13:夢が、産声を上げて

「ヒビキ……君?」


 蒼光と共に現れた少年の名を、ゆかりは辛うじて絞り出す。

 もう一度声が聞きたかった。もう一度会いたかった存在が眼前にいる。

 願いは確かに叶ったが、最悪の局面に現れた事実をどう捉えるべきなのか。混乱するゆかりの問いを受けた少年が振り返る。

 今更見間違える筈も無い。そこに立つ少年の顔は、ヒビキ・セラリフ以外の何者でもなかった。

「その……痛ッ!」

 小指ほどの大きさの石を頭に受け、ヒビキの言葉が途切れる。

 石が飛来した方向に目を向けると、蒼光の作用で最低限の回復が成されたフリーダが、投擲姿勢で力なく笑っていた。

「遅い」

「……悪かったよ」

「けれど、信じていた。……彼は強い」

「見たら分かる。けどな」

 蒼光を左目に灯し、ヒビキは中性的な顔に戦意を滲ませる。

「来ました。けど負けて救えませんでした。なんてオチを、俺は許せねぇよ」

 宣言と同時。ヒビキはコルヴァンの眼前に顕現を果たす。

 

 ――速い。


 場の誰もが息を呑む中『蒼異刃スピカ』がはしる。

 抜き放たれた蒼は、ハングヴィラスに真っ向から食らいつき、堅牢な刀身を削り取って駆ける。

 反撃に移行される前にスピカが翻り、刃に蒼光が灯る。迎撃を選びかけたコルヴァンが、厖大な魔力を読み取り一気に後退。

 スピカが再度振り抜かれると同時、室内が蒼に塗り潰された。

 視界は皆無だが、耳を聾する轟音で建物が破壊され、隙間から届く連鎖的な金属音から、戦いが止まっていない事実をゆかり達は認識する。


 観劇者達の目が光に順応を果たした時、両者が得物を目まぐるしく絡め合う様が在った。


「君は……何者だ!?」

「言ったろ、ヒビキ・セラリフだって。補足するなら、無所属だッ!」

 獰猛に笑い、ヒビキは足を狙った下段斬りを撃ち込む。跳躍で回避されるが、死角から滑り込んだ掌底がコルヴァンの顎を打つ。口から歯の破片を散らして回る男の靴底。組成式の光が灯され『奇炎顎インメトン』が発動。スピカで炎を払うが、暴風に巻かれ体勢が乱れる。

 反撃の狼煙とばかりに打ち出されたハングヴィラスを、宙に浮いたヒビキは義手で受ける。巻いた布が引き裂かれ、顔を覗かせた蒼を白刃が滑り異音が発生。飛散する蒼と黒を吹き払い、スピカが形態変化。

 予備動作無しで『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』が発動。ゼロ距離から放たれた水槍を、継承者は体内から吐き出した骨の盾で辛うじて食い止める。

 肋骨の損傷に被害を抑えたコルヴァンは、異刃に回帰して繋がれた飛燕の斬撃を連れ戻したハングヴィラスで受ける。

 

 刃の絶叫が耳を劈き、押し込まれた蒼刃が掠めて顔面の皮膚が裂け、膝が折れる。

 

 生まれた隙に、スピカが潜り込む。激流を纏った突きを跳ねて回避。刀身が纏う高圧噴射される水が掠め、脇腹の肉が吹き飛んで赤が散る。

 痛みで顔を歪めたコルヴァンだが、スピカが壁に突き刺さる様に反転。膨張した右腕をフル稼働させて、大上段からハングヴィラスを叩き込む。

 白磁の床が爆散。舞い上がる瓦礫と塵芥が打撃の威力を世界に示し、観劇者達の臓腑をも震わせる激震が齎される。逃げ場は無く、斬れずとも純粋な重量で圧死する。

「マトモな思考なんざ置いて行けよ。アンタの力だって、そうなんだから」

 実に真っ当な予測を、塵芥と共に振り払ったヒビキが出現。ハングヴィラスの上を駆ける最中、伸ばした右手に壁から飛来したスピカが収まる。

 ハングヴィラス共々後退する中で、ヒビキが跳躍。


「『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ッ!」


 流星の速力で旋ったスピカが、コルヴァンの胸部に命中。装甲からその下に存在する皮膚と肉まで。肉体強化の魔術すら無に帰す斬撃の舞は、屈強な男に赤の華を咲かせた。

 後退の過程で無数の斬撃をマトモに浴び、バランスを崩したコルヴァンは壁に激突して血を吐く。終わらせる絶好機を前に着地し、追撃に動きかけたヒビキ。

 彼の足が、何の前触れもなく止まった。ヒビキの目が向けられた生身の右足。ズボンの裂け目から赤が滲む。攻撃を受けた箇所では、なかった。

 

