1

 初めて出会った時、よく分からない子だと思ったことは今でも思い出せる。

 ある時から近所に住むようになった、天涯孤独と称する粗暴だが愉快な大男が、何処にも面影を感じない同い年の男の子を連れてきたのだから、インパクトがそれなり以上にあったのだろう。

「この子はヒビキ。ライラちゃんと同い年だから、仲良くしてやって欲しいんだ」

 大男、いやカルス・セラリフは軽い調子でそう宣ったが、ヒビキと呼ばれた当の少年は、怯えたように一歩後退った。

 仲良くしたくとも、怯えられてしまってはどうしようもない。

 そんな気持ちが脳裏を掠めはしたが、カルスの蒼眼に宿る意思は真摯な物で、冗句の類でないことは分かる。

 目前の男の子が誰なのか今は分からずとも、時を重ねていけば分かるのかもしれない。

「ライラック・レフラクタ、ライラって呼んでね!」

 決意と共に伸ばした手に、ヒビキと呼ばれた男の子は眼帯のない右目を文字通り白黒させて動かない。

 数分の沈黙を経て気恥ずかしさが生まれ、カルスが助け舟を出そうと身構えた時。

 弱々しく伸びた左手が、覚束ない挙動でライラの手に重ねられる。同い年とは思えない貧弱な、しかし確かな意思が籠った手を、幼いライラは強く握り締めた。


                    ◆


 ヒルベリアという町の規模に見合わない、巨大な作業スペースを有するレフラクタ特技工房には、今日もひっきりなしに依頼者が訪れる。

 工具を携えて工房内を忙しなく行き来する少女、ライラック・レフラクタの仕事量は、『エトランゼ』戦以降増加の一途を辿っていた。

 名義上は未だに主である父の職務放棄で、開戦前から主軸が彼女に移っていたことは事実で、戦地に向かってから滞っていた仕事も多数ある。

 日常生活に用いる機械はまだしも、銃火器や『転生器ダスト・マキーナ』といった代物をマトモに出来る場所は、軍人の詰め所を除外すれば、ヒルベリアにはこの工房しか存在しない。

 ライラが多忙を極めることは、ある意味で必然とも言えた。

「はい、ありがとうね! 規格外の弾を無理に詰めるなんてしちゃ駄目だよ!」

 古びた小銃を客に渡し、代金を受け取って見送る。

 規格外の弾丸を使用して銃を破損させるなど、子供でもやらない噴飯物の失態だが、生憎ヒルベリアは大半の企業の製品保証から外れた町。技術や魔術の扱いに長けた者なら弾丸の自製も選択肢に入るが、それを成せる者も殆どいない。

 平等を謳う先進国にあるまじき姿をヒルベリアは晒していて、そのような構造だからこそ、この工房も賑わっている。

 脳裏を掠めた皮肉な構造をすぐに押し流し、大きく伸びをしたライラは、机上の手帳を捲って予約の抜けがないかを確認する。仕事に対する彼女の姿勢を示すように、整然と記された文字は、今日の仕事が終わったことを告げていた。

 数か月後にやっと十八歳を迎える彼女が、一家の大黒柱になる構図はここがヒルベリアであることを踏まえても歪で。父親が様々な事象を放棄した事実を知る者は少なからず同情の眼差しを彼女に向ける。

 ただ、父が自室に引き籠るようになったことと、ライラが後継ぎとなったことは世間が見ているより相関関係がない。

 揺らぐような出来事は幾つもあったが、学校に行かずこの道を選んだのは、紛れもなく自身の意思だ。変化や起伏に乏しいが、居心地の良い人生をこの町で送ることも悪くないと、彼女は心の底から

