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「それで、結論を先送りした訳だ。いや、選択は決して間違っていないよ。軽々しく受ける方が不味い話だ」
「言ってくれるのは嬉しいが、なーんも話が解決しなくて頭が痛いけどな」
カイラス内海に面した、アークス王国有数の観光地フォルトン。
大抵の町に存在する、なけなしの金をはたいて騒ぐ場所とは趣が異なる、快楽と絶望と歓喜が混じり合う不思議な町を、場から浮いた装いでヒビキとフリーダが並んで歩む。
アガンスの名士、マルク・ペレルヴォ・ベイリスの下で仕事と修練に励んでいた、フリーダが受けた依頼に相乗りする形で、自身にとって未踏の観光地を訪れる事となったヒビキの表情は、町の華やかさとかけ離れた暗い物だった。
「ティナ・ファルケリアが飛行島に向かった。けれどもルーゲルダさんは置いて行かれた。彼女を連れ戻したいから一緒に飛行島に行こう、だっけ?」
記憶を探るように、宙に視線を泳がせながら放ってきたフリーダの問いに、ヒビキは首を力なく縦に振る。
自身の、そしてユカリの恩人が窮地に陥っているのなら、迷う余地は本来はない。
だが、ルーゲルダが提示した場所が、彼が回答を先送りした唯一の、そして最大の問題として立ちはだかっているのだ。
正確な場所も、辿り着く為の方法も掴めない場所に行けってのはなぁ……。
『飛行島』は、児童が読む御伽噺の題材として多く用いられているが、児童の領域を超えた者、特にヒビキ達のような生き方を選んだ者にも、与太話のネタに上がる事が多々ある。
一つの都市に匹敵する巨大な島が世界中の空を飛び回り、地上世界の道理を無視した進化を遂げた生物が闊歩し、奇妙な建造物が乱立する。そして、手に入れた者に巨万の富を齎す財宝が島の何処かに眠っている。
最後の部分は欲望剥き出しの妄想に近いが、確かにこのような噂は大衆の心に刻まれており、実際にそれを求めて探索に向かった者も多いとは聞く。
向かった後、即ち探索の結果がロクに公開見つからない事実で、大抵の者は察して諦めるのだが。
ティナが飛行島に行ったと聞けば、人生に悲観して自殺を図ったという類の邪推の方が常識人には受け入れられる。ルーゲルダの話から判断するに、その線はまずない事は救いというべきか。
良策が見つからず悶々としていた所、一時的に戻ってきていたフリーダに仕事の話を振られ、ユカリやルーゲルダから許可を得てこうしてフォルトンに訪れているが、町の発する空気に乗って浮かれた気分にはなれそうにもなかった。
「悩みは深いね」
「一つ一つ解決しているならともかく、積み上がっていくばかりだからな」
「気持ちは分かるけど、あまりよそ事に気を取られていると足を掬われ……ヴェネーノに勝ったヒビキなら問題ないか」
「その枕詞はやめてくれ。悪徳業者の宣伝文句みたいで寒気がする」
本心半分、茶化し半分といった風情のフリーダに、ヒビキは心底げんなりした顔で首を横に振る。
最強の求道者ヴェネーノとの戦いと関連して生じた事象は、彼に力を振るう理由を再定義させ力の向上を齎した。だが実態は奇跡の介入でようやく掴み取った辛勝であり、堂々と勝利したと吹聴する気には到底なれなかった。
事態終息後に治療を受けたファビアからも、引き起こした奇跡について厳しく叱責され、甘い道を歩むことは不可能だと改めて突きつけられていた。
――貴様の自殺願望を否定はせんが、仮に生き延びたいと望むなら、次に力を使った瞬間、六割の確率で身体が崩壊する可能性は頭に入れておけ。
