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「そんでですね! いきなり起き上がったと思ったらドカーンてなって、ヒビキちゃんがグシャーってなってむごご!」

「あーあー分かった。大体分かったから落ち着け。こうしてヒビキも生きてるしユカリ君も多分生きてる。だから少し声を絞れ、煩いから」

 捲し立てるライラの口を強引に塞いで、クレイトン・ヒンチクリフは大穴が開いてやけに涼しくなった部屋を見渡す。

 話題の片割れであるヒビキは、発動車に撥ねられた衝撃で、未だに気を失ったまま床に転がっている。

 ――『魔血人形』の力で、身体はすぐに治るから放置しても問題は無い。問題はユカリ君の方か。

 酷い結論を内心でさりげなく下し、元四天王はライラに問う。

「少なくとも、イザイアと一緒に居るのは間違いないんだな?」

「多分そうだと思うんですけど、相手は密輸人ですよ!? 今頃どうなってるか……」

「下手に民間人に手を出してみろ。バレたら追手の力量が跳ね上がる。やり過ぎた場合のリスクも分かっている筈だ。ユカリ君がよっぽど不味い行動をしたり、急激な状況の変化が起こらない限り、無事でいる筈だ」

「状況の変化なんて、いつ起きるか分かんないでしょうが!」

 ライラの指摘は至極真っ当だ。


 どれだけ治安が悪くても、衆人の目がある上に、人の暴走を制御する仕組みが整っている街の中と比較すれば、ユカリが今いるであろう場所は遥かにリスキーなのは間違いない。

「俺が追うしかないか」

竜翼孔ドリュース』を用いて空を飛べば、彼の能力なら確実に追いつける。詰所の人間曰く海ではなく、首都の方角に向かったようなので、しらみつぶしの捜索も可能と言えば可能。

 衰えた自分の身体が、理屈通りに動いてくれるのかは甚だ疑わしいが。

「駄目ですよ、追うにしてもクレイさんが追ったら! 絶対に話が拗れますから!」

「そりゃまたどうしてだ」

「こんな所にドロンしてるから忘れられてますけど、あなた一応この国で最強クラスだったでしょ!? ああ言う職業の人は絶対あなたの事知ってますよ。ノコノコ出て行って、パニック起こしてユカリちゃんに何かあったらどーするんですか!?」


 ――名前どうこう言うなら、そこに転がってるヒビキも相当なんだけどな。


 内心でそう思いながらも首を振る。名前どうこうの議論を今行うのは、一番の問題から遠のくだけだ。

「なら『万変粧フィクス』で顔を変えて追うか。使う魔術の系統も、普段とは違う奴にしときゃ問題無いだろ」

「そうですねぇ……」

 考え込むライラを放って、手際良く逃亡者を追いかける準備を始めたクレイだったが、とある可能性に気付いて動きを止める。

「なぁライラ、あの男は本当にイザイアだと思うか?」

 唐突に発せられたまるで脈絡の無い話題転換に、完璧な円形を描いているライラの目を、クレイはオー・ルージュを弄りながら見据える。

「『名前と連絡先以外知られるな』ってのがこの手の人間の基本だ。最近じゃ撮影技術の簡易化と機器の拡散で一般人にも面が割れるようになってきてるが、それでも見られないように動くもんだ」

「……」

「比すると、目覚めてからのアイツの動きは色々と変だ。ここに何の知識も無いのに脱出を優先するのはまだ分かる。けどユカリ君を連れて行くのはおかしくないか? 言いたかないが、足手纏いにしかならないだろ?」

「言われてみれば……」

 立場や実力のある者に何か言われると、それに辻褄が合うように思考が誘導されやすくなるヒトの悪い癖を抑え込みながら、ライラは思考を巡らせる。

 どれだけクレイの言葉を否定的に捉えても、幾つか拭い去れない疑問点が浮かび上がる。考え過ぎで、もっとシンプルに考えてくれと笑えば良いのかもしれないが、それが出来れば苦労しない。

