13
「やはり君は面白い。これだけの数を相手に戦い続けるなど、素直に敬服するよ」
「だったらこの壁をどうにかしやがれッ!」
「それはお断りだね」
不可視の球に幽閉されたヒビキは、見世物同然にペリダスの影と戦い続けていた。
既に数十の敵を撃破しているが、倒しても増え続ける敵の前に、状況は加速度的に悪化している。
徐々に身体を削り取られながらも、闘争心と抵抗を消さないヒビキに対し、ペリダスは憐みの目を向ける。
「勇敢であることと無謀なこと。粘り強いことと往生際の悪いことは、似ているようで全く違う。前者は美しいが、後者は只の愚者の振る舞いだ」
「るせぇッ! 必ず、お前はぶっ倒してやるッ!」
吼えてはみたものの、魔力量の差で壁を破れない以上ヒビキに事態を打開する力は最早ない。
ペリダスも理解している為に、観察に飽いたのかヒビキに背を向け、自らと近似の姿を持つ存在が続々と町に降り立つ様を陶然と眺める。
「もっと来い。この世界に降り立って、私たちの力を定着させろ!」
呼応するように、地上からは破砕音と市民の物と思しき悲鳴が響き渡る。
無間地獄の始まりから聞こえていたが、量が時間の経過と共に増加している。このままでは、アガンスがペリダスの種が持つ力で覆われる事は疑いようがない。
――何でもいい、こいつの策をぶっ壊す物はねぇのか!?
壁を破れない現状を受け、ヒビキは他者に希望を求めるが、視界には敵しか映らない。
絶望的な戦いとペリダスの笑声、そして空の蠢きと下からの悲鳴。
悪夢の実体化に等しい光景が跋扈する空間が完成に向かう中、それら全てが突如停止。同時に、気温の急速な低下にヒビキは気付き、周囲に視線を巡らせる。
「……!」
街灯で輝くアガンス全体を包み込むように、淡い光を放つ
敵対する存在全てを等しく凍結させる力は未知の物だったが、これほどの芸当を展開する者が誰なのか、両者の見解は自然と一致する。
「ベイリスッ! 貴様何をした!?」
怒号を発するペリダスは、己の身体を蝕む氷の手から逃れるべく、ヒビキを放置して出鱈目に力を行使しながら暴れ狂う。
場にいる者で唯一氷の侵略を免れた彼は、一体何の力が行使されたのか、疑問と同時に、更なる状況の変化に気付く。
――――アイリスの歌が止んでいる?
『正義の味方』の力で強引に歌わせている為、彼女の意思ではどうにも出来ず、止めるには外部から解除する必要がある。一体誰が成し遂げた? そしてどうやって?
眼前で狂乱、内心で混乱が続く中、思わぬ形で救われたヒビキは立ちつくして答え合わせを待つ事になる。
◆
耳が壊れかねない量の銃声と咆哮が響く空間で、突進する一体のヒト型の頭部を引っ掴み、時計回りに旋回して他の敵を弾き飛ばし、勢いのまま頭部から地面に叩きつけて殺害したフリーダは荒い息を吐く。
無様に転がされたヒト型はベイリスによって即座に凍結、そして粉砕されるが、地面が泥濘む程に討伐を重ねても、三人を囲む敵は減る気配が無い。
「―――無理に戦うな! 市民の避難を……」
「待て待て待て! まだ神頼みは早いぞ!? 心を強く持て!」
加えて、残る二人が外の所員と行っている通信から伺うに、この空間のみならず、地上でも眼前の敵と同じ存在が猛威を振るっており、状況は極めて悪い。
一対一では負けない戦いが可能な相手でも、大量に、そして無限に補充されれば、有限のこちら側には敗北しかない。
疲労でブレる視界の中、狙いを定めず『
肉が裂ける音と、少し離れた場所にいるドノバンの叫びが妙に鮮明に聞こえ、身体に生暖かい物を浴びた感覚に違和感を覚えたフリーダは、背けた視線を正面に戻し驚愕に目を見開く。
「無事か?」
「!」
フリーダを庇う形でベイリスの腕が突き出され、異形の大顎が彼の前腕を切断。
右手がナヴァーチ共々落下するが、回転しながら落ちる剣の先端で紡がれていた『
「所長! 腕は……」
「この程度、すぐ修復可能だ。続けるぞ、フリーダも行けるな?」
