The world's end beginning
アークス王国王位継承位・第一位。
アリア・アークスは確かにこのような肩書を持っているが、当事者意識は非常に薄かった。
年齢と平均寿命を天秤に掛ければ、少なくとも父が十五年は椅子を守る筈。王国の歴史に女王がいなかった為か、近頃は各方面で王位に関する言論が飛び交っている。
流れ次第では王室から放り出される。といった危機感やそれに起因する焦りはなく、なるようにしかならないと、年齢不相応な達観を抱いて日々を過ごしていた。
たった今、父と二人で食事を囲んでいるこの瞬間、平時の冷静な思考は消え去っていた。
場所は別邸の居間。警備を担うルチアは屋敷の外。不測の事態があれば飛び込んでくるだろうが、今は二人きりだ。
顔も見た事がない祖父の趣向を継承した、イルナクス風の朝食が発する食欲をそそる香りも、妙に遠く感じる。
家族の朝食で本来あってはならない緊張を抱くアリアを目前の父。つまりアークス国王サイモンは、彼女を黙したまま見つめていた。
「ち、父上。一体話とは……なんでしょうか?」
多忙な父が朝食を共にすることは一年で数えるほど。ロズア諸国連合で発生している動乱を始め、多くの懸念事項を抱えた父に時間的余裕など本来ない。
至極真っ当な疑問を絞り出したアリアを他所に、不動を守っていたサイモンの手が動く。身構えた彼女の予想を裏切り、眼鏡の位置を整えた父には真摯さがあった。
「今から大事な話をする。与太話とするか、受け止めるかは自由だ。けれども、これが最後になるかもしれない」
最後になる。
冗句とするにも重過ぎる言葉に、準備していた模範解答を根こそぎ奪い取られ、硬直したアリアは異様な喉の渇きを覚えた。
何が来ても良いと準備はしていたが、恐らくどれも役に立たない。ならば、受け止める事に集中すべきと心を整え、父の言葉を待った。
「もう十一歳になった。物心ついた頃に母を喪った上、父親は職務に傾倒して役割を殆ど果たせなかった。王族の特権を振りかざしもせず、殊更に求めず、真っ当な感性のまま育ったのは、間違いなくおまえの力だ。おまえの父であれたことを、私は誇りに思う」
「私は父上の背を見て育ちました。私が評価に値する人物であるならば、間違いなく父上の人間性あっての事です」
現代に至る歴史の道程で実権は縮小の一途を辿ったが、それでも象徴の役割は重い。職務に忙殺されるのは当たり前で、不満を漏らすのは筋違いだ。
限られた時間を最大限割き、始終手元に置くべき四天王を教育係に据えて、意思伝達を図ろうとしていたサイモンは、失格どころか十全に役目を果たしたと言えよう。
最後になるかもしれないと銘打った話を、自省から始めるのは奇妙だ。そして、その奇妙さがアリアに最悪の道を連想させる。
渇きに耐えきれず珈琲を流し込む。砂糖やミルクを入れ忘れていたが、喉にネバつきが泥濘の如く絡みつくだけで、苦みも何も感じない。
只々硬直する娘を見つめながら、アークスの王は言葉を繋いでいく。
「そう言ってくれるのは嬉しく思う。長話はおまえも、何より私も苦手だ。単刀直入に言おう。おまえは他者の醜さを知った上で、それでも他者の痛みに寄り添える人間になりなさい」
「それは一体……」
「私のようなエゴに塗れた者には。人生を失敗した者にはならないでくれ。良き人々と共に、良き世界を描いて欲しい。アリア・アークス、君になら出来る筈だ」
どうしようもない不吉な予感に駆られ、アリアは立ち上がる。
大きく口を開こうとした時、ルチアの声が居間に届く。
「食事中の無礼をお許しください。陛下、状況が変わりました。出発しましょう」
無情の宣告に首肯を返し、父が立ち上がる。
「お待ちください! 此度の公務に、私も同道します。父上から、まだ教わっていない事が山のようにあります。別れが待つのならば、せめて……」
「それは出来ない。退場するだけの者の道に、未来を持つ者を連れてはいけない」
明確な拒絶を示したアークス国王は立ち上がり、出立すべく歩む。
追いすがるアリアを他所に、迷いなく歩んだ男は玄関扉を開けた所で立ち止まる。