「……仮にクレイさんの言っている事が正解だとするなら、どのような手を打つのがベストだと思いますか?」

「そうだな……」

「ぐだぐだ考えてる余地なんざないだろがッ!」

「わっ!」

 突如隣から発せられた大声に、ライラは身を竦ませながらそちらへ首を回す。ついさっきまで気を失っていた筈のヒビキが立っており、何故か左目が蒼く輝いている。

 その理屈は理解出来るのだが、何故このタイミングで目を輝かせているのかが、ライラには分からない。

「ヒビキちゃん、いきなりそれ使って……」

「使ったって良いだろ! 俺は今怒りで絶望的に有頂天だ! 神が許さなくても俺が使用を許す! いや寧ろ俺が神だ!」

「言葉のチョイスがおかしいし、思考もおかしいぞ。元からおかしいと言えば、まあそうなんだが」

「やかましいわぁッ!」


 咆哮を上げただけで壁の応急処置が木端微塵に砕け散り、クレイは口笛を吹く。

 また修理のやり直しの必要が生まれて、死体のような顔へと変貌していくライラを他所に、ヒビキの明後日の方向に走る感情は加速する。


「無名でガラクタで役立たず、能無し家無し借金持ちの俺が行けば全て丸く収まる! ユカリを連れ戻して、あの×××××野郎をコテンパンにして、引き摺って来てやんよッ!」

「わぶっ!」

 謎の爆発音と同時に発生した土煙に塗られたライラの視界が回復した時、既にヒビキの姿は消えていた。

 本当に走ってイザイアを追う腹積もりなのだろうか。呆れながらもライラはクレイに問い掛ける。

「……ヒビキちゃん、大丈夫なんですかね?」

「『魔血人形』の解放の仕方を、ある程度俺が教えたから大丈夫だ。肉体強化に留めれば、追い付くまでは行けると思うぞ。燃料の関係上、発動車は無制限に走り続けられないしな。一応保険はかけとくから安心しとけ。それもコケたら俺が動くから安心しろ」

「はぁ……」


 元・四天王がかける保険ならば、安心は出来る。なら、自分が今やるべき事は一つしかない。

 ヒビキのせいで先程より破壊の度合いが酷くなったが、クレイを助っ人として使えばすぐに終わるだろう。

「クレイさん、ちょっと手伝って……」

「じゃ、俺は準備を済ませてくるからちょっと出て行くわ。修理頑張れよ!」

 期待を抱いていたライラを嘲笑うように、無駄に爽やかな笑顔を残してクレイは『転瞬位トラノペイン』を発動して姿を消した。当然の帰結として、場に残るのは彼女一人だけになる。

「皆ホイホイ壊して放ったらかしにするけどさぁ、修理する人の事も考えて欲しいよね。もう少し建物に優しく……」

 聞く者が誰もいない嘆きを発しながら、応急処置をすべく、ライラは手近な所に転がっていた工具を手に取った。


                ◆


「……死ぬ」

「立てクソガキ! このままだとここで野垂れ死にだ!」


 ヘルメロイと持ち主が呼んでいる発動車を、押し始めてから数時間が経過した所で、ユカリは地面にへたり込んでいた。押し手が減っては困る為だろうが、イザイアが必死で叱咤してくれている。

 だが、もう身体が限界なのだ。腕も足も何もかもが悲鳴の合唱を始め、意思に反して動いてくれない。

 発動車を軽く蹴って、イザイアは頭を掻きむしりながら怒鳴って来る。


「魔術なりなんなり使えないのか!? アークスの連中は使えた筈だろ!?」

「……私は使えないんですよ」

「クソッタレがッ!」

「どうして積み荷に予備燃料がないんですか? 普通、入れてる筈じゃ……」

「突っ込んで来やがった×××××野郎に、積み荷は全部燃やされたんだよ!」

 純粋な苛立ちのみで構成された怒鳴り声を聞きながら、地面にへたり込んだまま、ユカリは自らの命の危険を覚え始めた。

 ――積み荷は全部燃えたって言ってたし、野営の道具も無いんだろうな。そうだとすれば……。

 安全な水も食料も手持ちにない状況を乗り切れる程の、サバイバルのスキルは自分にはない。イザイアの叱咤の通り、野垂れ死に、の言葉が割かしジョークでは済まない状況だ。

「……おい、エンジンの音が聞こえるぞ」

「……え?」

 唐突に表情を真剣な物に切り替えたイザイアが発した言葉に、ユカリは首を捻る。何処にもそのような物は感じられないからだ。

 そんなユカリを放置したまま、一瞬の沈黙の後、髭面の男は確信に満ちた言葉を紡いでいく。


「大体三台ってとこか。燃料消費率を考慮していないアクセルの踏み具合に、四頭のドラゴモロクの気配。……イケるな」

 イザイアは背中に手を伸ばし、身構える。だが背中には何もない為に、その手は盛大に空振る。

「……何してるんですか?」

「ちょっとミスっただけだ。来るぞ!」

 排気音と悲鳴、そして獣の咆哮が耳に突き刺さる。最初は小さかったそれは、加速度的に大きくなり、全貌も見えてくる。イザイアの言葉通りの台数の発動車と、人影、そしてドラゴモロクが疾走してくるのが視認出来た。

