14 ブレイバライズ

                

 呼吸を乱しながら、ユカリ・オオミネは沸騰する夜を自転車で駆ける。

 戦場と化した町を覚醒と同時に目撃した彼女は病院を抜け出し、痛みを抑えてアイリス・シルベストロを探していた。

 過去の流れと無関係な場所に彼女が配される事はないと踏んで、幾つかの模倣品が出没した場所に乗り込むも現状成果は最悪。

 ――やっぱり普通に行ける場所にはいないか。なら……。

 ユカリが、いやベイリスの事務所が協力を取り付けられず、加えて関連を疑わせる場所が浮かび表情が僅かに歪む。

 道順を組み立てる彼女の背後、不意に強い殺意が襲来。身体を捻るが、無茶な回避でバランスを崩し、自転車から放り出され強かに膝を打ち付ける。

 鈍痛を堪えて気配の発信源に向き直った瞬間、一秒前に身体があった空間を分厚い槍斧が駆け抜けて、暴風が彼女の髪を搔き乱す。

 模造品共の襲来と判断したユカリは『颶風剣ぐふうけんウラグブリッツ』を抜き、再度放たれた槍斧を受け止める。

 一瞬の激突。

 火花を散らしながら薄緑色の刃が大きく跳ね、釣られて上半身が仰け反る。胴部ががら空きになる致命的な判断ミスに気付いたユカリは、回避不能な死に反射で目を閉じてしまう。

『諦めんのは早いぜ? 『虚斬飛聖角エル・コルラーネ』!』 

 聞き慣れた電子音声が届き、無数の白刃が眼前を通過する様が目に飛び込む。直後、模造品が賽の目状に身体を分かたれ、黒煙と化し完全消滅した。

 黒煙が晴れ露わになった救世主の異様な姿に、ユカリは怪訝な表情を作るが、当人は呑気な笑顔で右手を上げていた。

『危なかったね。ってか、行くなら俺も呼んでくれないと』

「ルーカスさん、その格好は……」

『気にしない気にしない』 

 上半身が病衣で下は普段着。奇妙な姿のルーカス・アトキンソンは、ユカリの心配を他所に停車する発動車を指差し――顔を歪めて蹲る。

「だ、大丈夫ですか!?」

『気にしないで……』

 ルーカスの胸部損傷は数時間前。言うまでもなく状況は最悪で、動いている事自体が本来おかしいのだ。

 強引に止めるべきだが、翻意は困難と彼の目を見て察した。それに、話をしている時間も惜しい。


 今はアイリスの救出が最優先だ。


 運転席に乗り込もうとするが、ルーカスに『君はルーチェと同じ匂いがする』と謎の制止を受け、ユカリは渋々助手席に座る。

『で、これから何処に向かう予定にしてたの?』

「スクライル社本社ビルです」

『なぁるほど。合理的な判断だね』

 口調こそ軽いが、運転席に座す青年に緊張の色が走る。

 有耶無耶になったが、敵の拠点候補とされていたアガンス最大のビルの調査は、結局許可を得られなかった。

 町が危機に陥った今も変わらず、いやそれ故にスクライル社は捜査を拒む筈。

 ――でも、探さない訳にはいかない。……この世界で私、どれだけ犯罪を積み重ねているんだろう?

 やらねばならないと分かっているが、殺人に不法侵入と器物損壊が加わると確定し、立派な凶悪犯になりつつある状況を客観的に見たユカリの顔が曇る。

『あーなんだ。ユカリちゃんはそんなに……』

「お待ちください」

『副所長!?』

 後部座席から姿を現した、包帯塗れの小柄なキノーグ人ストルニーを見て、前席の馬鹿二人の顔が引き攣るが、副所長はその様を無視して冷徹な問いを発する。

「勝算無き賭けには乗れません。ユカリさん、アイリス氏を救える確率は如何ほどでしょうか?」


 普通なら、ここは絶対出来ると言うべきだ。


 だが相手は歴戦の戦士、虚勢はあっさりと見抜かれる。

 それでも賭けるか、はたまた内側から聞こえてくる甘言に乗って降りるか。

 ごく短時間で、検討と葛藤が彼女の内部で回転し頬に汗が伝う。

「ヒビキ君達ならともかく、私では失敗する可能性の方が高いでしょう。でも、今動ける駒は私だけです。皆さん程の実力者であっても、状況は刻々と悪化しています。ですが……」

 舌が縺れて途切れるが、ユカリの中に理由はきちんと存在している。

 盤面に上がった者は皆、自ら選択して今この瞬間立っている。彼らは勝算の有無や利益だけで選んではいない。

 何を血肉に生きるのか、どのような存在で在りたいのか、どんな形の未来を掴みたいのかを考えて選択した筈。

 無論アイリス・シルベストロもその一人で、対して大嶺ゆかりという人間には、未だそのような核はない。

 流されるまま闘争に放り込まれ、打破する力も無い自分には、本来この場に立つ資格も無い。

 かと言って正論を受け入れ、ヒビキやアイリスを見捨てる選択を選べる筈もない。

 常識に基づいて親しい者を見殺しにするぐらいなら、狂人呼ばわりされても構わない。だから、絶対に降りはしない。


 そんな言葉をユカリは途切れ途切れに絞り出し、ストルニーの透徹した視線に真っ向から応じる。

 無言の睨み合いが暫し続いた後、やがてキノーグ人の勇士は根負けしたように天を仰ぎ、そしてルーカスに発進を促した。

 通信機器で一通り部下に指示を飛ばし、誰かと通信を始めたストルニーを他所に、ユカリは顔色が変わり始めたルーカスと打ち合せを始める。

「着いたらまず交渉を――」

『それは無理かなー。今は警備員しかいない。社員に繋ぐのも結構時間がかかる。副所長がああなってるって事は、ルーチェも最前線から離脱してる筈だ。所長が残っていても最大四人、それじゃ何れ磨り潰される。ゆっくり話す暇はない。ユカリちゃん、まず君一人でビルに飛び込んでもらう』

