13:どうしようもない馬鹿の称号を
「るゥああああああああッ!」
精悍な顔を血化粧で彩った少女、ティナ・ファルケリアが、エル―テ・ピルス山頂の闘技場を疾駆する。
敵の攻撃で消失した彼女の前腕部は、再生によって再び生え始めており、
鮮血の紅が各所に這う銀の刀身が輝き、鍔の部分を彩っていた蔦の意匠の飾りが弾かれたように展開、ティナのそれとは異なる若い女の絶叫が山頂に響く。
ティナの全身が、刀身から吐き出される炎で
大地を泥濘に転生させ、地形を大きく書き換えながら『
「十六でそれを使うとは、やはり血筋か」
まるで危機感の無い声色でそんな台詞を吐き、大怪鳥は悠然と嘴を開いて『
二種の炎の激突で観劇者の視界は激しく揺らぎ、熱の奔流が空気を搔き乱す。
単純に放った魔術の格で判断すれば挑戦者のそれが勝る。
だが両者の間に確実に存在する、絶対的な地力の格差によって巨鳥は瞬く間に炎の身体を削り取られ、内部のティナも身体の各所に火傷を負って宙へと追放される。
「――ええいッ!」
今一つ素人の気が抜けない叫びと共に放たれた、薄緑色の刀身を持った剣が放物線を描いて大怪鳥の背後から迫り、彼を守護する不可視の鎧に突き刺さる。
同時に、崩壊の只中にある炎の巨鳥の口から、鞘に収まった状態で肉厚の異刃『滅竜刀・紫電』が名前通りの紫電を纏って吐き出される。
――――ウラグブリッツなら鎧を抜ける。つまり、それを介すれば攻撃は当たる!
異世界の住人が発した乾いた銃声を聞きながら、ティナは確信と共に異刃を抜き放って『
不可視の鎧に阻まれ直撃はならなかったが、轟音を引き連れて天から舞い降りた、猛り狂う白き雷槍は鎧を這い回り、ウラグブリッツの刀身を伝って鎧の一点を破壊にかかる。
背後から仕掛けていた異世界の住人、ユカリもティナの意図を理解して『
大怪鳥の周囲を半球状に包んでいた不可視の鎧の、ウラグブリッツの刺さった一点が徐々に歪み、電槍がじわじわとセマルヴェルグに接近を果たす。
「一割だけの解放ではこうもなるか。しかし、今更規則を曲げる訳にもいかぬ」
ティナの視界が、追い詰められた状況からは程遠い、悠長な言葉捉えた直後に暗転する。
視界が元に戻った時、身体が闘技場の端の端まで飛ばされている事に気づき、全身が総毛立つ。
このまま空へ放り出されれば、相手がフォローしてくれるかも分からない。ティナは咄嗟に両手を地面に突き刺し、抵抗を試みる。
指の皮膚が裂け、爪が全て剥がれて骨まで削られていく。極めて現実的であるが故に、感情にモロに響く激烈な痛みに顔を歪めるが、己の命が懸かっているのだと内心で必死に復唱し、更に深く地面に食い込ませる。
空が視界にハッキリと入って来るようになったところで、身体の動きがようやく停止する。
指の殆どを削り取られらが、どうにか闘技場からの追放は免れた。身体に突き刺さる痛みを堪えて跳ね起き、追撃が無かった事実に舌を打つ。
即座に身体の傷が癒えていくのを感じながら、ティナは灰の瞳でセマルヴェルグを睨む。
――重力の操作で光をも捻じ曲げる『
自身が習得している魔術の中で最上位に位置している『
別の手段を講じる必要に駆られるが、セマルヴェルグ相手に成立する別の手段など、そう易々と見つかる筈もない。
思考の袋小路に陥りつつあったティナだったが、銃声と、それに呼応した叫声を耳に捉えて我に返る。
顔を上げると、異世界からの来訪者が背部に異形の翼を纏って、セマルヴェルグに突撃を仕掛ける光景が目に飛び込む。他に魔術を使っている気配はない。
自殺行為にも等しい行動であり、客観的に見れば愚かであるのかもしれないが、今この場において必要なのはそれだろう。
『
◆
「――ッ!」
体内からの鈍い音を聞いて顔を歪めながら、ユカリは背部の翼へ変化を命じる。
毒々しい肉の翼は激しい震動と共に、先端の形状を三叉の槍に変えてセマルヴェルグに殺到。
「発想は良い。だが実力が足りんな」
先端が激突する直前、突如として肉の槍の先端が泡立ち、瞬く間に崩壊して、ボロボロと地面へと落下していく。
翼が自分の肉をベースにしている以上、分解する事も可能なのだろう。妙に冷静な推測をしている内に、ユカリを激痛が襲い口から絶叫が飛び出す。