顎を引いて肯定を返し、戦闘を再開したフリーダだったが、突如として空間に生じ始めた震動を受け、反射的に動きが止まる。
地震の可能性を疑い周囲を見渡すと、彼の視線がある一点に向けられた瞬間、壁が盛大に粉砕。
残る二人も攻撃が飛び交う状況にも関わらず、一瞬の内に開かれた穴に強張った視線を向ける。
穴の奥から現れたるは、大樹の枝の如き複雑な分岐を果たした角が屹立する頭部、毒々しい橙色の鱗が連なる身体。飛行能力を捨て、切断に特化した両翼に鰐のような低姿勢。生物の頂点が、全貌を露わにすると同時に高らかに吼えた。
「『熔輝竜』ヴォルマドン!? なんで――」
耳を塞ぎながら、ドノバンが全て言うより速く、ベイリスが二人を抱えて跳躍し『
一五〇〇度超の波濤は、異形諸共空間を融解させるだけに留まらず、着弾点が炎上して被害を更に拡散させ、空間を灼熱地獄に転じさせた。
強い耐熱性を持つ金属に、近似の特性を有する防壁に包まれる事で直撃は免れるが、伝わってくる熱だけで髪の毛や一部の装備が発火し、異臭と熱が感覚を襲う。
橙の奔流が未達の場所に降り立った三人の内、二人は気丈に戦いを再開。残る一人のフリーダは、現状から見える客観的事実と彼自身の怯えによって、戦闘体勢に移れない。
――無理だ、この戦い、勝てない!
『
仮に全て撃破して脱出しても、上空のペリダスやアガンス全体で暴れ狂う影を倒さねば、真の終わりはない。
だが、何重もの奇跡を起こさねばそれは実現させられず、引き起こす為の札はこちらに一つもない。
『ディアブロ』の時は明確な弱点がある上に、高い爆発力を持つ友人がいた為、賭けに乗ったし、自然と身体も動いた。だが、勝率がゼロの現状に怯えたフリーダは身体を動かせない。
「ぼさっとすんな! 死に……って、
怒鳴りつける途中、溶鉄の雫が僅かに頭部を掠めたドノバンが、悶えながらフリーダの隣に退避。舌打ちと共に、銃身の大半が消失した『嘆きのサリバン』を放り捨てて『
「気持ちは分かるが今はそれに逆らえ。ま、俺ももう武器はないんだがな」
「……では、あなた達には現状を打破する手段があるのですか?」
無言で肩を竦めたドノバンは、視線を自身の上司の方に向け、フリーダもそれに倣うと、信じられない光景が展開されていた。
「おおおおおおおッ!」
獅子吼と共にベイリスは両腕を振るって身体を捻り、ナヴァーチを一閃。
乳白色の刃がヴォルマドンの翼を断ち割って床に落とす。
痛みと怒りに悶え、怒声と溶鉄を口から零しながら、熔輝竜の右前足が振り下ろされる。
大質量から放たれる破城槌に等しい一撃は場に激震と轟音を生み、数頭の異形と氷像が微塵に砕かれるが、死体の中に竜が最も仕留めたい存在はいない。
「『
等身大の氷塊を光の詐術で偽装し、竜の攻撃を躱した事に驚愕するフリーダを他所に、ベイリスは『散氷弾』を放ちつつ再び二種の敵の中心に降り立つ。
召喚した異形まで無差別に屠っている様から、竜はあくまで誘導されただけで、思考や攻撃対象に関して操作されていないと推測が可能。
即ち、敵の敵はまた敵。
この理屈で相手も行動している為に、こちらにだけ都合の良い展開は期待出来ないが、自身が中間点に位置取って、放たれる攻撃を躱して敵の体力を削り、漁夫の利を狙う事は可能。ベイリスは狙って中心の位置を保っているのだ。
合理的だが、あまりに危険な選択にフリーダは疑問と、それを選択した相手に対して僅かな恐怖を抱く。
観劇者の抱く感情を他所に、武器を失ったドノバンから低位魔術による援護を受けながら、氷舞士は戦場を舞う。
『
種族の絶対的な差で、鍔迫り合いの状況に持ち込まれれば敗北が確定する為に、決して一箇所に留まらず跳ね回る相手に苛立ったのか、熔輝竜は今までとは異なる、巨体を最大限に活用した直線的な軌道での突撃を仕掛ける。
異形を轢殺して迫る大質量にも臆せずベイリスは右腕を振るい、既に空中で形成されていた高圧の流水槍『
そこでドノバンが小さく息を吐き、竜への魔術発動を停止する。
一応の助太刀として『
「―――ガぁゥオオオオオオオオオッ!」
悲痛な叫びを、強引に噛み合わされた牙の隙間から漏らすヴォルマドンの肉体が、『奔流槍』の刺さった箇所から瞬時に凍結し、巨大な竜は氷像と化す。
行動不能に陥った熔輝竜の体を、『
上下に分かたれた氷像が微塵に砕け、光を反射して輝く粒と化して消失。
進化の頂点の、あまりに呆気ない退場に瞠目するフリーダを他所に、辞書大の氷塊で異形を壁にめり込ませた後、二人の元にベイリスは降り立つ。
ナヴァーチを一回転させ、構え直した氷舞士の肩は僅かに上下し、小さい物が無数の傷が身体の至る所に刻まれている。
二人に攻撃が及ばぬよう位置取り、最も被弾の可能性が高い場所で戦い続けるなど、疲労が蓄積して当然。ベイリスと言えどもこの状況下で長時間の戦闘は難しい。
これ以上敵が現れてくれるな。
事実から来る切実な願いを嘲笑するように、再び無数の異形が地面から湧き出す。
「ドノバン、後どれだけ戦える?」
「サリバンが死んだからな。魔力が切れたらそれで終いだ。ついでにこっちの坊主もそろそろ不味い」
「……そうか」
じわじわと死が忍び寄る状況の中、迫る異形と同行者二人を交互に見つめた後、何かを決意したベイリスがネクタイを放り捨ててナヴァーチの切っ先を天に向け、疲労と恐怖を強引に抑え込んだ、しかし迷いのない声を発する。
「フリーダ。君は私を真の意味で許すなど、これから先も有り得ないだろう。私自身、それはよく分かっている。……だが、一つだけ理解して貰いたい事がある。今からそれを見せよう」
「アレを使う気だな所長!? 冗談じゃねぇ! 完調な時に試して死にかけてんだ、今使えば……」
ベイリスによって掲げられた通信機器から、所員達の苦闘の様子が音声のみで克明に伝わってくる。
言外に、このままでは全滅するとの非情な現実を容赦なく提示され、黙り込んだ自らの部下と、硬直したままのフリーダを見て、氷舞士の目に優しい光が宿る。
「いざという時、一番上の立ち位置にいる者はこうするべきだ。いやそれ以前に、君達や住民達を守れるなら、これが正解だ」
気温の急速な低下と、ナヴァーチの切っ先に膨大な魔力が集束していく様に異形達は圧され、逆にフリーダは底無しの悪寒に背を押され、ベイリスの元に駆け寄る。
が、残り一メクトルの所で『
氷との接触で手に凍傷が出来る事にも厭わず、フリーダは拳を打ち込んで氷の壁を破ろうと試みるが、ドノバンの加勢を得ても壁には傷一つ付かない。
「四天王に選ばれず、全てを救えなかったように私は英雄の精神など持っていない。それでもこの場だけは英雄気取りを許して貰いたい。……行くぞ、『
「だめだぁあああああああああああッ!」
凶悪な魔力の奔流を受け、『
ベイリスの立つ場所に大樹の如き氷柱が聳え立ち、天井を完全に破壊して空にまで届く。
氷柱から放出される、雪の結晶の様な物体を含有した強烈な冷気の波濤が空間内の異形達を覆い、彼らは瞬く間に氷柱と同質の存在に転生。どうにか免れた者も、まるで強酸性の液体を浴びたように瞬時に腐食、崩壊していく。
氷風は物理法則を無視して地下空間の外、即ち地上やアガンス上空にも放たれる。
天井部が破壊され、地上の様子を伺えるようになったフリーダは、氷風が繰り広げる現象に自身の目を疑う。
抵抗力の類を一切無視して凍結させる強烈な冷気なら、町や一般人も異形と同じ状態になる筈。だが、ベイリスの放つ氷風はそれらには一切の影響を及ぼす事なく、異形だけを的確に氷像に変えていく。
発動者が敵と認識した者に対してのみ、絶対零度の殺戮劇を展開する有り得ない芸当を可能とする者は、歴史の中にたった一頭存在したとフリーダ達は知っている。
『エトランゼ』一柱『白銀龍』アルベティートの放つ『
しかし奴は龍で、ベイリスはどこまで行ってもヒト族。明確な違いが両者には有る。
「ベイリスッ! 貴様何をした!?」
「やはり、お前は一撃では倒れないか。だが……」
ペリダスの怒声で半ば掻き消されたが、氷柱の内部から乱れた呼吸と血を吐く嫌な音がフリーダにも届く。『エトランゼ』の超技をヒトが再現するなど無理がある。町一つだけの規模でも、このままでは彼の命が危うい。
「貴方の意思はよく理解した! だからもう魔術を止めるんだ!」
「馬鹿を言うな。まだペリダスそのものは倒れていない今、止める理由など……ない!」
「貴方が死んだら所員はどうするんだ!」
「私一人がいなくなって瓦解する程に弱くない。それに、この町や君達を守って死ねるのなら本望だ!」
絶叫に呼応して数秒間放射が強まった氷風が唐突に止み、場には静寂。
聳え立つ氷柱に亀裂が奔り、同様の現象が異形達の像にも生じる。
亀裂によって形状を維持出来なくなり、崩壊した氷柱の中から、紡ぎ始めた時と一切変わらぬ姿で現れたベイリスは、掲げていたナヴァーチを啓示のような所作で降ろした。
転瞬、場に存在する全ての氷像が微塵に砕け散り、光を反射して儚い光を放つ小さな粒に変わる。
「『正義の味方』の影がいきなり氷漬けになったと思ったら、全部砕けて消えちまったぞ! ドノバン、そこで何か起きたのか!?」
通信機器から次々に影が消失した旨を伝える声が届き、奇跡に等しい大逆転が現実でと場に告げる。呆けたように立ち尽くしていたフリーダだったが、眼前の氷舞士の右手から『
間近で見たベイリスの表情は、瞳から光が失われつつある点を除けば、まるで父親のような優しく、そして英雄のような力強い表情だった。
口先で賢しげに語る者達の存在価値を完全に奪い、ただそこに住んでいるという理由だけで町の為に命を賭した。
何故そこまで至る事が出来たのか。どうすればその高みに行けるのか。
混乱と疑問に埋め尽くされるフリーダを見つめ、微笑んだベイリスの身体が後方に傾斜し、地面に叩きつけられる直前でドノバンに受け止められる。
「……すまない。完璧に終わらせる事は出来なかった。後は、たの、んだ」
「所長!」
伸ばされた手が落ち、氷舞士は意識を手放し、身体の至る所から血が噴水の如く噴き上がる。生命維持の問題にまで事が及んでいる状態。
「所長は自らの意思で馬鹿をやった。だからお前は責任を感じる必要はない。……俺は医者に持っていくが、お前がこれからどうするかは、好きに決めろ。どんな決断でも、誰も咎めはしないさ」
敢えて感情を抑えた言葉を残して、ベイリスを抱えたドノバンは撤退。
そして、空間内にたった一人残されたフリーダの口から、奇妙な笑声が漏れる。
おかしくてたまらないのだ。自分の情けなさが、卑小さが。
事務所とは無関係であり、過去の出来事からの反発心をずっと抱き続けていた自分に対しても、マルク・ペレルヴォ・ベイリスという男は真剣に悩み、守り、そして最後は危地を脱するべく命をも捨てる技を躊躇なく使用した。
一人のヒトとして、男として、覆しようのない差を見せつけて退場したベイリスの行為は、途轍もない屈辱と、自問をフリーダの中に生み出す。
――ヒビキにせよユカリちゃんにせよ、当事者であろうとしている。願望でしかない事を現実に変えようとしている。そこに比べて、僕はどうだ? このまま立ち止まって終わるのか? 終わらせない為には、何をすべきだ?
ふと、氷舞士が友人の墓参りをしていた姿が浮かぶ。
あの振る舞いの意味は何なのか。真意は何であるのか。知りたい事はこれだけではない。
知る為にもっと早く、腹を割ってきちんと話し合っておけば良かった。いや、まだ過去形にはなっていない。してはならないのだ。
「――――ッ!」
『
自らのやるべき事を果たす為に。そして氷舞士との対話の可能性を失わない為に。
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