16

 イルナクス連合王国、通称女王国の首都イルディナ郊外に立つ古城。

 持ち主の気質を示すように、整備の行き届いた庭園に設けられた卓で、ある人物が向かい合っていた。

 片割れにして当地の所有者、ジャック・エイントリー・ラッセルは、目前に座す珍しい客人の姿に目を細めながら紅茶杯を傾ける。

「式典に参加しなくて良かったのか?」

「敗者でありながら勲章を受け取るのは美学に反します。叔父が出るので、問題ないでしょう」

 平時の文脈とは異なる、黒一色の装いを纏った『白光の騎士』ことエリス・ハワード・ルクセリスの淡々とした答え。聖剣の喪失と人生初となる敗北を、それなりに消化出来ていることを察し、ジャックの緊張も幾分緩む。

 直系の血が続いている事実に起因する人気も相俟って、ルクセリスの系譜は国の要職に就くことが多い。外相の地位に就いたエリスの叔父は、出たがりの気質を除けば有能で国内外からの信頼も厚く、彼の代理として相応しい存在と言える。

 何も後ろ指を差されることがない以上、嘗ての教え子を盛大に迎えたい気持ちもあったが、聖剣を折られたと報せを受けた手前、こうして静かな茶会と相成った。

「貴方の孫弟子にも会いました。……単なる正面からの戦闘力や魔術の精緻さなどでは、ボクが格段に勝っていた」

「君に総合力で明確に勝る存在など、恐らくいないだろうな。それは、何があろうと変わることはない」

「ですが、此度の勝利へ導いたのは彼等だった。限界の先へ己を導く力、それがボクにない物と言わざるを得ません」

 贔屓目を抜きにしても、ヒビキ・セラリフは全てに於いて粗削りで、単純な能力比べならば百度刃を交えて百度エリスが勝つだろう。

 しかし、対『エトランゼ』の特殊状況ではヒビキの貢献度が上回った。幼い頃から正道を歩んだ結果、二十四歳という若さで歴代白騎士でも有数の戦果を挙げたが、まだ伸び代は残っている。そしてそれは、彼が嫌う邪道の中にも転がっている。

 あまりの才覚を前に伝えられなかった事を、実体験で得られたのなら、間違いなく彼は今よりも強くなれる。イルナクス云々以上に、彼自身にとってそれは素晴らしいことだ。

 嘗ての積み残しが消えたことで、喜びを表出させたい気持ちはある。だが、訪問の理由が旧交を温めるだけでないと知るが故に、表情を引き締めたままジャックは発言を促す。

「拝命された通り、他国の連中が放った小型飛行機械への干渉。そしてボクが生み出した魔力生成生物による禁足地の観測を行いました。アルベティートによる破壊を免れた一部から、興味深い記録を得られました」

 戦闘以外での行使を本人は嫌っているが、エリスは機械への干渉などによって、遠く離れた場所の事象やそこに漂う魔力流をそこにいるかのように認識出来る。

 戦場となったアラカスク平原から西に進んだ場所に位置する、嘗ての決戦地デウ・テナ・アソストル。アルベティートの宣戦布告とほぼ同時期に、当地の環境が激変したと近隣の連邦加盟国から報せを受けた。

 宇宙・深海・極地に次ぐ、世界最後の秘境と形容された当地が、進入可能な環境になったと聞いて、興味を示さぬ国は存在しない。

 大手を振って国を跨ぐことが許される宣戦布告を、渡りに船と捉えた国は多く、ベアトリスもまた、秘匿されているエリスの力による調査を命じたとはジャックも知っている。

「あくまで見えた範囲に留まりますが、植物の芽吹きを確認出来ました。最大の障壁となっていた大気汚染も、改善の兆しが見えた。恐らく、噂は正しいのでしょう」

「しかし、その顔では何か懸念点があるのだろう? 何があった?」

 連邦加盟国軍を先遣隊に使えば、本国が受ける非難も幾分軽減される。大気汚染が改善されているなら、そちらの損耗も抑えられて言うことなし、といかないのは常識的な視点を持つ者であれば分かる。