ヴェネーノを一撃で打倒した攻撃を用いようとすれば、死ぬ可能性は決して低くない。何やら触れてはならない領域に足を踏み入れようとしている中で、掴みかけた手札が一瞬で消えてなくなった事実は痛すぎる。
加速度的に心の内に暗雲が広がっていくが、フリーダの指摘通り、よそ事を考えて目前の事を疎かにしていれば、普段なら回避可能な落とし穴に嵌る危険が生まれる。暗雲を強引に片隅に押しやって、依頼主から手渡された資料に視線を落とす。
「派手に暴れてんな、コイツ。一時的とは言えベイリスの事務所にいるお前にお鉢が回るのも分かる」
「過去に三人殺していて、あるカジノの用心棒として流れてきたけど、そこでもトラブルを起こして解雇。今は不定期に賭場荒しを展開、か」
「頼れば国に弱みを握られるとでも思ってんのかもしれないけど、警察じゃなくて民間に回してくる辺り、この界隈もあんまり深入りしたくないな」
「欲望を直接刺激する仕事はどうしてもね。僕らの仕事も似たような物だけどさ」
「そりゃ違いねぇな。……どういう手筈でやる?」
物騒なやり取りを交わしている内に、二人は華やいだ景色が広がる場所から徐々に遠ざかり、光と人通りが少ない場所へと進んで行く。
光と影の関係のように、華やかな場所が強引に拭い取った物が集積された場所、の立ち位置であろう場所の割に、小綺麗でゴミの類は少ないが、代わりにゴミのように扱われている人間がゴロゴロしていた。
空の財布を握り締めて突っ伏す男、衣服まで毟り取られて下着姿で怨嗟の言葉を吐く女、酒瓶を抱えて何やら上の空の老人と、まさしく表で負けた者達が集う通りを歩き続ける二人は、彼らからの粘ついた視線を一切無視して言葉を交わし続ける。
どのように捕獲するか計画を固め、ここに留まる理由は消えた頃、フリーダが『破物掌甲クレスト』を装着した左手をゆっくり掲げ、魔術を紡ぎ始める。
突如現れた少年の一手に気付いた敗北者共は慄きを見せるが、友人の行動を早い段階で察し、また理由も理解しているヒビキは動じない。それどころか、即座に追随出来るようにスピカの柄を握った。
「僕達に何の用だい? 尾けているのはとうに気づいているよ」
「知り合いに『
「ひゃっ!」
威力を絞った『
どよめきの中で確かに聞こえた、返事に等しい悲鳴の発信源へフリーダが、そしてヒビキが向かう。後者は悲鳴以外の方向へ静かに、しかし緊張感を孕んで視線を巡らせながら。
「……声から判断するとコイツだろうが」
「こんなのに尾けられていたとは想像し難いね」
「あうあうあうあう……」
煙が収束した頃、指定の置き場に積み上げられていたゴミに埋もれる形で、前髪が切り揃えられた黒髪を持つ、東方系の少女が目を回していた。
問答無用でフリーダが引っこ抜き、濃紺の装束を纏った身体が露わになる。
関節部に施された金属による補強や、柄から鞘まで艶消しの黒一色の異刃を見る限り、間違いなく戦えるのだろうが、あまりに華奢な少女を目にして、二人は思わず顔を見合わせる。
「もしかして、僕たちは人違いをしているんだろうか」
「な訳ねーだろ。魔力の流れはずっと変わらなかった。尾行してたのはコイツだ」
「左目が蒼く? やっぱりあなたが……」
混乱を脱したのか、少しだけ力を解放したヒビキの姿を髪と同じ色の目で捉えた少女が、何かを確信したような言葉を溢す。
気になるが、諸々全てを吐き出して貰う方が先だと判断したヒビキは、一歩引いてフリーダに事情聴取を託した。「何か気になったら割り込む」と伝えて壁に凭れかかり、問いを放る友人と、今一つズレた答えを返す少女の声を背景音に、人気が著しく減じた路地を見渡す。
少女の魔力は、依頼内容を聞きに行った時から二人共気付いていた。