神経を直接犯す痛みに直面して姿勢を崩し、地面に落ちて無様に転げまわるユカリの身体から、すぐに傷と痛みが消えていく。
セマルヴェルグの治療は至れり尽せりで、身体の調子は今までにないほどに完全な状態へと戻される。攻撃を受ける度にそうなっているので、自らの身体の平常を錯覚しそうになる程だ。
理屈上は、このままいつまでも戦える。
身体の動きが徐々に悪くなっている現実を鑑みれば、それは空虚な机上論だと断言出来てしまうのだが。
――私の中にセマルヴェルグへの、そして彼が放つ攻撃によって身体が損壊する事への恐怖が刻まれつつある。このままじゃ不味い。
ユカリとティナ、二人の抱く懸念は全く同じ物だ。
肉体の損壊は治療出来ても、精神が保つかどうかは別の話。
既にこの場において、覆しようがない圧倒的な実力差を見せ付けられながらも、二人は戦い続けているが、対抗手段の尻尾さえも未だに掴めない。
何一つ希望が見出せない状況に晒され続けても、光明を見つけるまで耐えられるか否かについては、常人の精神の強さを考えると怪しい。
実力差が齎す恐怖や絶望は動きを鈍らせ、鈍った動きが被弾を誘発。それによる傷の痛みが更なる負の感情を生む。
まさしく地獄の悪循環と形容可能な状況を、いい加減突破しなければ勝利など掴める筈も無い。
「――ッ!」
走り始めたユカリの耳を、爆裂音が叩く。同時に吹き荒れる暴風によって、体勢が崩れた。再び『
痛恨の失策に対して、何らかの感情がユカリの中で生まれるより速く現実が進行。足が接地感を失い、ユカリは地面を転がる。
全身を激しく揺さぶられ、各部を何度も強打したことによって、感覚が失われる。
やがて、ユカリの視界が蒼に染まる。
変化の意味と、次に起こる現象が何か理解した彼女の表情から、生気が消えた。
――駄目、死ん
空中に放り出された事からの、当然の帰結として、ユカリの身体は重力に従って落ちて行く。
四千メクトル近い高さから地面に落ちた場合出てくる結果は、たった一つだ。
「そうはさせんよ」
落下を始めたユカリに耳にセマルヴェルグの声が届く。同時に、不可視の糸で吊られたように身体が急停止し、山頂へと引き寄せられる。
見ると、セマルヴェルグが巨大な翼の片方を揺らめかせ、重力を操作してユカリを連れ戻そうとしている姿があった。
「規則は絶対だ。貴様達が自らの口で断念しない限り、退場も死も許さぬ」
その間にも、剣舞を叩き込まんと足元で足掻くティナの身体を、もう片方の翼を 用いて破壊しながら、ユカリを決戦場の地面に転がす。
ベシャリ、と間抜けな音を上げながら顔面から着地。久方ぶりの現実感を抱かせる痛みに悶えていると、すぐ真横にティナが地響きと共に降り立つ。
先ほどまでと比すると、全身が一回り大きくなったように見受けられる少女もやはり負傷しており、右腕が捩じり上げられた風情で破壊されている。
「……想定以上に厳しい状況ですね」
「接近する事も出来ないから、どうしようも……」
「かと言って、遠距離からの魔術による攻撃も無効化されますし。……どうやって父は撃破したのだか」
口内の血と言葉を吐き捨てると同時に、ティナの身体が再修復を果たす。いい加減に不愉快になってきたのか、苛立たし気に両の手に握った剣を回し始めるティナに、ユカリは問いかける。
「何かハルクさんから聞いていたり……」
「していると思いますか?」
業物の切れ味で問いを否定され、二人の間に沈黙が降りる。その間、セマルヴェルグは退屈そうに二人を眺めるばかり。
二人の攻撃など、『エトランゼ』は後手に回っても問題なく対処出来る為、動く前に潰す必要など無い、という思考によるものではないかとユカリは推測する。
ありがたくはあるが、反撃の糸口が見えない今、この静止した時間さえも重い。
これで一割の力、と主張するのだから敵の力の底など想像しようもないし、したくもない。
今必要なのは絶望と感嘆ではなく、勝利の礎となりうる情報だ。
「……ねえティナ。エトランゼだけが使える力って、何かあるのかな?」
意図を図りかねているのか、一瞬の沈黙。ティナは一度納刀してから、引き結んでいた口を開く。
「伝承によれば、他の生物と異なる力は二つ。エトランゼを除いた生物全てに致命傷を与える『
「その通り、だが」
セマルヴェルグの横入りを、ティナはそちらを見もせずに短剣を放って止める。破砕音が聞こえてきたので、恐らく短剣は物生を全うしたのだろう。
