6

「相も変わらず、この国は目が落ち着かない風景しかないね」

「……デルタ氏の前で言わないで下さいね、その台詞」

「言わないよ。彼に言ったらどうなるか、よく知っている」


 ボブルスと対峙してから二日が経過した日、サイモンとパスカはロザリスの首都リオラノに辿り着き、総統官邸までの道を歩いていた。

 魔術に適合した人間が少ない事と引き換えとしてか、工業技術が大きく発展しているロザリスの風景は、アークスとは大きく異なっている。

 ハレイドでも見られない、小型の発動機を搭載した二輪車が四輪車を縫うように道路を駆け、道行く人々は小型の通信機器を手にしている。

 アークスでも開発を進めてはいるが、まだ軍人や富裕層の所有に留まるが現状であり、サイモンは小さく感嘆の息を漏らす。


「魔力が無くても使用できるああいう機器が、民間人に広く普及していれば楽なんだろうね」

「一応研究を進めてはいますが、アークスは魔術がありふれた存在で、そちらの方を活かす事に資源を割いているので、なかなか……」

「後追いのみでは、万が一の事態の時に敗北しか待っていないからね。正しい判断だと思うよ」


 何気ない発言に、パスカの緊張の糸が張り詰める。

 ロザリスとアークスは、現状では貿易を行ったり、人の移動が可能(審査は当然必要だが)とされているが、ずっと仲良しこよしの間柄であった訳ではない。

 現在アークスが領土としている「デントフルト」にしても、嘗て二国間で血が飛び交う争いの結果として手に入れた物であり、その争いに一応の決着が着いたのも、僅か十五年前の話であるし、地下資源が豊富であるとの調査結果が出たバトレノスについても、小国と共に領有権を現在進行形で争っている。

 映像機器も格段に発達しているこの国で、サイモンの顔と名前を一致させられる人間は、下手をすればアークスよりも多い。今この瞬間も警戒を絶やしてはならない。

 隣を歩く国王も、それについては重々理解している筈だ。

 ……発動車をホテルに置いて、会談場所まで徒歩で行く旨の提案をしたりと、それについて色々と揺るがしかねない思考については、パスカは考えない事にした。

 この男の思考について、探ろうとするだけ無駄だ。とっくの昔に出した結論を脳内で復唱するパスカの内心を知ってか知らずか、サイモンは彼を引き連れ、軽い足取りのまま目的地へと向かう。

 数十分程歩いた所で、会談場所である総統官邸へと辿り着く。ロザリスの中でも、特にリオラノは機能性を重視した建物が土地を埋めている。

 にも関わらず、総統官邸だけはアークスによくある城に、似た構造と外観を持っている。これはロドルフォの趣味らしいが、周囲との調和がまるで無い。

 写真では何度も目にしていたが、実物と周囲の光景を併せて見た結果、パスカは凄まじい違和感を覚えた。

 やけに緊張した面持ちの、出迎え役と思しき少年の後に続いて、二人は総統官邸の中へと入っていく。

 外観とは正反対の、ロザリスの建築らしい無機質かつ機能的な内装に、他人に気取られない程度だが驚くと同時に、パスカはいつでもバークレイを引き抜けるように、精神を戦闘用のそれへと切り換える。

 単なる『ディアブロ』のお披露目が今回の一応の主題であるとは言え、敵陣に踏み込んでいる事には変わりがない。どれだけ警戒をしていてもやり過ぎにはならない、との判断に基づいて警戒するパスカに、サイモンが緩い調子で声をかけてくる。


「そこまで警戒する必要は無いよ。幾らロドルフォとは言え、流石にここで私達に危害を加える事はしない。実行した場合、状況証拠が揃い過ぎてるから、アークスも軍を動かせる。戦争へと突入するのは、相手も好まない」

