5

  アガンスの西側、コプス地区に存在するのが「ベイリス特殊事務所」だ。

 周囲と同様に鉄筋コンクリート造りの六階建てビルの中、ある一室でヒビキは約一・二メクトルと小柄な獣人と対面して座していた。

 獣人、正確には「キノーグ人」の男ストルニー・バスタルドと共に、針が点々と打ち込まれた地図を睨んでやり取りを行っているが、表情から判断するに状況は芳しくない。

「この街で『エトランゼ』の模倣品が出没した点は、おおよそこのような配置です。四方に散らばっていますが、それ以外の法則性は感じられませんね」

「だな。今日俺たちが殺ったのは、カラムロックスの模倣品と考えて良いんだろうが、アンタはペリダスが何をしたいか分かるか?」

 キノーグ人の言葉が途切れ、ゆっくりと首が横に振られる。例え有能な戦士と言えど、考察材料が不足している現状では答えが出せない、ということか。

 革張りの椅子に、ヒビキは無遠慮に深く身を沈めて嘆息する。


 歴史的事実に基づいた狩り、歌姫たるアイリスを利用した大願の成就。


 不穏な言葉を残して消えたペリダスの影が、彼の中で確実に根を下ろしていた。

 ――昨日今日の連中の動きを見るに、生命を供物にしてるってのは間違いなさそうなんだがなぁ。ギガノテュラスが一人に殺られたから一人の命って理屈か? そうすると倒されなかった二頭が問題に……。

 彼の思考に付け加えると、今日ベイリスが単独で模倣品を狩った『覇海鮫』ことメガセラウスは、腕利きの魔術師五万人を世界中から掻き集めて大公海の一部を陸に変え、呼吸困難に陥らせてようやく倒した逸話が残っている。

 アガンスの人口的には五万人の殺戮が可能だろうが、再現は困難を極める為、仮説を否定せざるを得ず首を捻るヒビキを見て、キノーグ人の戦士は小さく笑う。

「どした?」

「いえ、所長から伝えられていた姿とかけ離れていると思いまして」

 予想外の返しを受けたヒビキは継ぐ言葉を失い、結果としてストルニーの語りを拝聴することとなる。

「力を振るうことを嫌い、他人と接触することも極力しない。私よりよほど氷に近い存在だとお聞きしていたので、一匹狼のような存在であると想像していたのですよ。ただ、根は良い子だから確実に協力してくれるとも言っていましたがね」

 ベイリスが完全にヒルベリアを離れたのは七年前。当時のヒビキは、その前の年に養父たるカルスが行方不明となり、食い扶持を稼ぐ必要に駆られた頃だ。

 余裕など無かったが、それ以上に言語を問題なく使用し、義手義足に適応して不自由なく生活が出来るようになった期間が、彼が居た頃には殆ど無かった。

 とすると、ベイリスからそのような印象を抱かれて当然だろうが、最後の言葉に妙なむず痒さを感じてしまい、ヒビキは首を振る。


「買い被りはやめてくれ。俺は良い子でも何でもない。今回の仕事だって、ベイリスなら金をしっかり払ってくれると判断したから受けただけだ」

「では、この場はそういう事にしておきましょう」

 二回り以上年齢が上のストルニー相手では、餓鬼の繰る理屈は空虚な物にしかならないと判断を下し、ヒビキはこの話題を打ち切って今後の行動を議題に上げ、自らのやるべき事をキノーグ人の戦士に確認。

「明日も、今日と同じように模倣品が出没次第狩れば良いのか?」

「問題ないかと。出没箇所や時間によって、相棒は変わる可能性がある点についてはご理解ください」

「ここなら誰だろうと、俺より強い奴しかいねぇだろ。楽が出来て感謝してる」

「教育係として、お褒めに預かり光栄です」


 暫しやり取りを重ね、おおよその合意を得た所で「訓練の時間なので失礼します」と言ってストルニーが部屋を退室し、ヒビキも午後の仕事をベイリスから聞く為、彼と反対の方向へ歩き出す。

