5

 ……思っていたよりも大変な事態に巻き込まれています。最初にいい人達に会えた事が唯一の救い、ですね。

 創作の世界にしか無かった物が沢山目の前に出てきて混乱しっぱなしです。現実とは思えませんが、彼らからの反応や、この窓から見える景色から考えると、受け入れざるを得ません。

 明日からは、今以上に大変になるのかもしれませんが、頑張ります。

 ……どうにかしてそちらと連絡をしたいのですが、それは難しそうですね。


                 ◆


 不毛なやり取りの後、四日ほどの時間を使い、ヒビキは二人と協力してユカリにこの世界での最低限の決まり事についての教導に励んだ。

 三人が思っていた以上にユカリは順応性が高く、この世界への適応に失敗する可能性は一旦消えた。

 あまり意識していなかった上に原理は不明だが、彼女と言語による意思疎通が出来たのは、非常に幸運な事だと考えるべきだろう。

 そうでなければ、身振り手振りでやるしかなかった。それだけでは留まらず、いきなり暴力を用いたやり取りに発展していた可能性があった。 

 だが、ここに来てヒビキの方に重く、切実な問題が発生した。

 

「……金が無い」


 ドアの修理代に加えてライラからふんだくった、赤い石ころ、血晶石けっしょうせきを口の中に放り込んで嚥下した後、ヒビキはぼやく。

 元々、彼の生活はその日暮らしと形容するのが非常に的確な無計画な物である。 

 二日に一回程度のペースで狩りや廃材拾いを行って食い繋ぎ、殆どの稼ぎを入ったその場で消し飛ばす生活様式を通して来たが故、碌な貯蓄も無い。

 狩りを行うペースが落ちていては、彼が困窮するのは必然だ。

 今日の食事を確保する為にも、何かしらの行動を起こさねばならないのだが、一つ大きな問題がある。

 床に転がっている、ほぼ白紙の日誌をめくりながら独り言をボロ家に投げていく。

「フリーダは確か小さい子達に読み書きの教室で、ライラは転生器の新造だっけか……」

 ユカリを危険な場所に連れ出す訳にもいかないが、一人にさせるのは論外。だが頼れる友人は手の離せない事情が有る為に頼れない。

 無駄な物が多いせいで、実際の広さ以上に狭い部屋の中で円を描き始めたヒビキを見かねたのか、ユカリが問い掛けてくる。


「……ヒビキ君、どうかしたの?」


 この一週間で、ユカリの口調はかなり固さが抜けてきた。三人が揃ってかしこまられる事を嫌う性分であり、全力で頼みこんだから、というのも有るのだろうが。


「金が無いから稼ぎに行こうと思うんだが、ユカリ、お前はどうする?」


 結局、ユカリの性格を考えると、無茶な選択をする事は考え難いとの打算を含みつつ、本人の意思に任せる形を取った。

 今までに無かった問い掛けに、ユカリは口元に手を当てつつ沈黙した。これは彼女の考える時のクセであると、一週間かけてようやく気付くまでは、泣き出す前触れではないかと肝を冷やしたものだ。

 そんな事を考えていると、ユカリがこちらを見て口を開こうとしていた。腹は決まったようである。


「私も付いて行って良い、かな?」

「は?」


 予想もしていなかった答えに、間抜けな音が口から零れ出る。彼の顔も、呼応するように声と似た物に変わっていた。


「え、ええと、駄目、かな? ヒビキ君達がどういう事をしてるのか、知っておいた方が良いかなって……」

「なるほどなぁ」


 人間の抱く感情という観点から考えれば納得の行く理屈ではあったが、やはり即答出来るものでは無い。『塵喰いスカベンジャー』の生活の中で、死者は多くはないが出ない訳でも無い。