 所定の場所に工具を片付け、小さな息を吐いたライラの目に、湯気の立ち昇る杯。

 その先を辿ると、母ジーナ・レフラクタの気遣うような表情があった。

「大丈夫だって! 腕利きの医者に治して貰えたから足は問題ないし! まだまだ全然若いから疲れても……」

「ヒビキ君と何かあったんでしょう」

 感情のギアを強引に上げ、賢しらな言葉を紡ごうとしていた口が、中途半端な形で硬直する。

「フリーダ君は変わらず来てくれていて、ユカリちゃんもそう。あの子だけ来ないのは変でしょう。ちゃんと話をしたの?」

「いやほら、クレストは整備しなきゃいけないけど、なんかスピカは要らなくなっちゃったから! それなら来なくて当たり前なんだよ!」

 一応、ライラの主張は真実だ。

 ヒビキが振るう『蒼異刃スピカ』は、飛行島での戦いを経た後、原因は不明ながら『転生器』の文脈に則った整備を必要としなくなった。

 凡百の『転生器』でないと、父や魔力を与えたカルスの反応から薄々察していた。

 だが、技術の粋を詰め込んで生み出された遠距離兵器や、複数の才人がその生命を削って放った戦略級魔術すら打ち破った、白銀龍の防御を破る化け物とまでは予想していなかった。正解を確認する術は失われているが、生み出した二人も同じような見解を示しただろう。

 スピカが歴史上の大業物に匹敵する力を手にし、整備が不要になった以上ヒビキが工房に訪れる頻度が減るのは必然。

 事実を踏まえている言葉は、大した付き合いの相手なら十分誤魔化しが効いただろう。母親である上に、日頃からライラと十全なコミュニケーションを取っているジーナには通じる筈もないのだが。

「一昨日買い物で会った時に話したけれど、ヒビキ君も様子が変だったの。二人ともおかしいなら、何かあったに決まってるでしょう。あの場所で、何があったの?」

「何があったって、そりゃ……えぇっと……」

 話を終わらせる為には適当な話をでっち上げねばならないが、何故か言葉が上手く出て来ない。喉から奇妙な音を溢すライラの姿は、ジーナの不安を煽るには十分過ぎた。

「今日の予約はもうないのよね。父さんも相変わらずだから時間もある。何があったのか、教えて頂戴」

 悪意などなく、心の底から心配してくれている母への感謝はもちろんある。ロクに話せていない自分への嫌悪や、不安を掻き立ててばかりの現状を見せている申し訳なさも等分にあり、話してしまえば楽になれるのは確実だろう。

 思い切りブチまけてしまいたい気持ちと、それでは本当の解決にならないという理性。

 両者のせめぎ合いを内側で繰り広げた結果、ライラの選択は母からの逃走だった。

「ちょーっとやらなきゃいけないことを思い出したんだよ! 晩御飯になったら呼んでね!」

「あっこら! そうやって逃げ――」

 制止を全力で無視して、一段飛ばしで階段を駆け上がり、転がるように自室に飛び込んで扉を閉める。

 念のため施錠し、手近な工具箱を重し代わりに配して侵入を防ぐ。どこまでも一時しのぎに過ぎず、母の気持ちを無下にしている後ろめたさも余計に増えた。

 間違いなく自分は逃げた。そして、成すべきことを理解しながら実行に移せていない。

 

 ――ここで止める? なに言ってんだお前……ここで俺が止めたら、皆なんのために死んでいったんだよッ!?

 

 戦地で叩き付けられた叫びは、ヒビキがライラの知らない存在になっていることを、どんな言葉よりも明朗に突きつけた。自らの死を天秤にかけ、それでも戦うことを選択する精神性は、既にライラの理解の外にあった。

 ヒビキだけでなく、フリーダやゆかりも選択を終えて進んでいる。一貫性のある道を進んでいた筈の自分だけが、気が付くと取り残されていた。

 無論、今から彼等と同様に戦う道に進むことは無理だ。積み重ね云々の前に魔術回路が微弱なライラは、シルギ人のような長命を得ても戦士の道は不可能と幼少期に告げられている。

 戦闘力の話ではなく、ライラック・レフラクタが彼等とどう向き合うか。

 彼等の道と己の道を、重ね合わせることが出来るのか。

 猶予が失われつつある問いの答えを求めて懊悩し、やはり行き詰ったライラの目が泳ぎ、壁に貼り付けられた写真に引き寄せられる。

 ほんの僅かながらも劣化の始まった写真には、幼い頃のライラとヒビキが被写体として収まっていた。

 自らの背に半身を隠すヒビキの左眼に、雑な眼帯を巻かれていることから、十年前の写真と判じたライラは徐に眼を閉じる。

 生まれも育ちもヒルベリアの自身と、正体不明の少年が何故道を交えることになったのか。答えを出す手掛かりを根源に求めて、夕暮れ時の喧騒から過去へと意識を沈めて行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻界血風譚 白山基史 @shiroHBAstd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