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 南部アメイアント大陸、セハテプイ。

 複数の国を跨いで無数の山が立ち並ぶ当地帯は、気流の影響で非常に多くの雨が降り注ぎ、実に一年の半分が雨季に括られている。

 そのような場所に位置する、ある一つの台形山。

 天の怒りによる大火さえ鎮圧しそうな勢いで降り続く雨が、その一帯に限り世界の何処でも見られる勢いにまで弱められていた。

 水煙とは異なる物が濛々と立ち込める大地は、植物の類が根こそぎ焼き払われ、この地特有の巨大肉食生物から小さな羽虫に至るまで、目に付く命全てが徹底的に殺戮されていた。

 加えて、それらを受け止めていた大地そのものも、無数の砲弾を浴びたかのような大穴や、竜爪の一撃と見紛う斬線が無数に穿たれている。

 荒廃しきった空間の中で、紅い光が小さく揺らぐ。

 光は振り子の如く揺れ続け、やがて周囲の煙を煩わしそうに払った事で、発信源の全貌が暴かれる。

 赤熱した鉄色の髪に鋼の瞳に、幾つかの刺青が刻まれた二メクトルを超える彫像の如き肉体が握るは、複数の力を精緻に織り交ぜ、凶暴さと美しさ、そして圧倒的な強さを両立させた『独竜剣フランベルジュ』。

 弱冠二十歳で『世界の敵』に括られた若き狂戦士ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスには疲労と疑問、そして若干量の恐怖が在った。

「……怪物、が」

 煙で何も見えない前方に向け、肩で息をするヴェネーノの口から、自身を棚に上げた呟きが零れ落ちる。それを合図に、前方から肌を刺す敵意と物体が蠢く音が生まれる。

 物が燃える音も引き連れてそれらは徐々に大きくなり、やがて、煙の中からヒトが這い出す。

「やってくれたなぁ、ヴェネーノ……!」

 四肢の切断面から汚液を垂れ流し、美しい顔が半分砕かれて脳は露出。翠の髪は炭化しておかしな髪型を形成。加えて、心臓が収まる箇所にも大穴を開けられた上に背から発火した状態の、ラフェイアの全貌が露わになる。

 本来死んでいるべき重症を負いながら、彼女から活力は失われておらず、負傷箇所も再生を始めている。ヴェネーノの言葉は形容、過剰な恐れから肥大化した評、どちらでもない単なる事実を提示していた。


 二人の怪物の出会いは単なる偶然だった。


 南部アメイアント大陸の小国ペラルシオに住まう、高名な魔術士ディアゴ・テクメンケに闘争を挑んで勝利し、次なる戦いを求め北上していたヴェネーノと、北部アメイアント大陸の町アーカウスを壊滅させ南下したラフェイア。二人はこの高地地帯で二週間ほど前に出会い、そして力を持つ者の宿命として闘争を開始した。

 高山を今二人が立っている台形山に変える程の魔力をぶつけ合い、不眠不休で続いた戦いは、技量で勝るヴェネーノが徐々に均衡を崩し、四日前にラフェイアの首を斬り落とした。通常なら、ここで決着は付いていた。

「俺は貴様の首を七度刎ね、心臓も同数破壊した。そして最早数え切れぬ程に全身を刻み、呼吸困難となる状況に陥れた。何故、貴様は死なない」

 どれだけ強靭な肉体を、凄まじい魔術を、高潔な精神を。

 そして在るべき領域を逸脱した特異性を有していても、ヒトが生物である大前提を破らぬ限り、脳や心臓を破壊され、首を切り離されると死ぬ。

 竜を始めとした強大な生物から、果ては軍隊まで闘争を挑む究極の愚者、ヴェネーノもこの規則に縛られており、眼前の女と繰り広げた戦いでも彼は規則に従った。


 その結果、ラフェイアをこうして地に伏せさせはしたが、命の灯は消えていない。


「ラフェイア、貴様の容貌は詐術だ。体内を循環する魔力、動物を植物に変えて傀儡とする魔術の特異性、揶揄に用いる人名。これらを統合すると貴様は……」

「それに答える義務はぁああああああああッ!」

「貴様に拒否権はない」

 反駁を試みたラフェイアの背に紅の竜翼、フランベルジュが深々と突き刺さっていた。

 傷口から炎と肉が焦げる臭気を撒き散らす中、ヴェネーノは一切の躊躇を見せずに柄を握って魔剣を引き、絶叫を続ける少女の背に残酷な痕跡が刻まれるが、魔剣が離れると同時に傷口は即時修復が成される。

 ドラケルンの狂戦士は、何度も何度も植物女の身体を痛めつけるが、望む情報も、到達点とすべき死も掴めず、徒に体力を消耗していく結果に終わる。

 決定打を持たない上、魔力も体力も尽きかけている現状では、このまま繰り返しを続けた先に待つのは死のみ。しかし、信念も誇りもないままに町や国を滅ぼす存在を放逐すればどうなるか。


