3:ダンスナンバーを共に

 振り切れた感情から吐き出される声と熱、機械が奏でる音、酒と煙草、そして汗と化粧の臭い。これらが入り混じって独特の空気を醸し出す空間で、黒のドレスを纏ったユカリは眼前で回転する画面を食い入るように見つめていた。

 同様に両隣で機械と対峙する者が動き、そして項垂れて席を立つ中でずっと静止していた彼女は、回転を延々見つめ続け――


「よしっ!」


 溜めていた活力を放出するように、鋭い動きで手元に並んだ三つのボタンを叩き、描かれた図柄の回転が次々と停止していく。

 大当たりを意味する竜の図柄が二つ並び、最後の一つも狙い通りと彼女が認識した瞬間、滑るように別の図柄にズレて止まった。


 無論これはハズレで、賭けたコインは没収される。


「絶対インチキしてるよこれ。ちゃんと当てたよ私……」

 客の嘆きを機械が聞く筈もなく、再度賭けるか、去るかを無機質な電子音声で問うてくる。コインを全て失ったユカリは後者を選んで席を立ち、周囲を見渡す。

 足が深く沈む赤い絨毯と、煌びやかな黄金の内装が激しい自己主張を行うカジノ『揺らぎ蝶』は人で溢れていた。むず痒くなる美辞麗句で誘ってくるスタッフを難儀しながら振り切りユカリは歩む。

 

 賭け事と縁遠い彼女が何故ここに、なる問いへの答えは単純な物。


 仕事の大枠をヒビキ達から聞いたライラが、フォルトンに行くと言い出したのは四日前。

「二人の声になんか隠してる感じがあったんだ! 確かめに行こう!」

 長い付き合い故の発言だろうが、この手の予感は得てして当たる。それに、調べ尽くしたヒルベリアに留まるより、フォルトンにいた方がティナの情報が得られる筈。

 このような根拠に基づいてユカリとライラ、そしてルーゲルダが各々武装してフォルトンに乗り込むと、二人は揃って渋い顔を浮かべた。

 出発前に語っていた依頼と別の、新たに抱え込んだ二人は渋々説明し、それにルーゲルダが食いついた。

「まだ決めた訳じゃない。けど、頭ごなしに断るつもりも今はない」

 迷いも露わに剣の少女に告げて、元々請けていた仕事を終えたヒビキ達は、今日を決着の日と定め、相手が指定したこの賭博場で待っていた。

 相手がやってくるまで遊んで時間を潰そうと言ったのが誰か定かではないが、それに則って遊戯に挑み惨敗したユカリはヒビキを探す。

「あーちょっと! 今のは勝ったよ! ほらだって……」

 聞き慣れた抗議の声を背で受けつつ彷徨した果てに、各所に蒼の装飾が施された黒のコートを見つけたユカリは、その肩を軽く叩く。

「ユカリか。悪いけど、相手がまだ来てないからもう少し……どした?」

「ヒビキ君、強かったんだね」

「別に。こんなのただの運だ」


 普段と何ら変わりない調子で向き直った、ヒビキの両腕が抱えているコインケースには、夥しい量のコインが盛られていた。換金を行えば、数十万単位の額になるだろうか。


 にも関わらず、喜びの色が極めて薄いことをユカリ問うと、不正防止の規則に倣ったのか、左目を無骨な眼帯で覆ったヒビキが小さく笑う。

「結局、賭博は胴元が勝つし、それを覆す努力を俺はしていない。だから俺は大勝ちを狙わない」

「でも、その量なら大勝ちじゃないのかな?」

「一つのゲームで少し勝ったら別のゲームに行く。少し勝った奴を店はマークしないから、後は運次第だ。そもそも、おやっさんに賭け事で金を増やそうとすんなって言われてたしな」

「カルスさんだっけ。ちゃんとした人だったんだね」

「『夢はなぁ、動かないと叶わないぞヒビキ!』とか言って賭けに負ける人だったけどな。俺に賭け事やるなって言ってたのは多分その反動だと思う」

「そ、そう……」

 呆れが含まれているが、敬意が滲み出ているヒビキの声。

 断片的に語られるカルス・セラリフという男は、良き人間だったのだと、彼の語りで常に感じている。ヒビキと並んで歩きながらユカリは想像を膨らませ、同時に胸に強い引っかかりを感じる。

 七年前に消えたと聞く育ての親に関する情報は、自身のルーツに並んでヒビキが手にする事を望んでいる。

 話から描ける人物像と、突然ヒビキの前から消えた事実はどう捻っても噛み合わない。強引に嚙み合わせるなら、凡俗のユカリに思い浮かぶのは一つだけ。


 ――カルス・セラリフさんは何らかの突発的な事象に巻き込まれた。……でも、ヒビキ君にもその時の記憶がないんだっけ。


 七年前なら、本来彼も記憶を有している筈。物心が付く前後もそうだが、ヒビキの記憶には重要な局面の欠落が多い。

 古い付き合いのライラやフリーダも知らない、二つの事象。ヒルベリアの住民に尋ねても、返答は一様に口を噤むという物。

 立場を考えれば、首を突っ込むのは本来許されないと理解している。ただ、随分長い付き合いとなった隣の少年の願いを、叶えたいのも本心からだ。

 帰還とヒビキの望み。二つを叶える最善手は何処にあるのか。黙考するユカリの耳に軽薄な声が届く。


「遅くなったな」

「約束の時間には早い。そんな言葉いらねぇよ。どうせ本心じゃないだろ」

「あぁ、バレた?」


 声量は決して大きくないが、彼らの登場で生じたどよめきの中でもはっきり通る不思議な声を発して、別の依頼を持ち込んだ『水無月蓮華』なる男と、その仲間が割れた人波の中心を歩んでくる。

