15:示された道は

 世界の勢力図を書き換える怪物『エトランゼ』と『船頭』が直接対峙する、悪夢を現実に描き出した光景が展開される『飛行島』最上層。

 カロンの力でほぼ全てのヒトが地上に降ろされた、崩壊途上の最上層に残されているのはヒビキと気を失ったままのユカリ。そして、戦いの最終盤で乱入して一行を救ったクレイだった。

 両端から放たれる厖大な魔力と、それとまた異なる『気』とでも形容出来そうな何かを浴び、全身の傷が拡大して血が汗と共に身体を伝う。

 ユカリに追従しそうな意識を、彼女と自分では受けた傷が違うと言い聞かせて繋ぎ、震えながらもヒビキは問う。

「……で、アンタ等一体何しに来たんだよ」

「口の利き方は気を付けた方が良いと思うな~」

「乱入者は我等だ、ギガノテュラス」

「時間が無い。望み通り手早く終わらせよう」

 肉食竜と牛頭が繰り広げる会話を遮るように、片翼の白銀龍が双眼をヒビキに向ける。心の臓を鷲掴みにされた錯覚を抱く圧を前に、ヒビキの頬を汗が伝う。

「マジで喋んの? 気イ狂われて死なれたら寝覚め悪いんだが」

「情でも生まれたか?」

「いやぁ、コイツの養父には微妙な借りがあっからな。まぁ、お前がそう言うならオレは反論しねェよ」

 泡に入って浮かぶメガセラウスも、何か諦めたように口を閉ざし後退。

 固唾を飲んで己を見上げるヒト属に、どのような感情を抱いているのか。

 推測を転がす余裕が、多少生まれた時機を見計らっていたように、体と同じく白銀の瞳が瞬いて空気が震える。


「異邦人、ヒビキ・セラリフ」


「……は?」

 ユカリが異邦人と称される事は多々あり、それは動かぬ事実だ。だが、眼前の白銀龍は自分を異邦人と形容した。

 多様な罵倒を浴びて来たが異邦人呼ばわりは初耳で、反論が浮かばず停止したヒビキは、結果的に白銀龍の声に集中する事となる。

 少し離れた所で立つクレイや、後方で浮遊するカロンの悲痛な表情に彼が気付かないまま、重い風と雪が高空を駆け抜ける。

「貴様も、そこで眠る異邦人『大嶺ゆかり』と同一世界の存在だ。『長波響』が正式名となり、出生年代から国まで完璧に一致する。ある意味奇跡とも言える事象だ」

「世界が繋がる事も、そこの『船頭』が余計な事しない限りまず無いし、それが君達の先代ぐらいに都合良く降りてくるなんて、本当に天文学的な確率なんだよね。そういう意味では、君達なかなか面白いよ」

 押し寄せる情報の濁流を、目を白黒させながら辛うじて受け止めたヒビキは、エトランゼ共は自分がユカリと同一世界の存在と認識しており、僅かに目を伏せたカロンの姿で、ハッタリの可能性を消去する。


 では、何故ユカリと自分はこの世界に呼ばれたのか。


 当然浮上する疑問の解も、『エトランゼ』のご高説の範疇のようで、アルベティートの口から淡々と言葉が漏れる。

「数多の世界は、本来不干渉状態を保ち変動するが物事には例外が生じる。世界の繋がりは偶発的に生じ、迷い込んだ者達と繋がりを得たこの世界のヒト属は、異文化の理解以上を求めた」

「……そう、他世界の侵攻をね」

 カロンの補足に『エトランゼ』は肯定を示したつもりか、魔力を放射。それだけで気絶しそうになりながら、辛うじて耐えるヒビキを他所に声は続く。

「二千年前のヒト属は、貴様らの試行とはまた別の手段で、世界の転移を実現させ征服と略奪を試みた」

「で、それを食い止めたのがボク様達って訳。そこの骸骨女にかなーり邪魔されたけどねー」

「どれだけ愚行を犯そうと、この惑星が産んだ生命であるのは同じだ。絶滅を試みるのは間違っている」

「並行主義者は常に理想論しか語らんな。貴様も世界救済を掲げ、異邦人を無駄死にさせ続ける愚者だ」

 超越者同士の問答は、盤面に立てないヒビキにとって時間の浪費に過ぎない。傷塗れの手を雑に振って続きを促す。

「繋がりとそれに伴い生じる世界の変動と不幸な出来事は、この世界の存在だけでは完全に止められない。だから私は『七彩乃架ビフレスト』を用いて異なる世界からの存在を召喚し、繋がりの兆しが見えた場所を、彼らと共に閉ざした」

