12
「……おう」
「調子はどうだ?」
「大筋は変わらず、だ。良くも悪くもな。予想以上に踏ん張ってくれているが、全身の機能が低下し始めている。……今日辺りにでも、ユカリ君が持って来てくれないと不味いな」
レフラクタ特技工房の一室に設けられた、白い布を壁に貼りつけ、滅菌用の香を焚いているだけの簡易な集中治療室で、クレイとファビアは対峙していた。
ユカリをザルバドへと送り届けて以降、寝台の上で眠り続けているヒビキに対し、魔力を送り続けているクレイの顔には疲労が色濃く表出している。
ヒビキの肉体の突発的な異常に対し、迅速に対応する必要があるために、十代前半にしか見えないベテラン医師の顔も、似たような物になってはいるが。
「大体、貯蔵庫に残されているカルス・セラリフの魔力が込められた
「特異な存在と絡むようになった以上、これから先も義肢や義眼の損傷が発生する可能性が高い。カルス・セラリフの生存が絶望的な今、義肢の作り直し以外で血晶石を浪費するのは不味い。魔血人形の力が無けりゃ、魔術も使えないコイツにとって、義肢の材料が失われるのは致命傷だ」
「なるほど」
「俺にどうこう言うが、アンタの動きもなかなか不思議だよ。いつもなら最低限やった後は請求書だけ置いてハイサヨナラだったのに、何で今回は律儀に……」
そこで、自身が四天王であった時、隊長から聞いた話を思い出し、クレイは言葉を切る。
ファビア・ロバンペラの童女にしか見えない容貌は、決して先天的な物ではない。
嘗て大陸で蔓延していた奇病の症状によって、肉体だけが時間の逆回しを受けた事に依る物だ。
今でこそ単なる病気として扱われ、症状を克服する治療法が確立されたものの、それまでは悲惨極まりない事態も度々生じ、彼女自身もそのような事態に直面した一人である。
「何を辛気臭い顔をしている?」
「いや、その……すまん」
クレイの謝罪を、しかしファビアは鼻で笑って応じる。
「スズの薫陶を受けたお前が、私如きの過去で辛気臭い顔を作るな。今この瞬間、もしくは未来の事を考えろ。時間は正しく使え」
「正しく使えって言ったってな。特段動きの無い状況で考える事なんてなくないか?」
「その子が何者であるかについて、考えてみてはどうだろう?」
「――――ッ!?」
動物的な反応で、クレイは空いている右腕を使って『紅流槍オー・ルージュ』を声の方向へ構え、顔を上げる。すると、予想だにしなかった者がそこに立っていた。
「陛下殿、何故にここにいるのですか? クレイトンに対して、未練でも?」
「アークス国王として、不法侵入者によって負傷した国民を見舞うのは当然の責務だと思うのだけれど、何かおかしいかな?」
「国の方針として、放置しているヒルベリアに来ている時点でおかしいよなぁッ⁉」
「ロザリスからの帰路の途中だからね、経路としては納得できるだろう?」
「クレイトンの言うおかしいは、そのような意味ではないと思われますがね」
アークス国王、サイモン・アークスが突然の登場を果たし、室内は一気に緊張で満たされる。非戦闘員であるファビアまでもが、メスを構えていつでも投げられる体勢を執り、一触即発の空気が形成される。
「実権は殆ど失われているとは言え、私はまだ一応この国で重要な人らしいからさ。一応敬意とか、そういう物を持つよう考えてもいいんじゃないかな? と、思ってみたりするんだけど」
命の危機に立たされているとは思えない余裕の風情で、サイモンはまるで場の空気を読まない言葉を連ねる。或る意味で為政者らしさを醸し出している中年男に、オー・ルージュの穂先を向けたまま、クレイは問いかける。
「アンタがここまで来られたのは、パスカが作った『
「アリアはまだ若すぎるから、勘弁してくれると嬉しいな。それに、この子に関わる面白い話を持ってきたんだから、それを聞いてからでも問題ないだろう?」
不承不承ながらも、クレイはオー・ルージュを引く。それを微笑を浮かべたまま見つめていたサイモンは、ファビアもメスを下ろした事を確認してから、口を開いた。
「では、私の知っている事を端的に教えよう。『
知った者の名前が飛び出した事に、二人は奇妙な表情を浮かべる。その反応を予想していたのか、特段表情を変えずにサイモンは続ける。
「彼もやはりヒトの子。他の四天王が魔術を巧みに用いて戦う中、自分一人だけが限定された戦い方しか出来ない事に、相当な劣等感があったそうでね。魔血人形の計画に、それもノーラン・レフラクタが携わる以前の初期段階で、被験者として志願したんだ」
クレイの記憶に残るハルク・ファルケリアは、そんな物を微塵も見せずに気さくに振る舞い、策と観察力を活かして同僚に並び立つ男だった。まさか他の四天王に対して劣等感を抱いていたとは。
知りもしなかった事実に彼が絶句している間にも、サイモンの言葉は重ねられる。
「そして彼は脳と肺の部分に、『獅子姫』レヴァンダ・グレリオンの魔力が込められた血晶石を入れ、それぞれの器官と結合させた。結果は、君達はよく知っている筈だ」