「しかし……」

「万が一の事があったらパスカ君が守ってくれるじゃないか。それに、だ……」

「それに?」


 勿体を付けるように、サイモンは言葉を区切り、片目を閉じる。

 今時の若い少年少女がやっても微妙なのに、熟年の域に達しかけている人間がやっても、可愛くないですから止めて下さい。

 そう言いたいのを堪えてパスカは次の言葉を待った。


「実は誰にも言っていなかったんだけどね、この間の手術の時、身体に『終焉ノ炎弩カタスフレア・エミッション』の起動式を埋め込んで貰ったんだ。私に何か有ったら道連れに出来るから、安心するといい」


 案内役の少年とパスカはそれぞれ一歩、サイモンから距離を取る。


「冗句だよ。ほら笑って」

「色々な意味で笑えませんよ……」


 名を出した魔術の凶悪性と本当にやりかねないとの畏れから、一瞬天を仰いだ後に、パスカは再び真剣な表情を作る。会談の部屋の扉が正面に見えたからだ。少年は自らの仕事を思い出したかのように背筋を正し、扉へと駆けて行く。

「客人をお連れしました」

 ノックと共に少年が声を発すると、部屋の中から野太い声で入って来い、との意を持った言葉が返って来る。少年は声に応じて扉を開き、二人の通信機器を回収してから入るように促す。


「遅かったじゃねぇか。あんまりにも遅いから、前菜はもう食っちまったぞ」


 部屋に入った二人を出迎えた野太い声の主が、卓の対面に座っていた。

 日焼けによる浅黒い顔には下卑た笑みを貼り付け、肥満気味の身体を包む軍服の胸部には、数えるのが面倒になる程の勲章が鬱陶しく輝いている。

 ロザリス総統、ロドルフォ・A・デルタの出で立ちは、一見すると過去の栄光に浸るロートルだ。しかし、ただの使い捨ての自爆要因から成り上がり、アークスを含めた多数の国を敵に回して、ここまで生きてきた男を侮れる筈も無い。


「この国の風景を少し見てみたいと思ってね、途中から歩いて向かっていたんだよ」

「なるほど、なら仕方がないな。……よく出来ていただろう?」

「そうだね。我が国にはあそこまで多くの高層建築を作るだけの技術はまだ無いから、素直に羨ましいよ」

「今まで以上に仲良しになれば、ノウハウを伝授してやっても構わないんだが……どうだ?」

「それは私の独断では決めようが無いよ。今以上に関係を深くするならば、乗り越えねばならない事も山積しているからね」

 笑いながら裏側が物騒な提案を仕掛けてくるロドルフォと、それを躱すサイモン。初っ端からこの調子ならば、和やかに会談が終わるなど夢物語だ。

 嘆息するパスカだったが、対面側のドアから出てきた見知らぬ人物へと視線が吸い寄せられる。


「ねぇ、ハーちゃん。あれが四天王って奴だよね?」


 デイジーと同程度の年齢と推察出来る、後ろ前に被った帽子と潜水用ゴーグルが目を引く少年は、パスカを見るなりドアの陰へと声をかけ、身振りで意思の交換を始めた。

 二十秒程度経過した後、それが完了したのか、再びパスカの方へと顔を向けた少年は、喜色に満ちた表情を浮かべていた。


「それじゃ、お国の為にグシャッと一発やっちゃうよ!」

「!」


 生物の領域を数歩逸脱した反応を以てパスカは跳躍、同時に破砕音が炸裂する。

 下を見ると、少年の持った巨大なハンマーが、数秒前まで自身の居た場所に突き刺さっているのが確認出来た。

 彼の笑みから判断するに、それはあくまでも初手であるようだが。


「れっつ、ふぉいやー!」


 場違いな調子の声と共に、床に接していないハンマーの打突面が展開し、大量の弾丸が発射される。目視が出来るとは即ち回避は不能であるという事と判断したのか、少年の笑みが更に華やぐ。

 弾丸の雨に晒されたパスカの身体が、霧散して掻き消える。『幻光像イラル』による詐術であると少年が認識する頃にはバークレイの引き金が引かれて『操蔦腕リエナス』が発動。床を割って現われた大量の蠢く緑が、少年の身体に絡み付いて動きを止める。