 元いた世界が平和で戦闘経験の無いユカリの場合、当然の事ながらリスクは増える方にしか転がらないので、流石に即答は出来なかった。

「悪い、ちょっと待っててくれ」

 ヒビキはある場所に向かって家を出る。

 向かった先は引退した『塵喰い』達が資金を出し合ってが開いている酒場『ケヴァルス』だった。 

 稀に入ってくる遠方での仕事で隊を組みたい時は、大体ここに来れば誰かがいる。

ヒルベリアにいる人間など大概がロクデナシなので、昼間だろうが関係無しに酒やタバコに溺れているが、有用な事は間違いない。


「おうセラリフ、金貸してくれや」

「タバコ持ってないか? イアンゴが連行されてから、吸ってねえんだよ。正規のヤツは高くて高くて」

「今度また一緒に組みましょ、次もまた、囮役よろしくね!」


 こちらの姿を確認するなりぶつけられる、様々な中身の言葉を適当にあしらいつつ奥へ進む。酒も煙草もやらず、必要ではあるが好きではないこの場所へ態々やって来たのは、とある人物に会う為であった。

「ようヒビキ、今日はどうした?」

 酒場の壁に凭れかかっている一人の男がヒビキの姿を認め、片手をあげる。

 姿勢の良い一・八六メクトルの長身を持ち、どこぞの役者のように若々しく活力に満ちた美貌からは想像出来ないが、既に四十に近いと噂の男、クレイトン・ヒンチクリフを頼ったのには理由がある。

「敵性生物の出現がここ数日で少ないマウンテンを教えてくれ。相変わらずフラフラしてるんだろ?」

「構いやしないが、多い場所じゃなくて少ない場所? 何だってそんな……あぁそうか。例の子を……」

「それ以上は言わないでくれると有り難い。あんまり言いふらすと、な。必要があるからアンタには言ったが、他の連中に知られ過ぎると不味い」

「分かった、ちょっと待ってな」

 クレイは一つに纏めた金髪を揺らしながら人の波を掻き分け、絡んでくる酔っ払いを殴り飛ばしつつ一度ケヴァルスから出て行く。

 七年前にヒルベリアにやってきたあの男の経歴を、ヒビキ達は皆知らないし、知っている者は不可解な程に口を噤む。

「王国の諜報部隊が寄越した人かもしれないね」と、フリーダのあまり笑えない冗句のような身分かもしれず、いつか解き明かしたいものだと思っているが、たった今のヒビキの最も重要な事は、当然ながら異世界の少女についてだ。


――ユカリが来て一週間、か。覚悟はしていたが、何にも進んじゃいないな。


 彼女にこの世界について解説する傍ら、ヒビキたち三人は違う世界について、また空間が不規則に繋がる現象についての調査を始めていた。

 当然と言うべきなのか、全て空振りに終わったが。

 ヒビキやフリーダは碌な情報を得られる事が出来ず、二人より人と話す機会の多いライラでも、神がどうたら、程度の与太話しか聞けなかった。

――今でこそ、ユカリはそこまで大きなダメージは無いように振る舞ってはいる。でも、あまり長引かせると間違い無く限界が来る。それまでにはどうにかして……。

「おい、持ってきたぞ。心の旅から帰ってこい」

 思考は、紙の束をヒラヒラさせつつ歩いて来たクレイによって打ち切られた。受け取って、礼を言って立ち去ろうとしたヒビキの背中に声が飛ぶ。

「そうそう、第二マウンテンが比較的安全だ、って書いてるけどな。ここ最近『ランフォルス』の跳ねっ返りがヒルベリア全域を徘徊してるらしいから、一応気を付けろよ。第二マウンテンに役人連中が投棄をしに来たのが一週間以上前なせいで、餌もないから大丈夫だろうとは思うけどな」

「何で第二だけそんな事になってんだ?」

「何かトラブったらしい。他に回せば良いだけだから、原因究明とその排除にやる気は無いだろうし、長引くだろうな。それじゃ、頑張れよ!」


                  ◆

 

 家に戻ったヒビキは、不安で染まった目を向けて問い掛けてくるユカリにサムズアップで答えた。ユカリの顔がパッと輝く。

「準備するからちょっと待っててくれ。ユカリにも渡す物がある」

 言って倉庫の中へと入り込み、目当ての物を探す。ヒビキの懸念は幸いにも外れ、絶望的な散らかり具合を見せている内部から、すぐに見つける事が出来た。ユカリに向けてそれを放る。

