3

 熱帯の海に浮かぶグァネシア群島。

 無数に浮かぶ島々で最大の面積を誇るファナント島は、豊富な資源と美しい環境から人々を引き寄せ、世界有数の先端技術研究地帯へと発展を遂げていた。


 しかし、数週間前に島の光景は書き換えられた。


 研究施設と思えぬ美を誇っていた建造物は根こそぎ吹き飛び、瓦礫の山が島全域に点在する光景を晒す。至る所に立ち昇る炎は大地のみならず海にまで届き、無限に広がる紺碧を黒く染めていた。

 断続的に吹き荒れる暴風で舞い上げられた塵芥が陽光を遮り、常夜に支配された世界で不意に爆轟が生まれる。


「『瞬閃竜剣エストーケ』ッ!」


 雄々しい咆哮。赤が瞬く。

 赤光が竜を形成し、轟と吼えて一点に突撃。周囲に立ち込める不浄を祓いながら突き進んだ赤光は、黒曜石の壁に激突して動きを止める。

 動きを止められた赤光は、炸裂という形の解放を求めて膨張。瞬の間に破裂し、島に膨大な赤と轟音を齎して天に消える。

 世界が赤からの回帰を果たした時、島の中心部に人影が一つ。

 数秒前に世界を染め上げた光と同色の逆立つ髪と瞳を持ち、至る所が損傷した革製の衣服を纏う青年が、埃を払いながら立ち上がった。

 杖代わりに用いていた二メクトル近い剣を地面から引き抜いて構え、戦場に不釣り合いな笑みを浮かべる。

「流石に君は格が違うね。ギガノテュラス」

「君に言われてもあまり嬉しくない、ねッ!」

 堆積した塵芥が弾け飛ぶ。

 全身を黒い石柱が彩り、背部の甲殻にはヒトが用いる武器が歪に立ち並ぶ。胸部に刻まれた『五柱図録』の自己主張が激しい二十五メクトル超の地竜。

『黒甲竜』ギガノテュラスは、名を呼んだ男に紫電纏う瞳を向け、聴衆の肺腑を震わせる重低音を放つ。

「ヒトの身で、しかもたった一人でボク様にここまで抗うとは思わなかったよ。ハンス・ベルリネッタ・エンストルム、勇者と呼ばれる君を過小評価していたようだ」

「ずっと過小評価してくれると、ありがたいけどね!」

 言い終わると同時、ハンスが跳躍。一秒前に彼が立っていた地点に、無数の武器が突き刺さり、ファナント島にまた新たなクレーターが生まれる。

 不意打ちを回避した男は、背に『竜翼孔ドリュース』の翼を生み出し空中で急転換。無防備になる瞬間を狙った『鉄射槍ピアース』の豪雨へ、自ら飛び込む。

 当たれば即死。成功率皆無の蛮勇にも関わらず、翼から噴出する圧縮空気で空中に前衛的な模様を描きながら、赤髪の戦士は急速に距離を詰めて行く。

「いやさ、なんで本当に回避出来るのかなぁ!?」

「勘だよ」

 短く応じたハンスが剣を引き絞り、振るう。

 上下左右、或いは斜めと、出鱈目に描かれた斬線は余さず標的に届き、皮膚を裂き鮮血を躍らせる。だが、剣が奔り抜けると同時に傷口が泡立ち皮膚が再生。

 完調状態を守った余裕からか、熱風の吐息を噴出しながらギガノテュラスが旋回。斬撃の余韻で急速反転し、何かに備えるように掲げられていた剣諸共、ハンスの全身を超質量で強かに殴打した。

 胸部から破砕音を響かせ吹き飛ぶハンスの視界に、黒の石柱が忽然と顕現。紫電を放ちながら旋る石柱が『黒曜大天蓋モノピュルゴス』が引き出した物であり、黒甲竜がどのように用いるのか。事象への理解とそれを許した先の把握を成したハンスは予想外の行為に出た。


