8

 冴え冴えと輝く満月に、鋼鉄の亡者が手を伸ばす。

 イルナクス領内に点在する人工島を空中から見た者は、このように形容するだろう。

 墓地として整備された一部を除き、産業廃棄物の類が寄り集まって形成された人工島は、当然ながら手付かずの状態と言って差し支えない状態だ。

 年々高まり続ける環境保護の声に押され、最低限の水質改善や有毒物質の除去は行われているものの、廃棄物の集合体という成り立ちが持つ脆弱性は如何ともし難く、墓参目的の者を除くと来訪者は皆無に等しい。


 そんな群島の一つに、今宵は珍妙な来訪者がいた。


 来訪者ヒビキ・セラリフは、荒い息を吐きながらスピカを地面に突き立てた。

 ジャケットを脱ぎ、悪趣味なグラフィックが踊るTシャツ一枚の上半身は、過熱した右腕を中心に発せられる熱と汗に塗れていた。

 痛みと疲労、猛烈な吐き気に苛まれ、廃材の大地に座り込む。

 凪いだ海を漂う潮風は少しばかりの冷却効果を持つが、現状の彼が抱えた熱を醒ますには不足気味だ。呼吸を最低限整え、汗を雑に拭いながら黒に回帰した目で前方を睨む。

「頭と実技じゃ、そりゃ違う……か」

 無数の構造物が縒り集まり、尖塔と見紛う巨大な造形物が生まれる事も、群島ではありふれた話。ヒビキが降り立った島にも、五階建ての集合住宅に匹敵する高さを持つ物が屹立していた。


 しかし、それは彼がこの島に降り立つ前までの話だ。


 廃棄物と言えど、複数の金属で構成されていた構造物に無数の半円や斬線が刻まれ、大量の構造物がヒトの臓器も同然にだらしなく垂れ下がる。その中の一部は溶解し、赤熱した雫を海面に垂らして時折湯気を上げていた。

 不意に、地響きと重い水音が生まれる。

 丁度中央で左右に分断された構造物の片方が、横倒しになって海に落ちる。海棲生物と思しき抗議の声と、波飛沫を纏って沈んでいく構造物を静かに見つめる、ヒビキの耳はまた別の音を捉えた。

 遅々とした動きで振り返る。乗ってきた船より上等な船と、杖を突きながら歩み寄る老爺の姿。ジャック・エイントリー・ラッセルは、たった今ヒビキが成した破壊に目を細めた。

「どの程度解放した?」

「マウンテンで廃材集めてる時と同じ、一割だ」

「なるほど。クレイから伝え聞いていた時より、大きく成長している訳だな」

 感心したような口ぶりで、嘗ての四天王は適当な廃材に腰掛ける。

 エデスタ・ヘリコロクスが放った迷惑極まりない宣言で、イルナクス中のロクデナシから標的にされたのが二日前。なし崩し的に拠点等のバックアップを受ける事になったヒビキ達は、既に数度の戦闘を終えていた。

「全員引き渡した。懸賞金もじき出るそうだ」

「宿泊料にしといてくれ。これで丸儲けだと、アンタに甘え過ぎる」

「子供は年長者の厚意に甘えるものだ」


 そう言われると、ヒビキに反論する術はない。


「……アンタがここにいるなら、城はどうなってる?」

「平時より警備の人員を増やした。君達を狙う連中なら問題なく勝てる。エデスタや奴に匹敵する者が現れた時は……刺し違えてでもユカリ君を守れと指示した」

 話題の転換兼、最大の懸念事項に対する淀みない答えに、安堵の溜息が無意識の内に零れる。

 一定以上の爵位を持つ貴族の城には、治安維持部門の中に在る特殊な部隊が充てられる事実は、助力を受け入れると決めた時にジャック自身の口から聞いた。

 貴族を守護する都合上、人員の選抜は家の格と忠誠心が重視される。結果として魔術の練度は一線級に届かないが、携行可能な銃火器や刺突剣、制圧用の槍を用いて十数人で竜を討伐する実力を持つ所まで磨き上げられている。

