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街と外部を隔てる門に辿り着くなり、少年は薄く笑みを浮かべた見張りの男、ラリー・トルバートに大量の水をぶっ掛けられる。全身がずぶ濡れになった所で間髪入れず、頭上から白い粉末が降ってくる。
砂糖菓子のように真っ白になった所で、もう一度水を浴びせられる。
「前の人みたいにさ、魔術でスマートに殺菌したりとか出来ないか? ってかアイツいきなりいなくなったけど、何かあったのか?」
「俺はあんな芸当出来ないから伝統的な殺菌方式になるのは受け入れろ。そんでイアンゴは、密造タバコを捌いていたのがバレて査問会送りだ。帰ってくるかは知らん」
会話を交わしながら延々行われるこの行為は嫌がらせなどでは無く、少年が先程まで居たゴミ溜め、通称『マテリア・マウンテン』に行った者全員に行われる消毒行為だ。
季節や帰還者の体調など一切関係無しに行われる為に評判はすこぶる良く無いが。
「アンタも気を付けろよ。色々コスい真似してるって聞いてるぞ」
「一応違法では無い範囲に留めているからな、俺は逃げ切れるよ」
「偉いさんの法解釈が変わらないと良いな」
妙な調子で笑い合いながら二人は詰所に入り、少年は引き摺って来たバスカラートをトルバートに渡す。見張りは少年に対しての物と同様の行為を亡骸に対しても行い、板の上に置いた。
板が震えだす中、トルバートは腰に差していた拳銃型の装置を亡骸に押し当てて何かを探し、一通り確認した所で大きく頷いた。
「チェック完了だ。バスカラート一頭、確認したぞ。三・四メクトルの二百六十キロガルムってところだな。血晶石を体内に入れている訳でもないし、体の構造に特異な点もない。ついでに言えば腹の中に換金出来そうな物も無い。完全にデカいだけだな」
「誰だよ、デカいから強くて貴重な物が取れるって話流したのは」
「デカいと強いってのは、割と真実だからな。で、肉や鱗辺りなら持って帰れるけど、どうする?」
「全部金に換えるよ。別に素材が欲しかった訳でもないしな」
「分かった、ちょっと待ってろ」
カウンターの向こうへトルバートは移動し、最近この街に配備された軍用立体映像通信装置を起動させる。
型落ちであるせいか、それとも整備が悪いのか浮かび上がった映像は恐ろしく不鮮明な代物だったが、トルバート慣れた調子で読み取って行き少年にこの国の通貨である『スペリア』の束を手渡す。
枚数を数え始めた少年だったが、想定していたよりも早く数え終わってしまい、やや血色の悪い中性的な顔を顰める。
「少なくないか?」
「デカいだけのバスカラートじゃこんなモンだな。後、この間タサスクで竜が大量に討伐されたらしいから、しばらく価格は落ちるだろうな」
「別の奴狙いに行こうかなぁ……」
「構いやしないが死なない程度にしとけよ。さてと」
そこで会話を止め、トルバートは街に繋がる扉を開く。
「取り敢えずお帰り、ヒビキ。ま、金の事は気にせずゆっくり休めよ」
言葉に引き攣った笑みを返し、黒髪の少年、いやヒビキ・セラリフは自らの住処である街へと入っていった。
◆
インファリス大陸で、覇権を手にするべく今なお争いを続けている強国の一つ、アークス王国。その西の外れ、晴天ならば女王国も拝める場所にヒルベリアは存在する。
かつては農業で栄えたものの、突如として発生した大規模な土壌汚染によって百五十年程前に維持が困難となり、それに呼応するように同時期からヒトに対して牙を剝く生物が大量発生を始めた結果、すっかり荒廃を極めてしまった。
対処が追い付かない勢いで進む荒廃で中央からも見捨てられた結果、国中に張り巡らされたハイウェイを活用して、各地で発生したゴミの投棄場所と成り果てて、環境は更に悪化していった。
これによって、ヒルベリアから人々は去って行った――訳では無かった。
