15:深淵より来たりし者

 この世を支配するのは金。

 大多数が眉を顰める理屈を、リームス・ファルラ・フェルシュホーという男は常々公言して憚らなかった。

「愛は星を救わないが、金は俺を助けてくれる。戦争だって金で回避出来るさ」

 戦いをこよなく愛するドラケルン人らしからぬ言葉は、種族の中では小柄で戦闘力に欠けるコンプレックスの裏返しとも取れるが、指摘した者を彼は漏れなく墓の下に叩き込んだ。


 愛国を掲げて同胞に手を掛ける者に武器を。

 真の理想郷を作るべく、国民全員を薬物中毒に陥れた政府に更なる薬物を。

 社会貢献を謳いながら、競合他社の破滅を目論む企業へ新種の病原菌を。


 美しいお題目の下に息づく醜悪な本性と、その実現で生まれる犠牲に対し、良心の呵責を一切抱かぬまま商品を売りつけてきた。数多の恨みを買っているだろうが、彼には知ったことではなかった。

「弱い奴が何言おうと知らん。文句があるなら、俺よりもデカい力で潰せば良いだろ。まっ、俺が死んだら世界中で面白い爆弾が破裂するが、構わないならお好きに」

 そう宣って生き延びて来た死の商人は、今日も今日とて仕事の為に飛竜に跨っていた。

 数多の民衆を焼き払った悪竜すら怯える、紅蓮色に染まった空の下。オレンジ色の髪を掻きながらリームスはボヤく。

「空が赤くなるのって、なーんか意味があったような気がするんだが。決行日をズラシても良かったんじゃないですかね。しかも、行先がハカネキム島のカワラ屋って、あれと話せる保証だってありゃしませんよ」

「目の前の危機と金しか信じない。そう仰っているのは貴方でしょう。それに、今日を逃せば貴方は逃げる。だから大金を積んで依頼したのよ」

「ですがねぇ……」

「売り文句を嘘に変えるの? 大した商売人根性ね」

「へーへー分かってますよ。『お金様が望むなら何処までも。稀代の商売人リームス・ファルラ・フェルシュホーに、何でもご用命を』ってな。クソババアが」

「分かれば良し。それと紅い空に即効性の悪影響は無いわ。気を強く持ちなさい」


 凛とした声の主は、リームスの嫌味に反応することなく瞑目していた。


 腰まで伸びる黒絹の髪に、人形のように整えられた鼻梁と、妖艶さを放つ赤い唇。

 一切の緊張が解かれているにも関わらず、美しく伸びた体は男女問わず振り返る妖しい魅力を放っていた。

 当人は六十四歳と称しているが、容姿だけでそれを信じる者は恐らく皆無。

 逢祢・黄泉討・ファルケリアと名乗り、彼女の武功を知ってようやく、信じることが出来る。それほどまでの若い容貌の女性を、リームスは半眼で睨む。

 バザーディ大陸付近に位置するハカネキム島。当地にただ一人定住する男が作る『瓦』はカルト的な人気を誇り、とある奇縁からリームスだけが仕入れる権利を得た。

 直接のやり取り、しかも金銭ではなく物々交換を指定した男と会うのは月に一度。食料品や書物を飛竜に積み込んで出発する前日に、日ノ本人はリームスの前に現れた。

「ハカネキム島に向かうのでしょう? 報酬は払う。私も同行させて頂きたいの」

 握り拳ほどの金塊と共に告げられた時、真っ先に拒否の選択肢が脳裏を掠め、本能はそれを是としていた。

 アークス四天王ハルク・ファルケリアの伴侶である以前に、彼女は嘗ての日ノ本御三家当主。圧倒的な力で敵対者を叩き潰した実績から敵も多い上、取引相手は極度の人嫌い。

 余計なリスクを背負い込む事を、リームスは避けたかった。

 だが、隔絶された者より各地を放浪する逢祢の方が、断った場合に何らかのアクションを起こす可能性は高い。金を揃えた依頼を断ったと吹聴されると、今後の活動に影響が出かねない。

 断る理由を結局見つけられず、こうして彼女を同行させる羽目になったのだが。

「大将とはどんなご関係で?」

「若い頃、命の取り合いをした関係よ」

「あっ、そうですか……」

 問うた事を死ぬほど後悔したリームスは怪物との会話を断念し、前方に視線を戻す。

 空こそ赤く染まっているが、海は平穏そのもので大気も異常はない。予測から遅れることなく、ハカネキム島に到着する筈だ。

 さっさと取引を済ませ、この厄介者を降ろして帰りたい。その一点に思考が固まりつつあったリームスだったが、短い問答で引っ掛かりが生まれていた事に気付く。

「こう言っちゃなんだが、未だに前線で暴れているあんたと違って、大将は完全に隠居してるぜ。今更殺し合っても、何も楽しくないと思うけどな」

「そうかもしれない。けれども、彼の経験は必要な物。この――」

 言葉が途切れ、逢祢は虚空から輝きの消えた長大な刀を引き出し構える。当然バランスが崩れて飛竜の体が傾ぐが、リームスにそれを指摘する余裕は無かった。

 肌を刺すを通り越し内臓を鷲掴みにされ、揺さぶられる程の魔力放射によって、飼いならしている筈の飛竜が奇声と共に海へ向かっている。

「痛いと思うが、我慢しろよ!」

 墜落して海竜や肉食魚の餌になる末路は御免だ。蒼白な顔で『牽雷球フィレット』を背に打ち付け、飛竜を正気に留めんとするリームスの目前。


 漆黒に包まれていた海が爆発した。


「マジ、かよ……!」

 海面から生まれた白光の粒子に照らされ、流線形の物体が海面から生まれる。

 畏怖の咆哮を漏らした飛竜との相似を僅かに感じさせる頭部は、両刃剣も同然の歯を除き深海色。宵闇を征する輝きの黄玉が眼球と気付いた頃には、既に彼等の視線からそれは失せていた。

