5

 見渡す限り蒼と蒼と蒼が広がる場所に、一隻の船が航行している。


 数十年前の世界から取り出したような古典的な外見とは異なり、近代的な装備が据え付けられた甲板部を淡い紫の光壁で覆い、船底を大きく露出させ蒼の空間を駆ける全長六十五メクトルの船の中。

 『水無月怪戦団』と共同生活を送る事となった、ヒルベリア在住四人と居候の剣一本も、二週間を超えた今では空中の生活に慣れつつあった。

「ユカリさん、ここら辺の料理は全部持って行ってください!」

「分かりました!」

 陸上の家と大差ない設備が揃う厨房で、ユカリは団員達に混ざって忙しなく動き回っていた。

 船主兼依頼人の水無月蓮華は受け取りを渋ったが、一応船賃を支払ったユカリを含む四人は船内の労働に従事する道理は本来ない。

 ないのだが、忙しなく動き回る団員を見て我関せずを貫けるような成熟をしていなかった四人は、各人が得意とする領分で船内の業務に携わっていた。

 ライラは船内設備の整備、フリーダやヒビキは力仕事、ルーゲルダは団員へ戦闘の指導と、それなりに忙しい日々を全員が送っていた。

 一応原理を説明されたが、全員が理解に至らなかった空飛ぶ船という奇妙に過ぎる場所も、外敵との接触が無ければ限り実感させられる事もなく、また地上と大差ない環境を作る機構が備えられている為、客人たちの意識から気構えは消えつつあった。

「ぁ、あのユカリさん……」

 蚊の鳴くようなか細い声を聴き、苦笑混じりに振り返る。彼女の予想通り、剛毅な気質が多い団員の例外がそこに立っていた。

「千歳、呼び捨てにしちゃって良いんだよ」

「協力者様、しかも年上の方を呼び捨てなんて……」

 小柄な体格は一六〇センチのユカリより小さく、顔は何処かのロキノンアーティストを想起させる、目が隠れるまで伸びた前髪に尻尾のように揺れる後ろ髪で殆ど見えない。胸や関節を覆う艶消しの黒の装甲と、腰に差した同色の鞘で辛うじて戦士と周囲に認識させている。

 ユカリを呼んだ少女、加藤千歳とはそのような存在だった。

「千歳は強いよ。俺と違って常識人だから無駄に喧嘩を売らないけど」

 蓮華の発言は、最年少ながら団員から対等な扱いを受けている点や、『鋼縛糸カリューシ』と思しき糸を用いて『揺らぎ蝶』の柱を一気に破壊した点で裏付けは取れる。

「……私の器から肉を抜いて貰えませんか?」

「他の皆さんからそれは駄目って言われてるよ?」

「うっ……」

 ただ、彼女との間ではこのようなやり取りしかない為、取れた裏付けにも揺らぎが生じているのだが。

 矮躯を震わせた千歳は、至近距離にいるユカリにも聞こえない声量で何か呟いた後、拳を握り締めて顔を上げる。

「……そろそろ団長を呼びましょう」

「そうだね。もう大体準備は終わったし私も……ってあれ?」

 返事をしている間に千歳の影も形も失せ、ユカリは取り残される。何の予備動作も無い段階で姿を消す相手の実力への感嘆、そして今一つ打ち解けて貰えない事に若干の落胆を覚えつつ食堂を出て甲板へ向かう。

 ――この時間は、蓮華さんとの訓練の時間だったかな。

 船内での大まかな行動予定も既に把握済みのユカリは、軽い足取りで歩を進め――

「うわっ!」

 突如生じた震動を受け通路を転がっていく。受け身を取ろうとするも、心の準備が出来ていなかった為に上手く行かず、体勢を立て直せない。

 通路の果てにある壁に激突、の構図しか浮かばなくなったユカリだったが、不意に差し込まれた硬い感触と共に、後方への動きが急速に止まる。

「無事か」

「な、なんとか……」

 回転する世界に、淡々とした声と髭や髪に白い物が混ざる厳めしい顔が届く。古稀が近い年齢の団員、賀上かがみ頼三らいぞうの硬い手が、崩れた彼女の姿勢を戻す。

「ありがとうございます……」

「礼はいい。お前はここで何をしている」

 実態は単なる問いだが、船内でも一九〇近い巨体を鎧で覆い、刀と斧を装備する厳めしい男が発する言葉は、どうしても威圧の色を帯びる。最初の頃は怯えもしたが、今はそれもない。