 焔を宿した目が閉ざされ、鍛え抜かれた両腕がダラリと降りる。


 一見すると、戦闘か正気のどちらかを放棄したと映る光景。

 しかし、ハンスから吐き出される厖大な魔力が両刃剣に渦を巻きながら取り込まれる様は、明らかに常識的見地を否定しており、ギガノテュラスも気付きに至る。

「させるか!」

「遅い。『紅耀貪竜剣エゴイスタ』」

 黒甲竜の背部に突き立つ得物が打ち出されハンスに殺到。男の仕掛けは亜音速で動いた『エトランゼ』の先を行く。

 夜の黒と白夜の銀で構成された刀身が、魔力流入で世界を照らす天球に変化。

 持ち主をも隠す厖大な紅を纏った魔剣を大上段に掲げ、ハンスは一度だけ魔剣を振り下ろす。


 一条の閃光がファナント島を駆け抜ける。


 包囲していた武器が一切の例外なく溶解、消失。暴騰する閃光は咄嗟に防御へ転じさせた『黒曜大天蓋』を突き破りギガノテュラスに到達。科学技術の粋を結集した兵器すら弾き返す、強靭な表皮が泡立ち瞬時に蒸発。肉が曝け出される痛みで身を捩る黒甲竜の眼前に、ハンスが忽然と現れる。

「終わりだ」

 超至近距離の斬撃が黒甲竜に届いた。

 衝撃波が大地を砕き、大海に津波を引き起こす斬撃は食い止められたが、物体同士の激突で生じた衝撃波ギガノテュラスに余さず届き、全てを食らう巨大な口腔から赤い泡が溢れ落ちた。

 ありとあらゆる希望を打ち砕いてきた『エトランゼ』に、明確なダメージを与えた。ヒトの領域を全力で飛び越えた行為を成したハンスに、余裕の色は皆無。

『紅耀貪竜剣』本来の仕掛けである閃光の進撃も、そこから繋いだ斬撃も望んだ結果を得られず、衝撃波で内臓損傷を与えるに留まった。

 傷は間違いなくハンスの方が重い。加えて、どれだけ高みに立とうが、ヒトの肉体強度はエトランゼに届かない。長期戦は端から不可能だが、短期決戦に持ち込む理不尽な火力を出せた者は、人類の歴史を遡っても皆無。

 まごうことなき絶体絶命の状況。先刻見せた余裕無き貌は紛れもなく本心から出た。にも関わらず、ハンスは愚直な前進を選んだ。

「――ッ!」

 耳障りな音を上げて蠢動する皮膚から生まれ落ちた金属塊が、歴戦の戦士の挙動で宙を踊る。

 首を取らんと落ちてきた双剣を変色したままの剣で押し返し、刺突に繋ぐ。五重に重ねられた盾を纏めて貫通した剣が横薙ぎに振られ、忍び寄っていた暗器が粉砕。射出された投槍は、斬撃の余韻で引き戻された剣と接触と同時に溶けて消えた。

 ハンスに剣が応える度、仕掛けが霧散する。厖大な魔力によって即座に補充され途切れる事こそないが、勇者の進撃を食い止めるには至らない。

 金属の嵐へ愚直に前進を続けた果て。不意に訪れた静寂と、五本の凶刃。

「ドラケルン人だろうが、所詮は猿の進化系。純粋な力で叩き潰せば良いッ!」

 超質量で捻り潰す単純かつ合理的な選択に従い、ギガノテュラスの右前肢が落ちる。着弾地点に深々と陥没を。その周囲に亀裂を刻み込んだ一撃は、島全体に超局地的な地震を引き起こす。

 地中に流れる魔力が刺激され、生まれた光の粒子が炎に照らされる事で島が現実からもう一歩離れた。手応えは確かな物、確実にハンスを仕留めた筈だ。

 焦りを抱きながらも、彼我の能力と肉体強度差から導き出した最善手が決まった事実から未来を描き、ギガノテュラスの鼓動と魔力放射が僅かに緩む。


 黒甲竜の頭部が跳ね上がったのは、その時だった。


 巨体故に鈍く、そして軽減される特性の濾過を受けても盛大に響く、未踏領域の痛みで眩む視界で、赤い尾を引きながら飛んでいく己の右前肢を目撃。

 弾かれたように下方へ戻された目に、ハンス・ベルリネッタ・エンストルムが映る事実に、理性を喪失した咆哮が無意識に吐き出された。

 無論、ドラケルンの勇者とて無事では済まない。左腕は捥ぎ取られ、胸部は二つの斬線が刻まれた上、左半身はほぼ圧潰している。着衣共々、脹脛から下は炭化同然に染め上げられた。

