17:世界の終わり
アークス王国首都ハレイドに聳える、ギアポリス城地下。
大半の者が存在を忘却した小さな部屋で、ルチア・C・バウティスタは頭を垂れる。彼女が最上位の敬礼姿勢を執る相手はこの世に一人、その道理に違わぬ存在が、対面する形で座していた。
「やぁルチア君、ひとまずお疲れ様。もっとも、君はここからが大変だろうけど」
「戦と比較すれば、多少の罰則や国民からの罵詈雑言程度は堪えません。ルカについても、暫くは学校を休んで貰うので」
戯画的なまでに包帯を全身に巻き付けたアークス国王、サイモン・アークスは部下の返答を受けて愉快そうに身を揺らし、遅れて発生した痛みに呻く。
「素人が芝居をやるなら、本当にその事象を起こして初めて三文芝居になる。なるべく実践しているが、今回ばかりは死ぬかと思ったよ」
「アルベティートの宣戦布告は、事前に竜達へ通達が為されていた筈。その状況下で彼等の領域に飛び込めば、当然撃墜に動くでしょう。アルティ不在で、よく生きておられましたね」
「無能故、私は生きる事への執着が強い。そういうことにしておこう」
自身の命を賭け金とする行為も、ある程度の対案や命綱を準備するのが常道。純粋な運だけに全てを託す選択など、数多の戦場を生き延びたルチアも理解に苦しむ。
選択を誤ったのではないか。時折巡る疑問と、主への畏れが生み出す身の震えを捻じ伏せながら、ルチアは言葉を絞り出す。
「死者は八千二百六名。負傷者は千四百名。装備については最早論じる必要がありません。極刑が回避されたことが不思議な程に、惨敗と言えるでしょう」
「肝心のアルベティート撤退が成ったからね。誰かが汚名を被る必要があった時、名乗り出た君にのみ責任を問うのは無理筋だろう」
包帯塗れのサイモンは道理を語るが、千単位で国軍の戦死者を出した此度の戦いは、看過できない傷をアークスに刻んだ。
名目上生死不明のユアンを除き、アリアが継続を明言したことで四天王の立場は残るルチアはマシな方で、数名の閣僚の首は間違いなく飛び、国内は長期的な混乱に突入するだろう。
有志軍の構想を組み立て、種を蒔いていた張本人は無論国王たるサイモンだが、彼に答えた様子はない。包帯に眼鏡という滑稽な姿で、人差し指を立てる。
「戦死者の処置は?」
「皆丁重に葬りました。遺族への見舞金も、準備は整っています」
「結構。……私が思うのは間違っているのだろうけれど、戦とは虚しいね」
「人間の戦に於いて、完全無欠の勝利など御伽噺です。陛下がアルティに抱く夢は、それほどの大事なのですよ」
魔術の才覚に乏しく、青年時代に事故で生死の境を彷徨った為、兵として前線に出た経験をサイモンは持たない。戦に纏わる決定をルチアに託していたのは、彼女の力量の高さへの信頼だけでなく、誰も自身に従う者などいないことを解していた為だ。
自ら意識して戦を遠ざけていたサイモンが、戦の絵を描いた。それだけで驚愕に値する事実だが、先の戦が前哨戦に過ぎないと第三者が知ったのなら、その者は彼を異常者と呼ぶだろう。
「スズハ君にせよ、ヴェネーノにせよ、強いだけの者では駄目だ。私のように多少小細工が出来るだけでもそうだ、それでは人を統べられない。アルティ君は理想の集合体だ、彼女を舞台に上げる為に、此度の戦は有った」
「力を取り込み、順応を果たしたと言えど、相手は強大に過ぎます。彼女に万が一が生じた場合の策は?」
「その時は諦めるしかない。一世一代の大勝負は一度きり、二度目は絶対に来ない。だからこそ、私はこうやって繋がりを切り離した」
一度言葉を切って、サイモンは視線を上に向ける。滑稽な外見の持つ物を吹き払う、強い光を湛えた眼差しは、二十年以上付き従ってきたルチアでさえ怯えを抱く苛烈な決意に満ちていた。
「準備に二十九年かかったが、実行すれば答えはすぐに出る。どちらの目が出ても、後悔はしないさ。それが人生だろう?」
◆