 流れていく体は水中行動に適した構造だが、途中で見えた脚は陸上生物のそれだ。水の恩恵を前提にした翼と長躯との不一致に、違和感を覚えたリームスは背部へ手を伸ばし――

「我等を交戦対象と。いえ、存在すら認識していない。それに、二人で挑んでも勝ち目はない。今は耐えるのみ」

 大刀を構えたままの逢祢の重い声で、強制的に動きを止める。

 抗議しようにも、勝てる相手なら彼女は既に仕掛けている筈であり、静観している事は目前の竜が強大に過ぎる証左。加勢したところで、逢祢の邪魔になる。

 辛くも残された理性と、それなりの力量からそう判断したリームスは、口内の肉を噛み千切って暴虐に耐える事を選択した。


「GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII――!!!」


 矮小なヒトの葛藤と恐怖を他所に、全貌を曝け出した竜が咆哮。

 渡り鳥や海中生物。果ては夜空の月や星さえも畏怖する大音声に、哀れな彷徨者達は耳を塞いで耐え忍ぶ。

 内包していた何かを全て吐き出さんとばかりに続いた咆哮は、下方の海を荒れ狂わせ、小規模な津波を生み出した所で唐突に止んだ。

 自身が生み出した狂乱に興味を示していないのか、竜は空の一点に視線を固定したまま、何かを語り掛けるように何度か嘶く。

 やがて、その身を翻した竜はリームス達に欠片程の関心も示すことなく、登場時とは一転して静かに海中へその身を浸し、彼等の視力では到底捉えられぬ領域へ消えた。

 耳を塞ぐ、滑稽な姿勢のまま硬直していたリームスは、逢祢が長い息を吐く音によって呪縛を解かれる。

 口内に溜まった血と肉を吐き出す。それに便乗してせり上がってきた不快な物体を押し戻し、墜落を免れた飛竜に腰を下ろして問うた。

「あれはなんだよ。デカ過ぎるし、そもそも海竜は滞空なんて出来ない筈だ。それに……」

「竜が一万年を越えて生存すると『龍』となる。歴史上で龍は五頭で、現代まで生き延びているのは四頭。貴方が嫌いなヴェネーノに『尖殻龍』は殺されたから、残るは三頭。つまり」

「……冗談、だよな」

『エトランゼ』の頭目アルベティートと同じ、そして二千年前の大戦で姿を見せなかった龍が現れた。

 自分が生きている幸運と、超常現象に等しい光景を目の当たりにした不運で、リームスの貌から更に色が失せていく。

「『淵海龍』と『天空龍』は歴史から姿を消した。奴等はもう、世界の盤面から降りた。それが俺達の知る歴史だッ!?」

「歴史は過去の積み重ねに過ぎない。接続が繰り返されて世界が歪んだ今、過去など意味を持たないと知りなさい。彼の者が顕現したならば『天空龍』もやがて現れる。世の果てが始まろうとしているのよ」

 女傑の声は真剣そのもの。言葉の意味も何とか理解出来るが、中身を咀嚼する事をリームスの本能が拒否していた。

 二千年前の大戦は人類の七割が死に絶え、文明の大幅な後退を強いられた。当時は英雄がいて、二頭の龍は盤面にいなかったが、今は真逆の状況。

 五頭の超越者と二頭の『龍』の侵攻が始まるなら、人類に勝ち目など無い。今度こそ根絶やしにされる。

 絶望的な未来を幻視するリームスの肩を、逢祢が叩く。妙な錯覚を起こしかねない程に美しく、そして柔和な微笑みは、先の悪鬼羅刹同然の姿から程遠い。

「その為に私のような者は動いている。『彼』の元へ向かうのもね。ほら、希望を捨てない。まだ若いんだから」

「ちょっと待ってくれ? あんたアイツらに喧嘩売るつもりか? 死にたいのか? 俺は今すぐ田舎に帰って隠居したい。いや、俺に帰る田舎なんてないけど」

「戦いこそ我が命。そして、ティナちゃんが生きる未来を守る為よ。それに、まだ何も確定していないのに絶望しないの。ひとまず、ハカネキム島へ向かいましょう。話はそれからよ」

「マジかよ……」 

 翻意も、現象に対する恐怖の払拭も不可能。ならば、この女傑と行動を共にすることが最善の選択だろう。

 項垂れながら、リームスは飛竜に喝を入れ、ハカネキム島への針路を執る。

「果ての先に、終わりが待っている。恐らく、我等と同じ種によってそれは為される。……世の理を歪めた者を、一刻も早く暴かねばならない」


 強い焦燥を滲ませた逢祢の呟きに、彼が気付く事は終ぞなかった。


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