 剣を振るう右腕は軽傷に留めたが、一撃を放つことすら困難を極める惨状は、ギガノテュラスにとって勝利を掴んだに等しい。しかし、エトランゼの一撃を生身で受けて耐えるヒト属など未だ嘗て存在しなかった。

 ヒト属で最も頑強な肉体を持つドラケルン人の戦士も、他の種族と同じように薙ぎ払ってきた。つまり、圧潰寸前まで追い込まれながらも、黒甲竜の右前肢を切断した眼前の男は異常に過ぎる存在なのだ。

「君は、一体……何者だ」

 敵に疑問を呈するなど愚かであり、理解せずとも叩き潰せば良い。圧倒的な力を誇る『エトランゼ』達が持つ共通の認識を忘れ、ギガノテュラスが発した問い。

 それを受けたドラケルンの男は、穏やかな微笑を返す。

 安寧な死が望めぬ絶望的な状況から、最も遠い感情を発露させた男は、誕生以来初めて怯えを滲ませた黒の巨竜に視線を固定したまま、ゆっくりと立ち上がる。

「俺はね、嘘つきなんだよ」

「……?」

「八歳の時、ティログエラやエラシオナトゥスを倒すって宣言したけど、当時の俺の実力じゃ到底無理だと周りの人は言った。俺も無理だと分かっていた。けど、やがて嘘は本当になった。著名な戦士と戦った時や、君達との戦いが始まった時もそうだ。

 いつだって戦いに保証なんて無い。それでも出来ると嘘を吐き、現実に変えてきた。嘘は誓い、生きて行く理由になる。だから俺は今も立っている。君達を打倒して、世界を救うって嘘を掲げてね」


 目に宿る光を明滅させるに留め、ギガノテュラスは静かに男の語りを受け止める。


「この剣さ、里のご老人方に威厳が云々で『征竜剣エクスカリバー』って名前を押し付けられたんだよね。嫌いじゃないけど、ファイフと作った時に付けた本当の名前は別にある」

「へぇ。だったら、真の名前は?」

「それは……」

 傷口から黒ずんだ赤が噴き出し音を世界から隠すが、ギガノテュラスは確かにその名を耳に刻み、恐れではなく歓喜で巨体を大きく震わせる。

「君は最上級の馬鹿だ。だからこそ、ここまで来たんだろうけどね」

「『エトランゼ』にそう言って貰えると光栄だ。理解に至った記念に酒盛りでもするかい? 俺は酒を呑めないけどね」

「まさか! 存在価値を等しくする者が出会った時、交わされるのは言葉ではなく力! つまり、この先の未来もたった一つ!」

 ギガノテュラスの全身が弾けた。

 強固な装甲が剥がれ落ち漆黒の鱗が並ぶ、普遍的な地竜の外観に転じた黒甲竜が点をも揺るがす咆哮を放つ。

 ハンスに片膝を付かせた咆哮を合図に、宙にばら撒かれた装甲は一点に凝集し、突撃槍を模した形状で黒甲竜の頭部を覆い隠した。

「『断罪ノ剣アポカリュート』はエトランゼごとに形状が異なる。ボク様の『断罪ノ剣』は一点突破! ヒトの小賢しい知恵など、全て蹂躙してみせよう!」

 処刑宣告と、今までの戦いは茶番だったと錯覚させる程に増幅した圧に晒され、男の全身に刻まれた傷が開く。目まぐるしい速度で生じる破壊と再生で激痛が生まれ、甘美な終わりへ向かおうと身体が揺れる。

「……ッ!」

 精神力だけで身体を捻じ伏せ、踏み止まった男はエクスカリバーを正眼に構える。

 瞑目したハンスの周囲に、剣に宿る物と同色の光が灯る。清浄な輝きを放つ光は傷を癒し、肉体に飛竜を象った印を刻む。

 周囲を徐々に腐敗させていくギガノテュラスに対し、ハンスの立つ地点には焼き払われた植物が芽吹き、彼の直上に限定されるが雲が祓われていく。

『エトランゼ』達は惑星の意思が産み落とした存在と自身を称する。だが、この瞬間に展開されているのは、エトランゼが世界を汚し、ヒトが対照的な光景を描き出す光景だ。

 破壊された自然が回復するには、それこそヒトの侵略が止んで数十年は必要とされるのが定説で、眼前の光景は理から外れている。答えを探すギガノテュラスの目は、やがてハンスの背に固定された。

