11:御伽噺の終着点

 生まれた音の巨大さで根拠無き確信を抱いたが、再出発した一行はそれなりの時間を移動に費やしていた。

 人の肉体から生まれてはならない領域の熱が背に届き、足裏に伝わる感触は土のそれから、石畳の硬い感触に変化している。目を落とすと、ウラプルタの各所に刻まれていた蛇の意匠が映る。何れも、ここまでの道程では無かった物だ。

 正解に近づいている。だが、辿り着くだけで明るい答えが待っていると、楽観的に考えられなかった。

 背負われたままのハンヴィーから、活力は急速に失われている。呼吸は重病人同然に弱まり、彼が時折見せる強固な前進への意思が無ければ、とっくに撤退を決めていてただろう。

「野生動物の気配が消えたか。好都合だ」

 前方、ゆかりの目には岩の如き背中だけが見える男、コルヴァンが漏らした声は、字面と正反対の重さがあった。

 地形によってヒト属の侵略が及ばず、秘境と称して差し支えない野生の王国と化していたファナント島で、動物や食人植物との邂逅が無かった時間はほんの僅か。

 探索で掴んだ事実を踏まえ、現状の静寂を見る。浮上する道は暗く険しい物ばかりで、ゆかりは無意識に眉を顰める。

 真綿で首を絞められる圧迫感を感じる、現状と似た空気は、既にファナント島に上陸後に経験している。それは、地下空間でハンヴィーが暴走した時だ。


 状況と過去の事実を組み合わせて見えるのは、最悪の可能性。


 石畳の隙間から生える苔や植物を踏んで生じる変化すら、停滞する思考に少しの変化を与えてくれる。かなり危うい所まで神経がすり減っているとゆかりが自己認識し始めた時。

 鬱蒼と生い茂る緑の海と灰の大地が綺麗に区切られた場所で、コルヴァンが唐突に足を止め視線が上を向く。釣られて彼の視線を追った三人は、己の目に映る物の威容に揃って息を呑む。


 無数の石像が、何の前触れもなくそこにあった。


 モチーフは、やはり鎌首をもたげた蛇。だが、市街地に点在していたオブジェとは異なり、激しい風雨や不埒者の悪戯による劣化はない。つい先程生まれたといって差し支えない輝きと、今すぐに牙を剥いて飛びかかって来ると錯覚させる、厖大な威圧感を発していた。平時ならここで足が竦んでいただろうが、一行に驚愕を齎した存在は偽物の蛇ではなかった。

 無機質だが確かな拒絶を放つ、無数の蛇が並ぶ道の果てに、奇怪な球体を持つ尖塔が映る。顕現時に吹き飛ばしたのであろう、樹木の死骸も一部突き立つ尖塔に包囲される形で、白亜の壁を持つ建造物が聳え立っていた。

 前方に立つ、自称一・八七メクトルのコルヴァンを基準にすると、低く見積もっても十五メクトルを優に超えている。

「……空撮や以前の調査で、この建物は発見されていましたか?」

 バディエイグ軍人は沈黙。悪意や隠蔽の意図はなく、純粋な驚愕と困惑が鉄仮面に等しい貌にあった。

 白亜の壁には蛇の意匠が各所に刻まれているが、石像のような威圧感を発することなく、穢れなき清浄な光すら幻視させる、芸術品同然の建造物。

 ここまで目立つ物を発見していれば即座に調査へ向かい、埃一つ消え失せるまで調べ尽くしていた筈。地底に眠っていたところを、ゆかり達の不埒な行動によって引き摺り出されたと考えるべきだろう。 