ここまで仕掛けを引っ張ったのは、二対一という構図を大衆に目撃される事で生じる、思わぬ不利益を避ける事と、万が一暴力を振るう事態に陥っても問題ない場所を求めていた為だった。
――間違ってはいない、筈なんだけどな……。
人気が少ない場所へと向かうにつれ微弱な、しかし決して途切れぬ魔力の放出をヒビキは感じ、それが複数になっている事に気付いていた。
魔力を持ち、魔術を行使出来るヒトという枠組みで現代人を括れば、その枠に該当しない者を探す方が格段に難しい環境下で、魔力の放出を感じただけで少女以外の存在を警戒するのは、猜疑心が過ぎると取られるだろう。
ヒビキとてそれは重々承知。友人が同じ警戒心を抱いていない事を考えれば、彼がここまで警戒しているのは、精神が最悪の事態に延々直面し続けてささくれ立っているせいと言えなくもない。
数分後、緊張を緩めて右手を軽く開閉し身体を解す。未だ躱され続けている友人の尋問に加わるべく、一歩踏み出した、その刹那。
「――ッ!」
気配を感じたビルの屋上を、形態を変えたスピカから放たれた水の弾丸が襲う。
鉄筋コンクリートの外壁を貫き、塵芥が散る。銃弾と同等の速度で、そして銃弾以上の残酷な力を持ったそれの着弾から当然予測可能な光景は、連続的に響く金属音と共に、仕掛けが全て明後日の方向に消えていく。
友人の唐突な仕掛けとその現実に硬直するフリーダと、尋問を受けた時の動揺が失せた少女を他所に、ヒビキは狙った先にスピカの切っ先を合わせ身構える。
そして、裏通りに軽薄な拍手の音が投げられた。
「やーバレたか。噂はそれなりに仕入れてたが、思った以上に優秀だな」
拍手同様、一応褒めているのだろうが、受け手側にはまるで伝わらない声と共に空間が割れ、一人の男が姿を現した。
身長は一・七六メクトルのヒビキより僅かに低いが、賭博場での正装に身を包んだ身体は引き締まり、衣服との調和が著しく欠けた鍔の広い帽子が載る顔は日焼けが目立ち、少女と同じ黒の目は、掴みどころのない色を宿している。
一見した所では近似の物を持つ知人として、ヒビキはクレイトン・ヒンチクリフを思い浮かべるが、眼前の男には元四天王の持つ諦観した色がなく、対峙者を威圧する程の渇望があった。
「ウチの千歳が迷惑をかけたな。責任は全て俺にあるから、許しちゃくれないか?」
「迷惑をかけたなんて、欠片も思ってないだろ。アンタは誰だ、そして俺達に何の用だ?」
軽い気持ちで挑んではならないと、一目見ただけで察せられる相手に、不遜な物言いをするのは悪手とも言えるが、下手に出る事による利益やそうする理もない。
スピカを構えたまま問うたヒビキに対し、男はやはり軽薄な笑みを崩さないままに名乗る。
「確かにヒビキの質問は道理だな。俺の名は水無月蓮華、君ら二人を尾けていたのは、我が『水無月怪戦団』所属、加藤千歳だ」
「よ、よろしくお願いします!」
弾かれたように頭を下げる少女千歳と、蓮華が挙げた集団名に覚えがあるのか、身を硬くしたフリーダも気にはなるが、ヒビキはそれを抑えて問いを重ねる。
「ヒノモト人の集団って認識で良いのか?」
「三十人中、俺と千歳を含めて日ノ本の奴は七人だけだ。犯罪組織の壊滅から凶悪な生物の討伐、果ては嗜好品販売から金貸しまでやっている我が組織に、何でもご用命を、だ」
集団を維持出来る。
この一点だけで、相手がかなりの実力者と認識したヒビキは、警戒の度合いを引き上げた上で本題に切り込んだ。
「俺達が受けた仕事をアンタらに渡すつもりもなければ、別段不足を感じている物もない。となると、アンタは俺達に何を求めてやって来た?」