 沸騰する闘争心を表出させながら笑みを崩さないハンスの背。そこに、彼の物とは異なる魔力の渦が生まれていた。高位の竜すら困難を極める、他者の魔力を身に宿す事象が現実に引き起こされていると、エトランゼは即座に理解する。


 只の幻と受け入れなければ。仮に受け入れるとしても、無視して叩き潰せば良い。


 真っ当な選択を強大な力を身に宿すが故に却下し、敵の切り札の根源を探るギガノテュラスに、生まれた魔力を取り込み続けるハンスの声が飛ぶ。

「俺の誓いは全てを打倒し平和を勝ち取ること。その過程で剣を交え、屠ってきた者達の全てを背負うことだ。誓いを果たす瞬間を見届けるまで、彼等は俺に力を貸してくれる。だから、負ける訳にはいかないんだよ」

 他者の干渉や侵入を拒む、確かな意思が静かに放ち、ハンスは深く息を吸う。


「終わりにしよう。『戦士ニ捧グ誓イノ歌バトルクライ』」


 宣告と同時、両者が動く。

 剣と突撃槍、形は違えど両者の攻撃手段は回避等の徒爾に対する力の割り振りを捨て、愚直に突進する単純かつ凶悪な物。

 片や強靭な後肢で地面を踏み割りながら。

 片や背に生み出した翼が巻き起こす暴風で周囲の木々を破砕しながら。

 複数の天災が同時に訪れたに等しい破壊を連れ、突進する両者は一秒以内で相まみえる。

 得物が悲鳴を奏でながら交錯。二撃目を放つことなく、両者の位置が入れ替わる。

 蒼空を引き裂く悲鳴が消えた頃、口の端から赤を引いたハンスがエクスカリバーを下ろす。突撃槍を真正面から受け、左半身の大半を破壊され盛大に血を吐いた男は破砕音を背で受ける。


「こ……んな、ばか……な」


 ギガノテュラスの頭部。ヒトの技術では精製不可能な強度を持ち、幾億の仕掛けを正面から打ち破ってきた装甲。漆黒の突撃槍に、ハンスが刻んだ斬線を起点に亀裂が奔り、塵芥と化して風に攫われる。

 頭部から尾の先端に達した斬線に従い、ギガノテュラスから夥しい血が噴き上がり、巨体の接合が緩む。勇者の放った斬撃はエトランゼが有する超再生力すら凌駕し、数多の希望を打ち砕いた存在に不可避の死を齎そうとしていた。

 生々しい音を連れ二つに分かたれた巨体が沈む。内臓や補助器官に格納されていた血晶石に至るまで、芸術的な断面図を晒す形で断ち割られた黒甲竜は、足掻くように遠雷の咆哮を放った後、動きを止め、生命を手放した。

 静寂と、不届き者に乱された調和を取り戻さんと、急速に晴れ渡っていく空を認識しながら、エクスカリバーを背負ったハンスは一歩踏み出す。

 そして、勇者はファナント島の大地に身を投げ出した。

 重傷状態で肉体とエクスカリバーに宿る他者の魔力を引き出し、完調時でも激しく消耗する『戦士ニ捧グ誓イノ歌バトルクライ』を発動。ギガノテュラスの突撃を不完全な形だが受けてしまった。

 金剛石をも凌駕する強固な意思と、弛まぬ鍛錬で培われた技術。それらを血肉として数多の死闘を越えてきた力。

 人類の完成形と称されるに相応しい領域に辿り着いた男は、世界が規定する限界を超越して単身『エトランゼ』を討伐した偉業を成したが、彼の身体が耐えられるのはここまでだった。