 質の良い絨毯が敷かれた床を、薄汚れたブーツで踏みつけることに多少なりとも罪悪感を感じながら所長室の前に立った時。聞き慣れた声の、聞き慣れない怒声を耳に捉え、ヒビキは咄嗟に壁に貼り付き内部の様子を伺う。

 が、防音構造になっているせいか詳細は聞き取れない。低俗な振る舞いだと理解しつつも『魔血人形アンリミテッド・ドール』の力を使って聞こうかと考えた瞬間、所長室のドアが乱暴に開かれる。

 推測通り、茶色の髪を持った幼馴染、フリーダ・ライツレが憤然とした様子で走っていく。

 開かれたドアの影に隠れるという、友人が平時の精神状態だった場合、確実にバレる行動をヒビキは選択したが、フリーダが冷静さを失していた事に救われた。

 彼の姿と気配が完全に消えたことを確認して溜め息を吐く。

「大体予想は付くけどなぁ――」

「何の予想?」

「そりゃぁ……⁉」

 右肩を叩かれながらの問いに答えようとしたヒビキは、此の場に自分以外誰もいなかったことに気付き、慌てて振り返る。

 背後には、露出の多い服を身に纏った猫耳娘が締まりのない笑顔で立っていた。


「何でいるんだ?」

「ん? 最初からいたよ。フリーダ君と組んで狩りに行って、報告終わって帰ろうとしたら、残ってたフリーダ君が所長と話を始めたから天井に貼り付いてた」

「天井って……」

「私、気配隠すの得意だからね~。ヒビキ君のが先輩だけど、方向性が違うから私もオンリーワンって訳だ」

 自分の方が先輩、の意味が分からずに問いを投げようとヒビキが口を開いた時――


「いるなら入ってくると良い」


 落ち着きを感じさせるが、同時に疲労も伺える声が室内から飛び、二人は顔を見合せて頷き合い所長室に足を踏み入れる。

 書棚と品の良い調度品が並び、床には足音が完全に消える、何らかの獣の絨毯と、法律事務所の類に近い雰囲気を持った部屋の応接椅子に、所長のベイリスは悠然と腰掛けていた。


「ヒビキ、今日も協力感謝する。報酬は既にヒルベリアに送ったよ」

「いやちょっと待て。一件ごとに報酬を受け取る契約はしてないぞ。それに、んな大判振る舞いしてたら事務所が持たねぇだろ?」


 借金塗れの身分故、金目当てで仕事を受けたといっても引くべき一線はあるし、そこまでされる程の働きはしていない。

 そんな考えに基づいて断ろうとしたヒビキに、ベイリスは彼らしからぬ力の無い笑みを向ける。

「この分は事務所の資金ではなく、私の資金から出している。気にせず感謝の気持ちだと思ってくれ」

「それってアンタの私財を受け取ってるってことだろが。余計……」

 ふと視線を眼前の氷舞士に向け、彼のネクタイの色が無地の黒であると気付く。

 どんな意味を持つのか。メガセラウスの模倣品の討伐以外に、午前中に彼が何をしてきたのか分からぬほどヒビキは非常識ではない。思わずベイリスから目を逸らし、頭を下げて声を絞り出す。


「すまん」


 思いつく限り理屈を捏ねまわした所で、コビー・ハイファクスを救えなかった事実から逃れられない。

 にも関わらず往生際悪く放った、逃避の意味以外を有しないヒビキの空虚な謝罪を、ベイリスは微笑と共に受ける。

「所員の死は全て私に責がある、ヒビキが気にする事ではない。コビーの死に対して思うところがあるなら、『正義の味方』の手から、アイリス氏や町を守る事にこれからも協力して貰いたい」

 余裕を持って振る舞う男の姿を見て、自らとの間にある埋めがたい器の差を感じ、ヒビキは力の無い首肯を返す。その様子を見かねたのかそうでないのか、聴衆の役割に徹していたルーチェが本題をぶつける。

「んで所長。フリーダ君と何を揉めてたの? あの子、所長に対してずーっと敵対的でしたけど、何かやらかしたとか?」

「そんなところだ。二年前、ユンゲルス一家なる団体を壊滅させたのは覚えているか?」

 名を聞いて顔を僅かに歪めたヒビキとは対照的に、「ああ、あのヤクで成り上がろうとしてたショボイ輩ね。一応覚えてる」と、ルーチェが軽い調子で同意を返してきた事を確認し、ベイリスは再び言葉を紡ぐ。

