3

 第三マウンテンはヒルベリアの南部に位置しており、先程ヒビキがバスカラートを狩った第一マウンテンに比べ、辿り着くまでの時間が短い為に、一定の『塵喰いスカベンジャー』が常に存在している。

 それでも、町の中心部であるリディアル・ストリートから走って三十分程を要するのだが。 

 息を少し切らして到着した二人と、既に体力の限界を迎えてヨレヨレになっているライラは、自分達以外に誰もいない事に一瞬疑問を浮かべたが、目の前に広がる無惨な光景に思考を塗り潰された。

「馬車か何か、かな?」

「ライラの持ってる運搬型発動車じゃないのか? それか鉄道車両とかか?」

「……損傷が大き過ぎて正解は多分出ないよ」

 大量に積まれたゴミの山の中腹に突き刺さるような形で、金属と見られる素材で構成された、車輪の付いた物体が炎に塗れていた。

 元は窓が嵌め込まれていたのか、所々に設けられている四角い隙間には、黒焦げになった人間と思しき物体が引っ掛かっている。

 更に、炎上の被害を免れて外に這い出た人間が、大量の生物に取り囲まれて餌と化している。グジュッ、ペチャッといった生々しい音が耳に障る。


「なかなか酷いね。生存者、居るかなぁ?」


 彼女らしからぬ深刻な声音を、ライラが作るのは無理もないだろう。このような光景など、そうそうお目にかかれる物ではない。知らず知らずの内に、頬に汗が伝う。

――けれども、この訳分かんねぇ物からは、何か稼ぎになりそうな物が出てくるかもしれないな。見た事ない分、色々と期待出来そうだ。……それに、明日になればまた新しいゴミが来て、調べられなくなるだろうしな。

 恐れを抱きつつも『塵喰いスカベンジャー』としての性分が蠢き、ヒビキは右腰に差した物体の柄に手を掛け、フリーダに目配せをする。長い付き合い故にか、すぐにヒビキの意図を汲み、笑みを浮かべた。


「了解、いつも通りやろうじゃないか。幸いな事に同業者はまだ来ていないから、さっさと片づければ旨みも大きいだろうしね」

「決まりだな。……ライラ、お前はどうする?」 

「ふっふっふ。私だって、いつも足引きマシーンじゃないんだよ! 今日はしっかりバッチリと対策を用意してるよ! それを発動させるまで、しっかり護衛頼むよ!」

「勝手な事言うもんだなぁ」


 ひとしきり軽口を叩いた後、二、三回ほど大きく深呼吸して、精神から揺らぎを消し、目をこらして敵の数を確認する。

 金属の物体に餌となる多くのヒトが入っていた為か、八枚の複雑な羽と頑強な甲殻を持った小型の、といっても一メクトル程はある昆虫『スケルビー』と、バスカラートの未成熟体、そして帆に似た板が背中に聳え立つ四足歩行のトカゲ、『ディメナドン』が百近く。

 油断は出来ない数、だがその殆どが食事に夢中で、こちらに対しての注意という物が欠落していた。足音を殺して接近し、距離がある程度縮まった所でヒビキが手で合図を出し、二人は不安定な地面を蹴って駆けだした。

 先鋒は、いつも通りにヒビキが努める。

 スケルビーの一体が、敵の接近に感づいて耳障りな羽音を発するが、対処するには何もかもが遅すぎた。

「――ァッ!」

 ヒビキは形容し難い甲高い声と共に、右腰から得物を抜刀する。軽い金属音がマウンテンにいる者の聴覚を刺激する。

 

 一迅の風と、蒼白い閃光が空間に生まれた。

 

 同時に、眼前で浮遊していたスケルビー達の肉体がスッパリと切断され、断末魔の悲鳴と体液に因る派手な飛沫が上がる、のみならず地面に積もる大量のゴミにも刀傷を刻み込み、宙に舞い上げる。