「届かなかったか……悔しいね、これは」

 色が失せていく世界で、ハンスが小さく呟く。

 嘘を重ね、それを全て実現させてきた男にとって、果たせぬまま終わりを迎えるのは初めての経験だった。 

 事実とどのように向き合い、処理するか。思考を回し、決断をする暇も与えられず、ハンスの灯は弱まり続ける。

「行き過ぎた存在は平和な世界に居場所がない。そうは言うけど、やっぱり見たかったね。大戦後の世界って奴を」

 最期の言葉が死後の行先を規定する。

 幼少期に祖父母から教わった言葉に従う形で、希望を小さく呟いたハンスは、眠るように静かに目を閉じる。一度だけ大きく痙攣して、生きることを止めた。

 三日三晩続いたファナント島の激戦はこうして幕が引かれた。勇者の亡骸は故郷への帰還を果たすことなく島の何処かに消え去り、彼が望んだ大戦後の世界でこの島に辿り着いた者にも発見されることはなかった。


 紅い光が世界に一度瞬いた。


「……ん」

 短く呻き、大嶺ゆかりは目覚める。

 基本的に覚醒速度が早い部類の彼女は、見慣れぬ光景や湿度の高い空気の理由にすぐ着地し、インファリスから遠く離れた場所にいると認識する。

 胸元に熱を感じ、視線を下げる。予想通りとでも言うべきか、ネックレスに括り付けられた紅い石が瞬きを繰り返す様が目に映る。そこに自分がいるような夢は、やはりこの石が齎した物なのだろう。

「ハンス・ベルリネッタ・エンストルムと、ギガノテュラス……」

 嘗て同道した、世界最強の決闘者を少しだけ小さくした外見の男と、世界に狂乱と無数の死を振りまいた怪物の激戦は、紛れもなく二千年前に起きた現実の出来事。

 激戦の残滓に希望を求めて、自分はグァネシア群島にやって来た。友人達も巻き込んだ以上、失敗など絶対に許されない。 

 理解が追い付かない夢を受けて揺れる心に喝を入れ、手早く身支度を済ませたゆかりは部屋を、そして宿を出る。

 入り口前の広場には、既にフリーダがいた。

「おはよう」

「おはよう。ユカリちゃんが二番目か。そろそろ、ライラも起こした方が良いね」

 両手に『破物掌甲クレスト』が装備され、柔軟体操を行う茶髪の少年は既に準備万端といった風情。釣られる形で、ゆかりも旧式のリボルバー『奇現者ワードナ』の確認を行う。

 ヒビキ・セラリフが『魔血人形』の力を解放した戦いの後。最低限でも戦う力を望んだ自分が、彼の助言を得て選び、ライラの手で改造が為された銃は、持ち主の葛藤など意に介することなくただ手中にある。

「あまり気にしなくて良いよ」

 ワードナを無意識に固く握りしめたゆかりに、フリーダはそう告げた。

「分からない程に馬鹿でもないし、リアリストを気取って受容する程に小賢しくもない。……確かに、明かされた事実は残酷で、僕ではどうにもならないことだった。ヒビキ自身が結論を出すべき事だけど、ゆかりちゃんが責任を感じるべきじゃないし、無理矢理どうこうすべきでもない」

 フリーダはヒビキに突きつけられた真実を、クレイトン・ヒンチクリフから告げられている。グァネシア群島へ同行する意思を示した時も、彼の表情はかなり硬かった。

 真実は想像を飛び越える物であり、ライラや自分に伏せたのは少しだけ疑問を抱いたが、今ではその判断が正解なのだろうと理解していた。

「いつかは、分かるかな」

「君はヒビキの分からない事を望まない。掴み取る為にも、ここに来たんだろ?」


 分からない事を望まないとは言い得て妙だ。


 何らかの決定的な事象を経て、どうしてもそうならざるを得ないと着地したのならともかく、現状での決別を望まない存在に、既にヒビキはなっていた。

 元の世界に繋がる可能性を見つける。それがここに来た第一の目的だが、ヒビキについて理解する可能性も、あるのならば得たい。

「……頑張ろうね」

「二人も助っ人がいるんだ。おっと、片割れのお出ました」

「おっはよーっす!」

 やはり少女のそれにしか聞こえない、美しい声で軽い挨拶をぶっ放しながら、ハンヴィー・バージェスが二人に駆け寄ってくる。

「……君、本当にその格好で行くのかい?」

 ファナント島の環境はかなり過酷と耳にしているが、彼の装いは昨日と同じ絶望的に露出過多な代物。おまけに武器は影も形も無い。

 至極真っ当なフリーダの問いを受け、ハンヴィーは悪戯を見抜かれた子供のように無邪気な笑みを浮かべ、両腕を道化の挙動で広げる。

「武器なら……ここにあるぜ!」

 ハンヴィーの両肘を彩る、十の金属製の円環が声を合図に解ける。金属音を発し彼の腕に絡み付きながら伸長した円環は、やがて十の剣に形を変えた。

 持ち主の動きに呼応して一つ一つが稼働し、まさしく蛇の如き有機的な動きを見せる武器は、ヒルベリア出身の二人は初めて見る代物。唖然とするゆかり達の反応に、ハンヴィーは誇らしげに胸を張る。