 ユカリも一応守っている服装規定を完全無視した装いの集団は、ヒビキと、気配を察したのか彼の隣に立つフリーダと数メクトル離れた所で足を止める。

「返答を聞こうか?」

「先に質問がある」

「そこで聞こうか。お友達と彼女も一緒で構わないぞ」

「……彼女じゃねぇよ」

 ヒビキが奇怪な表情で発した抗議を流し、蓮華は適当な台の前に座す。カードを配ろうとしたディーラーを煩げに払い、手前勝手な『サムライ』擬きは「準備万端」とばかりに両手を広げる。

 時間の浪費は避けたいが、疑問を放置する事への嫌悪が上回ったヒビキは、渋い面構えで蓮華の対面に座し、ユカリとフリーダが両隣の席に着く。


 双方武器を持っており、抜けばそれが届く距離にいる事実は、殊更強調されないが確かに在る。


 「いざという時」を念頭にした話し合いの口火を切ったのは、依頼を投げられた側だった。

「そもそも『飛行島』に行く手段は? 一部の竜しか辿り着けない場所にさぁ行こう、ってのは現実味が無さ過ぎる」

「俺達が移動に使っている船がある。あくまで計算上だが、飛行島まで辿り着ける」

「それで信じて貰えると思ってんのか?」

「我らヒト族が次に向かうのは惑星の外で、既に研究もかなり進展しているらしいぜ。そう考えたら、君達が成し遂げてきた事より信頼出来ると思わないか?」

 具体的事例を伏せた比較は、周囲からの横槍を防ぐ純粋な配慮か、それとも別の意図があるのか。

 判断を悩ませる返しと、蓮華の提示した方法を受け沈黙するヒビキに代わる形で、さりげなくディーラーが滑り込ませた杯を押し返して、フリーダが身を乗り出す。

「船の性能が十分でも、場所が分からなければ野垂れ死ぬだけです。噂だけが独り歩きする島の位置を、あなた方は知っているのですか?」

「情報源は明かせないが確かに握っている」

「証拠はどこに?」

「ここで提示するのは無理だ。けれども、情報源は別件で提示した、約九割のネタが真実だった。一割はま、博打につきものなリスクとしておこうか」

「なら……」

 役者は変わってユカリが問いを重ねるも、信用しきれないが端から嘘とするのも難しい回答が投げ返され、このやり取りが数分間続いた。

 実力と伝え聞く実績を考慮すれば、言葉を全て切り捨てるのは難しいが、蓮華が具体性に欠ける回答ばかり行い、こちらの望む答えを伏せたままなのも事実だ。

 このまま、のらりくらりと躱され続けるのは明白だが、ごく短期間で感じた蓮華の性分からすると脅しも効果は薄い。

「なら、アンタは『飛行島』に何を求めてる? 名声も金もあるアンタが、あそこに行く事に拘る理由があるとは思えない」

「何をと聞かれると、なかなか難しいな」

 直球の、そして最も知りたい事が籠められた問いに、蓮華は笑みを深め、やはり漠然とした言葉を返す。

 だが、溶け始めた氷から雫が垂れるような、微量だが確かな表情の変化を見逃す筈もなく、ヒビキは礼儀作法の類を放り捨て追及に移行。

「質問に答えろ。アンタは――」

「楽しそうな話をしてるね。アタシも混ぜてよ」

 強引に差し込まれた声に、全員が振り返る。

 

 そして、声の主を捉えるなり飛び退って距離を取った。


 咄嗟に抱えたユカリを降ろし、ヒビキは眼帯を放り捨てる。フリーダもクレストを両腕に装備し、冷静に見える蓮華も右腰の得物を最速で抜く構え。

 一触即発の空気を纏った彼らに、翠の髪と瞳を持つ、非常に露出が多い装いの少女は微笑を浮かべる。

 平時に見れば、大抵が心を揺さぶられる蠱惑的な笑み。しかし、登場の仕方や隠しきれずにこちらの肌を刺す魔力。笑顔の下から垣間見える悪意を感じ取ってしまえば、友好的に振る舞う事は不可能だった。

「こーいう場所では、紳士的に振る舞うべきなんじゃないの?」

「鏡見て喋れ。テメエにそうする道理が何処にある?」

 余裕と敵意を一方通行で交わす中で、荒事担当と思しき黒服に遮光眼鏡の男が両者に接近。常人の尺度なら相当に腕も立つのだろうが、少女相手では無力でしかない。

 ――暴力を使わず追い払う方法は……。

 良心に囚われ思考が停滞したヒビキの前で、黒服が少女の肩に手を置く。

「失礼ですが――」

「邪魔」

 果実を握り潰すと生じる、湿った音と共に男の身体が鴻毛の如く舞い、血を噴き上げて絨毯を汚す。

 少女が一瞥もくれず右手を跳ね上げた。それだけで男は首の肉を削ぎ取られ、頸動脈を引き千切られて死に至った。

 悲鳴が弾け、ここが命を賭す場所に変じた事実を認識した客や従業員が、まさしく洪水と化して出入口に殺到する。

「千歳は仕込み、後は避難の補助を!」

「応ッ!」

 狂乱の中で指示を飛ばした蓮華が、「良い準備運動をした」とばかりに腕を回す少女に呼びかける。

「君、名前は?」

「ラフェイア。そこそこ有名人なんだけど、知られていないならしょーがない。これから覚えてくださいな、っと」

 絶対に仲良くしたくない人種と、改めて認識させる笑みで朗らかに名乗るラフェイアを傍観する他ないユカリや、出方を探るヒビキ達の目が、先刻出来上がった死体が蠢き、傷口から植物が這い出す様を映す。

