4

 散々な意識の覚醒と再びの喪失を果たしてから数時間が経過した頃、少女は再び目を覚ました。

 先程はよく分からない、かつ恐ろしい容貌の人間といきなり出会って意識を失った為出来なかった、現状の把握を行う為に周囲をゆっくりと見渡す。

 汚れが酷い壁から推測するに構造は石と木が主となっていて、コンクリートの類は使われていないようだ。

 散らかった部屋の中に置かれている物の中に、彼女が見慣れた電子機器は無く、自分の普段の生活の中には無い物が散乱している。

 まるで小説かゲームの中にある世界に迷い込んだ感覚を、少女は抱いた。

「……っ」


 一応頬を抓ってみるが結構痛い。


 現状は悪い夢なんだ、というオチに縋ってみたが、あえなく裏切られてしまった。

 手荷物はどうやらほぼ全て消失してしまい、持ち物は今着ている制服と完全に沈黙しているスマートフォン、首にかけていたネックレス。そして一本のペンのみという有様。

 何の規則性もなく残された、これらの物で現状を劇的に好転させる事は、まず無理だろう。

 狭い部屋の中で、尚且つ探索に使える道具が無い現状で得られる物はその程度の情報しか無い。ここがどこなのか、などの情報を掴むには、この部屋から出て誰かから話を聞かねばならないだろう。

 だが、先程出くわした血みどろの物騒な人影の記憶が、少女の足を留まらせる。

「あんな人と。また会いたくないなぁ」

 実に真っ当な感性から出てくる言葉を漏らしながら、少女は思索を始めるが、現実的な問題として出入口は先程使用した目の前のドアか、小さな窓のみ。

 窓から広がる光景は、少女が知っている夜景とは全く趣の違うものであり、出たところで彼女の知る創作物のように上手くは行かず、碌な成果を得られぬまま野垂れ死に、の結末は容易に想像出来た。


「……このままじゃ何も分からないんだ、行こう!」


 たっぷりと時間を使ってどうにか自らの心に折り合いを付け、胸元のネックレスを握りしめつつ、少女は部屋のドアを開けた。

「……はっ!」

 少女が目を覚ますまでは寝ずに待とう、との決意も空しく睡魔に飲みこまれようとしていたヒビキだったが、ドアが開き、件の少女が目の前に現れた事で急速に意識が覚醒する。

「あ、あの……」

「本ッ当に! さっきは申し訳ない事をした!」

「えっ?」

 膝を床に付け、額も付ける。極東の島国では最上級の謝罪行為とされる土下座なる行為だ。目を白黒させている少女に向けて、ヒビキは床に伏したまま矢継ぎ早に言葉を浴びせる。

「物凄く誤解を生む格好をしていたのは言い訳しようがない。どれだけ言っても信じられないかもしれないが、俺にアンタを傷つけるなんて意図は無かったんだ!」

「だ、大丈夫ですよ。ここまでする必要なんか……」

 少女はしどろもどろになりつつも、言葉を返そうとしているが、完全に思考が明後日の方向に全力疾走しているヒビキには届かない。

 当のヒビキは少女と自らの間にスピカを突き立てた。少女は目の前に突き立てられた物騒な得物に身を竦める。

「どうしてもアンタが俺を信じられないなら、このスピカで俺を斬れ! 大丈夫だ! コイツの切れ味は俺が保証する。アンタに経験が無くとも……」


「落ち着いて下さいっ!」


 少女の一喝に、変な方向に走り続けていたヒビキは沈黙する。少女は何度か深呼吸した後、意を決した様子で、口を開いた。

「あなたが私に、少なくとも今は危害を加えるつもりが無い事は重々分かりました。ですから、私にこの剣を使う必要なんか有りません」

「……そうか?」

 とりあえず緊張の糸を緩めるが、少女が自分と意思疎通出来ている事に、ヒビキは少し疑問を抱く。

「ですが」

 容貌からは想像も出来ない程に鋭く、かつ真剣な声音に、ヒビキは疑問を思考の隅に追いやって目の前の少女の次の言葉を待った。

「頼みごとが有ります。私に教えて下さい。ここが何処で、貴方が誰なのかを」

 是非もなく、ヒビキは頷いた。

 

                ◆


 汚れが酷いテーブルの上に、ヒビキはインファリス大陸の簡易な地図を広げる。

「この街、ヒルベリアはインファリス大陸の西寄りにあるアークス王国の、西の端っこにある。他の国には、商人でも無い限りこの街の人間が行く事は無いからあまり意識しなくて良い。んで、ヒルベリアなんだが……」

 少女が息を呑むのを感じながら、ヒビキは一度切った言葉を繋ぐ。

「負け犬と廃材の集うゴミ捨て場、だな」

「え?」

 少女の反応は、面白い程に目を丸くする事だった。

 アークス在住の人間なら、九割の人間がこれで合点が行く筈の言葉に違和感を覚える辺り、目の前の少女が大陸の人間では無いと確信を得てヒビキは言葉を繋ぐ。


「結構前に土壌汚染が起きたらしいんだ、オマケに危険な生物も大量に現れ出したからもう人は住めなくなった。つっても、国全体では人口は増え続ける一方。国土を遊ばせる余裕なんかは無い。そして技術の発展に伴って、必然的にゴミや生産活動で生まれる廃材の量も爆発的に増えた。処理、と言うか廃棄場所として、ヒトや文明を持った種族、そして独自の生物がいなくて文句が発生しない、ここが廃棄場所になった訳だ」