「薬物の流通・販売は使用や所持と比すれば遥かに重罪で、捕えて情報を絞り終えれば即刻殺害が許される。更に、ヘディト・ソマリオは組織の最下層だったが、流通に携わり、私と対峙した時点で既に警察官を数人殺害していた。法に基づいた行為だったが、友人のフリーダ・ライツレには受け入れられる事ではなかった」

 ヒビキにとってヘディト・ソマリオは、友人の友人と言った立ち位置であり、彼が犯罪組織の小間使いに落ち、そして殺害された事にある程度思うところがあっても、怒り狂うまでは至らない。

 客観的な視点を加えていくと、未成年の上に、組織に深く食い込んでいない存在だったとの擁護点も、他人を殺害し捕縛する側に武器を向けた時点で消える。

 故に、ベイリスの行動は法的にも道徳的にも正当な物だ。

 だが、奴の立場をフリーダやライラに置き換えれば、どれだけ法や状況が正当な物だったとしても、友人を目の前で殺害したベイリスに対し、強い負の感情を抱く筈。

 軽々しく、フリーダの言動を否定することも難しい

 故に、ヒビキはこの場でベイリスを断罪・肯定どちらも出来ず、押し黙るしかなかった。

「まーまーまー! 本人さんがいないとこで悩んでも仕方ないでしょ! ヒビキ君も所長も仕事をこなす! 本人さんと正面切って向き合ってこそ、こういうのはよくわかるもの!」

 義腕であるヒビキの右肩を激しく叩きながら、ルーチェが力強くそう宣言する。

 振り返ると、二つ年上の猫耳娘は金属で構成された部分ばかり触れていると気付き、その事実に少量の疑問を抱きながらも、ベイリスに対して必要事項を問うた。

「午後の仕事は?」

「アイリス氏の護衛だな。今日はこの時間まで鍛錬で、午後はこの街を散策するそうだ。午前中はルーカスとドノバンの二人が護衛に就いているが、午後は君一人になる。倒した筈の『正義の味方』の個体が復活しているようでな。彼らにも出て貰わねばならない状況になった。すまないが、頼む」