「これは何?」

「三、四年ぐらい前に俺が着てたマウンテン探索用の服だ。得体の知れない男の着古しなんか嫌に決まってるだろうが、そこは妥協して貰えると有り難い。それと、だな」

「……?」

「それ口と頭に巻いといてくれ。マウンテンのゴミが反応を起こして、妙なガスが発生することがよくあるんだが、その布には毒素をカットしてくれる作用がある。……初めてだとかなり臭いがキツく感じるだろうが、絶対に外すなよ? 素人なら間違い無く肺をやられて死ぬ。後でゴーグルも渡すけど、それも慣れるまで外すなよ」

 早速巻き始めて、案の定その異様な臭いにやられて死にそうな顔になっているユカリに、釘を刺してからヒビキも準備を始める。

 ベルトにスピカを差した鞘をセットし、急所を覆う防具を付けてコートを羽織る。首には万が一の時を想定した識別用ドッグタグを引っ掛けた。

 おまけとして、先日ライラに押し付けられた金属板、いや『試作型単独要塞盾パトパトゥ』を背負う。想像以上の重量に少し身体が軋み、顔を顰めるが、すぐに平常通運転に戻す。

  そして、目に妙な輝きを灯らせながらユカリの手を取って言った。

「『塵喰いスカベンジャー』の世界へようこそ、だな」

 

                ◆


 第二マウンテンは第三マウンテンと同じ方角に位置しているが、立ち入る事が出来るマウンテンの中では最もヒルベリア市街に近く、普段ならば多くの『塵喰い』の姿を確認出来る。

 クレイの言う通り投棄が来ていない為に、ここ一週間ほどの間は訪れる者は少ない様で、稼ぎは当然ながら少ないと予測される。

 だが完全な初心者で、かつこの世界では異物であるユカリを連れている状況では、人目に付きづらく、敵が少ないという点がもっとも重視されるため、ここがヒビキ達にとって最良の場所になる。

 周囲に狩猟用の罠が仕掛けられていないか、彼が出来る範囲で確認した所で、ヒビキは緊張気味のユカリに対して声を掛ける。


「『塵喰い』の仕事なんか別に大したモンじゃない。この廃材の山から、金になりそうな物を選んで拾うだけだ。鑑定は持って帰ったら酒場の方でして貰えるし、ライラの家でも出来る。だから、今日は目に着いた物をひたすら拾っていけば良い。ま、気楽にやろうぜ」

「う、うん」


 努めて軽い口調で言ってヒビキは歩き出し、ユカリも後ろに付いて歩き始めた。


「……」


 淡々と、としか形容出来ないほどに時間は静かに流れて行った。二人はマウンテンをゆっくりと歩き、時にはスピカで塊を切り崩しながら灰色の景色から抜け出しているゴミを見つけ、背嚢の中へと放り込んでいく。

 その中のどれだけが金になる物なのか、現段階では分からないものの、二人の背嚢は順調に膨らんでいった。

 あまりにも順調に、かつ平穏に事が進んでいるため緊張が少々緩んだのか、それとも沈黙に堪えかねたのか、ヒビキはユカリに対してある事を問い掛けた。


「ユカリの世界ではさ、確か……そうだ、十八までは確実に学校行けるんだろ? そんなに長い間、何を勉強するんだ?」


 ある意味で、彼が異世界の人間に対してもっとも聞きたかった問いだ。

 あまり郷愁の情を掻き立てる様な発言はしないようにと、自らを律してきたが、彼女の元いた異なる世界について多少なりとも知りたい欲はある。

 ヒビキは少し緊張しながら、彼女の言葉を待った。


「そこまで珍しい事はしてなかったよ。国数理英社の五つが基本で、後は家庭科とか体育とか位かなぁ」

「英と社ってのは何をするんだ?」

「英語っていう外国語と、世界の歴史とか、社会の仕組みとかを勉強するんだよ」

「……歴史って古文書を読んだりするのか?」

「ううん、学者の人達が作った教科書で勉強するから、そこまで凄いことはしないよ。あ、でも国語の中の古文って授業は昔の人が書いた文章を、先生に教えてもらいながら読んだりはするよ」