「いや、不足を感じている物はあるだろ? 『飛行島』に行く手段とかさ」
「!」
暴発しなかったのは、単に相手の答えが予想外に過ぎた為だ。
感情の乱れが表に出るのは辛うじて堪えたが、己と比して踏んだ場数が圧倒的に多いであろう眼前の男には見抜かれている。そう考えるべきだと判断を下したヒビキは、今まで組み立てていた問答を放棄して、切り口を大きく変えた。
「聞いてくるってことは、アンタは既に飛行島へ向かう手段を持っている。目的地が何処にあるのかっていう情報もな。なら俺達なんかに話を振らず、さっさと行きゃ良い筈だ」
真っ当な疑問に対し、蓮華は笑みを深くして両の手を広げる。道化の振る舞いだが、隙は見えない。
強硬な手段で離脱する算段を、ヒルベリアの少年が無言のまま取り下げた事を知ってか知らずか、ヒノモトの戦士は口を開いた。
「お察しの通り、俺達は既に飛行島の場所を掴んでいる。だけどま、場所が場所なだけに勝率は微妙な領域だ。生きて目的を達成する為に、戦える連中を引き込みたいのが実情だ。世界全土を敵に回した男を打倒したヒビキと、それに比べると数枚落ちるが、ここ最近腕と名を上げたフリーダなら、それなり以上に頼れるとも思ったんだよ。それに、ヒルベリア出身なら、万が一のアフターケアも少なくて済むしな」
「正直なのは良いが、俺達以外にそれを言うとこの時点で暴力沙汰になるぞ」
「それは問題ないんだな。なんせ俺、強いから」
自信過剰とも取れる物言いを受け脱力しそうになるが、次の瞬間、自分達に向けられる視線が爆発的に増えた事を感じ取ったヒビキの目に刃が宿る。目の動きに追従したフリーダの顔色が、瞬時に青ざめた。
「十九人も連れてきているのか……」
「惜しい、二十人だ。俺と千歳を含めれば二十二人いる事になる。さてヒビキにフリーダ、君達は非礼を受けた者の特権として、俺達全員をぶっ殺す権利が一応ある。……どう組み立てて、俺達を倒す?」
世間では『
包囲網は抜け目がなく、またこれだけの大人数が、こちらにハッキリと感知されることなく接近されていた時点で二人の敗北は決定付けられているも同然。
命乞いして相手の言いなりになるのも一つの手だが、この場を乗り切った後が苦しい物になる。腹を括ったヒビキは、軽く唇を舐めて口を開く。
「アンタ一人だけなら、俺達二人でかかれば確実に勝てる。そもそもそんな状況を作れないのが問題になるだろうけどな」
「……へぇ」
「アンタは集団の力で相手を潰していくのが基本なんだろ。となると、核に成り得るそこの鎧男と、バカでかい斧を構えてる女を潰せば勝利の目は見える」
言葉を並べる間にも、ヒビキ達は最初に潰すべきとした二人の内、鎧を纏う老人を打倒すべく構え、彼以外の団員も、それに呼応して殺意を充填させる。
「だ、団長! この状況は不味いです……」
「どうにも、千歳の横槍は気が抜けるなぁ。まあ、今ここで殺し合いをするのは止めておこうじゃないの。お互いが幸せになる要素が一つもないからな」
安い制止に絡まれた側二人が非難の視線を向けるも、当の本人はどこ吹く風といった風情で背を向け、団員に撤収の指示を出す。
一人、また一人と気配が遠ざかっていく中、向き直った蓮華は軽薄な仮面の下に在る、何かを求める者としての側面を僅かに覗かせ、それを敏感に感じ取った二人が気圧される中、ゆっくりと口を開く。
「求める物を、君は君の出来る範囲で既に探している筈だ。それでも何も得られていないから、こんな所で横道に逸れる振る舞いをしているんだろうが、いつまで経っても成せないぜ。……どう結論を出すにしても、直接その答えを教えてくれると俺は嬉しい。『揺らぎ蝶』で待っている」
