闘に書き換えられた事だけは現段階でも分かってしまい、ヒビキの内心は不安で塗り潰されていった。
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