10

 けたたましい嬌声が空に届くと同時、ハンヴィーは始動していた。

 光の灯された刺青が踊る、両の腕を突き出しヴァイアーを起動。肘を彩っていた金属環が解け十の刺突剣に変化。鈍色の切っ先は、まさしく獲物を視認した蛇の唸り声を上げた。

 一般的な縄と同程度、即ち刺突武器としては異様に細いそれらは、意思を持つかのようにバラバラの方向へ疾走。


 大地を。草木を。転がる岩石を。


 擦過した場所を削り取る速力で突進するヴァイアーは、持ち主を捕食対象に定めていた、規則的な模様が特徴の獣『バンディマオ』の群れに飛び込む。

 ハンヴィーの前方から飛びかかった個体の眼球に一本が侵入。奇怪なカーブを描いて頭頂部から切っ先が顔を出し、脳をブチ撒いて次を目指す。後方へ回っていた三本のは別の数体を纏めて穿ち、それぞれが別々の方向へ駆け抜け、バンディマオの亡骸を徹底的に損壊する。

 三十体は居た筈の群れが瞬時に削られ、屍か戦闘不能に追い込まれる。

 しかも、それだけでは済まなかった。ヴァイアーに穿たれた個体は、屍は即座に腐敗して液状化。辛くも生を繋いだ個体は茶褐色の体が灰色に染まり、口から毒々しい泡と音階の狂った苦鳴を吐き、痙攣しながら頽れる。別の個体は全身が溶解して白骨化。また別の個体は血便を垂れ流して死んでいく。

 ハンヴィーの力で描き出された光景だが、断じて奇跡の産物ではない。

 ヴァイアーの展開と同時に発動した『散心蛇王牙狂連舞バジク・エルス』は、呼吸の間隔で組成が変動する猛毒を生む高難度魔術であり、受けた瞬間にごく少数の例外を除いて死が確定する。悪辣かつ高難度の代物は、人道的観点からヒトには使用が禁じられているが、人目が無いこの瞬間は例外とばかりに、ヴァイアーに載せて猛威を振るっていた。

 周囲から敵の気配が失せると同時、眠りに落ちたかのようにヴァイアーの切っ先が頭を垂れ、ハンヴィーの腕に引き戻されて金属環に回帰を果たす。

「よーし終わった……っと!」

 性別不詳の顔に、出来損ないの笑みが浮かぶ。

 蛇竜と呼ばれる竜の技を基盤にしたとされ、その観点で見れば親和性の高い『散心蛇王牙狂連舞』だが、ここまで練習を重ねてきて一度も発動出来たことはなかった。

 それが、ファナント島の深部に向かっている今は容易く発動させられた。連続して戦闘に直面している為に練度が飛躍的に上昇した、では片付けられない事象は、圧勝の光景が齎す物を彼から忘れさせる破壊力を持っていた。

 無力さを誇るつもりはなく、自衛に足る力は持つべきだ。

 

 しかし『散心蛇王牙狂連舞』の乱発が可能な力など、自衛の域を遙かに通り越した、単なる殺戮者の力だ。


 島に踏み込んでから特別な何かをした訳でもなく、ただ進むだけで力が上昇していく。上昇度合いは、最早恐怖を感じさせる速度。

 強大な力を得た果てに、討滅されるべき『大敵』の冠を戴いた例は、現実世界にも複数存在する。『回答』を得た時、自分はハンヴィー・バージェスでいられるのか。

 高温多湿の空気が喚起すべき感覚が失せ、薄ら寒い何かが彼の背を滑る。動くに動けず、結果として自身が描き出した屍山血河を茫と見つめる。

 葉擦れの音が生まれ、割れた木々の隙間から短刀を構えた少女が現れたのは、その時だった。


                   ◆


「ああいた。ハンヴィーも大、丈……夫?」

 淀んだ何かを読み取り、呼びかけが急激に窄む。

 中央部への行軍の最中、熱帯雨林のど真ん中でバンディマオの襲撃を受けた一行。数の暴力を存分に行使する敵に対し、示し合わせたように三組に分かれての戦闘を選んだ。

 ゆかりもまた、ライラやフリーダと共にバンディマオの群れを撃破し、二人は既にコルヴァンと合流を果たしている。

 敵の気配が失せたにも関わらず、姿を見せないハンヴィーを案じ、置いていっても構わないとばかりの態度を取るコルヴァンをどうにか説き伏せた。

 そして、見つけた少年は明らかに不穏な気配を有していた。ヒビキのような明確な拒絶、今まで対峙した敵達のような闘争心の発露とは趣が異なるが、ここまで見せていた明るさは薄い。