フォルトン最大の賭博場の名前を残し、東方人の背は遠ざかり、やがて人波の中へ消えた。
「あ、あのぅ。私も失礼しますね……?」
小柄な少女、千歳の声に応じる余裕は、立ち尽くす二人はなかった。
脅威を齎すであろう存在が消えた事で、徐々に人の気配が増え始め、やがて裏通りは日常の秩序を取り戻してゆく。
「……どうする?」
「まずは依頼完遂を考えようぜ。……一つ一つ片付けていかないと、話がややこしくなる」
既に混迷の中に叩き込まれている事実から目を逸らすような言葉は、直後に生じた貨幣の落下音に掻き消された。
◆
「……そして、ティナはルルさんを置いて行ってしまった」
「……はい」
ヒルベリア、ヒビキ・セラリフの家。
全焼からの再建と整理整頓の結果、以前とは見違えた室内で、ユカリとルーゲルダが重い顔をして向かい合っていた。
ティナ・ファルケリアと眼前の金髪少女が何故別れてしまったのか。
傷を抉るに等しい行為と知りながらも、正しい認識を得るべくユカリはこうしてやり取りを重ねていた。
ヒビキがここにいた頃は錯乱が激しかったルーゲルダも、現在ではそれなりに落ち着きを取り戻し、最初発した言葉の誤りを訂正し、正確な情報をユカリに提示してくれていた。
だが、正確な情報を得る事が、心を晴れさせるとは必ずしも限らない。
嫌な事実を噛み締めながら、ユカリはメモとルーゲルダに視線を交互に遣りながら問う。
「竜に乗って行ったって言いましたけれど、ハルクさんに竜の知り合いはいたんですか? そもそも……飛行島のある領域は生身の人間が踏み込めるんでしょうか?」
「ごしゅ……ハルクさんにも逢祢さんにもそんなのはいませんでしたし、雲の上でヒトが生存するのは不可能です。島に辿り着けばどうにか出来るかもしれませんが、竜に乗っていく以上、対策も限られます」
「ですよね……」
下手をすれば、ティナは一人空の中で死んでいる。
それほどの危険を犯して、彼女は飛行島へ向かった。ザルバドで訓練の為居候していた頃にユカリが感じた、彼女の負けん気と強い意思が、危険な領域にまで達したという事だろう。
彼女の背を悪い方向で押したハルクの死。それを引き起こした「人形」とは一体どのような物だったのか。
これについては、ハルクと共に対峙したルーゲルダから明朗な答えは未だ得られていない。
「生物とは到底思えない、いや、思いたくもない空気を纏い、ヒトでは有り得ない異様に多様な力を行使していた」
恐慌状態に陥っていた時と現在で、一貫した回答はこれだけだが、ユカリにはこの情報だけで全貌を暴く知識はない。
ヒビキが溢した「俺も『
自身を叱咤して負の予想を振り払い、ユカリは今まで触れていなかった点について、ルーゲルダに問うていく。
「ティナは私なんか足元に及ばない、強い人です。そんな彼女が、いきなりあるかどうかも分からない島に向かうなんて、正直に言うと理解が出来ません。……ルルさん、一体飛行島には何があるんですか?」
「それは……」
「一番有名な話なら、シグナの遺産じゃないかな。ティナって子が取りに行ったのはさ」
適当な焼き菓子が盛られた盆と共に、紫髪の少女ライラック・レフラクタが姿を現し、彼女の言葉にユカリは首を捻り、ルーゲルダは顔を硬くする。
後者の反応で確信を得たのか、盆を二人の方に押しやりながら、ライラはポケットから取り出した小さな機械を弄りつつ言葉を継いでいく。
「飛行島はさ、アルベティートの拠点だったて噂があるんだ。で、ギガノテュラスを倒したハンス・ベルリネッタみたいに、アルベティートに単独で挑んだ人が一人いた。それが、シグナ・シンギュラリティなんだよ」
