6
いよいよ出発の日になりました。私が頑張らないと、ヒビキ君の未来も無くなってしまいます。全ての力を絞り出して、目的を果たしてみてます!
……強気で行くは無理ですね。正直な所、クレイさん曰く自分より強いハルクさんでも、初めての時は相当な時間がかかった難所。
道半ばで倒れるかもしれないと、私自身が一番不安です。
……でも、これは私が決めて、選んだ道です。足掻ける限りは足掻いてみます。
◆
「それじゃ、準備万端……でもないが時間だ。覚悟は?」
「はい!」
エル―テ・ピルスの麓に歪に開いた穴の前で、ユカリはハルクと対峙する。天気は快晴だが、これから霊峰に挑む少女の表情は硬い。
命懸けの登攀を行うのだから、表情が硬いのは当然だろうと、そこに殊更触れる事はせず、元・四天王は淡々と最終確認を行う。
「湧き水は絶対にそのまま飲まない、腹を下すだけじゃすまないからな。野草やキノコも極力食べない。携帯食料は一応一か月分あるから、武器より大事にするんだ。食べなきゃいけない時は、気休めにしかならないが火を通すように。後は……」
細々とした注意の中身は、この数日間で何度も聞いた物だ。だからこそ、それらを実践出来るか否かで生死が分かれるとユカリは理解し、真剣に耳を傾ける。
七分ほど後、全ての注意事項の伝達を受けたユカリは、腰に差した銃と曲長剣を確認し、ハルクに頭を下げる。
「ありがとうございました」
「礼は良いよ。まだ何も終わっていない。事を成した後、またクレイや友達と一緒に言いに来てくれ。ウラグブリッツも、その時まで君に預ける」
話は終わりとばかりに、ハルクがユカリの肩を叩く。
暫しの間逡巡の色を見せた後、黙礼を残してユカリは穴の中へ走り出す。
その姿が視認できなくなった頃、金色の弾丸が、否、ルーゲルダが地面に突き刺さった。
「何をしていたんだ?」
「いやぁ、ティナちゃんの練習に付き合ってたら魔術が暴発しまして……。ユカリちゃん、出発されたのですか?」
「たった今、な」
「しまった、一足遅かったですか。で、言ったんですか?」
「いいや」
決意に満ちている今、余計な思考をさせたくなかったが為に、ハルクは注意事項の中から一つだけユカリに伝えなかった。
――他人への感情だとか、他人への義務感と言った物は、逆境に晒されるとあまりに脆くなる。今いる場所で何をしたいか、どう進むべきかは自分に聞け。それが出来れば、危地に放り込まれても自分にとって最善の行動が出来る筈だ。
嘗ての教え子に伝え、そしてたった今までの教え子に対しても言おうとしていた言葉を自分の内側で回していると、ルルに背中を思い切り叩かれ、ハルクは激しく咳き込む。
「ま、ユカリちゃんも強い子頑張る子ですから、分かってくれるでしょう。そうでもなければ、クレイ君も託しませんよ!」
「……言いたい、ことがあるなら、普通に言ってくれ」
強烈な打撃のダメージで少しだけ目元に涙を浮かべながらも、元・相方の言葉に首肯して、元・四天王はここからは視認できない、遥か遠くに在る山頂を見つめながら、呟いた。
「頂上に辿り着けるかは、ほぼ運に握られている。だが、運を掴みとる事もまた実力であり、才能だ。死ぬなよ、ユカリちゃん」
当然そのようなやり取りを知る筈も無いユカリは、山中の迷宮内部に突入してからすぐ、構造をじっくり観察する前に命の危機に立たされていた。
「ちょ、ちょっと待って! こここないで!」
はいそうですかと、相手が易々と諦めてくれる訳が無いと分かっているが、彼女の口から無意識の内に言葉が零れる。
背後に迫るのは、元の世界の知識で例えるならば、六足のオオトカゲと言った風情の容貌を持つ生物だった。
生息している生物の目録に挙げられていた内の一体『スフェノチュラ』だろうと、教わった知識をフル回転させて判断しつつも、彼女の中で危機感が募る。
脚力は明らかに相手が上、地の利も同じ。そして仲間を呼ばれる可能性は濃厚。
どんな方向に転がるとしても、現状の継続によるメリットは皆無であると、ユカリは混乱しつつも判断を下す。
――なら、今の内にやるしかない!
