5


 よく晴れたある朝の事だった。


 アークス国王が代々居住するギアポリス城の一角で、若い女の怒声が響く。

 金管楽器の如く澄んだ美しい声が放つ怒声は城中に響き渡り、発信源に向かっていたジャック・エイントリー・ラッセルの耳にも届いた。

「やってるねぇ。今日はどっちが負けると思う?」

「レヴァンダだろうな」

「偶にはクレイに賭けてくれよ。賭けが成り立たないだろ」

 禿頭に無数の切り傷や螺子痕や火傷。それらを雑に隠す悪趣味な刺青と、凶悪犯そのものの容貌を持つ同僚、ステファン・バニャイア。通称スティフの言葉に、ジャックは肩を竦める。

「賭けの趣味はなくてな。ハルクはどうした、奴なら二人の制御が可能だろう」

「ルルちゃんと詐欺集団の摘発に行ってる。地味な仕事が好きだからなぁ、アイツ」

「つまり、城にいない訳だな。スズは?」

「竜ぶっ殺しに行ってる。『名有りエネミー』だけど関係なく墓送りだろうな、可哀想に」

「私達が竜に同情してどうする」

 

 戯けた感想に苦言を呈され、不遜に笑った同僚の姿に、二度目の溜息。

 制止役がいないとは即ち、確実にどちらかが爆発する。そこまで愚かではないが、億が一暴発すると話が厄介になるが、隣を歩む同僚は面白がっている節が強く、止める意思は皆無に映る。

 結局自分の所に役割が回ってくるのは構わないが、もう少し真剣に取り組んで欲しい。以前も溢した苦言に『矛盾粉砕トラディッシュ』の異名を持つ同僚は、肩を竦めて流す。

「人には適性ってのがある。戦闘術や遊びなら教えられるが、俺に勉強は無理だ」

「大学院まで行った男が言うと、説得力が違うな」

「残念ながら中退で、お前と違って教員免許もないわ。それにま、今日は別の仕事が入っててな」

 そこでようやく、隣を歩むスティフが既に完全武装状態であると気付き、ジャックの顔が瞬時に引き締まる。

「コルデックへの外遊か」

「ビジュアル的に嫌がったらしいが、積極的な攻撃の意思はないとアピールする為に、今回は俺一人って訳。まぁすぐに終わるだろうよ」

 実際は下手な銃火器以上の破壊を齎し、異名もそこから来ているが、一見するとスティフの装いは無数の盾を背負った重装の男。積極的な攻撃を予見させる要素は貌にしかない。

 そこらの要塞をも上回る圧倒的な防御力を持つ彼なら、単独での護衛任務も容易にこなすだろう。

「気を付けろよ」

「任せろい。お前もアレだ、レヴァンダに殴り殺されたり、あのボウヤに感電死させられないようにな」

「心得ている」

 片方は命がけの仕事に向かう。

 そのような事実が無いように映る、穏やかなやり取りで両者は別れ、ジャックは城の西端へ進む。徐々に金切り声が大きくなっていく事実に溜息を吐きながらも足は止めず、そう長い時間を掛けずに問題の部屋に到着。