 言葉を濁したエリスに刻まれているのは、強い懸念。高い実力と知性に裏打ちされた彼には珍しい姿故、ジャックも軽率に発言を促せない。

 紅茶を取り替えに来た執事に下がるよう命じ、二人だけになった庭園に『輝光壁リグルド』を発動。長年仕えてくれている者の忠義を疑っているのではなく、双方に余計な心的負担を与えないジャックの措置に、エリスが息を吐く。

 微細に震える手で杯を手に取り、唇を湿らせた騎士は躊躇いながらも口を開く。

「禁足地に面白い痕跡が複数残っていました。一つ目はアークスのあかき狼……貴方の弟子の魔力です」

「な……」

 嘗ての弟子の名がここで挙げられた事に、ジャックは激しい動揺を見せる。だが、そこで彼の驚愕は終わらなかった。

「父から継承した記憶が基盤故、これについては曖昧ですが『船頭』の魔力も感知しました。……そして、既知の物と一切合致しない第三の魔力が、二者と激突した。知覚出来た範囲で描けるのはその程度ですが、貴方ならこれでも異常性は理解出来るかと」

 ヒトの視点で歴史を振り返ると、中立を守り続けていた『船頭』がヒトと。それも自身の弟子とも言える存在と共闘した。不確定要素故に、エリスは明言こそしなかったが、二人が敗北を喫したと考えるのが妥当。

 禁足地が開かれた事実と、エリスが感知した魔力流。二つの要素はクレイ達の戦死を霞ませる事態を想像させる。嘗ての教え子に対する感傷を努めて押し殺し、ジャックは推論を組み上げていく。

「十年のブランクがあってもクレイは強い。そして、負ける戦いをするような子ではなかった。あの子と船頭が連携して、勝てる相手が人類にいるのか」

「そもそも、船頭の手札は我々にとって未知の物。異なる世界との接続までも成す相手に、勝算があるとは思えません。エトランゼの侵攻すら発生した今では、常識的な視点を捨てねばならないでしょうが」

 両者とも知識は腐る程に持ち合わせている。思考遊びに過ぎないが、可能性を模索する中でジャックの中に気付きが生まれる。

 現代に於ける大国でデウ・テナ・アソストルを嘗て領土としていたのは、ペトレイア社会主義国・央華人民共和国・ヤナールの三国。いずれも、此度の大戦で有志軍への派兵を行わなかった点が共通している。

 国際社会に認知されていない存在の試運転を禁足地で行い、その過程で二人を撃破。古の時代に存在した領有権を掲げて進軍した他国軍を壊滅させた所で、国際社会に是認を強いる。

 統治体制は異なれど、権勢拡大への強い野心と真意を隠蔽する術に秀でた点も共通する三国の内、どこがその札を切っても不思議ではない。仮に実現した場合、禁足地に眠る資源の独占に留まらず、インファリス全土の制圧に乗り出すリスクが発生する。

「連邦加盟国の安全保障を名目に、兵を出すように進言すべきだろうか」

「先生の想像は妥当な物でしょう。ですが、その逆をボクは予想しています」

「逆?」

「彼等との戦闘は、それなりの軍事力を有する三国を誘う撒き餌に過ぎない。釣り出された連中を潰せば、一定以上の意味が生まれる。……世界が一つにならない理由を、先生はどのように説明してくれましたか?」

「どれだけ秀でた存在も必ず衰え、死ぬからだ。不世出の天才が現れ、強権的な手法で纏め上げたとて、その者が去れば破綻と混乱が待ち受ける。欠陥だらけの民主主義を最悪の回避を為す為に採用しているのなら、それを維持する取り組みと対立する。故に世界の統一は不可能だ」