 敵が落ち着きを取り戻すより速くにヒビキは体勢を整え、自らが有利な間合いに持ち込んでから返す刀で放った斬撃で、また多数の個体が生を斬って捨てられた。


「おお出ました! ヒビキちゃんのビックリドッキリ抜刀術! 愛剣『蒼異刃そういじんスピカ』の調子も、絶好調のようです!」

「馬鹿な事言ってないで静かにしてろ! そっちに注意が移る!」


 戦闘行為による感情の高揚に引っ張られて怒鳴りながらも、ヒビキは幾度もスピカを振るい、自らの担当範囲の敵を減らしていく。

 一頭のディメナドンが『牽火球フィレット』を発動し、数個の火球がヒビキに迫るが、全て斬り捨てて突進を継続し、トカゲの口腔へスピカの刃を滑り込ませ一気に回転。

 派手に上がる血飛沫を煙幕代わりに、ヒビキはさらに突進。

 更にスピカを振るいスケルビーの尻に設えられた鋼鉄の針をあっさりと破壊し、『擬竜殻ミルドゥラコ』で表皮を金属に置き換えて防御の構えをとったディメナドンの胴体を分断し、五体ほど纏めて飛びかかって来た、バスカラートを旋回しながらの斬撃で全て両断する。

 進路に存在する物全てを破壊しにかかる虐殺劇を目の当りにして、流石に警戒の度合いを強めたのか、魔物達は愚直に突っ込む真似を止め、一度ヒビキに対しての攻撃行動を停止して様子見に移行する。

 その間に少し呼吸を整え、こちらも『牽火球』をハッタリとして放って一定の距離を保ちつつ、フリーダの方へと首を巡らせる。

 恐らく奇襲の後に、フリーダを攻撃対象に選んだ生物の数は、ヒビキを対象としたそれより多かった。彼らは気まぐれでそう選択した訳では当然無い。

 いきなり抜刀し、派手に動き回るヒビキを視認した結果、一見丸腰で派手な動きをしそうには見えないフリーダを選んだのだろう。


 ある意味で正しいと言えるこの選択の答えは、彼の周りに散らばっている夥しい量の残骸で判断出来るだろう。


 残酷な現実を突き付けられてもなお、勇敢な一頭のバスカラートがフリーダに向けて突撃を仕掛けた。彼の有する鋭い牙ならば、ヒトの貧弱な肉体など容易にズタズタにする事が間違いなく可能。


 牙を狙った所に突き刺す事が出来れば、の話だが。


 バスカラートの牙を、フリーダは自らの左腕で受けた。

 通常なら湿った音と共に、血と肉が舞うのだろうが、そのような光景は展開されず、代わりに金属音と火花が散った。フリーダは左腕だけで、バスカラートの突撃を凌ぎ、そして押し負けずに張り合っている。

 一見非力に見える彼が持つ、恐るべき膂力故に起こりうる行動。少なくとも、ヒビキにはこのような芸当はとてもではないが真似出来ない。

 膠着状態が十数秒ほど続いた頃、目の前の人間が只の餌となってくれそうにもないと判断したのか、巨大なトカゲは一旦撤退の気配を見せた。意識をそちらにシフトした為か、今までよりフリーダにかかる力が弱まる。


「――せいっ!」 


 待っていたと言わんばかりに、フリーダは自らの右の拳をバスカラートに叩きこんだ。鈍い打撃音が生まれるが、傍から見れば只の拳による一撃、『擬竜殻』を発動せずとも高い防御力を誇る巨体には、大した効果が無い様に見受けられるだろう。

 次に展開される光景を見れば、その様な考えは粉々に粉砕されるのだが。

 拳を受けたバスカラートは、ブルリと身体を震動させ、体積を数倍に膨張させた後、紅い細切れの物体に強制的に転生させられた。奇術か何かと見紛う光景は見慣れた筈のヒビキにも、薄ら寒い物を背中に這わせる。


「フリーダの格闘術も、奴の付ける『破物掌甲はぶつしょうこうクレスト』も絶好調! ……って、近い! 敵さん達近いよっ!」

「何囲まれてやがるんだこの阿呆!」


 ライラの声から彼女の置かれた状況を察したヒビキは、全速力で彼女の元へと疾走してバスカラートの群れに乱入、今まさに袋叩きにされようとしていたライラを引っ掴み、スライディングしながら距離を取る。

 ゴミの中にあった突起物などでコートや背中の皮膚が裂けた事による痛みと、激しい摩擦による熱が不快感を呼び起こすが、今はそちらに意識の天秤を傾けている場合では無い。


「ヒビキちゃん、間一髪の所での救助、大感謝するんだよ!」


 ライラはへらりと笑いながら、いつも通りの緊張感の無い言葉を吐く。

 彼女が無意味であると明白な行動を取るほど軽率で愚かな人間ではないと、それなりの付き合いの中で理解はしているが、状況が状況な為にヒビキの声も意図せぬ内に荒くなる。

「二十ちょいに囲まれてんのに何でそんなに呑気なんだよ! もっとこう、緊張感を持ってくれ! 大体、お前丸腰なのにどうやって――」

「ヒビキちゃんの心配はよーく分かったし、しかと受け取ったんだよ! でも大丈夫! ……もう終わるからさ」

「……は?」

 二十を超える数の敵に対して、丸腰の人間が勝利への確信を持っている。それを持つ根拠が理解出来ず、目を白黒させているヒビキとは対象的に落ち着き払っているライラは、勢いよく声を発する。