 ――さて、どう切り出したものだか。

 揉め事が起きている場所に何も考えずに乗り込むのは愚策。第一手だけで後は何も準備しないのもまた然り。

 元教員らしく、無数の選択肢を浮かべては消し、やがて一つの結論を導き出して一歩踏み出した時。

「好きにしていなさい! そんな甘い考えで、この国に貢献出来る訳がありませんけれど!」

 小物染みた美しい叫びと共に、重厚な造りのドアが暴力的に開け放たれた。

 白と翠の髪を横手に纏めた美しい女性、レヴァンダ・グレリオンは開けた時と同様雑にドアを閉め、大きく息を吸い、そして壁を殴りつけた。

 小型の野獣なら一撃で挽肉に変える鉄拳を浴びても、ギアポリス城の壁は傷一つ付かない。それでも殺しきれなかった衝撃で周囲が震える中で、ジャックはゆっくりと口を開く。

「おはようレヴァンダ。今日も上手く行かなかったようだな」

「あらジャック、ごきげんよう。私ではなく、あの子が上手く行っていないのですよ。拾われたからには私達の流儀に従うのが筋ではなくて?」

 引っ掻き傷の付いた頬を膨らませる振る舞いと、同僚への物言いは不遜極まりないが、小国ながら王位継承者である彼女と、一介の貴族たるジャックでは前者が地位で勝る。

 加えて、一つの側面ではレヴァンダの主張に大きな誤りはない。将来のアークス王国への貢献を期待されて拾われた以上、扉向こうの子供の指導拒否が誤りで、追放という最悪の可能性に意識が及んでいないのだろう。

 問題は、レヴァンダと彼では生まれからここに来るまでの環境まで、何から何まで異なっている事。そして彼女がその違いを理解していない、いやそもそも出来ない事に尽きる。

 次期統治者の座を背負って生まれ、そこに辿り着く為に修練を重ねる事が当たり前だったレヴァンダにはクレイが反抗する理由が見えない。

 何れ知るだろうが、まだ彼女も若い。それを徒に責め立てる意味は無く、彼女に足りない部分を補うのは年長者の仕事。

「行ってくる。明日から、また頼む」

「大した自信ですこと。お茶を準備しておきますわね」

 鼻を鳴らして去ったレヴァンダと入れ替わる形で、ジャックは部屋に踏み込み、参上を目の当たりにして眉を顰めた。

「おはようクレイ。気分はどうだね?」


 乱れた金髪と、美しいが何処か険のある蒼の瞳を持つ少年。クレイトン・ヒンチクリフは、ジャックの挨拶を受け顔を背ける。


 無惨に破られた無数の教則本に、何をどうしたらこうなるのか、問いたくなる程無惨に破壊された机と椅子。小規模な嵐に晒されたと形容するに相応しい惨状。

 弁償と原状回復に掛かる費用に眩暈を若干覚えながら、クレイと目が合うように腰を降ろし、そして目を逸らされる。

 何度か座る位置を変えてみるが、やはり結果は同じ。一旦試行を諦め、クレイに呼びかける。

「どうして暴れた? これだけ暴れると、レヴァンダが怒るのは当然だ。暴力に訴えかけては伝わる物も届かなくなる」

 問いかけへの答えはやはり無言。


 恐らく、ここでレヴァンダは激怒した。

 ハルクとルーゲルダなら、先んじて八十点の答えを出した。

 ステファンなら、適当にいなしていただろう。


 眼前の少年に対する正誤はともかくとして、四者四様の答えを同僚達は出す。

 ――では、私も私の形で行く他あるまいな。

「質問を変えよう。何故、勉学を嫌う?」

「……」

 沈黙は辛うじて守ったが、クレイの瞳が揺れた事を見逃さなかったジャックは、努めて怒りや叱責の色を籠めずに待った。

 十分弱が経過した頃。根負けしたのか、クレイが恐る恐ると言った風情で声を絞り出していく。

「だってさ。おれ戦う為にここに来たんだろ? だったら、ずっと戦闘術の訓練だけで良いじゃん。それならもう基礎は出来てるし、あの人の教えようとしていること全部、つまんないよ」

 大抵の環境を温いと言ってしまえる、悲惨極まる環境で生き延びたクレイは、ハルクが見出した通りの素晴らしい才覚を持っている。

 年齢を重ねただけの雑兵ならば、軽く蹴散らしてしまえる実力も既に持ち合わせている。そこに弱冠八歳という幼さが加われば、レヴァンダの指導を「つまらない」と切って捨てるのも無理はない。

 無軌道に放置していても、それなりには育つだろう。だが、そこ止まりでは彼の持つ才からすれば失敗と断じられる。四天王、そして候補生のスズハを含めた全員が指導法に頭を悩ませるのは、彼があまりに才に恵まれすぎているせいだ。