 後頭部にバークレイを突き付けたまま、パスカは少年に問う。


「客人に対して、無礼極まりない行為だと俺は思うのだが、どのような考えに基づいた行動なのか、教えてくれると有り難い」

「いやぁすごいね! 何も素振りを見せなかったのに『幻光像』と『転瞬位』、そんで『操蔦腕』を同時に発動させるって! ねぇハーちゃん!」

「……!」


 こちらの質問に答える意思が全くないと、朗々と告げる声に何か返すより先に、後頭部に向かって襲来してくる気配を対処する方が重要であると判断し、パスカは身構えながら振り返る。

 白銀の鎧に身を包んだ騎士が、轟風を伴侶として襲来する。

 魔術で何らかの攻撃を選択しても良いが、騎士の持つ仕掛けが分からない現状で下手な仕掛けは危険とパスカは判断。だが、逃げ場もない。

 状況から下したパスカの決断は、空いた右腕を前に出して姿勢を低く取り、流しの構えを取る事だった。


 硬質の音が室内に響き、槍の穂先と右手が激突する。


 果たして、パスカの判断は見事に功を奏し、狙いを逸らされた突撃は少年の方へと向く。

 そこで、パスカは衝撃的な光景を目にする。

 騎士の持った槍が突如として震えだしたかと思うと、完全に槍の形を失い、次の瞬間には巨大な剣へと変貌を遂げていたのだ。

 パスカが同士討ちを狙った程に強烈な勢いをそのまま活かし、騎士は少年に絡み付いた『操蔦腕』を一刀両断、だけでは終わらずに旋回を開始。パスカの首へと刃が伸びる。

 最早躊躇は不要との判断を下し、パスカは腕に残る激烈な痺れを堪えながら後退し、攻撃用の魔術の発動準備を始める。

 恐らくはロドルフォの配下の者であり、殺害すれば国際問題に発展するのは間違いないのだろうが、ここで自分が死ねばサイモンにも危険が迫る事への危機感が勝った。


「死んじゃえ♪」


 軽い調子で振り上げられた少年のハンマーと、再び変形を果たした騎士の槍が迫るが、パスカの方の発動準備も整っている。

 引き金を引こうとしたその時


「もう止めとけ。相手の実力はよく分かっただろ。これ以上は俺が許さん」


 ロドルフォの声が差し込まれ、二人の動きが止まる。少年の方は頬を膨らませて、騎士の方は首肯して、総統の傍らへと飛び退いた。

 集中を解き、パスカはバークレイをホルスターに納めて首を振る。

 ――恐らく、彼らが新たな『ディアブロ』なのだろう。しかし……

 想像を遥かに超えたその力量に、自らの認識を書き換える必要が生まれたと痛感する。自らの更なる力量の向上が無ければ、先が無い事も。


「それで、パスカ君に結構な無礼を働いた二人が、君の新たな部下かい?」


 眼前で殺し合いが繰り広げられていた事を、認識しているのかと問いたくなる緊張感に欠けた声を発したサイモンに、ロドルフォは肯定の意を示し、二人に手振りで前進を促した。

 先に声を発したのは、無礼な仕掛けを行ってきた少年の方であった。


「はじめまして! 新・ディアブロのレヴェントン・イスレロです! 年は十一、国立リオラノ第一学校初等部五年にも所属してるよ!」


 幼さは感じていたが、まさかデイジーより年下だったとは。驚きを隠せないパスカを他所に、レヴェントンの自己紹介は続く。


「友達とかハーちゃんにはレーヴェって呼ばれてるよ。好きな物は『キエーザ亭』のフライドポテトで嫌いな物は野菜! 趣味は……」

「そこら辺にしとけ。長々と言ったって、覚えられる筈もねぇだろ。これから親睦を重ねていけば、嫌でも覚えてくれるだろうよ。それじゃ、次はお前の番だ」


 ディアブロと親睦を深める機会とは、即ち戦闘の機会と考えるのが妥当であり、そんな機会は欲しくないと内心で突っ込みつつ、白銀の騎士の自己紹介を待った。

 しかし、騎士は硬直したまま動かない。


「頑張れハーちゃん! 一度話せば意外と何とかなるよ! 相手の人、ちんちくりんの剣ブン回しマシーンよりは話聞いてくれそうだしさ!」

「取り敢えず兜を外せ。殺り合ってない時に被ったまんまは、無礼が過ぎんぞ」


 レヴェントンとロドルフォの声に押され、小さく身体を震わせながら「ハーちゃん」と呼ばれた白銀の騎士の頭部から、金属が引いて行く。液状化した金属を魔力を用いずに持ち主の意に従わせられるのかと、まず驚いたが、現われた顔を見て更に驚く事となる。

