15
果たし状を送り返してから三日後、即ち決戦の前日。
人々が寝静まり、遠くから獣の声が聞こえてくる夜に、ヒビキは家の近くの川で、延々と魔術を放ち続けていた。
血晶石で構成された右腕が湯気を上げるほどの熱を放ち、スピカを握った左腕も火傷の際に生じる火脹れに似た物が出来上がっている。
「……間に合わない、か」
吐き捨てて、傷と汗に塗れたヒビキは地面に倒れる。
対ディアブロへの切り札として、すぐに覚えられそうな魔術は無いかとカルスの書物を漁り、『
――組み立てを変える必要があるか? いやでも――。
「おぉ」
「やあ、お疲れ」
思考を巡らせていると、フリーダが歩いてくるのが目に入り、ヒビキは腹筋の力で跳ね起きる。
彼もまた遅い時間帯、しかも日中に仕事をしたわけでもないのに、身体はヒビキ同様に汚れと傷が目立つ状態。
理由が自分にあるだけに、申し訳なさを感じながらヒビキは問う。
「どうした?」
「ん? ライラからの伝言を伝えに来たんだ。「設置は完了したよ」ってね」
「そうか……すまん、間に合わなかった」
「……あぁ、魔術の事か。僕も『
言葉とは裏腹に、フリーダの表情は固い。極めて勝率が低い相手との戦いを控えて、平然とされるよりは人間らしいが、やはり一人で挑む方が良かったのではと、ヒビキは今更ながら思う。
彼自身、似たような馬鹿具合を発揮している為に、強くは言えないのだが。
「明日の展開はどう組み立てる?」
「……正面切ってやれば勝率はほぼゼロ。クレイさんが残してくれていった資料に書かれていた、ハンナの精神的な弱みを上手く衝けるかどうか、だろうな」
「レヴェントンの事を大切に思い過ぎているが為に、彼が危機に陥れば一切の状況を無視してそれを阻止にかかる、だっけ。レヴェントンをそこまで持って行けるかで、全てが決まるんだろうね」
二人に提示されている勝利に繋がりそうな材料は、現時点ではこの点のみ。
一応そう持ち込めるように色々と組み立ててはいるが、天才と、劣ると言えども相当な実力を持つ存在に対して、弱者の組み立てが通用するかどうかは半分あれば良いところだろう
少し表情が濁ったヒビキを他所に、フリーダは背を向ける。
「これ以上やって疲労を残しても不味い。……そろそろ帰ろう」
「……だな。……あぁそうだ、ちょっと言いたい事があるんだが、良いか?」
「愛の告白ならパスさせてもらうよ。僕は異性愛者だからね」
「違ぇよ。……大分前、血晶石を集めようぜって言い出した頃、お前が理由を聞いてきた事があっただろ?」
思い出したか、ヒビキの側に向き直ったフリーダから首肯が返される。
何故、ユカリに対してそこまで入れ込むのか?
これに対しての答えをその時は返せなかったが、今なら返す事が出来る。
「今言う必要があるのかい? 戦いが終わってからでも良い気が……」
「万が一死んだ時、俺が優しさと慈愛に満ちた男として認識されたら嫌だからな」
理由に呆れた表情を作ったフリーダの目を見据え、ヒビキは暫し逡巡の色を顔に映したが、やがて意を決したように口を開いた。
「多分だけどさ、俺は良い人間って奴になってみたかったんだろうな。……ユカリがいなかったり、死んでたりしてた場合の俺の人生は、誰からも評価されずにずっと同じ事を繰り返して、最終的には野垂れ死にだったのは間違いない」
「まあヒルベリアってのはそういう所だからね」
合いの手を入れ、続きを促してくるフリーダに苦笑を返し、続けて行く。
「ユカリを見た時、スピカを止めたのはヒトの形をした生物を殺すのが怖かったってのも大きかった。でもそれだけじゃなかった。……あいつを助けて、感謝だとかそういう感情を向けて欲しかったんだろうよ。そうすりゃ、誰かからの肯定的な感情を受け取れるかもしれないって思ってな。……お前と違って、戦う為の力さえも借り物の俺は、打算が無けりゃ人助けも出来ないクソ野郎って訳だ」
深夜のヒルベリアに、再び沈黙が降りる。明日は人生最後の日となる可能性があり、雑念を全て振り払った上で挑んで、ようやく小数点以下の勝率が生まれる戦いの日でもある。
その前日に、下らない自己満足を吐くべきではなかったと、思いのままに吐き出した後に、ヒビキは自らの失策に気付く。
「すまん、今のは――」
「忘れないだろうし、僕はそうじゃないと否定させてもらうよ」
遮る形で発せられた、友人の言葉にヒビキは目を丸くする。
「最初は打算だったのかもしれないね。でも、カラムロックスの影と戦った時、君は僕やライラにさえも見せたことが無かった『魔血人形』の力を使ってまで守ろうとした。……十年ぐらい、かな? それだけ長い時間隠し続けていた力を見せるなんて、打算で関係を持った相手には使えないよ」
「それは……」
「先は言わなくても良い。適当に捻り出した言葉なんて何の意味も無いからね。君のユカリちゃんに対する感情も、戦いが終わってから考えて、本人に対して言えるようにしなよ」
反論するより先に次々と言葉を放り込まれ、硬直するヒビキの肩を叩き、フリーダは歩き出す。
