1:レイディング・キラーシャーク

 インファリス大陸とイルナクス連合王国を分かつドラクル海峡。直線距離約四十キロメクトル弱ながら海流が非常に速く、ヒトが泳いで渡りきる事は困難を極める。

 そんな現実的な手段は三つ。

 一つ目は昔ながらの海路。近年では船の性能も向上し、時代の証言や歴史書が語る程ではなくなったものの、依然として危険度は高い。

 二つ目と三つ目は、十八年前に開通した海底トンネルを通過する発動車か鉄道による陸路。高額な料金が掛かるが、海路と比較して遥かに安全な選択肢となり、多くの人々がこちらを利用している。

 余程の事態、例えば攻撃的な海棲生物や武装集団が現れない限り、二つの地点を行き来する事はどの手段でも問題なく可能だ。


 今日もまた曇天の下、一隻の客船が濁った青を切り裂いて白を描き出していた。


 一日に十五回海峡を行き来する定期船『アルビオン号』

 ドラクルの白い崖から名前を拝借した、約千二百人を収容可能な客船は、天候の影響なのか乗客の数は疎らだ。

 そんな客船の甲板から、少年の声が響く。

「相手が俺でも、死ぬ気で斬りかかってこい!」

 咆吼と蹴りを受け、甲板上を少女が転がっていく。パーカーと黒のスキニーパンツという、ラフな格好で纏めた大嶺ゆかりは、両手で握った異刃『紅華』を杖に辛うじて立ち上がる。

 視線の先に立つのは、悪趣味なグラフィックが踊るTシャツと、ゆかりとよく似たスキニーを纏った細身の少年。

 左目を眼帯で覆いゴム棒を構えている事から、ヒビキ・セラリフが本気を出していないのは一目瞭然。

 このやり取りは仲間割れの類ではなく、最前線の戦いに身を投じることを望んだゆかりの鍛錬を目的としている。ただ、数多の強敵に食らい付くヒビキが本気を出せば、加減していてもゆかりなど一瞬で病院送りだ。

 瞬殺では訓練にならず、ヒトの限界を超える一要素の左眼を塞ぎ、武器も普段使用している『蒼異刃スピカ』と同じ長さ・重量のゴム棒で代用。更にヒビキの手加減があってようやく、ゆかりが「敗北から学べる」所まで降りてくる。

 戦いに向き合うと決めてようやく見えた、彼我の正確な力量差に毎度ゆかりは打ちのめされる。しかし、それでは何も向上しない。

 無言で『渇欲乃翼』を発動。毒々しい六枚の翼で風を掴んで低空飛翔。決闘者となったヒビキ相手に真っ向勝負は本来愚策だが、これは訓練と割り切り、ゆかりは敢えて正面から行く。

 接近しながら『放仙花』を紡ぐ。発動者を瞬時に置き去りにして、宙を疾駆した無数の火球は、ヒビキの目前で弾けて赤と白の煙を撒き散らす。

 立ち上る夥しい赤の隙間から中性的な顔が見えた。その時には、ヒビキが既に間合いに潜り込んでいる。

「――っ!」

 炎を吹き払うように振るわれたゴム棒を紅華で凌ぐが、重い痺れが両腕に奔る。顔を歪めながらも、ゆかりは一撃目から繋がれた二撃目を防ぐが、その時点で彼女の腕は悲鳴を上げた。

 翼を打ち鳴らして上昇。その過程で浮上・消失する無数の手札から最善を――

「考えるのは良いけどもっと速く!」

 単純な跳躍で同じ高度まで上がってきたヒビキに、何らかの感情が宿るより速く腹部に衝撃。体勢を維持出来ず甲板へ落とされる。

 定石を記憶から引き出さずとも、ここからの流れは読める。ならば、完遂されぬよう足掻くだけの話。

 ――今のヒビキ君は、瞬間移動が使えない。……だったら、行ける!