「私だけ良い所が無い、なーんて面白くない事が有って良い筈がないんだよ! てな訳で、だね『魔食地雷パックマイン』起動!」


 徹頭徹尾軽い調子を保ったまま、ライラはパチンと指を鳴らす。彼女の行為の意図が分からずヒビキは首を捻った時だった。

 突如として敵の足下の地面が陥没し、姿が掻き消えた。

 地面の底に落ちた生物が発する鳴き声を無視してライラがもう一度指を鳴らす。すると周囲のゴミが陥没の上に覆い被っていく。

 あっという間に、空間に静寂が生まれる。陥没に飲みこまれた生物達がどうなったのか、覆い被さってきたゴミの量を考えれば考慮の必要はない。


「大成功だよっ! やっぱり私って――あいたっ!」

「凄いのは分かったからもう少し心臓に悪くない物にしてくれ、お願いだから。……さてと」


 周囲を見渡し、攻撃の意思を向けてくる生物の姿が見えない事を確認する。フリーダに視線を飛ばすと「敵影は無し」ハンドサインが返ってきた。ひとまず、終息を迎えたようだ。『塵喰い』としての本業の時間が始まる。


「見た事ない物だから、きっと凄いお宝が眠っている筈だよ」

「金属の類は君の工房に持ち込めば良いのかい、ライラ?」

「うん!」

「なら、三手に別れて調べるか。フリーダ、お前はどの辺りを調べる?」 

「そうだね……」


打ち合わせを済ませた後、恐らく九つ存在していたであろうこの金属の細長い箱を三つずつ、と言った割り当てで三人は探索を始める。

「しっかしこりゃ酷いな……」

 変形した扉を蹴破って、箱の中へと侵入を果たしたヒビキの第一声はこれだった。衝撃で圧潰していたり、何らかの原因でこの箱が炎上した為に黒焦げになっていたりと、一目見ただけでも大量のヒトだった物がゴロゴロしている有様では、無理もないだろう。


「……ハレイドとかで走ってる奴かこれ? いやでも、それにしちゃ人の数が多過ぎるような……」


 ヒビキは顔を顰めつつ、自分なりに推測をしながら箱の中の探索を試みたが、炎上して焼失した為か、目立った品を見つける事は出来ない。

 炎上による変質を免れた箇所を切り出して、少々の金属片を手に入れるに留まり、この物体が何であるのかの正解を手に入れる事は出来なかった。

「割り当ての中で一番マシなここでこのザマだから、先行きは明るくないな……」

 彼の予感は見事に的中し、次に入った箱は炎上が起こらなかった為か箱自体の状態は悪くなかったが、故に格好の食事会場となった様で、ひたすらに赤い空間が目の前で展開されていた。

 激しい嘔吐の予兆に襲われ、僅かに残っていたバスカラートなどを斬って捨てつつ、ヒビキは探索を早々に打ち切って撤収する。


 そして、最後に残った箱の凄惨な光景にヒビキは顔を顰めた。


 箱の先端部分は衝撃によってか無惨に拉げ、人間が探索する事は完全に不可能。

 荒野に住む小さなヒト族『キノーグ人』ならば何とかなるかもしれないが、一・七六メクトルのヒビキでは、探索を諦めざるを得なかった。

 他の部分を調べようとする意欲は、箱の底部に海の如く広がる赤の液体を目の当りにして減退していく。もはや何か希少な物を見つけて稼ぐ、ではなくさっさと出たい、が胸を占めるようになったヒビキは手早く探索を終えて、箱から出ようと動き始めた。


「……ん?」

 

 妙な気配が背中に刺さるのを感じ、ヒビキは振り返る。


 奥の拉げた場所から、光が発せられている事に気付く。弱々しく、今にも消えそうな光だが、何故かヒビキの視線を捉えて離さなかった。罠の可能性も捨てきれないが、罠であるならばこちらが気付く前に仕掛けを発動させている筈だろうと、考えたヒビキは光に向かって行く。

