序:再醒のメルヘン

 むかしむかし、この惑星は二頭の蛇によって支えられていました。

 ひ弱だった惑星が強くなるまで支え続けていた蛇は、やがて正体を隠してヒトの世界に降り立ちました。

 降り立った蛇はヒトに力や知恵を授け、彼等の発展を見守り続けました。

 けれども力を得たヒトは蛇への敬意を失い、蛇の持つ力を全て奪い取ろうと、ある日牙を剥いたのです。

 三日三晩続いた戦いで深い傷を負った蛇は、ヒトとの関わりを断って眠りに就く事を決めました。

 裏切られても尚、ヒトへの希望を捨てなかった蛇は眠りに就く直前、病気のせいで戦いに出られず、毎日祈りを捧げていた少年にこんな事を言いました。

「戦いとは関係なく、私達もいずれ朽ちる。だが、私達の力はこの地に置いて行く。……お前達の中に力は宿る。その者を柱に、正しい世界を作りなさい」

 最後の言葉は、少年の口から皆に届けられ、皆は蛇の慈悲に涙しました。

 そして、やがてこの世界に現れる、彼等の力を受け継いだ者に相応しい場所になるよう、争いをやめて仲良く暮らすようになりました。


                  ◆


 夜の夜、また更けて夜。

 椰子や羊歯を始めとする熱帯植物が立ち並ぶ、未舗装の道を一人のヒトが歩いている。先端部で縛られた黒髪は腰まで伸び、持ち主の上下動に呼応する形で夜の空気を揺らす。

 生まれた頃から全身に刻まれている、不可思議な紋様。それを見せつけるかのように、褐色の肌が多く露出した扇情的な衣装を纏ったヒトは、何やら呟きながら海へ続く道を進む。

「今日も賭けで勝って、本読んで、新しい料理作って。……大体昨日と同じだなぁ、つまんねーの」

 金管楽器のような澄んだ若い声は、発信者の退屈を余すことなく表し、星で満たされた空へと投げられていく。

 当地、バディエイグの軍人辺りしか所持しておらず、伝統的な衣装との乖離が凄まじい軍用ブーツが地面を蹴った。土塊が小さく舞う中で、溜息の音。

「ファナント島の遺跡も入れないし、外の国に行ける訳でもない。明日も昨日と今日と同じなんだろうなぁ」

 張りのある声と肌から判じると、どれだけ高く見積もっても声の主は十代後半。にも関わらず、声を満たしているのは退屈に倦んだ感情だった。

 あての無い歩みの先、ヒトは目的地の海に辿り着く。

 台風が跋扈する季節はもう少し先。周回遅れの情報源で踊り狂う、他国のような顕著な環境悪化はバディエイグでは目立たない。物好きな観光客の無法な振る舞いも、現状は自然の浄化作用が勝っている。

 砂浜に座し、ヒトは穏やかに揺れる海を茫と眺める。

「みんなオレを特別とか何とか言うけどさぁ、全ッ然そんな気配無いよなぁ。……そろそろ取り立てを食らうかもなぁ~」

 物心付いた頃から今に至るまで。何一つ変わらぬ平穏は、何も変えられずに年輪を重ねて行くだけの自分のようだ。宿った年不相応な感情を、間の抜けた声を吐き出して誤魔化し、長い時間海を見つめていたヒトの目が、不意に上を向く。

 近代化が進んだと言っても、インファリスやアメイアントに根差した大国と比べると、バディエイグはヒトの支配が不完全。電灯の支配を免れている場所もまだまだ多く、日常生活を送っているだけで、国民は大抵の星座を覚えてしまう。

 だからこそ、空に輝く二つの赤き光点を目撃したヒトの目は警戒で引き締まる。

 その者が見つめる光点は、無軌道に空を踊る。どう見ても只の流星ではない。ならば、正体は一体何か。

 瞬きすら忘れて正解を探すヒトを他所に、光点は空を踊り続ける。無軌道のように見えた軌跡は、注意深く観察を続けている内に円を描き、絡み合ったまま二つは空から剥がれ落ちた。

「隕石か!?」

 道理かつ、最悪の可能性に身を引き締めたヒトの予想は幸運にも裏切られ、光は群島の一つに吸い込まれて消えた。

 空がほんの僅かに揺らぎ、未知の力が島に流入する光景を、その身に宿した刺青に光を灯した人物はしかと見届け、収束と同時に小さく頷いた。

「……何かが起こるってわけだ。ヴァイアーの整備をしとかないと!」

 緊張を解き、人物は踵を返して走り出した。

 歩いてきた道を逆回しのように進む姿には、先程まで纏っていた迷いや倦みが一掃され、数歩先に待つ何かへの期待に満たされていた。

 軽い足取りで駆けて行く人影は、ごく短時間で夜の闇に溶けて消えた。

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