「……」

 パスカの視界に、耳の先まで赤くした女性の顔が露わとなる。一・八〇メクトルの自身より多少大きい事に加え、白銀の鎧が全身を覆っていた為に女性であると判別が出来なかった。

 しかし、パスカの驚きの表情はすぐに怪訝な物へと転じる。


「……え、えぇと。あの……、そのぅ……」


 顔を真っ赤にしたまま、片方の手で顔付近の銀髪をくるくると回し、氷を想起させる色をした切れ長の鋭い瞳は、所在無さげにあちこちを泳ぎ回っている。

 闘争心に満ちた怒涛の連撃を仕掛けて来た騎士の姿から、遠くかけ離れた姿に困惑するが、話を進める必要があると判断して自分からアクションを起こす事を決めた。


「パスカ・バックホルツだ。私達が頻繁に顔を合わす事は好ましくないのだろうが、可能ならば仲良くやろうじゃないか。……よろしく」

「……」


 女性の前に降り立ち、握手を求めて右手を差し出すと、あからさまに肩を跳ね上げて一歩後退される。

 どうも相手はこのまま逃げ切る事を望んでいるようだが、諦める様子を見せない相手に観念したのか、異様に激しく震え、ダラダラと汗を吹き出しながらではあるが、右手がおずおずと伸びて行く。

 もう少しで握手が成立すると思われた時、相手の女性の右手が先刻の斬撃にも劣らぬ速度で引かれた。


「……ごめんなさいっ!」


 それだけ残して、女性は踵を返してドアの向こう側へと消えて行った。流石に気の毒に思われたのか、ロドルフォに肩を叩かれた。


「別に悪気が有ってやってる訳じゃねぇんだ、寛大な気持ちで許してやってくれ」

「それは勿論です。……結局、彼女はどういう?」

「ハンナ・アヴェンタドール。『ディアブロ』の新しい片割れだ。年は二十。そして驚け、アイツはドラケルン人だ」

「ドラケルン人……。彼女が、ですか!?」


 進化の頂点である竜の血を引き、彼らと似た力を振るい、彼らと共に生きる道を歩んでいる少数民族を目にするのは難しい。

 嘗ての大戦に於いて、エトランゼ『ギガノテュラス』の単独討伐を成し遂げた、ハンス・ベルリネッタが好例であるように、単独でも圧倒的な力を持つ彼らを、御する事が出来る国など無いのだ。

 パスカ自身も、生きているドラケルン人を見たのはこれが初めての事だ。

 竜と共に世界の空を駆け、地上での拠点も高山地帯にしか設けていない為生じる希少性を持っている存在だが、では何故彼女は此処にいるのか。

 疑問が表情に出たのか、ロドルフォは苦笑する。


「そこんとこは追求しないでくれ。ま、戦いの時以外あんな感じで他人と喋れない事にも絡んでるんだが、今は話す必要は無いよな。……おいレーヴェ、ハンナのフォローをしてやれ」

