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「ねぇ、ヒビキ君! 嘘、だよね!? 起きて、起きてよ!?」


 レヴェントンの力が緩んだ一瞬を衝き、ユカリは倒れ伏したヒビキに縋りつくが、消し炭同然と化した少年は微動だにしない。

 全身から黒煙を発し、心臓付近に大穴が開き、至る所から骨と内臓が露出しているグロテスクな様を見れば、早急に治療をする必要があるのは明白。

 しかし、自らの眼前にロザリスからの刺客がいる状態では、そのような動きが許される筈もなく、ユカリはただただ縋りつく事しか出来なかった。


「どうする、ハーちゃん? すんごく悪者感がして、居づらいよ」

「彼女からすれば、我々は悪人扱いで当然だろう。……私達は目的を果たすまで。横槍が入る前に回収するぞ」

「じゃ、寝て貰おうか」


 ハンナの同意を得たレヴェントンは自らの武器を構え直し、ユカリの意識を奪う為に動き始める。

 せめて、ヒビキの肉体にこれ以上の損傷を与える事だけは防ごうと、ユカリは前に進み出て、歯を食いしばって衝撃に備える。


「――『紅雷崩撃・第一階位ミストラル』ッ!」

「――な、アァァァッ!」


 予測していた衝撃の代わりに、聞き慣れた、しかし聞き慣れない切迫した調子の咆哮が響き、目を閉じているのにも関わらず、強烈な光でユカリの視界は紅く染まる。

 そしてレヴェントンの悲鳴と何かが爆ぜる音が耳に突き刺さり、恐る恐るユカリは目を開く。


「――貴方はっ!」

「クレイさん!」


 寸刻前までは影も形も無かった金髪の男、クレイトン・ヒンチクリフが荒い息を吐きながら立ち、その傍らには血に塗れたレヴェントンのハンマーが転がっている。

 結界と思しき黒い霧も、彼が通過したのであろう場所は、紅い光で引き裂かれていた。

 だが、何が起きたのかさっぱり分からない。混乱しながら、視線をハンマーの主へ向けると、そこには非常にグロテスクな光景が展開されていた。

 レヴェントンに視線を向けると、彼がハンマーを握っていた右腕を含む、右半身の大部分が吹き飛び、残った部分から大量の血と皮膚を垂らしている。

 常人ならば泣き喚く、いや即刻意識を手離しているような重傷でも、顔を青くしながらではあるが立っている。その現実にユカリが目を見開いていると、クレイが美貌に厳しい感情を宿して口を開く。


『挨拶代わりだ、退け!』


 聞き覚えのない言葉での怒鳴り声。ユカリには理解出来ないが、ディアブロの二人には理解出来ている辺り、恐らくはロザリスの言葉なのだろう。

『退ける訳ないじゃない! こっちだって仕事で来てるんだよ!』

『俺は親切で言ってやってるんだ。これ以上痛い目に遭いたくなけりゃ、さっさと消えろ』

『この程度の傷で退く訳無いでしょおじさん! ここからでも、アンタ一人なら問題なく殺れるよ!』

『意気込みは結構だ。なら、死んで貰おうか!』

 言葉を交わしながら、両者共に魔術の発動、もしくは己の武器による突撃の準備を開始し、狂気をその身に宿していく。

 予測不可能な力の応酬が始まる寸前――


『待つんだレーヴェ!』


 自らの中にある記憶を探っていたのか、今まで沈黙を続けていたハンナがレヴェントンを制止、前に進み出る。

『まさかとは思うが、貴方はクレイトン・ヒンチクリフか?』

『だったらどうするんだ?』

 暫し睨み合い、沈黙の時間が流れる。そして逡巡の後、ハンナは片腕のレヴェントンを抱えて『竜翼孔ドリュース』を発動し、宙に浮かぶ。

『……この場は一旦退かせて貰おう。しかし――』

『ソイツは良い判断だ。二度と来るなクソッタレと、お前らの頭に伝えておけ』

 返答を返さぬままハンナ達は高度を上げて、撤退していく。完全に気配が消えた頃、クレイは転がっているヒビキの元へ這いずるように向かい、一目見て状況が一刻を争う深刻な物であると察した。

 ――全身の大火傷と骨折、呼吸器系もやられたな。……何より、心臓が一部破壊されているのが不味すぎる。何処まで保つか分からん上に、拒否反応が出たら一巻の終わりだが、これしかない!