 大気の音すら絶えた、痛みを覚える静寂が流れる。

「どうする?」


 この旅路に於いて、始めてコルヴァンが助言を求めた。


 休息時間や戦闘時はともかく、探索の道程やその他の雑事に於いて、内在する組み立てから外れたことは一度もなく、フリーダやハンヴィーの意見も全て退けていた。

 その彼が、ゆかり達に道を問う。唐突に生じた現象への衝撃を端的に示しているが、ゆかり達も即答は出来なかった。

 目的達成だけを見れば、躊躇など一切せずに前進が正解になる。停滞していても新たな展開に繋がらず、現在は気配を眩ませている野生動物の襲撃を始めとするリスクだけが増加する。時間を浪費し続けた場合、そもそもグァネシア群島に訪れた意味も消えかねない。

 忽然と現れた優美な建造物。至る所に蛇の装飾が刻まれ、地中にあったにも関わらず泥の一片すらない姿。明らかに重要な物が眠っている要素が揃っている。翻って、それらは罠と判ずる要素にもなり得る。

 あからさまに関連性を匂わせて、誘い込まれた愚者を叩き潰す。この建物自体が巨大な撒き餌で自分達は捕食される間抜けな蛙。そのような構図が実現しても何ら不思議では無いのだ。

 退いた場合に求められる、別の道は現状皆無。さりとて、前進で素晴らしい成果と生還だけを引き当てる保証もまた然り。

 一歩先すら見えない道を、どう歩むのか。


『分からないなら、進むしかないだろ』

 聞こえない筈の声が耳に届き、弾かれたように顔を上げる。周囲を見渡すも、見えるのは変わらぬファナント島の光景と、同様の懸念を抱いて悩む仲間達の姿だけ。 

 ここはインファリス大陸ですらないのだから、聞こえる筈もない。聞こえるとしたら、只の幻聴だろう。


『俺は幼年学校も出てない、言っちゃえばタダの馬鹿だ。こういう判断も賢いモンでもない。けどさ、立ち止まってたら何も分からないし、変わらないままだ。……いつ死んだっておかしくないなら、せめて足掻き続けたい。戦うのは、そんな理由じゃないかな』


 最強を求めた決闘者と、同じ世界の存在が絡み合った騒乱の直後。

「借金は減らねぇし、買いに行く時間も無い。……使える服が無い」 

 上半身に多種多様な傷が刻まれ、正視に耐えない惨状を晒しながら嘆くヒビキを見て「どうして良くなる保証がないのに、戦う道を選び続けるのか」と、思わずゆかりは問うた。自身の責を棚に上げていると、振り返ると悶えたくなる酷い問いを受けたヒビキは、苦笑しながら、先述の答えをゆかりに告げた。

 当人が示した通り、先を見据える視点が欠如した愚かな選択なのかもしれない。別の誰か、例えば『氷舞士』の異名を持つアガンスの名士なら。元四天王の紅き雷狼なら。

 彼等ならば、誰からも肯定される正しい方法で成していたのかもしれない。

 けれども、大嶺ゆかりがここまで生き延びているのは、ヒビキの選択に依る物が大きい。彼ならどうするか。そして、彼のような選択を自分が肯定できるか。逡巡の時間は、僅かだった。

「中へ行こう。進まないと何も進展しない。それに……ハンヴィーの熱も、ちょっと下がってる」

 感情だけでは、自身はともかく他者を納得させられない。背負ったハンヴィーから伝わる熱は人間が発する範疇まで下がり、呼吸も落ち着き始めていた。楽観視は無理でも、現状を維持した形での探索なら何とか事を運べる。