 ブーツの底から伝わって来る嫌な感触も、いい加減気が狂いそうになる程に吸った血の臭いも、不思議と意識の外へと追いやられる。

 光はヒビキが近付くと激しく明滅を繰り返し、彼が発信源の前に辿り着くと、一際強く瞬いて消え、暗闇が再び戻って来る。

「ここに何かあるって事か……?」

 誰もいない事を理解しつつも、疑問が口から零れ出てくる。今更湧いて出てきた警戒心に従って、暫くの間動かず光点のあった場所を睨みつけるが、何も起こらない。


「ヒビキ、こっちは終わったよ。首尾はどうだい?」


 フリーダからの声を耳にし、妙な安堵が胸に広がる。

 ――何かあったら、フリーダ達に仇を討ってもらえるな。

 そんな考えが頭に浮かび、実力行使でこの現象を暴く覚悟が出来た。


「なら、やらせて貰うぜ」


 右腰のスピカに手を掛けて、腰を落として構える。中にある何かを斬ってはならない、目の前にある金属の壁のみを斬るのだ。自らにそう注意喚起しながら目を閉じる。


「――ッ!」


 小さく息を吐き、スピカを抜き放ち、目の前に走らせる。壁に蒼白い軌跡が走り、続いて一文字が壁に走り、自らのあるべき姿を保てずにゆっくりと崩れ落ちて行く。


「何が出るかなっと。――――え?」


 崩れ落ちた壁の先にいた、予想もしていなかった存在に、ヒビキは目を見開いた。


「……ヒト、だよな?」

「そうだろうね。着てる服とかから判断するに、この人が異世界の人って奴かな? 服装以外に、特異な点は見当たらないね。ちょっと拍子抜けかな」

「異世界の人間、か。……って、ライラ。お前何でここに居るんだ?」


 いつの間にやらヒビキの隣に立っていたライラは二本の指でサインを作り、笑う。


「いやぁ、フリーダも私も探索が終わったのにヒビキちゃん帰ってこないし、どうしようかと二人で話し合ってたら、抜刀術の音が聞こえてきたし。こりゃもう緊急事態ですよって事でね」

「悪かった、今度から善処する」

「まぁ今そんな話をしてる場合じゃない訳で。この子、どうするのさ?」


 少女に視線を戻す。動き辛そうな見慣れぬ衣服を身に纏った黒髪の少女は、一見した限りでは特に武装も見受けられない上に、肉体も鍛えられているようには見えない。 

 意識も失っている為、すぐに敵対的な行動をするとは考え難い。だがそれはあくまで推測でしかない。無害に見えたとしても、自分達の想像も出来ぬような攻撃手段を持っている可能性もあるだろう。

 だとすれば、ベストの選択は目の前の少女を殺害する事、だろう。だがその選択は軽々と行えるような物ではない。


「まあこの子を見つけたのはヒビキちゃんだから『先行特権』に則って、どうするかはヒビキちゃんが決める事だよ。私に口出す権利は無いからね」

「ここで原則論を持ち出すのは卑怯だと思うぞ」

「仕方ないじゃん、ウダウダやってても話は進まないし」


 沈黙が場に降りる。ライラの言う通り『塵喰い』の暗黙の了解では、この少女の生殺与奪に関しては、一番最初に少女を発見したヒビキが全権を持つ。

 これまでも、無力化した魔物や病気などによって行動に異常をきたした家畜などに対して、この了解に則って独断で命を奪う選択をした経験はある。いつも通り、やれば良いのかもしれない。

 だが今回は訳が違う。自分と大して容姿面での違いも無く、恐らく生活習慣も根本的な所で同一であると推測出来る生物、いや人間なのだ。即断即決、など出来る筈もないだろう。ヒビキは頭の中で何度も同じ問いを繰り返す。

――見た目に騙されるな、大体異世界云々だって、ライラ位しか知らない上に、裏の取れていない精度の低い情報だ。万が一コイツやこの箱がどっかの魔術で出来た道具で、隠し玉を持っていたりしたらどうする? 