「……うん、大丈夫だ! 他は終わった? だったら、悪いことしちまったなぁ」

 白々しさ全開の声で、疑問は確信に変わる。今までの、遡って元の世界の大嶺ゆかりであればここで引いていた。

 他者との関係に於いて、引くべき一線は確かにある。探索の過程で断片的に受け取った情報を鑑みれば、ハンヴィー・バージェスが抱えた物を根元から解消すると言う方が傲慢な考えだ。

 彼が拒んだ以上、ここで大人しく引く方が正解かもしれない。けれども、ヴェネーノと血闘を経た後、僅かながら見えていたヒビキの変化に触れようとせず、今はその代価を叩きつけられている。

 独善的と誹られようとそのような着地点、短い間でも道を共にしているハンヴィーの変化やそれに伴う痛みを無視することなど、出来る筈もなかった。

「聞くだけでも変わるよ。……何があって、何を考えてたの?」

 押してくると思っていなかったのか。黒曜石の輝きを放つ目が真円を描き、逃げ場を探すように宙を泳ぐ。 

 やがて観念したのか。大きく息を吐いてハンヴィーはゆかりの目を真っ向から見据える。

「力が勝手に引き上げられてるんだ。今まで使ったことのない魔術も、簡単に使えるようになってる。コイツ等をこんな風にした魔術、本土じゃ使えたどころか構築すら出来た試しがなかった。それが、この島に来た途端、出来ることがいきなり増えたんだ。日を追うごとに露骨になってる。……これが継承の答えなら、完遂した時、オレはどうなるんだ?」

 地下での戦闘から、継承には負の側面も存在しているとゆかりは確信していた。そして、ハンヴィーはちゃんと覚悟をしていた筈だ。何しろ、そうなる可能性を背負って生まれてきて、変化をその身で直に感じ取っているのだから。

 地下で見せた豹変や、この瞬間ゆかりの目にも映っている周囲の惨劇は、継承される物が破壊と殺戮の因子である可能性を提示し、可能性が事実ならば、コルヴァンの示す対処法が最善になりかねない。

 崇拝を浴び続けた果てに、討伐されるべき『大敵』となる。人生の流れとして、最低に近いのは言うまでもなく、そこに至る道に恐怖するのは真っ当な反応だ。

 案の定、根本的な解決は不可能な命題。どれだけ頭を捻っても、空虚な戯れ言と切り捨てられかねないが、望んだのは他ならぬ自分自身だ。

 何度か深く息を吸って、吐く。衝撃で鈍った頭をフル回転させ、躊躇いながらもゆかりはハンヴィーの目を真っ向から見据える。

「私はハンヴィーと違って、特別な何かを持っていない。薄い言葉になると思うけれど、聞いて欲しい」

「……いや、オヤジからも聞いてるだろ? だったら大体分かる筈だ。オレの本性は、そういう奴なのかもしれないって」


 ハンヴィーの打った先手に、思わず身が竦む。


 始まりが血に塗れていたのならば、果ても同じと考えるのは妥当な話。殺戮の力を手にした果てに待つ物としても、また然りだ。

 地下で対峙した姿が恐ろしくなかったかと問われれば否。ここまでのどの敵とも異なる無邪気な笑みは、ある一つの方向でゆかりに強い感情を抱かせた。

 定めが血と死に塗れた代物で、そこに向かっている苦悩を分かち合うと言ってしまえば、それは只の嘘吐きの選択であり、ハンヴィーに傷を与えるだけだ。

 だから、独善的であろうが大嶺ゆかりは彼女の論理を掲げる。

「力を全て受け継いだ先が怖いのは分かる。……全貌が見えない物も、自分が危険な存在になるかもしれないってことも、それ自体は分からなくても分かるよ」

「……」

「けれど、ハンヴィーがそれを望む人じゃないって、一緒に行動した今は言える。望んだ行動じゃないなら、私は止める為に戦うよ」

「ユカリじゃ無理だ。多分、死ぬだけだと思うぜ」

「出来る出来ないは……問題だけど一番大事な部分じゃない。私がどうしたいか、だから」

 精神論ここに極まる。そう嗤われても仕方のない言葉を受けたハンヴィーは、しかし虚を突かれたように硬直。不可思議な表情を浮かべながら口を何度か開閉させ、やがて肩を竦める。想像していた最悪・最善どちらとも異なる反応を見せた少年は、ゆかりに向けて一歩踏み出す。