 異なる世界の存在を呼び寄せていたのはカロン。事実そのものは彼女の逸話から鑑みると驚きは薄い。問題は、事実から繋がる可能性だ。

「なら、俺とユカリは――」

「二千年前我等と対峙した『分かち断つシグナシグナ・ザ・ディバインエッジ』のような例外を除き、カロンは己が呼び寄せた者に特殊な力を与える。本来ならば、その少女もそうなる筈だった」

「その子と同じ世界の子がいたでしょ? 彼に奪われたから、嘗て世界が混ざり合った時、ご先祖様が得た異様な再生能力が異常に弱体化した物しか、その子には持ち合わせがなかったんだ」

 延々と、世界と異邦人についての講釈が続く。辛うじて理解に至る物。そうでない物と様々な種類の言語が飛び交う中で、ヒビキはある疑問を抱く。


 ――俺も異邦人なんだよな。なら、なんで誰も触れないんだ?


 ユカリが本来選ばれた存在で、彼女に与えられる筈だった力が何らかの作為で転がり込んできたのが、イサカワということになる。だが、ヒビキという存在について『エトランゼ』もカロンも決して話題にしようとしない。

 不自然なまでに疎外され続ける時間は、何度目かのカロンの手番に移行した瞬間、終わりを告げる。

「十二年前、私の『七彩乃架』が何者かによって勝手に発動させられ、三人のヒトがこの世界に連れてこられた」

「『七彩乃架』は魔術ってぇより芸術に近い。オレ達でも再現不能な代物を、強引に使えばどうなるか、これは明白な話だ。三人の内二人は転移途中で死亡。もう一人も左眼と右腕、そして左脚を失ってヒルベリアに墜ちた」

「運命に従い貴様はそこで死ぬべきだったが、カルス・セラリフが見つけ出した事で、全てが狂った。世界の変動に立ち向かうべき存在の奴は、貴様を生き永らえさせるのみならず、元の世界に帰す事に拘泥し、無意味な死を遂げた」

「異なる世界の力を身に付けた凡人は、元の世界にも戻れる確率が極めて低下する。君の場合、完全に力が定着しているから、絶対に戻れない。それに、本来持つ筈の無かった力は身体に負担をかけるから死期が極めて近くなる。もう五年保てば奇跡だと思うよ」


 何を言われているのか、最初は全く分からなかった。

 いや、理解などしたくなかったのが正解だろうか。

 異常に速度が低下した思考を強引に駆動して『エトランゼ』の言葉を咀嚼し、ヒビキは彼らの発言を脳内で並べ組み上げ、どうしようもない事実に直面する。


 その一。カロンが選んだのは大嶺ゆかりであり、長波響、即ちヒビキ・セラリフではない。自分は単なるイレギュラーで、本来この世界に居るべき存在ではなかった。

 その二。カルス・セラリフではない本当の両親は、この世界に辿り着く事すら叶わず既に死んでいる。

 その三。カルスの力を身に宿した事で自分は元の世界に戻れず、終わりはすぐ近くにある。

 

 乾いた音が蒼空に響く。


 先んじて再生が成った左手で、痛みを覚えるまで握り込まれていたスピカが、地面に滑り落ちていた。愛刀を手放した状態で、敵対の可能性がある存在に近付けばどうなるか。

 日頃決して切らさない警戒すら忘れて、ヒビキは縋るように怪物共へ声を投げる。

「……全部本当でもさ、そりゃこの世界に来た時の話だ。今の俺は強くなってる。まだ足りないのは分かってるけど、この十か月近くで何度も戦って生き残った。楽に勝てたとも、自分一人で勝ったとも思ってない。でも確かに、俺にも価値はある筈だろ!?」