「承知したよ! ……それじゃパスカさん。またね!」


 どこまでも変わらない調子でレヴェントンが退出し、室内に静寂が訪れる。

 すぐ打破されるのは皆承知の中、先手を打ったのはサイモンの方だった。


「彼らを見せる為だけに呼ぶのは、君の性分には合わないだろう。他に何か、アークスに対して求める物があるから、こうして呼んだのではないのかな?」


 相手の性格に合わせた単刀直入な切り込みに対し、眼前の総統は肥満気味の身体を揺らしながら苦笑する。


「……お前達の国に面白い奴が入って来たらしいな? 風の噂で聞いたぞ」

「この間生存が確認された『魔血人形アンリミテッド・ドール』の成功作の事かな? アークスでは価値があるけれども、ここではそうではないと思うけれどね」


 第一声とは打って変わった、あからさまなはぐらかしを受け、ロドルフォの表情は露骨に歪む。どのような方向性の感情に因る物か、まではパスカに理解は出来ないが。


「馬鹿言え、再生能力しか取り得のない金属の無駄使いを欲しがる訳ないだろうが。単刀直入に言うならば、違う世界から来たとか言ってる奴の事だ」


 サイモンの眉がほんの少しだけ動く。ヒルベリアという街の特性上、かなり人の出入りに関して緩い事は織り込み済みだろうが、鮮度の高い話題を握られていたというのは、なかなか不味い事態である。

 近々反逆者の存在の有無について洗い出しを行う必要が出てきたな、と思考を巡らせながら、パスカはロドルフォの言葉に耳を傾ける。


「言動の節々に面白さが見える奴だそうだな。加えて言うなら、お前等の国の常識とは大分違う常識の持ち主と来てる。なら、アークスより遥かに発展しているここに居た方が、良いとは思わねぇか?」

「本人の意思を無視して移動させる事が可能と思っているのかな? そのような行動は土人国家の振る舞いだ」

「ゴミ捨て場の人間に居る尊重される人権があったのか。扱いを見てりゃ驚きの事実だな」

「コルタロを放置している君が言うと素晴らしい説得力の発言だね」


 穏やかな表情を崩さぬまま、牽制球を放り合うやり取りが続けられていく。短期を

してしまえば、これ幸いと争いに直結するが故に齎される緊張感に、パスカは少し身体を震わせながら、自らも思考を巡らせる。

 ――現時点で彼女自体に大きな力は無いと判断出来る。……だが、ああしてこの世界に来ている事自体が、特別なのだろうな。いずれ、何らかの対策が……。


「失礼します。……パスカ・バックホルツ様の通信機器が、着信を示しているのですが……」


 思考、そして二者の会話が思わぬ形で中断される。受け取るべきかどうか、一瞬ながら躊躇を見せたパスカに、ロドルフォの言葉が飛ぶ。


「出て良いぞ。……安心しろ、お前が恐れている事をやるつもりは無い。どうせこの人格者の皮を被った狸野郎の事だ、俺達が不利に陥る何らかの仕掛けはしているだろうからな」

「なかなか失礼な発言だが、大筋としてはロドルフォに同意しよう。……二人きりで話したいことも少々存在しているしね」

「……では、失礼します」


 自分より上位の者達から動く許可を得て、パスカは部屋を退出して通信機器を受け取り、耳に押し当てる。


「おぅパスカ、久しいな」


 懐かしい、緊張感に欠けた声が耳に飛び込んできた。


「この間お会いしたばかりですよ。……用件をお願いします。陛下と共にロザリスに居るので、あまり長い間はお話出来そうにも無いので」

「お付きの仕事をルチアから押し付けられてんのか。大変だなぁ」


 笑い声と共に、笑えない用件が告げられていく。師であった男、クレイトン・ヒンチクリフの言葉を脳が理解していくと、 パスカの表情は酷い物に変わっていく。

 ――ユアンの奴、やはり碌な事をしていなかったな!

