小説を読む快楽とは、なにか。
まず、ことばだ。
ことばによって小説は構成されている。
あなたにも「絵柄が好きな漫画」というものはあるだろう?
それとおなじで、小説を織り成す最小単位であることば――文と、それがつらなってできあがる文章とが、まずは読みの快楽をもたらす。
この効用を、理解できていない作品が、すくなくない。プロの作品においても、新聞記事みたいな味気ない文章を書いて「小説だ」と言い張っているものが散見される。
まず、ことばを読むことのきもちよさを、小説はあたえねばならない。
ひるがえって、本作はどうか。
快楽――である。
リズム感、造語のルビ芸の楽しさ、大仰なリフレイン、こってりと塗りかためるような形容詞の使いかた……すべてが、小説を読む快楽へとつながっている。
こうまでくると、ストーリーなどは二の次になる。もちろん、かんがえぬかれた設定、魅力的なキャラ造形などもきちんと用意されているが……それよりまず、読むことのよろこびにあなたは打たれるだろう。字を追い、ことばに浸るだけで、あなたは極上の酔いに揺られるだろう。
それが、小説というものだ。
すなわち――
「これ」が、小説というものだ。
どんな小説が面白いのか? 読み易ければ良いのか? 説明が細かければ良いのか? キャラが魅力的なら良いのか?
違う、違うなー。本当に面白い小説は『文字の領域を超える』。
読んでいるのに、読んでいない。頭に直接、映像と音が入り込む。それはさながら、映画を見ているかのよう。
あるいは、催眠にかかっていると言うべきか。
重厚な設定が軽快な文字列で紡がれる。だからこそ、飽きず、疲れず、流れるように読める。そして、気がついた時には心の中に、脳内に、スクリーンがある。彼らの物語を実体験するかのよう。
スチームパンクという危なっかしい物を、よくぞ書き上げた名作であると自信を持って他の人におススメ出来ます。
皆さん、二章始まってますよ(小声)。