「先のことなんて分からないけど、オレの力にまつわる話だと、多分あまり良いことないのは分かる。見捨てても良いんだ。でも……ありがとな」

「……」

「行こうぜ。ぼんやりしてたら、それこそコルヴァンに斬られる」

 冗談交じりにリアリティのある促しを受け、ハンヴィーに追従する形でゆかりは歩き出す。

 心は届いた。だが、現実には相当の隔たりがある。そしてそれは、自分が変われない限り、絶対に埋まらないとゆかりは気付いていた。

 どれだけ意思があろうと、力が無き言葉の価値は低い。自分や他人が蹂躙されようが、弱ければ息を潜めて待つ以外に道はない。

 行き過ぎた、例えばヴェネーノのような世界の全てを捻じ曲げる力は望まず、凡庸な高校生に過ぎなかった自分が、そんな物を得る資格が無いのは分かっている。

 厳然と立ち塞がる現実を理解し、無力さに打ちひしがれながら、ゆかりは首元で輝く紅い石を握り締めた。


                   ◆


 一人の少女の葛藤とは無関係に探索は進む。しかも、今まで以上に熱が入っていた。

「なかなか……厳しいですねッ!」

「元はともかく、ヒトの手で地質が作り替えられたからな。現存する建造物並の強度があっても、おかしくはない」

 フリーダが拳で地面に亀裂を刻み、コルヴァンがハングヴィラスを叩きつけて微塵に砕く。ただの土塊同然になった物体を、ゆかりとライラが即席のスコップで排除する。

 一連の流れを、刺青を瞬かせるハンヴィーは力なく座り込んで見つめている。地上に意識を割いていた一行が突然地下に目を向けたのは、再び彼が変調を来した事に起因する。

 突然全身に光を灯し、数秒前まで持っていた活力を喪失したハンヴィーの姿を受け、地下での一件を知るコルヴァンとゆかりは即座に警戒態勢に移行したが、周囲には何も見当たらなかった。

 丁度開けた場所である為に、単にハンヴィーの体調不良が重なっただけではといった推測も過った時。

「前は地下にあったんだし、地上には何にも無いみたいだから掘ってみようよ」

 ライラのシンプルな提案に、全員が呆気に取られながらも首を縦に振って今に至る。

 滝のように流れ、乾くことなく貼り付く汗に苛まれながら、ゆかりは延々と地面を掘り進める。人間を二桁埋葬出来そうな範囲を掘削する作業は心身に来る物があるが、回答があるかもしれない希望を燃料に、手足を止めることはなかった。

「そう言えばさ、地下で何があったの?」

「ハンヴィーが変な力に乗っ取られた!」

 疲労のためか、シンプル極まりない叫びに面食らったようにライラはスコップを取り落とす。配慮の甘さに気付いたゆかりは、スコップを拾い上げながら呼吸を整える。

「ファナント島にあるっていう『蛇』の力かな? それがハンヴィーに降りてきたみたいで、私たちに襲いかかって来たんだ」

「それで怪我してたんだねぇ。でも、自我を持っていくような力、ね」

 スコップを受け取り、掘削作業を再開したライラは、紫の目に思考を湛えながら小さく呟いた。

「その話だけ聞くと、ハンヴィーは依り代か、それとも目眩ましみたいだね」

 単語は理解出来るが、ここで出てくる理由を解せない。そんなゆかりを他所に、ライラは手を休めずに続けていく。

「多分、ハンヴィーの継承は突発的な形だったと思うんだ。そうなると、正しい形の継承が行われていないから体に負荷がかかる。あの刺青は、継承者であることを示すと同時に、力の制御を兼ねてる。……似たような物をヒビキちゃんに入れる入れないで、昔父さんとカルスさんが喧嘩してたからね」

 本当に生まれ持った力なら、生命維持機能が勝手に制御を行い、自我を失うところまで持ち主を引きずり込まない。機能不全に陥るのは力が後天的な物か、身に余る物かのどちらかだ。