 パスカが、内心で年下の同僚への怒りの炎を燃やしている事には気付かないまま、クレイは軽い調子のまま結論へと着地する。


「じゃ、後はよろしく! 俺が行きたい所だが、今の立場でやったら話が拗れるモンでな」


 通話はそこで切られ、パスカは機器を持った腕を脱力したかのように下げる。

 何故に、ここまで的確に話題の人物が絡んだ事象が起きるのか。更に自分の替わりに出られそうな者がいないのか、答えを思わず欲しそうになるが、思考を現実へと切り換える。


「いくら自由がかかっていると言っても、こちらの意図通りに奴が動く筈もない。最悪の事態を想定して、ユアンには伝えておくか」


 歩き出したパスカだったが、先程聞いた声を耳に捉え、足を止める。


「……うん、分かったよ! ヒルベリアに行けば良いんだね! ……おやつは幾らまでかな?」

「……レーヴェ、これは仕事だから間食は不要だ」

「かたいよハーちゃん。これだから……」

「そそそそれは関係ないだろう!?」

「……」


 断片的に捉えるだけに留まったが、ディアブロの二人は確かにヒルベリアに向かう旨の会話を行っていた。

 やはり、あの少女に対して何らかの行動を起こす腹積もりなのだろう。自らの師がいれば対処は容易だが、全ての時をあの場所で過ごしている訳では無い。となると、結論は一つだ。


「詰所に配置する人員を増やすよう、働きかけるか……」


 何事もなければ良いのだが、そんな甘い展開にはなってくれないだろう。一種の諦観と共に、パスカは思考を回し始めた。


                 ◆


 盗賊の稼業とは忍耐がもっとも重要だと、ダート・メアを拠点とするヘレナ・アイアネッタは師匠から口を酸っぱくして教わった。

 幾ら財を有していそうな存在が現われたとしても、そいつの周辺をよく観察し、強力な護衛や当人が実力者であるならば、見逃す事も大切なのだと。

 お伽噺の世界に登場するような魔術師や、神と位置される魔獣達を除けば、生物は命の再生などまず出来ない故に、それを守る事を第一に考えるのだ。


「……とか言ってる師匠が、引退したとは言え四天王の一人に挑んで死んだけどさ」


 一人ごちて、ヘレナは粘土に似た携帯食料を全て口の中に放り込み、油分だけが自己主張を繰り広げるクソッタレな味に不満を訴える舌を放置して『梟眼イブーゲン』を発動。

 ヘレナの眼球内部、網膜の細胞の数が急激に増加し、櫛膜に似た物が形成される。

 色を認識する力は失われるが、引き換えとして夜間に於ける単純な視力や動く物を捉える力の強化を遂げたヘレナは、ダート・メアに設置された街道をじっと睨む。

 ハイウェイが使用不可能になっているが為に、ここ一週間で、彼女はかなりの稼ぎを手にしていた。

 ハレイドからラープなどの街へ向かっていた小金持ちの襲撃をこなし、しばらくは遊んでいられるだけの金は既に集まっている。

 しかしハイウェイが修繕されてしまえば、また稼ぎのチャンスは激減するのだ。今この瞬間に、可能な限り稼いでおく必要がある。

 一週間の間に幾度も振るい、手入れが追い付かずに刀身が赤黒く変色しつつある曲剣を右手に構え、視界に入って来た光点を見つめてほくそ笑む。

 ――このご時世に一人で、しかも自分の足を使って移動か。馬鹿じゃないの?

 単身で街と街、またはアークスと小国の間を移動する事がどれだけ危険であるのか、少し考えれば馬鹿でも分かる。

 通常のヒトが休息なしに使える魔術には当然限界がある。一人旅をしている者は当然ながら消耗が多くなり、野生生物、またはヘレナのような盗賊の格好の餌と化すのだ。

 ――先代、当代どちらの四天王にも該当しない姿。……いける!

 街道に仕掛けた『操蔦腕リエナス』の罠が発動し、光点に絡み付いて動きを止める。後はいつも通り接近して曲剣で脅せば、全て終わる、筈だった。


「……え?」


 光点の主は身体に絡み付いた『操蔦腕』を強引に引きちぎり、こちらへと方向転換したのが、光点の動きで理解出来た。そして、また新たな光点が生まれていくのが感知出来、同時にリルムの脳が警笛を鳴らす。

「一旦――」

 ガラスが割れる音に近い物が耳に突き刺さり、反射で身を伏せる。恐る恐る上を見ると、ついこの間仕入れたばかりの『ペルタ・チェイン』が形成していた、防壁の一部に大穴が開いていた。

 『輝光壁リグルド』の完全な下位互換ではあるものの、ここ一週間の間、狙った獲物からの反撃を全て防いでいた防壁が損傷した事への衝撃と、自分が完全に選択ミスを犯した事への悔恨で動けない