 それだけの実力を持つ者なら、食い詰めた破落戸程度は只の動く的にしか成り得ない。

 イルナクス特有の奇妙な仕組みや、そこに所属する人員の実力に思考を巡らせている内、火照った頭も冷えてくる。

 それを見計らっていたように、ジャックが直截な問いを投げて来た。

「昨夜もそうだったが、この非常時に何故戦闘訓練を? 根を詰めているようだが、万が一エデスタが現れた時、疲労が抜けきっていない状態では死ぬだけだ」

 理に適った指摘は、精神論で判断しない熟練者である証左。そして、相手の指摘を真っ当な形で答える論理は、ヒビキにもない。

 言葉の代わりに、傍らに置いていた携行袋から古びた書物を取り出す。掠れきった題字を読み取ったジャックは、すぐに合点が行ったように頷いた。

「八双の書か」

「クレイさんから譲られた。写本の写本、だけどな。やっぱりアンタも知ってたんだな」

「スズが読んでいるのを何度か見た。なるほど、君は戦闘様式を変えるつもりか」

 飛行島に同道した水無月蓮華の曽祖父に当たる侍、水無月みなづき真厳しんげんが記した『八双の書』には、古今東西の刀による戦闘術が記されている。

 型から魔術に頼らない技。そしてそれ等の起源に至るまで。厖大な情報が網羅された書は、内容を活用する意思が無くとも、歴史書として大きな価値を持つ代物と言える。

 世界最強議論に顔を出す怪物、風切鈴羽も愛読書にして鍛錬に励んでいた事実。そしてスピカの扱い方は刀に極めて近い。

 クレイが託した理由は、これらの事実を踏まえての事だと、受け取った時点でヒビキは解していた。

 ただ、本格的に手を付け始めたのは飛行島へ向かう直前で、戦闘様式の完全な転換を決意したのは昨日。強敵との戦いが間近に迫る中での大転換は、大きなリスクに他ならず、ジャックが訝しむのも当然だろう。

 道理や相手の疑問を十全に解しているヒビキは、自嘲気味に笑いながら腰に収まるスピカの柄を指で何度か叩く。

「俺の戦い方は、おやっさんから教わった戦闘術が基盤だった。今まで救われっぱなしだよ。けど、エデスタと戦って分かった。戦闘術の後継者に、俺はなれない」

 体格差や不慣れな船上での戦いを、苦戦の原因とするのは容易だ。しかし、優位を取れる条件での戦いなど皆無に等しく、勝敗の判定に物言いは付くだろうが、ここまで生き延びて来た事実もある。

 頂点で蠢く怪物共から数段劣る、エデスタに死の寸前まで追い込まれたのは、精神的な動揺と戦闘様式の甘さを突かれた為であると、ヒビキは解していた。

「最初に『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』をぶつけ合った時。その後の格闘戦の時。アイツの動きは限りなくおやっさんに近かった。俺じゃなかったんだよ、あの人の正しい継承者は」

「型の継承で決まる訳ではない。君とカルス・セラリフの絆は、そんな安い物ではない筈だ」

 正論は何処までも正しい。大抵の事象なら、ジャックの指摘を受け入れられただろう。

 死を待つだけの所から三度も引き上げ、生きる術をくれた。のみならず、人としてのあるべき指針を示し、導いてくれた存在がヒビキにとってのカルス・セラリフだ。

 彼の教えを継承し、最大限伝えていく事も生の理由と無意識の内に定めていた。それが、突如現れた不審者に打ち砕かれた。

 本来はもう少し長く打ちひしがれるか、決断に至る思考を回す時間が必要だが、加速と変化を続ける現実はそれを許さない。

 悲願の成就には執着を捨て、そしてハンナ戦の辺りから漠然と見えていた現実を受け入れ、ヒビキ・セラリフ個人として最善の形を掴む必要がある。


 これが彼が導き出した結論。今、このタイミングで大転換を試みる理由だ。


「剣技まで捨てる訳じゃない。変えていくのは戦う時の動き方だ」

「君の骨格はスズ達極東人に近い。『魔血人形』の力である程度上乗せは掛かるが、選択として妥当だろうな」

 強引に分類すると、カルスが組み上げた『セラリフ式戦闘術』は乱戦からの生存を重視した物だ。多少粗雑ながらも、敵の包囲を突破して最後に立つ事に最適化された動きは、マウンテンでの狩猟生活や自衛の観点では最善の形だった。