 世界の敵らしからぬ真っ当な思考の光が、鋼の瞳を幽かに奔り抜ける。


「仕方がない」

 短い言葉の後に、感情が捩じ切れたラフェイアの叫び。そして、物体が燃える音が荒れ果てた台形山に響き渡る。

 ドラケルン人が生来備える排炎器官から吐き出された、紅炎に包まれたラフェイアは転げ回って鎮火を試みるも、竜の吐くそれと同一の特性を持つ炎は、雨の助力を受けても弱まる気配を見せない。

 蠢く炎塊を、ヴェネーノは無造作に掴んで『暴颶縮撃プロケイア』を発動して飛翔。インファリス大陸へと進路を執った。

「死なないならば、封印する他ないだろう」

「封印? ふざけ――」

 口から再度炎を噴き出して反駁を封じ、ヴェネーノが疲労の滲み出た声を絞り出す。

「貴様の行く場所はペスカロルの永久監獄だ。安心しろ、然るべき力を手にした時、俺は必ず貴様を倒しに戻る」

「どんだけ上から目線だ! まだアタシは負けちゃいないんだぞ!?」

「即ち、俺が負けた訳でもないという事だ」

 以降も喧しく悲鳴を撒き散らすラフェイアを抱えたまま、飛翔するヴェネーノは加速して高度を上げていく。その姿は厚い雲に埋もれて消えた。

 化け物二人の闘争で、元の姿を完全に忘却させられた大地に、やがて雨の音だけが支配する世界が戻った。


                  ◆

 

 フォルトンの街角。先日ヒルベリアの住人が、サムライ集団と対峙した場所に転がっていた木箱の上。翠の髪の少女が座していた。

「あー嫌な事を思い出したよ畜生」

 微睡みから覚め、瞬きを繰り返して覚醒したラフェイアは、毒づきながら大きく伸びをし、身体に纏わりついていた塵芥が盛大に落ちていく。

 超質量の津波の直撃を受けた筈の身体は、先刻彼女と対峙した者が推測した通りの状態で、一片たりとも陰りはない。

「あの×××××共は必ず、ギッタンギッタンのズタボロにするとして、移動手段をどうするかが問題だ。……ってうるさい」

 ゆっくり伸ばされた華奢な手が、彼女の側方に屹立する緑の物体に触れ、躊躇なく握りしめた。

 破裂音、そしてくぐもったヒトの悲鳴。

 それを引き金にして、乱立していた物体から一斉に同様の声が漏れ、路地裏は小規模な地獄に転じていた。

 正体はやはり植物。だが人工物に満ちたこの場所で、一・六メクトル強のラフェイアの背丈と同等までごく短時間で成長を遂げる植物など、一部の例外を除いて存在せず、その例外も生息環境に特異な点を抱えており、このような場所では発芽すら叶わない。

 最後に、植物から漏れ出してくる音は例外なくヒトの声であり、至る所に引っかかっている衣服や装飾品の類に温もりの残滓が存在していた。

「当然っちゃ当然だけど、良いのは少ないな~。レンゲって奴の部下は割と使えそうだったけど、すぐに斬られちゃったし」

 原理不明の魔術で、即席の植物園をフォルトンの街角に生み出した事に、何ら感慨を覚えた様子の無いラフェイアは、後頭部で手を重ね身体を揺らしながら言葉を紡いでいく。

 自分以外に理解させる意思が皆無の声に、特段の色は見受けられないが、翠の目には確かな憎悪が宿る。

 表面上認めないようにしているが、ヴェネーノに勝ち逃げを許したという事実は最早拭い去る事が出来ない。故に『揺らぎ蝶』ではヒビキに対して激情を炸裂させたが、現在のラフェイアは自身の目的が何なのか、を認識出来る程度に冷静さを取り戻していた。

「座標はアレで正解。捨て石に使った奴の動きから、それは真実だ。だが行く方法が無い。あたしとて、雑魚を使ってあの高度まで行けば……」

 分析の言葉を並べ、己の手札の検分を冷静に進めるラフェイア。彼女の脳内で無数の選択肢が浮かんでは消えていく。呪詛の声を背景音楽として聞き流しつつ、黙考を続ける植物女の視線が、不意に空へ向けられる。

 常人なら豆粒同然の大きさでしか見えないそれを、彼女の優れた視力は全体像をしっかり捉え、正体が飛翔する竜であると気付く。

「ヴェネーノさんが死んじゃってどうしようかと思ってたら、変なヒノモト人のハーフの子にボコボコにされて輸送係をやらされるなんて、私これでも『白銀龍』の直系なのに……」

 高空を舞う、一枚一枚が全く異なる形状をした六枚の翼という、特異な外形的特徴を持つ漆黒の竜が漏らした独り言を、強化した聴覚で捉えたラフェイアの顔に毒の笑み。

「なぁるほど、ちょいと運は向いてきたって訳だ。少し手間はかかるが、アシは得られそうだ」

 余程気分が高揚したのか、全身を大きく震わせながら、不老の怪物は歩む。自身が植物に変えた、無辜の市民の怨嗟の声を全て無視して。

「成し遂げるさ、アタシがアタシである為に、ね」

 

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