「僕がディアブロとの戦いに乗ることを選んだのも、客観的に見れば下らない自己満足だし、そもそも僕も君と同じように、汚い感情に塗れて生きているものだ。自分で自分を卑下するのは止めはしないけど、世界で自分だけだと思うのは馬鹿のすることだ」
「直球で酷いこと言うな……」
「ヒビキは馬鹿なんだから仕方ないだろ? それじゃあまた明日。……勝ちに行こうよ、どうせならね」
態々こちらを振り返って、無駄に爽やかな笑顔で返してきたフリーダに苦笑しながら見送り、ヒビキは地面に腰を下ろす。
体力や技量の限界を遥かに超えた挑戦を強いられ続けたユカリは、まだ眠り続けている。「消耗と目的を達成した事による緊張からの解放によるもの」で、命に別状はないのですぐに目を覚ます、とはファビアの言葉だ。
次に目を覚ました時、ディアブロを始めとしたロザリスの連中とご対面、になってしまうか否かはヒビキ達にかかっている。
そうなれば、今抱えている感情の答えなど、分からぬままに全てが終わってしまい、フリーダ曰く、絶対に見せたくないとしていた物を曝け出してまで戦った意味も、無に帰す。
未知の感情と対面せずに終われる安堵よりも、そんな結末を拒む感情の方が、ヒビキの中ではまだ多い。
「……なら答えは一つだ。……絶対に勝つ!」
単純な、故に重みが伝わるヒビキの決意の言葉は、誰にも聞かれぬまま、ヒルベリアの夜の中へ消えて行った。
◆
時間は必ず流れ、夜は明けて太陽は昇る。
太陽が丁度真上にまで昇った頃、ヒルベリアのメインストリートから離れた、廃墟に等しい区画で待つ二人の目は、飛来する人型の物体を捉えた。
物体は二人の姿を認識するなり急激に方向を変え、真っ直ぐ落ちてくる。
「やあ変なお兄ちゃんと、そこそこカッコいいけど無謀で馬鹿なお兄ちゃん! 殺される準備は出来た?」
騒がしい少年、レヴェントン・イスレロと白銀の鎧を纏った女騎士、ハンナ・アヴェンタドールは、凱旋を行う騎士の様に悠然とヒルベリアの大地に降り立つ。
「イスレロ家だけが身に付ける『悪魔の仮面』か。本当にディアブロとやるんだね」
震えが少し混じるフリーダの指摘通り、レヴェントンの顔下半分は禍々しい装飾が施された赤銅色の仮面で覆われ、以前対峙した時とは段違いの威圧感を放っていた。
ハンナの方は外見こそ変わらずだが、闘争心の類は二人が逃げ出したくなるほどの圧力として伝わって来る。
「それで、お兄ちゃん達をブチ殺せば目標その一が達成。あの女の子を持って帰れば、完全にお仕事完了ってわけだね。……ま、楽勝かな!」
仮面によって齎される威圧感を台無しにする、軽い調子で嘲りの言葉を吐くレヴェントンに対し、反応を返したのは意外にもフリーダだった。
「どうだろうね? 君達と僕達では、危機感って物が違う。……それにこういう局面だと、意外と親の七光りと負け犬の子供より僕達の方が強いかもしれないよ?」
「……貴様ッ!」
普段は絶対に行わないフリーダの煽りに、ハンナが怒気を孕んだ突撃を開始しようと体勢を低くする。それに呼応して二人が戦闘態勢に移行しようとした時
「ハーちゃん、落ち着くんだよ!」
レヴェントンが己の得物である巨大な槌を振るい、ハンナの頭を軽く小突く。
小突くといっても元の大きさが大きさなので、かなり鈍い音を立て頭は揺らぐが、ハンナはダメージを受けた様子はなく、衝撃によって冷静さを取り戻す。
その様子を見て、二人は突如としてサータイ山脈へと旅立ったらしいクレイが、置いて行ってくれたハンナに関しての資料が、ある程度正しい事を確信して頷き合う。
「ま、とにかくお兄ちゃん達をコテンパンにしてあげる事は変わらないからね! 降伏した方が身の為だよ!」
「降伏? そんなモンはな、ある訳ねぇよッ!!」
ヒビキが『魔血人形』の力を解放して、『
視界を埋める程の数放たれた巨大な泡が、ドラケルン人の槍によって弾け飛ぶ。
その音を死闘の開始を告げる号砲として、二人は疾駆。
「妙な仕掛けがあるな。……潰しておくか」
呼応して武器を構えるレヴェントンとは異なり、悠然と立っていたハンナはそう呟いて、天に向かって右手を伸ばす。
「不味――」
ヒビキ達の視界が痛みを覚えるほどの白に犯され、正しい視界を取り戻した時、二人はそれぞれが離れた位置で大地に転がされ、地面に大量の穴が開いていた。
「……やられた」
穴の開いた箇所よく観察すると、ライラに頼みこんで設置して貰った、地雷のあった場所だけに穴が開き、煙が立ち昇っている事に二人は気付く。
戦いの流れの中で相手を誘い込み、ディアブロ連中の爆死を狙う策がいきなり潰された。躓きに苦い顔を浮かべる二人に対し、ヒビキの前に立っているハンナは淡々と宣告する。
「君達の弄する小細工では、私達を倒すことなど不可能だ。……丁度分かれたことだ、一対一で行こうじゃないか!」
宣告を終えると同時に、巨大な両刃剣が構えられ、レヴェントンも槌を構え直す。
作戦がいきなり砕かれて苦い顔をしながらも、二人は立ち上がり、倒すべき相手を正面から見据える。
咆哮と共に武器が交錯する音が、観衆なき闘技場に響き渡った。
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