 ただ、理屈だけを説明した結果レヴァンダは反発を招くのは当然のこと。強大な力と才があろうと、クレイはまだ八歳。大人の理屈が分かる筈も無い。

「クレイ。君が食糧を取りに行くとして、だ」

「なんの話?」

 訝しむクレイを目で制し、ジャックは手振りも加えて続ける。

「一週間は問題なく食べられる食糧がそこにあって、君以外にも狙っている人がいた。彼は店の警備計画や営業時間、そして警備員の実力を一切調べずに突撃した。彼を君はどう思う?」

「どう思うって、そんなの只の馬鹿じゃん」

「君が今している事は、つまりそういうことだ」

 例え話を鼻で笑ったクレイが、ジャックの指摘を受け硬直する。

 学はまだないが、生き延びて来た彼の頭は良い部類に入る。ジャックの主張を一切歪めず、そして自己正当化に逃げることもせず、自身の思考の甘さに気付いた少年の顔が、急速に曇っていく。

「成すべき事を成すには。誰にも負けない強さを得るには、まず基礎が必要だ。それが身についていない者の『独自路線』など、成長を止めるだけの害悪でしかない。クレイ、君には才能があり、そして宿願を持っている筈だ。ならば、何をすべきか分かる筈だ」

 重い言葉を受け、クレイの顔が下を向く。

 本来幼子に浴びせるべきでないと、ジャックも解している。クレイの将来に期待を掛け、誤った自信を潰しておく必要があるが故の一撃だが、年齢を鑑みれば拙速との誹りを避けられない。

 優しい慰めや執り成しが求められる場面で、ジャックは静かに待った。

 昇り始めていた太陽の位置が変わる程の長い時間を経た頃、クレイがぽつりと呟いた。

「……レヴァンダ……さんに謝りに行く」

「そうか。では、その後はどうする?」

「……勉強を教えて貰う」

 幼さと自信故の疑問は残っている筈だ。その状況で見つけ出した最善の答えを、惑わさずに選ぶ。

 自身の手で最善の解を掴んだ幼子の金髪を優しく撫でて、ジャックは立ち上がる。

「では、行こうか。良いことであればあるほど、素早く動くべきだ。その方が、幸せな時間が長くなるからね」

「……うん」

 伸びて来たクレイの手を自身の手で優しく包み、ジャックはレヴァンダが去った方向へ歩き出す。

 血も戸籍も。一切の繋がりは無いものの、確かな絆を感じさせる年の離れた二人を、朝の陽ざしが優しく包み込んでいた。


                  ◆


 カタカタと耳障りな音が、瀟洒な部屋を回遊していた。

「気を楽にしてくれたまえ。茶は楽しむものだ」

 ジャック・エイントリー・ラッセルにそう促されても、カップに満たされた紅茶を揺らす手の震えは、止められそうになかった。

「……このカップ、幾らなんだっけ?」

「盗難を防ぐため、正式な鑑定を行ったのは幾分前だが。曽祖父の代で八十万ルクシアの値が付いたと記憶している」

 イルナクス連合王国の通貨『ルクシア』の近年の平均換算レートは、百二十スペリア程。つまり、芳醇な香りを立てる紅茶を受け止めている、陶製のカップはアークスで百万近い値が付くということ。

 ヒビキのみならず、ゆかりも驚愕の顔で手中のティーカップに目を落とす。存在を知っていても、人を狂わせる金額の代物が目の前にある。それが平然と日常に組み込まれていれば、裕福と言えない身分の二人が見せた反応は、そこまでおかしくない物だ。

 震えを強引に押し留め、ヒビキは紅茶を流し込む。全く味がしない事で、自身がどれだけ緊張しているかを自覚しながら、慎重にカップを皿へ戻す。何も起こらなかった事に深くため息を吐いて、対面に座す元・四天王の老人に視線を戻す。