形容し難い、様々な感情が綯い交ぜになった眼を平時のそれに戻し、いつもと変わらぬ静かな笑みを浮かべながら、サイモンは娘の頭を撫でる。
「行ってくる。君の人生が幸福に満ちている事を、いつでも、そしてどこでも願っているよ」
真摯な言葉を残して、当代国王アークス王は前に視線を戻す。
そこから先、彼は決して振り返ろうとはしなかった。
首都でそのようなやり取りが交わされて二日が経過した頃。
ヒルベリアに帰還した二人は、ハーヴィスから解読完了の報せを受け取り、設備が充実しているライラの工房で確認する事を決めた。
念の為ファビアの診察を受けるべく、一旦ヒルベリアを離れたゆかりが戻るまで、ヒビキは自宅でスピカの整備や今回の収支整理を行うとした。
凡そ完了したタイミングでフリーダが彼の家に到着。彼が抱いていた、友人達の帰還に伴う喜びは、ヒビキの部屋に踏み込むなり霧散した。
「君と友人で良かったと思っているけれど、これは流石に頂けないね」
僅かな思考停止が生じた後、無色の声を辛うじて絞り出したフリーダの目は、床に向けられていた。
小刻みに痙攣する体は滝のような汗を流し、血走った眼は震動を繰り返す。義肢は明滅を狂ったように繰り返しながら、接合部から異臭を放つ汚液が流れ落ちる。生身の部位には奇怪な紋様が浮かび上がり、それをなぞるように血が噴き出す。
醜悪な物体が見たい者の興味を一瞬で満たす様を晒して、ヒビキは床に這いつくばっていた。
カロンから受け取った力が、体に適合していないのは彼も知っていたが『
デイジーとの交戦時から強い痛みは出ていた。体内からの危険信号を、危機感と闘争心で捻じ伏せた反動が、今になって彼を襲っているのだ。
震える手で床に転がる鎮静剤を掴み、手首に針を突き刺す。痛みは殆ど引かないが、視界が最低限の安定を取り戻し、起き上がったヒビキは差し出された水を飲み干して息を吐く。
「……悪い」
「謝らなくて良いよ。でも、それで本当に続けられるのかい?」
純粋な懸念に、ヒビキは友人から目を逸らす。
日常生活すら痛みに支配され、戦闘で力を行使すると強烈な反動に晒される。異邦の少女の前では精神力で抑えているが、この先も同じことが出来る保証はない。
だがフリーダの懸念はそこではない。それはヒビキも分かっている。
闇医者曰く四割。軽視出来ない高確率で即死する故、切り札を封印して限界の一歩手前で戦う事を決めた。それでも、ここまでの苦しみが在るのならば、先に控えているであろう戦いに耐えられるのか。
そして、苦しみに晒され続ける中でいつまでヒビキ・セラリフでいられるのか。
答えをヒビキは、そして問うたフリーダも持たない。
「……何かあったら、必ず言ってくれよ」
「分かってる。お前にはちゃんと話す」
「出来るなら、ユカリちゃんとライラにもね」
沈黙を避けるための空虚な言葉の中にも刺さる物があるのか、ヒビキの顔が歪む。その様を見て、フリーダも胸の裡に強い痛みを覚えた。
フリーダの願いは道理で、ヒビキもそう在れたらと思っている。
だが、仮に実行すれば異邦の少女は確実に別の道を模索し、幼馴染は歩みを止めようとする。彼女達の選択は善性に基づいた物だろうが、本来の願いから遠ざかる物になり、それはヒビキの本意ではない。
不鮮明な理解であろうとも、横道や足踏みをする時間は彼に残っていない。ならば、どうにか初志を貫徹させるしかないのだ。
どうしようもない程に諦念に満ちた決意を理解し合っている二人は、憂いに満ちた視線を交錯させ立ち上がる。
「そろそろ時間だ。『エルフィスの書』とやらの中身を拝みに行こう」
「……あぁ」
「有効な手掛かりがあれば良いのだけれどね」
「何かしらはあるだろ。先人の知恵は何とやら、だ」
カラ元気に等しいやり取りと共に、二人はライラの家に向かう。
そして、辿り着くなり彼等の希望は別の形で粉砕された。
「……遅い。もうちょいで燃え尽きる所だったわ」
投影機や最新鋭の電視台が置かれた部屋の中央。縋るような目で二人を見るライラと、硬直したゆかりの傍らに、黄金の球体が鎮座していた。