「……はい?」

『君が不法侵入した態にすれば、関係が良くない俺たちでも、突発的に生じた危険排除の名目でビルに入りやすくなるからね』

「決着後、市長を交えて会合を開く算段も付けました。現状は予測の外でしたが、出来る限り不法侵入で貴方に累が及ばないように試みます」

 通信を切り、魔術を用いて接近する異形を蹴散らしながらストルニーが告げる。

 お膳立ては、いつの間にか整っていた。

 ――なら、後は私やるべき事をやるだ……

 思考を中断する形で発動車が急加速。疑問を呈するより速く乗員の感覚が浮遊感に包まれ、衝撃と嫌な音が耳に刺さる。

 車内の備品が派手に散乱し、窓ガラスに蜘蛛の巣が張られた光景は、乗員に何が起きたかの推測を困難にさせていた。 

「ルーカス、あなた一体……」

『申し訳ない。敵がいたんで、デブリで跳びました。あぁ、俺の運転は所員内序列四位の安全さだから、そこんとこ安心してくれよッ!』

 軽量故ユカリ以上に被害を受け、鼻っ面と頭部を抑えるストルニーの抗議を無視して、ルーカスは加速板アクセルを更に踏み込む。

 外の騒乱と乗員の精神安定が置き去りの、ルーカスの狂った運転によって、発動車は本来必要な時間の三分の一で目的地に辿り着いた。

 容赦無く全身をシェイクされて生じた、猛烈な吐き気を堪えながら発動車を降りたユカリは、聳え立つビルの威容に顔を強張らせる。

 実際は元の世界で当たり前に存在する物だが、敵の本丸との認識がある為か、奇妙な威圧感が肌を叩く。

 ――三十階ぐらい、かな? ……不法侵入するって言ってたけれど、どうやって入るんだろう?

 当然の疑問を抱くユカリの身体が不意に浮いた。

 何事かと振り返った彼女の視界が突如狭まり、同時にルーカスの声が飛ぶ。

『馬鹿と煙はなんとやら、だ。ユカリちゃんは最上階から探索して貰う。ヘルメットで頭は保護出来るし、服も全部加工がされてるから大丈夫だ』

「ルーカス? もしや貴方、何も考えて……」

『副所長、痛いトコ突かないでくださいよ。頼むぜ、ユカリちゃん!』

「ちょっと待ってください!? これは幾ら何でも――」


 皆まで言わせず、ルーカスはユカリをビルに放り投げた。


「貴方は――」

『いやぁ申し訳ない。でもま、どうしてもこうしなきゃいけない訳でして』

 砲弾の軌道で消えた部外者を見送りながら、場違いに軽い部下へストルニーが抱いた疑問はすぐに消えた。

 突如噴き出した黒霧が二人を包囲し、そこから模造品が大量に這い出す。

 敵対者の排除を目的に、ペリダスが設置したであろう模造品共は、戦意剥き出しの二人を無視して入口を目指す。内部に何かあると逆説的な証明が為された事に、ストルニーは大袈裟に嘆息する。

「大正解、ですか」

『でしょうね。そんで、俺達が今やるべき事は一つ!』

 抜き放った『純麗のユニコルス』を一体に突き立て、そのままルーカスが旋回。

 白角馬ユニコーンの角と希少金属で形成された美しい白刃が、同色の閃光を生みながら模造品の肉体を両断し、粒子レベルまで刻み砕く。仲間が消滅する様を見て、妨害者を先に処理する事が合理的と判断したのか、模造品は一斉に向き直る。

 自分達など手早い処理が可能な弱者だと、相手の抱く認識を目の当たりにした二人は妖しく笑う。

「私達も舐められたものですね」

『大半俺のせいですけどね。……汚名返上と行きましょうか!』

 ルーカスの無機質な、しかし熱の籠った煽りに首肯を返し、キノーグ人の風習で自作する無骨な石斧『開拓者ティエルノ』を掲げ、ストルニーも部下同様に前進。

 使命と汚名返上を掲げた乱戦が、夜の町で始まった。

『――つぅッ!』

「ルーカス!」

『いや、ちょっと、縫合が開き始めて……』

「やはり病院に帰った方が良いのでは?」

 

 微妙に締まりが欠けているのは、恐らく気のせいだろう。

 

                  ◆


 一方のユカリは、ビルの最上階の窓ガラスと、内側に仕掛けられていた奇妙な干渉力を持つ不可視の壁を通過して床にへばりつく。

 不可視の壁に一瞬絡め取られたが、外部に追放されず侵入出来たのは、恐らく幸運ではない。

 ――ヒビキ君から貰った指輪が役に立ったのかな?

 指に通さず保持している、ラピスラズリの指輪をポケット越しに撫で、へルメットを脱いだ途端、アイリスから放たれる不協和音が耳を撃つ。

 ユカリの表情が青ざめた瞬間、警報装置が作動。時を同じくして地上から同行していた二人の咆哮と、力と力が交錯する爆音が届く。

 ――長くはいられそうもない。急がないと!