生物の持つあらゆる感覚が機能不全を起こす、世界から切り離された極彩色の空間に、異彩を放つ白の巨体が鎮座していた。流麗な鱗は空間が発する魔力と反応して紫電を散らし、呼吸を行う度に世界が白に塗られる。
人類に戦いを挑んだ『エトランゼ』首魁、アルベティートは特段の行動を起こすことなく、静かに佇んでいた。異邦の少女に刻まれた一撃以外に傷を負うこともなく、それも完治が近い。
敵の勢力を大きく削った事実を見れば勝利と言えるが、彼の者にとってそれは何の慰めにもなりはしない。同胞から否定され、ヒトの思考に近いと指摘された事実が、彼の者の思考を支配し続けていた。
「生物として、龍としてあるべき姿、か」
歴史を遡れば、龍とて暴力を伴う生存競争の勝者に過ぎない。闘争に勝利して生き延びて来たと自覚しているからこそ、代弁者を語って攻撃を仕掛けることが傲慢であるという指摘を、的外れと一蹴することは出来なかった。
億単位で生を重ねた結果か、種族に起因するものかは定かでないが、アルベティートには惑星で発生している闘争を感知する機能が備わっている。先の闘争が繰り広げられていた時にも、それが反応を示す闘争は決して止むことはなかった。
寧ろ、大国が機能不全に陥っている隙を突いて利益を掠め取ろうと、小規模な闘争が増える始末。他の『エトランゼ』共々、魔力形成生物を派兵して勢いを削ぎはしたが、根本的な解決には至らなかった。
賢しらな言葉を受けようと、天命は変わらない。だが、先のような形では試行を繰り返すほど泥沼に嵌る。二千年前より文明が大きく退化しながらも、痛み分けに持ち込むヒトの執念を、過小評価していたのは事実だ。
ヒトを消したとて、惑星を死の世界に変えてしまっては意味がない。圧倒的な力を直線的に振るえば勝利を掴める『エトランゼ』は小技を不得手とするが、今は選ばざるを得ないだろう。
「他の者とも擦り合わせを行うべきか」
「いいえ、その必要はありません」
凛とした声による宣告に、翼を打ち鳴らして急速反転したアルベティートの眼に驚愕が掠める。
非常に限定された生物だけが進入可能な空間に、小さな影。視覚を調整し、影の主がヒトと解したアルベティートの全身が警戒信号を放つ。
新雪よりも白く、腰元まで伸びる長い髪。呼吸の度に色を変える瞳。片側が竜、もう片側が剣の列と奇怪な翼を有する少女は、美しいが感情の欠落した顔を僅かに下げる。
「……名乗れ」
「アルティ・レヴィナ・エスカリオと申します。旧き支配者、アルベティート。貴方に退場して頂きたく馳せ参じました」
一条の白光が、空間を引き裂く。
瞬いた白の暴虐が空間を塗り潰し、やがて潮が引くように消えて行く。仕留め損ねたと本能で察したアルベティートは、巨体を翻して距離を取る。
同じ『エトランゼ』や一部の竜でなければ、空間を形成する魔力に骨も残らず焼き尽くされる。そこに現れたのならば、単なるヒトではなく敵。しかも、特級の怪物と見るべきだ。
大きく広げられた翼から『
表皮に纏っていた障壁の抵抗を無効化し、身を捻ったアルティの左腕を粉砕。振り抜いた前肢から『
氷槍が四方八方に着弾して砕け散る音を背景音楽としながら、アルベティートは『
客観的事実として、己の魔術が直撃して生き延びたヒトは存在しない。目前の少女は、一度は凍結しながらも強引に脱出を果たした。
致命傷と成り得る一撃を受けた左肩も、一滴たりとも血が流れぬまま奇妙な光沢を放つ金属が這い出し、寄り集まって新たな腕を形成して剣を構える。
奇跡以外に表現しようがない事象は、アルベティートにとっても未知のもの。運が味方したのか、外界と断絶したこの空間であれば、世界を破滅に導く奥義を忌憚なく発動させられる。
白銀の巨体に蒼光が灯され、脈動しながら全身を巡る。視界を埋め尽くさんばかりに広げられた翼に描かれた『五柱図録』が、狂ったような明滅を繰り返すごとに空間が凍結していく。
不可避の死を描く大技の発動が、刻一刻と迫る状況に晒されてもアルティに感情の波濤は見えない。無言のまま虚空から剣を引き出し、徐に大気を薙ぐ。