 当然、ヒトから植物は生えない。魔術の類を疑っても、蔓が伸びて蠢く以上が見えない事から考えると、死者の置き土産の線は薄い。

 敵の仕込み、しかもこの上なく悪辣な物。やり取りを交わさずとも見解が一致した三人を他所に会話は続く。

「それで、ヘドロ並みに美しいラフェイアちゃんは何しに来た?」

「『飛行島』へ行く手段を持ってる奴がいると聞いてね。ちょいとお邪魔を……」

「だったら話は早い」


 嫌な予感は早急に潰す。


 結論を出したヒビキが、会話に割り込んで始動。左目に蒼を灯し、足を取られる絨毯を物ともせずに、両者にあった距離を踏破する。

「やっ――」

「面倒くさい奴はこれ以上要らねぇよ」

 非情の宣告を遊戯場に投げ、スピカに手をかけ鞘走らせる。


 前方にあった花々を、蒼の奔流が完璧に捉えた。


 抜き放たれた蒼刃は、ラフェイアの股間から頭頂部を駆け抜けて身体を断ち割り、刀身から放たれた魔力が四方八方に飛散。蒼の爪痕を床に刻む。

「予想以上にすげえな」

 蓮華の呟きを聞きながらスピカを翻し、ラフェイアの右肩から左腰へ抜ける斬撃に繋ぎ、死体を只の塵芥に変える。流れるように敵を打倒したヒビキは、軽く息を吐いて納刀。床に散った緑の汚液を見つめる。

 左腕に小さな掠り傷を作ったが、完勝と言える結果を得た彼の蒼眼には疑問。


 ――こんな呆気なく死ぬなんて、馬鹿な事が……!?


 息が詰まり、激痛がヒビキを襲う。抱えていた分析が消し飛び膝を付く。力を限界まで解放しても、肺に酸素が取り込めない。

 犬のように舌を出して喘ぐが、何の変化も起こせずに意識の白濁が始まった彼の耳にユカリの悲鳴。辛うじて拾えた単語に従った目が、緑に埋め尽くされていく左腕を捉える。

 目が真円を描く間に、完全にヒトの色を失った指先が膨らむ。更なる激痛の襲来と身体の痙攣の後、膨らみが弾けて赤が散る。


「お、おおおおおおれの手に、花が咲いて!?」

「斬るぞ!」


 見て、叫ぶ間も書き換えが進行する中、切迫した蓮華の叫びと共に、彼の得物が横薙ぎ一閃。


 そして、ヒビキの左肘が身体から分断された。


 切断面から鮮血を噴き上げ、左前腕部が床に落ちる。色を取り戻したヒビキは激しく咳き込み、深い呼吸を繰り返し乱れる精神を抑え込む。

 訳が分からないまま死ぬ、最低の終わりから救ってくれた事に礼を言う前に、蓮華の視線を追ったヒビキの顔が引き攣り、彼の後方から呻きや悲鳴が届く。

 ヒト族の左腕だった物体が、熱帯に群生する毒々しい赤い花弁を持つ花で埋められ、軟体動物のように蠢いていた。

「こりゃ一体……」

「紛う事なく植物だ。欠損部位を再構成する『慈母活光マーレイル』みたく、接触部の本来あるべき姿を強引に書き換えて変化させるタネだ。……多分」

「大・正・か~い」


 緊張感皆無の叫びに合わせて黒服を纏った花束が弾け飛び、頭頂部からつま先まで無傷のラフェイアが姿を現した。


「そこの黒くて青いの。踏み込みは悪くなかったけど、思考がバカすぎ」

「喋りも動きも馬鹿丸出しの奴に言われたかねぇよ」

「ヒビキ、そんな事を言ってられる相手じゃ……」

 背後から聞こえる友人の制止と、異常に過ぎる力を持つ相手への恐れを振り払い、ヒビキはスピカを再度構える。

「テメエの目的はなんだ!?」

「さっき言ったでしょ、脳ミソ空だから見え見えの手に嵌ったの?」

「俺の船を奪いに来たんだろ。聞くが、お前の意思を汲む道理があると思うか?」

 ラフェイアは嘲りを多分に含んだ笑みを浮かべる。友情を絶対に育みたくないヒトとなりを一同に再認識させた植物女は、悠然と両手を掲げて宣告する。

「強い奴が願いを叶え、弱い奴はゴミ屑として死ぬのが世界の定め。アタシは強くてお前らは雑魚、これなら馬鹿でも分かりまちゅかぁ~?」

「よく分かった、お前を殺せば話は全て解決ってな」

 左手の『カタナ』を握り締めた蓮華の周囲に鈍色の波濤。瞬時に全身を覆ったそれは意思を持つように蠢動し、東方の甲冑を形成。


「こいつを叩き潰す。結論は一つだ!」


 咆哮を合図に、避難誘導を終えた部下達も疾走を開始。逃走の選択肢が潰えたヒビキ達を含めると役者は十六人。


 数の論理に基づいて、蹂躙される側に立たされた筈のラフェイアは変わらぬ笑み。


「イーねぇ、雑魚の悪足掻きは。実に良い!」

「躱せッ!」

 魔力流の変化を感じ、絨毯を転がって回避に移行したヒビキの上を緑の鞭が駆け抜け、急速に軌道を変える。

 肉が爆ぜる音を後方に押しやり立ち上がる彼の目に、以前の邂逅で要注意と位置付けた女の股間に植物の蔓が捻じ込まれる様が映る。

 人体構造から導かれる当然の結果、小さく痙攣して絶命した女の口から顔を出した、血と汚液に塗れた蔦が怪しく揺れる。

「あぁん、団長のより大きいわぁ~」

「そりゃ良かった。お前とした覚えは無いけど」


 ラフェイアの嘲りと部下の死。


 どちらにも動揺を見せず死体を刻んだ蓮華が突進。超反応を見せた植物女が右手に蔦を縒り合わせ、激発させる。重装騎兵の刺突を疑似再現した拳打は、据え付けられた遊戯台を無惨に砕くが、木屑と金属片の中に標的はいない。