「僕は乗った。ライラはどうする?」

「行く。ここで引き返したって意味ないし、ユカリちゃんが行くのに私が帰るなんて出来ないよ」

 反対意見も覚悟したが、友人達はゆかりの意思を即座に肯定し、思考を前進へ切り替えていく。残るはバディエイグ軍人コルヴァンだけだが、彼の説得は骨が折れる二違いない。

「三……いや、恐らくハンヴィーも望む筈。四対一なら俺に正義はない。加えて、この得体の知れない館を暴けと、総統がいれば指示を出す筈だ」

「ふぇっ!?」

 あっさりと意見の一致を見て、思わず奇声が溢れた。ハンヴィーが動けない今、高い戦闘能力を持つ彼の同行はありがたい。だが、こうも即断されるとは思っていなかった。

 似たような考えを抱いていたのか、一様に硬直する三人を半眼で見ながら、降ろしていたハングヴィラスを背負ったコルヴァンは歩き出す。

「俺とてヒトだ。疑問が目前にありながら尻尾を巻くのは好まん」

 硬く突き放す響きの中に、確かな熱を宿す声。顔を見合わせた三人は、誰からともなく苦笑する。

「あぁ見えて、割と人間臭いんだねぇ」

「本人に直接言いなよ」

「フリーダが言えば良いじゃん」

 戯けたやり取りと共に、止まっていた足が再び動き出す。

 蛇が踊る、建物のサイズに相応しい三メクトル近い巨大な扉に並んで立ち、誰ともなしに大きく息を吸い、全身に力を籠める。

 ヒト四人分の唸り声が熱帯雨林に数度響く。六度目の挑戦で、内側から何かが壊れる乾いた音が届くなり、コルヴァンが素早く目配せを飛ばして前進。

「下がっていろ」

 歴史的建造物の扉に、無粋な戦闘用ブーツが打ち込まれる。

「後々の資産を壊すのは不味くないですか……?」

「地中に埋まっていたのなら、元々疚しい物に違いない。そうでなかったとしても……俺が知るか」

 凄まじい暴論でライラの真っ当な指摘を切り捨て、コルヴァンは乱雑な蹴りを扉に撃ち込む。

 建造から数年も経っていない輝きを放っているが、やはり劣化していたのか。それとも暴挙に出た男の筋力が常識外れなのか。

 ともかく、数度の蹴りで扉の鍵は完全に破壊され、人間が通過可能な隙間がポッカリと刻まれた。フリーダが即座に『月燈火ルティーナ』を発動させた腕を内側に送る。

「消えない。酸素は普通にありそうだ」

「よし、じゃ、行こっか!」

 内部に酸素の存在を確認した五人は館に侵入し、そして内部を一目見るなり表情を曇らせた。

「何……これ?」

 正面と左右。ヒトが歩行で進める箇所全てに墓標の如き壁が並び、一行の目と足を縫い止めていた。約四メクトル弱で、上からの確認が飛翔魔術が不得手、もしくは乱用が出来ない面々が揃う一行には困難な高さ。

「ひとまず進もうよ。今は誰も来なくても、ずっといたら何か来そうだし」 

 ライラの声を合図に、狭い隙間を掻い潜って正面の壁を横から抜ける。次の壁も同じ様に抜ける。何度か単調な動作を繰り返した結果、入り口同様の美しい扉に直面することとなった。

 迷わず扉を開けて進む選択を、誰も下そうとしなかった。

 無数の壁が存在していて、抜けた先に扉がある。となると別の方向にも扉があり、外れを引けば手痛い歓迎を受けるリスクが高い。

「別の扉も見てみよう。何か違いを見つけ出せば……」

「その必要はないよ。オレ、見えるから」

 時間はかかるが真っ当な案に割り込んだ声と、背中から重みが消える感触。慌てて振り返ったゆかりの眼前に、ハンヴィーが立っていた。

 刺青は一段と輝きを増し、足取りは危うさが少々残っているが、黒瞳に宿る活力と、全身から漏出する魔力の強さは、最悪の状況を脱したと他者に示していた。

「見えない物が見えていると、お前は言うつもりか?」

 疑問と怯懦、そして嘲りが籠められた問いを、継承者の少年は躊躇を見せず肯定。たじろぐコルヴァンを他所に、ハンヴィーはたおやかな指を一本立て、とある方向を指さす。

「力の流れが見えるんだ。多分、行ける筈。信じないなら、それで良いけど」

 返答を待たず、ハンヴィーは先刻までの沈没状態が嘘のように歩き出す。役者と見紛う滑らかな、自身の主張を裏付けるような迷い無き足取りで、視界から消えそうになる少年を、残る四人は慌てて追う。