 紅く発光させた右腕をヒビキの胸に押し当てながら、放心したようにへたり込んでいるユカリに向けて、小さな笛を投げる。

「それをライラの家で吹け! 医者を呼べる!」

「……」

「早くしろ! ヒビキを殺したいのか!?」

 捻子を巻かれた人形同然のギクシャクしたものではあるが、その言葉に反応したユカリが、指示通り走り出すのを見届けて、クレイは意識を右腕に集中させる。

 ――魔力の変換など久しくやっていなかった上に、お前の特殊な肉体に何処まで通じるかも分からん。……だが、持ち堪えてくれよ!

 クレイやユカリが動き始めている頃、撤退に移行したディアブロの二人は、空中で揉み合っていた。

「どうして撤退したの!? このくらい、応急処置で何とかなるよ!」

 弱冠十一歳、そして右腕が吹き飛んでいるにも関わらず闘争心を失くさず、戦闘の続行を主張する相棒を抑え込みながら、ハンナは淡々と事実を告げて行く。


「あの男はクレイトン・ヒンチクリフだ。かつてはアークス最強の人間の一人と呼ばれて……」

「元・四天王でしょ!? でも現役じゃないなら……」

「確かに、私達二人が完調であるならば、それほど苦労なく討てるだろう。しかし……」


 痛みで顔を歪め、自らの身体のある一点に視線を動かしたハンナに倣ったレヴェントンは、目を見開く。

 ハンナの右脇腹に有った筈の鎧と、その下の皮膚と肉が抉り取られ、内臓が垂れ下がっていた。だが、あの男は自分をターゲットにして攻撃を仕掛けた筈だ。何故、彼女まで負傷しているのかがレヴェントンには理解出来ない。

「掠めただけの筈だが、このザマだ。二人とも手負いの状態で、彼と真っ向勝負

を行えば、勝率は著しく低い物になるだろう。それに……」

 ハンナは険しい表情で反対方向、左の肩口を見る。

 立ち塞がった少年が最後に放った剣技によって、殆ど千切れかかっていた。鎧が破壊されたことで、刃が通った箇所は血管を軽く傷付けるだけで済んだのだが、この一点だけは、鎧を無視したかのように彼女の身体を傷付けていたのだ。

 如何にハンナと言えども、脇腹を損傷し、尚且つ片腕が使用不可能となっている状態では、戦闘を継続するのは厳しい。

 二人ともが長時間戦う力を欠く状態にある現実は、レヴェントンを翻意させるには十分な要素となり得た。同時に、任務の失敗が確定した為に、彼の表情は沈む。

「総統に怒られちゃうね……」

「命があるから、主からの叱責を恐れる事が出来る。今はそう考えよう」

 やり取りを打ち切ってハンナは更に高度を上げ、『ディアブロ』の二人はロザリスへ向かっていく。


                 ◆


「フリーダ、ユカリちゃん、二人ともそんな顔したら駄目だよ! クレイさんがお医者さん呼んでくれたんだしさ! もっと、こう、ほら……」


 締め切られた扉、その対面に並んで座っている三人の少年少女、その中の紫髪の少女ライラ以外の二人、フリーダとユカリの表情は一様に暗い。

 目の前にある現実が酷過ぎる故に、自分の励ましなど無意味な物でしかないと理解はしている。

 しているのだが、言葉を発していないと本格的に皆の心が砕ける事を危惧し、ライラはこうして無理に励ましを続けている。

 目を背けたくなるほど無惨に身体の各部位が損壊し、魔力を流し込む事で強引に生命を保持していられたヒビキが、クレイが呼んだのであろう、十代前半にしか見えない医者と共に部屋に入ってから既に丸一日が経過している。