 予言も同然の的中率に、ゆかりは目を見開いた。

 ここまで正解を引き当てるのは偶然ではない、彼の力に依る物だろう。しかし、一介の密輸人がこのような力を有しているのはおかしくないだろうか。

 疑問を抱くユカリを置いて、イザイアは腰に差した曲剣を引き抜いて吼える。


「凡人共の皆様、ハマータイムを楽しめよ!」


 人の影を認識して、急減速を始めた三台の発動車とドラゴモロクの間に割って入ったイザイアは、完全に存在を認識されるよりも速く、曲剣を振り抜いて一頭の首を飛ばす。

 その勢いを殺さずに空中でまわり、左足の踵をもう一頭の首元へと振り下ろす。観劇者耳を塞ぎたくなる音を発しながら、首を折られたドラゴモロクは、明後日の方向に視線を向けながら沈む。

 が、ここまですれば残る二頭も敵を認識出来る。そしてイザイアは、攻撃の余波でまだ体勢を変えられない。

 硬質化した頭頂部を向けて、二頭のドラゴモロクは疾駆。並みの鎧ならば易々とへこませられる一撃を、二方向から食らえばどうなるかは考えたくもない。

 追われていた乗員とユカリは、これから展開されるであろうグロテスクな光景から目を背ける。

 硬い物がぶつかり合う音と、呑気な口笛が同時に響く。

「嘘!?」

 怪訝に思い向き直ったユカリが見た物は、突撃を躱されて互いの頭部を仲良く打ち合わせているドラゴモロクと、先刻までより更に高い所へと跳躍しているイザイアの姿だった。

「ゲームセットだ!」

 混乱するばかりの観衆を放ったまま、イザイアは曲剣とナイフを両の手に握り、衝撃で動きが止まったドラゴモロクの首筋に、刃を深々と突き刺した。

 間欠泉の如き勢いで鮮血を噴き上げ、ドラゴモロクは絶命し、大地に崩れ落ちた。

 只々、ユカリは驚愕するしかなかった。ドラゴモロクと言えば、それなりに厄介な相手であると、ヒルベリアでは聞かされていたし、自分の中にあった経験でもそうであった。 

 それを眼前の男は、赤子の手を捻るかのような速さで、被害者を誰も出さずに制圧したのだ。

 ――密輸人じゃないよこの人。どっちかと言うと、狂戦士とかそっちの肩書きが似合うよ。

 首都に辿り着くまでは同行しなければならない事に、今更ながら恐怖を覚え始めたユカリの横を通り過ぎ、件のイザイアは発動車の乗員の内、一人の男の襟首を掴む。

「なななな何を!?」

「俺は今、お前等を助けた。あのまま放置していたら、お前等の中で負傷者又は死者が出ていた。間違いないな?」

 高速で首を縦に振る男を見て、イザイアは満足気に笑う。

「よしよし、俺の善意がお前等を救ったって見解は一致した訳だ。だからま、感謝の印を寄越せ」

 まさか、燃料の類を調達する為に助けたのか。ユカリの今更ながらの推測は、次の言葉で肯定が為される。

「燃料と水と携帯食料、後は薬と毛布か。ここからハレイドに向かう道で、一番近い補給場所まで保つ程度に寄越せや」

 彼らも旅路で起こりうる不測の事態を想定すれば、はいそうですかと軽々しく渡す訳にはいかないのだろう。

抗議の言葉を発しようと口を開くが、喉元に刃を突きつけられて閉じさせられる。

「恩を返せない奴は死ぬ。お前等が善人であろうと無かろうと、これだけは必定だ」

「わ、分かった、渡す、だからそれを下ろしてくれッ!」

「分かり合えて嬉しいな。すぐ持ってこい」

 徹頭徹尾、悪人としか思えない会話を聞き、ユカリは嘆息する。そして、疑問も浮かび上がる。

 ――最初の背中への動き、あれは一体何だったんだろう? まるで、いつもはあそこに何かあるみたいな動きだった。……背に背負った、弓を構えるみたいな、そんな動きだった。それにドラゴモロクに対する動き。あんなの出来る人なんてそう……

「おいクソガキ、善意のやり取りが終わったぞ。積み込み手伝え」

 イザイアに呼ばれ、思考を中断したユカリは物凄い目で睨んでくる被害者の男達に頭を下げ、走り出す。

 密輸人への疑問は消えないが、今は解き明かす術が無いので我慢しろと自分に言い聞かせ、眼前の作業に集中する為に疑問を脳から強引に締め出した。

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