1.ハロー、ジャンクヤード
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一人の少年が、大量のゴミの中で息を潜めていた。ゴミの種類は千差万別、放置され続けて風雨に晒された事で恐ろしい悪臭と、ヒトの身体には有害でしかない気体を放っているが、少年は意に介した様子も無い。
顔の大半がフードに覆われ、目元もそれによって覆われている為に表情は分からないが、露出した首は大量の汗の筋が出来ている事から考えるに、恐らく相当の時間こうしているのだろう。
「……!」
静寂を打ち破り、ゴミ溜めに音が生まれた事で少しだけ、本当に少しだけ、永らく動いていなかった少年の身体が動く。
視線の先に、ゴミの中にある金属を喰らう為か、全長が四メクトルはあろう巨大な身に、大量の棘の装飾を持ったトカゲ、この地方では多々見られる生物の一種であるバスカラートが這っていた。
直接エサを取り合う他の生物がいない為か、少年の存在に気付いていない為か、巨大なトカゲは非常に緩慢な動きで、ゴミ溜めから金属を掘り出し口の中へと放り込んでいく。
耳障りな咀嚼音が生まれ始めた時、バスカラートの身体のある一点に、蒼白い光がポツリと差した。同時に、少年が小さく息を吐く。
転瞬、光の差していた部分が爆ぜ、紅い血と肉が周囲に飛び散り、地面のゴミに点々と染みを作った。
バスカラートは痛みと、自らの肉体に突如起こった変化に対しての恐怖からか、鈍い悲鳴を上げながら倒れ伏すが、その巨体が功を奏したのか、生命活動の停止にまでは至らなかった。
体勢を立て直して、自らに危害を加えた敵を探し始めた時、彼の右前足は消失し、勢いよく血が噴き出す。
「――ッ!」
何時の間にかバスカラートの前に躍り出た黒い
反撃を貰えばかなりの痛手は免れないであろう体躯の持ち主が相手でも、五体不満足な状態に陥っている状態では少年にとっては恐れるには足らぬようで、目の前の巨躯の持ち主はすぐに屍へと姿を変えた。
無数の刀傷から流れだす血が、地面を少しずつ染めて行く。終幕である。
自身はほぼ無傷であるにも関わらず、黒のコートとズボンを身に纏った、一・七六メクトルの肉体を持つ少年に喜びの色は薄い。
何も言わずに亡骸を眺め回し、血で手袋が染まる事も気にせずあちこちを触り、彼の中で何らかの結論が出たのであろう時
「……全ッ然、普通の個体じゃねぇか! ビビッてた皆も、それを間に受けて張り込んでた俺も馬鹿みたいだ!」
怒鳴り声を上げながら地面を埋め尽くすゴミを蹴り飛ばし、頭を覆っていたフードを取り払う。
一筋だけ青色の混じる黒髪と黒の瞳、子供と大人の中間点に居ると朗々と主張する中性的な顔は、暫し怒りに歪んだ後、やがて落胆のそれに塗られる。
「アテが外れた。豪遊の夢が……」
肩を落としながらも気を取り直し、少年はバスカラートの亡骸の解体作業を始める。自らの斬撃によって損傷が激しい部分を完全に切り落とし、運搬が可能なように背嚢に入れてあったロープで後肢を縛って引き摺り始める。
後は住処に戻り、バスカラートを換金するだけだ。
少しばかり肩透かしを食ったものの別段特別な事は何もない、彼にとって日常の光景だったが、得体の知れない物が背中を撫でる不気味な感触に反応して足を止め、空を見上げてすぐに険しい表情を作った。
時刻は夕暮れ時ではあるが、彼の常識の中にある夕暮れ時の空からは遥かに遠い、溶岩の如き紅蓮が彼の視界を埋めていた。こんな光景は彼の人生の中では一度も見た事が無く、明らかに日常から外れた光景だった。
自然現象について、ヒトが把握出来ている物はほんの僅か。また新たな未確認現象がたまたま起きただけ、と笑い飛ばせるかもしれない。
そう思いながら、少年は自らの住処へ亡骸を引き摺って行く。しかし、胸の中に生まれた不穏な異物は、いつまで経っても消えてくれはしなかった。