 会心の一撃に成り得た攻撃。故に生まれた幽かな隙は、ヒビキの『牽氷槍ジェレット』とフリーダの『融跳土ホッパリス』で増幅する。

「あ、やっべ」

「ニースの仇だ、死ね」

 死角に滑り込んだ蓮華が描く、銀の半月を交差した腕で受けるも、バランスを崩したラフェイアに上から戦士達が襲い掛かる。蓮華自身も敏速な動きで姿勢を変え、心の臓に向けカタナを抜き放つ。


 ――勝った。


 真っ当な思考を持つ者は、敵を完全な詰みに追い込んだ事からこう判断し、援護射撃の後、包囲網に加わったヒルベリアの二人も勝利は確実と踏んだ。

 故に、ラフェイアの頬が愉悦に緩んだ事に気付いたのは、観劇者の椅子を押し付けられた二人と、二人を護衛するルーゲルダだけ。

 そして、彼女達の叫びが届く頃には悪意の花が咲き誇っていた。


「想像力が足りないよ、クソバカ共」


 ヒビキに寄生した物と同じ花がラフェイアの周囲に出現。虚空に花が咲く怪奇現象を前に動きが鈍った刹那、花弁が爆風に乗って踊り狂う。

 路傍のそれと同一の筈もなく、旋回する花弁は体勢を崩した戦士達の装甲と肉体を裂き、鮮血を跳ねさせる。

 珍しく運が味方したヒビキは直撃を辛くも免れ、目に付いたカウンターに着地。

 平衡感覚を整えつつ赤く汚れた室内と、ラフェイアが指を打ち鳴らし、遊戯場に配されたヒト型の植物が蠢動する様に歯噛みする。

「ガキからのアドバイスだ。友人は選べ、レンゲさんよ」

「アドバイス感謝するが、あんなのが友達に見えるなら、目と頭の病院に行け」

 亀裂を流動する金属で塞ぎ、装甲を復活させた蓮華と皮肉を投げ合いつつ、ラフェイアを睨んで隙を伺う。

 『慈母活光』のように、細胞を書き換えて姿を変える魔術は多数存在している。

 しかし、動物と植物は細胞の形が根本的に異なる。その点を捻じ曲げる力など、見たことも聞いたこともない。

 混乱するヒビキを嘲笑するように、ラフェイアはしなを作った姿勢で呼びかける。

「論外のゴミはお人形と遊んで頂くとして、お前らは私が直々にぶち殺す。更なる苦難が立ちふさがった時、回想シーンで私の背を押すよ~な存在になってよ」

「×××××がッ!」 

 蒼光を強めたヒビキが罵倒と共に踏み込む。敵の両腕から放たれた茨を旋って斬り捨て、再生が成される前に縦回転。胴や顔面に描かれた斬線から緑色の液体を噴出させながら、ラフェイアも反攻の掌打を放つ。

 即応してスピカを上方に投げ、上昇するヒビキの目に巨大な錨と榴弾、そして友人達の姿が映る。

「難しいこと考えずに私を振ってください!」

「わ、分かりました!」

 剣と異邦人のやり取りを掻き消す轟音を奏で、子供の胴に匹敵する弾丸がラフェイアに激突。大質量が床を抉り取る速度で直撃した結果、あらぬ方向に身体を曲げ炎上する怪物に対し、複数の叫びが飛ぶ。


「『鋼人破塞撃クローム・フェスティバンカー』!」

「『黄華決戦連斬バラ―ジ・オブ・ルーゲルダ』!」

「『巨艦砕航錨アン・ピードゥ』」


 巨人の剛腕が、黄金の剣閃が、凶弾と化した錨が、一塊の波濤と化して火達磨となったラフェイアに襲い掛かる。

 耐熱装甲で焼死を免れても動きが止めれば、三方向の攻撃を捌けない。各人が用いた術技の威力を鑑みれば勝ちは揺るがない。


 揺るがない筈の未来を、敵が短時間で何度も覆したのもまた現実なのだ。 


 赤の遮幕を割った緑が進撃を食い止める。のみならず、爆轟の中で生まれた別の緑が炎を突き破り三人の身体をへし折らんと伸びる。

「武器を捨てて逃げろッ!」

 落下中に身体を捻り、攻撃に移行しつつあったヒビキが叫び、ユカリとフリーダが後退。魔術の発動を止めた蓮華が手首を返して白刃を閃かせる。

「上と横から、一流のサムライからの攻撃か。確かにピンチだ」


 蒼と白の挟撃を前に、炎塊から届く声は落ち着き払っている。いや、それすら通り越して状況を楽しむ響きがあった。


「けど、主人公は必ずピンチを切り抜けるものなのさ!」

「ほざいてろッ!」

 滝登る竜の速力で跳ねる白刃を、後頭部が床に着くまで身体を曲げ回避。一気に身体を起こしたラフェイアが発条仕掛け人形の如き性急さで手を伸ばし、スピカを受け止めて持ち主諸共放り投げる。

「なん――」

「あいあーい、呑気に動揺してたら死にますよん、っと」

 大上段の斬撃を放ちながら、驚愕を浮かべた蓮華に毒の微笑が向けられる。怪物は再度飛来した榴弾を指で逸らし、蓮華の腹に蹴りを打ち込む。着弾点箇所の装甲を砕かれたサムライが、紅い尾を曳いて吹き飛ぶ。

 榴弾の炸裂で彩が加わった遊戯場に哄笑を響かせ、獅子吼を上げたヒビキが再度仕掛ける様に、ラフェイアは更に笑みを深める。

「そういう気概は好きよ。完璧に砕かれて無様に泣き喚く姿を想像したら、イキそうになる!」

「黙って死ね!」

「お断りします☆」

 握り込まれた手が斬撃を受け止め、動きを止められたヒビキを花弁の波濤が襲う。強引に出力を上げて横に離脱し、勢い余って壁にぶち当たったヒビキは、激しく咳き込み膝を付く。