 数時間ごとに、全身を赤い血と黒い液体で汚した二人の内どちらかが、一瞬だけ部屋からの出入りを行っているが、その時の表情はいずれも固かった。

 どのような捉え方をしても、ヒビキの状態が悪い方向に向かっているという現実を突きつけられ、不安だけが募っていく時間が、延々と過ぎて行く。

 どれだけの時間が経過したのか。三人が分からなくなってきた頃に扉が開かれ、疲労が色濃く出ている表情のクレイが手招きをしてくる。


「入って来い。説明があるそうだ」


 何らかの説明を受けられるという事は、最悪の事態は回避された可能性が高いのだろうが、表情から察するに朗報では無い事もまた確実と推測出来てしまう。

 故に、三人は揃って重い表情のまま、目が痛くなる程に白い布で壁や床が覆われた室内へと入って行った。

 室内には赤く染まった大量のメスの類が散乱し、壁際の椅子にクレイが呼んできた医者、ファビア・ロバンベラが、こちらも疲労困憊といった様子で座り込み、煙草を吹かしている。

 そして、中央に設えられた臨時の寝台の上に、包帯と複雑な紋様の描かれた護符で全身を巻かれた少年が横たえられていた。その呼吸は荒く、どうみてもこのまま覚醒してくれる、等の甘い展開は期待出来ないだろう。


「ヒビキ君……」

「触るなよ。一度崩壊した肉体を再構成し直している段階で下手に動かせば、今度こそ返って来なくなるぞ」


 ふらふらとヒビキに歩み寄ろうとしていたユカリを、ファビアが鋭い声で制止する。全員の視線が自らに向いた事を確認した年齢不詳の医者は、未使用のメスを弄びながら、何の感慨もないかのように報告を始める。

「右足の粉砕骨折、左腕の炭化を始めとした全身の重度熱傷、肺にまで炎が回っていた。だが、この餓鬼の血晶石の力で治療が出来る程度に済んではいた。……私でなければとうに死んでいただろうがな」


 恐らく、この次が問題なのだろう。沈黙を守ったまま、三人は次の言葉を待つ。


「脳は問題ない。コイツの改造を行った奴は相当に優秀な人間だ。破壊されたら困る部分には、無意識の内に防御機能が発動するように出来てある。だが、心臓の方はそれでも間に合わなかったようだがな」


 三人の、特にフリーダの表情が蒼白な物と化す。ヒビキと同様に、戦闘を行う者としてその言葉の示す意味に気付いたのだろう。


「直撃してはいなかったが近い所を槍が掠めたせいで損傷が酷い。しかも既存の策をどれだけ講じても、治癒してくれない。……一度傷ついてしまえば、再生も追い付かないというのは可能性としてはあったが、現実になってしまえば、これほど厄介だったとはな」


 心臓が損傷したままの状態が継続されれば、の問いに対して答えは一つ。それを回避する為の策は無い。


「心臓を血晶石に置き換えるとかは……」

「出来る筈も無いだろう。私とて、失敗作であるこの人形の整備ノウハウ程度しかないんだ。加えて言うならば貴様の父、そして祖父が既にその程度の発想など思い付いているだろう。死体同然の状態で、好き放題実験が出来る材料と化していたこの餓鬼に投入しなかった時点で、何らかの欠陥があるのだろうよ」

「魔力で心臓の複製を作って……」

「こいつからどうやって魔力を抽出する? 確かに普通の奴ならば低確率ではあるが可能だ。私も何度か経験はある。だが、クレイトンからの魔力の供給を受けて、どうにか保たせている状態でそれをするのは不可能だ。やっている内に、コイツは死体に変わるぞ」


 ライラ、フリーダの提案はあっさり潰され、室内は再び沈黙に包まれる。三人の中で、唯一何も提案出来なかったユカリは、縋るように問いかけた。

「ロバンベラさんは何か知って――」

「ちょっと待て! それ以上は――」

 何かを恐れるようにクレイが制止にかかるがそれを振り払い、ファビアは煙草を吐き捨ててゆっくりと立ち上がり、目に恐ろしい色彩の光を宿す。

 そして、疲労を引き摺るようにしてゆっくりと接近し、ユカリの襟首を掴み矮躯にそぐわない力で軽々と持ち上げた。

「……貴様が、みすみすこの餓鬼を窮地に追い込んだ貴様が、問う資格があると思っているのかッ!」

 握り固めた小さな拳が、ユカリの頬に直撃する。受けきれる訳もなく床に転がされたユカリの、無防備な腹に足が入り、浮き上がった頭を引っ掴まれる。


「そもそも、だ! 何故に対抗しなかった? ヒビキの後ろで呑気に突っ立っていたそうだな? 勝敗を横に置いても、何かをする事は可能だった筈だ! 何もかもを放棄していた掃き溜めに、知恵を授ける必要などない!」