 では、何故? ゆかりが抱いた疑問は、すぐに解けた。


『エトランゼ』から『何か』を伝えられて自室に篭もっていた頃、ヒビキは自傷行為をしでかしていたとフリーダから聞いている。行為の痕跡が右足にもあり、それが開いたとしたなら。

 前進しかけたゆかりを、いつの間にか傍らに来ていたハンヴィーの手が止める。

「加勢はしたいけどさ、多分オレ達はあの領域に辿り着けない」

「でも!」

「ユカリの好きな奴なんだろ? そんなら、大丈夫だ」

 二人を他所に、戦場を作り出した男達は動きを止めていた。

 得物を杖代わりにコルヴァンが立ち上がり、右足の負傷で止まっていたヒビキも、スピカを構えて静止。

「君は……何を見た?」

 問いの形を取っているものの、既に解したような口ぶりの言葉。対するヒビキは、肩を竦めて応じる。


「アンタの予想通りだ。――――を見た」


 崩落音に呑まれ、ゆかり達にヒビキの声は届かない。だが、余さず捉えた男は鉄面皮を歪めた。

 哀れみ、畏怖、同情。様々な感情が駆け巡っていたのは、一瞬のこと。

「あの方と同じだ。何かを成すには、見なければならないのだろうな」

「あの方が誰だか知らないが、器を超えた願いを叶えたいなら、そうするしかないんだよ。こうして、俺達が殺し合ってるのと同じだ」

「なるほど、実に道理だ」

 ハングヴィラスが砕け散り、身の丈ほどもあった刃が前腕部程度に縮む。蛇の力を得ようと、術技をフルに使う戦闘を長時間展開した結果、コルヴァンも限界が近いのだ。

 体勢を低く取り、ヒビキも最後に向けて身構える。

「そんじゃ、やろうか」

 歌うようなヒビキの声。


 そして、戦いは再び動く。


 ヒビキが放った刺突を左腕で払い、ハングヴィラスが『焦延留炎』を吐き出す。マトモに浴びた少年は、半身の発火を無視して回転。連動して回ったスピカの柄が、コルヴァンの側頭部を打つ。

 蹈鞴を踏んだ男に、体勢を整えたヒビキはスピカを一閃。

 右腕と、ハングヴィラスが天へ追放。劣勢に立たされたコルヴァンは、咄嗟の判断で『剛錬鍛弾ティー・ツァエル』を紡ぐ。距離があまりにも近く、自滅を避ける為か威力が絞られており、直撃したヒビキは左腕をへし折られたが、身体は原型を保っていた。

 だが両者の距離は強引に開き、瞬の停滞はコルヴァンに再生の猶予を与える。

 蛇の動きで低空を這うハングヴィラスが、ヒビキの右足に食らいつく。傷口を抉られ苦鳴を零しながら強引に前進。判断ミスを悔やむように、傷を更に攪拌して剣が引かれるが、喉笛が切り裂かれる。

「……!」

 驚愕に塗られ、口を開閉させながらも、コルヴァンは勝利を掴むべく剣を振るう。密着状態故、多少の乱れがあろうが攻撃は届く。ヒビキにせよ、消耗で大がかりな仕掛けは難しい。

「おおおぁああああああッ!」

 獅子吼を上げ、最後の力を振り絞った男の手に衝撃。両腕の断面と、血飛沫が目前で踊る。赤に染まりつつある目がヒビキの胸から外れ、仄かな輝きを放ち、振り切られた姿勢の右腕に引き寄せられる。ここまでの戦いに於いても、右腕とスピカの掛け合わせで奇術染みた挙動を見せていた。