「……」


 一度大きく息を吸い込んで、下ろしていたスピカを構え直し、少女に向ける。ライラの息を呑む音を聞きながら、少しスピカを後ろへと引く。

 こうなってしまえば後は突き出すだけで、愛剣の刀身が少女の喉元を貫いて絶命させるだろう。稀にある盗賊などとの戦いで彼が何度か実行してきた行為、外すことは有りえない。

 だが、ヒビキは終わらせる事が出来なかった。妙な汗が頬を伝いだす頃には、誰もがハッキリと視認出来る程にスピカをガタガタと震わせ、迷いを顕わにしていた。

 ――どうした? どうして出来ない? いつも通りやれば良いんだぞ。何をそんなに恐れているんだ。

 どれだけ自らを叱咤しても、左腕は動かず震えるばかり。事態は一向に前進しない膠着状態に陥った。

 相当な時間を、後ろにいたライラが緊張の糸を保ちきれずに、一度息を大きく吐いて糸を張り直す程度の時間を消費した頃、ヒビキは左腕を下ろしてスピカを納刀した後、ゆっくりと言葉を絞り出した。


「やっぱり連れて帰ってから考えよう。現状では無害だし、そうしても遅くはない筈だ」

「……了解したよ」


 少女を背負ってヒビキは箱の外へと出て、辛抱強く二人を待っていたフリーダに事情を説明して了解を得てから、街への道を歩き始めた。

――これから、どうなっていくんだろうなぁ……。

 少女と、これからに対しての不安を背中に感じながら。


               ◆


 街に帰還を果たした三人は、ヒビキの家に向かう。

 散乱している様々な物体を掻き分けて、普段は使っていない寝室のベッドに少女を横たえた後、これからどうするかについての話し合いを始めたが、未知の事態の前には三人とも有効な策を提案する事が出来ず、いたずらに時間を消費するだけの結果に終わった。


「ヒビキちゃん、危ない事が起きたらすぐに呼ぶんだよ」

「何かあった時に、選択を誤らないようにね」

「善処する」


 既に夜も深まっている時間で、家が営む工房の作業を行わなければならないライラと、家族が待っているフリーダを見送り、ヒビキの家に静寂が戻る。

 気が抜けた為か、腹の鳴る音が家の中に虚しく響く。派手に暴れ過ぎたせいで、腹の中が空になってしまったようだ。

 一日に何度も食事に出る訳にも行かない上に、意識の無い人間を放り出して外出するのも気分が悪い。仕方なく、海を漂う小さな魚『スガーディン』の干物を保存庫から取り出し、軽く火に炙ってから適当な所に座り込んでモソモソと食べ始めた。


「不味い……」


 栄養価が高く、簡単に多くの量が取れる為に安価であると、まるで欠点が無いように思える評判を持つスガ―ディンだったが、唯一の難点として味が悪い。イワシが魔力を突如として得、驚異的な繁殖力で種として確立した存在だが、所詮はイワシだ。

 魔力の使い方が上達しなかったせいで、肉に妙な形で魔力が染み込んでしまった故の事だろうとはとある学者の弁である。

 手間をかけて調理すれば多少マシにはなるのだろうが、料理の覚えが無く、そもそもそんな気力を失っていたヒビキは愚痴を吐きつつも、二尾のスガーディンの干物を完食。

 食後、ポケットに突っ込んでいた麻袋から小さな石ころを二個ほど取り出し、口の中に放り込んで咀嚼する。


「……」


 顔を顰めながらそれを噛み砕き、食事の後始末をした後、少女を寝かせている部屋に入って様子を確認する。大きな変化は特に見受けられず、眠っているようだ。胸の上下動から推察するに、呼吸は正常、顔色にも変化は無い。


「……?」


 少女の顔を見ていると、何か不思議な感情が湧き上がって来るのを、ヒビキは感じた。それは見慣れぬ異物に対する畏怖や興味、などでは無く、既視感だった。

 ただ、目の前の少女と出会った事など、当然ながらある筈もない。恐らく疲れているせいだと首を振り、ヒビキは作業を進めて行く。

 水を注いだグラスをベッド脇の小さなテーブルに置いて部屋を出て、小さく嘆

息。

 異常が無いか否かの確認が、これほどまでに疲れる物だとは思ってもいなかった。だがやっておかねばならぬ日常の行動は、まだ完了してはいない。


「……やるか」


 誰に聞かせるでもない言葉を口から零しながら、ヒビキは座り込み、腰に差したスピカを引き抜いて床の上に敷いた布の上に横たえる。

 流麗な刀身の放つ蒼白い輝きに一瞬目を眇めつつ、幾本ものナイフも布の上に置き、先にそれらから砥石で研ぎ始めた。金属が擦れる音が、部屋に響き渡る。

 ナイフを研ぎ終わりスピカに手を掛ける前に、研ぎ石を仕舞い、深い青を持った石を取り出した。一見すれば宝石のように思えるが、これはマウンテンで手に入れた只の石を、ライラが不純物を取り除く旨の加工をした物でしかない。