提示された二つの力の内容を、ユカリは内側で整理する。前者については論外、使われた瞬間に死ぬのならば、策として用いるかどうか思考する余地はない。
では後者はどうだろう? そこに思考が届いた瞬間、ユカリの表情が悪魔の様に歪み、ティナがたじろぐ。
「何を考えているんですか?」
「デローリアは、他の魔術と同じように、何度も連発出来るものなのかな?」
「使える者がエトランゼ以外に存在しない以上、私からその答えは言えません。使うとなれば、あちら側も全ての力を使用する必要があるそうですし、発動させたと言われる二頭のエトランゼが、未だ再覚醒を果たしていないとも聞きます。それも何処まで真実と言えるのか……。って、ちょっと何してるんですか!?」
コーデリアの納められた鞘が腰から抜き取られ、替わりにウラグブリッツを手渡されて混乱するティナに対し、ユカリは耳元で囁く。
「……なッ!? 気は確かですか!?」
当然の反応を見せるティナに対し、ユカリは引き攣った笑顔で返す。
「……私の持っている弾はあと二つ。使い切れば私は只の的でしかない。なら、動ける内に賭けをした方が良い」
「……失敗した場合の策は?」
「ないよ」
沈黙、そして逡巡。
意図は理解出来るが、勝算が低すぎる。日頃提案されれば、鼻で笑って終わらせる妄言でしかない。
しかし、この非日常の空間では別の話だ。ティナとしても、真剣に検討せざるを得ない。
ユカリと縁も義理もないティナにとっては、撤退の選択も可能。実利を取るのならば正解はそうなるが、大前提としてここに来た目的は実利とはほど遠い。
「……私があなたの役割を代わりに行うのは駄目ですか?」
「言い出しっぺの責任ってものがあるからね。嬉しいけれど、それは無理だよ」
暫し瞑目した後、ティナが引き攣った笑みを浮かべて首肯する。
ユカリの提示した、究極の他力本願の賭けに乗る決断を果たしたのだ。ウラグブリッツを回転させながら抜剣、下段に構えて吼える。
「では、始めましょうかッ!」
文字通り颶風と化したティナが、咆哮が世界に溶けるよりも速く直進。
大怪鳥の『
「行きますよ。『
ティナの身体の回転に呼応して、生まれた暴風の一つ一つが巨大な竜巻と化しセマルヴェルグに襲来。
自身の身体の部位を利用して作られた武器であり、尚且つより力を発揮出来る存在に渡って一撃が放たれた事で、大怪鳥は規則で定めた範囲内での全力で迎撃せざるを得ない。
決戦場全体が軋みを上げる中で、剣技を放ち終えたティナはそのまま『竜翼孔』の翼を用いて空に留まり、頭頂部への穿刺を放つ。
声にならない絶叫と共に銃声が響き、もう一つの紅い飛翔体、いやユカリが接近。血を吐き散らしながら『
――さっきは余裕があったから防がれた。でも今ならっ!
三方向からの攻撃を受け、防壁が軋みを上げ始める。自らが決めた力の範囲以上の物を受け、限界が来つつあるのだ。
不利な状況を打破する為に、セマルヴェルグは翼を打ち下ろして暴風を生み、まず二つの攻撃を停止させる。『
風の刃が消えていくのを、吹き飛ばされたユカリは空中で見届ける。
上下共に見えるのは無駄に晴れ渡った空。準備は成った。コーデリアを引き抜いて、銀の刀身に向けて引き金を引いた。
最後の弾丸が放たれてコーデリアに魔力が宿り、刀身にあしらわれた紅の装飾が輝きを増し、鍔の飾が展開。
準備は完了。後は手筈通りに進めるのみ。
しかし、コーデリアを最適な高さに掲げたところで、ユカリの手は止まった。
喉から自分のものとは思えぬ、狩人に追われた野獣のような唸りが漏れる。
コーデリアを握った右腕が、馬鹿げていると思える程に震える。
心臓の音が痛みを覚える程に鼓膜を刺す。
本能が、これからやろうとしている事を中止しろと、声高に訴えているのだ。
至って常識的な反応だ。勝手な憶測の上に憶測を積み重ねた、まさしく砂上の楼閣の言葉が相応しい行動を、ユカリはこれから行おうとしている。
成功する確率など、数値化不可能な程に低い。
失敗の代償は、元の世界への帰還が完全に不可能になる素晴らし過ぎる物だ。
――それでも、今を選んだのは私だ。この瞬間、こうしているのも私が選択したんだ。なら、今ここで逃げる訳にはいかないんだ!