 水を打ったように室内は静まり返る。ファビアの言葉は、ユカリが異なる世界からの人間であり、魔術の類を一切使えなかったり、戦闘技能を有していない事を、知らない為に発せられた物である。

 知らない事によってぶつけられた、一切の手心の無い失策への痛烈な批判は、ユカリの心を激しく痛めつけ、目の端に涙が滲む。

 ――……泣いている場合じゃない、私がやるべき事はそんな事じゃない。

 折れそうになる心を奮い立たせ、この場で、いやヒビキの状況を好転させる為に必要な行動を選択する。恥や外聞の類をドブに捨てて、ユカリはファビアの前に進み出て、頭を深く下げた。


「……また殴られたいのか?」

「……殴りたいのなら、幾らでも殴って頂いて結構です。でも――」


 容赦のない拳が顔にめり込み、ユカリは床にまた転がされる。「こういう時って、一応は話を聞いてあげるものなんじゃ……」と呟いたフリーダを、恐ろしい形相で一睨みして黙らせた後、ファビアは溜息を吐く。

「貴様が御大層かつ空虚な意気込みを並べ、愚かにも私が胸を打たれて方策を話した所で、貴様は実現する事など出来ん。たかが『ディアブロ』を相手にするのとは訳が違う。……止めはしないがな」

 ユカリの能力を冷静に判断した上での罵倒を残し、ファビアは煙草を咥え直して部屋の外へと向かう。その途中、クレイの腰辺りを掴み、部屋の外へと引き摺りだす。

 一度扉を閉め、火の点いていない煙草を吐き捨てて、クレイに耳打ちを行う。


「おい、散々言っておいてそれはアリなのかよ」

「だからお前に言わせるんだろうが。不満なら治療費だけ回収して帰るぞ」

「はいはい。だが手段はそれしか無いと言っても、ユカリ君には危険過ぎる」

「拒むならあの無能の意思の安さが暴かれ、餓鬼が死ぬだけだ。……元より、あそこまで重度の傷を負った者の治療ならば、選択肢はこれしかない」

「アンタ何やかんやで甘いな」

「ほっとけ」

 恐らくは用意された寝室へ向かうのだろう、ファビアはそれ以上何も言わずに、フラついた足取りで去って行く。一人残されたクレイは、ある場所への移動が可能であるか確認を始める。

 ファビアの言葉も、自分がこの行先を記憶している事を前提にした物であったので、記憶の海から必死に目的の座標を探し出す。


「……よし」


 想定より早く第一段階を突破して安堵の溜息を漏らし、クレイは再び扉を開く。三人の縋るような視線を一身に浴びながら、単刀直入に問いかける。

「ユカリ君、命を賭ける覚悟はあるか?」

 一瞬時間が止まる。ふざけた成分が皆無の自分の言葉など、なかなか耳にしないせいか、それとも言葉の意味を咀嚼するのに手間取っているのか、その両方か。

 三、四分程度沈黙が流れた後、首肯が返される。

「先に言っておくが、俺は現地に行く手助けしか出来ない。本題を成すのは、君一人の力でやって貰う必要がある。失敗した時は、誰にも見届けてもらえない、これ以上なく惨めで孤独な死が待っている。それでも構わないか?」

 再びの首肯。言葉では揺るがない程度には、彼女の中での決意は固いようだ。

 ――ここでこれ以上何か言っても、時間を無駄にするだけ、か。現地に行って、判断を委ねるべきだな。

「なら、こっちに来い。下準備というか、ちょっとしたインチキをしに行くぞ」

 クレイの隣に来ようとするユカリを、横から遮る手があった。茶髪の少年、フリーダである。

「僕が行きます。命を賭ける必要があるなら、戦闘力が少しでも高い人間が行った方が、求められる成果を出せる筈です」

 暗に、ユカリに任せていてはヒビキを殺すだけの結果しか齎さないと言っているに等しい。無論、彼は悪意に基づいて発言した訳ではないのだが、意を汲み取れてしまったユカリの表情は少し固くなり、ライラは顔を引き攣らせる。