 壁の意匠や周囲の光景は全て同一で、現在地や辿った経路が即座に分からなくなりそうな、変化が皆無の空間を歩むハンヴィーの背を、見失わないように進む。戦闘こそないが、神経をすり減らす行程が続く。

「見えるって、どんな風に見えているの?」

「……ほら、赤い光がビューって伸びて、当たった奴を斬る罠とか漫画にあるだろ。そんな感じかな」

 ヒビキを筆頭に戦士達は口を揃えて見えると言うが、ゆかりには『煌光裂涛放』のように攻撃魔術として一定の指向性を持つ物は見えるが、空気中にただ在る魔力流は未だに見えない。

 よって他者を基準に考えることになるが、非戦闘員であるライラはともかく、その辺りの技術を持つ筈のコルヴァンやフリーダにも、ハンヴィーが主張する力の流れは見えていない様子。

 となるとハンヴィーに視えているのは特殊な力、それこそ『蛇神』とやらが遺した代物の可能性が高い。寧ろ、急激に活力を取り戻した事実と組み合わせれば、必然的に結末は絞られる。

「あのさ、ユカリはほんとに信じてる訳? オレが騙そうとか、適当な所に連れて行って殺そうとしてるとか、考えてないのか?」

「信じるよ」

 現状と先行きに対する混乱や疑問は確かだが、ハンヴィーという人間自体には皆無だ。そのような意思を端的に纏めた言葉に、ハンヴィーは目を見開く。

「楽観的過ぎないか? 会って二週間も経ってないんだぜ。ベラクスの手の者でした~ってオチがあるかもしれないぞ」

「それを言い出したらキリが無いからね。ファナント島に来る前、一人で馬鹿みたいに突っ込んだ私を助けてくれたってだけで、私はハンヴィーを信じられるよ」

「根拠にしちゃ薄くないか?」

「かもね。薄い根拠に従って、良いことにも悪いことにも出会ったけど、それで良いと私は思うよ。こうして今も生きてるのが、その証明かな」

「変わってんなぁ。でも、どうもな。ちょっとだけ嬉しい」

「そこは思いっきり喜んでよ」

 町や変調が起こる前に見せていた騒がしい姿は仮初めではないが、ハンヴィーの全てでもない。

 バディエイグの地を踏んで日の浅い自分達が知らない、継承者の肩書きを利用せんとする悪意に晒された経験や、養父の懸念が実現する恐怖を抱えて生きてきた筈だ。

 最終局面で他者に負の感情を喚起する発言。悪手としか言えない行動は、経験から積み重なった不安から生じたものだろう。生き残って、示されている疑問を一通り解決させることで、それはようやく解消されるものだ。

「全部終わったら、バディエイグをもっと案内してよ」

「それは勿論。そうだな……ヒビキって奴も一緒にか?」

 足取りが乱れ、盛大にすっ転んだ。

 硬い床に打ち付け、痛む鼻を抑えながら立ち上がり、ニヤリと笑うハンヴィーを見て毒気を抜かれたのか。特段の抗議をすることなく、再び歩き出す。

「ツッコンでも良いのに」

「……負けそうな気がする。……それより、もう着きそう?」

 強引な話題転換のお手本になりそうな、ゆかりの問い。それを受けたハンヴィーは、集中の糸を張り直したかのように表情を引き締め首肯。ピンと立てた指を小さく回しながら、やはり迷い無き足運びでゆかりの先を行く。

「ちょっとずつ強まっている。うん、発信源はもうすぐだ」

 告げると同時、眼前に屹立していた扉が雲霞の如く忽然と消え失せる。何の前触れもなく生じた怪現象は、ハンヴィーの意思に依るものではないように見えた。

 ただ、彼は「発信源が近い」とした言葉から分かる通り、状況がこのように展開することは読めていたのか、身構えたゆかりとは対照的に、悠然と構えて推移を見守る姿勢を取った。