大量のゴミの中にも、売れば大金を掴める物が存在しているという可能性も皆無ではなく、ゴミに引き寄せられた生物を狩れば、山に入る狩人よりも楽に金が手に入るという事実に人々は気付いたのだ。
ゴミ捨て場となっているが故に、定期的に金の種は入って来る。金になる物を見極められる目利きと、生物を撃破する力があれば生きて行ける、そのような環境に人が集まるのはある意味で必然だったのだろう。
他の場所から集ってきた馬鹿と屑と敗北者が街としての形を再形成し、今でも『塵喰い《スカベンジャー》の街』との誹りを受けながらも、それなりの繁栄を続けている。
たった今、中心部の歓楽街『リディアルストリート』に無数に存在する飲食店の一つ『レディオン・ビアガーデン』で食事をしているヒビキ自身も、『塵喰い』として生活している。
「やぁヒビキ、景気が良いね。今回は何を狩ったんだい?」
「デカいだけのバスカラートを一体。武器のメンテナンスやら何やらって話までなら黒だけど、時間ってものを考えたら赤だな」
「ラープでの『正義の味方』討伐の方が割りが良かったね」
「多分そうだろうなぁ、あっちは軍隊も一緒だから楽に終わっただろうし」
テーブルに突っ伏したヒビキの対面の椅子に座った、この街の人間では珍しく手入れの行き届いた白い肌と茶色い髪を持った少年、フリーダ・ライツレはそんなヒビキの様子を見て笑う。
「ま、いいじゃないか。ちゃんと食事が出来ている訳だし」
「予定だと、もう少し良い物食ってる予定だったんだよな」
ヒビキの前に置かれた皿には、全身が硬質化した鱗でびっしりと覆われた魚『マルレピス』の塩焼きが乗っている。値段は二百スペリア程度と安い、味も値段相応なのだが。
注文を店員に伝えているフリーダをぼんやりと眺めながら食事を進めるヒビキだったが、舌が警戒信号を発した為に、顔を顰めて肉又を取り落とし、小さな金属音を鳴らす。
それを見て、フリーダがニヤリと笑う。
「外れを引いたみたいだね?」
顔を顰めたまま、問いに黙って頷く。
ヒルベリアへの食糧輸送の経路は極めて不安定だ。ゴミを運搬する為に用いられるハイウェイは、軍人と王国の認可を受けた運搬業者以外は使用出来ず、商人達は基本的に馬車などを用いて悪路を抜けなければならない。当然、そこには危険な存在も大量に生息している。
捕捉すると、貧乏人の多いヒルベリアに良い物を仕入れた所で、買い手があまり付かない問題もある。
故に良質な食品を取り扱う商人は、運搬の手間に対してのリターンの少なさを鑑みて、ヒルベリアにはあまりやってこない。
結果として、色々とよろしくない商人しか来ない為に食品の質は安定しない。碌でもない質の物を飲み食いした結果ご臨終、などという事も決して少なくないのだ。
そんなヒビキを見て笑いながら、フリーダはグラスに手を伸ばした。
「不味い程度で済むなら良いじゃないか、君はもう少し落ち着きを」
流暢な言葉が突如として止まり、笑顔が引き攣った。
「フリーダ?」
「店主、表に出ようか。客に対して出して良い物を理解していないようだね」
「数秒前、俺に言った言葉を復唱してみろよ」
「他人に対してなら、幾らでも言えるものなんだよ」
「……そうか。まあ良いや。お前、さっき空が変な色になってたところ、見たか?」
「いや、ついさっきまで工房にいたからね。出てからも、ここまで来る道中で特に変色は見受けられなかったよ」
切り替える為のネタ振りに食いついてくれた所までは良かったが、ヒビキ自身空の変色に関する知識を持っていないので、話題を膨らませようがない。
「後で『ケヴァルス』で聞いてみるか……」
「それをする必要は一切ないんだよ!」
「君が会話に入ってくる必要も一切ないと思うんだがね」
「お断りするんだよ!」
客同士の会話とラジオから流れるアイリス・シルベストロの歌が織り交ざり、適度な範囲に収まっていた喧騒の度合いを、極端に引き上げる声が店内に響く。