「昼食の時間ですので、そろそろ蓮華さん達を呼ぼうかなと思いまして。賀上さんも、食堂に向かってくださいね」

「もうそんな時間か。年のせいか、空の上は時間の把握が難しい」

 反応に困る言葉を溢した頼三は、ユカリと並ぶ形で歩む。理由を問うと「客人を迎えに行くのは義務だろう」と、実直な性格をそのまま表した答えが返ってくる。

「どのような理由があろうと、巻き込んで申し訳ないと思っている」

「い、いえ。最終的に決めたのは私達ですから。……失礼ですが、賀上さんはどうして蓮華さんの団に入ったんですか?」

 沈黙を打開する手が見つからなかった中、相手から差し出された言葉はまさしく救いであり、これ幸いとばかりにユカリが放った問いに、老戦士は低く唸る。

「息子を頼むと桂孔、蓮華の父親に頼まれたからだ。もう五十年近く前の話だが、我が祖国では政変があった。それまで国を統治していた『侍』は、アメイアント大陸からやって来た者に貶められ、民からも消し去るべき旧時代の遺物とされ追放された。風斬、黄泉討に並ぶ御三家と称された水無月の者、即ち桂孔もその対象だった」

「賀上さんもそれに付いて行ったんですか?」


 当然の問いに、首が緩く振られる。


「国に残ったが、そもそも御三家直系と、弱小の家の私では接点がない。しかし、刀を持った過去の有無で選別される潮流の中、両親を失った私は活路を求めてアメイアントに逃げた。桂孔に出会ったのもその時だ」

 魔術を筆頭とした暴力の社会的な重要性が違えど、「敗者」と位置付けた存在に何処までも残酷になれるという、人の性の世界を超えた普遍性を奇妙な所で実感して顔を引き攣らせるユカリを他所に、老戦士の言葉が継がれていく。

「伝手の無い、しかもアメイアントで黄色い猿と呼ばれる我ら日乃本人に、真っ当な職は無かった。一日一食にすら事欠き、賊に身を窶そうとしていた時、桂孔に出会った」

「それで今もこうして息子の蓮華さんの所にいる訳ですね」

「水無月家自体は、アメイアント大陸で財を成し、純粋な日乃本の血を持つ者も減少している。蓮華は数少ない例外――」

 語りが止まり、頼三が年齢を忘れさせる瞬発力で疾走。

 瞬く間に距離を離されながらも、老戦士の後を追ったユカリは、やがて本来向かっていた甲板に辿り着く。

「蓮華さん。それにフリーダ君!」

 恐らく訓練をしていたであろう二人の背を目に捉え、船内では後者と基本的に行動を共にしているもう一人がいない事に疑問が浮かぶが、そこに立つ二人の視線を辿るなり思考が止まる。


 絶対零度の気配を放つ、白濁した四つの瞳が甲板に立つ者を見下ろしていた。


 十五メクトル前後の体躯には樹木が隙間なく繁茂し、生ける森と見紛う有り様だが、形状が一枚ごとに異なる六枚の翼や、冠の如く頭部に生え揃う角、そして確かな呼吸が眼前に浮遊する存在を生物だと認識させていた。

 そして、ユカリはこの外見的特徴を有する生物を知っていた。

「ザルコ……さん?」

「『蝕輝竜』ザルカリアス。……こんな盆栽みたいな奴だっけか?」

 正式名を呼んだ蓮華の言葉には疑問があったが、その答えなど場の全員がとっくに出している。

「植物を用いる魔術と『白銀龍』の直系を隷属させる力。やはりラフェイアは生きていたか」

「まあ想定内だわな。頼三、二人が落ちないようにしとけ。そんで、防壁を解け!」

 竜の咆哮に真っ向から挑む、朗々とした声に呼応して、甲板を覆っていた壁が粒子と化して消えていく。堰を切ったように雪崩れ込む暴風と気圧の変化に襲われる二人を、頼三が『輝光壁リグルド』の球体で包む。

「船に攻撃を届かせるな」

「身内からもそこまで雑魚く見られているとは悲しいなぁ。『水彩すいさい』解放、スパッと決めるぜ!」

 苦笑混じりの声と共に、右腰の鞘から緩やかに湾曲した白の刃が顔を覗かせる。

 装飾過多な武器を散々見てきた後では拍子抜けする程に簡素な刀、言葉から判断するに水彩を正眼に構えた刹那、西部劇崩れの男に緋色の刃が襲いかかる。

 ザルコが蓮華を解体する為に動いたと認識した頃には、サムライの側に与えられた手札は皆無。少なくとも、ユカリとフリーダはそう判断してしまった。

「レンゲさん!」

「このくらいなら問題ないって」

 快音が響き竜の頭部が明後日を向く。次いで紅の二等辺三角形、即ちザルコの牙が吹き飛んで三人の前に刺さる。

遊戯場で目撃した、蠢く銀で身を包んだ蓮華は、まさしく横っ面を叩いた後の姿勢から、疾走へ移行。

「竜が強いのは、圧倒的な魔力と身体能力を適材適所で活かす知性があるからだ。乗っ取られて生前の記録をなぞるだけの奴は」

 殺到する無数の蔓を流れ作業同然の軽い動きで斬り捨て、緑の液体で甲冑を汚して走る蓮華の顔に羅刹の笑み。相手との距離を瞬時に踏破していく。隙間が目立つ剣列を開き、ザルコは異臭を発しながら魔術を構築する。

 臭気から判断するに『融界水スフィッド』に似た性質を持つであろう、強酸性の球体が放たれようとして客人二人が顔を強張らせた時、蓮華の姿が甲板から消えていた。

「長さと重さだけのハリボテでしかないんだよ」


 虫を踏み潰す幼児の軽さを以て、水彩が振り抜かれる。


 構築されていた魔術を破壊し、高位の竜が無意識に展開する防御を貫通。乱立する樹木諸共鱗が、肉が、骨が白刃に断ち切られ、意思無き四つの瞳が載る頭部が空へ堕ちて消える。

 頭部を失い、切断面から血を噴出させながらも尚、胴部はヒト属への接近と攻撃を試みるも、竜の抵抗はここまでだった。

 紡がれた『活封射ラズィンカー』による、巨大な銛の雨がザルコの巨体に突き立って爆散。対象の体内で爆発する事が真価となる残酷な魔術の直撃を受け、竜の身体は醜悪な肉の塊に限りなく同化して、頭部と同じ運命を辿る。

 魔術発動による轟音が未だ残響として残る中、圧倒的な実力を前に間抜けに口を開く他ない客人を他所に、装甲を解除した蓮華が笑う。

「おあとがよろしいようで、だな。まあ、自慢してられる局面でも無いんだが」

 やり取りの前に蓮華や頼三が指摘した通り、ラフェイアの生存は確定した事実。そして、ザルコを差し向けた事実から推測すれば、既に飛行島に辿り着いている可能性も極めて高い。

「それならそうで、話は……っておせーぞ」

「……悪かったな」

 最悪の事実を前に何処か声を弾ませる蓮華が、一転して咎める口調に変わり、二人が振り返る。すると、そこには見慣れた少年が立っていた。

「レンゲさんよ、アンタに伝令だ。目的地と思しき場所が見えたから、上陸許可と指示を頼むだとさ」

「おっと。そりゃ一大事だ」

 軽薄に笑い、蓮華は船室へと向かう。すれ違う際、現れたヒビキに一瞬気遣うような視線を向け、受け手側は肩を竦めてそれに応じた。

「レンゲさんと別れてから一体どこに?」

「スピカの整備。最近サボり気味だったからな」

 フリーダの問いに流れるような答えを返すが、それは薄っぺらい嘘だと、二人は即座に認識する。

 元々血色が良くない顔は、まさしく死人同然に白く、気温の乱高下等が無い空間で決して少なくない量の汗が肌を伝う。そして再生されつつあるものの、左手には意図的に付けたとしか思えない刀傷が刻まれていた。