 問いに籠められた意味を解せないまま発した、ジャックの答えにエリスは首肯。長い溜息を吐いて、もう一度言葉を紡いでいく。

「実力者を打倒した存在は、恐らく一国の軍など容易く破る。『船頭』と伍する『エトランゼ』にも剣を向け勝ち残ったのならば、その者を抱えている国が覇権争いで大きく優越する。仮定に仮定を重ねて、世界を繋ぐ『船頭』の力を手にしたとしましょう。そうであれば、寿命問題を解決する方法を探すことが出来ます。……誰もが夢見る、世界征服が現実味を帯びてくるのです」

 他ならぬエリス自身が言う通り、仮定に仮定を重ねた暴論に過ぎない。静観を選択した結果、豊富な資源が眠ると噂される禁足地を奪われるのは重大な失策で、三国の計略を警戒して動く方が良き目の確率は高い。

 だが、エトランゼの宣戦布告を除外しても、御伽噺に近い事象が既に頻発している。異なる世界との接続を意味する空の変色も、あまりに多発する事からこの一年で神秘性を喪失した。このような状況で、常識的な思考にどれほどの意味があるのか。

 救いを求めるように、懐へ伸ばしかけていた手を戻す。暗雲を掃う力など手の内にない残酷な現実に打ちのめされるジャックの姿は、実年齢よりも老いて見えた。

「君は、どうするつもりだ」

 無言のまま、エリスは吊るされた剣を叩く。折られたままでは想定した事態で戦えない為、アロンダイトの代わりとなる剣を探すのだろうが、そうなると禁足地への出撃を望む軍部と軋轢が生じる。

 その点をどう考えているのか。問おうとしたところで、態々報告に現れた事実から全てを察したジャックは溜息を吐いた。

「民間人に口利きをさせるんじゃない。気軽に利用していると、国の腐敗に繋がるぞ」

「ボク一人の運用で崩壊するなら、植民地を大量に手放した時にこの国は滅びていますよ。それ以外の業務はきちんとこなしますので、ご安心を」

 堂々と宣ったエリスの顔は幼年期を想起させる、悪戯めいたものだった。

 それが、どう転んでも待ち受ける混乱に呑まれない為の、精一杯の悪足掻きと知るジャックは、無言で『輝光壁』を解除して執事を呼び寄せる。

 会談が終わり、エリスが去れば国内の混乱を回避する為に足掻く日々に突入する。目前の騎士のように命を賭すことはないだろうが、一度最前線を退いた身分には堪える大仕事だ。重圧を感じないと言ってしまうのは、大嘘になるだろう。

 せめてこの瞬間だけは、平穏な時間で在って欲しい。

 図らずも同じ気持ちを共有する教え子に、目配せしながら立ち上がる。

「君が使っていたデッキを、まだ残している。折角だから、一試合やらないか」

「今でもソルナディムの勉強は続けています。先生と言えども、負ける気はしませんね」

 穏やかな会話は不穏な赤に染まった空へと放り投げられ、やがて消えた。


 同刻、インファリス大陸中央部。

 禁足地と称されたデウ・テナ・アソストルを目指して、五百七十人の武装集団が装甲トラックに詰め込まれていた。

 特定を避ける為に民間企業所有と偽装されたトラックの荷台には、極東系の顔が多く並ぶ。その中の一人、軍服と装備に着られ、路面の凹凸を拾ってトラックが跳ねる度に大きく揺れる青年の顔には、拭えぬ不安が貼り付いていた。

 央華人民共和国の特殊大隊『封豨隊ほうきたい』は名前こそ勇ましいが、実情は少数の正規軍人が犯罪者を統括する、使い捨ての部隊に過ぎない。後ろ暗いルートを用いて、ノーティカから複数人戦士を引き入れたようだが、それでも他国の正規軍と激突すれば完膚なきまでの敗死が待っている。

 また車体が跳ね、青年の体が横倒しになる。慌てて起き上がり謝罪するが、隣に座していた中年男性から返礼の唾が飛んでくる。苛立つ理由が分かるが故に、抵抗せずに青年は今回の「特別任務」に思いを馳せる。

 二千年前の大戦以降、死した大地と化して禁足地に指定されたデウ・テナ・アソストルの環境が、激変したと先日報せを受けたようだ。大戦以前の領有を主張する央華は、同様の主張を行っている国々に先んじるべく、旧文明の遺物を埋設する指令を出した。