フリーダの反応から推察するに、大方の推測は可能ではあるが、ヒビキは声の主の方へと向き直る。彼の予想通りの存在がそこには立っていた。
「ヒビキちゃん、久方だね! そろそろウチの店に『研磨石』と運搬用のトラックと、アレ以外の目的で顔を出して欲しいな!」
「金が貯まったら考えるさ」
「そう言ってずっと来てないじゃない! 良いのが入ってるんだよ。ラ・ディヨン社の最新型魔導剣! 職人フレール謹製の『試作型二形態剣スタベロウ』! そしてあのベイリスの部隊も愛用の強化用水晶! さぁヒビキちゃん、一品くらいは買うんだよ!」
「貯まらないんだから仕方無いだろ。……それとベイリスの名前を出すな」
「それで、君はヒビキの言う空の変色について、何か知っているのかい?」
終わりが見え無さそうなセールストークとその受け流しに、上手く割り込んだフリーダが年齢不相応な一・四九メクトルの小さな身体に、ボロボロのツナギを纏った少女、いやライラック・レフラクタ、通称ライラに問い掛ける。
ライラは長い紫色の髪が大きく動く程に大げさな所作で、フリーダの問いに肯定を示すポーズを取った。
「空の変色はね、空間が不安定になっているっていうサインなんだよ! 空から変な物が振ってきたりとか、地面から魚が出てきたりとか、二人も経験した事があるでしょう?」
心当たりの有った二人が首肯した為、ライラは笑顔で何度か頷いていたが、表情と声色を急変させて、語りを再開させる。
「ただねぇ、今日みたいな激しくて、尚且つ一目見たら誰でも『おかしい』って思える程の変色は前例が無いんだよ……。今までより、何か激しい変化をするかもしれないね」
「何か激しい変化、って例えばどんな?」
ヒビキの問いに、ライラは妖しい笑みを浮かべて答える。
「違う世界の住人が来たりとか、しちゃうかもね!」
あまりにも突拍子も無い答えに、ヒビキは沈黙する。
呆れたような表情を作りながら、フリーダはヒビキに替わって口を開いた。
「ライラ、君が夢想家であるとは知っていたよ。だからと言ってお伽噺の様な事まで言いだすとは思わなかった。違う世界だって? そんな馬鹿げた物、有る筈がないだろう」
「フリーダは頭が固いねぇ。駄目だよ、変な所だけ大人になったら」
「見た目も中身もお子様な君に言われてもね」
「お子様ゆーなっ! 君達二人と同じ、十七歳だぞっ!」
「ならもう少し身長を伸ばすべきだと僕は思うよ」
「ムキ――ッ!」
いつものように下らない言い争いを始めた二人を放っておいて、ヒビキは食事を再開しようと肉又を手に取り、塩焼きを突き刺して口に運ぶ。その時、グラスに入った水が少し揺れている事と、騒がしい音が外から発せられている事に気付く。
窓の外へ視線を向けた所で、彼が抱いた疑問はすぐに氷解する。
店の前の路上には、アークスでは三十年辺り前から出回り始めた、揮発油で動くエンジンを積んだ巨大な荷台付きの発動車が停車して、水や食料を積んでいる光景が繰り広げられていた。
首都ハレイドを始めとした、住民が土に塗れずに済む職業の比率が低い街の住民が所有する代物は、当然ヒルベリアの住民の所有物ではない。もう少し注目して見ると、更なる答えが明かされる。
「……バトレノスへの希望者の徴兵、か」
「また聞きのまた聞きだけど、戦いは拮抗してるからねー。腕に覚えのある人を片っ端から集めてるらしいよ」
「もう三、四か月はやってるけど、まだ決着が付いてないのか。資源が出るからって、お互い飽きないね。ライラ、何か知ってる事はあるかい?」
「あんまり無いけど、ロザリスさん側は『ディアブロ』を出して来てるらしいよ」
「それはなかなかだね。こっち側も『四天王』を引っ張り出すかもしれない」
「派手なドンパチになりそうだな」
ここから馬車を使って南東へ向かって五、六日程度、発動車を用いれば三日程の所に位置するバトレノスでは、別の大国ロザリスと領有権を巡る争いが続いている。