ティナの術技で生まれた暴風が収まりつつあるのが、肌に伝わる。
完全に止んでしまえば、セマルヴェルグはすぐこちらに注意を向け、闘技場へと引き戻しにかかるだろう。
弾丸を使い果たしてしまった今、そうなってしまえばユカリの大怪鳥に対しての対抗手段は完全に消滅する。そして、ヒビキの死も確定する。
思考を打ち切り、手首の回転で切っ先を自らの胸に向けて、迷いなく突き刺した。
「――かっ!」
短い悲鳴が口から吐き出される。名工が生み出した業物コーデリアは、ユカリの心臓を破壊し、彼女の背中から切っ先を輝かせる。
ユカリの眼が、眼窩から飛び出そうになるほどに見開かれ、口から喀血が止まらない。生命が破壊される極限の苦痛を受け、ユカリは空中で悶え狂う。
無様な振る舞いすらも出来なくなる量の失血も、すぐに果たされ、博徒の視界は急速に薄らぐ。
――あとは、相手がどうでるか。……良い目が出てくれたらいいなぁ。
絶望的な賭けの一手を放ち終え、場違いな思いを抱きながら、ユカリの意識は喪失する。
◆
ティナと『旋燕狂風刃』を弾き返したセマルヴェルグは、すぐに宙を浮かぶ病葉と化した異世界からの来訪者に気付く。
「不味いな」
僅かに焦りが浮かぶ。優れた目が彼女の状態を超高速で分析。
心臓の破壊が為され、即死状態。完全に命が失われるまで、猶予は皆無に等しい。
七色の羽で覆われた大怪鳥の全身が黄金色に輝く。彼の全身だけに留まらず、上空をも染めていく幻想的な光は、異世界からの少女へと伸びて行き、彼女の心臓へと入り込む。
心臓に侵入した光は瞬く間に破壊箇所を修復し、彼女の身体の時間だけを世界と逆方向に回し始める。
生物の絶対の死の条件である、脳髄と心臓の同時破壊を受けたエトランゼ、ギガノテュラスとメガセラウスが、現在に於いても生命を保っている理由である『
失われた生命は帰らず、過ぎ去った時間は戻らない、誰も存在を確かめられない何処かの神が定めた絶対のルールを破るのは、エトランゼと言えども易い行為ではない。
自らの生命維持に用いる力以外の全てを動員する必要があり、その制御にも細心の注意を払わねばならない。今まで発動していた他の魔術は、全て停止している。
つまり、たった今この瞬間、セマルヴェルグは只巨体を有するだけの生物に堕しているのだ。
「があああああああああッ!」
愚直な直線軌道を描き、ティナ・ファルケリアがセマルヴェルグに突進。
ここでようやく、大怪鳥は異世界からの来訪者が自害を選択した意味に気付く。
大技の発動も、いやそれ以前の段階での得物の交換も、全てが自らに『時序可逆遡行』を使わせる為だけに為されたものだったのだ。
どれだけ条件を付けようとも、敗北を喫するのはエトランゼとしての汚点となる。
しかし、ここで疾走する少女に対しての攻撃を開始してしまえば、異世界からの来訪者は死ぬ。自らが定めた規則を破る事になる。
挑戦者が弱者であり、自身が圧倒的に実力を上回る。そして、嘗て自分に勝利した男が命じた決闘の規則。
全ての条件が枷となり、エトランゼは動けない。
行動を停止したセマルヴェルグを真っ直ぐに見据え、ティナはウラグブリッツを引き抜く。
戦いを終幕に導く斬撃が、セマルヴェルグの巨大な翼にとても小さな、そして確かな傷を刻み込んだ。
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