7:クアンタ

回想:野良犬と王の剣達

 朝靄漂うハレイド中央部。品の良い舗装路を小さな犬が駆けていた。

 注意深く観察すると穴だらけの服を纏う、汚れで元の色がほぼ隠れた金髪を持つ幼児だと気付ける。だが、生を繋ぐことへの執着に染まった、大きな蒼眼を抱く顔の口にパンを咥え、矮躯が持て余す量の冷凍食品を抱えた様は、まさしく飢えた野良犬のそれだ。

 開店前のとある大型量販店に忍び込み、目先の空腹を満たす物と、数日間を凌ぐ物の二種を得て逃走。後は寝床へ一直線。

 家族も定住地も世間からの慈愛の手もなく、期限切れや廃棄済みの食品を日々の糧としている彼にとって、新鮮かつ安全な食品は貴重だ。入手すべく何度も忍び込んでは失敗を繰り返していた。

 そして見事に成功したのが今日。その筈だった。

「――ッ!」

 冷凍食品を放り捨てパンを強引に嚥下しながら、男児は舗装路に身を投げ出す。受け身は失敗寸前の成功。

 次の瞬間、本来の進路だった舗装路に黄金の弾丸が着弾。腕自慢が武器を全力で振るっても砕けない筈の舗装路が微塵に砕かれる様に瞠目する中、舞い上がった塵芥から声が飛ぶ。


「坊やでも犯罪はいけませんよ! この素敵に無敵な噂で噂な噂の美少女が、しっかり成敗してあげましょう! とうっ!」


 引き起こした事象と絶望的に釣り合わない、可愛らしい声が物騒な言葉を放ち、塵芥を引き裂き再び銃弾の如き速力でヒトが飛来。真人間が持つ物全てをかなぐり捨てた出鱈目な動きで男児は回避を試み、そしてゴミ溜まりに顔から落ちる。

 味わい慣れた物が口内に広がる感触もなかなか不快だが、声の主の出鱈目な動きと、堅牢な壁に大穴を開ける破壊力、そして声の主の全貌でそれは意識の端に追いやられる。

 一・六〇メクトル前後の細い身体は、戦闘に著しく不適な白のワンピースに覆われ、そこから伸びる白く細い四肢の内、右肩に刻まれた天駆ける鷹の刺青が異様な存在感を放つ声の主は、どこからどう見ても戦闘に無縁な少女としか男児には判断出来なかった。

「驚いていますね? そりゃそうでしょう、なんたって私は――」

 大きな蒼眼をくるくる回し、腰まで伸びる金髪を揺らしながら、傲然と無い胸を張る少女の語りは彼を無視して続くが、内容を斟酌する余裕などない。

 ルーゲルダと名乗った少女が圧倒的に格上なのは一目瞭然。二度回避に成功したのは幸運でしかない。肌を撫でる魔力量を鑑みると、少女が肉弾戦以外も容易にこなすのは間違いなく、追加の手札を切られると未来は決定する。

 だが、ここで逃走を選んでも相手は追ってくる。振り切れるかは、極めて分の悪い博打だ。

「――さい」

「……であるからして……って、どうかしましたか?」

「うるさいって言ってるんだよ!」

 年齢不相応な絶叫と同時、男児の姿が掻き消える。


 そして、路地裏に紅の雷が生まれた。


「え、ちょ、それ反則……」

 ルーゲルダが言い切る前に雷雲が霧散。一条の紅雷は、少女が展開した『輝光壁リグルド』を削り砕きながら、彼女の脇を駆け抜ける。一切の減速なく、紅雷がルーゲルダとの距離を広げ――

「おっとそこまでだ」

「!」

 爆発的に光量を増した紅光に、路地裏一帯が覆われる。

 ごく短時間だが世界を塗り潰した光が消えた時、乱れた茶髪と灰の瞳を持つ青年が、紅光を生み出した男児の足首を掴んで逆さ吊りにする光景があった。

 逆転の筋道が見えない故動かないが、くすんだ蒼眼に反抗の意思を示している男児の様子に、彼を止めた青年は笑う。

「一つ聞こうか。君、なんで逃げようとした? そこのルルをぶちのめすって選択肢も、君にはあった筈だぜ」

「ご主人、一体どういう――」

「まーとりあえずこの子の答えを聴こうぜ」

 ひっくり返った視界に四つの目が映り、答えない限り事態の進展はないと察した男児は、一縷の望みに縋って口を開く。

「……そこの人は、おれよりずっと強い。いっかい見れば、おれの技をつぶすことだって出来る。そうなったら、なんにも意味がないんだ。勝てない人と戦ったら死ぬ。おれは、生きたい」