 その間に、光点の主はヘレナの元へと飛ぶように駆け、逃げ場を塞ぐ。


「ちょ、ちょいタンマ! 悪かったから! 有り金全部渡すから! だからそれを下げて!」

「……」


 左腕に装着された、大砲にも似た物体を突きつけてくる光点の主は、予想とは全く異なり、自分と大差ない年齢の少年であった。

 ただ、明らかに自分とは違う物を持っている。それは目が光る光らないだのの低い次元の問題では、断じてない。

「本当に悪かったから! ……ねぇ何か言ってよ!」


「……か?」

「……え?」

「ツインボウに乗った、俺と同じ位の年齢の女の子と、髭面のクソ野郎を見なかったか?」

「な、なんでそんな事を……」


 ヘレナの頬を蒼い光の弾丸が掠め、地面に新たな刻印が施される。

 知らなかったり、話さなかった場合、自分をどうするつもりなのかについての、あまりにも潔い意思表示を前にして、必死で記憶を辿る。

 幸運にも『梟眼』によって色彩を失う事なく視認出来る昼間に、少年の求める存在を見ていた為に、すぐに記憶の海から引き摺り出す事が出来た。


「黒髪の女の子が乗ってるツインボウの事でしょ? それなら、三日ぐらい前にこの街道を通って行ったよ……」

「どの方向にだ!?」


 両肩を掴まれ、激しく揺さぶられる。貧弱な容貌とは釣り合わぬ力で揺さぶられた事で、激しい痛みと動揺が広がるが、どうにか言葉を紡いで行く。


「……アンタと同じ方向に走っていったよ。妙に綺麗なナリをしてたし、首都にでも向かうんじゃないの?」

「首都か。……」


 一瞬黙り込んだ後、少年はヘレナが腰に巻き付けていた鞄に手を突っ込んで器用に血晶石だけを取り出し、口に放り込み咀嚼する。


「なッ……」


 魔力を有している生物ならばともかくヒトが血晶石を食べるなど、見た事も聞いた事も無い。

 ヘレナが絶句している間に、少年は鞄の中に入っていた血晶石を喰らい尽し、また走り出そうと背を向けた。


「もらっ……」


 相手の注意は前方に向き、自分に向けられなくなった隙を衝き、ヘレナは曲剣を少年に突き立てようと振りかぶった。

 しかしその切っ先は少年に届く事はなく、彼女の腹部に、少年の眼の光と同じ色の斬線が刻まれる。


「……う、そ、でしょ?」


 目にはそれなりに自信があった。更に言えば、長年積んできた盗賊稼業で積んできた経験で、何か動きを見せる相手に対して反応する事も、そんじょそこらの戦士よりも上手くやれる自負はあった。

 だが、今この瞬間、この相手には何も出来なかった。

 混乱と恐怖が全身を走り、斬線から血が噴き上がり、口元にも紅い線が描かれ、視界が急速に薄らいでいく。


「内臓までは斬ってないから安心しろ、じきに意識は戻る。それまでに何かされてたりしても、俺は責任を取れないがな」


 怒りを押し殺した言葉を耳に捉えた後、ヘレナは意識を失った。


 斬撃を放った少年、いやヒビキは、スピカを鞘に収めて宙を睨む。

 いきなり盗賊に襲撃されたこと自体は不運だが、自らの力の維持にとって重要な存在である血晶石を補充出来たのは幸いであった。

 クレイの指導によって単なる肉体の強化に留まる、部分的な力の開放を覚えたと言っても、未だに『魔血人形』の力の使い方には無駄が多いとの自覚はある。

 ここに至るまでどれだけ走り続けてきたのか定かではないが、血晶石を補充出来たのは大きい。目的を果たす前に力尽きる無様な状態には陥らずに済みそうであると、小さく息を吐く。


「……ハイウェイはまだ使えないし、戦闘要員では無い者が同乗している。加えて、運転手が一人なら必ず一定以上の休息を取る為に停止する時間がある。……必ず追い付く筈だ。待ってろよッ!」

 

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