 原理を読み取れずにいたものの、この状況で一瞬でも武器を手放す暇を作る筈がない。常識的な視点を持つ男は、紛れもなくそれによって敗北を決定付けられた。


 バキン、バキンと破砕音が生まれる。


魔血人形アンリミテッド・ドール』の肉体強化を左腕に絞り、強引に加速したスピカが大上段に掲げられ、破壊された天井から届く陽光を反射して怜悧な輝きを放つ。

 踊る赤すら覆い隠す蒼光を、コルヴァンはどのように視たのか。

 答えを得ぬまま、ヒビキは宣告する。

「悪いな。これで終わりだ」

 

 蒼刃一閃。


 持ち主の意思を映し出すかのように、一切の迷い無く駆けたスピカは、コルヴァンと彼が纏う魔力を切り裂いた。

 振り子のように何度か揺れたコルヴァンは、やがて床に倒れ伏す。敗者など無価値と判じたのか、蛇から力が再び与えられることもなく、只々男は死に向かう。

 スピカを納めたヒビキは、纏っていた高揚を霧散させ、黙したままその場に膝を折り、コルヴァンの目を見据える。

「負けて、死ぬ。結末は……常に無慈悲だ」

「アンタが勝つ未来もあった。戦いの結末なんて、誰にも見えないんだよ」

「それも勝者の論理だ……冥土の土産に教えてくれ。君はどこまで、君のあり方を通す?」

「決まってんだろ。辿り着くまでだ」

 ヒビキの力強い宣言を受け、宿っていた何かが切れたように鈍色の瞳が緩む。ゆかり達が目撃し得なかった打算なき笑みを浮かべ、コルヴァンは大きく息を吐く。


「その意思は、本当に、良いな。君達の旅路を、見届けられない事を、心底悔やむ。……生き延びろよ」


 途切れ途切れの言葉を吐いて、一際大きく収縮した後、コルヴァンの動きが止まる。目から光が消え、全身が弛緩する。苛烈な意思を貫かんと走り続けた男は、生きる事を止めた。

 継承者の瞼を閉ざし、ヒビキは立ち上がる。右足を引き摺り、途中何度も体勢を乱しながらも、ゆかりの前に辿り着いた少年は、何度か深い呼吸を繰り返す。

「その……うん……何というか……」

 戦闘時に見せていた、揺らがぬ決意と闘争心に満ちた姿はどこへやら。年相応、以上に頼りない側面を表出させたヒビキの姿は、人によっては情けないと映る筈だ。

 けれども、大嶺ゆかりにとってそれは、ヒビキの根幹が変わっていない。即ち、彼女が待ち望んでいた少年が、帰還したことの何よりの証明だった。

「謝って許されるものじゃないのは分かってる。けど、色々ごめんな」

 拙いヒビキの謝罪。そこに詰め込まれた感情に、ゆかりが持っていて、そして堪えていた何かが切れた。

 ヒビキの身体が揺れる。彼の胸に飛び込んだゆかりは、そのまま顔を埋めて身を震わせる。

「言いたい……ことは、沢山、ある!」

「そりゃぁ、うん、そうだよな」

「でも、今は、来てくれて嬉しい。この先も、一緒に居てくれるなら、もっと!」

 崩壊しつつある言葉と、そこに籠められたゆかりの意思を解し、ヒビキの目が見開かれ、戦闘時に持っていた輝きに加え、別の感情に基づいた光が灯る。

 当人以外に読み取れない光はすぐに失せ、ぎこちないながらも笑みを浮かべたヒビキは、震えるゆかりの背を軽く叩く。

「……俺は」

「あっ、ヒビキちゃんがユカリちゃんを泣かせてる!」

「てぇッ!」

 声と同時、ヒビキが吹っ飛んだ。床に投げ出されたヒビキにライラが飛びつき、ふざけた調子ではあるが何度も拳を入れる。

「カッコ付けて出てくるならもっと早く来てよ! 本当にヤバかったんだから!」

「そんな都合よく調整出来たらしてるって! 痛ぇ、そこはマジで止めろ! フリーダ! ニヤニヤしてないで助けろ!」

「今回ばかりは助ける訳にはいかないね」

「この野郎!」

 重い空気を吹き飛ばすように、間の抜けたやり取りと、掴みかかられて悶えるヒビキの構図は暫し続く。締まらない気もしないでもないが、この光景は、ゆかりが取り戻したかった物の一つだ。