 この形で上を目指すには、カルスやエデスタのような圧倒的な筋力が必要とされ、骨格的な問題からヒビキではどう足掻いても再現しきれない。

 目指すべきは一人の強者を確実に屠る、決闘者の戦闘様式。『侍』と括られる日ノ本を支配していた戦士階級のそれは、ヒビキの求める物にピタリと嵌った。 

 長期戦は力の供給源を考えれば他者よりも不利になる。格下との戦いでも、力の無駄撃ちは更に削らねばならない。

 培ってきた経験から、この方向で間違いないと確信している。後は、拾得速度の問題だ。

「アンタから見て、どう思う?」

「カタナの実践的な扱い方を知らないが、これだけの威力を出せるのならば、特段間違いは無いように思える。私見を述べると、そこまで生き急ぐ事を疑問に思うがね」

 想定外の指摘に、ヒビキは思わず鼻白む。硬直した彼の姿に、何かを確信したようにジャックは小さく頷き、座していた破片から立ち上がり歩み寄っていく。

 年齢は五十以上離れており、『選択者アビートン』を展開していない以上、暴力に持ち込めば必ず勝てるだろう。にも関わらず、近づいてくる老爺に気圧されて動けない。

 イルナクスの議場に存在すると伝え聞く『剣線』の距離で立ち止まったジャックは、険しい面持ちで口を開く。

「君がどのように生きるかは、確かに自由だ。だが一つだけ忘れるな。友人や同道者、そして想い人は君の便利な仲間ではない。……大切にしろよ」

「してるさ。勝手なこと言うなよ」

「では、何故黙っている?」

 苦し紛れの否定は、あっさりと粉砕された。

「……どこまで知ってる?」

「核心は知らないさ。ただ、君とユカリ君を見ていれば、輪郭程度は読める」

 悪足掻きを試みても、人生経験の差に起因する観察力の差を誤魔化しきれるはずもない。逆に逃げ場を失うだけの結果に終わる。耐えきれずに俯いたヒビキに、穏やかな声が重ねられる。

「目的に向かって走る様は美しいだろう。他人に言えない秘密や使命も世界にはある。それは私も理解している。だが、沈黙の果てに待つのは絶対の孤独だ」

「……」

「少し昔話をしようか。嘗て、イルナクスで貴族の身にありながら教師を務める男がいた。男は勤め先で伴侶と出会い、子供にも恵まれた」

 意図を解せず押し黙るヒビキを他所に、ジャックの語りは滔々と続く。

「ある時、街頭で披露していた奇術がアークス国王の目に留まり、男は四天王となった。頼れる仲間に囲まれた男は数多くの苦難を乗り越えて栄光を掴み、世界中に名を轟かせた。そして、男は息子や娘を失った」


 話にある男とは、ジャックと考えるべきだろう。


 栄光を掴んだ男が、何故失ったという着地点に繋がるのか。嫌な予感を覚えるヒビキだけを聴衆にした独白は夜の闇に投げられていく。

「何故家族の元を離れて、縁もない国に就いて戦うのか。それが何に繋がるのか。語らぬまま、力を肯定する環境と対等に渡り合える仲間の存在に酔いしれた。愛を向けるべき存在に向けなかった結果、息子と娘は男を憎んだ。家を出てからは、一度も彼等の顔を見ていない」

 世間が定義する正しい家族を知らぬヒビキには、ジャックの語りを賢らに否定したり、彼を捨てて行った子供達を糾弾する力を持たないが、一定程度理解する事は可能だった。


 どれだけ渇望しても、同じ領域に立つ存在を見つけ出すのは難しい。


 道具を媒介にしていても、複数属性を難なく使いこなす戦闘センスと、それを全くの別方向に転用する独特の感性。他国人でありながら四天王に選ばれる実力。

 ジャック・エイントリー・ラッセルの持つ物は特異に過ぎる。表面的に取り繕う事は出来ても、持たざる者との断絶は確実に存在し、解する者が現れればそちらに傾倒してしまうのは致し方なく思える。