 歩き出したユカリは、まず屋上と三十階の探索を行うも結果は空振り。最上階にいてくれるのが理想だったが、やはりそこまで甘くない。

 激震する車内で見せられた、情報源が極めて怪しいビルの見取りと用途を示した図を脳内で描き、人が配置出来る場所を探す。

 ――幾ら気付かれにくくても、人が多い場所に配置するのはリスクが高い。下層階のオフィス以外で、出入りが少ない場所……。

 下に向かうと決め、階段の踊り場に足を伸ばした瞬間、またしても殺気。


 今は相手を確認する時間も惜しい。


 転げ落ちるように階段を降り、前だけを見て下層階に向かう。

 猛烈な勢いで迫る殺意は、ユカリが無視を貫いて二十九階に降り、「資料室」と札を掲げた部屋に入ると消えた。

 呼吸を整えて室内の探索を行うも、歌姫の姿はない。その後も同様の結果に終わり、焦りと落胆が顔に浮かぶ。

 まだ一階だが、悠長に全てを回る時間が無いのは、突撃部隊に回っていたストルニーが場にいる事から分かる。

 再び階段に接近した時、先刻と同じ気配を感じたユカリは一度立ち止まり、踊り場を注視する。

 『正義の味方』の模倣品を形成する黒霧が寄り集まり、見慣れた姿が階段付近を守護するように動き回る。

「……あれ?」

 侵入者の存在を、敵は既に認識している筈。

 更に、ペリダスが放つ模造品達は皆、ある程度能動的に動いていた。踏み込み、空振った場所にいた個体もそこは同じ。

 辿り着ける可能性が低いと仮定していても、相手のこれまでの振る舞いを見るに、ここだけ低性能な模造品を配置するとは考え難い。

 となると、何故踊り場から動かないのか。

 切っ先が模造品に向く形にウラグブリッツを掲げ、ユカリはこめかみに銃口を押し当てて引き金を引く。

 乾いた銃声に影が反応すると同時に、彼女を覆う紅い光はウラグブリッツの刀身に伸び、炎の大顎を生み出す。

 かつて対峙した『エトランゼ』の影が放った物と同じ『奇炎顎インメトン』は狙い通り影に喰らいつき、漆黒の身体を紅蓮に変える。

 火災警報機が高らかに鳴り響き、呼応するように地上のやり取りの音が一層激しい物となるが、取り合わず走る。

 煙と炎で著しく悪化する視界の中、踊り場に突入したユカリの耳に床が踏み砕かれる音が、目に炎の柱から伸びた巨腕と、手に握られた二メクトル超の斧が振り下ろされる様が映る。

 一度撤退して隙を探る、遠距離攻撃を仕掛けるといった最善手を打つ余裕も、そして魔術をもう一度放った時、正確にイメージ出来る物で最強の『奇炎顎』を放てるか確信がない故、ユカリは更に足を速める。

 肉が裂ける湿った音を掻き消す、ビルそのものが激震する揺れを生み出し、振り下ろされた斧は床に突き刺さって停止。

 左腕を一部削られて視界が赤く明滅し、口から奇妙な絶叫を漏らしながらも、ユカリは足を止めず用具入れの扉に手をかける。

 背後から二撃目が迫る中、手入れが杜撰な為か妙に重い扉に手をかけ、隙間へ滑り込む。

 背中を少し切られながら、扉の内部に辿り着いたユカリは、自身の負傷も忘れて眼前に広がる光景に絶句する。

 現実の物なのか疑わしくなる極彩色の空間の奥に、確かにアイリスはいた。

 いるのだが、磔刑のように縛められ強制的に閉じられた目と対照的に、固定された口から延々と不協和音を吐き続ける光景は、現実逃避を選びたくなる物だった。

 音を浴びるユカリの顔色が瞬く間に蒼白な物と化し、膝が折れて身体が傾ぐ。

 ――このままじゃ駄目だ。……ッ!

 ウラグブリッツの鋭利な刀身を走らせ、ユカリの脇腹から鮮血が滴り落ちる。

 左腕と背中の痛みで足りないなら、更に痛めつけて覚醒させるまでという、無茶に基づいた行動で、どうにか立ち上がったユカリはアイリスの元に歩を進める。


「やはり来たか、侵入者よ」


 純粋な敵意で構成される錆びた声が耳に届き、足が止まる。

 連なって同様の言葉を発した声は波濤と化して彼女の全身を囲み、そして声の主達が姿を現す。

「な、何これ……」

 今までの影とはまず色が違う。黄、緑、青、紫、金、銀と、多様な色と造形の騎士がユカリを包囲する形で湧き、各々の得物を掲げ獅子吼を上げる。

 この世界に降り立ったペリダスの同胞は複数存在している。彼らはそれぞれ異なる色で形成され、四天王やベイリス達に討伐された事実を、記憶の海から引き上げたユカリに更なる絶望が浮かぶ。


 死者蘇生の技術はない。


 皆の経験に基づく言葉に従えば、眼前の彼らもまた模造品。

 だが、独自の色と造形を再現している点から考えれば、今までの個体とは桁違いの強さを持っていると考えるのが妥当。

「詰めが甘いと思ったけど、そんなことなかったね。……寧ろ、とんでもない詰めの手を打っていた」

 空間に易々と侵入出来たのも、人目に付くリスクが存在するビルで始末するより、ここで仕留めた方が死体が残らないという割り切りの結果だろう。

 餌に釣られた魚を睨む騎士達は、既に戦闘体勢に移行済み。退路は最早存在しないが、彼女にそれを探すつもりは端から無い。

 敗北、撤退から得られる物は何もない。それに『エトランゼ』一柱と異なり、視界に映る敵はヒト族に敗北を喫している。故に、自分にも勝算はある筈。

 机上でしか成立しそうにない屁理屈を燃料に、ユカリは前進。


 ――長期戦は、いや普通に戦う事も私は出来ない。……なら!


