回想:×××××の誕生

 うず高く積まれたゴミの山に、一本の剣が突き立っていた。小柄なヒト属に伍する長さを持つその長剣は、腕力を強みとする物が用いる凡庸な両刃剣に、概ね近い姿を有している。

 深海の如き圧を感じさせる青と、『鷲眼イブーゲン』を始めとした視覚強化の魔術を用いてようやく認識出来る、鮫や地竜の歯に見られる微細な鋸刃加工が為された刀身を持つ両刃剣に凭れる形で、一人の男が座していた。

「カルス、またここにいたのか」

 呼びかけを受けたカルス・セラリフが振り返る。不健康な白さを持つ、およそゴミ山に相応しくない風貌の男が、覚束ない足取りで歩んでくる光景。

 元々の顔の造形が足を引っ張ってそうは見えないが、本人の中では気安い笑みを浮かべ、カルスは手を掲げて呼びかけに応じる。

「暇だからなー。ってか、家の研究室に引き篭もってるお前にまたって言われたくねぇな。そんなんだから、俺のがライラちゃんに慕われる事になるんだ」

「……」

「冗談だ、笑え」

「……ッ!」

 カルスの拳がやってきて、そして剣を目撃した事で微量の躊躇いを表出させた男、ノーラン・レフラクタの胸を軽く小突いた。

 荒波を断ち割って進む海竜の如く磨かれた、百九十三センチメクトル・百六十二キロガルムの肉体が放つと、「小突く」が「殴る」に変わる認識が欠落している男の一撃を受け、貧弱な男の身体が激しく揺れる。

 咳き込み、涙を少し目の端から流すノーランに対し、カルスは何がおかしいのか肩を揺すりながら笑う。

「大袈裟だな。そんなんじゃ、ライラちゃんがデカくなったら嫌われるぞ」

「……お前の基準は高すぎる」

「んなこたないって」


 ノーティカにいた頃、彼がどのような異名で他国人から呼ばれていたか。


 それを知るノーランからすれば、カルスの否定は恐ろしく薄っぺらい言葉にしか聞こえないが、闘争の絡まない状況下では気の良い男だとも知っている。

 故に、特段の緊張もなく問いを投げていく。

「今日の夜はどうする? また家で食べるか? ……ジーナもライラックも、お前なら歓迎するのは間違いないからな」

「ありがたいっちゃありがたいが、燃費が悪い奴が子育てしてる家にあんまり乗り込むのも良くないだろ」

「躊躇するなら、もっと早くしておくべきだったな」

「……まぁ、そりゃそうなんだけど」

 他人の家で夕食を食べるか断るかで、本気で悩む様にノーランは微笑を浮かべる。ヒルベリアに流れ着いてから数年が経過したが、カルス・セラリフはそれなりにこの町に順応し、過去の異名によって畏れられる事も無くなりつつあった。

 この男との関係が、長く続けば良い。

 後に振り返ると、この願いが完膚なきまでに叩き壊される切欠となった言葉が、隣に座していた男から放たれた。

「そういやノーラン、お前は気付いてるか?」

 へらへらとした表情を掻き消し、同時に急速な話題転換が為される。当然ながら理解が追い付かないノーランは、首を振って否定する。

「いや、外に出たのも久しぶりだからな。……何かあるのか?」

「マウンテンにいる生物の顔触れが変わってるんだ」


 瞳に鋭い光を宿し、カルスが眼前に広がるゴミ山を指さす。


「バスカラートやディメナドン、後はスケルビーにノドグス。言っちゃなんだが、他の所じゃ底辺にしかなれない生物が、このヒルベリアでは我が物顔でほっつき歩いてる。楽に稼げるから良いっちゃ良いんだが」

 長い前置きを行いながらカルスは手首を返し、ノーランの手に物体が滑り込む。『塵喰いスカベンジャー』連中が不定期に作成、回覧を行っている手製の冊子に目を通す。そして、貧弱な男の顔が頁を進める度に強張っていく。

 ヒルベリアに移住してかなり経つノーランすら目を疑う死者・重傷者数と本来この町にいない筈の生物の闊歩。

 トドメとばかりに異なる世界から来たと伝えられる、生物学的な常識から逸脱した『正義の味方』の出現情報を見てしまえば、既に日常は失われている。

 この町に居るのは使うに値しない存在ばかりと断じ、カルスが普段眠らせている武器を握っている理由を、嫌が応にも理解させられた。

 頭に詰め込まれた知識から、何らかの関連性がありそうな事象を引き出してみるも、正解を引き出せず硬直するノーランを他所に、問題を提示した男は凭れていた両刃剣『冥海王めいかいおうレヴィアクス』を肩に乗せる。

 『覇海鮫』メガセラウスと、互角の戦いを繰り広げた逸話が残る超古代生物の名を冠した剣の、使い手と同じ深い青の刀身は、満ち引きする波の如く明滅を繰り返す。そして、いつの間にか使い手の口角は釣り上がっていた。