痛みを堪えて左眼のみ力を解放。明滅する球体を構成する魔力の波長が知己の物と気付き、ヒビキは息を呑む。
「おい、まさか……」
「正解。クレイトン・ヒンチクリフの魔力が生み出した伝書鳩、的な奴だ。まっ、ちょっとばかり不細工だけどな」
酷く掠れた声と最初に放った言葉から、この球体の消滅は近いが、問題はそこではない。
禁足地に去ったクレイが戻らず、代わりに寄越した遣いも消滅寸前。
――頼む、そうじゃないよな。そうじゃないと言ってくれよ……。
「単刀直入に言う。俺の召喚主はデウ・テナ・アソストルでオズワルド・ルメイユと共に怪物に挑み、切り札を使った。勝敗を問わず、もう死んでる筈だ」
「そんな……」
願いを粉砕する無情な宣告。打ちのめされる四人を他所に、球体の声は続く。
「言いたかないが、相手が格上に過ぎた。アレには誰も勝てない……で、最後の伝言だが、お前ら全員逃げろ。なるべく遠く、出来るなら――」
言葉が途切れ、雷鳴のような低音が響く。球体は千々に分かれて弾け、跡形もなく消えた。
クレイトン・ヒンチクリフの敗死。
『ディアブロ』すら退かせる威光と、それに違わぬ高い実力を保持していた男は、間違いなく四人の精神的支柱だった。
最悪の事態になれば、彼の助力を乞うて打開策を練る
後方支援の乏しいヒビキ達にとって巨大な翼が、真っ先に折れた。
船頭の先触れ、オズワルド・ルメイユも共に死したならば、強力な援護射撃は全て失われたと考えるのが妥当。
重い現実を突き付けられ、部屋の空気が加速度的に淀んでいく。
「ま、まだ分かんないよ! 未確認情報だし、他にも誰か……」
何とか励ましを投げようとしていたライラの懐から警笛音。仕事のツテで手にしたという最新鋭の通信機を取り出し、画面に落ちた紫目から温度が急速に失われる。
「どうしたんだい?」
フリーダの問いにも、ライラは硬直したまま。何度か同じ事を繰り返しても動かないままの彼女に焦れたように画面を覗き込んだフリーダから、血の気が一瞬にして引いた。
両者が揃って激烈な反応を示すなど、余程の事態だ。自身の目で確かめるべきと結論付けてヒビキが踏み出した時、フリーダが震え声を絞り出した。
「昨夜、首脳会談の為にバザーディ大陸のキャニア連邦へ向かっていた、サイモン・アークスの軍用飛竜が何者かの攻撃を受けた。十五頭すべて撃墜されたけれど安否は不明。連邦側は関与を否定……」
読み上げる途中で新たな通知音が響き渡り、通信機に目を落とした二人が再び硬直。
「ここだと速報が映るよな、点けるぞ」
大半の野生個体を退ける力を持ち、尚且つ銃火器の装備で要塞並みの堅牢さを誇る軍用飛竜の全滅と、国王サイモンの消息不明に匹敵する事態が起こった。
結論付け、映像でも情報を得るべきと判断したヒビキは電視台の電源を入れる。
目に飛び込んで来たのは、白に包まれた世界を侵す赤。消防車と入れ替わる形で逃げていく人々は、雪の結晶を基礎とする刻印が目を引く作業服を纏っている。
化学反応から連鎖的な爆発が生じる中、報道官の緊迫した声が映像に差し込まれる。
「ロズア連合オウトンパの発動車工場で、三日前に火災が発生。懸命の消火活動が行われていますが、以前鎮火には至っていません。独立派組織『ヴェリアの曙光』が犯行声明を……」
画面外から紙が伸び、受け取った報道官の目が見開かれる。
職業意識で感情の沸騰を捻じ伏せて紡がれた声は、大規模火災以上の衝撃を四人に齎した。
「ロザリス西部に位置するテージス機甲基地で、原因不明の爆発が発生。配備されていた人員・装備共に全滅と発表されました。これに伴い、デルタ総統は国家緊急事態宣言を発令しました」
ライラの通信機から再び通知。読み上げる事が難しいと見たのか、ゆかりが投影機を起動。
壁に映し出された文字は、インファリス大陸極東に位置する央華人民共和国の、最高指導者の死去を読み上げる。衝撃を上書きするように、北部アメイアント大陸のコルデック合衆国で謎の飛翔体が降り注ぎ、国土の至る所で甚大な被害が発生していると報せが映る。
「ちょっと待て、いくら何でもこれは……」