「……」

「国はこの場所に大量の廃材を定期的に捨てに来る。ある時、その廃材に目をつけた軍人崩れがいた。優秀だったらしいが、何か致命的な失策を犯してクビを飛ばされ食うのにも困窮したそいつは、この場所に転がっていた廃材から、培ってきた目利きを活かして金になる物を見つけ出し、莫大な富を得たらしい。結局、一生をここで終えたけれどな」

 少女は何度も頷きながら、ヒビキの言葉に耳を傾けている。常識を語るだけで、このような反応をされる事に戸惑いを抱きつつも、ヒビキは自らが設けた着地点まで言葉を紡いでいく。

「廃材の中から金になる物を見つけるノウハウや、敵性生物に対しての戦闘術を、ここにやって来た同類に残した。それを活用した同類達は更なる富を得て、街を作った。行き場の無い奴でも、ある程度の実力さえあればやって行ける街をな。どれだけ稼いでも、ごく一部の突き抜けた存在を除けば、街から出りゃ誇りも何も無い堕ちた負け組で有る事はまず変わらない。俺達はそんな奴らの子孫だ。……多分な」

「……多分?」

 自らの言葉の中にある含みに反応したのであろう少女に答えを返さずに、ヒビキは小さく笑みを作り、相反する大仰な仕草と共に名乗った。

「まだ名乗っていなかったな。俺の名はヒビキ・セラリフ。『塵喰いスカベンジャー』やってる。よろしく頼む」

「あ、よ、よろしくお願いします。……大嶺ゆかりです」


 ――オオミネ、が性でユカリが名だよな? ってことは東方人なのか?

 ひたすら東に向かった先にあり、スピカに似た形状の武器が生まれた地であるらしい三日月型の列島とそのを思い浮かべ、ここからの距離に気が重くなる。

 少女、いやユカリが万が一この世界の人間であったとしても、元いた場所に還すのはなかなかに厳しくなりそうだ、との事実を突き付けられては、暗澹とした気分になるのは無理も無いだろう。


「なら、次はアンタの番だ。どうやってここに来たのか……」

「ちょぉっと待ったぁ!」


 声と共にドアが豪快にぶち壊され、ライラが颯爽と現れた。


「その話は、私とフリーダにも聞く権利が有る筈だよ! 幾ら『先行特権』はヒビキちゃんが持っているからと言って、抜け駆けは許されないんだよ!」


 意気揚々と話し出すライラと、哀れにも破壊されたドア、そして深まる混沌を処理出来ずに固まるユカリを冷めた目で見回した後、ヒビキは口を開く。


「別に俺がどうこう言える話じゃないだろ、ユカリが決める事だ。……ってか何でこの恐ろしく都合の良いタイミングでここに来たんだよ。それとドアの修理代をよこせ。お前のせいで壊れたぞ」

「緊急事態でも起こらない限り、決まった時間までは絶対に起きないヒビキちゃんがこの真夜中に起きている、この事実だけで、その子が目覚めるか何かしたんだろう、って推測が容易に出来るんだよっ! ……修理代は払わないけど研磨石十個でどう? ドアの修理代とかヒビキちゃん絶対水増しするし、元から壊れてたし」

「生活リズムを握られてるって気持悪いな、ちょっとだけ弄るか。十五個、それとアレもロハで寄越せ、一か月分だ」

「……謹んでカツアゲられるんだよ」


 項垂れて計算機を弾き始めた、ライラとの会話を打ち切ってユカリに向き直り、問い掛ける。

「こいつとあと一人、アンタが現れた現場に居合わせた奴がいる。三人で根掘り葉掘り聞く事になるが……、構わないか?」

 しばらくの間ユカリは躊躇いの色を見せたが、やがて意を決した様に頷いた。


                  ◆


 陽が昇り始める頃に、ライラがフリーダを引き摺って戻って来た。

 何も事情を聞かされずに叩き起こされて引っ張って来られたようである為、不機嫌であるとの主張を全身に纏っていたフリーダも、異邦人の話が聞けるとヒビキから聞いて、目の色を変えた。

 目撃者である三人に囲まれて、ユカリはゆっくりと話し始めた。

「私は××市に住んでいて、市内の高校に通っています。それで……」

「ちょっと待った。ユカリちゃん、だっけ? 君は今幾つなんだい?