「……了解した」

「これ渡しとくから、何かあったら連絡してね。すぐに行くから!」

 ルーチェから放られた通信機を受け取って二人に軽く黙礼した後、ヒビキはアイリスのいる所へ向かうべく走り出した。


                 ◆


「……で、何でこうなってんの?」

「あはは……」

 練習場に向かったが既に出たとスタッフに告げられ、どこへ行くかの選択に窮したヒビキは、この街の中央部やや北寄りに存在する噴水広場へ歩を進める。

 世間的に休日だけあって人通りも多い場所、加えて対象が有名人たるアイリスなら、手当たり次第通行人に問えば、必ず答えが得られる。

 そんな打算に基づいた行動だったが、問いかけの労力は省かれたと、到着するなりヒビキは気付く。

「あ~押さないでください。サインも写真もお断りしませんから! でも、順番はきちんと守ってくださいね?」

 結構な大きさを誇っていた筈の噴水を、完全に覆い隠すだけの人混みの中心部から、相も変わらぬ緊張感の欠落した声が聞こえてくる。

 百人近くはいるであろう人混みを強引に突破してアイリスを連れ出す選択肢が一瞬ヒビキの頭を過る。

 護衛の任に就いている二人の男、銃士ドノバン・バルベルデと、高名な剣士ルーカス・アトキンソンが彼女の傍らにいる事と、下手に割り込めば余計な恨みを買う。

 この二つを理由に、狂熱が冷めるまで待っていても問題ないと判断し、割って入る選択を放棄。

 時間潰しも兼ねて、所在なさげに立っていたユカリに問いを投げた。

「ユカリは今まで何してたんだ?」

「所員の人とアイリスさんへの手紙を調べてたよ。『正義の味方』と裏で繋がっている人がいないか、だったかな。……有名人って大変なんだね」

「ああなるほど……」 

 歴史的事実に従ってどうこうとペリダスは語っていたが、強い言葉に相手の思考を拘泥させて、裏をかいてくる可能性も高い。

 加えてこちらの言語を解し、あれだけの行動が取れるのであれば、神の使いとでも名乗れば信じる輩も出るかもしれない。手駒を作ることは可能だろう。

 僅かに疲労の色が声に滲んだユカリに、ヒビキは心の底からの同情を抱く。


 人気が上がれども、いや人気と知名度が上がればこそ、妙な真似をして気を引こうとする輩とは生まれる。


 似たような仕事の経験があるフリーダ曰く、「単純な殺害予告や出し主が信じる宗教への勧誘。体液や排泄物の添付に性的な願望の暴露等々、手紙の数だけ異なる気持ち悪さがある」らしい。

 近年発達し始めた電子メッセージは除外した取り組み、そして金銭の発生している仕事とはいえ、単純な殺し合いよりも下手をすれば精神を削られる物に、ユカリに身を投じさせ続けるのは是認しがたい。

 どうすれば彼女の負担を減らせるか? 問いへの答えは、誰にでも分かる。

 ――さっさと引き摺りだして叩き潰す。これしかないな。

 ヒビキが自らに喝を入れていると、一通りの応対が終わった様子のアイリスが、長距離輸送業者に似たラフな装いに、口元を東方の虎が刻まれた防護布フェイススカーフで覆った白髪の男、ルーカスと共に歩いてくる。


「おまたせしました~。午後からよろしくお願いします!」


 ユカリに飛びついて何やら熱く話し始めたアイリスを他所に、ヒビキはルーカスと情報の交換を行う。と言っても襲撃の類が無かった様子の為、彼の問いに対して剣士が首で肯定否定を示すのみだったが。

 無言のまま手を振り去って行くルーカスの背で、白角馬ユニコーンを模した装飾が施された銀の鞘が輝く。

 ヒビキ達が使用する『転生器ダスト・マキーナ』やドラケルン人の数名が振るう『ケブレスの魔剣』、そして世界に存在する数多の業物と同程度、いやそれ以上に入手困難と伝えられる『純麗のユニコルス』の持ち主と対面した事実に、ヒビキは僅かに身を震わせるが、同時に疑問も抱く。 


「では行きましょうヒビキさん! 時間は有限です、止まらずゴーですよ!」


 疑問を解消する為、思考の海に没入するより先にアイリスに肩を叩かれ、ヒビキは二人の斜め後方の立ち位置について歩き始める。


「横に来ても良いんですよ?」

「流石に三人並んで歩くのは迷惑だろ、人通りも多いんだし」

「そんなに気を遣わなくても良いんじゃないかな?」

「いや、そういうつもりじゃないんだが……」

 

 気の弱い輩なら失神しかねない目線を、道行く男性一同から浴びせられていることに、標的となっているヒビキ以外は気付いていない。

 万人が認める美貌を持つクレイや、なんやかんやで人に好かれる容姿と物腰のフリーダなら、こんなことになっていなかったと内心で嘆きながら、ヒビキはアイリスに問う。


「で、今から何するんだ? 練習か?」

「夕方からまた少しやりますけど、今は違います。ご飯を食べた後、服を買いに行くんです!」

「服? 舞台衣装はもう準備が済んでいるんじゃないの?」

「私は専用の衣装を持っていないんです。基本的に、公演した街の店で買う事にしてるんですよ」

「……俺帰るわ。服屋とか絶対無理」

「護衛の仕事放り出したら駄目でしょ? ほら行きますよ!」


 華奢な身体の何処に力を内包していたのか、アイリスに襟首を引っ掴まれたヒビキはずるずると引き摺られていく。『魔血人形』の力を解放すれば逃げられるが、一応仕事をしているのだとの意識が働き、されるがままになる。