「なんつーか、友達って良いもんだな」

 少しだけ離れた立ち位置の、ハンヴィーが零した言葉に首肯を返し、ゆかりは涙を拭いながら、久方ぶりに心からの笑顔を咲かせた。


                    ◆


 喧噪が一通り落ち着いた頃、破壊された空間から立ち去る選択を、五人は下さなかった。

 二頭の蛇神に関する伝説は、最悪の形ながら答え合わせが成された。一方、ゆかり達がここに来た理由である、二千年前の逸話が遺した力とやらは、未だ何も掴めていないまま。

 コルヴァンの遺体をウラプルタに移送する事と、全員の消耗を踏まえると時間的猶予は少なく、探索範囲も限定される。

「だったら、ユカリとハンヴィーが二人で何かすれば良いんじゃないか?」

 ここまでの経緯を聴いたヒビキの提案は、単純な物だった。

「カロン曰く選ばれし者と、正真正銘この島に纏わる伝承を継いだ奴がいるんだ。二人が持っている力を……そうだな、どっちの話も戦いで終わったんだから、思いっきりぶつけてみるとか?」

 かなり乱暴な手段だが、不思議とゆかりもハンヴィーも何らかの反論をする事も無く、実行に移すことが決まった、

 五メクトル程離れた位置に相対して、ゆかりはもう一度紅華を構える。

「タイミングは任せる。好きに来てくれ」

 半壊したヴァイアーを掲げたハンヴィーを見据え、右腕から刃に流れる力を整える。過ぎれば相手が、及ばねば自分が危機に陥る。ヒビキを含めた三人が固唾を飲んで見守る中、ゆかりは紅華を振り抜いた。

「――ッ!」

 紅の波濤が放たれると同時、ヴァイアーも十字を描く形で振るわれ、毒々しい紫色の波濤が床を駆ける。


 両者の丁度中間点で光は激突。そして、空間が砕けた。


 極彩色の光が弾けて、消える。目まぐるしく繰り返される現象の中に、焔を想起させる赤がポツリと生まれた。

 生まれた赤は消えることなく拡大していく。生命の誕生にも等しい荘厳な空気を引き連れ、拡大を続けた赤は、やがてヒト一人が侵入可能なサイズまで成長した所で動きを止めた。

 両者共に武器を降ろし、荒い息を吐きながら赤を見つめる。

 生命体のように緩やかな収縮を繰り返す赤は、神々しさを感じさせるが、同時にそこはかとない死を内包している事を、場の者全員に隠すことなく伝えていた。

 提案に乗って、確かに変化は起きた。しかし、この先はどうする?

「門を開く者が現れたか」

 問いを投げようとした時、聞き覚えの無い荘厳な声が赤から響く。

 蛇神の反動からか、ヒビキ以外の全員が即座に身構える。その様が見えているのか、赤が微かに震動。愉快そうな声が続く。

「我は『船頭』から伝書鳩の役割を与えられたに過ぎん。選ばれし者よ、恐れず此処に来るが良い」

 唐突な指名に、ゆかりの肩が跳ねる。望み通り兆しは見えたが、これは罠では無いのかという疑問も消えない。躊躇を見せたゆかりの前に、ヒビキが立つ。

「いきなり出てきて、一人だけ来いってのも変だろ。全員か、それか後一人だけでも同行は無理か?

「不可能だ。真実を知るとは時に毒と成る。無意味な犠牲者を、我は望まん」

 提案は、無情にも却下される。思うところがあるのか、ヒビキは反論を重ねることなく下がる。彼の姿と、纏う感情を朧気ながら読み取ったゆかりは、入れ替わる形で踏み出す。

「ユカリちゃん!」

「大丈夫。ちゃんと帰ってくる。殺したいのなら、ここに来た時に殺しているし、わざわざ名乗りもしないと思うから」

 ライラの制止を振り切り、残る三人に目を向ける。

「ユカリなら大丈夫だって! いざとなったら、オレも飛び込むからさ!」と、ハンヴィーは親指を立てる。

「ハンヴィーだけじゃない。僕達も行く。それに、このままやらないよりはずっと良い」とフリーダは頷く。

 そして「ユカリの決めた事なら、それがユカリにとって最善だ。うさんくさい奴ぐらい、簡単に倒せる力ももう有るしな」という、ヒビキらしい雑だが力強い言葉を背に受け、ゆかりは踏み込む。

「待って……って!?」

 