 通常の刀剣類に用いれば単に刃を痛めつける結果しか産まない代物を用いるには、それなりの理由があった。

 マウンテンから出土し、各々の魔力を吹き込む事で武器の形をとり、『塵喰いスカベンジャー』の多くが武器として用いる『転生器ダスト・マキーナ』は、現在アークス王国が持つ技術力では生産不可能な構造や、曲芸染みた効果を発動させる力を有するが、一般的な兵器の整備に用いる道具が使えない欠点も有している。

 整備性や個体による性能の差が激しく安定性に難が有る為に、軍隊などは『転生器』を用いない。形態の変化なども、大国の一つであるロザリスでは既に量産可能な技術で、突き抜けた連中が持つ武器も有している事も多く、特段のアドバンテージを持つ訳でもない。

 故に、この国も転生器を研究するより、それらの兵器の模倣とそこからの創造を狙って研究するだろう。

 結果と、使用者は上級の兵士や傭兵が買うような武器を販売して貰えないヒルベリアの人間、すなわち『塵喰い』に限られている。

 『転生器』の一種である『蒼異刃スピカ』も例外では無く、マウンテンから出土し、ライラによって加工が為された石による研磨以外受け付けない。

 金をケチって適当な砥石を使った所、あっさり両断されて自分の手を切る羽目になった苦い思い出は、今でもヒビキの記憶に刻まれている。

 ただ単に拾える物では受け付けず、人によって精製された物でないと駄目だと言う厄介な縛りによって、ヒビキの懐事情は常に厳しい。

 堅牢な金属をあっさりと切断出来たりするなど、在り来たりな現象ではあるが、その結果が他とは大きく異なる、弾かれ者の手にする得物としては不釣り合いなオーバースペックを考えれば、致し方ない物なのかもしれないが。


「……」


 長い時間をかけてスピカの研磨を終えて一息吐くが、これだけで作業は終わらない。ブーツや肘・膝当ての整備、ライラ救出の際にスライディングをした為派手に背部が裂けたコートの修繕などを行い、ようやくルーティンワークが終わる。

「そういや、アレやってなかったな。……せっかくだしやっとくかな」

 保存庫から先日購入した大量の薬草を取り出し、火にかけて行く。

 発展した都市に本社を置く企業が生産している物や、薬師が作った物に比べれば格段に効能は落ちるものの、安価な薬を製作すべく、ヒビキは定期的に湯を注ぎ足して混ぜる作業を繰り返す。

 延々と混ぜ続けて飽きが来始めていた頃、物が動く音をヒビキは捉える。いよいよ覚醒したのだろうかと、少し緊張が走る。


「それじゃご対……ぎゃぁぁッ!」


 慌てたせいで鍋を引っ繰り返し、頭から赤い熱湯を被って悶絶する。

 正直な所このまま伏せってしまいたいが、異なる世界からの来訪者とやらと対面し、色々な意味での安全の確保が今一番重要な事であると自らを叱咤しながら立ち上がり、立て掛けてあったスピカを手に取って、部屋へと向かう。


「あ」

「……」


 部屋に辿り着く前に対面は実現し、両者共に硬直する。固まりながらも、ヒビキは日頃の癖で、眼前の黒髪の少女の肉体的な特徴を確認する。

 身長は一・六メクトル程度、筋肉の付き方は戦闘の類を行う者のそれでは無い。やはりよく分からない服を身に纏い、武装は無いと判断出来る。

 ――動きとかから考えるに、今のところ敵意は無さそうだな。


「あーなんだ、目を覚まして良かったです、ね? 俺は……」

「いやぁぁぁぁぁぁっ!」

「え?」


 出来損ないの敬語を用いるヒビキが観察すればするほどに、少女は身を竦ませ、敵意は無い事を示すべく左手を掲げると目を見開き、口を開くなり叫び声を上げ、少女はその場に倒れ再び意識を失った。

 一体これはどういう事だ。一瞬混乱したヒビキだったが、冷静に自らの格好を見直すと混乱は解け、同時に苦い気持ちが湧き上がる。

「そりゃ上半身が赤い液体に塗れてて、思いっきり武装してる人間をいきなり見たらこうなるよなぁ。もうちょい落ち着けば良かった……」 

 原因に気付いて後悔しても手遅れだ。今のヒビキに出来るのは少女の再覚醒を待つ事、それだけしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る