「自分を雷そのものに変えられる奴はそういない。今まで生きて来たなら、希少性も分かっている筈だ。奇跡に賭けようと思わなかったか?」

「きせきを信じるのは馬鹿だって、昔聞いた。それに、ころしてしまえばずっと追いかけられる。だから逃げた」

 そこまで言葉を繋いだ瞬間、青年による縛めが解かれ、男児は再び失敗寸前の受け身で着地。痛む節々を抑えながら顔を上げると、悪意のない青年の笑顔があった。

「しょうもないコソ泥逮捕で、凄い奴を見つけたな。皆はどう思う?」

「どう思うも何もハルク、貴方の中ではもう決定事項なのでしょう」

 周囲に滞留していた空気が、不意に割れた。

 四つの人影が、一切の気配や前兆無く視界に現われ、瞠目する彼の顎に細い指が当てられる。

 下手人の吸い込まれそうな深い翠の瞳に射貫かれ、硬直する彼を他所に右側頭部で髪を一纏めにした女性は、まじまじと彼を観察して軽く鼻を鳴らす。

「磨けば光りそうですわね。誰が、という点が重要でしょうけど」

「ハルクの言い方からすりゃ、俺達全員でやるんだろ。ジャック、嫌そうなツラしてるけどお前も手伝えよ」

「家柄だけのボンクラを育てるより楽しいだろ。スズちゃんはどう思う?」

「私は……ええ、良いと思います。この子から非常に強い力と、生への渇望を感じます。この二つを持っている者は強くなる、両親はそう仰っていました」

「君が分かりやすい証明例だもんな。レヴァンダ、異存はないよな?」

「ありませんわ。才有る者を導くのも、高貴なる者の務めでしょう」

 完全に置いてけぼりを食らった男児に、何らかの結論が出たと思しき六人が一斉に向き直る。

「結論は出た。君、俺達と一緒に来い」

「……?」

 意図の読めない、誘いに目を丸くして固まった男児の姿を受け、集団で最も背の高い、仮面で顔を覆った男が青年の頭を軽く叩いた。渋い表情を一瞬だけ浮かべた青年は、頭を掻きながら再度口を開く。

「君に衣食住と教育を提供しよう。俺達が見た可能性を君が提示し続ける限り、それは続く」

「求める物はそれなりに高いが、決して悪かないと思うぜ」

「結論は早く出しなさい。迷っても直観以上の回答は出ませんから」

 畳みかけるように放たれた言葉を、混乱する思考は辛うじて受け止め、内容の整理も即座に為される。

 眼前の集団が何者なのかは知らない上、一瞥しただけで伝わってくるルーゲルダなる少女に勝るとも劣らぬ力から考えるに、彼らが要求してくる水準は途轍もなく高い。途中で捨てられるリスクも多分にあるだろう。

 だが、誘いを蹴った所で、現状のゴミ漁りで糊口を生活を脱せられる可能性は低い。寧ろ、年を経るごとに固定されていく。年齢という濾過機が失われていった時、文字通りゴミ同然な人生の終わり方を迎えるのは疑いようがない。

「……つれていってください。このおれ、クレイトン・ヒンチクリフを!」

 男児、否、クレイトン・ヒンチクリフが力強く発した決意の言葉に、集団が視線を交錯させる。

「随分収まりの悪い名前ですわね」

「偽名じゃないのか?」

「名前はリーパーズのクレイトン・コーファックス。性はグレイバーのダニー・ヒンチクリフから取ったんだろ。捨て子ストリートが自分の本名を覚えてる訳ないだろうし」

「ま、良いや。これからよろしくな、クレイ。その名前を唯一無二にしようぜ」

「はい。……で、あんた達だれ?」

 クレイの言葉に、一言も発していない仮面男と異国情緒溢れる装いの少女を除く、四名が盛大に体勢と表情を崩した。

「皆さんの名前もまだまだ……痛っ!」

「スズちゃん、要らない事言わないように。……じゃ、名乗ろうか」

 青年の声を合図に集団の全員が姿勢を正し、各々の作法で朗々と名乗る。

『最も強き弱者ミスター・ノーバディ』ハルク・ファルケリア。こっちはルーゲ『よろしくですよ、クレむごご……』あー今は静かに」

「『塞崩姫ル・ブレート』レヴァンダ・グレリオン。全てを提供しますから、這い上がりなさい」

「『矛盾粉砕トラディッシュ』ステファン・バニャイア。で、この仮面野郎が『札術士スイッチャー』ジャック・エイントリー・ラッセル。喋らないけど良い奴だからよろしく」

「私はスズハ・カザギリ。まだ二つ名はないんだ」

「候補生のスズちゃん以外の四人とルーゲルダで、一応アークス王国四天王だ」


 アークス王国四天王。


 国王によって人種性別を一切問わず選抜される四人は、ごく少数の例外を除いて国王の守護や軍隊の援護、賞金首の討伐といった任務を単独で遂行可能な実力を兼ね備えている。

 クレイの前に立つ六人の内、四人も例外ではなく、ゴミ漁りの身分でも偉業は時折耳に届く。

 彼等が求める物、それ即ち――

「まっ、難しい話は後にしてそろそろ行こうか。ここで立ち話を続けるのも、視覚的に楽しくないしな」

「まずは現状確認から。気合いを入れておきなさい」

 不安や期待が出鱈目に混じり合う思考を打ち切り、伸ばされたハルクの手を、クレイの手がしかと掴む。


 王歴六七九年三の月九日。野良犬は、狼へ生まれ変わる一歩を踏み出した。


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