 少し遅れていた三人も追いつき、何故立ち止まったかを問いかけてくる。「分からない」以外の回答を持たないゆかりだったが、彼女が言葉を繰る必要はなかった。

 掲げられたハンヴィーの右手。そこから放たれる七色の光が一点に集中。後方からの気配に振り返ると、同様の光が伸びる様が映る。

「……これは」

「『万封縛幻流光カレイブ・ゲルト』に近い。だが、あれは物理的な捕縛を行う魔術だ」

 ライラの呟きに、妙に荒い声でコルヴァンが応じるが、疑問形で正解を捉えかねている。

 傍観者を他所に光の乱舞は続き、やがて空間全体を埋め尽くす。踊り狂う光達は、しかし一定の規則を持って収束を果たし、無数の万華鏡の中に放り込まれたかのような錯覚を四人に齎す。

 視界が全て呑まれ、ハンヴィーはおろか己の輪郭すら曖昧になり始めた頃、どこからか遠雷に似た音が響く。視覚に加え、聴覚も蹂躙された一行は、状況の変化を把握する事が叶わず只々翻弄されるばかり。

 永遠を錯覚させる変化は、唐突に終わりを告げる。

 酷い耳鳴りと、目の痛みにひとしきり呻き、それらが解消された時。ゆかりは眼前に映る物を認識するなり自身の正気を疑った。

 揺らめきながら、不規則な変色を繰り返す光が寄り集まって階段を形成していた。勾配は急で、限界まで顔を上方に向けても終着点は見えない。

 終着点と一口に言っても、足を掛けると同時に異空間に引き込まれて一巻の終わり。という最悪の結末もあり得る。その手の悪意が無いと仮定しても、強大な力の持ち主には得てして悪辣な者が多い。

 命のやり取りを強制される可能性は、十分以上に存在しているだろう。

「どうするって……みんな腹括ってる感じか」

「当たり前だ。何もないのならまだしも、目の前に可能性を提示して止まる阿呆はいないだろうが」

「あっちょっ……」

 制止も待たずコルヴァンが階段に足を掛け、そしてそのまま遠ざかっていく。コルヴァンとゆかり達に視線を何度か行き交わせ、やがて諦めたように継承者は溜息を吐いた。

「一応言っとく。多分、この先にヤバいものがある。それがオレに直接関係するのか。ユカリ達が欲しいものに繋がるのかは全然分からない。死ぬ危険だってある。それでも、一緒に来てくれるか?」

「僕達も腹は括ってる。君の宿命やユカリちゃんの願い程強くはないけれど、ね」

「じゃなきゃ、戦う為の準備もしてこないよ。正解をゲットして、あの偉いさんを一泡吹かせよう!」

 フリーダとライラ、両者の力強い宣言。無論、ゆかりも腹は括っている。

「っし。じゃ、行くか!」

 力強い宣言を音頭に、四人は階段に足を掛け、一段一段噛みしめるようにして上っていく。上へ進む度、待ち受ける何かへの期待と不安から鼓動が加速し、喉が渇きを覚え始める。

 ――一人じゃない。四人も仲間がいる。だから、過剰に恐れる必要なんてない。

 言い聞かせ、不安の軽減を図るが完全とは言い難い。幽霊の正体は些末な何かであると、言い伝えは数多に存在するが、それは暴かれることでようやく成立する。

 全員が同じ意思を共有しているのか、沈黙に満たされたまま状況は推移する。沈黙に耐えかね、ライラが大きく息を吸う音が生まれた時、先頭を行くハンヴィーがコルヴァンの姿を視認。延々と続いていた階段が途切れて広間に到達するが、そこに待ち受けていた現実に一行は困惑する。

 正確には何も待っていなかった。

 白磁の輝きを放つ床。蛇が描かれた高い天井を支える、精緻な装飾が施された柱。壁には歴史的な価値を持つであろう絵画が掲げられている。専門職が踏み入れれば、驚喜して探索を行うことは間違いないだろうが、ゆかり達の希望を叶える物は何一つとして存在しない。