「ユカリの世界って凄いんだな……」


 ヒビキは肩を竦める。世界の歴史や、過去の人物の書いた文書などという御大層な物を、富裕層でない人間も学べるとは、ユカリの世界は間違いなくアークスよりは進んでいる。

 魔術の類が全く存在しない点を除けば、ロザリスや海を跨いだ大陸に位置するコルデック合衆国さえ上回っているのでは無いだろうか。色々と警戒をしておく必要が有るのかもしれない。 

 もっとも、彼女の世界と自分が交わる可能性など皆無に等しいだろうが、との冷めた考えも頭をよぎる。

「ヒビキ君はどんな事を勉強してたの? それと、どうしてこの仕事をしようと思ったの?」

 ユカリからの問いにヒビキは一瞬答える事に躊躇したが、聞いておきながらこちらだけ質問に答えないのは道理では無いと思い直す。

「俺は初等教育の途中で育ての親がいなくなって、学校に行くどころの話じゃなかったからな。文字の読み書きと、簡単な計算くらいしか出来ないぞ。で、なんでこの仕事を選んだのかは、単純な話だ。その育ての親ってのが『塵喰い』だったってだけだ。親の職に子供も就くってのがここの流れみたいなモンだし、そうしなきゃ生きられないからな。ま、選択の余地は……」

 軽い口調でペラペラと話していると、ユカリの表情が急激に曇って行くのが見え

た。ヒビキやヒルベリアの人間にとってはありふれている環境は、彼女にとっては色々と不味かったようである。

 これが、世界による常識や価値観の相違なのだろうか。などと考えつつも、フォローになりそうな言葉をこねくり回す。

「そこまで珍しい話でもないし、俺も悲観的に生きてる訳じゃない。この仕事だって、嫌ってる訳でもないから……」

 突如として言葉を切り、ヒビキはナイフをズボンのポケットから取り出し、構える。当然ながら意図が分からないユカリは、切っ先が自らに向けられたと判断したようで、肩を竦めて、目には強い怯えの色を浮かべる。

 ヒビキは空いている左手で軽く手を振って、彼女が対象では無い事をユカリに示してからナイフを空へ投擲する。

 しばしの沈黙の後、派手な金属音と、生物の物であろう咆哮がマウンテンに高らかに響く。

 可能性が現実へと塗り替えられたことを察して、ヒビキは舌を打つ。無意識の内に、ユカリを庇う体勢に入った。

「ヒビキ君、一体何が……」

「すぐに分かる。そら、来るぞ」

 突如として、強風が吹き荒れ始めた。マウンテンにあるゴミが、煽られて遠くへと吹き飛んで行く。状況に真っ向から反し、地上へと舞い降りてくる存在があった。

「ランフォルスか。しかしまあエラくデカいな、跳ねっ返る理由がよーく分かった」

 全体的な容貌は鳥に近いが、口元に並ぶ黒ずんだ歯や、肉体の殆どを占める翼に張られた薄い膜、槌のように先が変形した長い尾と口が、自らを鳥類では無いと声高に主張している目の前の存在が、空へ活路を求めた翼竜目の一種ランフォルスだ。