「『麗睡噛牙ヴァイアー』がオレの武器! 二人が想像しているより、上手くやれると思うぜ!」

 言葉を証明するように、ハンヴィーがその場で跳躍。空中で体勢を変え、ヴァイアー共々一回転。


 大気が幾重にも切り裂かれる音と暴風が、周囲一帯を支配した。


 煽られ暴れる髪と服を抑え、どうにか開けたままに出来た目に、ハンヴィーの姿は映らない。慌てて視線を動かすと、五階建て程の集合住宅の屋上に立ち、そして飛び降りる少年の姿をようやく捉えた。

 十メクトル近い高度からの降下にも関わらず、無音かつ乱れなき着地。どれだけ低く見積もっても、自分達の中に身体能力で並び立てる者はいない。

 理解し小さく喉を鳴らしたゆかりに、してやったりと言わんばかりに笑うハンヴィーだったが、不意に何かを探るように黒瞳を宙に彷徨わせる。

「ごめんごめん、遅れた……」

 そして、榴弾発射器を背負って目をこすりながら降りてきたライラを目撃するなり、指を打ち鳴らしてゆかりの手を取った。

「思い出した! オヤジがユカリ達に話したい事があるって言ってたんだ! ちょっと来てくれ!」

「ちょっ……」

「待ち合わせに遅れるけど……いいのかい?」

「多分大丈夫だ!」

 何の根拠も無いが、力強く断言したハンヴィーに連れられ、一行はバディエイグ市街を右へ左へ駆け抜ける。どれだけ角を曲がったのかが曖昧になり始めた頃、ハンヴィーの足が止まった。

 統治機構や観光者向けの区画はハレイドに比肩するが、それ以外の区域はヒルベリアを少々小綺麗にした程度。コンクリが剥き出しの粗雑な建物が到着した区域の大半を占める光景が、仕入れた情報を肯定していた。

 建造物に関する法律に引っかかっていないか。余計な心配を抱かせる代物も多数存在する中で、忽然と現れた煉瓦造りの建物は異彩を放っていた。

「オヤジ、連れて来た!」

 開錠しながらそう呼びかけ、扉を開けたハンヴィーはゆかり達に入るよう促す。だが、彼自身は三人の後を追おうとはしなかった。

「なんかさ、オレには話せない内容なんだって。待ち合わせの時間はオヤジには伝えてるから、安心して話してくれよ」

 扉が閉ざされ、手を振るハンヴィーの姿も見えなくなる。見知らぬ民家に放り込まれた一行は顔を見合わせるが、すぐに話を聞く方向で意見の一致を見た。

「あちらさんからの招待だしね、多分良い話が聞けると思うよ!」

 ポジティブなライラの言葉に背を押される形で、ゆかりは扉をノックする。

「お入りください」

 取り立てて特徴の無い声が返され、それに従って三人は部屋に踏み込んだ。

 最初に飛び込んできたのは、巨大な骨格標本だった。 

 零れかけた悲鳴を封じ込め、ゆかりは深く呼吸する。両隣の二人も微妙に引き攣った表情を浮かべている事に少し安堵しながら、骨から目を逸らして部屋の全体を観察する。

 左右の壁には、二階部分を突き抜け天井まで届く本棚と、生物の骨格標本が並ぶ。それら全てが蛇の物と気付いた時、執務机の前に立つ人影に気付く。

 白が混ざり始めた黒髪を持つ、バディエイグ国民の平均から外れた顔は、どことなく羊を思わせる。ハンヴィーとは対照的に、糊の利いたシャツと黒のパンツで露出を抑えているが、垣間見える肌は彼とは全く異なる色を持っていた。