 無様な姿を嗤いながら、ラフェイアは次の一手を仕掛けた。

「甘いよん」

「……な、なにそれっ!?」

 予想外が過ぎて絶句した皆の意思を、ユカリの叫びが代弁する。


 空間を支えていた柱を、華奢な少女が毟り取っていた。


 指揮棒を振る調子で振られたコンクリの柱が、豪風を纏いヒビキに迫る。進退窮まった彼の視界に、フリーダと変化したルーゲルダが映る。

「諦めちゃ駄目ですよ!」

 ルーゲルダの叫びで、停止しつつあった思考が再起動。

 黄金煌く両手にぶん殴られた上、『牽岩弾ルベレット』の乱舞を浴びた柱が僅かに失速。ほんの僅かだが、動くには十分な隙が生まれた。

「――ッ!」

 崩れた体勢から、ヒビキはスピカを鞘走らせる。鞘と刃の接触による盛大な悲鳴と共に、抜き放たれた蒼が真っ向から柱に食らいつく。

 重い音を奏でて、両断された柱の先端部が明後日の方向へ飛び、窓ガラスを微塵に砕いて追放される。

 けたたましい音の雨の下、装甲の再構成を終えた蓮華と、柱を食い止めていた二人がラフェイアに迫るも全て躱され、逆に茨の斬撃を浴びて押し返される。

 傷を塞ぎ終えた頃、銃弾もかくやの速力で転がってきたフリーダを、ヒビキは咄嗟に受け止め、勢いを殺しきれずに後頭部を強打。目に星を映しながら、呻きに似た声が二人から漏れる。

「……信じられない筋力だ」

「お前込みで三人の攻撃を受け止めた挙句、出鱈目な体勢で白刃取りからレンゲを蹴り飛ばした。意味不明過ぎる」

「感心するとこ違うでしょ!? 傷口から茨を伸ばしてるよアイツ!?」

 混乱しきった風情のライラの叫びに、二人の顔に苦味が強く表出する。大抵の存在は点火されれば死ぬ。植物に体組織が近い相手なら、凡人以上に速く死ぬ筈。

 沈黙する空間に、ルーゲルダの分析が淡々と響く。 


「相手が生物である以上、タネも仕掛けもあります。ですが正解を探している時間はありません。……ヒビキさん、あなたはヴェネーノを打倒したと聞きます。その技を、使うことは出来ませんか?」

「あぁ!? お前がヴェネーノを倒した!?」


 最も過激な反応を示したのはラフェイアだったが、ヒビキや事情を知る異邦人達は、ルーゲルダの問いに敵と正反対の表情を浮かべる。

 世界最強の男を打倒出来たのは、ヒビキの奮闘も然ることながら、『魔血人形』の拡張機能という規格外の鬼札が在ったからという事実は誰も否定出来ない。

 使用すれば勝ちの目は多分にあるが、ハレイドの無免許医曰く、発動した瞬間即死する危険が四割。生き延びても大き過ぎる反動が使用後襲ってくる。

 非常に重い決断と覚悟を強いる代物を、勝利条件が不明瞭な今使えない。故に硬直するヒビキの耳に、怒りに煮凝った声が届く。


「お前みたいな、何の宿命もない奴がヴェネーノに勝つ? そんな事が……」

「世界がお前を許容してるなら、何でも起こり得るだろ」


 喚くラフェイアの背後。音もなく忍び寄っていた蓮華の左手が振られ、頭と胴を分断。毒々しい緑を吐き出して胴が床に落ちるが、十秒と経たずに死体が痙攣を始め、やがて切断面から泡を吐きながら頭部を再構成。無傷の状態で距離を取る。

「事情は知らないが、使いたくないならそれで良い。今は勝つことだけ考えよう」

「……分かった。ユカリ、好きなタイミングで練習してた奴を仕掛けてくれ。俺が合わせる」

 年長者故の励ましを受け、多少頭が冷えたヒビキは、ユカリの返答を聞くより先に遊戯場を奔る。彼女なら細かく指示をしなくても最良の、いや自分の予測以上に良い物を弾き出してくれる確信が、ヒビキにはあった。

「そら、潰れな!」

 相手もまた頭が冷えたのか、背部から展開した茨で強引に引き剥がしたスロットマシンを振り回し、距離の保持を試みるも爆音と共に放たれる榴弾と、ユカリが掲げた盾と剣で次々と撃墜されていく。

「潰れるのは、貴女だッ!」

「ウスノロの攻撃を食らう訳ないじゃん」

 超巨大泥団子の大質量攻撃を、ラフェイアは片手で止める。戦闘能力では論外二人に次ぐフリーダの攻撃に、恐れを抱く筈もない。


 個々の攻撃を点で捉えた思考は、次の瞬間打ち砕かれる。


 ラフェイアがほんの少し足取りを変えただけで躱し、建物を破壊するだけの存在となっていく泥塊に、蒼の異刃が突き刺さる。

 異刃の持ち主も降り立ったと周囲が認識した刹那、彼は泥塊を蹴って背後から攻め手を打った。

 前方から蓮華、後方からヒビキ。二人の異刃使いに挟撃される形となったラフェイアが出鱈目に茨を振り回し、花弁を撒いて盾とするも、超高速で奔り回る二つの異刃の前に無意味な足掻きにしかならなかった。