「フリーダに替わって貰えば良かったなぁ。それかほら、都合良くルーカスとかベイリスが助けにくるとか……あるわけないか」


 彼の嘆きを汲んでくれる者は、この場にいる筈もなかった。


                ◆


 その後適当な軽食屋で食事を取り、三人は何件かの服飾店を巡り、衣服を次々と購入していく。

 芸能人とは高い服を着るもの。そんなヒビキの凡庸な予測を裏切り、アイリスが選ぶ店は殆どが古着屋で、尚且つ妙にラフな服を進んで選択していた。

 「今度のアルバムの曲がメインですからねー」「あのアルバムがセトリになるんだ。今までとは印象が一気に変わるよね」「単に可愛いだけじゃ売れませんから、色々練習するのは大事です!」等々、前を行く二人の会話は盛り上がるが、音楽の知識が皆無に等しいヒビキは、黙したまま後ろを付いて行く他ない。

 ちなみに彼の両手には何の荷物もなく、代わりに歌姫の両手が購入した物を入れた袋で塞がっている。

 これではヒビキが只の最低野郎の構図だが、一応理由がある。

 「護衛が武器を振るえない状態なのは不味いでしょう?」とアイリスに言われた為にこういった構図なのだが、事情を知らぬ通行人からの視線が痛い。非常に痛い。


「……後何件ぐらい回るんだ?」

「大体買えましたから、もうこれで最後ですね。……まあこれが一番大事なんですけどね」

「?」


 そんな会話を行いながら入った最後の店は、木目調の床板に白い壁と住居の様な落ち着いた雰囲気を持ち、ヒビキには意図が理解出来ないが椅子や机が店内に設けられている。

 並んでいる服を眺めると、ファッションに疎いヒビキでも分かるほどに、今までアイリスが購入した服とは趣が異なっている。


「……ふっふっふ。機は熟したのですよ」

「な、何が?」


 目に妙な光を宿らせてそんな事を口にしたアイリスの、よく手入れされた右の人差し指がビシリと伸ばされる、ユカリの方へ向けて。


「ここに来た目的はたった一つ! ユカリさん、あなたの服を買う為ですよ!」

「……は?」

「えっ!? 私!?」

「ええそうです! ユカリさん、ずっとそんな実用性だけの格好してるのは、女の子として論外ですよ⁉」


 アイリスの指摘通りユカリの今の、いやアガンスに到着してからの装いは、いつでも戦闘に巻き込まれても問題がない暗緑色の戦闘服だけとなっている。

 ――つっても、危険性を考えればそれでいいんじゃねぇの? ルーチェがあんな格好してんのは、攻撃を受けない組み立てと実力があるから……。


「服装に合理性のみを求めるのは馬鹿のする事ですよヒビキさん! さっ、ユカリさん行きますよ!」


 内心を読んだのか、手痛い攻撃をヒビキに喰らわせた後、アイリスはユカリの手を引き、店員を巻き込んで何やら議論を始める。


「これとかどうでしょう⁉」

「それはちょっと……」

「ではこれは⁉」

「こ、こんなに露出が多いのは無理だよ⁉」


 喧々諤々の会話を行っているのを聞き、店員の向けてくる視線に耐えること数十分。本命? の一セットが決まったようで、二人は試着室へと向かう。

 その様子を見ていたヒビキは、アイリスの肩に手をかけて一度静止させる。


「――ちょっと待て」

「……?」

「急にどうしたんですか? ……まさか、ユカリさんの着替えを一緒に入って見るつもりですか⁉ 見損ないましたよヒビキさん!」 

ちげぇよッ! 試着室の中に敵やら『転瞬位トラノペイン』の発動式が無いか確認させろって話だ!」


 言われたせいで浮かび上がってきた前科の幻影を振り払いながら、ヒビキは『魔血人形アンリミテッド・ドール』の力を左目のみ発動。

 狭い室内と鏡、両方に特段の異常は見受けられず、すぐに検分は終了する。

 