「独立記念大学で生物学を教えている、フラヴィオ・バージェスです。使命を持つ旅の途中に、ご無礼をお許しください」

 丁寧な名乗りに恐縮しながら、ゆかり達も名乗る。

 何らかの道具を多用した事で出来たのであろう、タコが目立つ手で応接椅子を示され、三人は腰を降ろす。

「何か苦手な物はありますか?」

「……虫、以外は何も無いです」

 ライラの苦い声。昨日のコラクテラを完食する事は出来たが、好きにはなれなかったようだ。

「土地の文化を受け入れる事が余所者の使命ですが、あれは私も慣れません」

 素直な答えが良かったのか、穏やかな笑みを浮かべたフラヴィオが水で満たされた杯を差し出す。礼儀として口を付けた後、ゆかりが切り込む。

「無礼を承知で聴きます。私達を呼んだ目的はなんですか?」

 息子(?)に付き合ってくれてありがとうと告げる為だけに、相手が呼ぶ筈もない。聞き手を絞った事から考えるに、後ろ暗い話が飛んでくる可能性は極めて高い。

 確信に近い推測で問うたゆかりの視線を、壮年の研究者は蜂蜜色の目で真っ向から受ける。ゆっくりと両手を掲げ、顔の前でそれを合わせて口を開く。

「皆様は、蛇神伝説をどこまでご存知ですか?」

「……概要程度です。嘘か本当か、議論が出来る程の知識はありません」

 ハンヴィーがそれなりに特別視されている事実がある以上、下手な発言は命取りになりかねず、ゆかりは無難な回答に留める。


「警戒は不要ですよ。私も信じていませんから」


 その危険な言葉を当のバディエイグ国民から受け、思わず椅子から身を乗り出しそうになる。ライラやフリーダも似たような反応を示したのを見て、壮年の男は小さく頷いて左手を振った。

 応接机に淡い青が灯り、五頭の生物が映し出される。飛竜と地竜。鮫と巨大鳥。そして牛頭のヒト型生物という役者達は、場の全員に覚えがある物だ。

「エトランゼ、ですか」

「その通り。多数の生物が混ざり合いヒト型を形成するカラムロックスを除き、彼等は生物が特異な進化を遂げた、この惑星に根差した生物なのです」

 何故か学術的な講義が始まった。時間が無いと断る選択もあったが、相手の様子を見る限り、予め準備していた話なのだろう。約束の時間に遅れる事もないと判断し、一行はフラヴィオの声に耳を傾ける。

「惑星で最初に誕生した脊椎動物の進化がメガセラウス、次いでギガノテュラス。地竜から派生した飛竜の頂点に立つアルベティートと、爬虫類から分岐した鳥類のセマルヴェルグが続き、最後がカラムロックスになる。これは二千年前の大戦で彼等から語られた事実です」

「龍と称されるアルベティートが最古と教わりましたが、そうではないのですね」

「断絶無き、つまり誕生から現在に至るまで生命活動を停止していない。という観点では、その認識で間違いないでしょう。アルベティートは唯一敗北を喫していませんから」

「あれ、そしたらあの模型おかしくないですか? 鮫にあんな沢山の骨は無いでしょ?」

「討伐されたメガセラウスの解剖図を元に組み上げられた物です。不正解の箇所も存在しているでしょうが、現代以上に高い技術が存在していた二千年前の記録。無下に扱う訳にはいきません」 

 フリーダやライラの言葉と、それに対するフラヴィオの答えについて、ゆかりは今一つ理解に至らない。ただ、ライラが示したメガセラウスと思しき骨格模型には、帰省時に立ち寄る水族館に展示されていた物とは確かな差異がある。

 ――鮫は、確か脊椎以外殆ど無いんだっけ? この模型は、普通に見たら鮫に見えない。どちらかと言うと鯨に近いような……。

「エトランゼ達は既存の生物から、分類や生息域が同じ生物の特徴を取り込んで唯一無二に昇華した存在。だからこそ、今に至るまで圧倒的な影響力を残している。それと比較すると、群島に伝わる蛇神の伝説は脆弱かつ、危険な代物です」

 

 ここからが本題だと、ゆかり達が身構える。


 フラヴィオの手が振られ、机上のエトランゼが消失。代わりにとぐろを巻く二頭の蛇が姿を現した。全体的には図鑑で見たニシキヘビを肥大化させたように見えるが、骨が変質して生まれたと思しき背の棘を筆頭に、順当な進化から外れた部分も多数存在する様は、エトランゼに近い何かを感じさせた。