「十六歳です」

 その答えに、フリーダは目を丸くした。恐らく、自分も同じ顔をしているのだろう、との感情をヒビキは抱く。

 アークス王国の規定では、教育は十五歳までが義務となっているが、義務がきちんと果たされるのは繁栄した街ぐらいで、半数近くは十二歳になれば労働力として扱われる。 

 王国のはみ出し者が集うヒルベリアならば、教育を受けられる人間は更に少なくなるのは、道理だろう。

 この場に居る三名はいずれも十七歳だが、十五歳までの教育を受けた者はおらず、最高でもフリーダの十三歳までとなっている。これでもヒルベリアでは奇跡的に長い部類に入ると言う事から、この街の教育事情を大体は察せられるだろう。

 つまり、目の前の少女は三人とはまるで異なる、裕福な身分だという事になる。二人の向ける羨望が少し混じった眼差しに少したじろぐユカリに、ライラが助け船を出した。


「二人とも変な所で反応しない。言い方とかを考えたら、ユカリちゃんの世界では別に十六歳で学校行っててもおかしく無いんだと思うよ。いきなり金塊を見つけた顔で見ちゃダメだよ。ユカリちゃん、続けてよ」

「は、はい。……それで、学校から帰る時にいつも使っている地下鉄で、いきなり地震が起きて。それからは……」


 そこまで言った所でユカリは口を引き結び、手を固く握りしめた。いつも通りの日常を送る中で、訳も分からずに得体の知れない場所に飛ばされていた。

 前例がまず無いであろう、過酷な体験をした心情など、この場の誰も計り知る事など出来ないだろう。 

 かと言って、三人がみな暗澹とした気持ちに陥って沈黙を継続したままでは、必要な情報も得られない。

 同じ世界の人間同士でも思想信条の違いで殺し合うのだ、彼女の世界とこの世界が、どの程度違うのかを知っておかないと、色々と不味い事態に陥りかねない。

「なあユカリ、アンタの世界には魔術師とかそういうのはいるのか?」

 ユカリは黙ったまま首を横に振った。この答えは誰も予想していなかった為に、三人とも驚愕に目を見開いた。

「え、いないの!? 何で!?」

「昔はそんなのが居た、とはよく言われてますけど、今はそれらは創作物の中の存在だっていうのが通説になってますし、少なくとも私は目にしたことも聞いたことも有りません」

「……色々と想像以上だな」


 自らの持っている常識がいきなり否定された事にヒビキは天を仰ぐ。その後も幾つかの質問をして情報を得れば得るほど異世界の人間である、との事が笑えぬ冗句で済ませようが無い事実であると、三人は嫌と言う程に突き付けられた。

 ある程度似通っていても、大小様々な点で彼女のいた世界とこの世界では違いが多過ぎる。せめて共通点が多ければ、無理矢理にでもユカリがここに飛ばされてきたこじつけでも出来るのだが、それも出来ない。

「こうなったらバックホルツに頼みこんで……」

「王国のトップにどうやって頼むのさ。何のコネも、あいつらと対等に振る舞えるだけの地位も、無理矢理従わせる力も無いヒビキちゃんが王宮に乗り込んだ所で、二秒くらいで殺されるのがオチだよ」

「幾らバックホルツと言えども、世界を繋ぐ魔術なんて使えないだろうしね。そんな物があったなら、とっくに世界は最終戦争に突入だ」

 政治的実権を殆ど喪失し、象徴的な扱いへと変化している国王が唯一自由に扱える存在。俗に『四天王』と呼ばれる物の一員であり、アークス王国最強の魔術師、パスカ・バックホルツを利用するとの、実現の可能性が皆無の提案をダメ元で行うが、あっさりと却下される。

「バックホルツ云々は抜きにしても、ハレイドに行って事情を説明するのは……」

「ヒルベリアのゴミの言う事を、首都の役人が聞くと思うか?」

「頭のイカれた奴の妄言として私達は処分、ユカリちゃんは一応実験に使ってみて、成果が出なかったらポイだろうね」

 フリーダの提案もあえなく却下されるが、別の案は全く見つからない。異なる世界からヒトがやってくる経験など誰も無い為、仕方のない事ではあるのだが、雰囲気は痛々しいほどに重くなる。


「……今日はこの辺にしとこう。情報が全然足りていない状態じゃ碌な案も出ないだろうしな。また集まって考えよう。俺も何か探すからさ」


 現実からの逃げにしかなっていない言葉で、ヒビキは解散を促し、二人も黙って立ち上がる。

 普段ここまで中身の無い発言をすれば、二人から鋭い突っ込みが飛んでくるのだが、今回ばかりはそれもない。

 二人とも、ヒビキと同じように来訪者にのしかかる重すぎる現実と、自分達の無力さに打ちひしがれているのだろう。

 ヒビキとユカリの二人だけが残された家には、重い空気が、自らを押し潰すのではとの錯覚を抱かせるほどに充満している。

 出鱈目でも構わない、何かしら言わなければどうにかなってしまいそうだ、との感情に押されて、ヒビキは口を開く。


「アンタを死なずに生かしたからには、必ず元の世界に還してやる。……必ずだ。それまでは何とかこらえてくれ」


 実に空虚な、何の慰めにも励ましにもならない、無駄に空間を揺らすだけの言葉だ。こんな言葉で意気が上がる程、目の前の少女は愚鈍では無いだろう。


「うん、ありがとう。……これから、よろしくね」


 それでも目の前の少女は、気丈にも笑みを浮かべる。その笑顔に、ヒビキは益々心が締め付けられる感覚を覚えた。

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