 だがその大きさは、ヒビキの知っているそれとは大きく異なっていた。

 通常のランフォルスは、平均的な人間より小さく群れで生活する虫や小さな金属を主食とする生物で、相手が激しく負傷していない限り、人間を襲う事は無い。

 しかし、目の前の個体はヒビキの一・五倍は優にあると考えられる大きさで、身体に残された多くの血痕から推測するに、完全な肉食に変異していると考えられる。 

 最早ランフォルスと呼んでいいのか、怪しいものがある程の変化を遂げた目の前の存在に、ヒビキは少し気圧される。


 ――ここまで激しく変異した話は聞いた事が無い。普通のランフォルスの知識は……無意味に決まってるな、うん。


 一人頷いていると、甲高い叫びと共にランフォルスは空へと打ち上げられる。

 自らの筋力では飛び立てず、身体の各部位に存在している射出口から為される魔力の放出によって飛び立つ所は通常個体とは変わらないようだ。

 呑気に分析していると、真上から落下してくる気配が彼の身体に刺さる。

 気配の主の大きさから考えれば二人纏めての始末は可能だろう。

 だが、攻撃を確実に命中させる為にどちらかに的を絞るのは間違いない。その場合、どちらを選ぶのかは明白だ。


「きゃっ!」


 ユカリの手を掴み、怪我をさせない程度の強さで引く。当然ながら、彼女はヒビキの方に倒れ込む。

 次の瞬間、彼女が居た場所にはランフォルスの足による奇妙な刻印が記されていた。

 攻撃を外した翼竜は、また一声鳴いて空中に打ち上げられる。すぐにもう一度落下してくるだろう。

 ユカリの身体が激しく震えているのが伝わって来る。

 再び命の危険に晒される状況を、ハッキリと認識させられてしまったのだから無理もない、などと考えるヒビキだったが、彼にも余裕が有る訳では無い。

 ここまで特異な変化を遂げた個体など、対峙するのは初めてで、本来ならばじっくりと様子見をしてから挑みたい。

 敵の知能がそれなりに発達し、飛行能力を有していなければ、の話だが。

 ――絶対逃げたら付いてくるだろうし、そうなりゃ被害が増える。つまり、だな……

「ユカリ、これを掲げてそこの窪みに入っててくれ。絶対に手放すなよ。あと、布は外したら駄目だからな」

 背中に背負った、これから起こす動きの邪魔になるパトパトゥを手渡す。かなりの重量で持てるかどうか不安だったが、ユカリは腕を震わせながらも両手で掲げ、ヒビキが示した窪みに入って屈む。


「え、う、うん。でも、ヒビキ君はどうするの?」

「俺? ……ユカリ、この状況でボケるのはナシにしようぜ」


 笑いながら、ヒビキは鞘からスピカを引き抜き構える。小さな鞘鳴りの音が空間に生まれる。

 スピカの形状は元いた世界の日本刀に酷似している為に、映画だけの存在である洋装の侍が自分の現実に現われた感覚を、ユカリは抱く。


「『塵喰い』の仕事、その二をこなすだけだ!」


 ユカリの方を向いていた身体を反転させて、ヒビキはスピカを振るう。落下してきたランフォルスの翼刃と刀身が激しくぶつかり合い、火花を飛ばす。

 通常の個体では取りえない、空中での体勢変更を幾度も行って硬質化した翼での攻撃を仕掛けてくるランフォルスに対し、ヒビキもスピカと共に、ゴミ塗れで不安定な足場をものともせずに踊るような足取りで応じた。

 断続的に響きわたる音と、飛び散る火花によって彩られる目の前の非日常的な光景に、ユカリは目を見張る。

 拮抗した戦いを動かそうと先に仕掛けたのはヒビキ。多少のリスクは承知の上で、一気に接近してスピカを突き込み、ランフォルスの体勢を崩した所で、地を蹴って跳躍。そのまま首を取るべく異刃を振るった。


 ――もらった! ……って、うわっ!


 目論見が当たって少しほくそ笑んだのも束の間の事、ランフォルスの放った風の塊『風舞刃ウェントゥナ』が頬を掠め、余波に煽られて地面へと無様に落下する。落下先は当然ながらゴミだらけの大地、修繕したばかりのコートが早速裂け、また切り傷が出来上がる。

 痛みに悶絶しながらも身体を起こし、派手な宙返りで空中からの追撃をどうにか躱す。左手を高々と掲げながらであった為、握られていたスピカも彼の動きに呼応し、ランフォルスに次の手を打たせなかった。

 着地後に軽く頭を振って平衡感覚を戻し、ヒビキは内心で多少の愚痴を吐く。


――あんなの使えたっけ? 特異な個体だから何でもありって考えるのが安全か。


 ランフォルスはユカリに向けて攻撃を仕掛けるべく、また空高くへと飛ぶ。彼女に渡したパトパトゥの耐久性があまり信用出来ない以上、短期決戦を仕掛ける他無いが、空を舞う相手にこの状態のスピカでは、どこまでも不利である。

 更に言えば、育ての親の偏りと本人のやる気の無さのせいで『擬竜殻ミルドゥラコ』も、身体の自己修復機能を活性化させて、傷を回復させる『癒光ルーティオ』も使えないヒビキは、ユカリ云々を抜きにしても長期戦には向かない。