 彼の持つ苦悩と、子供達が持つ苦しみは並立し、歩み寄るべきだった前者が手痛い代償を払う羽目になったのも、また然りと言えるのだろうが。

「孫は男を憧憬の眼差しで見る。英雄になったからだろうが、外殻しか知らず、男と子の間に在る断絶を見ていないからだ」

 時が流れ、当事者が語らなければヒトは外殻だけが世界に遺る。内側の清濁は拭い去られ、表面的な「美しい」「醜い」だけが残り、後世の人々はそれを基準に他者を批評する。

 当たり前の論理に身を委ね、他者から向けられる負の感情を押し流す事は出来る。最も近くあるべきで、大切に思っていた存在からのそれに、ジャックは耐えられなかっただけの話だ。

 愚かと嗤う賢者も世界に遍在しているだろうが、まさしく当事者となりつつあるヒビキは、呻く意外の反応を示せなかった。

「……相手が苦しむだけしか出来なくても、伝えるべきなのか?」

「知らぬままより遥かに良い。非合理的な発言で申し訳ないが、共有によって理解し合える事もあれば、別の道が生まれる可能性もある。君が望むように、仲間達も君の幸福を望んでいる筈だ。……私のような愚者にも、抱え込んだまま逝ったスズのような英雄への道も歩もうとするな。君はまだ、道を変えられる」

「承知した」と即答が叶うほど、ヒビキの決意は安くない。

 同様に、ジャックの指摘も安易に聞き流せない重みを持っていた。

 老いた四天王を、ヒビキは見据える。様々な感情が行き交い消えていく黒瞳を、老いた四天王はどう捉えたのか。

 定かではないが、僅かながらも表情を緩めたジャックに、やがてヒビキが小さく首肯を返す。

「考えてみる。ありがとうな」

「年寄りの説教と流しても構わない。……それだけでは芸が無い、教師らしい事を少しやろうか」

 宣言と同時、ジャックの周囲を暴風が包む。咄嗟に右腕を掲げ、ヒビキは飛散する金属片の類を凌ぐ。

 暴風とそれに起因する音が収束し、右手を降ろした彼の目に、翡の雷を纏った長剣を携えた老爺の姿があった。

 帯剣もしておらず、一部の異常者が用いる異空間からの武器召喚が行われた気配も無い。アビートンの展開が為されたと解し、呼応する形でスピカを抜き放つ。

「肉弾戦では、私如きが君に教えられる物など何もない。授けるのは、使用属性の柔軟な変化だ」

「言いたかないが、アンタかなりマニアックな奴を選んだな」

「対人戦ならまず使用機会は無いだろう。君の理想に立ち塞がる大敵には必要と考えただけだ」

「スケールがデカ過ぎる。……どう動けば良い?」

「今は過去の栄光と妄想で金を稼ぐ男だからな、誇大妄想気味であっても、何ら不思議ではあるまい。好きなように攻めてくると良い。刻限は一時間としよう」

 対人戦では使用機会がまず無い。明言した上で教授を申し出た技術は、恐らく仮想敵の中では最強の存在と対峙した時に辛うじて日の目を見る。程度の物だ。

 大嶺ゆかりの帰還さえ叶えば、交錯など無い方が良い。しかし、彼の者達は飛行島で対峙する前から彼女の存在を知っていた。

 彼の者達の指し手が読めずとも、前述の事実を踏まえると、不必要に障壁を高く置き過ぎていると指摘されても、想定を下げる意思はヒビキに無かった。

 ――辿り着くまで死ねない。だったら、使えそうな物は全部吸収するだけだ。出来ないなんて泣き言は、全部捨てて行くぞ!

 指摘で生じた惑いを振り切らんと、ヒビキはスピカと共に踏み込む。

 年齢を鑑みると驚異的な反応で、ジャックはそれに真っ向から挑みかかる。


 誕生の瞬間から死が焼き付いた島に、生者の奏でる音が再び響く。

 

 



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