「ってこら、お前らにそんな真似……」

 焦りが滲み出た声と、後退の動きが不自然に止まり、足に視線を見るなり怪物の翠の瞳が怒りに染まる。

 自律的に色を変える幻想的な光の帯がラフェイアの足首を絡め取り、異様に膨れ上がった足から、銀の鋭利な物体が覗いていた。


「あなたがどれだけ強くても、動けないなら的でしかない!」


 勇ましい叫びを上げ、ルーゲルダから『万封縛幻流光カレイブ・ゲルト』を、対象の体内で針を増殖させ、拘束と同時に内部破壊を行う『千針膨縫獄ポルドルレン』を拳銃から発動。

 二種の高位魔術を同時発動させる暴挙を、場で最弱のユカリがしでかしていた。予想外が過ぎる展開を前に、味方側からも驚愕の視線を受ける少女の顔は、しかし瞬く間に憔悴していく。

 魔術適性が著しく低い者が、系統が異なる高位魔術を同時発動させれば支払う代償が大きいのは当然の話。魔力量や理解度の差異から、時間経過でラフェイアに強引な突破を許す可能性は高く、現に相手はそれを狙っている。


 何をすべきか、の答えは提示されている。ならば掴み取るまで。


 縛めからの脱出を半ばまで達し、ラフェイアは魔術の構築を開始するも二人の仕掛けが先を行った。

「舐めたテメエが馬鹿だったって話だ。死ね、『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』!」

「忘れちゃ困るなぁ。『水無月式刀争術四乃型・渦流刃ウズシオ』ッ!」

 

 蒼が渦を巻き、鋼が揺らぐ。

 遊戯場内に、疑似的な空が誕生した。


 完璧に合わされた二種の斬撃が、床と天井を巻き添えにラフェイアの身体を刻み、宙を舞った緑の骰子が、『牽火球フィレット』と思しき赤に染められ消し炭と化す。

 蓮華の仲間が相手をさせられていた植物人形たちも、制御者の死を受け停止して絨毯に落ち、場内に沈黙が降りる。

「おおい、全員無事かぁ?」

 蓮華の間延びした問いに、方々から返答が飛ぶ。犠牲者は最初の一人だけなのは、敵の力量を考えれば奇跡と言える。

「立てるか?」

「だい……丈夫かな」

 滝のような汗を流し、呼吸を荒げながらも微笑を浮かべたユカリに肩を貸し、ヒビキは装甲を解いた蓮華に呼びかける。

「これで障害は消えた。さっきの続きを……」

 相手が自分を見ていないことに気付き、首を回して視線を辿ったヒビキの声が途絶する。

 力を失い、後は朽ちるだけとなった筈の植物共が独りでに蠢いて一点に収束し、子供の粘土遊びのように歪な姿の形成と崩壊を繰り返す。皆本能的に破壊すべきと認識していたが、人型が自ら蠢く緑に足を踏み入れ、咀嚼されていく異様な光景に魂を揺さぶられ、誰も実行に移せなかった。

 やがて歪な緑は蠢動を止め、不気味な沈黙が破壊され尽くした遊戯場に満ちる。ここから始まる展開は誰もが予測可能。轟音を響かせながら魔術が斉射されるが、緑から伸びた腕に弾かれ、天井や柱に大穴を開けただけに終わる。


「呼ばれて飛び出てぇ、じゃじゃ~ん!」


 軽薄な声と共に緑が割れ、煮凝った敵意が隠しきれない微笑みを浮かべ、無傷のラフェイアが姿を現した。

「あれだけ攻撃を受けたんなら、大人しく死んどけよ!」

「アタシは主人公だ、お前ら如き雑草の常識で測れる小物じゃないのさ!」

 聞く者の苛立ちを掻き立てる叫びを上げるラフェイアの右手が掲げられ、禍々しい光が灯る。何をするつもりか読めないが、最悪を更新する何かが来ると判断し、ヒビキがスピカを構える。 

 ――勝算は低い。けど、ここで逃がすと状況が更に……。

 戯けきった態度だが、ラフェイアの戦闘能力は超一流。殆ど見せなかったものの、ヒトを植物に作り替える魔術も、積極的な踏み込みを封じる効果が厄介極まりない。

 何より、脳と心臓を同時に破壊されても無傷で再生する理不尽な力は、場にいる誰も論理的な説明を提示出来ない。

 打てる手が脳内で浮かんでは消え、何やら奇怪な構えで一歩踏み出したラフェイアが目に映った時、彼の耳に何かが砕ける音が届く。

「お前がどれだけ強くても、これで終わりだろ。……千歳!」

「はい!」

 振り返ると戦いで一度も声を聴かなかった、黒髪の少女の両手が無造作に振り抜かれる。

 彼女のたおやかな十指に、注視してようやく視認出来る細い糸が絡み付いていると認識した刹那、重低音が場を包んだ。

「正気かッ!?」

「殺せないならこうするしかない。……逃げろ!」

 何故か錨を銃口に据え付けた銃を掲げた蓮華の叫びに押され、フリーダがライラを抱えて『翅孔イントゥス』を発動。大穴の空いた天井から空へ逃げる。

「掴まれ!」

 スピカを上方に投擲し、二階から脱したヒビキは空中で『器ノ再転化』。下方で展開されるやり取りを睨みながら、銃口に力を充填させていく。

 支えを失った天井が崩落を開始し、天井を構成していた物質が超重量の瓦礫と化してラフェイアに降り注ぐ。敵の身体能力を考えればあまり良手と言えず、事実植物女は踊るように回避し、蓮華に蔓を伸ばす。だが、足場は彼女の回避能力もトンの重量を受け止める頑強さもない。

 絨毯の下に在る本来の床に亀裂が走り、一階や地下空間の更に下への直通道路が瞬く間に完成した所で、狙いを理解したラフェイアが跳ねる。

「お前最初から……」

「大道芸人には少し派手過ぎたか?」


 既に撤退準備を終えていた蓮華が、非情の引き金を引いた。


 巨大な錨が、火薬式拳銃特有の音を連れて撃ち出され、ラフェイアの頭部を粉砕。瞬時に再生が成されるが、崩落に巻き込まれる事はこの停滞で確定した。

 地下深くへ呑まれる土石流に押し流され、ラフェイアの姿が掻き消える。だが、濛々と立ち込める土埃と塵芥の中でも、翠の眼は強い光を放ち、場にいる者全ての心胆に狂気を刻み付ける。