 皺の刻まれた顔に老眼鏡。穏やかな笑みから、肩書を読み取る事は難しい。ただ、応接室にさりげなく飾られた写真や勲章は、確かにジャック・エイントリー・ラッセルが嘗て四天王だったと静かに語っていた。

「イルナクスの人が、どうしてアークスの四天王に?」

「先代がこの国に来た時、偶然出会ってね。色々と例外事項を設けた上で就任した。もっとも、私の代はハルク以外の三人が皆、アークスの生まれではなかったがね」

 淀みない答えに、問うた側のゆかりは如何とも形容し難い表情を浮かべるが、それは自分も同じだろうと、ヒビキは理解していた。

 当代国王サイモンに対して、近頃様々な疑念が浮かび始めているが、単なる体制側の一人と見れば、彼は余計な真似をしないマトモな人物だ。

 異なる国同士など、どれだけ強固な条約も破棄される危険を孕む。機密情報へ容易に触れられる位置に他国人を招き入れるなど、最悪の選択の一つだ。

 四天王に選ばれた事実から逆算すると、ジャックも相当の実力者なのは間違いないが、それを加味しても酔狂に過ぎる。

 緊張を表すように両手の組み方を変え、ヒビキは恐る恐るながらも直截に切り込んだ。

「協力したいとアンタは言った。理由とその中身を知りたい」

「純粋な善意を信じるべきではないかな?」

「逆に性質が悪い。打算があってくれた方がまだマシだ」

 アークスと縁があっても、ジャックがヒビキ達に手を差し伸べる理由はない。打算が仕込まれているなら暴力を用いてでも暴き、レールに乗せられる事態を回避すべきだ。

 嘗ての四天王、そしてイルナクス貴族であろうと、それは変わらない。

 言下に籠められた意思を読み取ったのか、老爺は少しだけ笑みを深くする。

「分かっているなら、隠す必要もない。君達が侵入したディル・ベイン・シェルター。あの場所に『エルフィスの書』が眠っていた。大戦以前から受け継がれていたが、先日何者かに盗掘されたそうだ」

「俺達を疑ってるのか?」

「まだこの国にいるのが答えだろう。君達が踏み込んだ時点で、書物は場所から失われていた」

「失われていた……でも、あそこには騎士団の三席がいました。彼の目を掻い潜って奪取するのは難しいと思うのですが」

 足跡や無惨な破壊の痕跡を、ヒビキ達も目撃している。先行者が居て、その者が持ち去ったと彼らも結論付けていた事から、ジャックの言葉はある程度受け入れられる物だ。

 ただ、その理屈を通そうとすると、『祓光ノ騎士団』の亡霊が問題になる。要塞跡を破壊せんばかりの勢いで仕掛けて来た姿から、彼の者に侵入者を選別する知能が残っていたとは考え難い。

 彼の監視を掻い潜って最奥に到達し、遺物を得て脱出する。箱のサイズ等の要素だけで考えると物理的には可能だが、自分達と同じ経路では無理だ。

 答えを求められたジャックは、懐から取り出した小箱を何度か開閉した後、小さく頷いて口を開く。

「忠誠を捧げたニヴィアの血を引く存在を、彼は無条件で通してしまう。それは過去の実験で結果が出ている。離脱者を含めると、該当者はかなりの数が存在する。今回の盗掘も、王位継承順位の低い誰かか、離脱者のどちらかだろう」

「不法侵入や市街地での暴力行為を不問にする代わりに、そいつを捕縛して書物を取り戻せ。取引条件はこんなところか?」

「完全な解読に至っていないが『正義の味方』との交流記録が一節に存在する。筆者は異なる世界を認識していたのは確かだ。回収次第、全ての研究機関を解読に振り分け、君の望む物があれば包み隠さず提供しよう。失策を他国人に尻拭いさせる以上、この程度の返礼はあって然るべきだろう」

 戦いが状況の打開に直結する状況が続いていたが、古文書の解読は戦闘能力ではどうにもならない。伝手を探すにしても、状況が刻々と変化している中で「待ち」の時間は致命傷に成り得る。