 稚拙な捏造でも、過去を知る者が存在しない禁足地が舞台となれば、一定の効果が見込める。

 祖国繁栄に必要な任務と語られたが、暴かれた際に言い逃れる為に『封豨隊』が起用されたと、ここに詰め込まれた罪人全員が理解していた。

 国の急激な成長と一極集中体制を実現させた、首相の死で発生した混乱を鎮める方法として、領土の獲得は旧時代の手法に思えるが、原始的な物は得てして追い詰められた時に効果を発揮する。

 乗せられているのが罪人と傭兵でなければ、何処の国でも採用されそうな手法だろう。それは即ち、他国との激突も高確率で起こり得るということだ。

『魔力の放射を感じるなぁ。他所さんも、同じことを考えてるって訳だ』

 ノーティカ語を解さずとも、楽しそうに身を震わせて両刃剣の柄に手を伸ばす様で、およそ発言内容は分かる。そう遠くない内に、同じ選択をした他国と出会う。殺されるか、殺すか。

 どちらを選ぼうと最低の未来が待ち受ける現実に、支給された長槍を青年が握り締めた、その時だった。

 けたたましい音と浮遊感、そして白光に青年の感覚が塗り潰された。

 洪水の如く流れ込んで来たそれらが過ぎ去り、本来の感覚を取り戻した時、青年が最初に感じたのは固い感触。土色に視界が染め上げられている事から、地面に投げ出されたと気付いて顔を上げた青年の呼吸が、一瞬途絶する。

 乗っていたトラックは一台の例外もなく消え去り、彼と同様に放り出された人々は、蒼空から落ちてくる白光に焼き払われていく。

 身を震わせて虐殺劇を見守るだけしか出来ない青年は、不意に声を聞いた。

『軽挙に出る国があると、予測していました。貴方達に罪はないことは承知。ですが、愚かな祖国への警告として。そして世界平和の礎として、貴方達には死んで頂きます』

 年齢・性別・個人が有する気質。本来声に乗る筈の要素が切り落とされた、美しいが無機質な声は、青年に絶対の死を予見させて動きを縛る。

 神託を待つ殉教者の如く、空を見上げて硬直する青年を他所に虐殺劇は続く。彼を残して『封豨隊』は全滅したにも関わらずに続く事実が、他国も似たような狙いを持って人員を配置し、そして声の主に消されていることを示す。

『紅き狼や『船頭』の下僕。『白銀龍』に連なる『名有り』を打倒し、その力を取り込みました。対峙すべき敵が旧支配者のみとなった私に、一国の軍隊は敵に成り得ません』

 宣告に間にも放たれ続ける白光によって、周囲から生の気配が加速度的に失われる。肉片はおろか土埃さえも発生しない、完璧で美しい殺戮はまさしく神の御業に等しい。どれだけ正気を手放した者であろうと、戦意を喪失させる代物であり、青年もまた例外ではなかった。

 何も出来ないままへたり込む青年の上方に、眩い光が灯される。見上げずとも全てを察した彼の元に、淡々と言葉が紡がれていく。

『これは警告であり、救済の一歩でもあります。旧支配者を打倒し、完全となった私が世界平和を成し遂げる。邪魔をしないでいただけると幸いです』

 美しいお題目を聞いた青年の脳裏に、疑問が掠める。

 神を超え、世界平和を成す存在が何故大量殺戮を成すのか。必要な犠牲として大量虐殺を行うならば、給料の未払いに抗議した自分を国家反逆罪として『封豨隊』に編入させた祖国と何も変わらない。

 そのような存在が神をも超えるのならば、その先にあるのは絶対強者に依る独裁だ。現状の世界と描かれる未来では、踏み躙る者が変わるだけで、世界平和など実現する筈もない。

 疑問への答えが返されぬまま、蒼空から美しい白光が降り注ぎ、青年の全身を包む。苦痛や恐怖を感じる暇もなく、細胞単位で分解された青年は世界から消失した。

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