「アタシを侮辱したモブキャラ大集合も、ヴェネーノをぶっ殺したヒビキも、全員許しはしない。……主人公らしく『飛行島』に辿り着き、主人公らしく中ボスっぽいお前らを必ず殺す!」

 敵意だけはしっかり認識可能な叫びを最後に、ラフェイアの姿は瓦礫に呑まれ『揺らぎ蝶』は完全崩落への道を歩む。

 砲撃の反動で飛び、適当な地面に転がったヒビキは、野次馬すら逃げ出す惨状を見つめながら唇を噛み、その様を見たユカリは恐る恐る問いを投げる。

「倒せたかな……?」

「ヴェネーノと対峙して、負けたのに生き延びた奴が、たかが遊戯場の崩落で死ぬ筈がない。……確実に生きてる」

 彼自身も受け入れたくない現実を吐き捨てたヒビキは大きく溜息を吐き、ユカリの顔が青白く染まる。

 この一瞬を切り取れば彼らの勝利だが、ヒビキが口にした通りラフェイアが生きている可能性は極めて高い。

 その場合、ラフェイアはこの先もヒビキ達を狙ってくるだろう。だが、現状彼女を打倒する術はなく、一対一で戦えば確実に持久戦に持ち込まれて死ぬ。

 この近辺から逃げても、追尾されれば確実に終わりを迎え、その選択はヒビキが望む物からも遠ざかる結果を生む。

 理由も何も知らないまま、蓮華の船に乗るしか無いだろう。

「そういやぁ、カジノを壊した代金は俺達が払わなくていい、よな……?」

 現実逃避の発露とするにはあまりに切実かつ、しみったれた言葉は、誰からも応答を得られぬまま轟音に呑まれて消えた。


                    ◆


 四方を青に囲まれた空間に広がる白い床に、紅の水溜まりが広がる。

 湯気を放っているそれを、黒のサバイバルブーツが踏み躙って、無粋な波紋が生まれる。

「やるじゃねぇか。及第点は与えられるぜ」

「そりゃどうも」

 水溜まりを作り出した、長い金髪を後ろで束ね、四方の色彩にも劣らない青の目を持つ長身の男。即ちクレイトン・ヒンチクリフは苦笑を浮かべ『紅流槍オー・ルージュ』を肩に担いで周囲を睥睨する。

 赤の中に点々と転がる、黒い塊から肉が焼ける臭気が立ち昇り、風に流されていく。胸部に大穴が穿たれた一つ目の巨人が、白濁した目でクレイを見つめ、首を失った竜が最後の足掻きとばかりに身体を上下させている。