 怠惰にヒルベリアで生きる姿は所詮仮初と、整備等でレヴィアクスに触れる度、貧弱な男に周知させていたカルスは、まさしく鮫の微笑を湛えながら歩む。

 背から発せられる感情は本人から何の解説も為され無かったが、受け手となるノーランは彼の抱いた物をハッキリと読み取ってしまう。


 言葉にされなければ確定はしない。


 あまりに空虚な可能性に縋って踏み出した時、離れつつあった巨体が反転。切迫した様子でマウンテンを駆け――

「伏せろッ!」

「伏せろと言っても……っ!?」


 答えは、大地の震動という形で出た。


 縦横に揺れる、人類には到底太刀打ち出来ない強大な力を前に、カルスはレヴィアクスを杖代わりにして辛うじて踏み止まるが、ノーランは堪らずゴミの大地に転がされ、口の中や背、腹をゴミによって蹂躙される羽目になった。

 実際にはごく僅か、対抗しようがない力に蹂躙されるだけの者達には永遠に近しい時間続いた、大地の震動は始まりと同様に突如終息。

「一体何が……」

「単なる地震、で片付けるにはなかなか不愉快な空模様だしな」

「空……!?」

 ゴミによって縦横に傷だらけになった眼鏡を拾い、脈絡が無さ過ぎるカルスの指摘に従い、痛む身体を叱咤しながら上方に視線を向け、言葉が途絶する。

 

 地上に住まう多くの生物を眠りに導く色だった空が、紅蓮に染まっていた。


 地震で火災の類が発生するのは特段珍しくない。現に町の方からは物質が燃える音と、黒煙が立ち昇っている。だが、ヒトの視力が届く全ての領域の空が、禍々しい紅蓮に染められる現象は、火災程度で説明が付けられない。

 ――魔術の暴発か? それとも他国の攻撃か? ……どれも等分に可能性はあるが、根拠がない。だが……。

 今度は肩を激しく揺さぶられ、強制的に思考を中断させられたノーランが首を回すと、別人と見紛う程に引き締まったカルスの顔があった。

「お前が今やるべきなのは、原因を探す事じゃない筈だ。嫁さんとライラちゃんの安否を先に確認しろ」

「なら、お前はどうするんだ?」

「俺に待ち人はいない。お前の分析が進められるように、勝手に色々探しとくよ」

 言うが早いが動き出したカルスの姿は、今度こそ止まることなくマウンテンを駆け抜け、すぐにノーランの視界から消えた。

 呆けたように立ち尽くしていた彼も、友人の言葉を何度か反芻した後、帰宅して妻と娘に被害が無かった事実を自身の目で確認し、安堵の溜息を吐く事となった。

 

                    ◆


 地震の混乱が未だ外から届く中、『レフラクタ特技工房』の一室で、ノーランは自室に堆積する資料をただ眺めていた。

 マウンテンの生態系が崩れている動かぬ事実に、先刻発生したばかりの空の変色と地震。直列に結びつけるのは早計だろうが、偶然が連続しただけと断じるのも浅慮に過ぎる。

 身体能力も魔術の才も無い身で、友人のように動いてもロクな成果は残せないという判断に基づいて手持ちの資料を漁っていたが、未知の事象に微量でも説得力のある説明をしてくれそうな物はごく少数しかなかった。

 少ない可能性も、完全に現代を生きるノーランにとっては想像の外にある出来事が基盤となっており、彼に安心を与えるには至らない。

 ――二千年前の大戦時、独自のルールに基づいて動き続けたカロンが、他の世界から役者を招いた。その時、異なる世界とこの世界の接続が行われ空が紅く染まった。……バカバカしいな。

 二千年前に人類と『エトランゼ』を核とする生物達との間で大戦が行われたのは事実。大戦によって人類の文明が後退を余儀なくされたのも、『船頭』が人類を殺戮する側に立たなかった事もまた然り。だが、異なる世界から誰かを呼び寄せたという点は極めて疑わしいと言えるだろう。

 『正義の味方』共もあくまで本人達の主張と、生物学的特徴が既知の生物に合致しない点が多い、の二点で括られているだけで、彼らが本当に異なる世界からやって来たか判じる術は人類側には無い。

 どれだけ弱く見積もっても、ヒトの括りで強者と称される存在を難なく蹴散らせる力を持つカロンと言えど、世界を繋げる力を持つのかは怪しい上、そもそも異なる世界の実在が証明出来ていない以上、この説は妄言と切り捨てる事が正解に近い筈だ。

 大きく伸びをして、疲労を訴える目頭を揉む。集中力が切れた事で、外で奏でられる激しい雨の音にノーランはようやく気付く。

 ――延焼も少しは収まってくれるな。

 これは天の恵みだろうかと、先程までの延長線上で非科学的な思考を紡ぎ、苦笑しながら眼鏡を机に置く。既に日付は跨ぎ、妻子は床に就いている。

「明日から忙しくなる。……もう寝るか」

 嘗てはそうだったが、ノーランの現職は整備士の側面が強く断じて学者ではない。『転生器ダスト・マキーナ』の作成から日用品の修理まで幅広く手掛ける彼の仕事が、多くの器物が破損した後に多忙となるのは必然だろう。

