7

 翌朝。身支度を済ませた二人は乗り合いの馬車に揺られていた。

「マージハッチまで行けなんて、お客さん達なかなか酔狂だね。スワルチオ卿のお城以外、何にもないよあそこは」

「縁遠い場所で育ったので、お城に凄く興味があったんです。お金を貯めて二人で来たのですが、イルナクスは良い国ですね」

「へぇ、それなら……」

 にこやかに応じるゆかりに気を良くしたのか。それとも他に客がいないせいか。御者は観光地の名前を次々と挙げ、ゆかりはそれを書き留めていく。

 言葉の一部は、確かな真実だ。ゆかりの行動は異国の地へ興味を寄せている部分が出た事に依る物。ヒビキとて、それらに興味がないと言い切るのは噓になる。

 常在戦場なる美しい言葉があるが、そのような精神を維持出来るのは悟りを開いた者か、戦いに全てを捧げた怪物といった一握りに限られる。

 大抵の者は致命的な過ちを犯す事が関の山。そうなれば、持っていた繋がりまで失われる。故に、ヒトらしい興味や関心を維持しておく事は非常に重要になる。


 ――態々考えてる時点で、もう遅いかもしれないけどな。


 自嘲混じりの溜息を吐き、ヒビキは窓の外に視線を外す。昨日同様、華やかな都市部から長閑な田園地帯に景色は切り替わっていた。後十分もしない内に、昨日足を踏み入れた城に着くと解したヒビキは、改めてジャックの言葉を反芻する。

 相手の提示は魅力的に過ぎる物。闇雲に動き回って消耗したり、禁じられた領域を犯す危険を減らせるのは、異国の地に於いて非常に大きな意味を持つ。


 後は、ジャックを信じられるかだ。


 振る舞いや行動に至った理由だけなら、元・四天王は間違いなく善人だ。しかし、それが仮面の一つである事を否定する材料も少ない。カードゲームで勝つ為に『危地にこそ、不敵に笑う』なる教えがあると聞いたが、ジャックならば間違いなくそれを習得しているだろう。

 ――けど、あの人は強い。全盛期より弱体化していても、真正面からやるのは厳しい。……時間はない、どうする?

「そうそう、フィッシュ・アンド・チップスはもう食べた? まだなら『ドルイド・ベント』に行くと良い。ちょっと高いけど、美味いぞ」

「そうなんですか。是非、足を運ばせて頂きますね」

「それに……」

 穏やかな会話は、ヒビキが迷う間にも続いていた。ゆかりの戻るべき場所で、物理的な戦う力は不要。ならば、精神の逸脱もまた然り。ヒビキに胸の裡を理解する事は不可能だが、せめて不要な血で手を汚す機会を減らしたい。

 切実な願いが脳裏を掠めたヒビキの目が、不審な気配の接近に見開かれる。

「馬車を止めろ!」


 叫びは、紙一重の差で届かなかった。


 火薬の臭気と爆裂音、馬の断末魔の叫びがミックスされた音が生まれ、バランスを失した馬車は一気に傾斜する。脱出は間に合わないと判断し、ゆかりに覆い被さり、背を走った鈍痛に呻く。

 ドロリとした嫌な感触から、背が出血していると察するが、それに気を取られている暇はない。思考を切り替え、ゆかりを抱えて馬車から飛び出したヒビキは、目前の惨状に言葉を失う。

 牽引していた馬は砲弾の直撃を受け、一頭は頭部を失い、もう一頭は右半身を抉り取られて炭化した臓器を晒して死んでいた。馬車も未だ炎の舌に絡め取られており、全て消し炭になるのは遠くない。

「ここで寝るな! 敵が来てるぞ!」

 投げ出された気の良い御者に、敢えて強い言葉を投げるが反応はない。呼吸に異常はないが出血が酷く、地面に叩きつけられた衝撃も軽視出来ない。治療を早急に行うべきと判断を下した。