 ゴム棒を構えて落ちてくるヒビキを、紅く染まった両眼で睨んだゆかりは、全身の痛みを堪え両腕に熱を灯す。細かな制御は現状不可能だが、相手が愚直な降下攻撃を選ぶなら活路はまだある。

 痺れる手に鞭を入れ、思考を整える。良くも悪くも一撃で勝負は付くだろう。だが、現実の戦いでも大半がそうなのだと、先達たる存在は皆語っていた。

 両腕の熱を吸収するように、紅華に宿る色が血を想起させる物に転じていく。選択を解したヒビキが獰猛な笑みを浮かべてゴム棒を構えた。

 その時、船上にどよめきが生まれる。次いで、一段と激しく水が跳ねる音。

 眼帯とゴム棒を放り捨てたヒビキと、彼の反応に釣られたゆかりの目が発信源に引き寄せられる。

「エクス・キューーーーーーション!」

「やかましい」

 誠心誠意・全力全開で善意の解釈を試みても、腹に何物も抱えていると容易に想像可能な太い声。それに冷や水を浴びせるように、ヒビキは形態変化を行ったスピカの引き金を、躊躇無く引いた。

 大気の紗幕を引き千切って突進した水の弾丸は、現れた鈍色の球体を強かに叩き、逆回し映像も同然に海面へ送り返す。

 この間、僅か二十七秒。

 速過ぎる展開に目を白黒させるゆかりの手を、甲板に着地したヒビキが取る。謎の存在は船上から追放したにも関わらず、緊張に満ちた彼の姿で事態が終わっていないと、ゆかりが察すると同時。


 再び海が割れ、無駄に整ったポーズを決めつつ一人の男が甲板に降り立つ。


 逆立った青髪に飴色の遮光眼鏡。胸部装甲以外裸の上半身を、魚鱗柄の悪趣味なシャツで覆う。噛ませ犬の文法を抑えていると形容可能な男は、細く節くれだった指をヒビキに突き付ける。

「話を聞かずに撃ってくるたぁ、ふてぇ野郎だ。そンなだから彼女が出来ないんだぜボーイ!」

「喧嘩売ってくる奴の話を聞くと思うか? それと、行動と話の後半は関係ないだろ」

「おーそう来るか! つまり、やっぱ気にしてンだな。分かる、すっげぇ分かるわその気持ちィ!」


 言葉は通じているのに、会話が成立しない。


 珍獣を目撃したような奇怪な表情を浮かべ、ヒビキはゆかりに一瞥。「下がってくれ」という無言の指示を受け入れ、ゆかりは半歩下がる。

 小さく頷き、ヒビキは右腰に手を掛けつつ刃を宿した目を男に向ける。

「アンタは誰だ。それと、目的は何だ?」

「良―ィ質問だ! エデスタ・ヘリコロクス! ノーティカはダンクレク出身、目的は……たった一つ!」

「そうか。アンタの主張は大体分かった」

 会話は無駄と判断したのか、ヒビキの左手が『蒼異刃スピカ』の柄を掴み、切っ先を虚空へ向ける。近距離から見ていたゆかりですら朧気にしか見えない彼の動きを、エデスタと名乗った男はしかと捉えていた。

 そして、腹に何物も抱えた笑みを浮かべる。


「『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』ッ!」


 一つの技が、二つの声でドラクル海峡に轟く。

 喚び出された水塊も、細かな差異を除き同一の鮫を形成し激突。縺れ合った鮫は、甲板上に即席の津波を生み出しながら崩壊していく。

「きゃっ!」

 激流に足を掬われ、ゆかりは強制的に後方へ押し流される。手摺りに背を強かに打ち付けたものの死を免れ、激しく咳き込みながら目を前方に戻す。

 視線の先に立つ二人は、実に対称的な姿を晒していた。

「なんで、テメエがこの技を……?」

 呻きに似た問いをヒビキが絞り出し、対するエデスタは彼と真逆の反応を見せた。

「ハッハぁそういうことか。依頼書通りカルス・セラリフの忘れ形見。つまり、おめーは俺の弟弟子ってこった! 良いねェ、超・絶・愉快だ!」

 水塊を生み出した拳を打ち鳴らし、聞き慣れない駆動音を引き連れたエデスタが前進。

 動揺を隠しきれないままのヒビキが掲げたスピカと、謎の武器が真っ向から衝突。狂った旋律が、船上に立つ者の鼓膜を強かに叩く。

 絡み合う両者の武器から放たれた衝撃は、船体そのものを震わせる。咄嗟の判断で手摺りにしがみつき、文字通り揺れる世界でゆかりは戦いに視線を固定し、状況が極めて悪いと理解に至ってしまった。

