17:さよなら風よ、花よ
ヒビキ・セラリフが去った後、パスカはデイジーを連れてイルディナを南下し、ドラクル海峡を渡る為に港を目指していた。
四天王の権限を行使すればある程度の無理は利くが、サイモンに叛旗を翻した今、いつ失われるか不明瞭な物には頼れない。
旧知の怪鳥で人工島に降り立ち、係留されていた小船を無断拝借する。法や道徳的に危うい手段を用いて本島に辿り着いたが、激しく負傷したデイジーを連れて雑な移動は厳しい。
皮肉にも、復路は真っ当な移動を強いられる事になっていた。
「もう少しかかるが、まだ歩けるか?」
「うん……大丈夫」
『
繋がれた手に伝わる鼓動で許容範囲を探りながら、可能な限り復路を急ぐパスカの脳裏に、とある懸念が霞める。
デイジーと対峙したヒビキは、ユアンが行方不明と知っている気配はなかった。敵対していても、その点で嘘を纏う理由は何処にもない。気質から考えると、殺害していたのならヒビキは何かしらの反応を見せた筈だ。
辿れる中で最後の任務で標的となった少年は、勝利こそしたが殺害には至らず、彼が去った時にユアンはまだ生きていた。
消息不明の決定打は、その後に発生した何かという事になるが、便りすら出せない状況に彼を追い込む事象など想像すら難しい。
対策を練っていた分ユアン失踪の黒幕が彼である方が、幾らか楽な展開を描けた。想像を否定された為に、新たな形を描き直す必要が生まれたが、思考の材料は致命的に不足している。
四天王の特権を実質的に失った今、情報収集の手段も大幅に狭まった。脳内で取捨選択を繰り返した末、馴染みの情報屋に連絡を取ろうと引き出した通信機に震動。
画面に記された名前は見慣れた、そして今はあまり見たくなかった物だった。
「もしもし?」
「あぁパスカか。うん、心して聞いてくれ」
予想通りの声は、酷く沈んでいた。
そこはかとなく不穏な予感を抱くが、それを悟られないように力を籠め、デイジーに目配せしてから足を止める。
「どうしたんだ? 四天王だからって、いつでも忙しい訳じゃないから……」
「親父の意識が戻らなくなった」
定型文を紡ごうとした口が、中途半端な位置で硬直する。パスカの沈黙をどう捉えたのか、通信機越しの兄は沈鬱な声を絞り出す。
「延命処置を施して貰っているが、あと数日保つか分からない状態らしい。遠征しているのに悪いが、ハレイドに戻れないか?」
完全な独断専行を兄が『遠征』と表したのは、恐らくルチアの配慮に依る物。彼女に感謝の念を送りつつ、自身の手を握るデイジーに目を向ける。
他国へ土足で乗り込んだ挙句に敗北したデイジーには、アークスに戻れば重い処分は確実。私情で追加の援助をルチアに求める訳にも行かず、いつ閉ざされてもおかしくない裏口の利用は危険過ぎる。
唸り声で時間を稼いで探した結果、最良の妥協点など無いとパスカは理解に至る。
選べる道は二つに一つ。片方への貫徹は、もう片方に対する背信となり、どちらを選ぼうと一生後悔が残る。
この場で軽々に結論を出すべきでない問いだが、現実は何処までも残酷だ。引っ張った分、両方の事象で中途半端な結末に至る可能性が高まる。
「なぁパスカ、聞こえてるか? そんなに厳しい仕事なのか?」
兄弟ともなれば、声と会話の間でコンディション程度は分かる。細部を知らずとも、曖昧な答えを出すことすら苦慮する弟に疑問を呈するのは当然の反応と言えた。
硬度を増した声に、逃避を始めていた意識が現実に引き戻される。
デイジーは不安が前面に出た表情を浮かべていて、恐らく通信機越しの兄も似たような表情でパスカの結論を待っている。
長らく会話すらしていなかったが、生き方の指針をくれた父の最期を見届けたい意思はある。ここで会えなければ、墓前に顔を出す資格も失うだろう。
四天王の枠組みにいたのは所詮三年。ユアンと出会った頃から数えても八年程度で、家族の繋がりを優越しない。
全ての道理を、経験と真っ当な感性の下で知ったパスカは、改めてデイジーを見る。彼女との始まりは、いやそもそもユアンとの始まりが誤りを起点にしていた。
アークスへの復讐を誓った少年と、妄執に憑りつかれた家族に育てられた少女など、凡人たるパスカが手を伸ばして良い存在ではなかった。
それすらも踏み越えたのなら、最早結論は決まっている。
震えながらも右手を引き上げ、通信機を耳に押し当てる。
逡巡の色を目に残しながらも息を吸い、通信機を固い舗装路に叩きつけた。
意味不明な選択に目を見開いたデイジーの手を掴み、横へ飛ぶ。直後、二人が立っていた地面が弾けた。