 古文書が成立した国の機関から、全面的な協力が得られるのであれば、多くの問題が一気に解決する。相手が自分達を乞う理由も、語られた物を真とするなら筋は一応通る。

 ただ、それを踏まえても異邦人の自分達に協力を持ち掛け、不法侵入や市街地での暴力行為を不問に帰す事は度が過ぎている。疑問をヒビキが率直にぶつけると、鷹揚な首肯が返される。

「我等が切り札『光の騎士』はバザーディ遠征で不在。実利が不明瞭な遺物の回収に、軍を引き出す事を女王陛下は拒否された。異邦人を起用するのはこれが理由で、君達を選んだのは私のエゴだ。君達の事は、クレイから手紙で伝え聞いていた。愛弟子が目を掛けていた子供が現れたんだ、助力をしない方が道理に背くだろう」

 返ってきた答えに、ヒビキは息を飲む。

 王国上層部はともかく、少なくとも眼前の老人は嘗ての縁に基づく善意で手を差し伸べてくれている。元・四天王との関係が異国の地で人を繋いだ事への感慨と、疑ってかかった自分の浅さを恥じるように、ヒビキは頭を下げた。

「アンタが善意で持ち掛けてくれたのは分かった。疑って悪かった」

「構わないさ。縁はあろうと、直接で話すのはこれが初めてのこと。寧ろ、疑って掛かる方が自然だよ。猶予を一週間確保している。しっかり考えてくれ」

「ありがとうございます……!」

 ゆかりと揃えるように、再び頭を下げる。

「何もしていないのに、頭を下げられる理由は無いよ。提案を君達が断れば、それ以上の助力は出来ないからね」

「提案して頂けること。それ自体が私達には嬉しいのです。あなたが助力しなければいけない義務はありませんから」

 答えをどのように捉えたのか。ジャックは目尻の皺を一段と深くして立ち上がる。そのまま二人に背を向け、片足を引き摺る形で栄光が並ぶ硝子棚の戸を開く。

 何かを確認するように数度頷き、戻ってきた老爺の手には艶消しの黒一色で塗られた小箱が二つ収まっていた。

「折角の機会だ。私が選ばれた理由の説明と、少しばかり息抜きをしよう。受け取ってくれたまえ」

 掌に収まるサイズの小箱を受け取り、徐に蓋を開ける。

「これは……カードゲーム、ですか?」

 箱に収められていた、繊細なタッチで怪物が描かれた上半分と、何らかの文章が記された下半分で構成された札。ゆかりが示した、遊戯用カードと形容するのが妥当な代物。

 裏面に踊る太陽と月のロゴは、世界中で親しまれているカードゲーム『ソルナディム』のそれだが、公に出回っているロゴと細かい所が異なっている。

 殆ど触れた経験はないが、ソルナディムの歴史は三十年以上。現代娯楽ではかなり息の長く、遡ればデザインの変更はあるだろう。

 無論、問題はそこではない。

「ソルナディムをやれってか? いくら何でも、カードゲームやってる余裕は無いんだけどな」

「プレイしてくれるのなら嬉しいが、状況は分かっているさ。そして、それはソルナクトではない。私の武器『選択者アビートン』だ。そもそも『ソルナディム』は、アビートンを基盤に私が作った物だよ」

 世界中にプレイヤーを抱える『ソルナディム』が、イルナクスで生まれたとヒビキも知っていた。だが、膨大な量を誇る遊戯が一人の武器を基盤に構築された事は知識になく、それを耳にしていても、荒唐無稽な話と一笑に付していただろう。

 俄かに信じ難い宣言に、ヒビキは一周回って愉快な表情を浮かべる。反応を見て流石に失敗を悟ったのか、元四天王は自身の懐から小箱を取り出し、滑らかな所作でカードを切り始める。