 拳を放ちきった姿勢のエデスタに対し、ヒビキはまだ体勢的な余裕がある。細かな組み立てを放棄し、このまま圧し掛かって強引に幕を引く道も、物理的には十分可能。

 にも関わらず状況が硬直しているのは、エデスタの純粋な筋力や基礎骨格の強度はヒビキを上回っているという証明に他ならない。

「こ……の……!」

「ちィとヒョロいぜボーイ! テクがあろうが、それじゃぁ無理だなぁ!」

 ニヤつきながら、エデスタは両腕を振り回す。スピカから火花を散らし、衝撃によろめきながら距離を取るヒビキに暇を与えぬと言わんばかりに距離を詰め、猛然とラッシュを仕掛ける。

 水の泡立ちと機械の駆動音が混ざり合った、唯一無二の音と共に放たれる猛打を、ヒビキは後退しながら受けるに留まり、反撃に移ろうとしない。

 一定以下に収まる負傷なら、構わず攻める普段の彼と比較すると些か奇妙な姿。養父の技を使われた動揺だけで説明の付かない光景の答え合わせは、他ならぬエデスタ自身によって為される。

「分かってんじゃねェか! レウカソーは接触した奴の魔力を削って食らう! アホみたく突っ込めばそのヒョロい身体、更にダイエット出来るぜ!」

 揺らめき回る鋸刃状の水が奏でる音が、種明かしを受けたゆかりには死神の哄笑と化して届く。

 飛行島で挑んだ怪物とも趣が異なる、悪辣な仕掛けを磨かれた体術に乗せて放つ男を前に、ゆかりや駆けつけた船員達は救援に入れない。

 周囲の状況を目にしたのか。それとも、本能で察したのか。一人で打開する以外無いと判断を下したヒビキは、動揺を奥へ押し込み徐々に加速する。

 僅かな隙を正確に見抜き、延々と続く猛攻をスピカで振り払い接近。引き戻された拳を屈んで回避。髪を刈られながらも、超低位置からの斬撃で敵の膝を砕き斬る。

 甲板と肉体を結ぶ物が消え失せ、エデスタは重力の縛に従い落ちていく。血飛沫と骨片を浴びながら立て直したヒビキは、心臓に向けスピカを引き絞り――

「甘いなぁ!『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ッ!」

「は……があああああああッ!」

 不敵に笑った男が空中で旋回。出鱈目な筋力が為した奇術から繋がれた、ゆかりも見知った技。無数の回転斬撃がヒビキを襲う。

 衣服や皮膚、特に右腕部分が削られて黒と蒼が強制的に露出するが、ヒビキは辛うじて致命傷を免れる。だが、両足を失っても攻撃を選ぶ敵の異常性と、繰り出された技の冴えを目の当たりにした結果、明らかに動きが鈍化していく。

 乱れ飛んでくる『奔流槍』をスピカで凌ぐ。打ち流され、軌道が変化した水槍が欄干や甲板を粉砕。急速に荒廃していく船上を駆け、軽薄な笑みを湛えたエデスタに刺突を捻じ込む。

 呼応する形で放たれたレウカソーとスピカが真っ向から激突。絡み合った二刃は、蒼光を激しく散らして急上昇。決め手を欠くと見たかヒビキが一歩後退。身体を一気に仰け反らせ、その勢いから大上段の斬撃を叩き込む。

「ハッハアッ!」

 断頭を狙った一撃を、エデスタは一笑と共に受ける。

 巨漢の膝が僅かに折れ甲板に巨大な亀裂が刻まれるが、それだけだ。打ち上がってきた拳をマトモに浴びたヒビキは、鼻から血を噴きながら吹き飛び、手摺りに激突してようやく止まる。

「どうしたぁ、それで終わりかァ!?」

 呼吸を整える間もなく、ダミ声を放り投げながらエデスタが猛然と接近。咄嗟にスピカを投擲したヒビキの姿が消失。標的を失ったレウカソーが金属製の手摺りを粉砕。身体を泳がせたエデスタは両手を軸に旋回。甲板を削り取りながらの回し蹴りは、死角から首を狙った斬撃を流し、ヒビキを撃墜に至らせた。