◆
少女は、自分の家に帰宅するべく地下鉄に揺られていた。とある県立高校の制服に身を包んでいる事から察せられるように、学生の身分である彼女は、学生らしく今日手渡されたプリントの中身に頭を痛めていた。
「補習、多いなぁ……」
現代の社会体制が著しい変革を迎えない限り、日本の高校二年生の夏休みという物は、結構な日数を補習に食われる事は変わらず、一応覚悟はしていた。だが、これほどの量は予想外だった。
「うーん……」
自由が大幅に削られる今年の夏休みを、どうすれば最良の物へと出来るのか。悩み始めた少女だったが、震えに気付いて取り出したスマホの画面を見て、今自分が一人で公衆の場にいる事も忘れて小さく拳を握りしめた。
「やった! 当たってる!」
画面に映し出されるは、少女が贔屓にしている最近メジャーデビューしたばかりの、ロックバンドのライブのチケット当選の知らせ。しかもCDで興味を持ち、行ってみたいと言っていた友人の分も当たっている。
まだまだ売れているとは言えないものの、公演を行うハコが小さいお陰で争奪戦が予想され、まさか地元のライブハウスでの公演が取れるとは思っていなかった。
ごくごく限られた期間、限られた業種のバイト以外は許可されていない事に加え、補習にぶち当たっているせいで都心の公演を諦めざるを得なかった彼女には、とんでもない幸運のように感じた。
「時間が限られてても、楽しめるよね」
そう思い直して、少女は計画を頭の中で練り始める。まず、帰宅して荷物を置いた後に父親への誕生日プレゼントを買いに行く、と決めた辺りで自分の降りる駅が近づいているアナウンスを耳に捉え、膝の上に置いていた鞄を肩にかけて立ち上がる。
そこで、自らの胸元から発せられている奇妙な光に気づき、発信源を取り出して見つめる。
「……」
細い鎖で構成されたネックレスの、唯一の装飾要素である紅い石が瞬いている。両親から手渡されてはや五年が経過し、ルールやマナーとして外して然るべき場所以外ではずっと身に付けているが、こんな現象は見た事が無い。
少女が首を捻った時、暴力的な震動が身体を蹂躙する。
「ひっ!」
狂騒が始まった車内では自らも聞き取れない短い悲鳴を上げ、少女は反射でドア付近の手すりを掴んで転倒を免れる。
だが、事態はその程度の動きでどうこう出来るものでは無くなっていた。
地下鉄は激しい振動に晒されてから、通常なら自動停止装置が働いて減速する筈にも関わらず、何故か加速が終わる事なく続き、およそ地下鉄という乗り物が出して良い領域では無い速度にまで達する。
「――かっ!」
常軌を逸した勢いで吹っ飛んできた別の乗客が、身体にブチ当たって少女は苦鳴を上げる。
目的の駅などとうに通過し、加速を続ける地下鉄は、恐らく遠くない内に終着点へと到達して行き止まりへとぶち当たるだろう。痛みや恐怖に侵されつつあるが、そうなった時に自分はどうなるのか、理解出来る程度には少女はまだ理性を失っていなかった。打開策も無い、狂乱に満ちた車内では、彼女が完全に呑まれるのは時間の問題ではあろうが。
そうこうしている内に、視界が極彩色の光で塗られていく。いよいよ終わりが近付いているのだろうか。
諦観と絶望に塗られながらも、首にかかった、自分を嘲笑うかのように輝き続けるネックレスを握り締めながら、生に対しての執着を心の中でひたすらに叫ぶ。
――嫌だ、嫌だ。誰か、助けてっ!
はっきりと認識出来たのはそこまでで、少女はやがて意識を失う。
――安心なさい、貴女は選ばれたのだから。こんな所で死にはしない。……まあ、あくまでここでは、だけれどね。
記憶の何処を探っても、てんで覚えの無い声が聴こえた気がしたが、それについて思いを巡らせる時間は与えられなかった。
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