 後半部は、殆ど懇願に等しい叫びだった。

 普段どれだけ低く見積もっていようが、ヒトは自分自身を完全に無価値と断じられず、誰かからの肯定を無意識に求めている。

 周囲の者が皆価値のある存在と判定され、自分だけが何もないという着地点を他者に否定して貰うべく、ヒビキはよりにもよって『エトランゼ』に求めた。

 首魁のアルベティートを見上げ、目に宿る物が「哀れみ」でも「慈しみ」でもない、只の「嫌悪」

 即ち、ヒトが害虫に向けるそれと同じ類だと気付いたヒビキが硬直。

「自慰行為など無意味だ。貴様が殺害したカルス・セラリフ、ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルスは、他世界に影響を及ぼすことなく世界の変動に立ち向かう為の、最大の切り札と成り得た。……奴等を退場させ、災いを世界に振りまいた貴様に価値などない。真実を手土産に、船頭の征する場所へ消えろ」

 何処までも残酷で救いがない、純粋な真実で固められた言葉の刃は、少年の心胆を余さず切り刻み反抗の意思を奪い去る。 

 地面にへたり込んで脱力し、動けなくなったヒビキを見下ろす、白銀龍の口腔に痛みを覚える程に純粋な白光が灯される。

 魔術や技の形態を執らない只の魔力放射でも、嘗て世界を滅亡寸前まで追い込んだアルベティートが行えば、ヒトは塵一つ残さず消滅する。

 獣の反応を見せたクレイがオー・ルージュを構えて『紅雷崩撃・第一階位ミストラル』発動に移行するが、龍に対して後手に回った彼の動きは、当たり前の話だが無意味に終わる。

 動かないヒビキと、無駄な足掻きを見せたクレイを嘲笑するように、白光は役割を果たすべく伸びる。少年と乱入した狼を呑み込む寸前、水晶の髑髏が光に立ちはだかり、大口が開かれ、そして閉じられる。

「害虫を庇い立てするなど、貴様の思想にも反する筈だが?」

「勝手に使われたと言っても『七彩乃架』の所有者は私。この子を守る責務がある。ただそれだけの事」

 薄い青の髪を靡かせ、身の丈に匹敵する大鎌『刈命者オルボロス』を掲げたカロンが、二人の前に立っていた。彼女の眼前には『虚現攪喰晶顎』で顕現した髑髏が、アルベティートの放った白光を咀嚼し、攻撃能力を持たない只の素粒に変えていく。

「立てるか? ……しっかりしろ、ヒビキ!」

 クレイの呼びかけにも、何の反応も見せないヒビキを一瞥して小さく息を飲み、掲げたオルボロスが降ろされる。

 髑髏の進撃で生まれた綻びを大鎌がなぞり、世界に空の蒼が戻る。『エトランゼ』の攻撃を無効化する、超常現象に等しい光景を描き出した船頭は、オルボロスの切っ先をアルベティートに向ける。

「ヴェネーノに傷を負わされた貴方達なら、五対一でも刺し違える事は出来る。無価値と断じた存在に時間と力を使うのは主義に反する筈。……退きなさい」

 裏など読まずとも、宣戦布告と取れる発言を投げたカロンに、エトランゼの視線が集中し、呼応して放出されている魔力が、最上層の空気を一変させた。

 髑髏を自身の周囲で旋回させ、無数の魔術を体内で回している船頭からも同様に魔力が放出され、クレイが、そしてまだ一度も動きを見せていない男が僅かに身を震わせる。

 刺し違える事は可能とカロンは宣ったが、両者が本気で激突すれば、この場が一瞬で消滅するだけで済む筈がなく、地上にも甚大な被害が生じる。

 二千年前の大戦を通り越し、この惑星の歴史で数度発生した大絶滅が引き起こされる危険すら論じなければならない、まさしく終焉への引き金に指がかかった緊張の時間は、示し合わせたように両者が力の充填を止めた事で終わりを告げる。