「ユカリ、おっさんを担いで飛べるか?」

「……短い距離なら」

「だったら、先にジャックの所に向かってくれ。あの爺さんなら、怪我してる奴を見捨てない筈だ」

「ヒビキ君は、ここに残ってどうするの?」

 答えなど彼女は既に分かっている。にも関わらず問うた意味を解したヒビキは、スピカの鞘を軽く叩いた。

「答え合わせ。それに追っ手は少しでも減らしたい」

「……必ず追いついてね」

「大丈夫だ、小細工を使う輩に負ける程、俺は弱くない」

 力強い返答に一定の確信は得たのか、ゆかりは首肯と共に『渇欲乃翼エピテナイア』を展開。御者の男性を難儀しながらも担ぎ上げ、ジャックの居城へと向かった。

 彼女の姿が完全に消えた頃、馬車から出た段階から小さく聞こえていた、洗練されていない足音の群れが大きくなり、やがて集団が姿を現す。

 昨日の『憂国騎士団』と異なり、粗末な衣服を纏った男が六人。各々の武器の使用度合いから傭兵と。そして、二人が担いでいる榴弾発射機ランチャーが濛々と煙を発していることから、馬車に砲撃を仕掛けたのが彼等だとヒビキは理解に至る。

「昨日の礼でもしに来たのか?」

「昨日? なんのこったよ。というか、お前がヒビキ・セラリフだな?」

「だったらどうする?」

「ぶっ殺すに決まってるだろうが。お前殺せば報酬が出るんだからな!」

 他人の命を奪う行為を繰り返している以上、清廉潔白な人物ではないと自覚しているが、今回初上陸となるイルナクスの国民から、命を狙われる程の恨みを買う理由は思い当たらない。

 アークス国軍高官連続殺人の容疑者だった頃に掛けられた懸賞金は、全て撤回されている。でなければ、海外渡航の許可など降りる筈が無い。

 道理の通らない事ばかりだが、命を狙われている事は理解できた。そして、ヒビキは座して死を受け入れる潔さを持ち合わせてはいない。

「良いんだな? 言っとくが、負けてやる優しさは俺にないぞ」

「女だか男だか分からねぇヒョロガキが、何抜かしてる? オマエ殺してしょうもない仕事からオサラバしてやるよ!」

 下卑な笑声を発した集団は、一様に武器を抜く。


 話し合いの余地は、完全に断たれた。 


「後悔すんなよ」

 呟くと同時、抜き放ったスピカの刀身を一人だけ前に出ていた男の左肺に突き込む。

 妙な形で圧縮された空気と、血を口から零す男から雑にスピカを払い、ヒビキはよたつく男を残る集団へ蹴りつけた。

 仲間を受け止めるか。殺してでも前進を選ぶか。残酷な問いに集団は惑いを見せたが、それは致命傷に直結する。

 最終的に押し除ける事を選び、集団は武器を構え直す。接近するヒビキを袋叩きにせんと、呼吸を合わせて武器を振り下ろした。

 実力に隔たりがある事実は見えたが、五対一の構図なら、誰か一人の攻撃は当たる筈。一撃で体勢が崩れた所を袋叩きにする。そのような狙い自体は悪くない。

 ヒビキを相手取るには、彼等が愚鈍に過ぎただけだ。

 狙いを即座に解したヒビキは、疾走状態から前方の地面にスピカを突き立てる。急制動に繋がる仕掛けは、持ち主のバランスを崩して体を浮かせ、前方に投げ出される格好を形作る。

 このまま行けば、落ちてくる武器に直撃する。客観的に見れば自殺を選んだヒビキは、迫る武器に目を遣って悪辣な笑みを浮かべた。先行するスピカを引き寄せ、重量バランスの変化で強引に体勢を落とし、地面を右手で強かに打ち付けた。

 一回転したスピカが、相手の得物が描く道と交錯。

 

 長剣・戦斧・槌矛・短槍。


 サイズも用法も異なる武器が等しく両断され、初めからこの造形だったのではと思わせる滑らかな断面図を晒していた。

 あるべき箇所が失われ、当然攻撃はヒビキに届かない。厳密には異なるが『カタナ』が使い手次第で奇術染みた切断能力を持つと、広く知られているが、これほどの仕掛けは武器特性だけで片付けられない。

 想定を遥かに上回る実力差に男達の思考が停止しても、動いた体は止まらない。無様な空振りで体を泳がせた男達を嘲笑うように、ヒビキは軽やかな挙動で各人の肉体に一箇所ずつ、スピカを疾らせた。

 足や腕が軽い音を立てて落ち、噴出した血が土に染み込んで道を汚していく。泣き喚く事すら忘れて硬直する傭兵達に拳を撃ち込み意識を刈ったが、その先に繋がる手は打たなかった。

「元・四天王からも指摘されたと思うけど。雑魚相手に『魔血人形アンリミテッド・ドール』の完全開放は止めなさい。後、中位以上の術技もね。いざという時に充填切れは困るし、その程度の意識付けで戦うなら、あなたの望む未来には届かないわ」