注意すべき生物ではあるが、序列としては下位に位置づけられている生物に対して仕掛けを失敗するならば、先も無い。
腹を括って、ユカリは縺れさせながらではあるが片足を軸にして方向転換。追跡者の側へと向き直る。
捕食対象に対しての侮りか、疾走を緩めぬスフェノチュラの、爬虫類特有の無機質な眼を睨み、ウラグブリッツを抜いて構える。
ネックレスの石の力を借りるべく、銃を使っても良いのだが敢えての選択だ。
教わった通り相手を見据え、上段から一気に振り抜く!
転瞬、ヒビキの放つそれとは違う趣の暴風が吹き荒れる。
ユカリは放たれたエネルギーの強さに、思わず眼を閉じて顔を背けるが、悲鳴と物体が引き裂かれ、硬い物が砕ける音と、物体が弾ける生々しい音が耳に刺さるのを感じた。
音が止んで気配が消えた暫し経過した頃。恐る恐る目を開いたユカリは、眼前で展開される光景に驚嘆する。
スフェノチュラの頭部は、原型を想像出来ぬ程に細かく砕かれ、骨や血、そして脳漿と思しき部位が攪拌されて奇妙な液体と化し、胴体と思しき部位も同様の惨状であった。
剣の持つ恐ろしい力への畏怖と、これがあればどうにかなるのでは、との感情が混ざり合い複雑な表情を作ったユカリだったが、敵がいなくなった事で余裕が生まれ、周囲を見渡す。
迷宮と聞いて、前方に伸ばした手も視認不可能な程の暗所を想像していたが、発光する微生物のお陰か、灯りを点けなくて済む程度の暗さの空間は、上も下も、目に映る場所全てが硬質の岩石で形成されており、未整備であるが故に道となる箇所も至る所が隆起、陥没している。
追われて必死だったからとはいえ、自分がよく転ばずに今まで走れたものだと、少しだけ驚きつつ、ユカリは目的を再確認。
――目的は山頂まで登る事。そして、それはこの中の何処かにある移動用の部屋に入る事で叶えられる。勝つことじゃない、登り切ることだけを考える。
「……よしっ!」
不安に飲まれたままでは前進は無い。そう叱咤して軽く頬を叩きユカリは歩き出した、その時だった。
血の臭いに惹かれたのか、多種多様な生物がぞろぞろと姿を見せる。何頭かはスフェノチュラの血肉を啜っているが、大半は新鮮な餌になりそうなユカリに視線を向けている。
十を超える敵を同時に相手に出来るだけの術は、彼女にはまだない。となると選べる行動はたった一つ。
「これしか……ない!」
恥も外聞もかなぐり捨てた逃走だった。
「とりあえず、何処か隠れられる所を探さないと……」
初っ端から実力不相応の事態に放り込まれるという形で、ユカリのエル―テ・ピルス挑戦は始まった。
◆
同時刻、首都ハレイドに聳えるギアポリス城の一室では、奇怪な組み合わせによる会談が為されていた。
片方の中年男性は、アークス国王のサイモン。もう片方の若者は、王国関係者でもなければ他国の人間でもなく、更に言えば友人の類でもない。
アークスの食糧庫となっているベケッツ平原の中に在る街の一つ、ヨーシェンに本店を構える玩具会社の人間である若者は、緊張を隠せない面持ちで、目録を熱心に読み耽る国王を見つめる。
所定の場所へ目録を持って行けと上司に指示され、そこへ行ったら兵士に囲まれて城へ連行。挙句の果てに国王とご対面と言う一連の流れからすれば、当然の反応だろうが。
背後で延々と踊りながら曲剣を回転させている、桃色の髪の少女の放つ威圧感で、そろそろ泣きそうになってきた頃、サイモンが顔を上げ、目録を開いた状態でこちらに向けた。
「この人形について少し聞かせてくれないかな?」
「はははははいぃぃっ!」
「そう身構えなくて良い。今の私など、只の顧客候補だと思ってくれたまえ」
諭されて少し落ち着きを取り戻し、若者はサイモンの指差した人形の商品画を見る。幸いな事に、自分もある程度開発に携わった品で、これならばしっかりとした説明が可能だろう。
「……では、商品の説明をさせて頂きます」
若者が商売の口上を並べて行く。
説明を要約すると、現状ではロザリスでのみ製造が可能な特殊な樹脂を主たる素材として使用し、各関節部に廃棄された兵器である『
高度な技術を使い、かつ樹脂を人工皮膚で覆う事で質感も人間に近付ける事に成功した自信作だったのだが、コストが嵩んで利益が少ない上、質感を近付け過ぎたせいで「気持ち悪い」と不評の声が多数寄せられたりと、一部の悪趣味な好事家を除き内外で評判の良くない一品と化している。
若者曰く、製作段階では人間同然に仕上げる事に皆熱狂していたが、少しのデフォルメも無い等身大の人形を冷静に見ると、制作者全員が失敗したという感情しか湧き上がって来ないそうだ。
最初の段階で上がっていた、可動式の動物模型の方が利益は出ただろうとも、今となっては考えているとまで若者は口を滑らせ、慌てて口を塞ぐ。
若者の感情の揺れ動きなど、まるで意に介していない風情で、サイモンは目録を見ながら何度か頷き、暫しの沈黙の後口を開く。
「一つ頂こうか」
「ほ、本当ですか!?」
抑えていた声の調子が数段跳ね上がり、眼前の国王の苦笑を誘った所で、若者の失態に気付いて身体を縮こまらせる。
「失礼しました……」
「構わないさ。私も放浪時代に少しばかり商売をやっていてね、なかなか売れない、でもある程度は売らなきゃいけない物が売れた時は一晩中喜んだものだ。君の気持ちがよく分かるよ」
「分かってくださいますか!」
鼻息を荒くして立ち上がり、若者は立場を忘れてサイモンの手を取り、購入の手続きを進めて行く。
――王様もお金持ちなのにぃ、だ~いぶ値切ってるわねぇ。気付かないおにーさんが頭ぱかぱかさんなのかしらぁ?
