とある世界の断片:起源
本土決戦の足音が確実に忍び寄っている、とある町のとある夜。
目に映る構造物全てが、演者二人が一手を放つごとに破壊される悪夢の中で、『
川面から厖大な白霧が生まれる程の熱を抱える凜弥は、痛みに呻くことも無く跳ね起き、掲げた紅華で迫りくる直拳を凌ぐ。
鈍い音を裂いて、可愛らしい声が届く。
「どうしました? 俺如きに手こずるなんて、『紅の志士』らしくもない!」
拳と声を放った、性別の判断が極めて難しい少年。大嶺海里の可憐だが禍々しい笑顔に、凜弥は躊躇なく頭部を打ち下ろす。
ゴっ、と鈍い音が響いて彼自身の額から赤が散るが、それは敵も同じ。
衝撃で骨を砕かれ、曲がった鼻から血を噴き出し、たたらを踏んだ海里は次の手を放てない。だが、後退する間にも鼻は逆回しの映像のように再生。一方的に傷を負った結果を得た凜弥は舌打ち一つ。
曲芸染みた挙動で飛び出してきた短槍を捌き、すぐさま紅華を翻し応戦。得物と肉体が軋みを上げる演舞は、両者同時に距離を取った事で強制的に中断。
残響が響く夜の町で、一度距離を取った凜弥は肩で息をしながら正面に立つ海里を睨む。
頭部粉砕。心臓を握り潰す。上下左右に身体を分割。
ありとあらゆる『殺し方』を試しても、大嶺海里の肉体は一呼吸で再生が成される。当初存在していた彼我の力量差は、文字通り死んで覚えるを体現する海里の前には何の意味を持たなかった。
一方的に消耗するばかりの凜弥は、荒い息を吐きながら勝ち筋を探す。
幻想の世界に身を浸しながらも、体制に属するか野良犬で在るか、異なる選択を下した二人だが、決して道を譲るつもりがない点は同じ。
互いは互いを殺して、己の望みを掴まねばならない。
手から落としてしまえば、ここまで生き延びた意味など無い。
「終わりにしましょうか。紅の叛逆者さん」
「お前が終わる方だろう、大嶺海里」
海里が短槍を掲げ、凜弥が紅華を構える。
膨張する殺意と闘争心は、夜の町を震わせ、二人の姿を世界に焼き付けた。
◆
「――い、おいリンヤ。起きろ!」
低い男の声に、意識が急速に醒める。
大きく伸びをして、正視に耐えない異形の両腕を何度か回した凜弥は、半壊状態の小屋で油断なく小銃を構える金髪の共犯者を捉える。
「仕事中、いつ敵が来てもおかしくないのによく寝れるな」
「育ちが悪いからな……」
共犯者の、とある独裁者の国の元兵士、ではなくとある王国の武力諜報員クルト・ンバルテルズの言葉におざなりに応じた凜弥は、懐から鈍く輝く紅の石を取り出す。
夢で展開されていた戦いに勝利すべく奇策を用いた結果、紅華の刀身はほんの少し削られ、そこに大嶺海里の血液が大量に付着した。
直後に繰り広げられた幻想との一戦でも拭われなかったそれは、やがて形を変え小さな球体に転じた。質感は金属だが紅華と大きく異なるそれを、不気味に思わなかったと言えば嘘になる。
だが、球体を捨てる事は、本質的には近いところに立っていた少年の意思を捨てると同じ。
そんな感情を元に持ち続けている内に、球体は徐々に削られ、装飾品と主張しても差し支えない光を放つ紅の石に姿を変えた。
あり得ない現象の果てに生まれた石を茫と見つめる凜弥。彼の思考を読み取ったクルトは、銃を降ろして肩を竦める。
「まっ、敵さんも来なさそうだし下らねぇ話でもしようぜ。……リンヤ、最近のアカバナとお前の身体はどうよ」
「小細工で実戦レベルは保てているけど、出力自体は徐々に落ちてる。九年前みたいな仕掛けはもう無理だ」
九年前、人為的に生み出された幻想世界の住民との激突で、凜弥自身も己の血を燃料に幻想世界の力を手にし、自身の掲げた正義を遂げた。
祖国日本からの逃亡と、ある存在との別れが報酬になったものの、世界の常識から半歩飛び出す力の行使を、彼は一度も過ちだと思ったことはない。
彼の力を見たクルトに誘われて日本を脱し、世界に現れる同類を狩る仕事を得て九年。年を経るにつれ自身の力も、そして現れる同類の力も落ちている事には気付いている。
与えられる仕事がシフト、依頼主に敵対する国の人間を殺害といった類に転じれば、力尽くで降りると凜弥は明言している。何によって失ってきたのかを理解させる言葉だったが、意思云々の前に戦えなくなる不安も近頃は生まれていた。
「出力が落ちてる理屈は、只の人間の俺からすりゃよく分からん。けど、幻想世界の住民のような生物が減ってんのは、旅してりゃ分かる。……お前、もしかしてそういうのとお知り合いだったり?」
「馬鹿言うな。俺はこの惑星の日本で、人間の両親から生まれた。この力も特高に右腕を斬り落とされた……」
相手の問いを一笑に付さんとした凜弥の言葉が、不自然に途絶する。
――俺に紅華を託した相手は、そう言えば誰だった? 何故、あの国は幻想世界の住民を、人間を基盤に生み出す技術を得た?