 最終目的に必要な力を授けた船頭の言葉が脳裏に蘇り、長い息を吐いてヒビキはスピカを鞘に納める。籠められた主張は分かるが、ヒトはどうしても楽をしたがる生物だ。この圧勝劇も、最速で決着を付けるなら別の方法があっただろう。

「目的に於ける直接の障害ではない者は殺さない」という、ヒビキが個人的に設けた縛りも加えると誘惑は更に膨らむ。だが、その程度の甘い覚悟なら終着点に辿り着くことすら出来ずに取り溢す。

 そして簡単に他者を殺害する精神を一度持ってしまえば、二度と元には戻れない。

「尋問は……無駄だな。あの爺さんの所へ行った方が良い」

 揺れる天秤を無理やり引き戻し、ヒビキはゆかりの後を追った。


                   ◆


『何者にもなれない諸君、ヒーローになりたいとは思わないかなァッ!?』

 エイントリー城に到着し、昨日会話を交わした部屋に飛び込んだヒビキの耳に、聞きたくもないダミ声が届く。

「立体映像だ。抑えてくれ」

 ジャックの冷静な声に、反射的に伸びた左手の動きが止まり、室内で朗々と叫ぶエデスタが映像上の存在と気付く。

 少なくとも今、戦闘突入はないと安堵したのは一瞬。立体映像云々の前に、この男の存在が災厄に等しい事実は変わらない。絶対に、ロクでもない事を放り投げるに決まっている。

 映像の相手に暴力の行使は無意味と念仏のように唱えながら、ヒビキはジャックに目を向ける。緊張を宿した元・四天王はヒビキと、そしてゆかりの視線を受けて言葉を紡ぐ。

「ユカリ君が御者と共に来た時、映像が始まった。これはイルナクスの公共放送ではない。電波網の不正使用で流される、言うならば破落戸共の情報共有番組といったところか」

「一般人が見てる訳じゃないから安心! ……な訳ないよな」

 泳がせて情報を拾う方が、完全に潰すより治安維持が叶う。納得しないが理解は出来る理屈で犯罪者専用放送の存在は飲み込んだ。問題はエデスタが何を発信しようとしているのか。

 全員が抱いた疑問に答える形で、光のエデスタは大仰な所作で手を広げた。その片方、右手に握られた古ぼけた書物を視認するなりジャックの表情が強張るが、意味を問う前にエデスタの声が継がれる。

「コイツぁイルナクスに眠る秘宝『エルフィスの書』! 持ってたのはあのニヴィア直系の子孫だから、正真正銘のマジモンだ! 余所者の俺にゃ身に余るが、誇り高きイルナクス国民の諸君なら、価値はご理解されてるよなァ!?」

 探し物が、最悪の存在の手に堕ちたと提示され、ゆかりは口元を手で覆い、ヒビキは唇を噛む。シェルター跡に侵入した何者かから奪い取ったのだろうが、こうもピンポイントでな符合を偶然と呼ぶのは極めて難しい。

 ――まさかとは思うが……お願いだから止めてくれ。

 現実から目を背けるようなヒビキの願いを他所に、エデスタの語りは止まらない。

「王室に売れば一攫千金! 古イルナクス語を分かる奴がいるなら、ソイツはなんか面白ェ事が出来るようになる! 皆様方全員欲しいだろ? 欲しいよなァ!」

 芝居がかった仕草で書物を仕舞い込み、入れ替える形で巨大な二枚の写真を掲げる。

 そこに映されているのは、他ならぬヒビキとゆかりだった。

「この二人、ヒビキ・セラリフとユカリ・オオミネをぶっ殺せ! そうすりゃ引き渡し場所を教えてやる! ボーイ&ガールを殺すだけで、人生バラ色だ! 挑戦しない、訳ねェよなァッ! 引き換え場所はいずれ伝える。皆、楽しめよォ!」

 最初から最後までふざけた台詞を残し、映像が消える。

 沈黙は、ごく僅かな間だった。

「俺達は、ここに向かっている途中に襲撃を受けた。アイツらは俺を殺せば報酬が出ると言っていた。映像はいつの奴だ?」

「今日の午前三時だ。察知した段階で軽挙を起こした者は捉えたが、私との繋がりは割れていない筈だ」

「ニヴィアの血がどうこうとエデスタは言っていた。つまり、襲撃者が憂国騎士団の線は無い筈です。なら、予測はもっと単純になります」

 最後を濁したゆかりだが、彼女の主張は残る二人も読み取っていた。

 エデスタ・ヘリコロクスが仕掛けたエサに、多くの食い詰め者達が飛びついている。一攫千金から名誉まで。幅こそ広いが「欲」に集約される衝動に基づいて、彼らはヒビキ達を殺しに来る。