一つ一つを勘案する余裕もなく、無意味な呻きを溢すヒビキの目前。電視台の画面から唐突に報道番組の映像が消え、砂嵐が吹き荒れる。
故障を疑うが、ライラと彼女の家族に限って整備不良はありえない。
無意識に警戒を強めた四人の耳に、想定外が過ぎる音が生まれる。
『我が名は白銀龍アルベティート。事象の断片にして、世界の愚物たるヒト属よ、我らの宣告を受けるが良い』
落雷に等しい音に、誰も詐称や質の悪い遊びであるとの指摘が出来ない。彼等の力量が問題なのではなく。画面越しから放たれる圧力が強大に過ぎるのだ。
耐えるだけで精一杯のヒビキ達を他所に、宣告は続く。
『惑星の破壊者ヒト属を滅し、正しい道へ引き戻す決定が下された。汝らの形容で語るならば、まずは禁足地から始めよう。二千年前の過ちは起こり得ず、汝らにあるのは絶滅のみだ。足掻くも是、逃げるも是だ。運命は既に決定付けられている』
音は断ち切られ、映像があるべき形に回帰する。
だが報道官は、工房内の四人は何も言えなかった。
明言こそされなかったものの、宣告によって狂乱の意図は見えてきた。
ロズア諸国連合は、猛威を振るっていた『ペトレイア社会主義国』に対抗する為に中小規模の国が集まって誕生し、戦いの果てに独立を守った。
ペトレイアを退けた後、安定期に移る筈がお決まりの主導権争いが始まり、団結の象徴にして英雄のアリエッタが、ヴェネーノに敗れて死した事で混乱に陥っていた。
彼女の尽力で発足した発動車製造工場の破壊は、団結の崩壊を意味する。インファリス北部は、暫し泥沼の戦いに突入するだろう。
そして周辺諸国の動乱は、また別の問題を呼び起こす。
魔術を使用しない部隊の頂点に位置するロザリス機甲兵団は、アークスとの均衡を作り出すに留まらず、小国や狂的な宗教組織の暴発を抑え込む任を果たしていた。
様々な問題を抱えていたものの、央華人民共和国もヒノモトと並んで同様の役割を担っていた。
大国の安全弁が消えれば、当然各地で暴発が生じる。国家元首が消息不明となったアークスも自国の安定化を最優先とし、動乱の鎮圧に力を割けない。
西大公海の先に位置する大国でも非常事態が起きたのなら、最悪へ至る道が世界中で開かれたと言っても何ら過言ではないのだ。
「まさかこれ……」
「その先、言わないでフリーダ」
フリーダが示しかけ、ライラが止めた懸念は恐るべきものだが、動乱とその先に垣間見える事態は、対エトランゼに於いても危機を呼び起こす。
二千年前、人類はエトランゼを退けた。その成功体験から成る楽観論に基づき、人々は目先の動乱に戦力を注ぎ込む可能性が高い。
アルベティートの宣告を、与太話と切り捨てて動く国も出てくるだろう。
二千年前の勝利は、人類が全てのしがらみをかなぐり捨てて団結し、あらゆる戦力を動員して辛うじて掴み取った。当時の技術に未だ及んでいない現代人が分散して挑んだところで、見るも無残な敗北を喫するだけだ。
『もう一度』に対する備えは行われていただろうが、お構いなしに動く者達の鎮圧や国の維持に一線級の戦力を割り振る筈。
混乱を打開すべく、距離が近い在野の戦士は国に取り立てられる。全員ではないだろうが、実力者の大半はそちらへ流れ『エトランゼ』迎撃に挑める者は少数。彼の者達は残り滓では勝てない。
よしんば在野の強力な戦士が居たとしても、援護射撃に期待出来ず、報酬や勝利で得られる名誉の担保されない戦いに身を投じると考えるのは楽観的に過ぎる。
臆さず飛び込んでいく筆頭とも言える男は、他ならぬヒビキ自身がこの世から退場させた。
全ての要素を検分すると、事態は最悪の方向へ動き始めた。
大願を成就させる前に、土台となる世界が滅びかねない状況など、誰にとっても想定外だ。挑まねば死ぬが、彼等が越える壁として高すぎる。
場の誰もが沈黙したまま、報道番組の喧騒だけが室内を包む。
流れていく全ての情報が、世界中が混乱へ突入する事を明示し、彼等の淡い希望を悉く打ち砕いていった。
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