1:始動、そして躓き。

「行ってらっしゃい。貴女が何かを掴むことを願っておくわ」

 船頭の声が響くと同時、見慣れたヒルベリアの景色が七色に塗り潰される。

 上下左右の感覚が失われ、ただ漠然と七色の奔流の内側で立ち尽くす時間が流れて行く。時間に直せばごく僅かな、奇怪な空間への没入は唐突に終わりを告げる。


 視界が真っ当な色を取り戻した時、大嶺ゆかりは落下していた。


「ちょっと、やっぱりこれは――」

 異なる世界の存在という特異性も、重力の前には何の役にも立たない。皆まで言う前に背中から地面に墜落。感触から判断するに落ちた場所は砂地で多少は軽減されるが、それでも痛いものは痛い。

 暫し砂の地面を転げ回ってから立ち上がり、すぐ近くに立っていた少年を発見して表情を緩める。

「フリーダ君が先だったんだね」

「みたいだね。となるとライラが最後か。……僕達、本当にグァネシア群島に来たんだね」

 微量の感動と多量の緊張を孕んだ声と共に、茶髪の少年フリーダ・ライツレの目は遠くに向けられる。彼に追従して動いたゆかりの目に映るのは、遠慮容赦なく降り注ぐ陽光を反射し輝く蒼海が、何処までも広がる光景だった。

 島がポツポツと散発的に見えるが、それが彩を添える程度の存在感しかない光景と、写真か空想世界でしかお目にかかれない蒼の広さに異国情緒を感じ、少女の目が少しだけ細められる。

 退廃的な空気を持つヒルベリアや、元の世界の都心部と大差ない発展度合いを誇るハレイドやアガンスとも異なる、この世界に降り立って始めて見る物が、彼女の視界を隙間なく埋めていた。

 際限なく広がる未知の光景に見惚れ、少しだけ緩みが産まれた事を自覚したのか、ゆかりは小さく頬を叩いて集中の糸を張り直す。

 それによって現実が五感に浸透した事を示すように、肌に湿気と強い日差しに起因する熱が届く。滲み始めた汗を拭いながら、フリーダに視線を戻す。

 しかし、同行者となる茶髪の少年は口を半開きにして斜め上に視線を向けていた。

「?」

 彼の視点で前方斜め上とは、即ち大嶺ゆかりの頭部付近という事になる。何か変な物がそこにあるのか。浮上した疑問を投げる為、ゆかりが口を開いた時だった。

「ユカリちゃんどいて!」

「……へっ?」

 焦りが全面に出た、聞き慣れた声に釣られて顔が真上に跳ね上がる。

 数分前まで視界の全てだった、虹色で満たされた裂け目と、何処までも広がる海と同色の空。

 そして行き着く所まで混乱しきった結果、愉快な表情になっている紫髪の少女、ライラック・レフラクタが落ちてくる光景がそこにあった。

 彼我の距離は既に一メクトルを切っていて、このまま行けばどうなるかは簡単に分かる。

 回避する術も無いこともまた、ゆかりは正確に理解出来てしまった。


 熱帯の空に鈍い音が響き渡った。


 激突でひとしきり悶えた後、急ごしらえの氷嚢を痛む頭に押し当てる。

 幸先が悪いなぁと少し思いながらフリーダを、自身と同じく氷嚢を頭に当てるライラを交互に見て、砂浜に座したゆかりは口火を切る。

「とにかく、私達はグァネシア群島に到着した。後は、ファナント島遺跡の最奥部に辿り着く事。それが今回の目的」

「何があるのか『船頭』が提示しなかったのは気になるね。けれど、僕達に別の手札は無い。手早く終わらせよう」

「パパッと見つけて、ヒビキちゃんの目を覚まさせるんだよ!」

 威勢の良いライラの叫びを受け、少しだけゆかりに影が差す。

 最早一言では言い表せない感情をゆかりが抱くようになった少年、ヒビキ・セラリフは飛行島での決戦で何らかの情報を『エトランゼ』に与えられてから塞ぎこみ、彼女やフリーダ達を拒絶した。

 彼が最後に叩きつけた叫びを払拭出来た訳ではないが、それに飲み込まれる形で落ち込んでいても事態の進展は無い。そんな合理的な思考を提示され、カロンに導かれるままインファリスから離れたグァネシア群島に降り立った。

 何かを見つける事と、ヒビキの再起は決して一つの線には成り得ない。

 グァネシア群島内に存在するファナント島でカロンの示す何かを見つけ出すことで、元の世界への帰還という最大の目的に少しでも近づく。その過程で流れる時間で彼自身の力で立ち直ってくれることに、今のゆかり達は賭けるしかないのだ。

 

 魂に強引に火を入れ、ゆかりは立ち上がる。


「それじゃ、行こう」

「大丈夫、私達なら出来るよっ!」

 強い言葉を放つライラの声も不安が滲んでいる。黙って首肯するに留めたフリーダもまた、全身に緊張を走らせている。

 何の保証もない以上、誰も未来を楽観視していない。だが、二人が友人を救いたい気持ちを抱いていることと、部外者でしかない自分に手を差し伸べてくれたことは紛れもない事実だ。

 一人怯え続けている訳にはいかない。

 決意と共に、カロンから借り受けたグァネシア群島全体の地図を取り出したゆかりを先頭に、三人は歩き始める。


 しかし、彼女達は一つ大きな失念をしていた。


 グァネシア群島で最大の面積を誇り、目的地としてカロンが示した無人島。ファナント島は、初代魔剣所有者であり、ドラケルンの勇者ハンス・ベルリネッタ・エンストルムが『エトランゼ』の一頭ギガノテュラスを激戦の末に破った島。人類にとって非常に大きな歴史的意義を持つ場所なのだ。

 様々な問題で少数に留まるが群島を訪れる観光客も、この島を一目見たいと希望する割合が比較的高い。

 そして、このような歴史的な価値を持つ場所の大枠に漏れることなく、群島を統治するバディエイグは原則的にこの島への立ち入りを禁じている。

 未だ残る激突の余波で危険な生物が跋扈している。何らかの超兵器が隠匿されている。果てはバディエイグ最高指導者、ベラクス・シュナイダーが財産を隠している。

 飛び交う様々な噂の真偽は横に置くにしても、僅かな例外を除きファナント島への進入が不可能なのは真実だ。当人達にとって大きな使命を抱えてやってきたゆかり達もまた例外ではなく、彼女達は警備を行っていた軍人の手でバディエイグ首都ウラプルタに強制連行される事態に陥った。


 強い意思に突き動かされて始まった遠征は、一歩目で大きく躓いた。



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