「落ち着けフリーダ。あくまで先生はユカリ君に求めたんであって……」

「色々と放棄した人の言う事を聞いていたら、進む物も進まなくなります」


 眼前の少年は想定していたよりも食い下がってくる。余程、ヒビキに対しての感情か、自らの失策を悔やむ感情か、はたまた別の物が強い事は察せられる。

 ――そりゃフリーダに行かせた方が成功率は高いけどな。あの捻くれ婆さん、絶対いちゃもん付けるだろうしなぁ。どうしたモンかね……。

 心情は理解出来るが、許す事は出来ない。

 目の前の少年をどう説得するか、表情に出さないまま思考を回し始めたクレイだったが、それはユカリが進み出てきた事ですぐに打ち切られる。


「フリーダ君はご家族もいるよね? ……何かあった時とかの事を考えたら、私が行くのがベストだよ。……うん」

「君に何かあったらどうするんだ!? ヒビキだって、君を危険に晒す事は望まない筈だ!」


 その言葉は、ユカリの心を揺さぶりはしたものの、覆すまでには至らなかった。ゆっくりと首を振って、もう一度ユカリはクレイに対して頭を下げる。

「決まりだな。ライラ、俺なしだとヒビキをどれくらいの時間保たせられる?」

「……二時間以上は保証出来ません」

「そんだけあれば、インチキの手続きに放り込める。俺はすぐに帰って来るしな。武器は……ま、先方さんで頂けば良いか」

「スピカは持って行かないんですか? 何度かユカリちゃんが振るって……」

「駄目だよフリーダ。スピカは昨日からヒビキちゃんの手から離れてくれないんだよ」

「離れないってそんな馬鹿な……」


 ゴミの集合体にして、単なる武器の一種に過ぎない『転生器』が意思を持ったかのように主の元に留まろうとする。

 主以外には使用出来ない原則もそうだが、常識や原則の類が、ユカリが来てからかなりの頻度で破壊されている感覚を、フリーダは抱く。


「……二人とも心配しないで。……絶対に帰って来るから!」

 決然と言い放った常識の破壊者を前に、二人は次に放つ言葉を失い沈黙する。互いに顔を見合せた後、ライラが一度部屋を辞し、布に包まれた物体を抱えて戻って来る。

「ディアブロ連中にぶっ壊された銃の替わりと、服が入ってる。この服の方はいつまでも自分のお下がりだと良くないからって、ヒビキちゃんがウチに発注かけてたんだ。もう結構前の話だけどね」

「!」

「いや本人がさっさと渡せって話なんだけど、「戦いに使える服を渡したら更に危険に晒すだろ」って、ずっと預けっぱなしだったんだ。ヒビキちゃんの意思には反するけど、命を賭ける場所に行くんだから、着て行ってあげて」


 何処までも、彼は自分を危険と触れさせる事を望まなかった。

 彼の思考や行動を優しさと感じるか、只の馬鹿の傲慢と感じるかは、人によって意見が分かれるのは間違いない。

 ユカリ自身は前者と捉え、そしてそれ故にこうなったのならば、今度は自分がヒビキに対してするべき時だ。

「そろそろ行くぞ。服は到着してから着てくれ。今までやってきたみたいに、お手軽に飛べる距離じゃないから、ちと時間はかかるが我慢してくれよ」

 首肯し、クレイの傍らに立つ。未だに理解するまでに至らない、不可思議な光がゆっくりと二人を包んでいく。

 この先の不明瞭さを現すかのように、何度も不規則に変色していく光を見つめながら、ユカリは拳を固く握り内心で宣誓する。

 ――絶対、絶対に助けるからね!


「ときにクレイさん、何処に行って何をするんですか!?」

「行先は霊峰エルーテ・ピルス。目的は『大怪鳥』、セマルヴェルグだ!」


 問いに対して、ライラとフリーダの表情を驚愕で塗り潰す答えを残し、二人の姿は掻き消える。


「死者同然の状態であるヒビキを蘇らせる方法なんて、美味しい話がある物かって思ったけど……」

「現実味はあるね。恐ろしく危険だけれど」


 力量が明確に不足している状態で、文字通り命を賭した戦いに身を投じる事となった、異世界の少女の無事を祈るしか、残された二人には出来そうにも無かった。

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