 既に着手が決まっている作業の準備を終え、工房内の灯りを消して回り始めた時、四度扉を叩く乱暴なノックの音が耳に届き、そのようなノックの仕方をするのが誰なのか、よく知っているノーランは何の警戒も無く扉を開く。

「どうした、こんな時間に……」


 眼前に立つのは予想通りカルス・セラリフだったが、彼の顔や衣服が血に塗れ、醜悪な肉塊を大義そうに抱えている光景に、ノーランの全てが停止する。


「第二で拾った。……恐らくヒト属だ」

「な、なるほど。……お前はそれをどうしたいんだ?」

 カルスの言葉でようやくヒトと認識出来た物体を、観察すればするほどにノーランの感情は疑問で満たされていく。

 年齢は娘と同じぐらいであろうそれは、右腕と左脚が失われており、腹部や左目の部分にも生物の爪牙で蹂躙されたと思しき醜い傷が刻まれて、収まっているべき物は影も形もない。

 弱々しい上下運動によって、辛うじて生きていると認識させてはいるが、連動する形で血を垂れ流している事を考えれば、この子供の死は既に確定している。

 そんな物をどうしたいのか。ある意味真っ当な問いに対し、カルスの答えは迷いのない物だった。

「お前が嘗て研究し、完成させたいと吹いてた奴があったろ。魔力と血晶石は俺が提供するから、今作れ」

「『魔血人形アンリミテッド・ドール』を!? 冗談じゃない!」

 今でこそヒルベリア在住だが、ノーラン・レフラクタは数年前までアークスの王立技術研究所に在籍していた。『魔血人形』も、彼が研究所に入った頃から構想と実験を繰り返したが、結局成果を残す事は出来なかった。

 魔力の量や流れる速度といった先天的に決まる物を、生物の認識では異物にしかならない物を入れる事で後天的に強化し、国王が直々に選ぶ四天王をも超える戦士を作る。

 最終的な着地点は国も望んでいたが、結局完成に至らずに死体の山を積み上げ、四天王だったハルク・ファルケリアを使った実験でも失敗した事が致命傷となり、研究は放棄された。

 非公式に研究を続けていたものの、国のお墨付きが無い状況で失敗を犯せば単なる殺人者という、当然の摂理が立ちはだかって実行に移せなかった彼にとって、死んでも後腐れの無い子供が現れたのは渡りに船とも言える。

 普段なら飛びついていた状況でノーランが躊躇した理由は、無論先刻までの調査の影響があった。

 冷静に観察すると、カルスの抱えている子供の髪は黒く、やや血色の悪い肌の色もインファリス大陸の住民より、東方人種の色に近い。捨て子も度々現れるヒルベリアだが、東方人の子供が迷い込んだ情報は、ここ数か月間、いや一年の間にはない。

 地震と空の変色、二つの異常事態が発生した後に突如現れた東方の子供。『船頭』が云々を先程切り捨てたように、考え過ぎとしてしまえば良かったのだろうが、一度生まれた疑念は際限なく膨らみ、それは恐れに変わる。


 すぐにでも短剣を抜き、子供を殺してしまいたい。敗北者の嘘偽りない本音はこれだった。


 近い年齢の子供が自分にいる事実から生まれる、命を奪う事への躊躇が本音を実行に移させず硬直するノーランに苛立ったのか、カルスは返答を無視して工房へと踏み込んでいく。

「お前がやらないなら俺が一人でやる。『魔血人形』とやらが失敗した時は、内臓でも何でも提供すりゃ良いしな」

 耳を疑う言葉を受け、暫し呆けたように立ち尽くす時間が数秒だけ流れる。

 下らない冗談は多々吐き散らかしているが、真剣な場面でカルスが冗談を言うことはない。殺すと決めた存在は必ず殺し、絶対に逃がさない戦闘様式から滲む人間性を考えれば、本当に己の内臓を用いて子供を救おうとするだろう。

 そのような事態を食い止める為の妥協案を、混乱する脳をフル稼働させてどうにか捻り出し、ノーランは転がるようにカルスの前に立ち塞がる。

「分かった、施術を行う。だが、その子の意思確認をさせて欲しい」

「意思確認?」

「生存への意思を持たない者に延命を施すのは無駄だ。……脳波や鼓動から意思を読み取って、本当に生きたいのかを確認してから、施術に移りたい」

「俺は学がないから、意思確認とやらが本当に信頼出来るのか分からない。……けど、お前なら捏造はしないと信じている。急がないと確認する前にこの子が死ぬ、やるなら早くやろうぜ」

「あ、あぁ」

 連れだって入った実験室で意思確認を行うと、子供は生存への強い意思を示し、カルスの力を分け与える施術は実行に移された。

 根拠のない恐怖に怯えている自分が情けないとの自覚はある。消えつつある罪無き命を救うという、カルスの意思が尊ばれるべきであり、叶える技術があるのなら使う事が道理とも分かっている。


 道理を何度復唱しても尚、ノーランの心から得体の知れない不安と、この子供の容態が施術中に急変し、落命する事を願う後ろ暗い感情は決して消えなかった。 

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