 独特の生態系が構築され、地上の者を鼻で笑う強さを誇るとされる『飛行島』の生物が、たった一人の元・四天王によって只の肉に変えられていた。

 虐殺を繰り広げたクレイは、さしたる感慨も無い風情で首を振り、腰に差した異刃と会話を交わしながら歩む。

「目的地に来たのは良いが、どこまで行けば答えがあるんだろうな」

「そりゃぁ、おめーの運次第よ。けどま、こう言ってる間に強運を証明したっぽいけどな」

「何?」

「下見てみな」

 踵を返し、島の縁にクレイはしがみつく。抜けるような青に切れ目はなく、永遠を錯覚させる光景。この永遠に飛び込んでしまえば、有限の命は終わるのだが。

 ともあれ、気流変動による落下への怯えと、答えへの足掛かりが得られる期待を等分に抱えたクレイは、客観的に見れば間抜けな姿勢で真剣に空を睨む。

 数分、そこから更に数分が経過し、常人なら飽いて放り出しそうな時間の浪費を続けたクレイの背に、突如怖気が奔る。

 崩れた体勢をどうにか立て直し、その最中も逸らさなかった彼の目が、黄金に輝く竜の角を目撃する。

 角の次は頭部、そしてさざ波のように光を反射する鱗が並ぶ長い首が映り、やがて背部が見えた時、クレイの目が大きく開かれる。

 竜の背にヒトが座していた。

 最初は目の錯覚と判断した。次いで、他人の空似と判断した。いや、そういう事にしたかっただけだ。

 だが、クレイトン・ヒンチクリフという男は、その存在を遠近両方から飽きる程に見て、体内の魔力流をも完璧に把握している。間違いなどある筈もなかった。


「……サイモン・アークス!」


 嘗ての雇い主にして、アークスの王が何故『飛行島』にいるのか。

 疑問に対し何一つ真っ当な推測を出せず混乱するクレイ。彼の優れた視力は、サイモンの隣に立つ別の人影の存在も正確に捉え、それによって更なる恐怖と疑問が噴き上がった。

 白色の長い髪と、就学年齢に達しているかも怪しい体躯の少女が、そこにいた。

 記憶の限りでは、護衛の中にあのような者はいなかった筈だ。この事実と戦士の本能によって、あらゆる感覚器官を強化して詳細の観察をと試みた瞬間、相手が動いていた。

 七色に変化する瞳に射貫かれ、不可視の剣で斬られたような激痛がクレイの身体を襲い、反射的に後退してしまう。

「くそ……!」

 痛みと恐怖を振り払い、最悪の状況に対峙する精神を整えた頃には、サイモンと謎の少女が乗った竜は遥か下方の雲に沈んで消えていた。

 無意識の内に握り締めていた柄から左手を離す。柄に刻まれた装飾の形がくっきりと残った掌を見るクレイの顔に、強い恐怖。

 見た限りではサイモンの娘と似た背丈だったが、何度かやり取りを交わした尊大な口調の少女は、父より多少マシな魔力量に留まっていた。

 そして対峙した全てを呑み込みかねない、重力場と喩えるべき禍々しい力を、ヒト族は到底保持出来そうにない。まだ異なる世界の来訪者です、と括る方が納得出来ただろう。

「あんな力の持ち主が、居て良い筈がない」

「良い筈はないが、現実は居る。それだけだ」

 呻きに似た言葉に、無機物特有の淡々とした言葉が返される。

「アレが世界を変える存在か?」

「さぁな。俺も気配を感じちゃいたが、現実にいて、そいつが鈴羽の雇い主に飼われてるとまでは思っちゃいなかった」

 謎解きにやって来たにも関わらず、大きな謎がまた増えた事実に唇を噛んだクレイは、次の瞬間オー・ルージュを構えて反転。

 突撃体勢を執り、気配の主を見た彼の蒼眼が揺れる。


「……オズ!」


 限りなく黒に近い暗緑色の髪。華奢な身体を包む、多様なボロ布を強引に繋ぎ合わせて形成した長外套。髪の隙間から覗く眼帯や首に纏う装飾品が、悪趣味な水晶の髑髏の意匠を持つ物に変わった以外は、記憶の何処とも相違点ない。

 クレイの同僚にして親友、そして十二年前に死した筈の『悪夢乃剣ドゥームズレイ』オズワルド・ルメイユが、静かに彼を見下ろしていた。

「オズ、お前は……」

「久しぶりだね。再会を喜びたいところだけど、ボクが君に伝えられる物は何もないんだ」

「馬鹿を言うな。お前は誰に――」


 殺されたんだ?


 ずっと知りたかった問いを投げようとして、しかし親友がこの瞬間眼前に立っている事実を前にクレイは口を噤む。

 親友が生きている筈などないと、彼の検死補助をさせられたクレイ自身が世界の誰よりも知っている。

 最大の特徴と武器だった右目が抉り取られ、内臓と括られる物全てが完膚なきまでに破壊されたヒトの生存確率など、この惑星が逆に回り出す可能性に等しい。

 事実に基づいて切り捨てる合理的な思考を、嘗ての親友の前ではさしものクレイも紡げず、代替の言葉も見つからないまま、沈黙と暴力的な風が二者を包む。

 状況を変える意思の見えない死者とは異なり、湧き上がっては消える疑問や感情の奔流をどうにか整理したクレイが口を開こうとした時、七色の光柱がオズワルドの隣に突如現れる。

 生まれた光は拍動のように収縮を繰り返し、やがて細い糸となりヒトの形に変化を始める。

 呆気に取られる元四天王を置いて光の曲芸は続き、やがて生まれたひと際強い輝きが消えた時、一人の女が立っていた。

 乱流に揺れるは、清流を想起させる薄い蒼の髪。僅かに見える首は華奢だが、全身を覆う鎧は髪の色に極めて近い水晶で構成され、死と悪意の象徴たる髑髏の意匠が各部に刻まれている。

 そして瞬きの度に色が変化する不可思議な瞳と、空の色に染まる程に透き通った刃を持つ巨大な鎌。ここまで見れば、誰でも女の名前を言える。

 『船頭』カロン・ベルセプトは身構えたクレイに対し、悠然と微笑んでオズワルドの肩を叩く。

「この子もあまり喋りたがらない子だから、放っておいたら時間を浪費するだけ。序に、この子は私が魔力を分け与えて再生した『骸人マリオス』でしかない。自我も思考回路も、生前と何一つ変わらないけれど、貴方が求める答えは知らない。……最期の瞬間の記憶は、意図的に継承させていないんだけれどね」

「……ならオハナシは終わりだ」

「タンマだタンマ。逸るな馬鹿犬」

 オー・ルージュを構え、全身に巡る魔力を一気に引き上げたクレイに、間の抜けた声が飛び、身体の周りを跳ね踊っていた紅光が消える。

 当然抗議の目を向ける美丈夫に、様々な逸話を有する呪いの業物とは思えぬ調子で『ムラマサ』は滔々と語り出す。

「オズワルドをおもちゃにしました~ってだけで、船頭サマが猿の進化系百億とんで百号のおめーを呼び止めるわきゃねーだろ。ここへ来た目的の他に、おめーにどうしても伝えなきゃならねー事があるから姿を現した。……訂正は受け付けるぞ?」

 妖刀の言葉を受け、幽かに纏う空気を暗くしたカロンが首肯。特異な者同士のやり取りを見守る他なかった、紅き雷狼に呼びかける。

「クレイトン・ヒンチクリフ、本名……」

「それは良い。知らない名前を今更引き出されても困る」

 知りたくもない真実だけが、この先カロンの口から出てくる。

 分かり切っているからこそ、『船頭』の放つ気に呑まれぬように、大袈裟に首を振って拒絶の意を示したクレイは、再び紅流槍を構え切っ先を向ける。


 目には刃の鋭さと、確かな覚悟が宿っていた。


「配慮は不要だ。真実だけ話せ。誰が、何の目的で、ユカリ君をこの世界に引き摺り込んだ? ……そして、ヒビキは一体何者だ」

 安寧な日々を望むのならば、放置しておくべきだった疑問を受けたカロンは、七色に変わる目を一度閉じ、長い長い息を吐く。

 遅々とした動きで再び開かれた目には、ここにいない誰かへの「痛み」と「悼み」が宿っていた。

 彼女と一括りで認知されている巨大な鎌、『喰命者オルボロス』を一閃し、場の者を包む水晶の壁を展開し、カロンは口を開く。

「長い話になるわ」

 前置きの後、船頭から切り出された言葉の羅列が、時間経過に伴って聴衆の瞳を単一の色に変える様を、オズワルドは静かに見つめていた。

 

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