 元々一枚岩でない彼等が一纏めで仕掛けてくる筈もない。波のように不規則、そして間断なく迫る敵達を倒して、エデスタに辿り着かねばならない。

 監視網が非公式である以上、イルナクスからの正式な助力は期待薄と言わざるを得ず、早々に捕縛される連中の実力は下の下。

「一応聞いとく。アンタの力で、何処までこれを食い止められる?」

「許可証の発行と、今朝と同様の逮捕程度だろうな」

 戦いの盤面形成以外に、強い意味を持つ助力が出来ず、強者を事前に抑え込むのはほぼ不可能。

 実質的にそのような中身の宣告が、元・四天王の口から力なく告げられる。

 豪奢な空間を暫し滞留した音は、やがて三人が描き出す沈黙に飲み込まれた。


                  ◆


「お前らがなんで……」

 抗議を完全に無視する形で、ハレイドの一角に氷風が吹き荒れる。

 品の良い背広に身を包んだ色素の薄い肌と金髪。銀縁の眼鏡を掛けた紳士、マルク・ペレルヴォ・ベイリスは『白嶺囁ノーレ・リース』で、近頃都市に流れ着いた破落戸を纏めて氷像に変えた。

 呼吸用の穴が穿たれている為、死にはしないだろう。だが、状況は発動者の心一つで変わる。その上、大規模殲滅用で制御が難しい『白嶺囁』でそのような手心が加えられる時点で、両者の実力差は明白。

 項垂れた破落戸に背を向けたマルクは、接近する足音を察知して足を止める。

 顔に走る真一文字の傷が目を引く男、パスカ・バックホルツはマルクが片手を掲げて事態の終息を告げるなり、緊張を解いた。

「ご協力、感謝致します」

「構わないさ。所員が負傷した今、こうして前線に出て稼ぐのも仕事の内だ」

 鷹揚に答える「氷舞士」に、パスカは深く頭を下げる。

 ユアンは依然行方不明。デイジーは新入りのアルティと遠征。ルチアは国王と共に外遊と、四天王は見事に散り散りになっていた。いつも通りと言えばそうなのだが、近頃のハレイド周辺は治安の悪化が酷く、パスカも対処に駆り出される事が増えていた。

 肩書倒れではない力量を持つ彼にとって、苦ではない仕事だが、手が回らなくなりつつあったのは事実。そこで、同僚になる可能性があったアガンスの名士に声を掛けた。

 多忙を極める故、断られる事を覚悟していたが、事務所が開店休業状態と快諾され今に至る。

 代名詞の『転生器ダスト・マキーナ』・『氷伐剣ひょうばつけんナヴァーチ』を歌姫騒動で失い、今も正式な後継武器を持たないが、そのハンデを感じさせない実力を見せつけたマルクの存在で、仕事の負担は大きく減った。