「百聞は一見に如かず。君達の国ではこんな言葉があるとスズに聞いた。証拠をお見せしよう」

 入念なシャッフルが為されたアビートンの束が宙に浮き、束の中から六枚がジャックの左手に滑り込む。掌中に収まった札を見て老爺は小さく頷き、二枚を引き抜いて宣告する。

「デモンストレーションには良い札を引いた。出でよ『オルトロス』」

 手に取った札が燐光を放ち、大気中に溶けて消える。

 光の粒子は光線を紡ぎ、伸びた幾百の光線は有機的な曲線を描いて、巨大な輪郭を形作る。輪郭の内側へ更に伸びた光線が瞬きを繰り返し、そして収束した時。


「IGYAAAAAAAAAA――!」


 室内の空気を書き換える、軋んだ咆哮を上げる双頭犬が忽然と姿を現した。

 生気が失われた四つの目に、城内の浮き彫り細工に採用されている当家の紋章が描かれている点から、魔術で召喚された生体で無い。

 そこでは解せるが、それ以外でここにいない生物を呼び出す手段を二人は知らない。


 死後の世界から魂を呼び出す。


 一部で存在を囁かれている手法が頭を過るが、信頼に足る使用者の記録も無い。即ち全く体系化されていない代物であり、そんな物を眼前の老爺が前線で使っていたのならば、認識は現代のそれになっていない筈だ。

「どうやって呼び出した?」

「遺伝情報から魔力流まで、生物や現象が持つ情報をアビートンは記録する。記録した情報を私の魔力で世界に描くことで、疑似的な顕現が可能にとする。生物から光の騎士が振るう至宝『祓光剣アロンダイト』まで。正確な情報を得さえすれば、凡そ記録と顕現は可能だ」


 伝説の武器まで再現出来るなら、戦術の幅は無限に等しい。


 使いこなせなければ只の妄想道具にしか成り得ないが、眼前の男がそのような間抜けな結末を迎えた筈もない。理論上全ての力を繰る者ならば、異国の王が見出すのも道理だろう。

 ――悠長に相手の動きを見て、だと厳しいな。接近するのも危険だから……最大火力の砲撃で死角から……。

「とは言え、アビートンに依る再現はあくまで情報に基づく疑似的な物だ。決して万能ではない。このように、ね」

 ジャックの穏やかな声。続いて届くゆかりが息を飲む音に、癖となった勝ち筋の模索が途切れる。

 老爺が頭部を指で軽く弾いただけで、オルトロスの輪郭が崩壊し、元の粒子へと回帰して消滅する光景が、ヒビキの目に飛び込んできた。

 威勢の良い咆哮が途絶えて室内に静謐が戻るが、乱れたヒビキの思考は収まらない。疑似再現と言えど、指弾一つで崩壊してしまっては意味が無い。

「単独では実戦に耐えられない。だから、カードゲームのデッキを組むように複数枚のカードが必要になる。こういうことですか?」

「正解だ。君はこの手の遊びを経験しているのかな?」

「小さい時に、少しだけ」

 話が分かる存在がいると、微量の喜びを得たのか。心なしか言葉を弾ませたジャックは、小箱に収められたカード全てを宙に浮かべて言葉を重ねる。

「一枚での召喚では強度も出力も弱い。『ソルナディム』に於いて召喚コストに該当する、対象に適合した魔力札を先に解放することで、強大な生物や事象は十全に力を振るうことが出来る。一デッキは六十枚で、安定した運用には四分の一が必要だ」

「ゲームのように、複数属性のデッキを運用する事は難しいと?」

「それに、ゲームなら札の巡りが悪くても笑い話だけど、実戦なら死に繋がる。想像以上に運用が難しいな」

 戦いを運否天賦に任せれば十中八九死ぬが、カードの特性上それを避けられない。どれだけ悪い目を引いても最善の結果を出す構築力と、敵に応じたデッキの選択。召喚対象の特性を正確に見極める観察眼と知識。