声なき悲鳴を発するデイジーへの衝撃軽減を優先しながらも、自身へのダメージも最小限に抑えたパスカの動揺は薄い。
現れない事を願っていたが、来るならこのタイミングだと覚悟は出来ていたのだ。
目前の世界が陽炎の如く揺らめき、清浄な輝きを放つ白が空間から漏出。白の浸食が収束した時、彼の予想から一切外れることなく、一人の少女が立っていた。
「やはり君か。アルティ・レヴィナ・エスカリオ」
「何故躱したのですか。私の任は独断専行を犯した挙句、敗北した者の処分。貴方は対象外です」
ヒトの領域を何十歩も逸脱した、非現実的な美を持つ白き少女。先日彼等の同僚の冠も得たアルティは、不規則に変色する目で二人を睥睨する。
一切の感情が伺えない目は、コミュニケーションに不都合を感じさせていたが、実質的な敵対関係になった今は別の問題が発生する。
特殊な例を除き、目の動きで得られる情報は重要性が高い。どこへ何を放とうとしているのかを目の動きで読み取り、策を講じるのは基本中の基本。
過小評価が出来る筈もない相手である以上、どんな些細な情報でも欲しい。だが、アルティの眼からは一切の感情や魔力流を読み取れない。彼女と仕事を共にした回数は非常に少ない上、全てを一撃で退けている為に手札の底が全く分からない。
怯えるデイジーを庇うように進み出て、内側で渦巻く恐怖を捻じ伏せるようにパスカはアルティの眼を睨む。
「同僚の殺害を試みるなど、それこそ規律に反している。何故、このような真似を?」
「先の通りです。信賞必罰は鉄則。国王陛下の指示もなく守るべき国民の殺害を図り、無様に敗北した。規範に反し、力を示す事も出来なかった敗北者が軍に所属する意味は。いえ、生きている意味などあるのでしょうか」
澄み切った声で放たれた痛烈な問いに、息を呑む音が背後から届く。
一面を切り取るなら、アルティの言葉は正しい。組織に所属する恩恵を受ける代償に、命令に従うのは軍人の義務。例外行為を繰り返せば国民からの信頼を失い、国の崩壊にも行き着く危険を孕む。
最低限の枷はあれど、通常の軍人よりも遥かに自由な行動を可能とするが為に、国王サイモンからの指示に四天王は背いてはならない。
だが上官を「誤射」した師、クレイさえ査問の末に除隊で済んでいる。良くも悪くも何も残せなかったデイジーに、いきなり極刑が課されるのは道理を逸脱している。
何らかの私的な感情が籠められている。ならば、はいそうですかと従う必要はない。
「陛下は必ず指令書を残す。今ここで見せてみろ」
「何故見せる必要が? そもそも、貴方も毎度持参していない筈でしょう」
詭弁の穴を的確に突いたアルティは、典雅な所作で右腕を掲げる。一幅の絵画のような光景だが、彼女の周囲で練り上げられる魔力の波濤が大地に亀裂を刻む様は、対話の余地が消失した現実を明朗に語っていた。
「退くつもりは無いのか」
「任務未達では、生きている意味がありません」
そもそも仲間意識が希薄なのか、アルティに停滞の兆しは微塵も見受けられない。黙って蹂躙を受け入れるか、そしてもう一つの道を選ぶか。
またしても訪れた二者択一の問いへの答えは、先と異なり一瞬で出た。
「今からお前をアークスへ転移させる。ルチアさんにも信号を飛ばすから、彼女が助けてくれる筈だ」
「パスカは……どうするの?」
左手で『
アルティの放つ厖大な魔力と、すぐ近くに迫る自身の結末への恐れで、酷く不恰好な代物になった自覚はある。
まるで相応しくないが、この瞬間が最後になるかもしれないのだ。
魔術の組成が完了し、デイジーの周囲に紫電が走る。イルナクスからアークスの距離は決して遠くないが、この先に待つのは下手をせずとも今生の別れ。恐らくデイジーも感じ取っている筈で、目から涙を溢しながら首を左右に振る。
「良いな、お前は無価値ではない。何かの為に頑張れる、素晴らしい力を持っている。だから、何があっても前を向け。俺とルチアさん……そして、ユアンの願いだ」
「やだ、私は……!」
手を伸ばし、一歩踏み出すと同時にデイジーの姿が描き消える。
残されたのは二人の四天王と、彼等が放つ魔力の渦。
笑みを消し、全身に闘志を宿したパスカを、アルティは何処までも平坦な目で見つめる。
「決断は理解しました。では、貴方を排除致しましょう」
「元々この道は想定していた。……お前がユアンを殺したと知った時からな」
ほんの一瞬、アルティがユアンと同じ波長の魔力を発していた事が、日常の中にあった。魔力そのものの模倣は絶対に不可能で、唯一の例外は他者を殺害して吸収する事。
どのような小細工も、その一瞬に直面すれば無意味。デイジーへの配慮から伏せていたが、パスカはとうの昔に確信を抱いていた。