「敵の気配も無い。担がれたか?」

「さぁね。発信源がここなら、死ぬ気で探すしかない」

 ヴァイアーを展開し、ハンヴィーは周囲を見渡す。取りあえず壊して引きずり出してやろうというシンプルかつ野蛮な意図を読み取ったように、フリーダもクレストを構える。

 歴史的価値の高い場所を、選択肢がないとは言え破壊する事に若干躊躇を見せたゆかりだったが、目的を何度も復唱してそれを振り払い、鬼灯を鞘から抜いた。

「よっし、みんな一斉にやるぞ!」

『物質が無ければ無と見做す。あまりに、あまりに浅慮』

 ハンヴィーの音頭に、聞き覚えの無い声が割り込む。

 即座に警戒体勢に移行し、周囲に視線を巡らせる一行。だが、やはり何も見つからない。

「隠れる必要などない筈だ。……出てこい!」

『廃材置き場の凡夫の感性ではそこが限界でしょう。よろしい、下層の存在への慮りも我々上位者の責務』

 至極もっともなフリーダの叫びに、感情の欠落した声が答える。

 そして、忽然と現れた黄金の瞳が五人を見下ろしていた。

 四つの瞳を起点に輪郭が描かれ、鱗に覆われた純白の三角錐を形成。そこからヒト三人分はありそうな太い胴が伸びるが、天井を突き抜けて全貌は見えない。

 ヒトは異なる区分の生物が余りに巨大過ぎると、委細の把握を放棄して恐怖に呑まれる。まさしくそのような状況に陥りながらも、舌を思い切り噛んで辛うじて意識を維持するゆかりを他所に、二頭の蛇はただそこにある。

『私はバキラゼル。こちらはナザルニア。見ての通りの存在です』

「あんた方が蛇神様ってやつか? 意外とぱっとしないな」

『神という凡庸な存在に例えられるのは不本意ですが、あなたがそう思いたいのならばご自由に。ですが、あなたを呼んだのは私達であるのは事実です。では、別の問いをどうぞ』

 不遜なハンヴィーに淡々と切り返し、彼を「呼んだ」と告げる。伝承の根源が、実体無き蛇。最大の種明かしがあっさりと成されるが、呼ばれた少年は怯まない。

「オレは一応継承者って扱いらしい。数千年前から今までに、そう言う奴は何人もいるとも聞いた。……なんでそんな真似をする?」

『継承とはヒトの傲慢でしょう。我らの力は貴方達のような、群れねば何も成せないサルに対して慈悲を抱いたことはありません』

「あんた方の種族も、数千万年前の大絶滅で哺乳類に負けた、トカゲからの枝分かれだ。そんな傲慢、かませる余裕はないだろ。それに、何度か力を受け渡した実例もある。下等なサルに力を渡す目的は、一体なんだ」

『『超越思想ヒュペリオン』を、我々は永劫に求める存在です』

 聞き慣れない単語にハンヴィーが、否、フリーダやライラも疑問を浮かべる。


 只一人、ゆかりを除いては。


「薬物や人体改造を用いて、ヒトの枠組みを放棄し、その者達が互いに殺し合う事で上位存在を目指す思想だ。現在でも一部の宗教派閥も掲げ、大戦直後は大陸全土を支配していた。俺の剣技や一部の特殊な魔術もそう形容され、ヒビキのような人体改造もその思想が起点だ」

 世界の歴史や規則の内、教養の不足と配慮でヒビキ達が彼女に伏せていた部分として、ヴェネーノは吐き捨てるように『超越思想』を語った。この説明に準えた結果、答えは自ずと導き出される。