 力強く一歩を踏み出した時、ゆかりの足から接地感が消失。即ち落ちているのだと気付いた時には、盛大に身体を打ち付けていた。

 痛みに暫し悶え、多少引いた所で慌てて立ち上がる。周囲に広がる光景は、先刻までいた空間以上に純度の高められた白で覆われていた。

 床・壁・天井。それらの概念は自身の位置で辛うじて把握出来るが、ずっと滞在していると、やがて失われるのは間違いない。

 声の主を探そうと目を彷徨わせたゆかりは、すぐに赤の塊を捉える。

「あの……」

「来たか。貴様が……ん?」

 荘厳な声が、若い男の声に切り替わる。僅かな音の中に籠められた感情には、確かな困惑。

「えぇと、君が選ばれし者? カロンが言ってた?」

「はぁ、一応……そういうことらしいです」

「良い目してるけど、こんな普通の女の子だったなんて。まいったなぁ、調子狂うなこれ」

 一気に人間臭さを増した声が連続で放たれ、赤が蠢く。呼ばれた側のゆかりが罪悪感を抱く程の停滞を経た後、赤が一度大きく収縮。

「仕方ない。どうにも本物みたいだし、君も時間を無駄にする余裕はない。やるか!」


 転瞬、ゆかりの視界が赤に染まる。


 視界に再び白が戻った時、彼女の眼前に一人の男が立っていた。

 一・八メクトル強の肉体は細身だが引き締まり、古風な皮の戦闘服に包まれている。逆立った赤髪と、同色の瞳は快活な印象を抱かせるが、全身を纏う闘争心は間違いなく戦士の持つそれだった。

 世界最強に手を掛けた男の面影をどことなく想起させる青年は、年齢不相応な落ち着いた表情を浮かべて名乗る。

「はじめまして。俺はハンス・ベルリネッタ・エンストルム。二千年前にこの島で死んだドラケルンの戦士にして、選ばれし者の為の伝書鳩やってる男だ」

「私は……」

「あぁ一応君のことは知ってる。俺の後継者とも結構付き合いあるみたいだしね。三人中二人と付き合いがあるなんて、なかなか貴重な体験してるよ」


 二千年前に散った男が、自分の事を知っている。


 緊張と不信感を露骨に滲ませたゆかりを見て、ハンスは慌てたように手を振る。

「細工はしてないよ。ファイフと、奴の子孫が作った剣の記憶は流れ込んでくるし、然るべき時に備えてカロンから情報は受けている。それだけだ」

 ケブレスの魔剣に、記憶能力と伝達機能がある。この事実にも驚きは隠せなかったが、後者に比べればそれは些事だ。


 然るべき時に備える。


 ハンスの言葉を丸飲みするのなら、ここまでの事態は全てカロンの、もしくは彼女の力を悪用した誰かの掌中でしかなかったということだ。

 ここまで積み上げた全てに対して、虚しさが掠めなかったと言われれば嘘になる。だが、掌の上であろうと生き延びたのは動かぬ事実。悔やんだり、厭世観に浸るのは後でも出来る。

 意を決して、ゆかりは問いかける。

「あなたは、私に何を伝えようと言うのですか?」

「世界に纏わること。そして、運命についてだ。知ってしまえば、翻弄されるだけの弱者って肩書きは捨てなきゃならないし、君も本当の意味で盤面に立たされる。それでも」

「構いません」

 説得を遮り、ゆかりは強く断言した。

 既に事態は動き始めている。今更逃げられる筈もなければ、そのつもりもない。ならば、得られる情報は全て手に入れて、今後の糧にする事が最善の選択になる。

 そして、飛行島から帰還した後、関係を遮断したヒビキも口にしていた「運命」なる単語の持つ何かを知らねば、本当の意味で彼を理解することが出来ない。

 冷静な判断と、予感染みた感情。相反する二つに基づいて求めたゆかりに対し、ハンスは暫し沈黙した後、その場に腰を降ろす。

「少し長くなる。君も座りな」

 促されるままに座したゆかりは、ハンスの真紅の瞳を真正面から見つめ、息を飲んで言葉を待つ。

 彼女の姿を受け、ハンスは整った貌に形容し難い色を浮かべる。

 躊躇と少女の意思の固さ。

 両者を天秤に掛けて、やがて決が出たのか。古の勇者は徐に口を開く。


「それじゃ始めよう。この世界と、運命の話を」



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