「が……ッ!」

 背から落ち肉体を軋ませ、ヒビキは苦悶に顔を歪め追撃の拳打を食い止める。だが、逃げ場のない格闘戦では単純な腕力が物を言い、彼にはそれが足りない。


 唸る水鋸と挽肉に転じる未来が同時に迫る中、紅華を構えたゆかりが一歩前進――


「止めとけ」

 解体作業の手を緩めぬまま顔をゆかりに向けたエデスタは、寸前までの過熱状態が嘘のように冷えきった声で彼女を制する。

「ガールが踏み込むんなら、俺はボーイを持ち上げて盾にする。どう動いたって、おめーのカタナが振るう先にこいつを投げる。ぶっ殺した上で俺を倒す策があんなら別だが……無いだろ?」

「――っ!」

 煽りの成分が皆無の、淡々とした指摘に何一つ反論出来ない現実。どんな打撃よりも効く痛みに、ゆかりの足が縫い止められる。動きかけたのは良いが、二手目以降は何も浮かんでいなかったのは事実。

 揺れる紅光越しにエデスタを睨み、突破口を模索するが結果は同じ。精神的な動揺や体格差の問題があろうと、ヒビキを追い込む相手が軽薄な言動通りの力量である筈もない。

 無理に突っ込んだ先にあるのは、二人纏めて片付けられる最悪の未来だ。

 水鋸の接近以外は硬直した状況。動けないゆかりに興味を失ったのか。エデスタが再びヒビキに視線を戻した時だった。

「よそ見してる、場合かッ!?」

「はぁ? ……げっ!」

 ヒビキの左肘が弾け飛び、そこから『奔流槍クルーピオ』が射出。劣勢の状況で左腕を捨てる策は想定外だったか。迷いを見せたエデスタの体勢が乱れ、水鋸が離れる。

 不審者の停滞を他所に、傾いだスピカを右手でしかと握ったヒビキの、右腕が一段と強く発光。跳ね上がった異刃が右手を切断。翻ると同時に再度砲台へ変形。

 意図を解したエデスタの反応を待たず、ヒビキは引き金を引いた。

 単に魔力を水塊に変換した仕掛けは、本来なら一蹴される稚拙な物。だが、腕を破壊され体勢が崩れた上、不意を突かれた状態では避けようがない。

 貫通こそしなかったものの、腹部を痛打されたエデスタの体が宙を舞う。

 混迷の最中でも船は前進を続けており、出現時の振る舞いを見るに彼は飛行魔術を持たない。事実から紡いだ予測は幸運にも裏切られることなく、理不尽な襲撃者はドラクル海峡に落ちていく。

「安心しろ! ノーティカ人たる俺の水中サバイバル能力はマックス! イルナクス連合王国でまた会――」

 声は、水飛沫に飲み込まれて途絶えた。

 航行を続ける船や、呪縛から解かれて動き出した人々が発する音で、迷惑な乱入者の影が拭い取られる中、ゆかりはノロノロと立ち上がったヒビキに駆け寄る。

「怪我、ないか?」

「私より自分の心配をしないと。治療した方が良い?」

「これなら自力で治る」

 首を横に振るヒビキの表情は重く、目は後方に流れていく海に固定されていた。

 カルス・セラリフの技巧を受け継いだ者が他にいて、その者が敵に回っている事実は、戦いに於ける有利不利以上に、心理的な動揺が大きい。察したゆかりは、それ以上の言葉をヒビキに継げなくなる。

 ただ、この先に待ち受ける旅路に奇妙な障壁が加わった事だけは、嫌と言う程に理解出来てしまった。

「途中になったけど、どうする? やり直すか?」

「練習は大事だけど、今は良いよ。上陸した後に備えて、ちゃんと休もう」

 活力が日頃の数段削がれた面持ちで頷いたヒビキと共に、ゆかりは船内の食堂へ歩き出す。

 先刻よりも幾分大きく見えるようになったイルナクス連合王国に、酷く不穏な気配を感じながら。


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