後ろで湾曲した一対の剣『幻想禍パーセム』を回していた四天王、デイジー・グレインキ―に馬鹿にされ、サイモンに上手く値切られている事に気付かないまま契約を纏め、足取りも軽く部屋を退出して行く。
「すぐにお届けに参りますので!」
意気揚々と若者が退出した後、デイジーは自らの雇用主の裾を引く。基本的に無駄遣いのない彼が、突発的な買い物、しかも実用性が皆無の愛玩用の人形を購入したのだ。疑問を呈さずにはいられなかった。
「ねぇ王様ぁ、どーしてお人形さんなんか買ったのぉ? 変な事に使うのぉ?」
「変な事には使わないよ。……しかしデイジー君、その発想は何処で覚えたんだい?」
「駄目な男はそーいうのぉ使って楽しむってぇ、ユアンが言ってたわよぉ~」
派手に損壊したとあるレストランの中で、作業着に身を包み塗料の缶と資材を担がされている青年が背筋に何か寒い物を走らせるが、それは二人の与り知らぬ事。
サイモンはデイジーの頭を撫でながら、誤解を解いていく。
「ちょっとした実験だよ。この前ユアン君が届けてくれた石があっただろう? あの石を使って少しばかり試したい事があるんだ」
「工房を使えばいいんじゃないのぉ~?」
狂気に心身を浸している部下の、案外常識的な切り返しに、苦笑しつつもサイモンそれを却下する。
「軍事転用や、民生品としての可能性がある訳でもない、私の勝手な思い付きで彼らの仕事を遮る事は出来ないよ」
「王様も真面目ねぇ~。デイジーちゃんみたいに自由に生きれば良いのにぃ~」
「自らの意思に従順に生きるのは、君のように若い人間だけに許された特権だよ。……そうだデイジー君、そろそろおやつの時間じゃないかな?」
「本当ぉ!? 行ってきまぁす!」
バトレノスに駆り出されている、彼女の同僚が目撃したら卒倒しそうな勢いで職場放棄を行い、デイジーは食堂へと走っていく。
「そう、私には若さも可能性も最早ない。だが、やるべき事もやりたい事もある点では君達と何ら変わりはないんだよ」
一人残されたサイモンは、ややクサみを感じる台詞を吐いた後、特段の感慨も無さげに小さく伸びをし、自らの首に提げた装飾品の内の一つを眼前に掲げて見つめる。
視線を向けた石が、自らの呼吸に連動するように色を変えていく様を、暫し見つめた後
「さてと、どの辺りに手を入れて行こうかな。完成したら、まずは彼に相手をしてもらおうかな」
そして、若者の残した人形の詳細な図を眺め、思案を始めた。
◆
同日夜、エル―テ・ピルスの麓。
一人の少女が、迷宮の入口へと足を踏み入れようとしていた。
腰に二本の剣を携え、登山服に近しい衣服の上に、闇の中でも激しく存在を主張する、鷹の模様が刻まれた東方の羽織を改造した物を纏う茶髪の少女は、脇目も振らずに歩いて行く。
「やぁやぁティナちゃん、夜遅くに目の保養ですか?」
視線を向けた先にある一本の木の枝に、見慣れた存在が、羽織と同じ模様が刻まれた右肩をアピールするように奇怪なポーズを取りながら立っていた。
腰まで届く金髪に粗末な白の服を纏った少女、ルーゲルダ・ファルケリアである。
別に出くわすこと自体は珍しくもなんともないのだが、このタイミングで出会うのはティナにとっては非常に不味い。
「ルルさん、私は……」
「構いませんよ」
「……は?」
この場を適当に誤魔化すか、それとも素直に
「知りたいんでしょう? あの子にゴーサインが出た理由が。なら、迷う必要などありません。行っちゃって構いませんよ。私が置いて行かれるのは寂しいですが、まあ仕方ないお話として受けとめましょう!」
物心付く前からの付き合いだけあって、自分の考えなど、何もかも見抜かれているようだ。少しだけ表情を緩め、ティナはルルの言葉に甘えることにした。