 そして、この先に待ち受ける事態を正確に解したゆかりの全身が総毛立つ。

「ハンヴィー、伏せて!」

 一切の躊躇を捨てて、ゆかりは引き金を引く。実体の有無など些事。何かを起こされる前に、この二頭は絶対に排除しなければならない。本能が彼女を突き動かしたのだ。

 照準合わせなど皆無の抜き撃ちだが、一斉に放たれた六発の弾丸は正確に片割れの額へ突進。

 怯ませるぐらいは叶う筈。ゆかりの願いは、額から数メクトルの所で銃弾が停止し、黄金の光によって塵と化すと同時に砕け散った。

『我々は大戦すら越えた存在。サル共の兵器は大凡受け止めて来ました』

『惑星間ミサイル。大陸浄化砲。不死機巧兵団。お前達が放つ豆鉄砲程度、掠り傷すら作れんよ』

「ヒトを劣等種と称するなら、どうして力を与えるのですか!? 超越思想などあなた達だけで掲げれば良い、ヒトを巻き込む必要など無い筈でしょう!?」

『劣等種であろうと、『超越思想』を正しく解し、我々と同じ領域に辿り着く者が現れる可能性は無ではない。それが答えです』

『力に耐えきれぬならばそれまで。継承の果てに散るのならばそれまで。また次を探せば良い。所詮、サルは何もせずとも同属間で殺し合う低俗な種。幾ら減ろうと構わん』

 手前勝手な理屈に、この世界で多く触れてきた。元の世界で到底成立し得ない、ふざけた物もあるにはあったが、少なくとも一端は理解出来ていた。 

 ヒト属に戦争を仕掛けた『エトランゼ』すら、星の調和を掲げていた。眼前の蛇共は、お題目から手段まで彼等の独善で形成されている。根本から先端まで、理解する余地が存在しない。


 崇拝対象?  絶対に違う。排除すべき只の悪だ。


 敵愾心の炎を灯したゆかり。彼女に押されるように他の面々も武器を構える。その姿を見た二頭の蛇は、無機質な瞳に高純度の嘲弄と軽侮を宿し、その輪郭を緩めていく。

『丁度継承者もいます。どうです、試行を始めましょう』

『異邦人は不確定要素に成り得る。素晴らしい提案だ』

 興味に満たされた二つの声は、閃光に転じる。輪郭が完全に崩壊した蛇の魔力流が、一斉に地上へ降り注ぐ。魔術の概念に疎いゆかりでも、全て受ければハンヴィーが死ぬと確信。

 手を伸ばした刹那、光の渦が二つに分かたれる。

 渦の片割れはハンヴィーに、そしてもう片方がゆかり達の側方を抜け――

「沈黙も、ここまで来れば無意味か」

 バディエイグ最高指導者の右腕にして、ファナント島の旅路の同行者兼監視者。コルヴァン・エラビトンの手に吸収されていく。瞬く間に焼け爛れ、剥がれ落ちていく皮膚の隙間。ハンヴィーと同じ意匠の刺青が、照射される光と互角の輝きを放っていた。

 ありえない現実にゆかり達は、そしてハンヴィーすら絶句する。伝承を、そしてその継承者であるハンヴィーを嫌悪し、どこまでも現実に根ざした言動を示す男が継承者だった。推測可能な要素は、どこにも無かった。

 だが、それは拾った話を額面通りに受け取ればの話だ。


 継承者は一人と誰も、よく知る筈のフラヴィオですら明言しなかった。

 偶像の蛇は必ず二頭で一つ。記憶を掘り起こせば必ず二頭の意匠があった。

 望まぬ客人の暴発の天井が見えていない状況で、ベラクス・シュナイダーが付けた護衛は彼一人。しかも、彼の武器は注意深く見ると蛇の頭骨に酷似している。

 一つ一つを見ると、確定した事実とは言えない。しかし、コルヴァンが只の軍人であり継承者ではないと、明確に否定する材料もどこにも無かった。


「まさか、ベラクスは最初から……」

「あの方は完全には掴めていない。よって、推測の答えは否。俺は、俺の意思で君達を殺害し、バディエイグを変える」

 フリーダが絞り出した結論をコルヴァン自身が否定し、自ら正解を提示する。発せられた声に偽りや悪意は薄く、純粋な殺意で彼は満たされている。最悪の未来が示され動けないゆかり達を他所に魔力の流入が終わる。