「シグナって人は強かったの?」
「『継道者』という肩書が残るぐらいは、ですね。……『エトランゼ』との戦争の時代に活躍されていた方ですので、正確な情報は殆ど残っていませんけれど」
「ルーゲルダさんの言う通り、シグナに関する正確な情報は彼女が女性だった事ぐらいかな。飛行島云々も真偽の怪しい所が結構あるんだよ」
「話を聞く限り、ティナという少女は真偽が怪しい話に縋るような人ではない」という、切られた言葉の先に籠められたライラの思考を、ユカリは肯定する。
父親を殺害した「人形」の詳細とそれを打倒する為の力を求めるまでは分かるが、そこから真偽が怪しい力へ向かうのは、ユカリが描く灰の目を持つ少女の像から大きくかけ離れており、その認識はルーゲルダも同じ筈。
数多く生息しているらしい強力な生物を倒して力量の向上に励む、これまた真偽は怪しいが、島内に眠る財宝の類を得て資金を稼ぐ。
そのような目論みで動く方が彼女らしいとユカリが告げると、「私もそう思います」と力なく笑ったルーゲルダは、ライラが持ってきた焼き菓子を口に入れ――
「ぐぼぇッ!」
「ひゃっ!」
女性としてあるまじき奇声を発しながら椅子から転げ落ちた。
「ルルさん、一体何が!?」
「このクッキー、謎過ぎるエグみが……駄目、口の中がチクチクしてきました」
「そんな筈は……」
只のクッキーでそんな事があってたまるかとばかりに、盛られた一つを放り込み、咀嚼を始めたユカリの顔もルーゲルダ同様の物に変わり、無言のまま床に倒れた。
「ライラちゃん、クッキーに何を入れたの……?」
「え? 隠し味にペトリア草を入れたぐらいでそれ以外は何もしてないよ」
「その隠し味が問題、だったかな……」
薬の材料に多用されるペトリア草は、一日二十一時間眠る巨大生物『ドラホーン』さえ叩き起こす程に強い覚醒作用を持ち、高い栄養価も誇っているが、味は「下水を固めた氷の味」と例えられている。
ライラも知らない筈はないが落ち込んでいるルーゲルダの気分を強引にでも高める為に、気付け薬に用いられるペトリア草を使ったのだろう。砂糖を多く使う菓子に混ぜてしまえば、そこまで強烈な味がしない筈。そして書物の中に似たような用法があったので大丈夫とも踏んだ筈だ。
もっとも、彼女の目論見はあっさりと崩れ去ったのは二人の様子から明白だが。
「次からはペトリア草を入れるのは止めた方が良いね……。水持ってくるよ」
「わ、私はちょっと外の空気を吸ってきます」
「行ってらっしゃい……」
三者三様の動きを見せる中、部屋に転がった状態を保持したユカリは、よろしくない顔色のまま思考を巡らせる中、この世界で読んだ小説の一節が不意に蘇る。
「『世界は全てを呑み込み、常に変動する』だったかな」
自分が見た物触れた物の変化を人は拒み、そこに在る物を不変の物として扱いたがる。
だが現実は、ユカリ自身が異なる世界に引き摺り込まれ、ハルクは死に、ティナはあれだけ仲の良かったルーゲルダを置いて行ってしまった。
全てが予想外にして、現実の出来事だ。
同じ世界の、しかも近い存在が敵として立つ、世界最強の男と対面する出来事以来の予想外は、ユカリにとって重い物だった。
想定とは大きく異なる形でルーゲルダと再会した今、どういう流れなのかまでは読めないが、自分達は飛行島へ行く事になる。
そして、辿り着いた場所でまた何かが起こる。
経験から積み重ねた推測に薄ら寒い物を感じて、ユカリは胸元のネックレスを強く握りしめた。
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