「惑星を支えた話を始めとする数々の逸話は、伝承にありがちな過大な話。ですが二頭の大蛇は実在しました。伝えられる姿と実態は大きく異なる物でしょうが」

 簡潔極まるコルヴァンの語りでは、二頭の蛇は世界に知恵や力を授けたとされていた。言うなれば伝道者の立ち位置と異なる、となれば、想像出来る立ち位置はそう多くない。

 映し出された幻影の蛇達に、酷く不吉な予感を覚えながら、ゆかりはフラヴィオの語りを待つ。

「大陸から切り離された地形上、この群島には独特の生物が多数存在していますが、史上最大の蛇『タイタノア』を上回る大きさ、十八メクトル以上の蛇が生息可能な環境は無い。存在したとしても、真っ当な生物なら数年も保ちません」

「では、二頭の蛇は人類が意図的に持ち込んだ存在。そう考えているのですか?」


 フリーダが示した、常識的な着地点はあっさりと否定された。


「文献が第一資料となる貧弱な理屈ですが、領域を積極的に侵す形でのヒトへの加害行動や、過剰な捕食行動。低温下での活発な行動といった、基盤となる生物が持っていた性質の喪失といった要素から鑑みると、魔力形成生物に近いと言えるでしょう」

「ボブルスみたいなものですか?」

「その通り。二頭の蛇は時折生まれ落ちる破壊者に過ぎない。これが私の結論です。そして、蛇の持つ悪意と力は今も尚ファナント島に残留している」

 フラヴィオの手に力が込められる。ここまでは御伽噺の種明かしだったが、この先が自分達を招いた本当の理由だろう。

 壮年の男の視線が、机に置かれた幼子の写真に向けられる。全身を覆う刺青から被写体が幼い頃のハンヴィーであり、話の主題も彼にまつわる物。

「察しておられるでしょうが、ハンヴィーは私の実子ではありません。ロザリスで生まれ育ち、この国に流れ着いた私に血縁上の家族は誰もいない」

 ロドルフォ・A・デルタが支配する、アークス隣国の名前が出た事に、ゆかり達は驚きを隠せない。国を出た理由は語られなかったが、現在の支配者との学生時代の思い出を少しだけ差し挟んだ男に影はなかった。

 遠く離れた地で食事を摂っていた、ロザリスの支配者が大きなくしゃみをした頃、フラヴィオの表情と纏う空気が引き戻される。

「ある雨の日。半身をほぼ無くした父親に、買い物帰りだった私はあの子を託されました。『こいつが母親を食らい、俺も食おううとした。頭の良いアンタなら、どうにか出来る筈だから処分して欲しい』と言い残し、父親は事切れました」

「!」

「もう十六年あの子と暮らしていますが、父親が言い残した凶暴性は見た事がありません。身に刻まれた刺青や、高い身体能力と膨大な魔力は確かに特異ですが、信仰対象である事を悪用せず善良に育ってくれました」

 言葉が紡がれていくに連れ、フラヴィオには暗い物が宿り続ける。口を引き結んで聞く他ないゆかり達を他所に、継承者の養父の語りは終わりへと向かう。

「ですが、二頭の蛇が眠る場所にあの子は今日旅立つ。強大な力はヒトの意思を容易に蹂躙します。もし、あの子が力に呑まれる事があったのなら」

 一度言葉を切り、フラヴィオは屋上を見上げて何度も深い呼吸を繰り返す。


 今すぐこの家を出ろ。


 ゆかりの本能は告げていた。眼前の男が発する締め括りの言葉は容易に予測出来た。現時点でも、身に余る物を背負って立っている。更なる荷を積み上げることは悪手以外の何物でもない。

 彼女の内側に確かに在る、利己的な感情は一切の装飾を捨てて訴えかけてくる。

 しかし、フラヴィオ・バージェスが持つ昏く切実な意思は、同様の危機感を抱いたライラやフリーダすら縫い止め、逃走の選択肢を封じ込めていた。

 硬直したままの三人に、フラヴィオの痛切な願いが届く。


「その時は、あなた達の手であの子を止めて頂きたいのです。……どんな手を使ってでも」

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