――我が相方さんよ。ここまで派手にやるのは久方ぶりだが、答えてくれよ。


「『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』」


 呟きに応じて左手に持ったスピカが蠢き始め、刀としての形を失い、ヒビキの腕に蒼白い光となって絡み付き始めた。

 数秒で奇妙な発光を伴った現象は終息し、彼の左手は身の丈を超える、長い金属製の物体で覆われていた。

 ユカリは一見して、映画で出てくる拳銃のシリンダーと銃身だけを取り出したような物体であると感じたが、彼女の直感は正しい物だとすぐに証明される。

 ヒビキは物体を空を舞うランフォルスに向け、反動に備えて身体を低く構えた。

 ユカリにシリンダーと例えられた部位が、咆哮にも似た音を上げ、更に火花を散らしながら激しい回転を始める。


「さぁ行こうか! 『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』ッ!」


 音が更に激しさを増しながら、物体の先端から粘性の水で形成された槍が撃ち出されてランフォルスに向かうが、相手は空を自在に舞う相手、一発だけの直線的軌道の攻撃などあっさりと躱される。

 敵は勝ち誇った鳴き声を上げながら、攻撃を与える相手を品定めするかの様に、旋回を始めた。危機が迫っているにも関わらず、ヒビキに焦りは見受けられない。それどころか、口元に小さな笑みを浮かべていた。


「誰が一発きりだって言ったよ、上を見ろ上を」


 誰に示すでもなく、空を指差す。釣られて見上げたユカリが「あっ」と声を漏らし、驚愕からか目を丸くする。

 自分の中では結構な魔力を消費する大技である為に、内心では嫌な汗が流れ始めているが、気取られぬように笑みを深くして、ヒビキは指を鳴らす。

 遥か高空から水の槍が降り注ぎ、ランフォルスを襲う。

 やはり直線的な軌道、直撃は叶わない。

 だが、一本でも掠める程度は出来る精度の槍が幾本も存在していればどうなるだろうか。答えはすぐに出た。

 自在な飛行を可能としていたランフォルスは翼膜を始めとした肉体の至る所を撃ち抜かれ、二度と空を掴む事は叶わなくなり、無惨な姿で地上に縫い付けられていた。

 最早このまま朽ちる定めは変えられない。

 にも関わらず蠢き、ユカリに向けて何らかのアクションを起こそうとしているのは、変異を起こしたが故の生命力の賜物だろうか。

 文字通り最後の一撃を放つ為、震えながら口を開く。


「させるかこの阿呆」


 声がユカリの耳に届くと同時に、ランフォルスは断末魔の絶叫を残して完全に絶命し、地面へと崩れ落ちた。

 見ると、心臓があるであろう部位に、刀の形態へと姿を戻したスピカが深々と突き刺さっていた。咄嗟に視線を遠くにやると、ヒビキが投擲後のフォロースルーを行った後の体勢で、ユカリに向けて手を振っていた。。


「悪かった、ちょっとばかしリスキーな事をやり過ぎたな。怪我、無いか?」


 首を振って意思を示すユカリを見てヒビキは表情を緩め、彼女の元へ駆け寄り、ランフォルスの亡骸からスピカを引き抜き、変わりにナイフを取り出して解体作業に移行し始めた。

 ヒビキにとっては一連の行為は全て日常に存在する、当たり前の物でしかなかったが、当然ユカリにとってはそうではない。生物の解体というショッキングな光景に倒れそうになりながらも、自らの抱えた疑問を解消すべく、口を開く。


「……その剣、一体どういう仕組みなの?」


 ヒビキは解体を中断して、ユカリに向き直ってスピカを鞘から引き抜いた。


「『転生器』は元々ゴミだった物に魔力が流れ込んで、様々な形に変質した物なんだ。掘り出した人間の魔力と、ゴミが元々持っていた魔力、それとマウンテンに放り込まれた時に周囲から流れ込んでくる魔力だな。これらが混ざりあってコイツらは形成されてる。だから多少魔力の流れを弄って、それを記憶させれば割と簡単に変質する。俺は一発芸みたいな使い方しかしないけどな」