 そして仕事を終えた今、二人はとある公園の片隅で煙草を燻らせていた。

「目立つ者は排除した。私の出番もそろそろ終わりかな」

「おおよそ整理は出来ました。後は、俺の領分です」

 ロクデナシ共の捕縛という、地味ながら必要とされている仕事。それを無事完了し、通常なら多少は気持ちが晴れる場面に於いても、パスカの表情は冴えない。

 先端から立ち上る紫煙を茫と見つめる。その中で形容し難い感情が泡沫となって浮かんでは消える。

 ゆらゆらと視界すら揺らぎ始めた頃。マルクの手が彼の肩を叩く。

「悩みがあるなら聞こう。無論、君と私では抱えている物が違うのは承知だがね」

「貴方にそこまでさせる訳にはいきませんよ」

「安心したまえ。所員のメンタルケアも仕事の内で、先日資格も取得した。もっとも、医療行為まで手を伸ばすつもりはない」

 吸い殻を携帯灰皿に押し込み、マルクは笑う。二人の目と鼻の先には吸い殻入れが立っているのだが、氷舞士が会話の途切れを嫌った故の選択だとパスカは気付く。


 ――良き人であろうとしているが、この人には勝てないな。


 懐の違いに内心白旗を上げ、彼に倣って吸い殻を携帯灰皿に押し込む。吸い殻の量で見えた、自身の喫煙量増加に苦みを感じながら、一度深く呼吸する。

「同僚が一人行方不明になりました。それを引き金に、もう一人の同僚も不安定な状態に陥った。数か月続くと、流石に堪えますね」


 五か月も便りが無ければ、死んでいると判断すべきだ。


 軍人としての職業意識と経験が組み上げた真っ当な思考は、諭すように反響する。ユアンはとうに死んでいて、公の捜索活動は打ち切られた。サイモンはアルティを彼の後釜に据えるつもりでいる。その判断は、国の安定と組織の理念に基づいて判断すると、何の誤りもない。

 消耗し続けるデイジーを見なければ、の話だが。

「同僚だ、仲間だと掲げた所で、俺達四天王は所詮寄せ集めの軍人。死すらも計画に組み込み、そしてそれを踏みつけて進む。そうあるべきなのです」

 アークスの掲げる正義の下、パスカも死者の血で溺れかねない程の命を奪ってきた。今になって仲間の死で迷いが云々と、宣う資格が無いと重々理解しているし、四天王の中で彼が二番目の年長者だ。

 自分が停滞すれば、デイジーの苦しみは増幅される。そう考えてここまで平静を装ってきた。結果デイジーも、四天王就任以前からユアンと交友関係があった自分も、迷いと苦しみに藻掻いている。

 ルチアは元より別行動が多い上、良き仲間ではあっても積極的な助言をくれる性分ではない。四天王の立場上、軍の誰かに話せば混乱を生みかねない。

 翻ってマルクはというと、実力者かつコネクションも豊富だが特定の組織や国との深い繋がりはない。人造獣の因子を注入された少女を筆頭に、差別階級に押し込められた者を積極的に登用している事から、思想にも偏りがない。

 何より、人を導く経験を豊富に有している。

 ある意味、相談相手になるのは必然とも言えた氷舞士は、パスカの告白に小さく唸り、やがてパスカの目を見据えた。

「私は在野の人間だ。軍のしがらみの全てを知らず、君の持つ責任を肩代わりなど出来ない。助言止まりになるが、構わないか」

 助言であっても、今は欲しい。縋るようにパスカは首を縦に振る。

「端的に言おう。君はもう少し、自分の感情に従うべきだ」

「感情に……ですか」

「感情を制御すると賢らに宣う者がいるが、そんなものは大半がまやかしだ。従えていると錯覚して行動を続けた所で、最良の結末に届く可能性は極めて低くなる。迷うなら、君の心に従え。幸いな事に、君は実力も信頼、金銭的余裕を積み上げている。遠回りする事は許される筈だ」

「ですがそれは……」

「成すべき事から遠ざかる、か。君にしては浅慮な見方だ」

 業物の切れ味で迷いを切られ、パスカの肩が跳ねる。百戦錬磨の四天王が、教師に叱られた幼子の反応を見せる、奇妙な光景にも平静を保ったまま、マルクの言葉は終着点に向かう。

「迷いを抱えたまま辿り着く理想など無い。君が抱える気高い理想なら猶更だ。高い職業意識に敬意を抱くが、私は君の脱線を望む。無論強制するつもりはない、なるべく急いで、そして真剣に考えて選ぶんだ。何事も失う時は一瞬だからな」

 そう告げて、マルクは何処かへ去っていく。

 一手を打った故、何らかの答えを返すまで追加の助けを与えるつもりはない。そして、まずは一人で整理すべき。

 甘くないが的確な配慮を見せた氷舞士の背に黙礼したパスカは、手持ちの情報を改めて整理すべく思考を整える。この時点での彼は、迷いの成分が未だ強かった。

 自分の意思と、行動が齎す社会的な影響を天秤に掛け始めたパスカの胸元に震動。携帯型通信機を取り出し、そこに映った名前に目を丸くしながらも、通信を繋ぐ。

「出た出た、久しぶりだな。元気してるか?」

「兄さんか。まぁ、それなりにやれてるよ」

「嘘つけぇ、またなんか悩んでるだろ。そんなんだと、俺の歳で禿げるぞ」

 五歳上の兄ジェイク・バックホルツの、気安い言葉にパスカの緊張が若干解れるが、すぐに疑問が浮かぶ。アークス王国の建設省に努める兄は、同じ税金を食む者らしく多忙で、連絡を取って来るのは年や季節の節目程度。今日通信を飛ばしてくる理由は見当たらない。