「ヒビキ君、それ……」

「……大したことねーよ。それより、上陸するらしいから準備しようぜ」

 出来損ないの笑みを返して反論を打ち切り、人形の少年は足早に船室へと消えていく。一から十まで日頃と全く異なる状態の彼を見て、残された二人は顔を見合わせた。

「……おかしいね」

「だね。ヒビキが、敵が来たことに気付かない訳がないし、気付いた上でやってこないのもまた有り得ない。……おまけにあの様子、何かあったね間違いなく」

 フリーダと合意に至っても、当然事態の変化はない。この場でユカリに許されたのは、只上陸に備えた準備をすべく戻るだけだった。


                 ◆


「……こりゃすっげぇわ」

 団員の誰かが溢した言葉が、上陸者全員の感情を的確に代弁していた。

 ザルコとの対峙から数十分が経過した頃、幸いにも追加の妨害にも襲われなかった一行は『飛行島』と目される場所への上陸を果たした。


 精々小島程度だろう。


 「島」という単語が持つイメージと、大き過ぎると移動に支障が出るという常識的な判断から弾き出された想像と、かけ離れた現実がそこにあった。

 足の裏から伝わる硬い感触は、自然の力だけでは構成出来ないと即座に認識させ、ヒトの文明で形作られた建造物に近い物が乱立した光景がその認識を補強する。

 ただ、立ち並ぶ物に荒廃した様子はない、どころか確かな活力が感じられ、伝承とされるような古の遺物よりも、ヒトが想像する未来世界の町とユカリは内心で形容した。船内同様、生物が存在する事に最適化された大気状態が展開され、武装以外に特段の備えを要しなかったことも、それに拍車をかけていた。

「なんつーか、パトリオンみたいで空の上感が薄いなぁ」

「アメイアント大陸にある遺跡の町だね」

 蓮華の形容を、ライラが小声で補足する。地上の遺跡に近い雰囲気を持つのなら、即ちここも人の手に依る何かがあるのでは? と膨らみ始めたユカリの思考を、ルーゲルダの言葉が飛び込む。

「学術的な推測とかはどうでも良いんですよ! ささっと探索して、レンゲさんの望む物とか、ティナちゃんを見つけましょう!」

「わっ」

 ユカリの腰に納まっていたルーゲルダが、ヒトの形態に変化して正論を吐きながら走っていく。一行で最年長の部類に入る彼女だが、やはり親しい人が絡んでくると冷静ではいられないのだろう。

「そんじゃ、行きますかね」

 間延びした声を合図に追いかけ始めた一行だったが、金髪少女が突如殺気を放ちながら、虚空に回し蹴りを放った様を見て動きを止める。


 一体何を。


 問う前に少女の細い脚が旋りきり、物体を殴打する鈍い音が場に響く。

 接触点から空間が揺らぎ、さざ波のように白亜の世界に毒々しい桃色が広がる。

 柱のような足には丸みを帯びた五本の指。ルーゲルダの足が捉えた弛んだ腹部は、嫌悪感を喚起させる水疱が間断なく並ぶ。翼も腹や表皮と同様に弛みを持ち、ザルコを始めとした竜が持つ精悍さは何処にも見受けられない。

 最後に露わとなった頭部にも、やはり弛みと顎から伸びた膨らみが目立つが、顔面だけは角も鱗も無い不自然に滑らかで、虚ろな目は硝子玉の如く光を反射していた。

「『痺命竜』エルゲテリガ!」

「アンディル大虐殺の主役かよ! どうして生きてんだッ!?」

 団員の口から毀れる阿鼻叫喚を他所に、件の竜はくぐもった咆哮を上げて全身の水疱を収縮させ、ルーゲルダが距離を取ると同時に炸裂させた。

 バスン、と気の抜けた音が空間に鳴り響き、撒き散らされた液体が地面に着弾。すると、美しい白だけで構成されていた地面に穴が開く。人体が受ければどうなるかは、思考の必要もなく全員が理解に至った。

「云百年前に討伐された存在がここにいるのは……」

「誰が何処にいようと関係ねぇだろ。……目的の邪魔になるなら、倒すだけだ」

 呑気な分析を遮るように、スピカを構えたヒビキが前進。活力が失せていた数十分前とは全く異なる力強い声を受け、エルゲテリガがここにいる理由を分析しようとしていた蓮華が怪しく笑う。

「全くその通りだ。俺達は学者じゃない、欲しい物を得る為に這いずる簒奪者だ!」

 何処か楽し気な声に背を押されるように、団員やヒビキ達が疾走する。取り残されたライラとユカリも、顔を見合わせて各々の武器を構える。

「ま、私達も頑張らないとね!」

「うん!」

 手に入れたい事、知りたい事は山ほどある。だが、望みを叶えられるのは立っている者だけで、立つ為に必要なのは行動する事だ。

 ヒビキに対する懸念、蓮華がここに執着した理由、この場所そのものへの疑問、拭えないラフェイアへの恐怖。

 内側で回り続ける全てを一度置き、ウラグブリッツを抜いたユカリは白亜の大地を蹴った。


                 

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