「なんだ、これは……」
無意味な挙動に訝しむ暇もなく、眼前に広がった光景にアルベティートは思わず息を飲む。
ヒトと思しき造形の生物が、鋼鉄の天蓋に吊られた建造物で忙しなく動き回り、鋼に支配された大地を歩む。視界の全ては無機質な金属一色だが、そこにいる者達から確かな生の鼓動を感じる。
疑問に支配されかけた白銀龍だったが、自身に傷を付けた少女の存在が脳裏を掠め、最悪の可能性に思い至る。
「貴様、これは異なる世界の光景か!」
「ご明察。『船頭』の力を解析した私は、異なる世界との接続を可能としました。偉大なる、そして愚鈍な旧支配者アルベティート。『断罪ノ剣』を発動して、無関係なこの世界の住民を巻き添えに出来ますか?」
アルティの言を真とする根拠は何処にもない。如何に『エトランゼ』と言えども、未知の領域が存在しないとするほど、白銀龍は愚鈍ではなかった。
だが、可能性の領域と言えど、無辜の人々を巻き添えにする選択は龍の本質に反する。現時点でこの惑星の生物に危害を加えていない、目前の世界を破壊するなど、苛烈だが高潔な精神を持つ『エトランゼ』に出来る筈もなかった。
徐々に魔術結合が解けていく様を見ながら、アルティは淡々と剣を掲げて宣告する。
「故に貴方達は敗北する。高潔の名を借りた、下らない感情に拘泥する存在が支配者を気取る。まさに世界を誤った方向に導く愚者の選択です」
「貴様の選択は、行き詰れば容易に他世界の蹂躙を選択することに他ならない! そのような権利は、誰にもありはしないのだぞ!」
「狭い視点に拘泥した結果が、現代に至るまでの戦乱でしょう。貴方達は最早、この世界に必要ない」
滑り込むように接近していたアルティが、アルベティートの胸部に剣を放った。
切っ先を起点に白銀龍の巨体に亀裂が奔り、白光を放つ粒子と化していく。力の根源を読み取り、敵が既に異なる世界を蹂躙した事実に気付いた白銀龍は、虚しく消えて行くだけと解しながらも憤怒の咆哮を上げる。
瞬く間に肉体が崩壊していき、力がアルティに取り込まれる未来は、最早免れようがない。体内信号で他の『エトランゼ』に事態を伝達したものの、先の戦で消耗した彼等が勝利する可能性は限りなく低い。
卑劣な行為に何ら痛みを覚えていない風情の少女に、アルベティートは震える声で問うた。
「……我等の力を奪い、何をするつもりだ」
「世界平和。私はその為に在るのです」
美しい言葉に滲む『裏』は、どうしようもなく醜悪な代物。ここで仕留めなければ、無辜の人々が死ぬ。
「貴様のような卑劣な存在に、我等が、世界が――」
最後の力を絞り出した白銀龍の魔術は、紡がれることなく散った。
静寂に包まれた空間に一人立つ勝者、アルティは何の感慨もなく長剣を霧散させ、掌中に転がった白銀の宝珠を口に入れる。
厖大な力の浸透を実感しながら、掲げた両手を見つめるアルティは、無意識の内に口の端を小さく上げていた。
敵の高潔さを突く作戦は、相手の選択次第ではあっさりと破綻していた。禁足地での戦いが児戯に思える大博打に勝った今、彼女を止められる者は皆無に等しく、これで事態は大きく前進する。
「これでまず一頭。信号を受けた残る四頭も、既に力を得た私の敵ではない。ならば、次の一手を準備しましょう」
先の戦いを忘却したかのように、無意識の高揚を打ち消したアルティは、もう一度異空間との接続を行う。
先ほど見えた鋼鉄の世界へと伸ばした手から、清浄な光を湛えた触腕が伸び、無造作に地面を穿孔。
逃げ惑う異世界の住民達が次々と分解され、自身の体内に吸収されていく。
事態が無限に拡散し、一つの世界が終わっていく様を七色の瞳で見つめるアルティは、決然とした言葉を世界に放つ。
「これは始まりの一歩。全ての敵対者と世界を打ち砕き、私は世界平和を成し遂げる。遮る者、拒む者は、この手で打ち払いましょう」
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