 まさしく両方に当てはまるヒビキは、とんでもない爆弾を抱えている。疲労と酷暑に起因する物とは別の目眩に襲われるが、現状一番重要なのはハンヴィーだと心に鞭を入れ踏み留まる。

「……つまり、力は本来ハンヴィーに宿る物じゃなかったってこと?」

「ちょっと違う。ハンヴィーにも宿る物だったけど、あの子だけじゃない、かな? 力を受け継ぐ人は一人ってルールは、少なくとも蛇の逸話になかった。主従どちらか分からないけど、受け継がれなかった方が流れ込んだって考えたら、自我の喪失や異常な消耗も納得が行くんだよ」

「なるほど、それは新しい視点だ。……ところで二人とも、その変な突起は一体?」

 二人の首が跳ね上がる。土埃と汗に塗れた少年フリーダが、疲労の滲む面持ちで人差し指をこちらに向けていた。

 停滞の糾弾かと首を竦めたが、指の向きと言葉が異なっており、その意味を解せないまま二人はフリーダの指先に目を遣る。

 掘削と攪拌によって独特の色に変化した土。大半が埋没しながらも、自然の作用では構築不可能な形状の黒い突起がそこにあった。

 周囲の土を急いで除け、全貌を暴かれた黒の突起には、ハンヴィーに刻まれた紋様と酷似した意匠が踊る。 

 偶然の一致と片付けるには状況が出来過ぎている。ハンヴィーの現状と、この先への手がかりに繋がる代物だろうが、どのように対処すべきか。


「壊せ」


 身も蓋もない言葉に身を竦める。退屈そうに二人を見下ろすコルヴァンは、事態の展開に何の感慨も示していない風情で淡々と続ける。

「目眩ましを行うのなら、何らかの価値があり、触れる事を躊躇させる形を作る。古の王は冠に遺産相続の鍵を隠し、追い詰められた民衆は落書きに符丁を仕込んだ。そう言った類ならば、壊すべきだ」

 指摘を受けている間、ライラと二人がかりで押し引きを始め、色々と試みたが結果は空振り。更に深く掘り進めると、基礎と思しき灰色が露出する。

 突起物が人工物なのは明白であり、このままでは何の進展もないこともまた然り。

 飛び降りてきたフリーダと視線を交錯させ、互いに首肯を交わし、発掘作業を担っていた二人は、伸ばされたハングヴィラスに引っかける形で引き上げられる。

「……いきなりこれで、本当にごめん」

「今まで助けて貰ってるんだから、このくらい気にしないで」

 近くの岩に寄りかかっていたハンヴィーを背負い、再び穴の付近に戻った時。

「――シッ!」


 フリーダが放った一撃が、突起を根元から微塵に砕いた。


 砕けて宙に放り出された破片は風に巻かれ、ファナント島のどこかへ、否、再び寄り集まって一つの方向へ飛んでいく。

 地面に震動が生まれたのは、その時だった。

 地震と異なる一方向からの震動は、容易に発信源を特定させる。視線を固定した一行の目に、とある場所の木々が薙ぎ倒され、地面が爆ぜ割れ隆起と陥没を繰り返す異常な光景が繰り広げられる。

「ねぇ、この島が崩れたりしないよね……?」

「その程度を計算せずに作る筈はないだろう」

 ライラの呟きを拾ったコルヴァンの声も、どこか不安が滲んでいた。

 心胆を弄する激震と轟音は、永遠に続くのではといった恐れを喚起させるが、始まりと同様に突然途切れた。

 揺れる視界と耳鳴りに苦しみながらも、ゆかり達は互いに顔を見合わせ、誰からともなく歩き出す。

 コルヴァンの推測は的中し、自然の理から外れた現象が発生して島に何らかの変化が生まれた。現在地や変化の大きさを鑑みるに、終着点は近い筈だ。

 回答は、恐らく辿り着いた先にある。それを得る直前に、この島で最大の障壁と対峙する事になるだろうが、乗り越えねば死んで終わりだ。

 酷暑とは別の原因で生まれる汗を雑に拭い、回答を求めるゆかりは歩き出す。


 ――何があるかは分からない。けれど、何があろうと必ず掴み取って帰る。それが私が成すべき事だ。

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