既にここヒルベリアへの希望徴兵は二度目。あまり状況は芳しく無いのだろう。
「お前も行けば良い。上手くすれば終戦後に良い所まで行けるし、行けなくとも何かが変わるかもしれないぞ。お前の剣術は、俺の目から見ても悪くないからな」
フリーダの頼んだ料理『バスカラートと鶏の炭火焼』を卓に叩き付けながら、無茶振りをしてくる筋肉隆々の店員に対して、ヒビキは苦笑しながら切り返す。
「学もコネもないここの住民が行った所で、便利な自爆要因で使われるだけだ。それに、生き残っても大して上には行けないだろ?世界には無駄に強いのが一杯いるんだろうし、俺程度の実力じゃ昇り詰めるのは無理だ」
「冷めてるというか卑屈と言うか……」
「現実をしっかりと見てると言ってくれ。……ごっそさん、また来るよ」
必要な物を買った結果として薄くなった財布から、数枚の銅貨を取り出して卓に置き、ヒビキは店を出る。
振り返ると、フリーダとライラはまた熱い論戦を繰り広げていた。
◆
ヒルベリアの中心部からはかなり外れ、周囲に他の家が存在しない区画にポツリと建っている家の扉を、ヒビキは開く。日が東から昇り西へ沈むのと同様の当たり前の事実として、家には誰もいない。
背嚢を床に放り捨て、コートとその下に羽織っていた、ボロい白のシャツを椅子にかける。右腕にのみ包帯がキツく巻かれた痩身を露わにした状態で、ヒビキはベッドに転がる。
洗体設備、つまり風呂は壊れたままほったらかしなので、ここから近くの川に行くのが彼の日常だが、そんな気力が今日は湧かない。
「何かが変わる、ね」
店員の言葉を、何の気なしに空中に放り投げる。
このままゴミを拾い集め、ゴミに誘われて来た生物を狩る作業を続けても、食っていく事は出来る。だが本当にそれで良いのか、との思いは当然ヒビキにだってある。
かと言って、他に何も無い自分がアクションを起こした所で、劇的な変化など無い事も知っている。二、三日遅れてこの町にやって来る新聞の類は、繁栄している街で真っ当な努力を積んで善良に生きてきた人間でさえも、苦境に立たされる報せが紙面を飾る事も少なくない。
とうの昔に弾かれた輩が、入り込む余地など何処にも無いだろう。
「時間の無駄だな。寝るか」
無意味な思考の展開を打ち切り、ヒビキは目を閉じる。すぐに眠気は訪れ夢の世界に旅立とうとした、まさにその時の事だった。
「――うわっ!」
突如発生した揺れで強制的に覚醒させられ、咄嗟に傍らに置いてあった得物を左手で掴みとって床に伏せる。
色々な物が砕ける耳障りな音を暫し提供した後、揺れは終息する。
当然の反応として、家を飛び出して周囲の様子を伺うヒビキの視界に、またしても空が紅く染まる光景と、ある一点から盛大に煙が立ち上っている様が飛び込む。
落雷や、溜まったゴミによって生じたガスで爆発が起きる事は多々あるが、それだとここまで激しい揺れと空の色が説明出来ない。
「……取り敢えず行ってみるか」
一旦家に引き返して上着を引っ掛け、ヒビキは煙の発信源へ向かって走り出す。
ひとまず、何処のマウンテンが炎上しているのかを確認するには、中央部まで行くのが最良と判断して走っていたヒビキだが、道中でフリーダとライラに出くわして足を止める。
「おおヒビキちゃん丁度良い所に! コトが起きたのは第三っぽいよ。急ごう!」
「早く行かないと、美味しい所を取られるからね」
「……だな」
二人に賛意を示し、方向転換をして再び走り始める。その中で、とある疑問が浮かび上がり、ヒビキは問いかける。
「ライラ、お前も一緒に行くのか?」
「そりゃぁそうだよ! 世界が繋がったかもしれないのに、行かないチョイスは無いでしょ?」
「またそれか……」
会話を打ち切って、ヒビキは走る事に再度集中する。
日常が崩壊する恐れを、内心で少しだけ抱えながら。
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