異形の腕を生み出し、彼の感情に呼応して力を引き出す妖刀は、侍の時代に鍛えられ、過ぎた力を危険視されて歴史から抹消された。そして、凜弥の手に託された頃には上述の力を得ていた。
無論、妖刀と称される刀が全てそのような力を持つ筈もない。何らかの外的要因があるのだろうが、その答えは未だに不明。
日本に流されて完成し、凜弥の人生を大きく変えた人造生命の技術は、戦火が消えつつある現在に於いて、噂すら耳にしなくなった。造り出された命を御することさえ叶えば、大戦で疲弊した他国を出し抜いて覇権を獲れる技術を、全ての国々が放置するのは現実的ではない。
顔を歪める凜弥を他所に、男の声が淡々と続く。
「帝国さんの技術も、世界に現れる異形共も再現性が無い。リヴァイアサンの次は未だ生まれていないし、異形は一度殺せば二度と同種には出会わない。この九年間、一度もだ」
「種の保存の観点から見ると不自然だ。数頭じゃどう足掻こうと絶滅する」
「絶滅種は全部特殊能力持ちか? オーロックスは只の牛で、ニホンオオカミは只の狼。大体こんな感じのが多いよな?」
「……何が言いたい?」
ふざけているが、基本的に直截な物言いの共犯者の迂回した言葉。多湿による不快感が上乗せされた苛立ちよりも、不安が勝った凜弥は思考を重ねることなく相手に着地を促す。
「アカバナの力も、異形共も、ここじゃない何処かの代物なんじゃねぇのかな」
吐き出された答えに、呼吸が一瞬途絶する。
「……お前は他所の世界とやらを見たことがあるのか?」
「な訳あるか。俺だって地球人かつ、この場所以外自覚したこたねぇよ。けど、今まで戦った連中の姿は生態系に当て嵌まってない奴も多かった」
意思を持つ粘液塊に、奇怪な翼の生えた鰐。豹の俊敏性を誇る獅子や雷を放つ怪魚と言った連中の姿が脳裏に蘇る。
近しい部分もあるが、決定的な断絶を持つ彼等を同じ生物と断じるのは、学者でない凜弥達では極めて難しい。妄言と切り捨てるべきクルトの言葉が、妙に重みを持つのは、対峙した生物達の、彼等に致命傷を与える己の愛刀の異常さを再認識したからだ。
「仮に世界が複数あるとして、だ。だったら奴らはどうやって移動してきた?」
「そんなの俺が知るかよ。在り得ない現実が俺達の前にあって、そいつらの数が徐々に減ってきているのだけは確かだがな」
「俺達が生まれる前に異なる世界が繋がって流れ込んだ。で、今は供給が途絶えた。供給が途絶えた事で異形の数は減り、紅華の力も弱体化している。そんな感じか」
クルト・バルテルズが重々しく首肯し、凜弥は唇を噛む。
客観的に見ると、大の大人が繰り広げるにはあまりに非現実的な会話だ。素面の時に聴いていれば、両者大爆笑していたことだろう。
愛や希望や勇気が魔法を生み出すなど虚構の世界にしかなく、虚構が現実に代わる事など無い。それが絶対の真理だと、命をゴミのように扱われ、そして敵対者をそのように扱ってきた長波凜弥は理解している。
今までは脳裏に過る全てを、理解で封じ込めてきた。しかし、彼を彼たらしめてきた要素が徐々に失われている世界への疑問の解は、現状その虚構にしかない。
唇を噛む凜弥の肩をクルトが叩く。祖国の忠実な猟犬以前に、叛逆者の友人である彼は、凜弥の内側に在る物を確かに読み取り、不安を和らげようと出来損ないの笑みを浮かべる。
「とりあえず、仕事が片付いたらその石をカイリの家族に渡しに行こうや」
「渡してどうする?」
「禊だ。それに、奴の遺品はそれだけしかない。不可抗力かつ、奴も覚悟の上だったろうが、俺とお前はカイリを殺した。事実を説明して渡す責任は、俺達両方にある」
大嶺海里の家族に会うとは即ち、祖国の地を踏むこと。気がかりはあるが、共犯者の指摘は十分な理もあり、望郷の念が生まれ始めているのも確かだ。
短く頷いて、凜弥は紅い石を懐に収める。
「そうするか。……先に、客を片付けるべきだけどな」
「え? 客って……うぉわ!」
廃屋の壁を、巨大な握り拳がぶち破った。
生まれた激震を引き金に崩壊が始まった小屋を飛び出し、塵芥の中から下手人を捉えた二人の口の端が歪む。
成人男性三人分の太さを持つ腕に、その更に倍の強靭な足。森に紛れる為に変色した緑色の表皮は、こびり付いて乾いた血のどす黒い装飾が成されている。人間に極めて近い頭部は、しかし人間にはあり得ない単眼が輝き、それは二人を遥か上方から見下ろしていた。
「OhhhhhGhhhh!」
八メートル近い人型の異形は、卑小な二頭の猿を叩き潰すことへの喜悦に、森全体を震わせる咆哮を上げた。
異形が二人の殺害を狙っているならば、逆もまた然り。
今回の標的が堂々と現れ、これ以上不快な場所に留まる必要性も、先が見えないことで生じる本能的な不安の発生も失せた。
各々の武器を構えた二人は、異形をも上回る殺意を放出させ、視線を一瞬だけ交え首肯。
「手筈通り行くぞ」
「りょーっかい。死ぬんじゃねぇぞ」
「お互いにな!」
クルトの言葉を置き去りに、両腕に紅の装甲を纏った凜弥が加速。
振り下ろされた拳に向け、紅華を撃発させた。
時は一九五一年。
大嶺朝苗の手に紅き石が届く六年前。
長波響と大嶺ゆかりが産まれる、四十六年前の出来事だった。
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