「忙しい時に悪いんだが、親父の容態が良くないんだ。……もう長くない、だとさ」


 全く予想外の理由に、掌中の通信機が軋んだ。


 四天王就任時から更に遡り、軍人への道を選んだ十六歳の頃から、パスカはベケッツの実家に戻っていない。原因は、父との考え方の相違にあった。

 アークスの農業省に在籍する、父の実務能力が高い事は兄弟のみならず、共に職務を遂行した者なら誰でも知る所だ。そのような評価にも関わらず、辺境の閑職という現在地にいる理由もまた、誰もが知っている。

 賄賂や忖度を嫌い、その手の類を一度たりとも受け取らず、誰に対しても公平である事を金科玉条に掲げて父は職務に当たっていた。

「国民に義務を負わせる側が、正しく在る事を放棄してはならない。お前達も、正しい人間であるようにしなさい」

 口癖のように語り掛けていた言葉と、父の生き様を幼い頃は誇りに思っていた。

 それが暗転したのは十歳の頃だった。

 理想がどれだけ高潔であろうと、世界は力に踏み潰されて進む。都合の良い人間にならなかった父は椅子取りゲームに敗れ、地方の雑用という閑職に左遷された。

 高潔な理想は薄汚い現実に敗れ去り、では理想の結実に何が足りなかったのか。

 問いに対する答えを、パスカは父に力が無かったからと結論付け、それを変える為に軍人への道を志した。父の暴力を嫌う気質の強さと、そこで行き当たる事になったのだが。

 士官学校を目指すと告げた夜、父は今まで見たことが無いほどに怒り狂った。

「暴力で人を従える道に進むだと! お前をそんな男に育てた覚えはない!」

「綺麗事を妄信して、父さんは惨めな場所に落ちぶれてるじゃないか! 俺はアンタみたいな、口だけの人間になりたくない!」

「その考えが浅いと言っている!」

 日が昇っても続いた争いは和解に至らぬまま、パスカは家を飛び出して士官学校へ入学。クレイトン・ヒンチクリフへの弟子入りも経て、四天王まで辿り着いたのが未だ。

 外野の視点では、パスカは理想を結実させたように映る。しかし今になって、信念に殉じた父の生き様を眩しく思うようになった。

 四天王と言えど、所詮組織の駒に過ぎない。己の信念を捻じ曲げた行動は当たり前で、妥協の名を借りた諦念で仕事をこなす日々もある。

 この道を選んだ事に後悔はないが、当初の決意から外れることなく歩けているかと問われると、首を横に振らざるを得ない。

 自身の道と歩き方の相違に目を向けると、最終的に敗れても成果を残しながら己の信念を曲げずにいた父は、傑物と言って然るべき存在だった。

 沈黙するパスカに、兄からの言葉が重ねられる。

「親父も頑固だから言わなかったけどさ。お前の活躍した記事とか全部切り取ってるんだぜ」

「……」

「考え方が違うのは分かる。でも、最後ぐらい話しても良いんじゃないか? お前も親父も、根本的には一緒ってもう分かってるだろ? いなくなってからじゃ、何も出来なくなるしさ」

「そう……かもしれないね」

「あぁでも、忙しいなら無理はするなよ? 最近バタバタしてるのは、こっち側にも回ってきてるからさ。今度飯ぐらいは行きたいけどな」

「それなら俺が奢るよ。良い店知ってるからさ」

「飯ぐらい兄貴面させてくれよ。それじゃ、またな」


 意図的な物だろうが、軽い調子で兄からの通話は切れた。

 通信機を戻し、周囲の長閑な光景に目を向ける。

 遊歩道を行き交い、各々の形で戯れる人々は皆、闘争から無縁の明るい顔をしている。無論、他者の目に見えない悩みや苦しみを抱えているだろうが、折り合いが付く範疇にそれがあるから成立する。

 完璧でなくとも「それなり」の光を浴びて生きる。道は違えども、目指すべき終着点は父と自分は一致する。そして今、自分が最も手を伸ばしたい者は誰なのか。

 時間に直すと一瞬。彼にとって永遠にも等しい思索の果て。パスカ・バックホルツは一つの道を選んだ。

「……行くか」

 心の中で父と兄に詫びを入れ、迷いを捨てた四天王は歩き出す。


 理想の体現の為に。そして、泥濘に囚われた親しき者を救い出す為に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る