 解説だけを信じて安易に使っても、木の棍棒を使った時よりも酷い結末を迎える武器であり、使いこなす目前の老爺は四天王の座に相応しい。

 ジャックへの敬意がヒビキの内側に湧く。同時に浮上した疑問を、彼は直截に投げた。

「アビートンは唯一無二なんだろうが、似た武器が出るかもしれない。その時、ソルナディムの存在は使い手を利する事にならないか?」

 一定以上の信頼関係を構築していない限り、戦闘様式を他者に教えることは稀だ。プレイヤーでないヒビキには、何処まで基盤としたのか知る由も無いが、不悪用されれば名声が傷付くどころか、新たな脅威を世界に生む可能性も孕んでいる。

 多少改変を施していても、戦闘様式を公開するのは戦士の道理から外れた酔狂な振る舞い。一応、戦士に括られるヒビキの問いは至極真っ当と言えた。

「確かにその通りだ。しかし、私個人の名声など三代も下れば消えてなくなる。貴族階級に纏わる物とて、変動する世界の激しさを知っていれば、いつ失われても不思議ではない。だがどの時代にも、どのような場所にも必ず存在する物はある。分かるかな?」

 ヒビキとゆかりは揃って首を横に振る。その反応を予期していたように、ジャックは人差し指を軽く立てて言葉を繋ぐ。

「個々人の持つ可能性だ。誰であろうと、始まりは名も無き誰かであり、その者が持つ可能性が何らかの外的作用で刺激されて『何者か』になる。竜を筆頭とする生物と比較して、圧倒的に弱いヒトが惑星の支配者になったのは、可能性を目覚めさせる事を絶やさなかったからだ」

「知識や戦闘術といった物が、その対象に該当するのですね?」

「そうだ。ひと時の不利益を産もうと、それが世界全体にとって致命的な瑕疵に成り得ないのならば、ヒトは得た物を徒に貯め込まず他者へ伝えるべきだ。少なくとも、私はそう信じて生きて来た」

 ソルナディムの販売開始年を鑑みれば、信念を曲げる猶予は幾らでもあった。

 同様に、手札をここまで開示した彼を他者が殺害する為の猶予もまた然り。

 ヒビキ達の前にある現実は、ソルナディムは販売開始から一度も途切れず、ジャック・エイントリー・ラッセルは五体満足で現役引退に至っている。


 浅い綺麗事と賢らに笑い飛ばすには、目前の老爺が示す現実は偉大に過ぎた。


 小さく頭を下げ、ヒビキは感心したように声を絞り出す。

「アンタは……なんだ、確かにクレイさんの師匠っぽさはあるな」

「ほう。それは一体どの辺りが、かな?」

「ご自身が最も伝えたい主張まで、ちゃんと道が繋がっていても遠回りする所。でしょうか?」

 ジャックの目が僅かに見開かれ、そして破顔する。

「そのような指摘は予想外だった。なるほど。あの子が私の癖を受け継いでいたとは……面白い」

 自身とクレイの過去を思い返すように、一度視線を遠くへ外したジャックは、ヒビキ達に視線を戻すなり右手を打ち鳴らす。

 彼の周囲に置かれていたカードケースが、それを合図に浮上。各自が淡い光を放つ事で生まれた幻想的な空間の中心で、嘗ての四天王はヒビキとゆかりを見据えてほほ笑む。

「送りの車は少し時間が掛かる。これも縁だ、君達もプレイすると良い」

「カードゲームは……」

「殆どプレイした経験が無いのですが……」

「安心したまえ。対象年齢は七歳からだ、聡明な君達なら問題なくプレイ出来る筈だ」

 まさしく孫を前にして喜ぶ老人の挙動を見せ、先程と一転した空気を纏うジャックに押されるように、ヒビキとゆかりはデッキを手に取った。

 ルールの講習を含めて九十分ほど、その後ふたりはソルナディムに興じる事となる。

 

 対戦成績はゆかりの六勝〇敗。

 絶望的な結果にヒビキが天を仰いだのは、残る二人だけが共有する秘密となった。


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