 泣き声を上げた空に再度奔った亀裂へ、出現時と丁度逆回しの形でエトランゼが引き込まれていく。精神が崩壊した者の絵のように、輪郭が螺旋を描いて原型を失いながら消え行く途中、冷酷な声が投げられる。

「害虫に死以外の役割があるとするならば、これから先の事象に触れず世界の片隅で息を潜めている事だ。盤面に登らなければ、我等が貴様の前に現れる理由などない」

 空の裂け目は、そこで閉じた。

 理解を拒む怪物の退場に安堵するように、盛大に風が吹き始めた最上層に並び立つ物のない重さの沈黙が降りる。

 下を向いたまま動かないヒビキの目が、痙攣するように四方八方に動き回り、やがてその動きは血晶石で構成された部位の行き来に終始する。

 ――これがあるから、俺は戻れないのか? ……だったら。


 左手で右腕を掴み、力を籠める。接合部が軋みを上げ痛みが生まれる。文字通り身を削る振る舞いで視界が眩み始めると同時に、どうしようもない現実をヒビキは理解する。


 ――元の世界に戻って、俺に何がある?


 長波響とやらが本名らしいが、自分にその頃の記憶はない。両親も死に、親類縁者や友人の記録や記憶も無ければ、それを探すだけの術もない。

 ユカリの持つ倫理観や思考から逆算すると、社会に存在する為に必要な物や、身体の様々な器官が欠落した存在を歓迎する程、元の世界は寛大ではないだろう。

 それ以前に、ここで器官を取り払った瞬間は、死への片道列車に乗り込む時だ。

 身体の大半が機能停止する重傷を負い、未だに意識が戻ってはいないが一先ず危機を脱した様子のユカリにある物が、ヒビキには何もない。

 過去も未来も、正義も悪にも、どの共同体や世界にも居場所などない。ただ死ぬだけが定め。


 それがエトランゼの示したヒビキの「道」だ。


「……知ってたのか?」

「……知っていた」

「アンタじゃない! そっちの船頭だ!」

 クレイの言葉と手を払いのけ、ヒビキはカロンの元へ歩み寄り、彼女の襟元を掴み上げる。

「喚いても事実は変わらない。問えば問うほど心に傷を負うだけだ」

 少年のような男が、始めて発した言葉も耳に入らないヒビキは、無意識の内に『魔血人形』の力を解放。

 返答次第では、偉大な存在だろうが構わず殺害する。

 収拾が付かなくなった感情のままヒビキはカロンを持ち上げ、そして彼女の重い表情に待ち受ける「次」が明確に描かれて動きが止まる。

「『七彩乃架』の不正な発動に気付いたのは八年前。そこで、貴方がどのような存在なのか、どのような道を辿るのかも大よそ読めた。……カルス・セラリフとの別れも、ね」

「どうして殺さなかった。分かってたなら、せめて皆が死ぬ未来も変えられた筈だ」

「異邦人であっても、貴方の命は何物にも代えられない。それに……」

「替えが効かない? おやっさんやヴェネーノ、ユアンやペリダスの意思や願いを踏み躙った俺の命に、どんな価値が、道が、意味があるんだよッ!?」

 カロンの声を掻き消すように放たれた、音程が著しく狂った叫びは、既にヒビキの精神が正気から外れ始めている事を、世界に示していた。

 彼を引き戻す為に必要な物が何か。答えは皆分かっている。


 ただ、その答えを誰も持っていない。単純かつ残酷な現実があるだけだ。

 

 音が、した。

 カロンを掴んでいた手が、言語化不可能な感情を燃料に駆動していた足が脱力し、ヒビキは地面に落ちる。辛くも倒れ込む事は堪えた少年の目は、もはや何処も見ていなかった。

「定めは死のみ? ここまで俺が積み上げた全てが無意味? ……そんなの、おかしいだろ! 誰でも、何でも良い、俺に、何か意味をくれよ!」 


 絶望すら通り越したヒビキの叫びは、誰にも拾われることなく蒼空に溶けて消えた。

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