「つまりこの世界の武器は魔力っていうので変形が出来るの? ……凄いね」

「ま、ちゃんとした所で作った武器の下位互換ってのが殆どだけどな。……さてと」


 ランフォルスの換金出来ない不要な部分を切り落とし、運びやすいサイズへの成形を終えたヒビキは、パトパトゥと同様にそれを背中に背負い、ユカリに向けて手を伸ばした。


「今日はもう帰ろうか。大物も狩れたし、結構な量の廃材を拾えたから、しばらく飯の心配はしなくても良くなった筈だ」

「……うん!」


 ユカリが伸ばした手を取る。その時、ズン、と重い震動がマウンテンを揺るがした。震動は一度では終わらず断続的に発生し、しかもこちらに近付いてくる。

 嫌な予感を覚えながらヒビキは震動のする方向へと視線を向け、顔色を変えた。彼に釣られて視線を向けたユカリは、彼の変化の意味が分からずに首を傾げた。


「……いやいやいや、待て待て待て。ここにコイツが出るなんて聞いてないぞ」

「ヒビキ君、あのパキケファロサウルスみたいな生き物はそんなに不味いの?」

「パキケ……何だって? ユカリの世界にも似たようなのが、って危ねぇッ!」


 背部と頭部がやたらと硬化し、なおかつ頭部がドーム状になっている魔物がこちらに向けて突撃を仕掛けてくる。ヒビキはユカリを咄嗟に抱えて横に飛んで躱す。

 生物は止まり切れずに遥か彼方まですっ飛んで行った後、足の裏から摩擦によって生じた炎を吹き上げながら停止する。

 吹き上がった炎に魔物が気を取られている間に、起き上がったヒビキはユカリの手を引きながら走り出した。


「『ドラゴモロク』だ。一応草食動物なんだが、性質の悪い事に自分より弱い動物を嬲って遊ぶ癖があるんだ。実際、アレにぶつかられたらヒトなら骨の四、五本は折れる」

「でもヒビキ君なら……」

「さっきのアレで俺を高く買ってくれてるならすげぇ嬉しい話だ。でも、今一人でやるのは無理だ。説明は省くが、色々とすごく面倒な奴なんだ。ついでに言うなら、アイツとやり合うには、スピカがもう限界だ!」


 後ろからの暴力的な気配を察して微妙に進路を変えると、猛然と黒い物体が通り過ぎて行く。ゴミの舞い上がる勢いでおおよそ突進速度を推し測ることが出来てしまい、ヒビキの額に汗が吹き出す。

「な、ならどうするの?」

「幸いな事にアイツは索敵をほぼ音に頼っているし、デカい音を一度立ててしまえば発信源に辿り着くまで狙う対象を変えない。だから……」

 ヒビキは空いている左手でスピカを抜いて『器ノ再転化』を行い、背中の方向に向けた。

 二人の背後から轟音が聞こえる。突進を終えて方向転換をしようとしていたドラゴモロクの視線が着弾点に向けられ、そちらへ向けて足で地面を何度も蹴り、突撃の準備を始める。


「これで大丈夫だ。アイツは頭が悪いから、こっちが完全に姿を消してしまえば、追撃はしてこない」


 ヒビキの目論見通り、ドラゴモロクはスピカの生んだ音の方向に突進し、先程まで追っていた二人など居なかったかの様に振る舞っている。このまま無事に帰還する事は叶いそうだ。

 だが、彼の脳裏にはある疑問が膨らんでいた。

 ――ドラゴモロクは草食だし、マウンテンに対応出来る進化をしていない。普通ならこんな所に来る筈が無いんだがな。……何かがおかしい。いや、根拠は無いけれど。

 疑問を抱えていた為か、それとも逃走中に無意味に視線を変える訳にも行かないせいか、彼は見落としたが、空にある変化が起こっていた。

 もしヒビキが気付いていたならば、確実に足が止まり、せっかく作り出した逃走のお膳立てが崩れる危険があった為、気付かなかった方が正解なのかもしれない。

 それほどまでに恐れる現象は一つだけしかない。


 空が紅蓮に染まっていた。


 空間が不安定になっている兆候であり、変色した後には、ユカリという異世界からの来訪者がやって来た事実が厳然と存在している。

 また何かが起こる。確定した未来を見落としたまま、二人は街へと走り続けた。

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