 試着室にユカリと、なぜかアイリスも入り、扉が閉められる。

 ヒビキは大きく嘆息し、店内を見渡す。

 何故か妙に優しい視線を向けてくる女性店員達に対して、恐らく不格好な代物となっている愛想笑いを返した後、天を仰ぐ。

 彼にとって、服に金を使うという事は借金云々を抜きにしても縁遠い。

 今着ている服も、適当に購入して何度も修繕を重ねた代物だ。

 コートは似た意匠の物を何枚も購入しているが、先日の対『ディアブロ』で備蓄を全て失い、新しい物を買う必要が生まれたのは余談である。

 余談はさておき、対するユカリはどうだろうか。考えたところで、ヒビキの中である結論が出る。

 どうも彼女の元の世界は、反応と振る舞いから判断するにアガンスに近い物があるのだろう。そこから改めて考えれば、ヒルベリアの環境は相当に厳しいのではないか。彼女はヒルベリアにいる選択をしたが、だからと言って、こちらの習慣を何でもかんでも押し付けるのは辛い筈。

 

「……なるほど、アイリスが伝えたかったのは、幾ら貧乏だからといってユカリに対しての配慮を忘れずに、貧乏暮らしを出来るだけさせないように環境を改善していけってことか。良いとこあるな、アイツ」


 実際には大外れも良い所なのだが、納得の行く結論が出て、微妙にヒビキの意気が上がった所で扉が勢いよく開かれる。


「そぉい! 出来ましたよッ!」

「そっか。な、ら……」

 

 ヒビキの口が、言葉を紡ぐ最中の中途半端な所で固まる。


「どう、かな……? 元の世界でもこういうのは着ないから……」


 声と瞳と髪型は間違いなくユカリなのだが、全身を纏う雰囲気がかけ離れていた。

 膝辺りまでの装飾の少ない黒いワンピースという、彼女の体の線の細さがはっきりと分かる装い。靴も日頃履いている、底が金属の戦闘用の物から、社交界でよく身につけられているという、踵の高い靴に変わっていた。

 実用第一ではない服装の為か、無意識の内に纏っているのであろう、微量な緊張感の類が無くなって、やけに女性であるという事を意識させられる。

 

「ほらほらヒビキさん。折角ユカリさんがこんな格好をしてくれてるんですし、何か言ってあげましょうよ」

「……何かって何をだよ」

「そりゃもう、ユカリさんを見てどう思うか、です!」


 からかうようなアイリスと、のぼせたように顔を赤くしているユカリに見つめられ、ヒビキの思考は激しく混乱する。

 ――おやっさんが女を口説いて時みたく……って、そんなの出来る訳ないだろ!

 一人パニックに陥っている間に、アイリスに押された事で前進した、ユカリが眼前にまで接近し、逃げ場が完全に封じられる。

 こうなれば言うしかないと腹を括り、大きく息を吸い、彼と似たり寄ったりの赤い顔をしている異世界の少女を見る。


「……あのさ」

「……うん」

「……似合ってるし、可愛いと思う。それにまあアレだ、ユカリなら……」


 そこまで言った段階で、ガッツポーズをしているアイリスと、何故か母親のような温かい眼差しで彼を見ていた店員達の存在に気付き、ヒビキの中で限界が来た。

 僅かに表情を和らげたユカリから目を逸らし、踵を返して走り出す。


「もう無理! この恥ずかしすぎる状況、俺には無理だぁッ!」

「あっ、ちょっと待――」

「……ツンケンしている割に、耐性ないんですねぇ」


 店を飛び出たヒビキは、直後に偶然近くにいたベイリスと対面し、護衛を放棄するなとこっ酷く叱られて戻る羽目になった。

 それから後、ヒビキを見るアイリスの目が微妙に変わったのは、恐らく気のせいではない。


                 ◆


 アイリスさんは何でも似合うし、歌も楽器も上手いなぁ、なんて驚きっぱなしの一日でした。私が元々好きなジャンルとは大きく異なってますけれど、もし元の世界に彼女がいたら、ファンになってたんじゃないかなぁ。

 それに、買い物はとても楽しかったです。元の世界でワンピースなんか全然着ないけれど、ヒビキ君に可愛いって言ってもらえて嬉しかったです。

 ……ヒビキ君のあの表情も、今まで見た事ない表情で、可愛かったんですけどね。

 本人に言ったらまた動揺するでしょうから、これは私と、この手紙の中だけの秘密、ですね。

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