 曝け出された右腕から毒々しい光を放ち、表情の出にくかった貌に不気味な笑みを浮かべたコルヴァンは、床を砕けんばかりに踏みつけ獅子吼を上げた。

「真実を抱いて朽ち果てろッ!」

「させるかよッ!」

 継承を終えたのであろう、ハンヴィーの鋭利な叫びがコルヴァンと全く同じタイミングで響く。


「目覚めろ『醒刃ビラギタ伽乱蛇乱沙メナ・ウラディハード』ッ!」


 完璧な同調を見せた二つの超えに呼応し、コルヴァンが背負っていたハングヴィラスが溶解。体内に取り込まれたと認識した瞬間、彼の全身から無数の骸蛇が飛び出した。

 カチカチと骨同士を打ち合わせ、鎌首を擡げた蛇は十を優に超え、獲物を飲み込まんと揺れる。金属質な軋り音と、生物にあるべき要素が欠落した頭蓋骨剥き出しの状態でも尚、それは生を感じさせていた。 

 可動・変形する武器は散々見ているが、ここまで有機的な代物は前代未聞。断続的に飛び込む有り得ない事実に硬直するゆかり達の前に、黒い影が着弾。

 十の刃が両手で二まで減少。引き換えに突撃槍と見紛う長さと、肉を引き裂く事に特化した鋸刃状の刃を持つ長剣に転じたヴァイアー。

 より実戦的かつ殺意の高い武器を構えたハンヴィー。全身を瞬かせる彼が宿すは、明快な危機感と戦意。

「ここで固まってる場合じゃないだろ! 死ぬ為にファナント島に来たんじゃないなら、やるべきことは分かりきってる筈だ! ……無駄な戦いは嫌いだ。でも、今はもう戦わなきゃいけない時なんだよッ!」

 逃避を望んだ感情が真っ向から粉砕され、心胆が跳ねる。現実はコルヴァンとの闘争を定め、回避方法は座して死を受け入れる以外にない。


 死にたくない。でも、戦いたくもない。


 そんな甘えた欲望の両立が許される状況は、とうに失われている。一度盤面に登ったのならば、そこで踊り続けなければならない。

 願いの為に必要な賭け金は、いつだって己の命だ。

 ゆかりがワードナをこめかみに押し当て発砲。肉体強化魔術を纏めて発動し、最低限まで引き上げる。フリーダはクレストを構え、ライラも全弾装填されたユドナを担ぎ上げる。

 闘争を選んだ三人を見て小さく頷いたハンヴィーは、力の完全な定着が成ったコルヴァンを睨み突撃体勢に移行。

「白黒付けようぜ、××××××野郎!」

「紛い物はここで死ね!」

 場の全ての存在が武器を構え、仕掛けを放たんと動き出す。

 伝承と大戦の痕跡を刻んだ島で、血戦の火蓋が切られた。

 その光景を見届ける存在は、空と海と流れる風に限られる。自然に生を受けた生物は異変を感じるなり巣穴に篭もって現実から自らを切り離し、ただ嵐が過ぎ去る事を待つ選択を下した。

 生の鼓動が失せた決戦場周辺の空。無粋な機械音を発しながら、複数の鳥たちが島に接近していた。極彩色の体毛や嘴の形状、角のような鶏冠こそ熱帯に広く生息する鳥類『リノセロス』の物だが、島に生息する彼等も既に逃げ出している。

 一定の距離を取っているものの、唐突に現れた彼等は舞台が視認可能な範囲で隊列を組んで離れようとはしない。

 小さな駆動音を断続的に奏でる機械の目を持つ鳥達は、決戦の観劇者として只そこに留まり続ける。




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