「……では、行ってきます」
それだけ言って歩き出したティナの背に、再びルルの声が飛ぶ。
「でも、忘れないで下さいね。ハルクさんが貴方の才能と実力を誰よりも高く評価し、そして無事に帰って来るのを待っている事をね。答えを持ち帰る事が出来なくても、自分を卑下しないで下さい。この瞬間、いえユカリさんに追い付いても、分からない可能性だってあります。人生なんて、そんなもんですから」
肯定、否定どちらの返事も無いままに、ティナは歩み続け、すぐにその背中は見えなくなり、ルルは溜め息を吐く。
セマルヴェルグが作りだした内部の迷宮の嫌らしさから考えるに、二人が出会う可能性はまるで読めない。どちらかが死体となってもう片方とご対面、のケースが一番有り得る可能性だ。
親しい人間の為に命を賭す少女と、抱いた疑問の答えを掴みとる為に命を賭す少女。どちらの意思も、ある意味では高潔であり、エゴに塗れている。
故に、どちらの意思も尊ばれるべきだと、ルーゲルダ・ファルケリアは考える。
「……そうでしょう、ご主人。貴方自身が声をかけてあげれば良かったのに」
ルルの呼びかけに反応して近くの草むらが揺れ、隻眼の男、ハルクが頭を掻きながら姿を現した。
「俺が出て来たら、また話が拗れるだろうが」
「ティナちゃんを一番認めてるのは貴方なのに、素直じゃないですねー」
確実に自分よりも年上であるにも関わらず、人間的なかったるい思考ではない、直線的な思考を持ち続けている元・相方に対して、渋い顔を作る。
「男ってのは、いつまで経っても馬鹿で素直じゃない生き物なんだよ」
「それはあーただけです。まぁ良いでしょう。昨日とっ捕まえた連中は結局どうなったんですか?」
昨日の一件がやはりルルには勘付かれていた事実と、その連中が齎した現実に、ハルクの表情は更に曇っている
「武器と魔力回路を破壊して尋問しようとしたんだがな、身体が溶解して死にやがった。『
「そりゃまたえげつないと言いますか、腹が座ってると言いますか……」
ルルが困惑するのも無理はない。今のご時世に、敵に捕縛されたからといって自決を選ぶ者自体が少数派であり、更に言えば彼らはまだ何も情報を手にしていなかったに等しい状態。選ぶ意味が薄すぎるのだ。
ほんの僅かでも、自分達が持っている物を渡したくなかったのだろう。だが、一つだけ残された物があった。それが、ハルクの中の混乱を深めている。
元・使い手が懐から取り出した物体を見て、ルルは蒼の目を見開き、息を飲んだ。
「ちょっと待ってください。これって……」
「あぁ、アークス国軍の身に付けているドッグタグだ。魔力が感じられるお前なら、偽物だと言ってくれると思ったが、本物だったか」
自国内で態々他国の兵士に化けて動き、そして情報を吐かされそうになれば自爆を選択。軍にせよ、諜報部にせよ、そのような行為を強いる危険な方針を採るなど、ハルク達が中枢にいた時から無かった。
ろくでもない所に足を突っ込む危険が、いや既にあの少女と関わった時点で、危険な領域に身を投じているのかもしれない。
ならば、こちらからも動いて対策を練っておくのが、身の安全を一番確保出来る。
単純な暴力で測れる実力も、情報収集能力が衰え、世界への影響力が薄れている身ではあるが、それでもアテが全て消えた訳ではない。
「ルル、手紙を書くから郵便の兄ちゃんが来たら渡してくれ」
「りょーかいしました! で、誰に出すんですか?」
「そうだな……」
大っぴらに動けば窮地を招くが故に、出す相手も絞らねばならない。時間の経過を忘れる程に、ハルクは送り先の選別に思考を巡らせていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます