14:愛されなくても君はいる

 そして、乱入者の姿に顔を歪めた。


「なるほど。次はアンタか、パスカ・バックホルツ……!」

 粗末なコートでは隠せない熟練者の風格と、眼鏡の下に走る十文字傷が目を引く男は、間違いなくアークス王国四天王の一席だった。

 独断行動であろうとデイジーが動いたなら、彼女の同僚かつマトモな人間性のパスカが現れるのは当然。この先に何が起こるのかも、また然りだ。

「一人も二人も同じだ。……来いよ」

 デイジーを撃破した事で、無条件降伏しても命の保証はなくなった。戦う以外に道が無いと理解しているが故、強気な姿勢は崩さないが状況は何処までも悪い。

 戦闘で酷使した上、理の先に手を掛ける禁忌を犯した体は限界を迎えており、立っているだけで精一杯。魔術は『牽火球フィレット』一発すら放てないだろう。スピカによる斬撃を一度放てれば御の字で、その先は何も描けない。

 雑魚ならともかく四天王の一席で、しかも戦闘様式を知らないパスカ相手に勝ち目は万に一つも無い。

 短い接触でも伝わってきた人間性から、備えも万全とヒビキは踏んでいた。故に、奇跡が起きてパスカを倒せても、何らかの形で殺される確信も抱いてしまった。

 どの道を往こうと地獄が待つ状況で、抜刀斬撃の体勢を執ったヒビキを静かに見つめ、パスカは動かない。四天王の思考を読めず焦燥が加速するが、初手が最後の一手になる以上、ヒビキも軽率には動けない。

 異様なまでの静寂に包まれた世界で、先に動いたのはパスカだった。

 象徴とも言えるリボルバーを徐に引き抜く。戦闘突入は不可避と判断して身構えたヒビキを他所に、パスカの右腕が上昇。

「これが、俺の答えだ」


 そして、リボルバーが放り投げられた。


 コンクリの地面に落ち、乾いた音を奏でるそれとパスカの間で、ヒビキは見開いた目を何度も行き来させる。

 武器を放棄する意味を、戦う者なら皆知っている。

 騙し討ちに繋げようにも、この距離なら抜刀斬撃が先に届く。パスカの選択は、絶対の勝利を手放したに等しい。

 傍らで転がるデイジーも驚愕する選択を見せたパスカは、僅かな時間ここではない何処かへ目を向ける。

「俺は、そしてデイジーもこれ以上戦うつもりは無い。……君も、デイジーの事を許してやって欲しいんだ」

「……はい、そうですか。って、俺が受けると思うか?」

 強い意思の炎を灯した目と真摯な声から、嘘偽りやその場凌ぎの言葉遊びでない事は伝わってくる。だが、パスカの意思以外に発言を担保する物が無い。

 能天気に受けて、再び襲撃されては意味が無い。故に、ヒビキはスピカの構えを崩さない。

「訳は知らないが、俺はアンタ達と敵対した。そんな奴を野放しにするのは筋が通らないし、アークスの軍人として許されない筈だ。アンタの言葉を保証する物はどこにある? 無いなら、刺し違えてでもアンタ達を黙らせる」

 虚勢そのものだが、四天王登場という事態には、こうでもしていないと心が砕ける。黙して答えを待つヒビキと、息を呑むデイジーの視線を一身に受けるパスカの額に汗。

 勢いだけで現れた訳ではないが、明らかに強い緊張を滲ませた男は、デイジーを一瞥して意を決したように口を開く。

「ここに来たのは俺の独断だ。軍人の命令違反は重罪。そして陛下の命に背くことは、四天王にとって殺人以上の罪だ。恐らく、アークスに戻れば俺は除名される。最早、四天王の席とそれに伴う特権は失われた」

「何……!?」

 離脱したのなら、ヒビキとパスカ達が戦う理由は個人的な怨恨だけとなり、両者の間にそんな物は存在しない。戦意無き者に追い打ちをかける趣味はヒビキにもないが、まだ完璧には受け入れられなかった。

 四天王からの離脱は、表舞台からの退場に直結する。クレイトン・ヒンチクリフが示す通り、二度と日の当たる場所に戻る事は叶わない。背信者と断じられ、嘗ての友と刃を交える未来すら有り得る。

 パスカ・バックホルツ個人の幸せに着目するなら、愚か極まる選択。何かしらの利があれば話は別だが、デイジーに与して得られる物は何一つない。

 道理を突き詰める程、理解に苦しむ決断をどう解釈すべきか。進むも退くも出来ないヒビキの姿に、パスカは僅かに緊張を緩めたように肩を竦める。

「特異に見えるかもしれない。けれども、俺の選択は君が異邦人に向けた物と似たような物だ。もっとも、俺の場合は贖罪に近いが」

「贖罪?」

「君もそのカタナで感じただろう。そして、殊更に吹聴する類でもない。俺とユアンが選択を違えたが為にデイジーは苦しんだ。もう一度手を引くのが、俺の責務だ」

 選択の責任は当人が負うべきで、血縁者でもない彼に非があるとは思えない。そのような正論は、刃を交えて伝わってきた激情の前には搔き消される。

 酷く険しく、目前に見えずとも違う道も有った筈。それ以外の、更なる他者の助力を乞うことが出来ずに戦う道へ導いた事に、パスカは責任を感じているのだろう。

「アンタ程の男が、道を捨てる意味があるのか? 然るべき機関に預けて、アンタは自分の人生を進めば良いだろ」

「君はユカリ君にそのような選択をしない筈だ。一度手を差し伸べた者を、手に負えなくなったが為に見放すのは合理的だが、俺にとっては正しくない。在りたい形から反するんだ」