 前方の敵を薙ぎ払うことに意識を絞り、右腕を身体に巻きつけた体勢で走るユカリを迎撃すべく『正義の味方』が一斉に始動。

 数でも実力でも、恐らく覚悟でも負けていると理解している。

 勝敗を分かつ要素が全て劣っている状況で勝利を掴む為には、愚かと罵られようが前に進む他ない。

 ユカリの意思に呼応して、ウラグブリッツの刀身が烈風を纏い、首元のネックレスも強い輝きを放つ。

 無数の魔力が激突して台風の如き暴風が吹き荒れ、異空間にいる者の視界が一瞬奪われる。

 演者の視界が回復した時、影は二体にまで数を減らしていたが、相対するユカリは右手をだらりと垂らし、ウラグブリッツは明後日の方向に飛んで天井に突き刺さっていた。

 ――右腕の感覚が……

 無意味な思考を断ち切る形で、旋回する槍の石突部が腹にめり込む。

 弾き飛ばされたユカリは壁に叩きつけられ、激しく嘔吐しながら無様に床に落ちて転がる。一撃で受けてこのザマでは、勝利の目は潰えたに等しい。

 それでも打開策を求めて足掻くユカリに、敵は無慈悲に攻撃を放つ。


「合格不合格の話じゃない、かな。それに、責任もあるしね」


 武器と武器が激突する金属音が満ちる中でも、確かな存在感を放つ澄んだ声を聞き、閉じた目を恐る恐る開いたユカリは、予想もつかない乱入者を目撃する。

「アイリスに内在する力と、貴女のネックレスに注ぎ込んだ私の力が呼応して、ハレイドに向かっていた私を召喚した。偶然かもしれないけれど、大したものね」

 ユカリよりほんの少し高いだけの身体を、水晶の髑髏の装飾が目立つ装甲で覆った者が発する言葉の意味を、彼女が理解する前に敵が動いた。

「温い」


 迫る脅威に、簡潔な言葉と乱入者の右腕が一閃。

 

 転瞬『正義の味方』の得物が微塵に粉砕され、持ち主共々先刻のユカリのように吹き飛んだ。

 器用に受け身を取り、徒手空拳に切り替えた『正義の味方』達に乱入者はみを返し左手で誘う。

 体格は自身と大差ない乱入者が動かない以上、激突の結果が悪い物しかないと予測したユカリが退避を促す叫びを上げる。

 同時に、乱入者は舞台役者の如き過剰な予備動作の後、前進。砲弾の如き勢いで突進する『正義の味方』達の間を擦り抜ける。

 そして、乱入者の掌に模造品達が奇妙な形で置かれていた。

 彫像の如き直立不動で硬直した『正義の味方』達の足元に、乱入者の装甲と同じ素材の奇妙な大顎が配される。彼女が手を握り込むと、大顎が『正義の味方』を喰らい水晶片に転生させた。

 

「『虚現攪喰晶顎ヴィリスタ・ルトゥム』の前には、あなた達の防御は紙切れでしかない。……それっ」

 

 乱入者の指が軽く打ち慣らされると、ユカリに刻まれた傷が瞬く間に癒え、身体が完調時と変わらぬ状態に回帰する。


「……っ!」


 縛めを解かれ落ちるアイリスを受け止め、よろめきながら視線を向けるユカリに対し、乱入者は頭部の装甲を解いた。

 赤から紫、紫から緑、緑から青と、目まぐるしく変化する双眸と、先刻放った水晶と同色の薄い青の長髪が揺れる。

 一見すれば少女と形容可能な容貌だが、セマルヴェルグに匹敵する何かを感じて身を硬くしたユカリに乱入者は微笑む。


「こんにちは。私はカロン、貴女をこの世界に呼び込んだ主犯です」

「なっ……」

「説明も謝罪も今は時間がない。ここで出会ったとは即ち、再度の対面も近い。全てはその時にしましょう。ほらアイリス、逆転の一手は貴女が握っているんだから、寝てないでさっさと起きなさい」

「先生! どうしてここにいるのですか!?」


 目が覚めるなり、ユカリの腕から飛来するアイリスを片手でいなした、カロンの姿が陽炎のように揺らぎ始める。


「『正義の味方』の力を増幅させられたのなら、今戦っている子の力も、同じように出来るでしょう?」


 カロンの背後に在った直方体が放つ、七色の光渦に飲み込まれ彼女の姿が消える。

 守護者を喪った空間を亀裂が埋め、残された二人の視界を白で塗り潰す。

 視界が戻った時、二人はビルの屋上に転がっていた。

 アイリスの歌が消えた事で、町で展開される戦乱の音がはっきりと届き、時折視界を閃光が横切る。

 暫し呆けたように夜景を眺めていたユカリだったが、見知った少年が放つ蒼の光が全く視認出来ない事に、強い不安を覚える。

 ――まさか……。ううん、ヒビキ君に限ってそんなことは……。

 相手の強大さを知った今、浮かんだ根拠の無い否定は何の意味も持たない。

 ユカリはアイリスに無言のまま向き直る。歌姫も、彼女の視線を蒼の双眸でしかと受け首肯する。

「今私を守る意味はありません。ヒビキさん達の所に向かってあげてください!」

 強い言葉を受けてユカリは笑い、こめかみに銃を押し当て、屋上から飛び降りながら最後の弾丸を射出して『渇欲乃翼エピテナイア』を展開。


「ユカリさんも生きて帰ってきてください! 約束ですからね!」

 

 約束の履行を内心で誓い、ユカリは宙を舞ってヒビキ達を探す。

 そして彼女の背後から、膨大な力を内包した声の奔流が放たれた。


                ◆


 冷風と共に影が消滅し、町に響いていた不協和音が止んで別の音に転じる。

 嘗ての大戦時に、『エトランゼ』五頭がヒト以外の生物を活性化させる目的で奏でたとされる音を、アイリス一人が再現している事実に驚愕するヒビキの身体が、七色に変化する光に包まれる。

 膨大な魔力が体内に注ぎ込まれ、活力の熱で満たされる感触と共に、損壊した身体の部位が瞬く間に修復された。

 ――『時序可逆遡行デローリア』か? あれはエトランゼしか使えない筈……。

 答え合わせより先に、ヒビキの肉体が完全な復活を果たされ、同時にアイリスの叫びが届く。


「ヒビキさん! あなたが『正義の味方』の前に立っている事は知っています。本当なら私が倒すべきなのでしょうが、情けない事に、私には戦う力がありません。最大限の援護は行います、ペリダスを倒してください!」