「同僚であろうと、牙を剥くなら容赦しません。お覚悟を」
「無策で俺が挑むとでも? 四天王を舐めるなよ」
長年の相棒たるリボルバー『反逆者バークレイ』を腰から抜き、天へ発砲。
甲高い銃声が響き渡り、パスカの周囲に球体が顕現。
極彩色に塗られた六つの球体は、ヒトを飲み込めるサイズまで成長し、回転を始める。遅々とした速度だった回転は瞬く間に不可視領域に到達し、不規則な点滅を繰り返す。
推移を静かに見守っていたアルティの眼が微かに揺らいだ時、彼女の周囲に無数の光条が突き刺さる。地面が罅割れ、突風が吹き荒れて白髪が舞い上がるが、火薬臭や爆裂音の類は皆無。
怪奇現象と喩えられそうな光景の渦中に立つアルティは、光条が自身に絡みつこうと蠢き始めた段階で、始めて興味の色を示した。
「『
「お前を殺すには……これが最善だ」
球体が生み出す光は大気中の素粒に干渉し、異空間への扉を開く。
異なる世界には届かずとも、この世ではない何処かへ対象を連れ去り、帰還には発動者による再発動と解除が必須となる。
魔力量や身体能力の差を強引に覆し、ある意味で永遠の勝利を掴み取る禁忌の魔術は、当然習得者が極めて少ない。偶然から習得に至ったパスカも戦術に組み込んだ事は一度もなく、習得の事実を知る者からも使用を固く禁じられていた。
忠告者が抱いた危惧の通り、赤く染まった眼から血涙を溢すパスカは、瞬く間に憔悴していく。光条の揺らめきに呼応して皮膚が沸騰し、アルティが僅かでも動けば、頽れそうな程の衝撃が体中を襲う。
異空間との接続など『エトランゼ』や『船頭』といった、神を名乗るに値する者にのみ許された権能。相手が底知れぬ力を持つ怪物であれば抵抗も桁が違う。何処までも人の枠組みにいる彼が手を出せる物ではなく、勝敗を問わず未来は確定している。
凡庸であっても、勝利で存在を証明してきたパスカは身の程を知っている。勝敗の先もまた然りだ。
――友の死と、別の友が蹂躙される危機を前に計算は不要。……理由はそれだけで良い。先生も、そうした筈だ。
誇り高き矮小な意思を燃やし、パスカは『異天動地彷徨ノ理』の発動を続ける。
彼に応えるように光は輝きを増し、開かれた漆黒の異次元空間は超重力を生み出し、大地を削り飲み込んでいく。
全方位・超至近距離から放たれる重力波を受け、アルティが僅かに揺らぐ。どれだけ強大な力を有していようと、この世界で生まれた者が物理法則を脱する事は出来ない。
引き摺り込む所まで持ち堪えれば勝てる。
確信を抱いたパスカは、そこで信じ難い光景を目の当たりにする。
超重力に囚われ死が迫る絶体絶命の状況で、アルティは笑っていた。
死を受け入れた殉教者や、正気を手放した狂人のそれではない。
形容するなら、世の全てを慈しむ聖人の笑みだ。
「二週間ほど前、私は彷徨する狼と船頭の先触れに勝利しました。本物の空間魔術を行使する存在の力を、断片ながらも理解した私が『
芽生えた希望は、アルティが紡いだ声で根こそぎ叩き潰された。
指摘通り、異空間を生む魔術の源流は『船頭』カロン・ベルセプトに在り、ヒトの行使する魔術は彼女の模倣品に過ぎない。先触れであれ、彼女の魔術を耐えたのなら『異天動地彷徨ノ理』とて児戯に過ぎない。
愚かな自殺に命を燃やしていた。そのような宣告で希望を粉砕されたパスカに、最早打てる策は何もない。
「お前は一体……何者なんだ」
辛うじて絞り出した問いに、アルティは穏やかな微笑みを湛えたまま応じる。
「私は先導者。旧き因習を破壊し、秩序なく分かたれた世界を統合して導く者。最低限の敬意は払いますが、命の保証は致しません。御機嫌よう」
アルティの周囲に在った光条が散り、小さな光の粒子に転じる。
大気中を舞ったそれらは縒り集まり、蠢動を繰り返した果てに竜と成る。
王冠の如き複雑に入り組んだ角を戴く頭部から、空を掴む事に特化した巨大な翼。剣を無数に重ねたような複雑な造形の装甲。巨体の全てを構成するのは、アルティと同じ穢れ無き純白。
全てが規格外の凶悪な姿の竜は、創造主とかけ離れた憤怒の咆哮を放って重力場を粉砕。怒りが収まらんとばかりに、無機質な白の瞳でパスカを撃ち抜き、全身を瞬かせる。
何らかの思考を行う暇すら与えず、生命の鼓動を感じさせない巨体が大きく息を吸い、吐いた。
清冽な白光が降り注ぎ、世界の全てを単一の色に変えていく。
それが、パスカ・バックホルツが見た最後の光景だった。
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