 四天王の手に力が籠る。軍隊で立場を確立した男ならば、社会に示してきた己の価値や、築き上げる苦難を十全に理解している。手放す決断には巨大な葛藤があった筈だ。

 それでも尚、在り方を貫徹する道を往くとしたパスカの決断は重く、部外者の説得は意味を成さないのだろう。

 加えてパスカの指摘通り、ゆかりを終着点へ導くとした自身の決断もまた、彼と似た意思が在ると気付かされた事も大きい。

 合理性を投げ捨てた者が、似た決断を下す者を「正しい」道へ連れ戻そうとするのは、己の生き方を否定するに等しい。つまり、戦う理由はここで完全に失われた。


 黙礼の後、スピカを鞘に戻す。


「理由が無くなったなら、俺も戦わない。行って良いか?」

「勿論……一つだけ君に助言を。下らないが、年長者の言葉として聞いてくれ」

 少しだけ険が取れた表情のパスカは、ヒビキの眼を真っ向から見つめる。

 大切な存在と敵対した男に真摯に向き合い、あまつさえ助言まで贈る。奇妙な面映ゆさを覚えながら、ヒビキはパスカの言葉を待った。

「デイジーは君が希望を踏み潰したと言った筈だ。戦い続けるなら、相手が誰であろうとそのような側面から逃れられない。それに対して折り合いを付けようと考えるな。ただ、背負うんだ」

「背負う……」

「君が踏みしめる今日や明日は、誰かが望みながらも失った物だ。君は前に進み、君の望みを遂げる為に足掻くんだ。それだけが、踏み潰した者への唯一の救いになる」

 悩み、弱音を吐くなら簡単に出来る。善人気取りの言葉を並べて、何も知らない他者から賞賛を浴びるのもまた然り。

 そのような物ではなく、ヒビキが持つ願いを結実させた時に始めて敗者は報われると、パスカは告げたのだ。

 困難極まる在り方で、消化には時間が掛かるだろう。けれども、優しい言葉を並べた安易な励ましよりも、ヒビキに圧し掛かった迷いを軽減したのは確かだった。

「ありがとうな。活かせるかは分からないが、アンタの言葉は忘れない」

「また、何処かで会おう。良き旅を」

 左手を掲げて応じ、ヒビキは歩き出す。

 途中デイジーに何かを言いかけたが、結局音にすることはなく親指を立てるに留めた少年は止まることなく進み、やがて地下に消えて行った。

「ごめん、なさい」

 少年の気配が完全に消えた頃、呻きのような謝罪をパスカは聞いた。

 発動した『慈母活光マーレイル』によって、最低限の治療が為されたデイジーは目に涙を湛え、顔から一切の色が失われていた。

「俺の選択だ、何も謝る必要などない」

「戦って、勝つのが私の価値。それが出来なかった私は、もう生きていく資格が無い。そんなのの為に、パスカが四天王の椅子を捨てるなんて間違ってる。そんなの、私が許せない」

 あらゆる感情が煮凝った呟きを、デイジーは嗚咽と共に漏らす。そんな彼女と視線を合わせるように膝を折ったパスカは、ヒビキに向けた物と異なる表情を浮かべた。

「価値がどうこうで、俺はお前を見ていない」

「でも、さっき贖罪の為って言ったじゃない! 私はそんなの嫌!」

「俺は、そしてここにいないユアンも、お前に価値を感じたから手を伸ばした訳じゃない。勿論、最初は同情もあっただろう。だが、その後はお前の幸せを願ったからこそ手を離さなかった」

「……」

「ずっとは居られないだろう。それは良い着地点ではない。ユアンを、そしてお前が新たな道を見つけるまでは、俺はお前と共にいる」

 未熟者が弱者へ中途半端な形で手を伸ばした結果、弱者は尊いが誤った幸福を掴み、その喪失を恐れて誤った形で歯車を噛み合わせた。

 誤った形がずっと維持される筈も無い。いつか訪れた筈の破綻は予想よりも早く、だが最悪の一歩手前で彼等の前に現れた。

 敗北や喪失、そして過去の傷は消えない。

 デイジーに貼り付けられた様々な値札もまた然りで、破綻で生じた痛みは希望を砕くには十分過ぎる代物だ。

 それでも彼女はここにいて、失いながらも呼吸がまだ続いている。ならば、痛みを伴っても起き上がる事は出来る。再起を望む者も、確かに存在している。

「わたし、生きてて良いの? なんにもなくなったけど、良いの?」

「今ここにお前はいるだろう。それが答えだ」

 誰かが価値を規定するから生きているのではない。今ここにいるから生きている。

 シンプルかつ、やや突き放したようにも聞こえるパスカの言葉は、価値を失ったデイジーにとって、何よりも重く尊いものだった。

「行こうか」

「うん」

 溢れ続ける涙を拭い、デイジーは伸ばされた手を取って立ち上がる。消耗と負傷、そして存在価値を砕かれた事による危うさはあるが、確かに彼女は己の足で歩こうとしている。


 全てを失った少女の『もう一度』が、ここから始まろうとしていた。

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