 切実な言葉を受けたヒビキは、幽かに笑みを浮かべて立ち上がり、ペリダスにスピカの切っ先を向ける。

「頼みを断るつもりはない。けどアイリス、アンタは一つ勘違いをしてる。ペリダスを倒すのは俺じゃない、俺達だ」

 ベイリスが放った謎の魔術で影を生成・制御する力を失い、再生能力も失くした『正義の味方』は、人形と呼応する様に巨大な穿孔器を構え刀身を唸らせる。

「暫し雌伏の時を過ごさせて貰おう。……だから、君は今ここで死ねッ!」

 両者の全力が乗った突進斬撃が正面から激突、金属音が弾け、零れ落ちた魔力が光と化して散る。

 初手相打ちとなった両者は、再度己の得物を絡ませる。

 持てる全てをスピカに伝え、押し込みにかかるヒビキの前に、ペリダスの両足が僅かに後退するが焦りは皆無。

 訝しむと同時に、ペリダスの肉体が急速に膨張。

 形勢を一気に逆転してスピカを上方に跳ね上げ、流れるような組み立ての突きが放たれる。

 咄嗟の判断で、弾かれた段階でヒビキは逃げを打ち、突きが纏う豪風で後方に押され回転しながら着地。靴底が擦れ、焦げたような臭いが鼻を突く。

「……今まで本気出してなかったのか?」

「本気を出さねば君達に勝てないと、何度も言っているだろう。制御に割く力を差し引いて、ではあるがね」

 嫌な形の答を受け、顔を歪めたヒビキは再度距離を詰め、穿孔器の射程範囲ギリギリまで迫った所で旋転。

 攻撃を躱した後に超高速の『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』を行い魔力の弾丸を放つも、全て弾かれ戦果は皆無。

 腹部を穿孔器が掠め、短い悲鳴を上げながら異刃に回帰したスピカを強引に掲げ、トドメのつもりであろう真上からの攻撃の軌道を逸らし、穿孔器が床に着弾。

 

 轟音と共に床に亀裂が入り、瞬く間に広がるそれは庭園を崩壊させるには十分過ぎた。


「なっ――」

「遅いッ!」


 全身を襲う浮遊感に驚愕と困惑が浮かんだヒビキに、ペリダスの無慈悲な一撃が撃ち込まれる。骨肉纏めて破壊される嫌な音を聞きながら、ヒビキは急加速して空を堕ち、とあるビルの屋上を粉砕して停止。

 跳ね起きて周囲を伺う彼の耳に、高空で悠然と構えるペリダスの声が飛ぶ。

「万が一があってはならない。この場所から、君を始末させてもらおう」

「……そりゃ卑怯だって抗議したいが、テメエは聞かねえだろうな」

「勝利以上に大切な物があるとでも?」

「間違いな――」

 ベイリスの魔術と同等の、膨大な魔力が敵に集束し放たれようとしていると本能で理解。ヒビキは咄嗟に別のビルに飛び移る。

 着地するなり振り返ると、数秒前立っていたビルが雷光同然の輝きを放つ帯に包まれ、光が消えると同時に世界から消滅した。


「――なんッだそりゃぁッ!」


 勝敗の天秤を一方的に傾ける反則技を目の当たりにし、答えが返ってこないと知りながらも絶叫。

 ビルがあった場所は虚無と化し、底の見えない大穴だけが、強烈な力が放たれた証人となっている。

 直撃、いや掠めただけでビルと同じ運命を辿ると理解した、ヒビキの全身が総毛立ち、恐怖に押されて出鱈目に魔術を上空に放つが、命中させられる筈もない。

 無駄な抵抗を行っている内に、再び空から魔力と殺意。慌てて逃げを打つも、焦りからかバランスを崩して地上に落ちる。

 落下しながら、眼前に移るビルが先刻と同様の過程で消失する様を目撃し、彼の顔に絶望が浮かぶ。


 破片や螺子を浴びながら、失敗寸前の受け身を取り周囲を観察。


 建てられた看板等から現在地が開発途上の区画と推測し、民間人がいない安堵と、ここで仕留め損えば被害が拡大する焦りが等分に襲う。

 急く彼を嘲笑うように、三次元的戦闘を行う相手に効果的な手札がない現実が重く圧し掛かる。

 唯一使えそうな『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』も、この区画全域の空には届かない。他は全て接近戦用の為、検討する余地もない。

 ――今までの戦いの中でなんかあるだろ、考えろ!

 敵が魔力を充填する時間、ヒビキは記憶から策を探すが、今までの強敵とは全て接近戦を演じていた為に、使えそうな物は出てこない。

 ――肉体変化が出来ないのが、ここまで重いなんてな。スピカを使うにしても飛距離が足り……。

 不意に、脳裏に過去の出来事が閃光の如く奔り抜け、ヒビキは握ったスピカと空を交互に見比べる。

 浮かんだ案は、只のこじつけの可能性が殆ど。

 失敗すれば敗北と死が待っているが、このまま逃げ回っていてもそれは同じ。

 ――あの時は出来た。アレが成立したのなら、逆もあり得る筈だ。……迷っている暇なんざ、今はない!

 一縷の望みに賭け、限界まで魔力を解放。先刻の放射が為された場所へスピカを投擲。

 蒼の異刃は、闇を駆ける星と化して持ち主の狙い通りの場所に届く。

 

「武器を自ら捨てるなど、恐怖で壊れた――」

「生憎、マトモな頭ならとっくに壊れてんだよッ!」

「!」


 眼前に飛来したスピカを眺めて嘲笑し、次を放とうとしていたペリダスの目に、異刃に引き寄せられる形で空中に現れたヒビキの姿が飛び込む。

 完全に予想外の状況に動揺しつつ、ペリダスは放射方向を変えるが、人形の一手が先を行く。

 スピカの柄を掴み、ここまで来た速力を活用して身体を一気に捻り咆哮。

「『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ァッ!」


 無数の蒼の剣閃が夜の闇と赤の装甲を切り裂く。


 奔り回った超高速の斬撃は敵の全身を完璧に捉え、装甲を破壊しながらペリダスを空の世界から追放。

 落ち行く『正義の味方』の前に再び蒼の異刃。そして、異刃に引かれてヒビキが迫る。

 空中の激突は人形の少年が速力で勝り、ペリダスは地面にめり込む。

 更なる追撃となる鮫型の水塊を跳ねて躱し、体勢を立て直す『正義の味方』の身体から左腕が消失。再生する気配は皆無。

「……君は一体、何をした?」

「さぁ、何だろうな?」

 自力で実現可能な範囲を超えた移動による、強い吐き気を抑えながら、ヒビキは出来損ないの笑みを返す。

 手品のタネはカラムロックスの影との戦いまで遡る。

 『魔血人形』の力を解放した時、ユカリの手にあったスピカを、強力な魔力の放出で己の手に連れ戻した。

 引き寄せられるのなら、魔力解放を全開にすればスピカに向けて飛べるのでは?

 極めて薄い根拠に基づいた賭けに勝利し、ペリダスを引き摺り下ろしてみせたが、これで勝率が増大したとの楽観的な見方を、ヒビキは否定する。

 失敗時の痛過ぎるリターンを恐れ、投擲開始から魔力解放は全開。これを何度も行うと当然継戦時間は縮む。かと言って、片腕を失った今でもペリダスは力を温存して勝てる相手ではなく、相手の知能からすると、気付きに至るまでの時間も短い。

 決着までの時間は、最後にどちらが立つにせよ僅かな物。

シャァァァァァッ!」

 甲高い咆哮。距離を詰め、必中の射程で斬撃を放つ。

 穿孔器で斬撃を受け流し、胸部から紡ぎだした『潰点射槍ホローアス』でペリダスはヒビキの首を狙う。対して、放たれた鉄槍を右拳のかち上げで弾き、がら空きの胸部を強引に引き戻したスピカで殴打。

 決め手にはなり得ないが、騎士の体勢を崩すには十分。

 胸部が衝撃で歪んだペリダスに接近し、大上段からスピカを叩き込むも、超人的な反応で『正義の味方』が動く。

 穿孔器を跳ね上げて身体を守り、得物が激しく軋む。

 絡み合った両者は、塊のまま建設途中のビルの中に転がっていく。

 珍しく運が味方したのか、骨組みの鉄骨がペリダスの背中に激突。近年の技術発達で、格段に強度が増した鉄骨が容易に曲がる衝撃に、さしもの『正義の味方』も苦鳴を漏らす。

 動けない相手に突きの雨を放ち、穿孔器を戦いの場から追放。のみならずペリダスの装甲の大半を破壊する。


「逃がすかッ!」


 終わらせる為の一撃は敵が空中に逃げた事で強制停止。

 当然ヒビキはスピカを投擲して追うが、相手のいる場所に辿り着いた時、彼は痛恨の失策を犯したと気付く。

 

「どんな手品を君が使おうと、これで終わりだッ!」


 ビルを瞬時に崩壊させた謎の技の発動準備が完了し、後は放つだけとなっている事実に、ヒビキの体温が一気に低下する。

 スピカを握るまで進路変更が一切出来ない点を、ペリダスは見抜いたのだ。まんまと墓穴を掘ったことに歯噛みするが、現実は変えられない。

 ――ここまで来て死ねるか。また何か見つけ出せ!

 現実逃避に近い思考を行うヒビキの前で、黄金の光は無情な輝きを増していく。

 勝ち筋、いや逃げ場も皆無の、完全な詰みに追い込まれた彼の視界が、一瞬の内に蒼白く塗られる。

 「……は?」

 これが走馬灯か。

 疑問を抱いたが、眼前に映る物が精神を逃避させる優しい物ではなく、相も変わらず『正義の味方』という点で、ヒビキは自身の問いを否定する。

 先刻までと異なる点はたった一つ。 


 ヒビキの目に、世界は停止しているかのように映っていた。


 この状況に至るまでに、ペリダスは既に発動準備を終えており、どう足掻いても先手を取れない状況だったのは不変の事実だ。

 にも関わらず、敵はまるで時が止まったように、最後の一撃を放ってこない。

 否、時間は確かに流れている。

 このまま放置していれば、ペリダスが仕掛けてくる事は間違いない。だが流れが異常に遅いのだ。

 ――なんだか知らねぇが、与えられたなら使うしかない!

 空気の流れさえも視える程に低速化した世界の中で、唯一平常通りの速力で動ける存在となったヒビキは、スピカを一度納刀し、そして現象に対する疑問を振り払うように抜き放った。


 失速した世界で、人形の少年によって放たれるは神速の一撃。


 放った本人も驚愕する、膨大な魔力の海嘯がペリダスを、いや周囲の建造物も飲み込んで押し流す。


 海嘯は発動者の意思を汲み天空に進路を向ける。


 神話世界の海竜が引き起こす奇跡に似た、巨大な渦潮の柱が一瞬形勢された後、蒼光と共に霧散する。

 重力の法則に再び捕らわれ、落下する建造物の中に頭部を喪失したペリダスを視認した瞬間、蒼光に包まれる時間は終わりを告げ、急速に世界が加速。

 事実の理解より先に、力の大半を消費したヒビキは偶然か必然か、ペリダスが叩き落されたビルに着地。


「君は一体、何をした……?」

「さあな。お人形の小細工なんぞ、気にしなくて良いんじゃねぇの?」


 頭部を完全に喪失し、装甲の各所に亀裂が生じたペリダスに向けて、虚勢を多分に含んだ皮肉な笑みを浮かべたのも一瞬。

 ヒビキの表情に影が差し、口から血と黒い粘性の液体が吐き出され、視界が激しくブレる。

 ――今の訳分かんねぇ動きで、かなり使ったな。……ッ!

 アイリスからの援護は続いているが、力の消耗が上回る状況では、戦いが縺れ込めばいずれ行動不能に陥る。

 加えるなら、起こった事象の意図的な再現は現時点では不可能。


 奇跡の再発には縋れない。故に、ヒビキは前進する。 


 揺らぎと共に夜を裂き、両者が空中で激突。

 初撃で散った閃光が消える前に展開された、幾条もの激突に競り負けて地面に落ちるヒビキを見て、追撃に動くペリダスの鼻先にスピカが迫る。対処法を見抜いている為にほくそ笑む『正義の味方』の視界が、瞬く間に蒼く染まる。

 予め紡がれていた『零下水縛』が切っ先から放たれ、ペリダスの全身に過冷却状態の水の縄が絡みついて凍結。

 武器を振るえなくなった相手を他所に、スピカに引き寄せられた人形が月を背に拳を引き絞り、放つ。

 破砕音。そして苦鳴。

 放たれた渾身の右は、『正義の味方』の胸部装甲を貫通し、そこから黒煙を噴出させながら敵を地面に叩き落とした。


「『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』ッ!」


 激しく咳き込みながらも尚、闘争心を燃やすペリダスに対し、ヒビキは空中から追撃を選択。水塊で形成された鮫がスピカから放たれ、相手を喰らい尽くすべく接近。だが、その動きは不自然な形で止まる。

 標的を喰い尽くした場合と異なる不自然な停止に、目を眇めたヒビキの表情は瞬く間に驚愕に転じる。


「おいちょっと待て、水の塊だぞ! 何やったら受け止められるんだよ!?」

「……私は私の物語の主人公だ。主人公は必ず勝つものだろう?」

 

 賢し気に振る舞う者は嘲笑するであろう、クサい科白を返してくるペリダスに、ヒビキは沈黙する。

 『鮫牙断海斬』で放たれる水の量は、正確な記録はないが恐らくトン単位。故に、ハンナでさえも真っ向から受けずに破壊を選択したと、ヒビキは理解していた。

 ヒト族の頂点に立つドラケルン人の精鋭が回避した技を、眼前の敵が成してみせた現実を処理しきる前にペリダスが再接近。反応してスピカを前に掲げるが遅い。

 穿孔器が左上腕部を貫通。

 器を破壊されて沸き立つ熱い血肉が頬を叩き、骨が砕ける音が響く中、苦悶を浮かべたままスピカを放り捨て、左膝を強引に引き上げる。

 拳を受けた前例からか、ペリダスは穿孔器をヒビキから引き抜き後退。

 膝打ちは空振りに終わり、ヒビキは攻撃を中断してスピカを戻して着地。

 着地地点に放たれていた火球を切り捨て、勢いを活用して周囲の鉄骨を跳ね回りペリダスを追走。

 ――振り出しに戻りつつ、地獄への道は着実に進んでいる感じか。どうするッ!?

 焦りを抱きながら追走する中、接近してくる既知の第三、そして未知の第四の魔力を感じ取ったヒビキは、突如追走を止め力の解放を停止。無意味極まる棒立ちの状態となる。

 当然相手は攻撃に転じ、力の解放を止めたヒビキに避ける術は無い。

 

「――――かッ!」


 『正義の味方』の渾身の刺突が腹部に決まった。

 

 右の拳が切っ先が体内を通り抜けて、背中から視認可能な状態で何度も捻られる。

 体内で骨肉が盛大に破壊される感触に、ヒビキの口から絶叫が零れる。

 数分間、徹底的に体内を破壊された相手を見て、ペリダスは勝ち誇った様子で言葉を放つ。


「君には死以外の未来は最早ない。私の――」

「……分かっちゃいねぇな。俺が、意味もなくこんな真似をすると思ったか?」


 割り込む形で、蒼白な顔に笑みを張り付けたヒビキが口を開き、同時に力を解放。

 激しく痙攣しながらも、ペリダスの両肩を掴む。


「テメエの言う通り、この世に生きる奴は誰もが主人公だ。けど、そりゃ誰にでも当て嵌まる理屈だ。……となるとアレだ、散々言っていた、強い意思とやらを持つ奴が複数いる方が勝つのが常道だ!」

 

 ヒビキの両手が乗せられた『正義の味方』の身体が、急速に凍結を始める。


「これは『零下水縛アリーニス』か! しかし、君にはこれほどの――」

「だから力の解放を止めたんだよ! ……頼むぜ、フリーダ!」


 不意に、両者の観劇者となっていた月が陰る。

 反射で振り向いたペリダスの目に映るは、彼の身の丈を遥かに超える巨岩。

 巨岩は空中で高速回転し、やがて二人を圧潰させるべく急降下。

 ペリダスは当然回避を試みるも、彼の足は既に凍結して地面に固着済みで、頑として彼の意思に背く。解除には眼前のヒビキの殺害が必須となるが、どう動くにしても遅すぎた。


「おおおおおおおおおおおッ!」


 岩の内部から絶叫を響かせ、巨岩が正義の味方に激突。

 のみならず、耳障りな金属の悲鳴と破砕音を轟かせながら、ビルを引き千切ってペリダス諸共地面に堕ちる。

 落下後の両者は、獣に似た咆哮と共にめまぐるしく移動しながら打撃戦を展開。喪う物もなく、そして譲れない物を抱えた両者の一挙一投手足で、大地が鳴動する。

 残された力から可能な最善手を模索する途中、疲弊しきっていたヒビキの左手から、スピカが滑り落ちる。


「しまっ――」

「任せて!」


 聞き慣れた、だがらしからぬ強い調子の声と共に、毒々しい赤を翻す少女が、堕ち行くスピカを左手で掴む。

 条件を満たす存在、即ちユカリはヒビキに一瞬目配せした後、彼の元に向かわず乱戦の中へ突き進む。

 圧縮空気の噴射によって、今まで以上の速力を手に入れた少女は、両の手に握られた二つの得物を眼前に掲げ、『正義の味方』に振り抜いた。

 暴風と蒼光、二つが絡み合って生物のように蠢きペリダスに喰らいつく。

 『正義の味方』が展開する、『輝光壁リグルド』を一瞬で貫通し、彼の肉体を少しずつ削り取っていく。


「行ける、行けるぞユカリちゃん!」

「私を、舐めるなぁッ!!」


 勝利を確信したフリーダの言葉に被せるように、全身を震わせてペリダスが絶叫。

 命が尽きるリスクを承知で力の波濤を強引に突破し、残る右腕でユカリの腹部を殴りつけて宙に浮かせ、彼女の細い首を締め付ける。

 瞬く間に顔色を青くして、全身を痙攣させる彼女は、最後の力を振り絞り二つの得物をペリダスに投げつけるが、当たる筈も無くそれらは闇に消える。

「本当に君達は不愉快だ! 大人しく隅で震えていれば良かった物を、しゃしゃり出てきて散々に邪魔をしてくれた! 君達だけは――」

「いいえ、負けるのは私達ではありません。貴方です」

「!」

 今にも意識を手放しそうな状況で、確信に基づく言葉を吐いたユカリの様子と、瞬く間に接近する気配に、ペリダスは弾かれたように振り返る。


 夜空に蒼白い二つ目の月が浮かんでいた。 


 脱落した筈のヒビキが、ユカリが持っていた『蒼異刃スピカ』と『颶風剣ウラグブリッツ』を携えて、仕掛けに移行。

 友人に加勢する力が残されていなかったヒビキは、ユカリの手からスピカが離れた瞬間、咄嗟の判断で高速移動を行った。

 曲芸染みた真似をヒビキが可能にしたと、ユカリは知らない。だが知らず知らずの内に、彼女はこの状況下で最高の一手を打った。

 ユカリを放り捨ててペリダスは逃げを打つが、その判断は遅過ぎた。 

 既に攻撃準備は整っている。

 初めて行う二本持ちにも、この一撃の為に図らずもお膳立てをしてくれたユカリの為、そして、フリーダやベイリス達、アイリス・シルベストロの為と思えば、不安など何処にもない。

「私は負けん! 私の同胞の為に、そして――」

「負けられねぇのは皆同じだ! 喰らえよ『鮫牙颶閃連刃カルスデン・ウラヴィエルグ』ッ!」

 超高速回転する二つの刃。

 極限まで小型化された竜巻と化した風の刃と、凶悪な切断能力を誇る水の刃がペリダスの肉体を捉え、弱体化して尚強力な防御を貫通。彼の肉体を一方的に噛み砕く。

 旋回を止めたヒビキは、風の檻に囚われ、水の刃で徹底的に刻まれる敵の姿に痛みを覚える。

 彼とて迷い込んだ被害者とも言える存在だ。刃を交える選択は間違いだったと、良識ある者からの誹りは受け入れなければならない。

 だが、既に選択の時間は過ぎ去った。

 ペリダスが闘争を選択し、ベイリス達がそれに対して闘争を選び、ヒビキ達は後者に与する選択をした。

 後戻りの出来ない世界に於いて、ここで選択を翻す事こそが正当でない行いで、尚且つ翻したとしても、皆が笑って立つ幸せな世界など訪れはしない。

 だからこそ、ヒビキは選択する。

 

 一閃。


 放たれた蒼の異刃による垂直の斬撃が『正義の味方』の肉体を二つに断ち割り、相手の有する魔力を喰らい尽くした。


                 ◆


 何による影響か、非常に低速で落下していたユカリを空中で受け止め、両断されたペリダスの半身がある場所に、ヒビキは降り立つ。

 落下防止用のフェンスに凭れさせる形で少女を座らせ、呼吸の確認や傷の検分などを行い、大事ないと判断したヒビキは安堵の溜息を吐く。

 そして、この戦いの相手に向き直る。

「よう」

「……最後も君か。まったく不愉快だ」

 消滅を待つだけの状態で転がるペリダスの半身から、驚くほどに穏やかな声が発せられる。一つだけ残った気がかりを解消すべく、ヒビキはペリダスに問いを投げた。

「あの時、なんで俺を選んだ?」

「言った筈だろう。君が――」


 二度目の答えを、ヒビキは否定して問いを重ねる。


「お前の性格からして、俺を一人にするのはおかしいんだよ。あの場で孤立させて殺害するなら、あの場で最強の、そして実際にお前の能力を封じたマルク・ペレルヴォ・ベイリスが最適解だ。勝つ為の最善手を選んでいたお前が、非合理的な選択をした理由はなんだ?」


 両者の荒い呼吸だけの時間が一瞬流れた後、ペリダスからくぐもった笑声が吐き出され、ヒビキは身を固くする。


「消滅を待つ者が、出し惜しみをするのも変な話だ。……君は、私と同じだったからだ」

「はぁ?」

「身体構造ではない、立ち位置の話だ。分かりやすく言うなら、君の後ろで眠っている少女だ。私と君は、彼女と同じ立ち位置だ」


 言葉を咀嚼し、顔から色が消し飛んだヒビキを他所に、『正義の味方』は最後の嫌がらせと言わんばかりに答えを吐き出す。

「君もまた、何処か別世界の住民で、この世界に迷い込んだ者だ。同じ境遇であるのに、君は安穏と日々を重ね、私たちはこの姿故に、闘争以外の選択はなかった。そう思うと、君がどうにも憎く感じた。……気付いていなかったとは、最後になかなか面白い物を見れた」

「……俺が異なる世界の存在だと? 寝言を言ってんじゃねぇッ!」

「肯定と否定、どちらを選択したところで真実は変わらない。精々、君がこの世界で胎動を始めた、ふざけた事象に振り回される様を笑って見物するよ」


 アガンス全体に響き渡る哄笑を残し、力を使い果たしたペリダスの肉体が細かな粒子と化し、風に巻き上げられここではない何処かに去った。


 死者の特権は世に存在する全ての憂いから解放される事だと、何処かの哲人は語った。


 逆説的に生者は憂いに囚われ続け、永遠に解消されないと知りながら抗う、滑車の中の鼠のような無意味な働きを継続する義務があるのではないか。

 勝者だった筈のヒビキは、敗者が遺した憂いから解き放たれる術を、持ち合わせてはいない。


「……俺が、この世界の、存在ではない? ……有り得ねぇよ。だったら、俺は一体、何者なんだ?」


 最後の最後に押し付けられた、答えを出せない問いが、夜が明けつつある空で何度も繰り返された。




 

 

 

 

 

 

 

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