ルーゲルダ無しでは魔術が使用不可能、がその答えだろう。
二の句が継げないクレイに変わって、ファビアが問うた。
「それで、ハルク・ファルケリアの結果が何だというのだ? 完全に技術が確立されたのがノーラン・レフラクタの手が入ってからだ。未完成な手法ならば機能せずとも当然の話だろう」
「確かにそうだね。けれどもその後、つまりノーラン・レフラクタによって技術が確立された後も、先天的に魔力を有さない者が、魔血人形としての改造を受けて力を手に入れた事は皆無だ。
大陸を渡って来た者や、当時存在していた少数民族にも試みていたから、試行回数が足りない事はない。……廃棄された理由は、運用の難しさよりも本来期待されていた、魔力を有さない者の底上げが叶わなかった事にあるんだよ」
何も言葉を返せない二人の耳に、通信機器の音が届く。発信源の持ち主であるサイモンが懐から機器を取り出し、画面を見て微笑んで踵を返す。
「少しばかり急用が入ったから、これで失礼させてもらうよ。……最後に一つ、一連の事態の流れは偶然などではない、必然だ」
混乱を撒き散らす言葉だけを残して、サイモンは去った。
乱入者の狙い通り、何も出来ないまま間抜け面で見送った二人は、油の切れた人形に似たぎこちない動きでヒビキを見遣る。
「クレイよ、この子は魔術を使えないそうだな。そして、出生地は不明らしいな」
「それで間違いねぇよ。十二年前、カルス・セラリフが第二マウンテンで拾ってきた時には、記憶も無かったらしいし、名前だって破られずに済んだ服についてたらしい物で呼んでるだけだ」
無言で首を振った後、ファビアはヒビキの顔を見つめる。彼女の主張を凡そ理解出来てしまったクレイは、思わず天に問いかける。
――安易に世界を跨げる訳も無いし、あのクソ野郎の言葉が全て真実と信じる訳にもいかん。だがヒビキよ、お前は一体何処から来たんだ?
真実を知るには、異なる世界の来訪者の、エル―テ・ピルスからの生還が絶対条件である。そして、その刻限は迫りつつある。もどかしい思いで、クレイ達は彼女の帰りを待つ他ない。
自分に対しての疑問や不安が渦巻いている事など、知る由もなく、ヒビキはひたすらに眠り続ける。
沈黙に耐えかねたのか、一定の時間が経過した頃ファビアが重々しく口を開く。
「……スズのムラマサは今どこに?」
「場所は知ってる。だが、アンタと言えども、隊長との約束を破って喋る訳にはいかねぇよ」
「私に言わずとも構わん。アレが帰還次第、すぐに回収に向かえ」
意図をすぐに解せず、クレイは暫し黙して思考を整理し、日頃の彼からは想像出来ない、弱い言葉を返す。
「俺じゃアレは抜けなかった。それに……」
「お前の適性や心の揺れなど知るか。カタナと槍では扱いが大きく異なること程度、私でも承知している。何が起こるか分からんのが現状なら、せめて手札を増やしておくべきだ。適合した者が振るえば、一気に世界のバランスを崩壊させるブツを、サイモン達の側には行かせない方が良い。奴が何か手を打つなら、こちらも手を打つのが妥当だろう?」
「……分かった。ならアンタに頼みがある」
「何だ?」
「俺の家にある資料の中に、『ディアブロ』に関する物を纏めた物があった筈だ。ソイツを見つけ出してくれ」
「そのココロは?」
「目覚めれば、コイツは間違いなくディアブロからの再戦を受ける。だが、今の実力では何度戦っても奴らには勝てない。勝率を高める為には、資料からその断片を得て、そこから突破口を見つけ出すしかない」
「少し待っていろ」
首肯して、『転瞬位』を使用したのであろうファビアの姿が掻き消える。
意識ある者は自分一人となった状態の部屋で、クレイは瞑目して長い息を吐く。
――ムラマサか。エラく懐かしい……いや、無理やり記憶の隅に追いやってただけだな。
究極の業物とその持ち主。そしてそれらの姿に付随して浮かび上がってくる、思い出と最悪の結末は、今もなお
正直に言えば、触れたくはない。だが、武器一つからも逃げていては、真相を知る事など出来やしない。
強い怯えを見せる心に鞭を入れ、一人きりの空間で元・四天王は少しずつ決意を固めていく。
◆
「やあ総統閣下殿、用件はなんだい? ……なるほど、君らしくもないが了解した。軍部の方へと働きかけてみるよ」
微笑みながら通話を終了したサイモンは、満足げに何度も頷いて呟く。
「あの子の最初の遊び相手としては、ハルク君は強すぎて戦いになるかどうかも分からない。早々に戻ってこない辺り、かなり頑張っているようだけれど、どこまでやれるか楽しみだ。……異邦人の足掻きも、彼らにとって良い目が出るほど、私にとっても良い目が出る。期待しているよ」
自分以外の者からの理解を徹底的に拒む内容の言葉を吐き、サイモンは歩き出す。 彼の姿は『幻光像』の魔術式が刻み込まれた外套の力によって、すぐに見えなくなった。
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